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2023年9月

2023年9月30日 (土)

中国の旅/市場のB

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当時はこれが普通であっても、日本人には目をそむけたくなる光景もあった。
公衆トイレのわきに白菜が山積みにしてあるのだ。
料理するまえに、上っつらの葉を何枚かはがせばいいってことかも知れないけど、これを見て食欲がなくなっても責任は取りません。
そのとなりは、裏山で捕まえたキジを1羽だけ売るおじさん。
いい小遣いになるのかも知れない。

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写真を見てもらえばわかるけど、日本人からするとそうとうに非衛生なところなので、この市場は30年後のいまでもあるのか、豊洲の魚市場のように近代的な市場に改築されているのではないかと調べてみた。
“十六舗”というのは地名らしく、場所的には黄浦江のむかしの渡し船の発着場のあたりになるようだけど、わたしが見た市場はけっして川べりにあったわけではなかった。
たしか豫園のうしろのほうだったよなと、現在の地図をいくら調べてもそれらしき市場は見つからない。
日本租界に行ったとき、『文明の対極にあるような、貧しい市民生活と古い町並みこそ、中国の最大の観光資源である』と書いたけど、中国政府にすれば、こんな場所を外国人に見られたくないだろうから、とっくに撤去、移転した可能性は高い。

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「十六舗市場」を探して、見つけたのがこの大きなデパートだ。
あたり一帯が、現在では衣料品が主体の市場になっているようだった。
わたしが見たいのは海産物や野菜などの生鮮食品なので、けっきょくいまの市場がどうなってるのかわからずじまい。
近代的で清潔な市場になっていたら、それでもわたしも見たがるかどうかわからんけど。

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中国の旅/市場のA

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「十六舗市場」は上海最大の食料品市場だと聞いていたから、ここだけは絶対に見に行くつもりでいた。
ところが到着した翌日はその場所が見つからず、さらに翌日、2人のポン引き氏の案内で、ようやく見学することができた。
というわけで、ここではごちゃごちゃいわずに、2回にわけて市場の写真をずらっと並べることにする。
アーケードの下で売っている店もあれば、路上に品物をひろげている店もあって、いささか東南アジア的風景だった。
これが30年まえの中国では普通だったのである。

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ひとつことわっておくと、ここに載せた写真は、なんせ30年もまえのものなので、当時はまだパソコンも普及しておらず、わたしは撮り溜めた写真をコダックに頼んでディスクに焼いてもらったり、スキャナーが出てくると自分でスキャンしたりした。
そうした写真をハードディスクに保存したものの、それが手狭になるとさらに容量の大きなディスクに移動したりした。
おかげでファイルはあっちからこっち、こっちからあっちへ、何回移動したかわからない。
そういうわけで、いちおう「十六舗市場」の写真ということになってるけど、同じとき撮影した虹口地区(日本租界)の写真とごちゃまぜになっている可能性もある。
背景の建物などから、あれ、これはべつの場所じゃないかと指摘する人がいるかも知れないけど、理由はそういうことである。
どこであっても様子は似たような、30年まえのものであることは間違いがない。

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中国では買い物をする場合、重さをごまかされないように、自分の専用の秤を持っていく主婦が多いという。
日本人には想像もできない、中国の市場というのは丁々発止の闘いの場なのだ。
もっとも最近のようにバーコードやQRコードのついた商品ばかりでは、このよき伝統?もだいぶ廃れただろうけど。

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ある場所で奇妙なものを見た。
大きさは3センチくらい、ウシの角のようなかたちをしていて、表皮は栗の実のような質感である。
こっちが質問するまえに売り子が“ヒシ”と教えてくれた。
つまり菱の実なんだけど、日本語で教えてくれたということは、過去にも日本人から、コレなんですかと訊かれたことがあるらしい。

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2023年9月29日 (金)

男色

ジャニーズ事務所の件、いまごろになって過去の事件がぞろぞろ出てきて、そんなのオカシイというのはごもっとも。
芸人の生殺与奪の権利をもった組織に男色家がいると、悲惨なことは止められない。
夜になると名前を呼ばれた若者が、ひとりずつ社長の部屋に行くとか、そんなことはわたしみたいな男色に興味のない人間でさえ知っていた。

そういえば、名前は出さないものの、あの日本の巨大組織にも、幹部のなかにその線の人間がいるってとかくのウワサだけど、こちらも前もって問題になることはないねえ。
美しく生まれついたのが不運だと、どうしても役者になりたい美少年にはあきらめてもらうか。

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今日のぼやき

おおわっ、今日はアクセスがひさしぶりに500に迫る勢い。
やっぱり中国紀行は人気あるんだね。
NHKのウクライナ報道もがたっと減って、もはや戦争の趨勢はあきらかなんで、安心して旅の話題に専念するか。
わたしの中国紀行は上海から無錫、西安と続いて、最終的には新疆ウイグル自治区のカシュガルまで行く予定。
いまのペースだと、とてもそこまで生きていられるとは思わないけど、死にぞこないのじいさんが死ぬまでやれる趣味としては、こんな楽しいことはないね。

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中国の旅/きれいな娘

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怪しい2人組に案内されて、ヘタしたら罐焚きにされかかったハナシの続き。

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図々しく赤の他人の社長さんに紹介してもらったあと、前日に見そこなった「十六鋪市場」にも行ってみた。
ポン引き氏2人も(おかしな日本人と思ったかも知れないけど)ついてきて、いろいろ説明してくれた。
市場くらい興味を引くものはないというので、わたしは写真を撮りまくったから、それは次項でまとめて報告しよう。

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歩きまわって空腹になったので、どこかで2人に食事を奢ってやることにした。
たまたま通りで目についたレストランに入ることにした。
この場合もわたしが決めた店である。
誘拐されて罐焚きにされてはたまらないから、わたしも用心深い。

店内はかなり広かったけど、省エネの影響だろうか、ちょっとうす暗くて、丸テーブルがたくさんあり、客の入りは40パーセントくらいだった。
わたしたちは他の客から離れた席に陣どった。
まもなく7、8人いるウェイトレスの中から、若い、きれいな娘がオーダーをとりにきた。
わたしにメニューを理解できるわけはないから、あまり高いものはダメだぜと念を押して、注文は彼らにまかせた。
チャーハン3人前と、麻婆豆腐にドジョウらしき魚の炒めもの、それにビールを頼んでもいいかと聞くから、ああ、いいよと答えた。
日本の貧乏人も、このころの中国では金持ちだったのだ。

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ビールを飲みながらポンAがいう。
あの子はどうですか、気に入りましたか。
あの子というのは、オーダーをとりにきた、若いきれいな娘のことである。
もし、あなたが気にいったのなら、ワタシたちがすぐに話をつけてあげますと彼はいう。
しかしこの店は彼らの先導で入ったわけではない。
たまたま通りがかりに見つけた店で、女の子もただのウェイトレスに見える。
だってあれはふつうの娘でしょう、しろうとじゃないのと、すこしスケベ心を発揮したわたしは聞いてみた。
しろうとでも上海の女の子はみんな日本人が好きです。
あなたさえその気になれば、彼女は今夜あなたのホテルヘ行きますとポンAは請け負う。
わたしはへえと感心する。
なにしろ若くてスラリとした、ビックリするくらいきれいな娘なのである。

そのうち彼女はまたテーブルのわきにやってきた。
ポンAが彼女になにかいい、すると彼女はわたしの顔をじっと見つめ、いわくありそうな笑みをうかべた。
どうやら簡単に話がまとまったらしい。

わたしたちは食事を始めた。
見ていると中国人の食事はじつにだらしがない。
ポン引き氏もイヌのように皿の上に顔をつきだし、御飯をポロポロとこぼしながらせわしく食べていた。
わたしはもっと上品に食べようとしたけど、しかしすぐに中国のコメを、中国の箸を使って上品に食べるのはむずかしいことがわかった。
コメは日本のようにねばり気がなく、箸は太くて長くて、先までずっと同じ太さときてる。
わたしも御飯をポロポロとこぼした。
もっとも空腹ではなかったし、あまり美味しいとも思わなかったので、たいして食がすすまなかったけど。

食事のあと、ポンAがトイレに立った。
わたしも行こうとすると、後に残るポンBが、お金は席に置いていかず、トイレまで持っていって下さいという。
自分に泥棒の嫌疑がかかるのを恐れての発言だろうけど、これも彼らが信用できることの証しではないか。
わたしはお金を常時尻ポケットに入れておいたので、ダイジョウブと答えた。

レストランのトイレは、タイル張りで、ピカピカというわけではなかった。
いちおう個室に扉がついているのに、開けっぱなしで用を足している男がいた。
終わって紐をひっばると流れる式の水洗である。
紙は備わってなかった。

金を払って店を出る。
料金は81元=1900円くらい。
わたしはあいまいな返事しかしなかったけど、ポンAが、あの娘は今夜の9時にあなたのホテルヘ行きますヨという。
嬉しそうな顔をするのも変だから、あ、そうとだけ返事をしておいた。
もちろん期待していたわけじゃない。

このあと2人のポン引き氏と別れることになった。
彼らはそれぞれ帰りのタクシー代を要求してきたから、ダメだ、いっしょに帰れといって日本円で千円しかやらなかった。
千円あれば上海市内のたいていのところへ行けるはずだし、千円の価値くらいはあったと思う。

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2人と別れたあと、わたしはまた上海最大の繁華街である南京路を散策し、中国の書店をのぞいてみることにした。
中国で有名な「新華書店」という書店があったから入ってみた。
日本の書店にくらべると、スペースの半分が単行本、あとの半分が実用本(雑誌も含む)といった感じで、本の数、種類とも少なかった。
実用本は料理や編み物の本などが多く、外誌と提携したようなモード雑誌もあった。

わたしは中国の絵本やマンガ本に興味があったので、シリーズになっていた蔡志忠という作家の作品を1冊買うことにした。
そのためには手順が要る。
まず係にショーケースのなかの本を見せてもらい、買うと決めたらそこで伝票をきってもらう。
その伝票を持ってレジヘ行き、金を払って領収書をもらう。
領収書を持ってふたたび係のところへもどり、そこではじめて目的の本を手に入れるという段取りである。
共産主義国ではよくこの方法があると間いていたので、わたしは驚かなかった。

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買ったのは蔡志忠の「六朝怪談」という170ページほどのマンガ本である。
絵は日本でもどこかで見たことがあるような、ナンセンスに近い、わかりやすい画風だけど、ほんのり色気もあるし、所々で描かれている山水画のような背景は、これがまぎれもなく中国の作品であることを証明していた。
むろんセリフはすべて中国語だけど、セリフなしでも意味がわかるのがナンセンス・マンガの強みだ。
値段は1冊が4元弱=90円くらいで、中国人にとっては安い買物ではなさそうだった。

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カメラ屋もあった。
最新のニコンF4も置いてあって、値段はボディのみで1万1千元~1万3千元ぐらいだから、日本円に直すと30万円くらい。
ちょっとしたものである。いや、そうとうなものである。
カメラは中国人にとって、日本人の車に匹敵する高価な買い物ではないか。

銀河賓館にもどったときはもう暗くなっていた。
ところでポン引き氏が話をつけてくれた娘はほんとうに来るだろうか。
アホいってんじゃない、そんなうまい話があるか、ということはわたし自身も充分に考えた。
しかしわたしは、上海ではこういう状況のときどうなるのか、知っているわけじゃないのである。
上海の女の子は日本人が好きで、話がつけばかんたんに体をまかせるのかも知れない。
わたしはこの晩、和平飯店へジャズを聴きに行くつもりだったけど、もしも彼女がほんとうに来た場合、わたしがいなかったらどう思うだろう。

そんな理屈でウーンと逡巡したわたしは、21時が近づくとロビーまで下りて、彼女の姿が見えないか確認に行ってみた。
この晩に銀河賓館に泊まった客の中には、もの欲しそうな顔をした日本人が、何度も部屋とロビーのあいだを往復していることに気がついた者がいるかも知れない。

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ところでわたしはこの後も何度も上海に行っており、2年後にもういちどこの娘と再会している。
これはそのとき外灘でデイトをして撮った写真だ。
こんなかわいい娘が来るかも知れないと思ったら、部屋とロビーのあいだを往復しないでいられる男がイマスカ?

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2023年9月28日 (木)

あおり

アルメニアがロシアに文句をいってるそうだ。
なんでオレたちの味方をしないんだ、ロシアはオレたちの味方だと思っていたのに。
しかしこれは例によってNHKの願望報道というか、ほんのわずかの意見を拾い出して、いかにもそれが全体の意見であるかのように見せかける捏造報道だ。
プーチンがいったことはアゼルバイジャンに対して、つぎのセリフだけ。
 ロシアはアルメニアを支援しない。
 ロシアが支援しなければアルメニアは降伏するしかない。
 アルメニアが降伏をしたのだから、アゼルバイジャンもナゴルノカラバスに残るアルメニア人に手荒なことをするな。

いまのところナゴルノで虐殺もレイプも起きてはいないようだから、アゼルバイジャンもこれで納得しているのだろう。
考えてみよう。
アメリカみたいに一方に加担するのは、たとえば自国の兵器産業の要請に応えて、戦争で大儲けしようと考えるからだ。
プーチンの方法ならアルメニアもアゼルバイジャンも損はしないし、若者たちが殺し合うこともない。
あわてて国外に避難するアルメニア人もいるようだけど、戦争になったわけじゃないのだから、ナゴルノカラバスに残った彼らの安全も保障されるだろう。
不満分子はどこにでもいるから、そういう連中に爆弾1個を渡してそそのかすのは簡単だ。
しかし戦争を起こしてほしいと願う両国の国民がどれだけいるか。
NHKはほんのわずかの意見だけを拾い出して、なんとかロシアを貶めよう、うまくいったらアルメニアとアゼルバイジャンの対立を煽ろうとしているのだ。
この唾棄すべき公共放送よ。

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中国の旅/Shanghai

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英語のShanghaiには、ポッと出の田舎者が薬かなんかで眠らされて、気がついたら遠洋航路の貨物船の罐焚きにされていたというような意味があるらしい。
まだ上海が魔都といわれていたころの造語である。
今回はわたしも一歩まちがえば罐焚きの運命だったかも知れないハナシ。

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ひと晩ゆっくり寝て、すこやかに目をさましたわたしは、今日もいちにち歩きまわるぞーと張り切って銀河賓館を出た。
すぐに2人の中国人が話しかけてきた。
ワタシたちはもうすぐ日本に行く予定です、コーヒーでも飲みながらお話しできませんかだって。
こいつら、ポン引きじゃないか。
わたしがまず思ったのはそういうことだった。
このころの上海には、日本人をカモにしようという手合いがうじゃうじゃいると、どんなガイドブックにも書いてあったのだ。

しかしここが考えどころだ。
ポン引きでもなんでもいいけど、通訳がいないことには、わたしは前日同様、いちにち歩きまわるだけで終わってしまうかも知れない。
こいつらを通訳代わりに使えれば昼メシぐらいは安いものだ(92年当時、中国の物価は日本とは比べものにならないくらい安かった)。
ひょっとすると中国の売春業界の実情も教えてもらえるかも知れない。

そこで話をすることになったけど、用心深いわたしは彼らの案内する店ではなく、銀河賓館のロビーでコーヒーを飲むことにした。
こんなふうに絶対に相手の案内する店には行かないことが、カモにされないコツである。

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2人のうち、ひとりは口もとに腫れもののある貧相な男性で、とりあえずポン引きAさんと呼ぶけど、こっちのほうがよくしゃべった。
もうひとりはポン引きBさんと呼ぶけど、中学校の体育教師みたいなタイプで、そんなに悪い人間には見えなかった。
日本に行ってなにをするんですかと訊くと、ポンAは絵の教師をしますという。
あのねえ、日本じゃだれでも簡単に教師ができるわけじゃないんですよと、つい余計なお節介をいいそうになった。

ポンBは日本に行くためにもう30万円を払い込んでいるという。
こいつはサギに引っかかっているんじゃないかと、日本の実情を知っている人間なら誰でも思うところだ。
いまと違って、景気のいい日本に中国人の密航者が大勢押し寄せていて、「蛇頭」なんていう密航組織が中国人を食いものにしていた時代である。
わたしはいくつか忠告してみたけど、野望に燃える彼らにそれ以上余計なことはいわないことにした。
彼らは男だから、苦い体験をするにしても、本人の努力と幸運さえあれば、かならず悪い目が出るとはかぎらない。
ポンBは妻と子供がひとりいるそうで、ポクシングの心得があるから、ヤクザでも怖くないという。

そのうちボンAが、南浦(なんぽ)大橋を見に行きませんかといいだした。
南京の長江大橋より大きいですという。
なんで橋なんか見せたがるのかとあとで調べてみたら、この橋の完成は1992年の12月で、このときのわたしの旅のほんの数日まえだった。
開発が進む浦東地区と上海市をむすぶ自動車専用の近代的な橋で、どうりで上海人が自慢したがるわけだ。

バスで行けるのかいと聞くと、タクシーですぐですという。
そんなものに興味はないけど、とりあえず街まで出るきっかけにはなるので、行ってみることにした。
タクシーはたまたまホテルで客を下ろしたものを、そのままわたしが捕まえた。
これなら彼らがあらかじめ示し合わせた仲間の車でないことが明らかだから、誘拐されて罐焚きにされることもないだろう。

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すぐといったくせにやっぱり時間がかかった。
踏切で待たされたり、堀割りのわきを抜けたり、高層アパートの前を走ったりして、わたしにはさっぱりわからない道をちょこまかと走った。
市場のまえを通ったから、野菜や果物について質問してみた。
貧相なポンAがよくしゃべって、バナナはもっと南のほうから運ばれてくるなどと教えてくれた。
彼はまた、ロシアのエリツィンはだめな大統領だなどという。
けっこう外国の事情にも明るそうだし、よその国のことなら政治的発言もそんなにやかましく規制されているわけではなさそうだった。

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南浦大橋まで、じっさいにはメーターで40元以上かかった。
わたしは不愉快になってしまった。
だいたい近代的な橋なんてものに、わたしは最初から興味がないし、車は橋の上では駐車することはできないそうで、どんどん走って向こう岸にまで行く。
橋を渡るにもむろん金を取られるのである。
向こう岸は上海の特別開発区として指定された地域で、橋上から高層ビルや工場のエントツなど、それなり見るべき景色はあるけど、そんなものを見ようとしたら、メーター料金がますますかさんでしまう。
これ以上だまされてたまるかとわたしは思う。

もういい、Uターンしてくれとわたしは向こう岸の展望台の下でわめいた。
タクシーを待たせ、橋の写真を2枚撮り、ポンAと連れションをして、わたしは早々に市内へもどることにした。
南浦大橋は中国で最大の橋だと2人はいうけど、地震大国の住人からみると、やけに平べったい橋で、わたしの見たところでは横浜のベイプリッジのほうが規模ははるかに大きい。

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このときの上海市には、南浦大橋に加えて、黄浦江の下流にもうひとつ楊浦大橋が完成ま近だった。
このふたつの橋ができるまでは、黄浦江を渡るには連絡船を使うしかなかったけど、現在の上海には橋やトンネルをあわせると、川を渡る方法が6つか7つはあるようだ。
最近ではトロッコ列車みたいなものに乗って、変幻するイルミネーションの中をいく観光用のトンネルまである。

橋を渡ってもどる途中、橋の下に畑が見えた。
ちなみに“畑”という漢字は日本にしかない文字で、漢字発祥の中国にはないそうである。
わたしは上海でほとんどま近に畑というものを見ていないので、つぎに中国を訪問したら、ぜぴ農地や農家の暮らしも見てみたいものだと思う。

橋のこちら側にもどると、場所はちょうど外灘(中山東路)の南の端あたりだった。
ここで夕クシーを下りて、あとはぶらぶらと中山東路を、物見遊山で歩きながら北上することにした。
ここからポン引き氏2人がいい通訳兼説明者になった
少しでもわたしが興味を示すものがあると、彼らがすぐに説明をしてくれる。
おじいさんの写真を撮りたいというと彼らがすぐに話をつけてくれた。


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わたしが小さな病院に目をとめると、2人が中へ入って見学していきましょうという。
かまわないのかいと聞くと、かまいやしませんという。
病院は町の診察室といった規模で、廊下の両側にいくつかの小部屋があり、年寄りたちが診療を受けていた。
内部は暗く、患者にはおばあさんが多くて、このへんは日本とも共通している。

