« プリゴジン2 | トップページ | プリゴジンの死 »

2023年8月25日 (金)

中国の旅/無錫の街

000_20230825000701

猿島から船で出発地点の湖畔にもどり、ふたたびバスに乗って、わたしたちはつぎに絹の博物館みたいなところへ立ち寄った。
博物館は田舎の街道に面しており、絹なんかに興味のないわたしが、なにかおもしろいものはないかと近所を見まわすと、100メートルほど先の街道ぞいにたくさんの露店が出ているではないか。
あっちのほうがおもしろそうですよといって、愛ちゃんとわたしは2人だけで露店を見学することにしてしまった。

001a_20230825000701001b_20230825000801001c_20230825000801

露店ではスイカやモモ、ブドウ、ほかに焼きものの急須などを売っていた。
また豆腐を目の前で調理してくれる店もあった。
けっして観光客ばかりが目当ての店ではなく、中国の一般の人たちも相手にしている店らしいのが嬉しかった。

001d_20230825000801

わたしはここで豆腐を食べてみることにした。
豆腐というのは日本が起源の食べものと思っていたけど、じつは中国が元祖で、その歴史は紀元前にさかのぼるくらい古い。
漢の時代、つまり秦の始皇帝よりあと、項羽と劉邦より少しあとに、淮南王という地方の王様がいて、やたらに反乱を起こして最後は自刃して果てたという。
彼が豆腐の発案者だということがものの本に書いてあるそうだけど、ま、古い話だからあまり信用しないほうがいいかもしれない。

豆腐といっても、中国では生で食べるのは果物ぐらいのものだから、日本のようにそのまま食べるわけではない。
この豆腐も火を通して、形がぐずぐずになっていた。
食べた感じは絹ごしのようで、味が薄かったから、わたしはそこにあった醤油のようなものをがばがばとかけて食べた。
あとで同行の人々に聞いたところでは、中国の醤油はキッコーマンやヤマサではなく、くさやの干物をつけこむ魚醤のようなものだという。
べつに美味しいものではなかったけど、言語を異にする人々とじかに接する喜びは、それこそわたしが中国の旅で夢みていたことであった。

001ee

そのうちにわたしたちの一行からもうひとり、長髪にジーンズの男性が露店を見学にやってきた。
この人もわたしと同じ、おしきせの団体旅行にあきたらない旅人らしい。
あとで聞いたところでは、小川荒野という名前の絵描きさんであった。

002a_20230825001001

このあと無錫の市内にもどり、絹の紡績工場を見学した。
紡績工場はごみごみした街なかにあった。
バスは狭い門をくぐって工場のなかまで入っていき、下車すると目の前が紡績機のある建物である。
あまりあちこちうろうろさせないというのが、中国側の方針らしい。
わたしは絹にも紡績にもぜんぜん興味がないんだけど、いちおう工場を覗いてみた。
女工さんたち20数人ほどが、紡績機のまえにずらりと並んで、立ったまま野麦峠の女工哀史に出てくるような原始的な作業を行っていた。
おなじ屋内にカイコの繭から糸をとっている人もいたから、この部屋だけで一貫作業ということらしい。
あるいは製品が間違いなく本物の絹であることを見せつけて、外国からの観光客からむしり取ろうというでっかいセットかも知れない。
窓は大きく開かれていて、もちろん工場にエアコンなどなかった。

003c_20230825001101 003a_20230825001001

工場内を一べつしただけで、わたしは志を同じくする小川荒野さんとともに、門の外へ飛び出してしまった。
町は整然としているわけではなく、けっして清潔ともいえないけど、日本の村や街しか知らないわたしは、不思議の国にまよいこんだような気がした。
プラタナスの並木の両側に白壁の民家がたち並んでいる。
白壁は赤いレンガの上に防水用に塗られた漆喰で、どの家の壁も人々の汗と脂がしみこんでいるように、まっ黒になっていた。
新建材やアルミサッシなどどこにも見つけられない。
町全体がそっくり数百年前のままなのである。
わたしと小川さんは住人に遠慮しつつ、いそがしくあちこちを見て歩いた。

003d_20230825001101003e_20230825001401003h_20230825001501

民家の内部は昼間からうす暗く、ひじょうに狭いようである。
さすがにじろじろと家のなかまで覗くわけにはいかなかったけど、その生活様式、家具などもわたしには興味深々というところだ。
ある家の前にはまっ黒にすすけた、銅のコンロやヤカンが無造作に置かれていて、練炭もそえられていた。
めずらしく1軒の家のまえにくしゃくしゃの子ネコがいたけど、ネコでさえすすけていた。
小川さんは、スペインみたいな景色だなという。
この人は絵を描くために、これまで世界各地を放浪したことのある人で、映画でしかスペインを見たことのないわたしもそう思う。