病院を出て歩いているうちに、彼らは小さな商店の前でわたしの足を止めて、ちょっとこの会社の社長さんに紹介しましょうと言い出した。
いくらなんでも見ず知らずの社長さんに紹介なんて唐突だから、そんな無茶なというと、かまいやしません、上海の人はみんな日本人に興味を持っていますからという。
ベつにあらかじめ示し合わせた謀略でもなさそうだったから、わたしは彼らにまかせることにした。

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彼らの案内で商店の3階に上がると、そこに屋根裏部屋のような事務所があって、男2人、女1人がいた。
男のひとりが社長で、女は秘書だそうだ。
この秘書は、ちょっと中国人とは思えないバタくさい顔をした美人だった。
ポン引き氏2人がどんな紹介をしたのか知らないけど、事務所の3人はなかなか愛想がよく、わたしにお茶をすすめてくれた。
彼らの説明によると、この店は中国各地の物産を扱う露店の元締だそうだ。
わたしは彼らの写真を撮り、ぜひ日本にもいらして下さいとお世辞をいっておいた。
社長はわざわざ階下まで見送りに来てくれた。
どうも無責任な話である。

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2023年9月27日 (水)

Aさんのブログ

昨日のNHK国際ニュースを観たら、またミステリーのネタがあった。
ウクライナの攻撃でロシアの司令官が死亡したというんだけど、その司令官は午後には生きてテレビに出てきた。
そんなものはインチキだ、捏造映像だとウクライナが主張すると、さらに司令官の追加映像が現れた。
NHKは、いつのものかわからないとまだ否定的。
御用解説者の兵頭サンをかつぎだして意見をいわせていたけど、兵頭サンだってわかるわけがないよな。

これでは水かけ論だ。
司令官は生きているのか、死んだのか。
映像を観たって、現代の捏造のプロが作ったものなら、わたしにだって判断できるわけがない。
しかし判断する材料はほかにある。
たとえば、これまでロシアがデタラメをいったことがあるだろうか。
ロシア側はこんなことにいちいち大騒ぎをしてないぞ。
西側はプーチンに遊ばれているんじゃないか。
死んだ、死んだと騒がせておいて、てきとうな時期に本人を登場させる。
ワグネルに協力して粛清されたとされるスロビキン大将も、いいかげん西側が盛り上がったころで映像が出てきたド。

戦場では司令官が死ぬことだってあるし、その場合すぐにつぎの階級の者があとを継いで、戦況に影響が出ないようにするのは軍隊の常識だ。
日本だって沖縄でヘリが墜落して、師団長が亡くなったことがあるけど、自衛隊は粛々と、なるようにしかならなかった。
軍隊というのはそういうものなのに、わざわざ手間をかけて捏造映像を作り、司令官の死を隠匿するだろうか。
司令官が亡くなると戦況に影響があるような大作戦に従事していただろうか。

まあ、現時点ではなんともいえないから、みなさんが勝手な解釈をしても文句をいうスジじゃないけど、ココログにブログを持っているアンチ・ロシアのAさんは大喜びだ。
この人は自分に都合のいいデータやグラフを集めて、自分の説を正当化するカルト宗教の教祖さまみたいな人だから、おかしいんじゃないですかと以前コメントをつけたことがある。
するとたちまちわたしは禁治産者扱いで、2度と彼のブログにコメントをつけられなくなってしまった。
これだけで彼のブログがどんなものか想像できようというもんだけど、もうすこし確実な情報を待てばいいのに
今回の司令部攻撃も、この失敗を修正して実施したものだと思われます。
そもそもウクライナ空軍は弱小であり、機体は古く旧ソ連製の機体には西側のストームシャドーは搭載できないといわれていました。
それを可能にしてしまったウクライナ空軍と特殊部隊に敬意を表します。
どのような作戦だったかは不明ですが、作戦の目的は達成されました。おめでとう。
と、言いたい放題。

またいちゃもんコメントをつけたいけど、禁治産者だもんな。
わたしは事実を可能なかぎり、自分の目で確認するまでは発言しない主義だ。
Aさんも米国のエイブラムスが供与されたなんて嬉しがらないで、制空権を持たない軍隊にそんなものがどんな役に立つのか、ちゃんと見極めてから書いてね。

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アジア競技大会

いま中国の杭州でアジア競技大会が行われている。
フランスではラグビーのワールドカップも開催されているけど、ふつうならこういう競技は、ニュースの後半に特別枠をつくって報道するはずのNHKが、杭州の大会はやけに目立たない扱いだ。
オリンピックとは違うんだからというかも知れないけど、以前は入場行進までライブ中継していたのに、これはやっぱりウクライナ戦争や、世界の分断と対立が影響してるんだろうか。
わたしがイラン選手の美しさに気がついたのは、2010年の広州大会における入場行進がきっかけだった。
なんで今回は入場行進の中継をやらないのさ。
あまり中国が盛り上がっちゃまずいのか。
ほんと、どこまでもセコイな。
せっかく金メダルを取っても、巡り合わせが悪くて、こじんまりとしか報じられない選手がカワイソ。

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2023年9月26日 (火)

捏造報道局

まったくメチャクチャだな。
昨日から今朝にかけて、ウクライナ軍がロシアの黒海艦隊のソコロフ司令官を殺害したという報道が飛び交ったけど、夕方になったら殺害されたはずの司令官が、オンライン会議に出席したという報道。
問題はロシアがそんなことでいちいち騒がないということなんだよね。
プリゴジンさんのモスクワ行進のあと、粛清されたなんてウワサのあったスロビキン将軍も、あとから無事に出てきて、やはりロシアはおおげさに騒がなかった。

中国だってもうすぐ国慶節の連休で、さあ、日本に観光に行くぞと張り切っている中国人がたくさんいるらしいから、中国政府はとくに国民に、あそこに行くな、ここに行くなと強制はしてないらしい。
大騒ぎしてるのはどっちだ。
漁師さんたちの風評被害なんぞ、ものともしない国はどっちなんだよ。
NHKはますます捏造報道局であることを証明するだけじゃないか。

おかしかったのはバイデンさんが、クック諸島とニウエなる国(島?)を国家として承認したってこと。
虫メガネでもなければ見つかりそうもない国、これまで国家として承認してなかった国を、なんでいまごろ慌てて承認するんだよ。

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差別

アイルランドで黒人の少女に対するひどい差別があり、世界的に問題になっているそうだ。
どおれとヤフーをのぞいたら、写真しか出てなかった。
映像を見たかったらYouTubeに当たるといい。
YouTube
“Ireland”を検索するだけで、いま話題になってる映像だから、すぐに見つかるし、具体的にそのときの様子がわかる。
おとなでもひどいのに、たくさんの子供のうちのひとりだけに差別というのはひどすぎる。

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捏造

おお、今日はまだ昼まえなのに、しかもまだぜんぜん更新をしてないのに、もうアクセスが100を超えたよ。
わたしの中国紀行がそれだけ人気があるってことかしら。
でもつぎにウクライナの記事を書くと、またガクンとアクセスが下がるんだよね。

昨日はノルドストリーム爆破の1周年だってことで、NHKも無視するわけにいかず、ニュースのなかでこれに関するドイツの報道を取り上げていた。
プロパガンダの応酬といわれているウクライナ戦争だけど、ロシアがデタラメをいったことはほとんどない(いっても誰も信用しないから)。
それに比べればデタラメ、捏造を乱発しているのはウクライナと西側であるってことを、これほど明確に語る事件はないから、わたしもそれについて書いておこう。

ドイツの新聞シュピーゲル紙によると、爆破犯人の候補にウクライナ、ロシア、米国を並べて、犯人はウクライナだろうという。
ロシアがやるわけは100パーセントないし、いちばん臭いのは米国か英国に決まっているんだけど、西側に属するドイツとしては自分たちの親分を犯人とはいいにくい。
それで無難なところでウクライナが犯人だろうと決めつけた。
ウクライナは言下に、オレたちじゃないと否定する。
こうなると藪の中だけど、ウクライナが犯人ということは、そのまま張本人は米国か英国に決まっているじゃないか。
ウクライナには単独で、ヘタすれば西側の結束を乱すような事件を起こす勇気はないだろうし、80メートルの深さにあるパイプを爆破する技術もないだろう。
NHKは真相解明が必要だ、しかし原因はわからないと曖昧なままで終わらせていたから、日本の公共放送も捏造本舗であることを証明したようなものだ。

正直いってノルドストリームなんて、いまさらゴタゴタいっても仕方ない事件だけど、ウソをつくのはどっちかという証明のためにはこんなふさわしい事件はないので、わたしのブログでは特筆しておく。

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2023年9月25日 (月)

中国の旅/上海駅

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日本租界のあった虹口地区を歩き続けて、わたしはそうとうにくたびれていた。
いったんホテルヘもどって出なおそうかと考え、そのまえに上海駅へ行ってみることにした。
わたしの夢は中国の列車で大陸を自由に旅することである。
でもはたして外国人が駅でかんたんに切符を買えるものだろうか。
まだ現在のように、ネットで外国のホテルや鉄道チケットがかんたんに予約できないころだったから、今回の旅ではそうした点を確認する目的もあったのだ。

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駅までは3輪タクシーを利用することにした。
四川北路の新亜大酒店のあたりで、そのへんに停まっていた車の親父に「上海駅」と書いて示すと、親父は「上海火車駅」かと間い直してきた。
“火車”というのは物騒な言葉だけど、中国語で鉄道列車のことだから、ただの“上海駅”といったのではバス・ターミナルにでも連れていかれるのかもしれない。
鉄道駅なら8元=180円だそうだ。
いいだろうと、わたしはせまい客席に乗りこんだ。
2人がなんとか座れるスペースで、足は伸ばせず、乗りごこちはむかしのリヤカーなみだった。

駅まで20分ぐらいかかった。
ガイドブックによると、黄浦公園からそんなに離れているようにみえないので、もっと近いと思っていたわたしは、上海の西駅まで連れていかれるのではないかと不安になってしまった。

ひらりひらりと、むちゃくちゃな交通状態のなかを3輪タクシーは巧妙にかいくぐって、それでも無事に上海駅に到着した。
駅まえをながめてみると、すぐとなりに見覚えのある龍門賓館がそびえていたので、たしかに前回の旅で列車に乗った上海駅に間違いはなかった。

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「龍門賓館」は駅のすぐとなりにあって、便利さが売り物の4つ星ホテルだったけど、2005年に行ってみたら、すぐとなり、それも駅寄りに、かたちも大きさもよく似た「鉄路大厦」という新しいホテルができていた。
とたんに龍門賓館のほうは、駅からいちばん近いというメリットを失って、悲惨なホテルに落ちぶれた。
中国ではこんなふうに商売をするうえで競争が激しい。
出し抜かれても出し抜かれるほうがワルイと、たいていは敗者のほうがあきらめるのだそうだ。

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駅まえはあいかわらずものすごい人混みで、目的があるのかないのか、大勢の人々がたむろしていた。
でも市場と同じくらい、わたしは混雑している駅というものが好きである。
これから旅に出かける人、仕事で出張する人、帰省してひさしぶりに家族に会いに行く人、田舎から集団就職で上京してきた娘など、別れもあれば再会もあり、希望もあれば不安もあって、そこはまさしく人生の縮図といっていいところだからだ。

駅のまん前に列車火災の予防ポスターが掲示されていた。
以前にあった列車火災で、まっ黒こげになった被災者の写真がそのまま掲載されていた。
こんな効果のあるポスターはあまりないだろうと思う。
駅前広場を歩いていると、あちこちに人だかりがある。
なんじゃらホイとのぞきこむと、宝クジのようなものを売っていた(これは街のあちこちでも見た)。
清涼飲料水を売る店もたくさんあり、あとでわかるけど地図や時刻表も立ちんぼうで売っている売り子がいた。

駅では改札口と切符売場が、すこし離れたべつの建物になっていて、切符売場は駅から広場に向かって左前方のビルの中にあった。
混雑するので外国人にはなかなか切符が買えないと聞いていたけど、それほどでもなく、硬座(2等車)売場は混雑しているのに、軟座(1等車)売場のほうには客がひとりもいなかった。
これなら引っ込み思案のわたしでもなんとか買えそうである。

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切符売場の偵察を終え、駅の正面へもどる途中、駅前広場に地下商店街の入口があるのに気がついた。
これは本来は核シェルターとして造られたものだそうだ。
冷戦時代に毛沢東の命令一下、中国の大都会にはみんな核シェルターが造られたそうで、これはその名残りである。
階段を下りてみると、タバコ屋と、アメ横のような洋品屋ばかりだったので、一巡してさっさと出てきてしまった。
この地下商店街の出入口には、シャッターや暖簾ではなく、ぼってりした毛布が下げてあった。

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時刻はわたしの時計で午後5時ごろ(まだ日本時間)になっていたので、だいたいの様子がわかったからホテルヘもどることにした。
そのまえにわたしは上海市街図と列車の時刻表を購入することにした。
列車の時刻はしょっちゅう変わるらしいけど、ひとりで思索にふけるのにこんなに重宝なものはないのである。
駅の構内にある売店に行ってみようとしたけど、そのまえに近づいてきた売り子が、地図も時刻表も売っているのを発見して、そちらから買ってしまった。

タクシーをつかまえようとして、見ていると、駅前につぎつぎとタクシーが入ってきて客を下ろしていく。
そのうちの1台をつかまえて、乗れるかと尋ねると、運転手はダメダメと前方を指してさっさと行ってしまった。
どうやら運転手が指した方向に、正規のタクシー乗り場があるらしい。
正規以外の場所での乗車は禁じられているとみえる。

そっちの方向へ歩きかけると、さっそく客引きがやってきた。
わたしがタクシーを探しているのを見ていたらしいけど、正規のタクシー乗り場のまん前で白ナンバーが客を勧誘しているのである。
ためしにいくらだと訊いてみた。
駅から銀河賓館まで120元だという。
ふざけるな!とわたしは一喝した。
あらかじめ聞いておいたけど、上海駅からホテルまで、せいぜい40元ぐらいのはずなのだ。
相手は、それでは40元でいいといって追いかけてきた。
わたしが無視すると30元に値下げしたものの、それでもわたしはもう相手にしなかった。

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正規のタクシー乗り場は駅前広場に向かって右の方にあり、マイクを持ったおばさんがてきぱきと車と客をさばいていた。
入ってくるタクシーは、車種はほとんどがワーゲンのサンタナで、ナンバーにUやVのついたのは信頼できる国営タクシーだそうだ。
メーターには上下に数字が並んでいて、上段が料金。
フロントガラスの汚れぐあいを見ると、こちらでは車の清掃は運転手の仕事に入っていないようだった。

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走行距離は、銀座から中野くらいあったと思う。
途中、ヒルトンホテルのあたりで、レンガ造りの瀟洒な洋館が立ちならぶ住宅地を通った。
瀟洒な洋館といっても、建物のまわりは草ぼうぼうで荒れ果てており、2階の窓から洗擢物が突き出されていて、白い立派な顔立ちのネコが屋根を歩いていた。
ネコはめずらしいけど、洗濯物が窓から突き出ているのは、中国ではふつうの光景である。
あとでわかるけど、これがかってのフランス租界があった地域で、瀟洒な住宅はもとはフランス人の邸宅だったのだ。
問題があるとすれば、そういう邸宅がいまではみんな中国人のアパートになっていることで、中国人が住めば、洗濯物が窓から突き出されても不思議ではないのである。

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中国は韓国とちがって、たとえそれがかっての抑圧者のものであっても、わざわざ破壊するようなことはしなかった。
毛沢東時代は貧しく、住宅難だったという事情があるにせよ、それはのちに素晴らしい観光資源を中国にもたらすことになった。
92年にわたしが見たフランス租界は、前述したようにたくさんの洗濯物が突き出される下町らしいところだったけど、現在ではその瀟洒な造りを生かして、ほとんどがカフェやレストラン、ブティックなどに改造されているようである。
ネットで探してみたけど、もはや窓から洗濯物などまったく見つからなかった。

銀河賓館までタクシーは29元プラスだった。
ホテルに着いて、わたしがきっちりと料金を支払うと、運転手はちょっと不満そう。
良心的な彼に30元払ってやってもよかったかなと思う。

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2023年9月24日 (日)

今日のNHK

録画しておいた今日のNHKニュースを、夜になってようやく観たよ。
アゼルバイジャンとアルメニアのトラブル、このまま収まるとロシアとトルコのポイントになってしまうから、NHKは必死で揉め事をほじくり出して、針小棒大に報道していたな。
しかし負け惜しみはいうだろうけど、ウクライナを支援するアメリカのような存在がいなければ、アルメニアとしては敗戦を認めるしかないだろう。
ロシアが支援しないといえば、この件はこのまま一件落着だ。
アメリカのネオコンにすれば、たっぷり儲けられる紛争材料が転がっているのにモッタイナイいうところ。

原発の処理水についても、中国政府はそれほど熱心に日本批判をしているわけでもないのに、NHKはいかにも問題は中国だけみたいに報道する。
いちばん困るのは風評被害や、輸出が激減している漁師さんたちだ。
だからこの問題をできるだけ騒がないのがベストだと思うんだけど、これが日本政府(とNHK)のいつものやり方だ。
なにがなんでも西側の一員であることにしがみつき、ウクライナを支援するためなら、国民の迷惑など気にもしないのだ。
中国に懇切丁寧に説明するべきなのに、輸入禁止を撤回させろと上からの目線でいってるようじゃ見込みないね。
そへんをゴマかすために、ハッシュタグで福島産の魚を食べようなんて報道していたけど、ホタテならわたしもむかしから食べている。
でもわたしってささやかな食事の年金受給者で、とても中国という大口の顧客には太刀打ちできないよ。

ウクライナでは激しい戦闘が続いているそうだけど、ちと疑問だねえ。
ウクライナ軍はザポリージャ州のトクマクを目指しているってことだけど、これは1週間以上まえからいってることだから、いまだにロシアの前線を突破できてないということだ。
おそらく防衛線が頑強で手も足も出ないのだろう。
ラブロフさんは国連で、武器の供与を通して、アメリカなどがロシアに戦争を仕掛けていると発言していた。
NHKによるとこれはロシアの一方的な見方だそうだけど、バカ言ってんじゃない、そんなことはわたしみたいな素人でも知ってるぞ。
話は変わるけど、大相撲の千秋楽を観ていたら、ます席で鈴木宗男さんが、ロシア人らしい男性と観戦していたね。

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提案

ラブロフさんがウクライナの和平提案を拒絶。
そりや負けているほうが条件を出すほうがおかしい。

SNS上にだいぶウクライナの話題が少なくなってきた。
そうか、今日は日曜日か。

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2023年9月23日 (土)

がくぜん

ソロモン諸島の首相が原発の処理水放流について、「がくぜんとしている」と懸念を表明したそうだ。
日本ではさっそく中国の差し金だろうと過剰反応をする人たちがいる。
さて、どうだろう。

日本はなんでもバカ正直にやりすぎるところがあるから、日本が安全だといったら、ほかの国がいうよりずっと安全なのだとわたしも考えているけど、これはつまり説明不足じゃないか。
たとえば相手の国の立場で考えてみよう。
これまで危険ということで陸上に保存していたものを、一杯になってしまったので海に放流しますじゃ、原発や放射能に詳しくない人たちが納得するだろうか。
IAEAが了解しているといっても、最近のこういう組織はどうしても西側寄りの姿勢が目立つので、金でも積んで買収したんじゃないかと思われても仕方がない。

おそらくウクライナ戦争で、日本が一も二もなくアメリカに追従して、中国にケンカをふっかけたりしなければ、中国も政治的カードに使おうとは思わなかったはず(あの国だって叩けばホコリが出るし、コロナじゃ世界に迷惑をかけたばかりだ)。
日本が先に騒がなければ、いまごろは中国人がわさわさと日本観光に来て、寿司が美味い、鹿がカワイイ、北海道が素敵だなどと大喜びしていただろう。
政治家がバカだとこういうことはよくあるし、また将来もあるかも知れない。

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中国の旅/日本租界

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外灘(中山路)をずうっと南下して、「豫園(よえん)」が近くなったと思えるあたりで、裏通りへ入り込んでみた。
たしかこっちのほうだろうと、ずるずる歩いていくと、めずらしく人民服を着た交通整理のおじさんに呼び止められた。
写真を撮ってくれという。
人のよさそうな顔をした人で、なにかしきりに話しかけてくるんだけと、残念ながらまだ中国語の不勉強なわたしにはわからない。

豫園の近くの雑踏のなかで、いきなり口論が始まった。
男の自転車が3人連れの女性のひとりに接触してしまったらしく、双方ともものすごいけんまくで怒鳴り合いはじめた。
すぐに周囲に人だかりができる。
女性が若い、きれいな娘だったので、わたしも野次馬に加わった。
感心なことにこういう喧嘩ごしの口論でも、中国人は決して手を出したりしないらしい。
それにしても若いきれいな娘が街なかで大声とは。

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まもなく「豫園」の門の前に出た。
豫園は明代の高官の庭園だそうで、現在では上海市内の有名な観光名所になっている。
しかしむろん、そんなものにわたしはまるっきり興味がない。
橡園の裏のほうに「十二舖市場」という、上海最大の市場があるはずで、わたしはそれを探していたんだけど、肝心のそれは見つからなかった。
豫園の周囲には、レストランやみやげ物屋がごたごたと軒を接していることだけを確認したあと、わたしは人ごみをかきわけて豫園を脱出した。

近くにひと口肉マンを売ってる店があったので、4個ばかり買ってみた。
店の女性は髪を赤く染めた、ちょっと中国人ばなれしたあだっぽい女性だったので、肉マンよりそっちにひかれたのかもしれない。
熱い肉マンをはふはふとほおばると、肉汁があふれて、これはなかなか美味しかった。
なんか日本でタコ焼きをほおばる外国人観光客みたいである。

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外灘を北上して、外白渡橋まで行き、橋を渡って、もと日本租界があったという虹口地区のほうへぶらぶらと歩いていった。
橋を渡った先に「上海大厦」という茶色いレンガ造りの巨大なホテルがある。
これは租界時代の象徴のような威圧的な建物で、ここから外灘を見下ろすには絶好の位置にある。
同じツアーの母娘が教えてくれたところによると、ホテルの従業員にチップを渡すと、写真を撮るのに好適の部屋へ案内してくれるそうだ(ここに載せた写真はわたしが撮ったものではないけど、たぶん上海大厦からのながめ)。
見上げると建物のてっぺんに、日本のアイワ電気の広告がついていた。
このころはまだ日本も景気がよかったのだ。

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しかしわたしは上海大厦には寄らず、そのまま虹口地区へボウフラのようにさまよいこんでいった。
すぐに四川北路という通りにぶつかって、交差点のかどに「新亜大酒店」という、租界時代の建物を利用した古風なホテルがあった。
このホテルは縁あって、その後上海に行くたびに何度か宿泊したことがあるんだけど、ま、その話はおいおいと。

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虹口地区というのは租界時代に日本租界があったところである。
日本は欧米のようにあこぎではないから、日本租界は英国やフランスのようにはっきりした境界があるわけではなく、中国人の街に日本様式の建物がまぎれこんだみたいで、住んでいる日本人も、中国人ととなり近所の付き合いをしている人が多かったらしい。
2階建ての木造家屋が多く、2階もテラスのある廊下でつながっていて、どこか遊郭を連想させる。
日本人にはいよいよなつかしさを感じる独特の雰囲気をもった民家ばかりで、それらをゆっくり眺めながら歩くのは楽しかった。

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虹口地区もごたごたしていて、あまり清潔とはいえない。
しかしこうした下町的な雰囲気の通りにこそ、中国最大の概光資源が存在するといって過言ではないだろう。
ひどい言い方かも知れないけど、わたしは文明の対極にあるような、貧しい市民生活と古い町並みこそ、中国の最大の観光資源であると考えているのだ。

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そのうちわたしは、生きもの(これも生鮮食品というのだろうか)を扱う露店がひしめく露地へ入りこんだ。
これは虹口地区の市場らしく、わたしみたいな自称ナチュラリストには、見ていて飽きないところである。

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さすがに生きているウシやヒツジこそいないものの、ニワトリ、ハト、カエル、カニやザリガニ、そしてセロリやナス、ダイコンのようなおなじみの野菜類、米のような穀類もあった。
ハトなんかそれを詰め込んだカゴの上で、羽をむしられ、刃物は使わないのにあっという間に皮をむかれてしまう。
みごとな手腕だなと、わたしは感心して眺めた。
またある倉庫のまえでは、人間のふとももぐらいの太さの冷凍大ウナギを、ユニックに積んで運んでいるのを見た。
わたしはウームとうなって写真を撮った。
まことに途上国の市場というのは、博物館や水族館に負けないくらいおもしろい。

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水を張った浅い容器のなかには数種類の魚がいて、コイやソウギョのような淡水魚が多く、生きたままのスッポンもうごめいていた。
有名な上海蟹は12月ごろで旬は終わりと間いていたのに、ここではまだまだたくさんのカニが売られていた。
甲羅幅7、8センチほどの、ワタリガニの一種である(わたしはこれが上海蟹かと思ったけど、そうではないことがあとでわかる)。

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わたしは最初に中国の食料品市場をのぞいたとき、中国人というのは海の魚を食べないのかなと思った。
市場で売られているのはほとんどが淡水魚で、わたしの知っている海の魚はマナガツオくらいのものだった。
上海は海辺の都市だから、海が遠いわけじゃない。
それなのに海産物としては、ほかにイカ、クラゲ、ウツボのような細長い魚が少量いたくらいだ。
邱永漢さんの本に、魚は生きているうちに調理しないと、魂が抜けて味が落ちると書いてあったから、そういうものかなと思っていた。
しかしネットで情報が世界をかけめくる現代では、これは日本人の影響だろうけど、中国人もマグロやサンマの味を知ることになり、やがて日本人は14億の民との資源争奪戦争にまきこまれることになるのである。

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わたしがカメラを向けると、たいていの人は驚いたような顔をするものの、怒る人はまずいなかった。
わたしが写真を撮るためにちょっと立ち止まると、たちまちまわりに野次馬が集まる。
中国の人たちにとっては、写真を撮られること自体が珍しいようだけど、そういう人々の存在は、わたしにとってちょっとしたカルチャー・ショックだった。
みんな貧しそうな人たちばかりだけど、その視線は決して冷たくない。
ある漬け物屋のおばさんは、血相を変えてなにかわめいていたけど、これはどうやら写真を送ってくれと言ってるらしかった。

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市場というものくらいその国の軽済や生活実態をものがたる場所はないだろう。
かっての物不足のソ連などを知っている人間には、想像もできないくらい、中国ではいたるところに(少なくとも食料品は)あふれかえっている。
そしてここにとにかく、原職業といえるあらゆる業種があるのには感心した。
魚屋、八百屋、立ち食いの露店、洋裁屋、床屋から、自転車の修理屋、プロマイド屋、靴みがき、靴直しなどなど。
カタカナで書くようなモダーンで洗練された店こそないけれど、上海の町かどには昔なつかしいあらゆる店がある。
それらはほとんどがこじんまりした個人営業の店で、1日の稼ぎなんてたかが知れているに違いない。

彼らには、大儲けをしようなどという気はさらさらないのだろう。
みんながささやかに、その日を暮らしていけるだけの稼ぎで満足しているのなら、これはみごとな相互扶助の精神といえる。
ここにもかっての日本人の生活があった。

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2023年9月22日 (金)

八つ当たり

ゼレンスキーさんは国連改革が必要だという捨てゼリフを残して、国連総会を去った(岸田クンも同じことをいっていた)。
これはどういうことなのか。
つまり自分たちの主張が、ロシア、中国の拒否権乱発で通らないものだから、西側だけの国連に改めろというのである。

さあ、考えてもらおう。
民主主義というのはどういうものだろう。
自分の主張が通らないといって、少数派の意見をみんな無視しようというのが民主主義だろうか。
たしかにわたしも民主主義の弊害はよく知っている。
みんなが好き勝手なことをいって、いつになっても何も決まらないという弊害は確かにある。
だからといって、いま「民主主義を守る」を旗印に戦争をしている当事者がいっていいことではない。

ゼレンスキーさんはそうとうにアセっているようで、貴重な支援国であるポーランドにまで苦情をいって、もう支援しないと反発されている。
いったいなんでそんなことを言ったのだろう。
そりゃ戦争をするにはお金がかかるからだ。
お金が出せるあいだは、米国のネオコンはいくらでも支援をしてくれる。
しかし金の切れ目が縁の切れ目、支援した兵器の金が払えなければ、ハイ、それまでよとなるに決まっているからだ。

ウクライナにとって穀物を輸出するのがお金を稼ぐもっともいい方法なんだけど、海からの輸出はロシアに封じられている。
ポーランドなどを経由する陸路があるけど、これをすれば親のこころ子は知らずで、政治家も役人も、高く売れるヨーロッパで売ってしまえと考える。
ウクライナの穀物がヨーロッパで売られると、ポーランドの農民は、自分たちの穀物が売れなくて困る。

ロシアの封鎖のせいで途上国が困る、世界が困るなんてエラそうなことをいってるけど、実態はそんなものだ。
自分たちはロシアを経済封鎖しておいて、ロシアには封鎖を解けともいえまい。
ゼレンスキーさんの八つ当たりももっともだけど、まず国内の風紀を正してからでなければ戦争なんかするべきではない。

おどろくのはこんな状態なのに、いまだに戦況はウクライナ有利、もしくは五分五分だと信じている人がいることだ。
まるっきりカルト宗教だね。
他人がなにをいっても、教祖さまの御意見以外は耳を貸そうとしないのだ。

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中国の旅/外灘へ

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朝、目をさましたのが8時ごろ、ということは中国時間で7時である。
朝食は中国時間の6時から9時までだということで、まだ時間は充分あったけど、それでもわたしは飛び起きた。
外国に来てまでグータラじゃいられない。
外は雨こそ降ってないものの、あまりいい天気ではないようだった。

シャワーをあびてレストランヘ行く。
このツアーには朝食だけが料金に含まれているのである。
ホテル内にはハイクラスのレストラン、エコノミークラスのレストラン、そしてバーと、3つの食事処があった。
あっちですといわれ、わたしはエコノミークラスに入った。

受付に「ニンツァオ(おはよう)」といって席に行き、とりあえずコーヒーを注文した。
座ったままコーヒーを飲んでいると、従業員の女の子がやってきて何かいう。
意味がわからないから首をかしげていると、女の子はじれったそうにわたしの腕をつかんでテーブルからひっぱがした。
つまり朝食はバイキング方式なので、自分で欲しいものを取ってこいというのである。
テープルにぼんやり座っていたのでは、わたしはいつになっても食事にありつけないのであった。
あとになってわたしは、いまでは外国でも大半の国が朝食はバイキング方式であることを知ったけど、このときはまだそんな事情を知らなかったのだ。

中央のテーブルに、お粥のある中国式の朝食と、トースト、ジュースなどの洋式の朝食が用意されていた。
わたしはトーストとフルーツとジュースだけで済ませることにした。
もともと食が細いほうなので、いちばん最初に嬉しがって取りすぎて、地球規模の食品ロスに気がついたあとは、あまり欲張らないことにしてるのだ。

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まもなく同じくツアーのフリー組である母娘がやってきたから、ここへどうぞとわたしのテーブルに招いた。
彼女らと話をしながら食事をした。
お母さんは太った愉快な人で、娘は20代後半か30代くらいの、メガネをかけた聡明そうな子である。
前夜は隣りの虹橋賓館で夕食をとったそうだ。
わたしのほうはどこで食事をしたか話さなかった。

ワタシはむかし南京や上海に住んだことがありましてね、とお母さんはいう。
開戦前に日本に引き上げたのだそうで、今日は当時通った小学校を訪ねるのだという。
以前の中国旅行では南京にも行って、自分が住んでいた家を見てきましたともいう。
南京にはひどい戦禍があったはずではありませんかとわたしは訊いてみた。
よく言われていますけどねえとお母さんは答える。
わたしは日本軍の南京における殺戮について訊ねたんだけど、お母さんはちょっと予想外のことをいった。
戦前の南京は城壁にかこまれた小さな田舎町でしてねえ。
まわりは畑ばっかりで、ワタシが知っているかぎりでは、とても日本軍によって殺されたとされる、30万人もの人間が住んでいたとは思えないんですよ、というのである。
そんなものかも知れないなとわたしは思った。
ヒトラーの殺したユダヤ人も、日本軍の南京虐殺も、カンポジアの大量処刑も、真実の数字は公表値の3分の1くらい、いや、それ以下とみるのが正解かも知れない。
もちろん日本軍のやった犯罪行為が、それで軽減されるわけではないけれどとわたしは考える。

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朝食をすませ、中国時間で10時発のシャトルバスに乗り、わたしたちは街へ出ることにした。
シャトルバスはホテルのもので、上海の繁華街にある「友誼商店」というデパートまで無料で送ってくれる。
路線バスにも乗ってみたかったけど、まず最初はシャトルバスを利用することにした。

バスの車内から街を眺めていると、英語のOKという文字のはいった看抜があちこちにある。
母娘のうちの娘さんが、あれはカラオケと書いてあるんですという。
看抜には『✖️拉OK』と書いてある(✖️の文字は上と下という漢字を組み合わせた、日本にはない文字)。
ありがたいことに現在ではパソコンもグローバル化が進んでいて、“卡拉OK”という文字も表示できるようになったけど、パソコンの黎明期にはこんな文字は表示できなかった。

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バスで終点まで行き、わたしと母娘とは友誼商店のまえで別れた。
友誼商店は、もともと土産なんかに興味のないわたしは自然に足が遠のいてしまったので、いまでもあるのかどうかわからない。
場所的には外白渡橋から外灘に向かってまもなくの、ほとんど外灘のはずれといっていい場所だったから、和平飯店までも徒歩2、3分だ。
いまではそのあたりに、豪華な5つ星ホテルの半島酒店(ペニンシュラ)があるらしい。
香港のペニンシュラならわたしも入ったことがある。
いや、泊まったわけではなく、売店で名物のマンゴープリンを食べるためだった。

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このあと、わたしはまず上海一の名所といっていい外灘(わいたん)を散策することにした。
戦前に欧米人、つまり租界の主人からBUND(バンド)と呼ばれていた中山路には、租界時代からの古い大きなビルが並んでいることはすでに書いた。

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外灘の黄浦江側は、夏に見たときはまだ整備のための工事中の部分があったけど、今回はきれいに整備されて、川にそって長く伸びる「黄浦公園」とよばれる公園になっていた。
中山路は車の往来が激しいので、黄浦公園まで行くためには、中山路の下にある地下の遊歩道をくぐらなければならない。

この新しい公園で、大勢の観光客が黄浦江を眺めていた。
日本人や欧米人もいるけど、ほとんどは中国人の観光客である。
わたしも人々にまじって黄浦江を眺めた。
水は濁っており、向こう岸まで300メートルくらいあって、汽船やはしけ、タグポートなどが往来していた。
わたしは以前から独特の帆をあげたジャンクという船が見たかったけど、ここには1隻も見えなかったから、この様式の船は上海ではすでに過去のものになっているらしい。

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ここですぐに目についたのが、川の向こう岸で建設中の大きな塔だった。
これこそ、その後の上海のランドマークタワーになる「東方明珠」のテレビ塔だったけど、わたしが見たときはまだ半分くらいしか出来上がってなかった。
いまでこそこのテレビ塔の周辺は高層ビルに埋もれてしまっているものの、まだそんなものもほとんど建ってない時代の話である。
東方明珠のそびえる浦東新区は、もともと畑ぐらいしかない殺風景な原野だったものを、中国政府は歴史的遺産の数多く残る上海市の再開発より、こちら側に新空港を建設して、巨大な新都心をつくることにしたのである。
その後の浦東新区の発展は目がくらむほどだ。

ふたたび地下道をくぐって、租界時代の古い建物をなでるように、わたしは外灘をゆるゆると南下した。
ジャズの演奏で有名な和平飯店は、あらかじめ興味を持っていたので、すぐにわかった。
建物のなかに赤い星のマークがついたものがあって、これはもとは香港上海銀行で、いまは上海市人民政府の庁舎として使われているらしかった(この当時、人民政府の建物はまだ外灘にあったけど、その後は人民公園のまえの新築のビルに移転している)。
この建物のわきでは、3人の男女が太極拳をやっていたから、写真を撮ると、リーダーのおじいさんがニヤッと笑った。

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それにしても上海を歩くのは楽しい。
わたしは同じような摩天楼のそびえる、ニューヨークの街をうろつく自分を想像してみたけど、あちらはどうも乾いたイメージで、上海のようなうるおいのある景色は想像できない。
わたしみたいな人間がぼうっとして歩いていたら、米国ではたちまち拳銃強盗にでも遭って、身ぐるみはがれてしまうのではないか。

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昨日のNHK

わたしはNHKニュースを、朝、昼、晩と録画して、夜中にまとめて観ることにしてるんだけど、昨夜は国連総会以外に、アゼルバイジャンとアルメニアの紛争でわざとらしい捏造が目立ったな。

アゼルバイジャンもアルメニアもかってのソ連の同盟国で、いってみればロシアの遠い親戚みたいなもんだ。
ただし領土紛争や、隣り同士は仲がわるいということはどこにでもある。
日本の周辺にもあります。
ということで、この両者がケンカを始めると、かっての仲間たちによる内輪揉めみたいで、ロシアにとってはなはだ具合が悪い。
アルメニアにはロシアが、アゼルバイジャンにはトルコが後ろ盾になっているから、プーチンとトルコのエルドアンさんの関係が良好なのもシャクの種のNHKは、なんとかしてこのケンカを盛り上げたい。
ロシアとトルコのあいだにくさびを打ち込みたいNHKには、この紛争は渡りに船だ。
アルメニアが降伏したのはロシアの影響力が弱まっているからだと強調する。

バカいってんじゃねえよ。

ここから先は笑い話みたいなもんだけど、それならアメリカが、たとえばアルメニアの後ろ盾だったらどうだろう。
紛争の臭いをかぎつけて、さっそくネオコンがわらわらと集まってくるだろう。
オレたちが軍事支援するから負けるはずがない、やれやれ、もっとということになる。
アメリカの政治家と軍事産業がおおいに儲けて、紛争当事国の若者がおびただしく死ぬのもお決まりだ。

この程度のことは、そうとうなボンクラでも思いつくんじゃないかね。
プーチンとエルドアンさんというツーカーの仲の大統領がいたから、この紛争は1日か2日で収まったと考える人はいないのか。

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2023年9月21日 (木)

どうなった?