003g2_20230825120301

ある路地では屋外に椅子を出して、まん丸なメガネをかけた散髪屋さんが仕事のまっ最中であった。
わたしが写真を撮って会釈すると、向こうもにっこりした。
女性男性のいずれにかぎったわけではないが、写真を撮られるのをいやがる人もいるし、またなんとも思わない人もたくさんいる。
このへんは万国共通の反応である。
子供たちが写真を恥ずかしがるのはちょっと意外だったけど。

004_20230825001601

紡績工場のあと、街なかにある「江南餐館」というレストランで昼食にした。
15畳くらいの細長い部屋で、中国式の食事をとる。
あれが美味いのこれが不味いのという騒ぎにはわたしはあんまり関係がない。
なんでも食べられるということではなくて、わたしは偏食なので、なんでも食べられないのである。
食事の最中、小川さんが自分の画集を広げたので、わたしも拝見してみた。
金子みすずの詩に添えたくなるようなメルヘンチックな絵なので、どんな筆を使っているのですかと尋ねると、割り箸をけずって、その先に絵の具をつけて描くという返事だった。
画壇ではけっこう有名な人らしく、愛ちゃんは日本で近々開催される、この人の個展のパンフレットをもらっていた。

002_20230825001801

食事のあと、どこかでアイスクリームを売ってないかと、愛ちゃんちゃんと2人で街を探してみた。
太湖のほとりでは歩きながら食べている人をよく見かけたのに、ここではどうしても見つからなかった。
アイスキャンデーならいくらでも売っていたから、これは製造方法が簡単か複雑かの違いらしい。

このあと無錫市内の有名観光地である錫恵公園の、「恵山寺」という名刹を見学することになった。
わたしは無神論者で、もともと宗教関連の建物にあまり興味がないし、ワビサビとは無縁の中国の寺にへきえきしていたところだから、門のまえにごたごたした土産物屋が並んでいるのを発見して、また小川さんとそっちへ行きかけたけど、監視役の王さんにダメですと呼びもどされてしまった。

005a_20230825001901005b_20230825001901005c_20230825002101 005d_20230825002001

恵山寺は想像どおりぜんぜんおもしろくなかった。
およそ日本人の感覚では理解できない、奇妙な屋根をもった建物がいくつもある。
なんでもこの寺の塀は竜をかたどっているそうで、そのためか塀の屋根はくねくねと波うっていて、それをどこまでもたどっていくと、どこかで竜の頭に出くわすのだそうだ。
塀の瓦などはなかなかユニークなのに、よくこんなつまらないことを考えたものだと思う。
古いイチョウの木もあったけど、それより古い木をわたしは日本でいくつも知っている。
池には黄色いスイレンの花が咲いていた。

この寺を見学している最中、小川さんは呼び出されて、ひと足先に上海へ帰ることになった。
彼は最初から上海のフリー行動を予定していたのだそうだ。
うらやましいことである。

寺見学の最後は土産物店だった。
団体の海外旅行をした人は知っているだろうけど、観光客は行く先々でむしられるのである。
わたしは観光地の土産にもほとんど興味はないので、エアコンの効いた店内をてきとうにうろついていたら、ここにはえらく美人の売り子がいた。
いったい中国の路上で美人を見かけることはめったにないんだけど、こうした外国人もやってくるきちんとした土産物店や、ホテル、レストランにはけっこう美人がいるものだ。
彼女にはいくらか日本語も通じた。

006_20230825002001

わたしはこの日に持ち歩いていたフィルムが心細くなったので、寺のまえの土産物店で2本ばかり購入していくことにした。
寺から1歩出ると、もう一般大衆の店だから、こちらには汚いおじさんやおばさんばかりで、寺よりもそっちを見て歩くほうがよっぽどおもしろい。
フィルムは保証期間が4年も前に切れたコダックで、日本の富士フィルムも売っていたけど、パッケージを見るといずれも中国で製造されたものだった。
フィルムを売っている店には毛の長いネコが飼われていた。
幸せそうなネコを見たのは後にも先にもここだけである。

午後4時、わたしたちはつぎの目的地の南京に向かうために無錫の駅にもどった。
まゆ毛のこい若い男性ガイドとはここでお別れで、童顔の王さんだけがどこまでもわたしたちについてまわる。

| |

« プリゴジン2 | トップページ | プリゴジンの死 »

旅から旅へ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« プリゴジン2 | トップページ | プリゴジンの死 »