なんだ、なんだ。国連総会ってのはいつまでやってるんだ。
NHKの報道によると、ゼレンスキーさんやバイデンさんは、ロシアの非道ぶりを国連の場で一方的に非難したそうだから、これじゃ逆効果だよ。
途上国はみんな戦争が続くことで困ってるんだ。
それなのにあいかわらずゼッタイに許さない、妥協はしないなんていっていたら、戦争を引き延ばしているのはウクライナのほうだと思われてしまうではないか。

今日のNHKのニュースでは、国連総会でロシア非難の数が増えたのか減ったのか、具体的な数字がまるでわからんかった。
しかし欠席した国の多さをみると、そんなことはあまり意味がなさそうだ。
常任理事国のなかで、出席したのがバイデンさんだけ(おまけとして日本の首相もいたけど)というのにビックリ。
岸田クンは原稿棒読みで、なんとなく居ずらいという雰囲気があったね。

さあ、また過去のおさらいをしよう。
ロシアが侵攻してきたとき、アメリカが余計な口をはさまず、ウクライナがすぐに降伏していたらどうなっただろう。

民主主義の危機かい? 主権国家の領土侵害かい?
残虐なロシア軍のために、ウクライナ国民は虐殺やレイプされただろうか。
ドイツやフランスは、せっかく作ったノルドストリームのパイプが破壊されて、エネルギーの危機に陥っただろうか。
途上国はウクライナの穀物が手に入らなくて困っただろうか。
先進国が途上国から三行半を叩きつけられ、世界が対立と分断の時代に入っただろうか。
アメリカは地球温暖化を放り出して、バイデン親子が金儲けするのを黙許しただろうか。
それよりなにより、これほど多くの両国の若者が死んだだろうか。

思い出してほしいのは、ウクライナ戦争のまえまで、ロシアとウクライナは親戚といっていい親密な仲で、ロシアのゴルバチョフ大統領夫妻は、その両親がいずれも一方がロシア人、もう一方がウクライナ人という時代もあったくらいなんだよ。
おそらく戦争がなければ、ロシアとウクライナの蜜月は続いていて、世界はいまよりずっとマシなものだったに違いない。
戦争というのはえてして、そういうつまらない見栄から起きるものなんだ。
今回の国連総会がゼレンスキーさんに引導を渡して、戦争終結ということになるよう祈る。

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2023年9月20日 (水)

中国の旅/安い食堂

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1992年の12月、わたしはふたたび上海に姿をあらわした。
団体旅行で江南をめぐった旅から、およそ5カ月足らずで、また虹橋空港に降り立ったわけだ。
今度は完全にひとり旅である。

到着した日は銀河賓館におさまったあと、まだ晩メシを食ってなかったから、わたしはさっそく外食をすることにした。
ホテルの近所でもいい、とにかく早く上海をひとりで自由に歩いてみたかったのである。
そういうわけで、最初の晩の夜食は一般の中国人と同じ店で食べることにしたんだけど、なにしろ魔都といううわさを聞いていた上海のことだから、ぼんやりした日本人が、ニューヨークみたいにカメラをひったくられたら困る。
カメラは部屋に置いていくことにした。

そんなわけで写真がないから、この晩の状況はみなさんに勝手に想像してもらうしかない。
オレは想像が苦手?
そんなんだからウクライナ戦争でもNHKにやすやすと騙されるんだよ。
想像力欠如の人のために、このあとはネットで見つけた上海の夜の写真を3枚ほど。

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ホテルのまえの通りを左へ向かうと、すぐに信号があった。
これを右析するとまわりは暗いアパート街になる。
わたしはレンガの壁にそって黙々と歩いた。
このあたりでわたしの胸には、とうとう子供時代に住んでいたなつかしい町にたどりついた、心身ともに自由に解き放たれたという大きな喜びがこみあげてきた。

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少し行くとガードをくぐる。
さらに行くといくつかの雑貨屋や床屋や食堂があり、その先の四つ角に果物屋の露店が出ていた。
店頭で品物をながめていると、露店の小学生くらいの女の子が、不思議そうな顔をしてわたしの服のそでをひっぱった。
わたしは少女に「アルトン(子供)」と呼びかけてみた。
ぜんぜん通じなかった。
子供という言葉はアルトンではなく、ハイツのほうが一般的なのかも知れない。

店の親父にミカンが欲しいというと、30個ほどビニールの袋に入れてくれた。
そんなにいらない、1元分でいいというと、親父は不満そうに中身をもどして、たった3個しかくれなかった。
これではこの晩のレートで、1個が7円ぐらいということになる。
中国人にはミカンは高価な果物なのだろうか。
味見をするだけだから、3個もあれば十分だけど。
わたしは途中で缶の青島ピールも購入したけど、こちらは3元=約70円だった。

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食堂を求めてさらに歩く。
歩いているうちにわたしはくたびれてしまった。
左へ左へとまわってホテルヘ戻るつもりでいたら、大きな踏切のわきに出た。
ちょうど列車が通過するところで、わたしが渡る直前に遮断機が閉まってしまった。
踏切の手前の道路はすぐに、自転車に乗った人々や車でごったがえした。

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このときわたしが見た風景はその後失われてしまった。
まだ高架になった高速道路など見たおぼえはないのに、つぎに上海に行ったときは、銀河賓館のまわりにも高速道路が出来て、風景は一変していたのだ。

列車を待ちながらふと見ると、踏切の手前の道路ぎわに、わたしが探し求めていたような汚い食堂がずらりとならんでいるではないか。
食堂ばかりではなく、路上で果物やサトウキビを売っている露店もある。
わたしは踏切を渡るのをやめて店をのぞいていくことにした。
1軒1軒の店内をのぞきながら歩くと、働いているのはみな貧しそうな人たちばかりである。
暗い顔をした若い娘が調理をしている店もある。

わたしは中でも多少はましかなと思えるうす汚い食堂へ入ってみた。
入口のわき、道路のすぐはじに受付のカウンターがあって、そこで横柄な態度のおばさんが、サトウキビをかじりながらペッペッと食べかすを吐き散らしていた。
わたしが黒板に書かれたメニューのうち、小ワンタンを指して注文すると、彼女は奥の調理場になにか怒鳴った。
わたしは傾いたテーブルに座ってぼけっと待つ。
半地下にあって、テーブルが4つくらいのお粗末な店で、白い漆喰の壁などずいぶんいい具合に汚れていた。
ゴキブリでも走っておかしくない店だが、ハエもゴキブリもほとんど見なかった。
テーブルから調理の様子はまったく見えない。

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ここに載せた3枚の写真は1996年に鄭州に行ったときのもの。
うす汚い店の雰囲気は、このとき(92年)の上海の店に似ている。
せっかく外国に行って、お粗末なものばかり食べているなと思うなかれ。
鄭州では女の子連れで北京ダックも腹いっぱい食べたわさ。
ただ、この連載が鄭州に行くまで、わたしが生きていられるかのほうが心配だけど。

そのうちおばさんが後ろでなにか怒鳴ったからふり向くと、ワンタンが出来上がったから取れというのだった。
おばさんは自分の席から動こうとせず、客が自分で、壁の穴のところからテーブルまで食事を運ぶのである。
湯気のたったワンタンはまあまあ美味そうだった。
箸はテーブルの上にたくさん置いてあったけど、日本のように先細りではないので使いにくい箸である。

ワンタンはうす味だがまずまず食べられた。
食べ終わって科金を払うことになり、黒板のメニューには7という数字が書かれていたから、わたしは7元=154円を差し出した。
これなら日本と比較しても、そんなに高くはない。
ところが横柄なおばさんは不審そうな顔をして6元を返してよこした。
ワンタンは7元ではなく7角=15円だったらしい。
信じられない安さである。
ただし、おばさんは気前のいいわたしにつり銭をくれなかった。
わたしはキツネにつままれたような気分で店を出た。

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ホテルにもどり、シャワーを浴び、正露丸をのんでこの日は寝てしまった。
寝る前に日本へ電話しようとしたけれど、説明書どおりにやってどうしても通じなかった。
説明書といっても中国語と英語だから、どこかにわたしの理解不足があったのだろう。
もちろんまだパソコンの時代以前だから、メールも使えないし、LINEもあるわけじゃない。
30年ひと昔だけど、隔世の感があるな。

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国連総会

日本の岸田クンもいそいそと出かけていった国連総会。
さてどんな結論が出るか。
2月の総会決議では、ロシア軍の即時撤退を求める決議に、反対・棄権が50カ国あったそうだ。
それが今回は増えるか減るか、結果は今日
20日中にはわかるはず。
ゼレンスキーさんは対面でいろいろ支持を訴えるらしいけど、それが功を奏するかどうか、楽しみに待とう。

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2023年9月19日 (火)

仲間割れ

ウクライナが混乱してないか。
ロシアに敵がい心をもやすポーランド、ハンガリー、スロバキアの3国をWTOに提訴だって。
本来ならロシアを敵とみなす仲間同士のはずなのに、これはいったいどうしたことか。
決まっている。背に腹はかえられぬという事だ。
ウクライナの農産物をそのまま途上国に送れば問題はないのに、先進国で売ったほうが儲かるというんで、みんなヨーロッパで売ってしまう。
これでは上記3国の農民がたまらない。
ウクライナの農産物が自国を通過できないよう禁輸措置をとる。
それではロシアによって、海からの輸出を抑えられているウクライナはどうすることもできないから、WTOに禁輸を解除しろと訴える。
というのが仲間割れの原因。

ほかにも、ウクライナのスポークスマンの役割をして、日本でもお馴染みのマリャル国防次官(オンナの人)が政府から解任されたって。
それ以前にはレズニコフ国防相もクビになっているし、なにがなんだかわからんね。
こういうのを末期的症状というんだろうか。

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エコーチェンバー

ヤフーニュースに「エコーチェンバー」という言葉が出ていた。
最近あらゆるところでこうした傾向が強いけど、同じような考えの仲間が同じようなことだけをわめきあって、ああ、気持ちイイなーってものだそうだ。
ウクライナ戦争で勝手なことばかりいっているSNSもそうだろう。
これでは真実はわからないし、世界がますます狭くなるばかりだ。
どうしたらいい?
わたしのブログのような、世論になびかない、少数派の意見にもたまには耳を傾けるんだね。

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短い命

『彼は短い命を思ひ、もう一度この椰子の花を想像した。この遠い海の向うに高だかと聳そびえてゐる椰子の花を』

これは芥川龍之介の「或る阿呆の一生」のなかの一節。
彼が血痰を吐いて、自分の命が長くないことを悟り、しみじみと述懐する場面である。
わたしの場合、血痰を吐いたわけでもないし、寿命だってもう芥川よりずっと長く生きている。
だから椰子の花を連想することもないんだけど、今夜も散歩に出かけて、あることがきっかけでこの小説の一節が身に沁みた。

散歩していると、木星は頭上にきらきらと輝いて、夜空の星がとてもきれいだ。
それはいいんだけど、空を見上げるとそのあとでかならず頭がくらくらする。
昨夜は途中にあるベンチにへたりこんでしまった。
自分ももう長くないなと思う。
いまブログで中国の紀行記を連載しているんだけど、構想としてはまだ2、3年はかかるくらい膨大なものなので、おそらく最終回まで生きちゃおれんだろう。
自分は文章を書いたり、調べものをするのが好きな性分だから、残りの人生は、こんな幸せなじいさんもおるまいと、自分を慰めるしかないようだ。

彼は短い命を思ひ、もう一度この椰子の花を・・・・
わたしの場合、困惑したアライグマの顔でも連想したらいいだろうか。

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2023年9月18日 (月)

中国の旅/上海再訪

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1992年の12月、2度目の中国へ飛び立つ日がきた。
ほんとうは上海に到着したときから書けばいいんだけど、わたしの旅がどんなものかを知ってもらうために、あえて家を出るところから書く。

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9時に家を出て、10時に新宿から成田行きのリムジンバスに乗った。
オフ・シーズンらしく、バスはすいていたが、乗車するとまえの席に韓国人らしいグループがいて、ニンニクの臭いがしたのには閉口した。
彼らのうち、ななめ前に座ったごつい男性は耳がつぶれていた。
その前にはClAのスパイのような米国人がいる。
そしてわたしのま横の席には2人連れの日本人らしい女性がいて、やたらになにかほうばっていた。
片方は美人だから、女優とマネージャーか、令嬢とお付きのような関係に見えた。
こんなふうに、わたしの旅は出だしからハードボイルド作家になったような気分なのである。

成田空港につくと、高速道路のゲートで最初の検間がある。 
乗客全員がいったんバスを下りて、長机をはさみ、10人ほどの係員の前に立つ。
パスポートを見せてというから、ありませんと答えた。
パスポートは空港内で旅行会社の係員から受け取ることになっていたのである。
身分証明書はありますかとというから、これもありませんと答えた。
ふつうなら免許証でも見せるところだけど、中国でそんなものが使えるわけがないから、紛失を恐れたわたしは家に置いてきてしまったのだ。
このつぎからはなにか持っていて下さいと係員は不満そうである。
旅行の日程表を見せてなんとか放免された。

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今回は団体旅行ではなく、まったくのひとり旅だ。
初めての海外旅行だった夏の旅では、フラストレーション100パーセントで、マグマ溜まりが極限にまで達したわたしは、やっぱり自由に行動するには団体旅行はダメだという結論に達し、自分であちこちの旅行会社にあたって、ようやく理想的なツァーを見つけたのである。
それは「上海4日間フリープラン」というもので、料金は7万7千円、往復の飛行機とホテルは旅行会社まかせ、ただし現地ではすべて本人の自由行動というものだった。
まだ海外旅行に不慣れなわたしには、理想的な旅のスタイルである。

夕ーミナル・ビルの中を横切って、かって知ったるHカウンターに行くと、カウンターの中の女性がわたしの搭乗券引換証をチェックして、あそこで荷物のX線検査をして下さい、それが終わったら12時半にウンターの横へ集まって下さいという。
わたしは本屋で雑誌を買ってきて、読みながら時間をつぶすことにした。
国際空港で本を読んでいると、それだけでなんとなく国際的ジャーナリストにでもなったような気分である。

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12時半になってカウンター横へ行ってみると、(わたしが申し込んだ近畿日本ツーリストではなく)JTBの女性係員がやってきた。
スリムできれいな娘だけど、彼女が中国まで添乗してくれるわけではない。
成田空港は第2ターミナルが完成直前で、帰りは新しい夕ーミナル・ビルから出ることになりますなどという説明を聞いただけだった。

搭乗券を見るとわたしの席は喫煙席になっていた。
タバコは吸わないんですがねえと係員に苦情をいうと、あ、そうですかといって、彼女はすぐ新しい券と替えてきてくれた。
それでわたしの席は窓ぎわということになった。

出国審査場のカウンターの前にならんで、ひとりづつパスポートや搭乗券の有無をチェックされる。
手荷物のX線検査場では、いかめしい顔の男性点検係が、わたしのダウン・ジャケットを袖の先まで揉んでみて、ふっくらした羽毛の中になにか隠していないかと検査した。
むろんわたしは爆弾を隠し持っていなかったから、なにごともなしにパスして、ようやく旅客待合室にたどりついた。

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出発までにはなお1時間以上ある。
わたしはソファに座ったり飛行機の発着をながめたりしながら、14時の出発時間を待つ。
中国東方航空の飛行機はすでに目の前に停められて、貨物の積み下ろしをおこなっていた。
料金が安いのだろうか、1日1便のこの飛行機は、安いツアーやわけ知りの旅行者に愛用されているらしく、わたしの前回の旅行も東方航空だった。
そのおりに写真を撮ったスチュワーデスはいないかと、搭乗したあと目で探してみたけど、いないようだった。

やがて出発時刻がきた。
この日の成田空港は時おり日のもれる曇り空だった。

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飛行機が離陸すると、しぱらく雲の上の単調な飛行が続く。
雲はまだらで時々海面がのぞいていて、海面に島のようなものが見えたけど、それは雲の影だった。
雲の上だからむろん頭上の空はまっ青に晴れている。
窓外の景色があまりゆっくりしているので、飛行機が時速800キロに近い速度で飛んでいると信じられない。
わたしはふと、窓の外のどこかそのへんにカモメでも飛んでいないかと思ってしまった。
もちろん成層圏に近いこんな空の上を、鳥が飛んでいるはずはないから、あまり飛行機に乗ったことのない詩人の妄想というべきか。

16時20分にアナウンスがあって「到着まで20分」という。
上海は晴れだとも。
そしてその10分後にとうとう大陸が片鱗をあらわした。
全体に灰色の霞がかった日だったけど、まず河口の砂州のような、皿の形の島がいくつか見え始める。
人家のある島もあれば無数の川が蛇行しているだけの島もある。
ついで一直線にのびた大陸の海岸線があらわれた。
このころには飛行機はかなり高度を下げているから、きちんと方形に仕切られた農地、民家、道路、水路、そして高層ビルなどがもう手にとるように見える。
山はむろんのこと、森や林といったものがまったく見えず、畑ぱっかりで、日本に比ぺると樹木に乏しい景色だなあと思う。

虹橋空港の滑走路に接地したのは17時すこしまえ(中国時間は1時間遅れ)だった。
夏に見た滑走路のわきの雑草は、すべて茶色に変色していた。

ぞろぞろと人々に並んで、ターミナル・ビルまで通路を歩く。
虹橋空港は以前のままで、空港まえの緑地には、初めて見たときこれが共産主義の国かとおどろいた、大きなマールボロの看抜もそのまま立っていた。
7月にはうだるような暑さに開口したものだけど、今回は拍子抜けするほど暖かい。

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空港のロビーにはちっちやな女の子のガイドが待っていた。
日本人にもよくいるタイプの、まあ、可愛いといえる娘である。
全員でこの夜のホテル「銀河賓館」に向かうことになったけど、このホテルは前回の旅の最終日に泊まった、わたしにとってはかって知ったる近代的なホテルである。
空港から15分ぐらいマイクロバスに乗る。

銀河賓館に着いてロビーでまた幼稚園の生徒のようにがやがやした。
ガイドさんも大変である。
わたしと同じフリー組は3日分の朝食券だけをもらって、それぞれの部屋へ落ちつくことになった。
わたしの部屋は1911号室。

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19階でエレベーターを下りて、右、右と2回廊下を曲がり、さらに左へ曲がったすぐ角の部屋である。
ホテルは近代建築に見えるものの、安普請らしく、まわりの部屋のドアの開け閉めの音がうるさく、19階まで車のホーンもかなりやかましい。
部屋におちついて窓から下を見てみた。
眼下に広いバス通りが見え、それは湾曲しながら高層ビルのそびえるはるか彼方へと消えていた。
よくわからないけど、そっちが虹橋空港、つまり市内と反対側の方向らしかった。

部屋はダプルベッド、バストイレつきで、わたしひとりで占領するには文句のつけようがないくらい広かった。
わたしはイスタンプールに到着した007のように、服をぬいでゆったりとくつろいだ。
盗聴装置はないようだったけど、お湯を入れたポットがなく、バスの湯も出なかった。
ポットは注文するとまもなく持ってきた。
バスの湯が出ないのはわたしのカン連いで、蛇口の栓をまわすだけではなく、栓全体を傾けるのである。
やってきた客室係の女の子に、じつはこれがねえと栓を(なにげなしに)傾けたら、ちゃんと湯は出たので恥ずかしい思いをした。

テレビは5チャンネルくらいあって、CNNもやっていた。
マイケル・ジャクソンの歌番組までやっていた。
あとは中国の国内ニュースや劇映画などだったけど、現在の中国人には外国の情報も不足しているわけではなさそうだった。

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別送りにした荷物の間い合わせや、日本円と中国の兌換券(だかんけん)との交換のために、部屋とロビー、フロントを何度か往復していると、エレベーターの中でいろんな中国人に出会う。
部屋で食べるつもりなのか、どんぶりに盛ったゴハンをかかえたまま乗ってくる人もいた。

フロントには日本語のわかる女性がおり、またほとんどのフロント係には英語が通じる。
この目の兌換券の相場は1万円が443元くらい。
1元が約22円で、前回は25円だったから、いくらか円の価植が上がっていた。
フロントやホテルのレストランには美女が多いけど、日本人の目で見たかぎりでは総じて勤務態度がよろしくない。
客の前で仲間同士の私語、談笑はしょっちゅうである。

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今日の現実

正恩クンは帰国したらしい。
ロシアでは下にも置かないもてなしで、さぞかし気持ちよかっただろうけど、帰国したとたんにまた自分の国の現実に気がつかなければならない。
いまごろはロシアで得たものがなにもないことに気づいて愕然としているんじゃないか。
人工衛星の技術なんかもらったって、そんなものはメシの種にはならないし、自国で使えるわけもない。
ええ、てめえら、なにをしてんだと怒り狂ったって、責任を問えるような子分もおらず、同行した軍関係者を処分するわけにもいかない。

日本ではあいかわらずロ朝の軍事協力が密になるなんて嬉しがってるマスコミがあるけど、こんな国って日本だけじゃないか。
今日のNHKニュースでは、ウクライナ軍が南部と東部で反転攻勢だって。
根拠がまた英国とアメリカの情報筋で、ああ、またどこかの集落(都市や町や村でもなく、映像で観ると廃墟にしかみえない)を占領したってことだそうだ。
ほんと、すこしはみなさん、自分の頭で判断してね。

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アライグマ

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今日も足の運動のために深夜の徘徊をしてきた。
おっくうな気持ちもあるけど、わたしの場合、散歩をやめたらそのまま車椅子行きになりそうで、やめるわけにいかんのよね。

散歩コースは近所の黒目川の側道で、これを西武線のガードまで往復すると、地図上の目分量でだいたい4キロぐらい。
夜中だからめずらしい動物に出会うことがある。
これまでにハクビシンは3、4回見たことがあるし、今日はラクーン、つまりアライグマを見た。
やっこさん、河川敷の草むらから散歩道に這いあがろうとして、道のへりに手をかけたまま、おい、元気かと声をかけたわたしと数秒間にらめっこ。
目のまわりに黒い模様があるので、最初はタヌキかと思ったけど、その困惑したような表情からアライグマだとわかった。
本人はべつに困惑してないかも知れないけど、わたしがYouTubeなどで見るアライグマはいつも困惑しているし、タヌキが困惑しているのは見たことがない。

なにはともあれ、アライグマに出会ったというだけで、今夜の散歩はこころゆたかなものになった。

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2023年9月17日 (日)

北朝鮮とNHK

北朝鮮の正恩クンを観ていると、まるで見栄を張りっぱなしのヤクザの親分に見える。
プーチンに歓待されたのが嬉しくて、今日のニュースじゃまだロシアに滞在しているみたいだけど、そりゃそうよ。
プーチンに出迎えられ、ショイグ国防大臣じきじきの案内だ。
こんな映像がたくさん撮れれば、国に帰って、いかに自分が大物であるかということを国民に自慢できる。
ヤクザが虚勢を張りたがるのといっしょ。

プーチンは西側に対して、ロシアは孤立していないということを見せつけるために北朝鮮を利用しただけだ。
それでもNHKはロシアと北朝鮮をなにがなんでもくっつけようと、朝から晩まで軍事協力に進むのではないかと憶測の報道ばかり。
アノネ。
北ってところはいまだに朝鮮戦争当時の武器を使っているところだぞ。
これでは韓国軍だけを相手に戦っても負けるから、核兵器やミサイルを持ってることを認めてもらいたくって、やたらに自己主張をしまくる。
しかしいくら核爆弾を作ったって、運搬する手段がなければ使えないんだよ。
ミサイル?
ICBMだって本体だけあればいいってもんじゃない。
目標を正確に狙える誘導装置がなければ役に立たないし、じっさいに戦争になれば、あっという間に管制システムを破壊されて、あとはメクラ撃ちしかない。
北のミサイルがコワイのは、目標をはずれて、わたしの団地に飛んで来やしないかということだ。

ロシアと北朝鮮では軍事技術のレベルが違いすぎる。
監視衛星や原子力潜水艦の技術を教えてもらっても、そんなものを北に使いこなせるわけがない。
ウクライナが戦車や戦闘機を供与されたけど、あれだって相応の訓練がなければすぐに使えたわけじゃない。
訓練をするには軍事顧問団のようなものが必要だし、そもそもプーチンはロシアの最新の軍事技術を、狂犬(狂豚?)が支配する時代錯誤の国に与える気はないだろう。
そのへんは極東アジアにこれ以上軍事大国を増やしたくない中国とも、話がついているに決まっている。

昼のニュースでは、プーチンは北朝鮮から兵士の供給など受けないとはっきり言っていた。
夜のニュースでは、同じ映像なのにその部分がはしょってあった。
ロシアの政策顧問氏も、ロシアは兵器の増産に成功しており、他国に支援を求める必要はないという。
プーチンは冷静かつ狡猾な政治家だ。
かりに大砲の弾が欠乏していたとしても、全世界が注目しているところで、正恩クンに供給してくれと頼むはずがないではないか。
解任されたとか粛清されたとかいわれていたスロビキン大将が、重要な仕事に起用されてまた登場したらしいけど、このニュースもなかったな。

ウクライナではゼレンスキーさんがデタラメな戦果を誇り、バイデンさんはさらなる支援を約束するという。
これは来週にひかえた、ゼレンスキーさんも登場予定の国連総会まで、まだまだウクライナは負けないというポーズをみせて、もっともっと支援を得ようという魂胆だろう。
昨日もNHKの偏向ばかりが目についた1日だった。

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2023年9月16日 (土)

またあら探し

他人のあら探しばかりしてんじゃねえよ。
あ、今日のはこれ、中国のションベンおばさんのハナシ。

ネットニュースを見ていたら、中国のデパートの店内で、子供にオシッコをさせたおばさんがいたそうだ。
店員にとがめられると逆上して、買い物を返品し、お金をとりもどして帰ったという。
いまのご時世だから、中国人てのはしようがねえあとバカにして、腹のなかでは嬉しがっている人もいるんじゃないか。
こういうのも台湾有事に持っていくための布石かもしれないから、わたしはあえていう。

大勢のなかのひとりの異端者を拾い上げ、その他大勢がすべてそういうものだというのは、もちろんわたしなんかが指摘しなくても、マチガイだということはわかるね? え、常識をかねそなえたみなさん。
最近は日本にも常識で測れない人間が増えているから、こういうのって新しい伝染性の病いじゃないか。
このおばさんの行為には、お金を返してもらうならオシッコも持って帰れと、中国のネットで怒りの声が爆発しているそうだ。

つまり大半の中国人はわたしたちと同じ常識を持った人々だということがわかる。
たまたまこのおばさんだけが特異な存在で、たぶん彼女が子供のころ、まだほんの2、30年まえまでは、中国の田舎でそのへんの路上でオシッコというのはありふれた光景だったのだろう。
あまりに発展が急激で、時代の変化に追いつけず、旧弊なモラル感しか持ってないおばさんもまだまだ生存しているわけで、それがこういう行為に及んだとしても責められない。
いや、責められないことはないけど、ことさらこういう珍しい事例を拾い出して、中国をけなすのもどうかと思う。
日本だって欧米から見れば、男と女がまっ裸でひとつの風呂に入るんだってよ、ええ! ヤダー、日本人て未開なのねーと騒がれているかもしんないよ。

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2023年9月15日 (金)

あら探し

他人のあら探しばかりしてんじゃねえよ。
あ、中国の国防相が左遷じゃないかというハナシ。
やったかやらないかは別にして、処分されたのなら他人が文句をいうことか。
中国では外相も左遷されたそうだけど、あれは女がらみという噂だったな。
理由はなんでも、綱紀粛正に熱心ならいいことではないか。
アメリカを見たか。
バイデンさんの息子、いけないことをしたのに、どうせ罪になるわけないさとニタニタ。

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自分の頭

もうちっと頭を使う人はいないのか。
あ、リビアの洪水のこと。
国内が分裂していて、インフラ整備や警報システムもおろそかだったから、被害が大きくなったという人がいる。
もちろんそれもあっただろうけど、リビアが砂漠の国で、洪水なんかめったに起こらないということに言及する人が少ない。
国内が統一されて、まともな政権があったとしたら、たとえばカダフィがまだ健在だったら、起こらない災害だっただろうか。
まともな政権のあったアメリカでも、まさか山火事とはというわけで、ハワイで大きな被害が出たし、日本でも東日本大震災では原発も破壊された。

いちゃもんばかりつけたいわけじゃないけど、報道を丸呑みにして、自分の頭で考えようとしない人が多すぎる。
そんなことより、砂漠の国に洪水をもたらした異常気象に警戒すべきじゃないか。
さっさと戦争をやめて、その金を人類共通の迫りくる敵のために使え。
わたしはむかし、中国の新疆ウイグル自治区を旅して、トルファンで砂漠を埋め尽くすような広大な洪水の跡を見たことがある。
砂漠の国でも洪水は起きるのだということを知っているから、中国政府ならうまく対処するだろう。

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本日も

今日もNHKはロシアと北朝鮮の親密ぶりを強調するのに必死だ。
北朝鮮といえば世界が認める残忍非道な独裁国家だから、こういう国と仲がいいということにすればロシアの評判もガタ落ちだ。
NHKのニュースを観ていると、たんにリップサービスでいったことでも、みんな仲がいいことの証拠にされてしまう。
大砲の弾なんか一発も供与してもらわないのに、憶測で、いやもうこうなってほしいという願望で、軍事協力をするに違いないと決めつける。
見苦しいというしかないけど、民放はもっとひどいと思うから、わたしはNHKを観るしかないのよね。

スイスのジュネーブでクラスター爆弾禁止条約国の会議が開かれた。
ロシアはクラスター爆弾の使用をやめろと決議すると、それならウクライナもやめろとなるので、けっきょくあたりさわりのない文書の採択にしかならなかったそうだ。

ここでみなさんに冷静に考えてほしいんだけど、NHKの報道では、つねにクラスター爆弾はロシアが最初に使ったという文言で、そのあとにウクライナも使用となる。
わたしはちと疑問に思っているんだけど、クラスター爆弾が話題になったのは、アメリカがウクライナに供与すると言い出してからだ。
それ以前にこの戦争では、クラスター爆弾はほとんど話題になっていない。
たとえば戦争の初期にロシアが一方的に使用すれば、ロシアを中傷するのにこんなにいいネタはないから、西側(とNHK)が思いきり報道するはずなのに。

わたしはこの戦争を開始直後から注視してきた。
それなのにウクライナ戦争でクラスター爆弾のことを聞いたのは、米国が供与することにしてからで、その後は、先に使ったのはロシアだとか、ロシアのほうがたくさん使っているという報道ばかりだ。
おかしくないか。
疑問に思わないのか。
これって西側がクラスター爆弾の供与を正当化するために、後付けでロシアが先に使ったと言い出したんじゃないか。
だれでもいいから、戦争の初期に、ロシアがクラスター爆弾を使ったという情報があったら、いつどこで使ったのか教えてほしい。

黒海上空ではロシアの戦闘機が英国の偵察機にミサイルをぶっ放し、さいわいはずれたという報道もあった。
これについて、NHKの報道を観ると、2機のロシア機のうちの1機が、命令を誤解して発射したのだという。
ロシア機同士で言い争いがあったにもかかわらず、さらに1発が発射され、これも当たらなかった。
いまどきのミサイルの命中率というのはその程度のものか。
もちろん偵察機の側でもミサイル防御システムを作動させただろうけど、英国の情報ということで、なんとなく捏造の可能性を感じてしまう。

だいたいなんで英国の偵察機が、トラブル多発地帯の上空をうろうろしてたんだよ。
どうせロシア軍の手薄なところはないかと偵察して、ウクライナ軍に教えていたんだろう。
ウクライナがクリミア半島の南部で攻勢をかけたというのも、地図を見ればわかるとおり、クリミア半島のほんとうに先っちょを、ミサイルやドローンでゲリラ攻撃を仕掛けたにすぎない。
NHK御用解説者の兵頭サンでさえ、その程度のもので、戦況にはほとんと影響がないでしょうと解説していたことがある。

ウクライナ軍が黒海にあるロシアの石油施設を占領したという報道もあった。
これも映像をよく見ると、ボートで数人が突入し、まったく抵抗されたようすがないばかりか、そもそも守備兵がいたのかどうかもわからない。
役にも立たない施設や村を占領して、勝った取ったと大喜びをするのはウクライナの常套手段だから、これもいくらでも疑える。
いいかげんに気がつきなされ、公共放送をハナっから信じるみなさんも。

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中国の旅/外灘と南京路

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上海という街は租界としてスタートし、租界として発展してきた。
最初は英国のみの租界だったけど、清朝政府が張り子の虎だということがわかると、フランスや米国も乗り出してきて、租界の規模はどんどんふくらんだ。

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これは租界の区分地図だけど、中心部をイギリスとフランスが分割し、上のほうにアメリカ租界がある。
遅ればせながら日本もアメリカに間借りして、赤い円でしめした虹口地区というあたりに日本人居住区をつくった。

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租界を象徴するのが、黄浦江に面して摩天楼がそびえる外灘(わいたん)である。
外灘というのは黄浦江と並行してはしる中山路のことで、1キロほどの区間に時計台のある江海関(税関)の建物や、半円形のドーム屋根の香港上海銀行、ジャズの演奏で知られた三角屋根の和平飯店などが一列にならんで、当時のアジアとは思えない異質の景観を生み出した。
現在はほとんどの建物が、カフェやブランドショップなど、できたころの目的とはべつの用途のために使われているようだけど、ひとつひとつの建物に由来を記した銘板がついているから、それを読みながらぶらぶら歩くのも楽しい。
詳しいことはまたリンクを張っておくから各自で調べるべし。

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わたしはここを歩いてみたくてたまらなかったのに、92年の最初の団体旅行では、ほとんどをバスの中から見るしかなかった。
欲求不満が頭にのぼったわたしは、帰国するとただちに、もういちど上海に出かける準備に取りかかり、同じ年の暮れにそれを実現することになる。
当時の外灘の写真はつぎの紀行記でたっぷり紹介するつもりだ。

団体旅行の帰国前日は、華僑飯店で食事をしたあと、ホテルに一直線のはずが、ガイドの馬さんから提案があって、このままホテルにもどっても、宿泊予定の銀河賓館は街の中心部から離れているので、外出することはできません。
ですからバスで市内を見学していきましょうとのこと。
時刻は20時に近かったし、文句をいうわけにもいかないので、それに従うことにした。

走り出してすぐ、えらく広い通りを行くとき、バスの暗いライトで照らされた路面をながめてみたら、路面がすべて素晴らしい石畳になっていた。
この通りは「人民広場」となっていますが、戦前の共同租界時代には競馬場だったのです、と馬さんがいう。
そのすぐわきでは地下鉄工事をやっていた。

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問題はこのあとで、わたしたちのバスは、ふたたび人間と車でごったがえす、市内のもっとも繁華な通りへと突入していった。
上海でいちばんにぎやかな南京路だったようだけど、まるで新宿の歩行者天国なみの混雑である。
しかもそこへバスからトラックから三輪車、オートバイ、人力車まで平気で侵入してくるから、その混乱ぶりは殺人的だった。
この混雑のなかでも、彼らはUターンできるとなったらどこでも平気でUターンしてしまう。
これはじっさいにわたしたちのバスがやったことだけど、ゆるゆると走っているバスが、歩行者の肩をぐいと押してしまったことがあった。
歩行者はコワい顔で運転手をにらみはしたものの、それ以上怒るようすではなかった。
日本だったらそこいら中で、運転手同士や歩行者とのとっくみあいのケンカが始まっていたかも。

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現在の南京路はそのほとんどが終日の歩行者専用道路(ホコ天)になって、道路もきちんと整備され、租界のことなどみじんも知らないような若い女の子でいっぱいだ。
派手でにぎやかで、まわりが高級カフェやブランドショップばかりじゃ、わたしみたいなネクラには行きずらいところなんだけどね。
調べてみると、現在の南京路は長さが6キロもあって、世界最大のショッピングモールだという。
たぶん韓国の有名な明洞通りより、南京路のほうがにぎやかだと思うし、こっちには瀟洒な住宅のならぶかってのフランス租界もあり、黄浦江の下を観光列車で抜ければ、たちまち超近代的な高層ビルの乱立する対岸の浦東新区にも行ける。
なによりここには歴史がある。
遊びで行っても歴史に興味を持っても楽しいのが上海なので、知らない人がいたらモッタイナイとだけいっておこう。

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上海の宣伝ばかりしてないで、本題にもどる。
バスがまきこまれた南京路は、92年当時はまだホコ天はなかった。
車の数はそれほど多くないんだけど、人がいっぱいで動けないのである。
馬さんが、今日は土曜日だから、ふだんより少し人が多いですねという。
電気節約ということで、ほかの場所ではたいてい街は暗かったのに、ここだけはネオンがきらめき、ウインドーの照明は煌々として、夜景はまぶしいくらいだった。

動かないバスのなかで、すぐわきにあるデパートを見るともなしに眺めていたら、誰かが、おっ、あの女を見ろと叫んだ。
デパートでもクーラーなんか効いてないらしく、そのかわり扇風機が空気をかきまわしていて、ショッピングをしている女性のスカートがふわふわと風にふくらんでいるのである。
あぶなっかしい光景だった。
そのうち地下鉄の上のマリリン・モンローみたいになるのではないかと期待したが、そういうことはなかった。

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この程度でおどろいちゃいられない。
中国の女性の大胆さ(というより恥じらいのなさ)については、ビックリさせられることがしょっちゅうあった。
服装は近代的であるのに、まだそれがイタについてない女性が多いというべきか。
路傍で大股をひろげて座りこむなんてのはザラ、愛ちゃんが見た自転車の女性は、暑かったせいか、スカートの裾をひょいとハンドルにひっかけて、さわやかな顔で走っていたという。

この大勢の人間のなかに人民服を着ている人はひとりもいない。
暑くて着られないということもあるだろうけど、馬さんによると、今どきあんなものを着ていたらオカシイ人と思われますということだった。

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わたしたちが渋滞を抜け出して、この夜のホテル「銀河賓館」へ向かうころには、時刻はもう22時をまわっていた。
銀河賓館は空港に近く、外灘や南京路からはかなり離れている。
翌日は朝から帰国のために飛行場へ向かうので、わたしたちは上海の夜遊びをあきらめるよりほかはなかった。
上海に到着したとき、絶望的に期待を裏切られるものと書いたのはこのことである。
わたしたちの中国の旅もこれで終わりなんだけど、これでは旅をしているわたしも、これを読まされている人も欲求不満になるのではないか。
わたしは前述したように、この年の暮れに上海を再訪問したので、上海についての詳細はそっちに譲り、ここでは追記というか、初めて見た中国の印象のようなことを書いておこう。

わたしの予想どおり、中国は素晴らしい国だった。
ある作家がこんなことを言っていた。
『わたしは若いころ、日本人であることを忘れたいと思ってアメリカにあこがれた。中国へ行ってみたら、そこは今度は自分が日本人であることを思い出させてくれた』
わたしたちが過去にさかのぼって、かっての自分たちの生活を、いまこの目で見られる国は中国以外にない。
しかしこの国もあと3、40年後には大きく変わってしまうだろう。
この旅行ではそんなことを考えたけど、悲しいことにそれは現実になった。
わたしは2011年を最後にいちども中国に行ってないので、現在のあの国に、まだ郷愁を感じる部分が残っているかどうか保証のかぎりじゃない。
わたしはきりぎりで古い歴史がつながったままの中国を見ることができたのだ。

最後に愛ちゃんだけど、旅行のパンフレットには北京ダックつきと書いてあったのに、それがいちども出なかったといって、帰国したあと旅行会社に文句をいったそうである。あ

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2023年9月14日 (木)

自ロ他不

あああ、また今日も捏造放送協会か、難癖放送協会か知らないけど、NHKの糾弾からだ。
昨日の報道によると、中国でiPhoneの新製品が危険だから販売をさせない動きがあるという。
もちろんNHKのニュースだから、確固たる証拠があるわけではなく、憶測、いや、そうあってほしいという願望のニュースである。
やられたらやり返すのが国際常識とはいわないけど、そんなの、こないだまでアメリカが中国のスマホは危険だといってたことの裏返しじゃねえか。
自分がやればロマンスで、他人がやると不倫になるの典型だ。
中国政府はそんな規制はしてないというし、最近メールがこないわたしの中国人の知り合いも、使っていたのは
iPhoneだった。

NHKは相手の国情も調べずに、ただもうケンカを売ればいいと考えているらしい。
民間企業の商売にまで口を出すんじゃねえよ。
迷惑こうむるのはいつも当の企業のほうだ。
さあこれからというときに、ロシアから撤退せざるを得なかったユニクロを見よ。
そういえば西側同盟国であるはずのフランスでも、iPhoneが危険だって騒がれているらしいね。
危険の理由は別らしいけど、こういうことは私企業のアップルが自分で対処すればいい問題じゃないか。

そうかと思えばリビアの洪水、長引く戦乱で洪水への対応が遅れていたって他人ごとみたいだけど、なにしろ砂漠の国だ。
まさか洪水なんてというのは、先日のハワイの山火事といっしょ。
ケシカランのは目先の政治じゃなく地球温暖化で、それを放置してウクライナで戦争に熱中しているアメリカにはなにもいわんのかい。

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露朝会談の結果

昨日の昼間まではプーチンと正恩クンが軍事同盟を結ぶのではないかというニュースばかりだった。
夜になるとプーチンと正恩クンの会談が終わったようで、ニュース9にもぼちぼち結果が報じられるようになった。
NHKとしてはなにがなんでもロシアが、前世紀の遺物である極悪非道な金王朝と手を組んでほしい。
しかし残念ながらそうはならなかったようだ。

まず会談場所はロシアのボストーチヌイ宇宙基地。
キミも国民のためにまじめな政治をすれば、穴ぐらのなかでこそこそやらなくてもいい、こんな立派な宇宙基地を持つこともできるんだよと、正恩クンをさとす意味があったんじゃないか。
なんとかロシアに取り入りたい正恩クンは、ウクライナ侵攻を大いなる偉業であると持ち上げる。
北朝鮮ごときに持ち上げられたって、嬉しいかどうかは別問題だ。
まあ、せっかく来てくれたんだから、土産ぐらいは持たせないとな。
ミサイル技術や核兵器は、そんなものを伝授したら、この狂犬はなにをするかわからない。
宇宙開発がいい。
本人もなにかというと弾道ミサイルを人工衛星用だといいたがるけど、こんな国が宇宙開発に参加するにはあと50年はかかるだろう。
ソユーズの技術を伝授したって使い道はあるまいし、国際社会に対しては、ロシアは核不拡散条約も遵守していると主張できる。
うん、これで行こう。

ということで、軍事協力や、砲弾が不足しているからすこし分けてくれなんて話はまるでなし。
だいたいミサイルや大砲の弾が不足しているというのは西側(とNHK)がいってるだけで、昨日もロシア軍は盛大にぶっ放しているのだ。
北朝鮮が対等の立場でロシアに協力できる分野なんかあるはずがないので、すべてNHKの憶測、いや、こうあってほしいという願望なのである。

ウソだと思うか。
そういうときは正恩クンの顔を見ればよい。
彼はアメリカのトランプさんといっしょで、思っていることがすぐに顔に出る男だ。
以前トランプさんとベトナムで、米朝首脳会談を行なったことがあるけど、始まるまえは満面の笑みだったのに、気が変わったトランプさんと会談はとちゅうで決裂した。
さあ、正恩クンの不満そうな顔、ぶすっとして帰国したけど、あれで取り巻きが30人ぐらいいっぺんに粛清されたね、きっと。

そういう男だから、軍事の専門家まで同行させた今回の首脳会談はメンツまるつぶれで、帰国するとき、正恩クンがどんな顔をしていたかを見れば、おおかたの内容はわかるよ。
世間であれこれいわれているけと、プーチンは指導者としてはきわめてまともな人間なのだ。

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2023年9月13日 (水)

うはうは

ある人とネットでやりとりしたら、そのなかでロシア人気質のようなものに思い当たった。
そのやりとりのなかに知り合いだというロシア人が出てきて
「あまり認めたくないけどプーチン大統領が、ロシアを完全でないにしても、かなりの面で改善した」
「だから彼が経済と外交の面では、ある程度の実績を挙げたことは認めるべきでしょう」
と、奥歯にものがはさまったような言い方をしていたそうだ。

じつはわたしもこのブログに書いたことがあるんだけど、わたしにもロシア人の知り合いがいて、たまにいっしょに酒を呑むと、彼の言い分は、プーチンはクソだというものだった。
わたしはプーチンのファンを自称する男であるから、そんなことはないでしょう、彼はがんばってますよと口論になることが多かった。

彼は日本に住んでいたから、日本人のまえで北方四島を返さないプーチンを褒めるわけにいかなかったのかも知れないけど、どうもロシア人には自分の国のエライさんを、すなおに褒めない気質のようなものがあるんじゃないか。
ロマノフ王朝からスターリンのソ連にいたるまて、長い抑圧の歴史をかかえるロシアで、国民が指導者を褒めようという気にならないのはわかる。
しかし、それでもプーチンが本気で国民に憎まれているわけでないことは、その70から80パーセントという高い支持率を見ればわかる。
ロシア人だって馬鹿じゃない。
戦争になれば、おらが大統領をいじめるやつは誰だべさってことになることも疑いがない。

ひるがえって日本の宰相をながめると、支持率はいまどのくらいだろう。
支持率が低いときに総選挙をするわけにいかないけど、内閣改造はできる。
昼のニュースを観たら、岸田クンの嬉しそうな顔。
なにしろ自分の一存で、欲しい、欲しいと願っている議員たちに大臣の椅子を割り振ることができるのだ。
うはうはと、得意絶頂の彼の顔を見るとアホかとしか思わないワ。

プーチン詣でに行った正恩クンはどうなっただろう。
世間にはロシアと北朝鮮の立場が逆転したなんていう人もいるから、首尾よくロシアに大砲の弾を供与して、見返りにミサイルや核兵器の技術を教えてもらって、正恩クンがうはうはになるか、わたしも期待してながめているんだけどね。

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2023年9月12日 (火)

ロシアと北朝鮮

北朝鮮といえばだれでも知っている残虐な独裁国家だ。
国民の大半を飢餓に追いやり、正恩クンの後継問題をめぐっては、肉親でさえ機関銃で抹殺する国だ。
NHKはいまこんな国とロシアを結びつけようと必死だ。
まだなにも決まったわけじゃないのに、プーチンが正恩クンと会う、会談をすると針小棒大に騒ぎまくっている。

しかしいっとくけど、プーチンは正恩クンみたいなタイプの指導者が大っキライだ。
あるていどの独裁がなければやっていけない多民族国家を束ねて、それでも精一杯の民主主義も失わず、プーチンはロシア国民を豊かにするために、つな渡りの政治をしてきた。
そういうプーチンが、親父の地盤を継いだだけ、国と国民のために汗をかこうともしない独裁者を好きになるわけがないし、それでも彼がキライな正恩クンと会うのは理由がある。

ウクライナ戦争での西側の言い分が、ウチらは団結しているけど、ロシアは孤立しているというもの。
全世界的にみれば決してそんなことはないんだけど、こんな無理やり世界を二極化しようという試みに対して、プーチンは対抗勢力をまとめ、西側に目にものを見せてやる必要があった。
というのがロシアと北の接近の理由で、それ以上のことはないだろう。
世界(とNHK)が注目しているなかで、北に武器支援なんか要請すれば、世界(とNHK)が大喜びをするのがわかりきっている。
プーチンは隣国のベラルーシからさえ武器や兵士の現物支援は受けず、ロシアだけで戦争をすることにこだわっているのだ。

ロシアが北朝鮮にミサイルや核兵器の技術を提供するというのも杞憂だね。
プーチンは正恩クンの異常さをよく理解しているから、そんなやつに核兵器技術なんぞを教えたら、かえってロシアの周辺が混乱することを知っている。
4年まえの露朝首脳会談のときは、プーチンに刀をプレゼントするという正恩クンに、ロシアでは刀をもらうというのは不吉なことになっている。
だからこれはお金を払って買ったことにしようと、1枚のコインを渡すという冗談みたいなセレモニーをしただけだった。

だいたい金もないのにやたらにミサイルをぶっ放している北朝鮮に、他人を支援するほど余裕があんのか。
共同軍事作戦なんかやったら、たださえ少ない砲弾の無駄遣いじゃないかね。
北がロシアに支援するとしたらCG技術だな。
なにしろあそこはミサイル発射や潜水艦など、捏造映像を作ることだけは上手い。

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中国の旅/華僑飯店

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上海駅でわたしたちを迎えてくれたのは、ガイドの馬訳進さんと乞食の子供たちであった。
“乞食”というのは差別用語かもしれないけど、ほかに簡潔な言いかたを知らないので、ここではそのまま無視してしまう。
馬さんはわたしたちを友誼商店に案内した。
この店が、このツアーで最後の土産を買える場所になるということだったけど、あきらかに外国人観光客から最後の1円までふんだくるための店だったから、わたしは馬さんに感謝しない。
そんなことよりさっさとホテルへ案内してくれて、夜遊びでもする時間をつくってもらったほうがどれだけよかったか知れやしない。

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友誼商店に行くまえに、ごみごみした上海市内を走る。
わたしはバスのなかから、今夜夜遊びにいく場合、タクシーの運転手に指示する必要があると考え、おもしろそうな場所を発見するたびに、その付近で目印になりそうな建物を記憶しておくことにした。
たとえばなんとかいう電影院(映画館)のあたりはだいぶにぎやかである。

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そのうち窓外に外白渡橋がちらりと見えた。
“外白渡橋(Garden Bridge)”というのはその名のとおり、外国の白人専用の橋という意味で、この橋のたもとの公園に、戦前は「犬と中国人は入るべからず」という看板が立っていたそうである。
中国人にとっては屈辱と不名誉を記念する歴史的名所で、看板は撤去されたけど橋はいまでも残っていることは知っていた。
「ふたりの人魚」という映画で、ヒロインが飛び込んだのがここだ。

橋の名称についてウィキペディアにはべつの由来が書いてある。
しかしこの記述は欧米人にとって都合のいい偏見が感じられるので、わたしが初めて見たころには上記のような言い伝えがあったとか、わたしの空想の産物だと思われてもかまわない。

わたしと愛ちゃんは友誼商店を飛び出して、ふきんを歩いてみることにした。
ちょっと歩くだけでまた露店のならぶ通りがあった。
だいたいこれまで見てきたような店ばかりだったけど、ひとつだけガラクタを扱う古物商があって、おやじがひとり、地面にゴザをしいて品物を並べていた。
わたしはもちろんこの店の前でぴたりと足をとめた。
店のおやじが、斧の形をした中国の古銭を示して、どうだ、買わないかという。
いくらかと訊いたら100元だという。
これはそうとうに吹っかけてあるなと思ったから、わたしはおおげさに、トンデモナーイという顔をしてやった。
しかるのち別の古銭を手にとって、いくらと訊いてみた。
今度はおやじも慎重になったとみえて、25元だという。
20元にまけろとわたしはいう。
すんなりまかったところをみると、これでもそうとうに吹っかけてあったのだろう。
しかし何度もいっているように、この料金のなかには、現地の人とやりとりをする楽しみも入っているのだから、あまりしみったれるのは賢明じゃない。

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わたしの中国での土産は、この斧の形をした古銭と、中国側から記念にいただいた切り絵と急須ということになった。
自分で金を出して買ったものがひとつしかないのが壮観といえば壮観である。

上海市内には戦前に列強の共同租界だった一画があり、そこには昔の丸の内を思わせる石造りのビルが建ち並んでいる(冒頭の写真)。
この通りは租界時代に外灘(わいたん)=BUNDと呼ばれ、黄浦江にそった中山通りにある。
変化の激しい上海のなかでは、景観保存地区に指定されていて、その古色蒼然とした景色は戦前とほとんど変わっていない。
建物のなかにはジャズの演奏で有名な和平飯店もあり、現在では河の対岸に、特徴的な東方明珠のテレビ塔がそびえているから、まず上海第1等の観光名所といっていいだろう。
わたしは雑誌のグラビアなどで見て、ぜひそれをじかに眺めてみたいと思っていた。
このツアーの最初の日は、空港からレストランに寄り、そのまま駅へ直行したので、この第一等の名所を見る機会がなかったのだ。

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友誼商店のあと、とうとう写真で見たとおりの古いビル街が前方にあらわれた。
しかし時間がないのでバスのなかから見るだけにしますと、馬さんは非情なことをいう。
わたしはバスのなかで地団駄を踏んだ、バタバタと。

彼が語るところによると、戦前に上海の租界に住んでいて、いまでもこの地を訪ねてくる日本人がけっこういるという。
そういわれると、なんとなく東京行進曲のころの、東京丸の内を思わせる景色である。
わたしのように戦前の上海を知らない人間でさえ、どことなく郷愁を感じる街並みなのだから、ここで一時期を過ごした人にはたまらないだろう。
わたしにはニンジンを目の前にぶら下げられた馬の気持ちがよくわかった。

わたしたちは「華僑飯店」というホテルで夕食をとることになった。
このホテルも戦前からある古いホテルのひとつで、人民公園のわきにあってよく目立つから、その後上海に行くたびになつかしい気持ちでながめたものだ。
現在はどうなっているのかと例によって調べてみると、ネットでホテルの名前を検索した場合、そのまま予約サイトにひっぱられる場合が多いのに、華僑飯店という名前ではヒットしなかった。
名前が変わったのか、宿泊所としての営業はやめたのか、だいたいいまでも同じ場所にあるのかどうか、ストリートビューがあれば確認できるのに、中国ではそれは使えないのである。

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ただ、人民公園のわきにあったことと、ホテルの全体像はおぼえているから、ネット上の写真をあさってみて、いくつかそれらしき写真を見つけた。
人民公園は租界時代に競馬場だったそうだから、これに間違いないだろう。

上海にはレトロなホテルだけでページが割けるくらい、その数は多い。
YeuTubeが盛んな昨今だから、だれか上海のレトロホテルめぐりでもすればいいのに。
新しい近代的なホテルはいくらでもあるけど、そんなものはどこで泊まってもいっしょだし、タイムスリップして戦前の上海に泊まれることに価値があるのだ。
わたしのブログでは、情報としては古いものの、そのうちのいくつかをおいおい紹介していくつもりである、乞う、ご期待。

華僑飯店はやはりそうとうに古くて格式のあるホテルで、回転ドアを押して建物のなかへ足を踏み入れると、わたしのような下々の者でも帝国ホテルの客になったような気分だった。
エレベーターの扉などは金張りでまばゆく輝いていた。

レストランに入ると、やあっと元気な声がかかって、無錫で別れた画家の小川荒野さんが手をふっていた。
レストラン内はごったがえしていて、団体なのか、個人なのか、さまざまな人種が食事をしており、欧米人の顔もたくさん見られた。
わたしと愛ちゃんは小川さんの隣りに座って、お互いの報告をし合った。
小川さんは友人とともにツアーを抜け出して、上海のホテルに滞在したまま、あっちこっち出歩いて絵を描きまくっていたのだという。
その成果であるいくつかのイメージスケッチを見せてくれたけど、そのなかに、ジャズバンドが演奏している絵があった。
上海バンスキングを知っていますかと小川さんは訊く。
もちろん知ってますとわたしは答える。
銀座の博品館ホールでこのミュージカルが上演されているとき、わたしはぜひ見にいきたいと思ったものである。
小川さんが泊まっていたホテルには、夜ごとにジャズを演奏するクラブがあって、まさに上海バンスキングの世界だったという。
ということは彼は外灘にある和平飯店に泊まっていたのだろう。
うらやましい話だ。

どうです、ホテルに着いたらジャズを聴きにいきませんかと小川さんはいう。
それはいいと、わたしと愛ちゃん、そしていあわせた人々がみな賛成した。
問題はなかなか食事が終わらず、いつになってもホテルに着かないということなんだけど。

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華僑飯店のレストランの壁にはずらりと書や水墨画が展示してあった。
これももちろん売り物である。
わたしたちが食事をしているあいだにも、いくつかの絵が商談成立して運び去られた。
売れるものならなんでも売るのが中国人だ。
わたしはべつの機会に中国の街で、博物館みたいなところへ入って貴重な骨董品を眺めていたら、もしよければお売りしますよとささやかれたことがある。

食事のあと、もう暗くなりかけていたけど、出発までまだ時間があるというので、わたしはまたホテルの近所をぶらつくことにした。
ひとりで雑踏のなかを歩き出すと、すぐに小さな子供がまとわりついてきて、いくらか恵んでくれという。
手にクシャクシャの紙幣をにぎっているくせに欲張りなやつだ。
ダメだよ、ダメだよと断りながら歩き続けると、しまいにこっちの足をひっぱたいて逃げていった。
大きな音がしたので、そばを歩いていた中国人女性がびっくりしてわたしを振り返ったくらいだ。

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華僑飯店のまん前に「人民公園」があり、その外壁にショーウインドーがあって、なにかの写真がずらりと掲示されていた。
灯りで照明されていてよく目立つので、デパートの商品でも展示されているのかなと近づいてみたら、これはすべて役所や工場で表彰された優良従業員の写真らしかった。
中国の人たちでさえこんなものを立ち止まって眺める者はいない。
公園のなかではアベックが抱擁しており、近くにはマクドナルドもある。
想像していた中国とは違うなあと思う。

わたしが一巡して華僑飯店の近くまでもどってくると、小さな豪傑がまた性懲りもなくまとわりついてきた。
今度はわたしも閉口して、ちょうど蘇州のみやげ物屋で、店の若奥さんにもらった一銭硬貨があったから、それを与えてやった。
子供は礼もいわずにすぐ立ち去った。
あとで知ったけど、こういうときはとにかく、1銭でも2銭でもいいから恵んでやることだという。
それだけでも彼らはたちどころにいなくなる。

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2023年9月11日 (月)

先週のまとめ

G20はどうなったんだい。
いちおう首脳宣言採択ってことになってるから、素人には判断がむずかしいけど、ウクライナが不満をいっていたということは、結果はウクライナの応援をするアメリカにもよくないものだったんじゃないかね。
いや、そんなことはない。
プーチンも習近平さんも出てこなかった。
あれは自分たちが不利だから出てこないのに決まっているという人がいるかな。
おかげでインドは面目まるつぶれという人もいるかな。
いたってかまわないんだけどね。

わたしは少数派であることは承知のうえで、中露の両首脳が欠席したおかげで、G20はG7とおなじ仲良しクラブの集まりに下落したと思ってんだけど。
2人がいないあいだに、インドをグローバルサウスから引っこ抜いちゃえというバイデンさんの見苦しいこと。
モディさんはなんとも思ってないのに、ワタシら盟友だもんねと、揉み手をしながら愛想よくすり寄ったりして。
異論のある人はいるかな。
いてもいっこうにかまわないけどね。

今日は月曜日。
今朝のニュースは先週のまとめみたいになるはずだけど、録画してみたらG20の報道はぜんぜんなかった。
ニュースの中身を観なくても、扱いの多寡で日本(とNHK)に都合のいいニュースかどうかがわかってしまうから、よっぽど取り上げたくなかったんだろうなあ。
バイデンさんがインドの帰りにベトナムに寄って、中国が台湾に軍事侵攻する予兆はないと、台湾有事に期待する日本を裏切るような発言。
また支離滅裂だけど、認知症は大丈夫なのかしら。

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2023年9月10日 (日)

ある義勇兵

昨日のネットニュースを観たら、ロシア軍に義勇兵として参加した日本人のことが出ていた。
いまの世界はアメリカの一方的なプロパガンダに踊らされている、ロシアにはロシアの正義があるはずだというのが、彼の言い分。
エライねえ。
まさか彼がわたしのブログを読んだわけじゃないだろうけど、こんなことをいうのはわたしがロシアの味方だからではなく、日本には多種多様な意見があって、かならずしも世間の大勢に流される若者ばかりじゃないということを、彼が証明したからだ。
たとえば鈴木宗男さんがなにかいうと、みんなでよってたかった口撃しようというボンクラたちは、彼の爪のアカでも煎じて飲むべきだな。

彼の功績はそれだけじゃない。
戦争が終わったあとのずっと未来に、ロシアの自然や芸術にあこがれた日本人の若者が、ロシアをひとりで旅したとする。
彼はある街で、ウクライナ戦争にも従軍したというもとロシア兵に出会った。
世界中から悪者にされて、いいかげんひがんでいるロシア兵にとって、日本からの義勇兵参加は、日本という国を見直すいい契機になったことだろう。
ああ、日本人か、知ってるよ、いいやつだったよ。
という話にでもなれば、彼は未来の日本人のためにも役立つことをしたことになる。

昨夜のNHKニュース9は、なんかお笑いドラマと間違えてんじゃないか。
御用解説者の兵頭サンや、なぜかタレントのパックンが出てきて、ウクライナ軍がロシアの防衛線を突破したとカタル(この語るは“騙る”のほうを使ってほしい)。
どうやって突破したのかと興味を持ったら、まとまって攻撃すると標的にされるから小さなグループに分かれたとか、砲弾を雨あられと浴びせてそのスキにとか、いくらなんでもそんなにうまく行くかと疑問符つきの方法ばかり。
しかも地図まで持ち出して説明する戦況をながめると、まだウクライナ軍はいちばん外側のロボティネという小さな集落を取ったという程度。
目標のトクマクまではまだ二重三重の防衛線が待っているんだそうだ。
突破した根拠はウクライナ軍の兵士の証言らしいけど、この兵士というのがマジシャンみたいな髭を生やしたやさ男で、軍服も新品みたいで、ぜんぜん兵隊らしくない。
報道番組までエンターティンメントにすんなよ、おい。

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2023年9月 9日 (土)

中国の旅/上海のこと

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さて上海だ。
わたしがこの旅でいちばん見たかったところである。
無錫や蘇州も素敵だったけど、その魅力は現地でじっさいに見て発見したものだった。
上海はそうではない。
わたしはさまざまな媒体から、近世の上海の歴史を知らされており、ずうっと以前からこの街を見たい見たいと念願していたのだ。

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米国映画の主題歌に「上海リル」という曲がある。
これは、似たようなタイトルと雰囲気の日本の歌謡曲もあるけど、もともとは「フットライト・パレード」というJ・キャグニー主演のミュージカルがオリジナルだ。
問題はこういう映画でも、ほとんどの場合上海が、アヘンの煙がただよい、金髪の娼婦が妖しく微笑み、小人や奇形児のグロテスクな見せ物という、オリエンタル・ムードいっぱいの悪徳の都として描かれていたことだ。
なんで悪徳の都なのかというと、ウィキペディアの記述にも
『1920年代から1930年代にかけて、上海は中国最大の都市として発展し、「魔都」あるいは「東洋のパリ」とも呼ばれ、ナイトクラブ・ショービジネスが繁栄した』
とある。
悪徳というのはどうも昔から人間をひきつけるものらしく、いまのアメリカが無知な輩から人気があるのもそのせいかも知れない。

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上海の近代史はこの町が1842年に、アヘン戦争の結果、欧米列強の租界として割譲されたときから始まる。
租界というのは一種の治外法権地域で、中国人の犯罪者でもここに逃げこめば中国の法律は及ばず、そうかといって居住する外国人にも、本国の法律が適用されにくいという、宙ぶらりんの状態にあったところだ。
中国の法が及ばないということで、清朝政府の圧政に苦しんだ民衆がなだれのように流入した(ついでに日本からも少なからぬ人たちが流れ込んだ)。
せまい範囲に思いきり人間が詰めこまれ、犯罪や快楽、弱肉強食の搾取など、ありとあらゆる悪徳が横行していたわけだ。
こういう傾向は香港やマカオ、青島のような租界・租借地・植民地でも共通していて、当時の清朝政府がいかに中国の民衆にとって過酷であったかがわかる。

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租界のなかの治安は欧米列強がつくった租界警察が受け持っていたけど、中国の犯罪者でも警察にワイロを渡し、ゴマをすり、外国人に手を出さないかぎりお咎めなしだったから、青幇、紅幇といった中国版マフィアの根城にもなった。
上海に流入した人々の大半は、けっきょく他人に食い物にされるだけだった。
にもかかわらず、人間というものは未知の世界の自由にあこがれるものなのか。
ほんのひとにぎりの金持ちに搾取されるだけがせいぜいの人たちが、それでもアメリカにあこがれる。
わたしにとって永遠の謎である。

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この街の写真をながめると、大きな川に面していることがわかる。
わたしはこれを最初は揚子江(長江)かと思ったけど、じつは長江の支流である黄浦江という川であることがわかった。
黄浦江の河岸はBUNDと呼ばれて、租界時代にこの河岸に西洋式の摩天楼が建ち並び、アジアらしからぬ異様な景観を生み出した。
上海は戦前から東京にもおとらない大都会だったのである。

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ロマンとスリルにあふれた、ミステリー小説の舞台にふさわしい大都市が、日本のすぐ近くにあったわけで、第2次世界大戦のまえには、各国の間諜が暗躍するミステリー映画や小説の舞台にもなった。
古い映画では前述した「フットライトパレード」や、M・デイートリッヒの「上海特急」があり、もうちっと最近では「砲艦サンパブロ」にもちょっと上海が出てきたけど、こういうのはアメリカでセットを組んで撮影したかも知れないから、あまり信用できない。
本物の上海が見たかったら、このブログにも取り上げた「ふたりの人魚」が、わたしがまだ熱心に中国に通っていたころの上海を、荒々しく捉えていて印象に残る。

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日本からいちばん近い外国といわれた戦前の上海には(韓国は日本領だった)、谷崎潤一郎や芥川龍之介、横光利一、金子光晴などの日本の文人たちも多く足跡を残している。
こうした評判は日本のエンターテイメント業界にも伝わり、岡晴夫(知らねえだろうなあ)の「上海の花売り娘」や、ディック・ミネ(知らねえだろうなあ)の「夜霧のブルース」、さらに「上海の街角で」や「上海夜曲」などの歌謡曲があって、みんな歌詞に上海が出てくるし、銀座の博品館では「上海バンスキング」がヒットしていたこともある。

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この魔都といわれた街で生きた無頼漢は大勢いる。
中国の政治家である孫文や蒋介石も、その人生を裏側から眺めれば、けっしてきれいごとばかりではない無頼の要素があり、宋家の三姉妹にまつわる本などを読むと、彼らもギャングの一員ではなかったのかとさえ思えてしまう。
蒋介石さえ操ったとされる本物のギャングの杜月笙や、日本の軍属で阿片王といわれた里見甫(はじめ)もいて、まともな国や健全な街なんぞに興味のない、無頼を自認するわたしが興味を持たないわけがなかったのである。

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その一方で誠実に市井に生きた人々もいた。
上海で日本書店を開業して魯迅らとも親交のあった内山完造、戦前の中国を取材した米国の女性ジャーナリスト、アグネス・スメドレー、まだジャーナリズムが公平であったころ、上海で同盟通信社にいた松本重治などなど。
彼らの人生を思うたび、わたしは計り知れないロマンを感じてしまうのだ。

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租界から始まって、歴史に翻弄された都市が、いまでは押しも押されもしないアジアでも有数の近代都市になった。
わたしの期待が大きかったのも無理はない。
わたしはとうとう上海にやってきた。
そして結果は、絶望的に期待を裏切られる惨憺たるものでありました。
あらら。

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多すぎる会議

なんかG20て、こないだヒロシマでやってなかったっけと考えてみたけど、あれはG7だったよな。
それじゃ前回はいつだったんだと調べてみたら、2022年の11月にバリ島でやつだのがそうらしい。
インドネシアというと、昨日もジョコ大統領かなんか話していたでしょ。
あれはなんだったいと思ったら、東アジア・サミットだったよ。
そのまえには南アフリカでBRICSの会議もあったし、ややこしいね、会議が多すぎて。

今回のG20はプーチンと習近平さんがそろって欠席だそうだ。
2人が揃って欠席ということは、なにか約束ごとがありそう。
もうなにをいっても話にならんというので、欠席することで会議の重みを失わせてしまおうというんじゃないか。
主催のインドの顔をつぶすかも知れないけど、ほんとうに顔をつぶすなら、あらかじめインドにちゃんと説明をしているだろう。
だいたいウクライナを支援して思い切り戦争を長引かせている西側が、いまの地球は温暖化だとか食糧危機を抱えていると力説したって通用しないよね。
インドも西側先進国と中ロが同時に顔を合わせたって、どうせなにも決まらんと考えているから、あまりこだわらないに決まっている。

ニュースを観たら、関東地方も台風の被害が多かったようだけど、わたしはぜんぜん関係なし。
雨に降り込められて、部屋にひきこもりだったもんで。

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2023年9月 8日 (金)

セコい

日本はどんどんセコい国になる。
なんで東アジア・サミットにアメリカが出てくるんだと思ったけど、おそらく岸田クンが勝手なことを決めないように見張ってようというんだろう。
アメリカもセコいけど、そんなアメリカの顔をうかがわなければなにもできない日本の首相も情けない。

このサミットでは岸田クンも張り切って、「協調の国際社会を実現することが重要」なんていっていたけど、アジア各国だってウクライナ戦争以降の日本の立場を知らないわけがない。
かっての韓国がいつも日本をけなすことばかりいって、ああ、またいってるよとあきれられていたのと同じだ。
国際協調もいいけど、東アジア・サミットはもうすこし狭い範囲の問題を協議するところで、論点が違うんだよな。
時代はどんどん進んでいるんだ、いつまでアメリカにしがみついているつもりだい。

岸田クンは中国に向かって、福島の海産物をけなすのはやめて欲しいという。
わかりましたと中国がおとなの対応をすると、経済的に苦境にあるからそうするんでしょうねと、日本の公共放送は勝手な解釈をする。
ロシアは経済的に苦境にあると、これまでさんざんデタラメを並べてきたところじゃないか。
とにかくやることなすこと、中国をおとしめればいいというスタンスだから、日本政府とNHKの言い分が食い違ってしまうこともある。
こういうことは劣勢にあるほうが負け惜しみでいうことが多いのだ。
セコいよ、セコい。
なんで日本はかっての韓国のような国になってしまったのだろう。

アメリカは自国のことはさておいて、またウクライナに支援するそうだ。
そんな金があったらと思ったけど、考えてみたら、支援した金で米国製の兵器を買わせれば、出した金はすぐにまたもどってくるわけだ。
足りなければ日本や西側各国が支援した金もあるだろう。
そうしてもどってきた金を、バイデンさんや兵器産業で山分けすれば、巧妙なマネー・ロンダリングというしかないね。

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中国の旅/虎丘

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司馬遷の「史記」の列伝シリーズの中に、伍子胥(ごししょ)の物語がある。
ごれは紀元前の、まだ中国が春秋時代とよばれ、無数の小国が覇権を求めて争っていたころに生きた男の一代記だ。
人間の執念の恐ろしさを描いて、いろいろ考えさせる物語だけど、“臥薪嘗胆”とか“会稽の恥をそそぐ”などという言葉の由来が出てきて、なかなかおもしろい一編でもある。

伍子胥は楚の国の人で、若いころ父親と兄を楚王に殺された。
彼は復讐を誓い、といっても楚王を殺すにはまだパワーも先立つものもなかったから、彼は乞食までして各地を放浪し、ようやく呉の国で大臣に取り立てられる。
呉の国王にせっせと楚を討つよう進言して、ついに目的を達するんだけど、しだいに驕慢になる呉王と仲違いをし、呉王から剣を与えられて死ぬよう命ぜられる。
死のまぎわに伍子胥は、自分が死んだら墓には梓の木を植えろ、呉王の棺桶の材にするためだ。
自分の目をくり抜いて城門にかけろ、越が攻めてきて呉王が死ぬのを見届けてやるのだと言い残す。
この城門というのが、かっては城壁にかこまれていた蘇州城の門のひとつだという。

1992年の最初の団体旅行ではいちども城壁を見なかったけど、わたしはあとで蘇州を再訪門し、城門もゆっくり見学することになるから、門についてはそのときに報告しよう。

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寒山寺のつぎはこれも有名な虎丘に行く。
もともとは前述した伍子胥列伝に出てくる呉王闔閭(こうりょ)の墓だったそうで、そのころはこのへんにも虎がいたらしい。
まだワシントン条約もなかったころで、虎はさっさと絶滅した。
蘇州を代表する名所の「虎丘の斜塔」はここにあるんだけど、どうして塔が傾いたのか、詳しいことは知らない。
ピサの斜塔なら、もともと地盤がゆるかったのに、当時の人がそのまま建ててしまったということをなにかで読んだことがある。
むかしの中国の塔というと、高さを稼ぐためにはただひたすらレンガを積み上げるしかなかったから、自分の重みで傾いちゃったんだろうねえ。

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バスはせまいアーチ型の門をくぐって虎丘に肉薄した。
バスが通れるような門ではないのにと、見ていて心配になってしまう。
駐車場でバスを下りて徒歩で門に入ると、ぐるりを巡っているらしい堀があった。
石垣もなにもない、土を掘って水をためただけの堀で、けっしてきれいではないけど、足こぎ式のボートなどが浮いていた。

暑さでうだりながら、大勢の観光客にまぎれつつ、石段を登っていくと「試し切りの岩」というものがあった。
大きな石のまん中にすっぱりと割れ目が入っている。
こういうものも日本の各地に伝説があって、ほんとうに刀で石を切断したわけではなく、たまたま割れ目の入っていた石を見つけて、あとから試し切りなどとこじつけた場合が多い。
どうも、こういうものを見てもぜんぜん感心しないのがわたしの欠点である。

前から来る女性が、なんとなく日本人のように見えるなと思ったら、案の定、彼女は日本語を使っていた。
石段を往来している人々のなかには、わたしたち以外の日本人観光客もたくさんいたようだ。

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そして岩が積み重なった起伏の多い広場に出た。
ここから斜塔の記念写真を撮るのにいいポジションだったので、わたしたちがてんでに記念写真を撮っていると、ガイドの蒋クンが、どうでしょう、これ以上斜塔の近くまで行っても、斜塔に登れるわけではないし、特別に見るものがあるわけでもありません。
暑いばかりですから、ここから引き返したらどうでしょうかと。
わたしたち全員が一も二もなく賛成した。
それにしても暑かった。
わたしはこの後、中国よりもっと南にあるタイや、インドネシアのカリマンタン島などにも行ったことがあるけど、暑さというのは緯度には関係ないらしい。

虎丘を早々にきりあげて、わたしたちはバスにもどった。
なんかもの足りないけど、これで蘇州見物は終わりである。
わたしたちはバスでレストランに運ばれ、昼食をとることになった。
レストランまでは街なかを走る。

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蘇州の街なかでもいたるところでスイカを売っていた。
この暑さじゃ、売れないぶんはすぐイタんでしまわないかしらと、愛ちゃんが心配する。
たしかに道ばたでスイカを食べている人もよく見かけたけど、それより売られているスイカのほうがずっと多かった。
中国の人たちは経済法則なんてハナっから無視して、売れようが売れまいがとにかくスイカを作り、売れようが売れまいがとにかく路上に並べ、クモが巣をはって獲物を待つように、気ながに買手を待つらしい。
不思議に思ったのは、トラック1台ぶんぐらいのスイカをどうやって現場まで運んできたのかということ。
日が暮れるたびにどこかへ商品を片づけているようには見えないから、売り手はスイカのわきで寝泊まりしているのだろうか。

わたしはくやしかった。
スイカはともかくとして、バスの窓外にはじっさいにそこを歩いてみたい景色が山ほどあるのである。
無錫では湖のほとりののどかな農村風景がわたしを魅了したけど、蘇州にはそれと異なるゴミ箱をひっくり返したような乱雑さがあって、好奇心に富んだわたしにはやはり魅力的だったのだ。
しかし団体旅行の悲しさ、わたしはこの旅のほとんどで、バスのなかからそれを見てるしかなかった。
バスのなかでなんど地団駄を踏んだことか。

レストランは街はずれにあった。
ここでは欧米人のグループといっしょになったけど、これは太湖遊覧のおりにいっしょだった人たちで、例のブルック・シールズに似た美少女もいて、みんな箸を使って料理を美味しそうに食べていた。
まだネットで日本食の美味しさが外国に広まるよりはるかむかしのことである。

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食事を始めてすぐにやかましい音楽が鳴りはじめたので、センスのないことをするなと眉をひそめていたら、これはじつは3人の楽師が民族楽器をかなでていたのであった。
写真を撮るために彼らに近づいてみると、楽器は琵琶と、ちょっと大きめの琴のようなもの、そして二胡とよばれるちっぽけな弦楽器だった。
二胡が外見から想像するよりずうっと大きな音が出るのにおどろいた。
演奏されていたのは千昌夫の「北国の春」などで、サービスのつもりかも知れないけど、もうちょっと別の音楽であってもよかったのにと思う。

ここではかなり長い時間がとれたので、食事を終えて外へ写真を撮りにいく余裕はじゅうぶんあったのに、あいにくレストランは街はずれで、まわりには殺風景な郊外の景色しかないのである。
わたしたちはエアコンの効いたレストランに隔離されたようなもので、レストラン内には土産もの屋もあったから、そこで時間をつぶすしかなかった。
わたしはここで缶ジュースを買ってみた。
缶ジュースは4元=百円くらいだから日本とあまり変わらず、彼らもよく研究しているなと思う。
日本の百円玉しかないけどいいかと訊いたらOKだという。
じつに巧妙に、ありったけの外貨をからめとられてしまう。

同行のSさんが額に入った絵を値切り始めた。
中国の絵といっても水墨画ばかりではなく、カラフルでモダーンな絵も多いことはすでに書いた。
店のほうでは画家のプロフィールを紹介したグラフ誌などを見せて、日本でも有名な画家の絵だということを説明する。
そういわれても中国の画家についてなんの知識もないわたしは、自分の好みだけを価値基準にするしかない。
それで購入するには、ちょっと勇気のいる値段の絵ばかりである。
それでもSさんは適当なところで折り合いをつけて、とうとう1枚の絵を購入してしまった。
エラい人である。

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別の売場では大きな壺をめぐってやりとりが続いていた。
いくらまけてくれたって、高さ1メートルもある壺を持って帰るモノ好きはいないだろうと思ったら、店のほうで梱包して、責任を持って日本まで送ってくれるのだそうだ。
こんな巨大な壺が実用に適していると思えず、わたしには欲しいという気持ちが理解できないけど、最初からこういうものを仕入れるつもりで旅行に加わった、ビジネス目的の人もいたらしい。
しかしこのとき以降も何度も中国を旅したわたしは、そのうち絵にしても骨董品にしても、いろいろ注意しなければいけない点があるのに気がつくことになる。
今回はまだ海外旅行の初心者だったので、その話はおいおいすることにしよう。

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ようやく時間がきて、わたしたちは蘇州駅に向かった。
わたしは蒋クンにいくつか質問をした。
なにしろわたしと愛ちゃんは、たいていの場合いちばん前の席に座っていたので、質問するには便利だったのだ。
中国ではアパートはかんたんに見つかるのですかと訊くと、蒋クンは、社会主義の国ですから、労働者のアパートはすべて国が・・・・と答えて、さらにあとを続けようとした。
このとき隣りに座っていたもう1人のガイドの王さんが、わたしたちにはわからない中国語でなにかいった。
蒋クンはすぐに黙ってしまった。
わたしが王さんのことを、公安関係の人間ではないかと疑ったのはこの些細なことがらによる。
蒋クンが社会主義はどうのこうのと言い出したので、余計なことはいうなと注意したんじゃないだろうか。

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2023年9月 7日 (木)

悪魔の握手?

北朝鮮がロシアにすり寄って、この両者が手を組むのではないかと巷がかまびすしい。
なんとかして極悪独裁者の正恩クンとプーチンを結びつけようという魂胆らしいけど、いまのロシアに兵器でも兵士でも足りないものがあるかしら。
少なくとも現在のウクライナより足りないものが。

ベラルーシのルカシェンコでさえ(本心では)嫌っているプーチンのことだ。
自分は苦労して民主的にロシアをまっとうなグローバル国家にし、国民をアメリカや日本並みに幸せにした。
プーチンにはそういう自負があるはずだ。
それがなんで国民を食い物にする北朝鮮に支援を仰がなけりゃならんのさ。
これは例によって西側の、こうなってほしいという願望にすぎないと思います、わたしは。

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信用できないもの

信用できないもの。
NHKを筆頭とする日本のマスコミのすべて(予想外に信用できないのが朝日新聞と毎日新聞)、BBC、CNN、AFP、ニューヨークタイムズ(とくに日本版)などの西側のマスコミのすべて、ISW(米国の戦争研究所)、NIDS(日本の防衛研究所)など日米英のシンクタンクのすべて、Aさん、Bさん、Cさん(ぜんぶNHKの御用解説者)など、もっぱら西側のSNSに出てくる団体や人間のすべて、ココログのアクセスカウンター。
ソースが上記のものとされる報道はハナっから信用しないこと。

信用できるもの。
うーんと・・・・わたしのブログとでもいっとくか。
なんとなく憂さ晴らし記事みたいだけど、SNSに嬉しがって投稿している人なんてみんなこんなものでしょ。

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2023年9月 6日 (水)

中国の旅/寒山寺

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これまで無錫や南京で泊まってきたホテルはいずれも高層ビルで眺めはよかったけど、蘇州の南林飯店のわたしたちの部屋は4階で、窓のすぐ外がひさしになっており、そこに安っぽい電飾灯がならべてあって、朝になってもたいした景色が見えるわけではなかった。
めずらしいことにこのホテルは新館なんか出来ておらず、いまでも30年まえの場所にそのままあるらしい。

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蘇州もかっては城壁にかこまれた都市だった。
地図をながめると、堀にかこまれた四角い部分があって、これがもとの城壁のあったところらしい。
城壁にはいくつかの門があり、司馬遼太郎の「街道をゆく」にも「盤門」という門の詳しい描写がある。
ただ、城壁そのものはおおかた破壊されてしまったようで、わたしはこのときの旅ではいちども城壁を見ていない。

朝食をすませて、なんとかいう庭園(拙政園だったかも知れない)を見物に行く。
暑い日ばかりでみなグロッキーぎみなんだけど、この日も天気予報が暑くなるといっていますとガイドの蒋クンはいう。
庭園には中国人の観光バスもたくさんやってきていて、そっちは窓を明けっぱなしで、乗客がみなうらやましそうにこちらを見ていた。

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見ただけで熱中症になりそうな日あたりのいい駐車場から、バスをおりてぞろぞろと運河にかかる橋を渡る。
この橋の上から眺める両岸の建物の風情は、水に古ぼけた白壁が影をおとすというやつで、素晴らしく絵画的である(水は汚い)。
本場のベニスだって、近くで見ると汚いに決まっている。
蒋クンが、むかしはもっときれいだったのですという。
そうかも知れないけど、いまの中国にきれいな川なんてあるのだろうかと思ってしまう。
どうもいちゃもん居士のわたしも困ったものだけど、わたしは有名人や有名観光地だからといって、お世辞を並べるのがキライなのだ。
ぼうっと見とれるわたしの足下を、モーターボートが爆音をあげてくぐり抜けていった。

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歩道のあちこちに汚らしい布団のワタ(布団ではなく、中身のワタだけ)が干してあった。
愛ちゃんが聞いた話では、このへんの人はワタにじかにくるまって寝るんだそうで、ひどい話ねえと愛ちゃんはいう。

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拙政園の門はこの橋から2、30メートル行った先にあった。
門までのわずかな距離に、みやげ物屋がずらりと並んで、売り子たちが口々にわたしたちを呼びこもうとする。
見物に来ているのは日本人だけではないので、わたしたちは大勢の観光客にまじって園内に入った。
園内にも掘や池が多いけど、明治神宮や新宿御苑ほど大きいわけではなく、ようするにかっては個人の大金持ちの邸宅にすぎなかったそうだから、コースにしたがってぐるぐる見てまわれば、30分ほどで入口にもどってしまう。
堀に浮かんだ舟の上で、ゴミでもすくっていたのだろうか、女の人が長い柄のついた網でなにかをすくっていた。
池にはハスが茂っており、いくつかきれいなピンク色の花が咲いていた。

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園内の建物の趣味の悪さについては、これも「街道をゆく・江南の道」に、その理由がふれられている。
つまりこれらの庭園は、かっては1代成金といわれた地方行政官の邸宅である場合が多く、行政官というのはいったんその地位にのぼりつめると、給料以外の実入りで、孫の代まで食っていけるほど贅沢ができたそうである。
だから彼らのすべてが精神的修養をつんだ人というわけではなく、出世のための勉学をつめこんだだけという人が多かった。
こういう人の趣味を反映したものであれば、どうじゃ、オレもとうとう出世したぞと見栄をはりまくり、過剰装飾をほどこした悪趣味な屋敷になるのもむべなるかなということらしい。

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園内のあちこちに、えたいの知れない彫りもののような、白っぽい庭石が置かれていた。
これが太湖の底から産出する太湖石らしい。
日本の枯山水の庭石に影響を与えたというけど、建物と同じように悪趣味だ。

わたしたちはバスにもどった。
涼しくてひと息つける場所はバスのなかだけである。
つぎの目的地は有名な寒山寺だ。
いくら有名でも、宗教ギライのわたしにはあまり関心のないところなんだけどね。

目的地よりも、わたしにはそこに至るバスの外の景色のほうがずっとおもしろかった。
蘇州の街並みはもうとにかくゴミゴミしていて、車窓にはけっして気どったところのない、中国の人たちの普段の生活をふんだんに見ることができた。
絞めたニワトリを束にして自転車で運んでいる人や、羽根をむしったニワトリを目の前で調理して食わせる露店など、ちょっと日本ではお目にかかれない光景もあちこちで見た。

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寒山寺の近くの駐車場から、暑いなかをまたぞろぞろと歩く。
寺の門のすぐ前に運河があり、アーチ橋がかかっていた。
橋のたもとに車両に交互通行をさせるための信号機があったけど、短い橋であるし、あまりきちょうめんに守られているとは思えない。
橋の向こうにレストランふうの建物があった。
古い家だけど、なかなかいい感じで、魯迅の小説に出てくる孔乙己(こういっき)が昼間から一杯やっていそうな雰囲気がある。
橋の上から上流を眺めると、ワラを満載した運貨船がじゅずつなぎに係留されているのが見えた。

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寒山寺は張継の詩「楓橋夜泊」によって知られる。
 月落ち 烏啼きて 霜天に満つ
 江楓の漁火 愁眠に対す
 姑蘇城外 寒山寺
 夜半の鐘声 客船(かくせん)に到る

いい詩である。
詩はステキだけど、変にそっくり返った屋根のひさしや、黄色く塗られた塀など、寒山寺もぜんぜんいいとは思わなかった。
ある堂のなかには、金ぴかに塗られたたくさんの羅漢の像があって、どんな人でもきっとこのなかのどれかに似ているなんて解説があったけれど、そんなものは日本でも聞いたことがある。
別の堂のなかに趣味のわるい寒山拾得の像があった。
わたしはこの2人の坊さんについて、森鴎外や井伏鱒二の小説などで読んだことがあるだけで、それ以上なんの知識もないし、無理に知りたいとも思わないのである。
ほかに知りたいと思う人はいないだろうからリンクも張らない。

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樹木が多いのだけが取り柄の寒山寺で、境内で燭台にローソクをともしている人たちがいた。
共産党政権下では宗教は迫害されているはずだけど、どうしてどうして、数千年の歴史をもつこの国で、熱心な信仰心はすたれてないようだった。
とけて落ちた古いローソクは下の水桶のなかに溜まるようになっており、赤いローソクなので、それはなかなかきれいだった。
ある場所では動物をかたどったゴミを入れる陶器製の容器を見た。
「街道をゆく」のなかで司馬遼太郎が、変に見せつけようという作為がなく、素朴でなかなかいいとほめていたものである。
これがそうかい、ナルホドねと、わたしもつまらないものばかりに感心している。

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文化大革命では紅衛兵たちが全国の寺院で猛威をふるった。
寒山寺も廃仏毀釈の難にあったはずだけど、有名観光地ということで、早々に立ち直ることができたのだろうか。
わたしはこのとき以外の旅で、地方でじっさいに荒廃した寺院を見たことがあるけど、それでも修復作業も始まっていたようだから、観光資源としての古い寺院の価値が徐々に理解されてきたらしい。
よい点は日本を見習えということかも知れない。

かっての中国は中華思想でわかるように、自分たちが宇宙の中心であると考え、メンツにこだわる見栄っ張り主義的傾向があったけど、それがいまでは、いいものは日本のものでも真似ろということになると、その柔軟思考は恐るべきものであるような気がする。
むしろ日本のほうが偏屈な考えにとらわれているような気さえしてしまう。

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ぐるりとまわって門の前へもどると、バスにもどるまえにほんの15分ぐらいの時間がとれた。
それっと、みやげ物屋の並ぶ路地の奥をのぞきに行ってみた。
この路地も、両側は古くからある家ばかりだから、スペインの小路にまよいこんだような、なかなかいい雰囲気のところである。

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路地を抜けるとヤナギが風に吹かれている河畔に出た。
門前の運河がそこで広い河と合流しており、合流地点にレンガ造りの大きな城壁のようなものが建っている。
3、4階建てのビルくらいある巨大なもので、かなり古いものらしい。
これはようするに橋なんだけど、同時に運河を出入りする船の関所のようなものだったようだ。
入口に料金所があり、見学するにはお金をとられるし、時間もなかったから橋の上までは行ってみなかった。
河畔に立って眺めていたら、地元の子供たちがこの橋の下で水浴びをして遊んでいた。

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2023年9月 5日 (火)

デタラメの2

ネットを閲覧していたら、巨大なカエルを飼っている欧米人の映像に出会った。
カエルというのがアマガエルみたいなやつで、大きさは30センチはありそうだ。
アマガエルに似ていて、そんなに大きなカエルは聞いたこともないから、いちおう調べてみると、カエルの仲間でいちばん大きいのはアフリカに棲むゴライアスガエルといって、これは30センチぐらいになるけど、アマガエルの仲間じゃないし、色やかたちも違う。
だいたいアマガエルというのは水ぶくれっぽい動物で、それが30センチになったら、体重は3乗で増えるから、吸盤でガラスに張りついていられるはずがない。
CGじゃないかと疑ったけど、それにしてはよく出来ている。

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おかしいと思いつつそのままにしていたら、新しい映像では、飼い主が種明かしをしていた。
つまりカメラのレンズと、遠近感を利用したトリックらしかった。
まったく技術の進歩はわたしの世代の常識をくつがえしている。
わたしはまだ常識でものを考えられるだけ幸せだった。
つぎの世代はなにがなんだかわからない時代を生きることになるだろう。
え、アマガエルは、小さいからこそ、吸盤でガラスに張りついていられるんだよ。

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デタラメ

昨夜のNHK国際報道に、ロシアの頭脳技術者が100万人以上も周辺国に流出しているという報道があった。
それみろ、くやしいだろうというつもりらしいけど、こういうニュースはだいぶ以前にもあって、ロシアの若者は自由に海外に出られることがわかってしまった。
戦争が終われば彼らは経済格差のあるアルメニアなどより、またロシアにもどるに決まっているんだから、体のいい一時避難みたいなものだ。
ウクライナの若者のほうはそうはいかないぞ。
ウクライナでは、男性はすべて海外移住が禁止(金持ちはさにあらず)で、死ぬか捕虜になるかしか選択肢がないのだ。

今朝のニュースには沖縄のひめゆり部隊に関わる報道も出てきた。
ひめゆりの女学生たちが亡くなったのも、戦争に負けているのを認めず、徹底抗戦を叫ぶ政治家や軍人がいたせいじゃないか。
ウクライナの戦線ではあちこちでウクライナ軍の前進と突破があったというけど、そんなのムリ、ムリ、ぜったいに無理。
制空権のない軍隊が、がっちり防備を固める相手に勝てるはずはないんだよ。
最新鋭戦車からクラスター爆弾まであらゆる兵器を、供与されたとたんに使うほど余裕のないウクライナ軍だ。
レズニコフさんが更迭されたのも、汚職ではなく(そんなことをいったら役人は全員クビだ)、戦争の行方に疑義を呈したせいじゃないのか。
この報道に飛びつくSNSもたくさんあったものの、最後はまた支援さえあればと物乞い外交つき。やれやれ。
もうやめろ、とわたしがいっても耳を貸す人はいないやね。

ウクライナで俳句をつくる女の子も出てきた。
どうしてNHKはこんな支離滅裂なことばかり報道するのか。
彼女だって平和な世界で、古池やとひねってみたかっただろうに。
戦争のおかげで学校にも行けないという幼児も出てきたけど、テレビに出るというのでよそ行きの民族服を着ていた。
これではすぐにやらせとわかってしまうではないか、なにを考えてんのさ。

さっきのニュースには、北朝鮮がロシアに武器の供与をするのではないか心配というものがあった。
これも以前、北が鉄道でミサイルを送るんじゃないか、鉄道でミサイルを何発送れるのかいと、わたしに揶揄されたことがある。
逆の立場ならわからんでもないけど、ロシアはベラルーシからさえ実弾の支援は求めていない。
なんで本心では正恩クンがきらいなプーチンが、そんなものを求めるんだい。
わたしは忙しいんだけど、この程度のことなら片手間に書けてしまうワ。

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協議不調

プーチンとエルドアンさんの協議が不調だったようだ。
その原因は簡単なことだけど、自分の都合のわるいことはすぐ忘れてしまう人が多いから、わたしのブログにときどき載せておこう。

ウクライナの穀物輸出について、ロシアが輸出をさせないのが悪いという人がいる。
しかし、させればウクライナの役人たちはいちばん高く売れるところ、つまり西側先進国に売る。
そのこと自体は資本主義の原則だからかまわないけど、それでは飢餓に苦しむ途上国に行き渡らない。
そうやってもっぱら西側に売れた穀物は、ウクライナの軍事費に化けるか、でなければ一部の金持ちのふところに消えるだけ。
途上国はたいていグローバルサウスに属しているから、西側にしてみればいい気味だ。

これではロシアは怒る。
ロシアの穀物禁輸を解かないかぎり、ウクライナにも輸出させないというには正当な根拠がある。
ロシアの穀物を西側がおおっぴらに買うわけがないから、禁輸が解ければロシア穀物はまちがいなく途上国に行くだろう。
ウソだと思うか。
ウクライナの穀物がポーランドやルーマニアを経由すると、途中でみんな西側が買い占めてしまい、自分たちの穀物が売れなくなると、この両国の農民がストをやるではないか。

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2023年9月 4日 (月)

運命

親分が頼りないと子分も頼りなくなる見本のような、岸田クンと松野クンの関係。
松野クンを見ていると、むかしの日本のなんとかいう喜劇役者を連想してしまうんだけどね。

そんな彼が粛々と出てきて
「今回の法律の成立は、ロシア国民の反日感情をあおるのみならず、日本国民の反ロシア感情をあおることにもつながりかねないものであり、大変遺憾だ」と。
最初にあおったのはどっちなのさ。
一も二もなくアメリカに追従して、三も四もなくロシア制裁に加わったのは。

わたしの見たところ、プーチンは中国や北朝鮮よりも日本が好きだったと思うよ。
それが、アメリカにくっついていれば間違いがないと信ずる日本のアホ宰相のおかげで、いやおうなしにロシアを一方の側に追い込んだ。
プーチンは安倍もと首相や森喜朗もと首相、柔道の山下泰裕氏らとの友情あふるる時代を思い起こし、なんとか考えをひるがえしてくれないかと、今年の6月までじっと待った。
わたしは人間の情けというものを信じたい。

しかし、ついにプーチンはあきらめたのだ。
これまで9月3日を「第2次大戦終結の日」としてきたけれど、今年6月にプーチン大統領が署名し、「軍国主義日本に対する勝利と第2次大戦終結の日」に改めた。

台湾有事だとありもしないことで騒ぐのをみても、日本の軍事化傾倒はあきらかだ。
わたしも自分の生きた時代が幸せなものであったことを信じる。
この年まで生きて、とうとうわたしはいちども戦争を体験しなかった。
つぎの世代はそうじゃない。
あなたの子供たちは、いまウクライナの若者が経験していると、同じ境遇を体験することになるだろう。

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枯渇

録画しておいたニュースや国際報道を観たら、レズニコフ国防相が更迭されたというニュースがトップになっていた。
気のドクに、だれでもやってることをしただけだと国防相は弁明するんじゃないか。
汚職ごときで更迭していたら、ウクライナには公務員がいなくなってしまうワ。

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中国の旅/蘇州

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わたしたちが蘇州の駅に着いたときには、もう影がだいぶのびていたものの、まだ明るかった。
蘇州の駅前もだだっ広い。
有名な観光地らしく、駅前にたくさんの観光バスが停まっていて、やはり駅前に大勢の人たちがたむろしていた。
駅には蒋越慶クンというガイドが待っていた。
蒋クンは名前はいかめしいけど、目がつぶらで、まだ少年のような顔をした若者である。

彼はあとでまた出てくるから、さて蘇州。
冒頭に載せたのはわたしが1994年に再訪したときの蘇州の駅だけど、その後この歴史のある街を観光都市として売り出すべく、中国政府は大改造したようだ。
現在の蘇州駅はこのすぐあとに出てくるから、見ておどろくな、たまげるな。

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蘇州は市内にたくさんの運河が交差し、その美しさから東洋のベニスと称される街である。
素晴らしいところだといっても、わたしみたいな素人のいうことなんか信じないのが日本人だから、ここでは司馬遼太郎の「街道をゆく・江南のみち」からの一節を引用しよう。
“民家は運河のふちに密集している。どの民家も白壁に暮らしのも膏(あぶら)がしみついていて、建てられて何百年も経ている家も多いだろうと思われた。古びて陋屋になりはてた家ほど美しく、その美しさは水寂びともいえるようなにおいがある”
ちなみにこのとき作家に同行していた挿絵担当の須田剋太画伯は、パリの壁より美しいとさえいっていた。
わたしはこの本のこの部分が好きで、理屈ぬきに蘇州だけは見たかった。

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レストランで夕食をすませたあと「南林飯店」というホテルへ入り、わたしたちはこの夜もあわただしく、夜の蘇州へ探検に出ることにした。
この夜のメンバーは・・・わたしと愛ちゃん、例の女子大生ふたり、男性が3人、おばあさん2人、老画家とその娘さんに薬剤師の老夫婦などで、全員で13人になった。

街へ繰り出したときにはもう21時ごろになっていた。
ホテルの門の前に掘割り(クリーク)があり、小さな橋を渡った先にあるT字路を左折してぶらぶらと歩いてみた。
あまり広い道路ではなく、両側にプラタナスの並木と民家や商店が並んでいる。
中国のプラタナスは、並木なのだからまっすぐに育てればいいものを、みな横に枝をひろげた木ばかりである。
上海に到着したばかりのころ、わたしはトラックがこの枝を引っかけて立ち往生したのを見た。

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蘇州は運河の街なので、この夜わたしたちが歩いた通りも、民家のすぐうらが幅4、5メートルの掘割りになっていた。
掘割りは街を縦横に走っているから、なかには船が往来できるような大きなものもある。
ネット上にも運河の写真は氾濫していて、借用するのに不自由しないんだけど、その後中国政府はメンツをかけて、蘇州の運河をきれいにしたらしい。
最近の写真をみると、けっして不潔ではない。
つぎの3枚の写真は、わたしが1994年に行ったときの運河のようすで、汚いのがはっきりわかるけど、そのときついでに民家の白壁まで塗り替えたらしく、この街の歴史もきれいにぬぐいさられてしまった。

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歩いていると歩道の上で、男性が水を汲んでいるのに出会った。
おかげで歩道のまん中に井戸があるということがわかってしまった。
それと知らなければ見過ごしてしまいそうな、せいぜい50センチほどの、丸いみかげ石の輪の中心に穴がぽっかり空いていて、そこから紐のついたバケツをたらすのである。
そのまま飲めるとは思えないけど、かっての蘇州城で籠城に備えたものなら、沸かしてそのまま飲まなければいけない理由もありそうだ。

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道路の両側には土産もの店が多かった。
列車のなかで服務員が売っていた水墨画は古くさいものばかりだったのに、ここにはかなりカラフルでモダーンな絵もあった。
版画にもかなりおもしろいものがある。
絵がほかの品物に比べると高いのは当然のことと思うけど、これはなんとかいう大家の絵ですといわれても、予備知識のないわたしにはさっぱりわからない。
当時のわたしは(いまも)絵を飾るほどでっかい家に住んでないから、いくらステキな絵でも買うわけにはいかない。

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わたしたちが歩いていると、店からかならず呼び込みの声がかかる。
ほとんどの店でカタコトの日本語が通じるようだった。
絵以外でわたしか関心を持ったのは、印鑑用の石材だった。
これは大きさやかたちに種類が多く、ひとつぐらい貯金通帳用に持っていてもいいなと思ったけど、わたしが気に入ったものは気安く買える値段ではなかった。
呑ん兵衛のEさんがホテルでこれを購入したといい、前夜に頼んでおくと、朝までにちゃんと名前を彫っておいてくれるそうである。

わたしたちはあっちこっちの土産もの店で値切り交渉をしながら歩き続けた。
いっしょにいた男性のなかに、始めからいきなり半値にしろなどと強引な値切りをする人がいて、店のほうでは首をふるけれど、それではいらないよといって店を出かかると、たいていは向こうが折れる。
薬剤師の老夫婦はえんりょ深い人らしく、全員が応援するまえに買物をしてしまって、あとで後悔していた。

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愛ちゃんはみやげを大量に買いこむつもりで大型スーツケースを引っぱってきたのだから、ここでも品物を物色し始めた。
わたしも値切りに挑戦してみた。
ある店では若いきれいな奥さんがわたしの交渉相手になった。
わたしはキレイですね、美人ですねとお世辞たらたらで値切ってみた。
知らない人が見たらわたしが人妻をくどいているように聞こえたかもしれないけど、わたし自身の買物のためじゃない。
わたしはこの旅でひとつも土産を買わなかった。

しかしあまり相手の立場を無視して、こちらの要求ばかり押しつけたのでは粋とはいわれないから、値切りも一種のお遊びと考えて、適当なところで妥協するべきだろう。
そんなわたしに、若奥さんがショーウインドーのなかにあった小さな硬貨をくれた。
品物を買ったのは別の人だけど、わたしがオ金ガ大好キと冗談を言ったためである。

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買物をすませたあと、わたしたちは小さな食堂に入って休憩していくことにした。
できるだけ冷えたビールのありそうな店というわけで、露店は敬遠したんだけど、2階に案内されたその店にもやはり冷えたビールはなかった。
だいたい冷えたビールなどという概念は、中国の一般大衆のなかには存在しないのかも知れない。

なにか食べてみようというので、従業員の若い娘に、手まねでいろいろ注文してみた。
男性ふたりが、そういえば中国に来てまだいちども搾菜(ザーサイ)が出ないねという。
そこで搾菜をということになったものの、わたしたちの誰も搾菜のザーがどんな漢字なのか知らなかった。
メニューを見たがどうも搾菜らしきものは載ってないようである。
いざとなったら絵を描けばいいさとたかをくくっていたわたしも、搾菜なんて描く自信はなかった(帰国してから調べてみたら広辞苑にも載ってなかった)。

ザーサイ!と言ってみても、店の主人は首をかしげるばかりなので、「五色菜」とかいうメニューを注文してみることにした。
よくわからないけど、五色のなかに搾菜も入っているかも知れない。
しかし、やがて運ばれてきた五色菜にも搾菜は含まれていなかった。
いや、あるはずだ、北京かどこかで食べた記憶があるという人がいたけと、搾菜についてはそれで沙汰止みになった。

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薬剤師の奥さんがわたしに、蛙のことを中国語でなんというのと訊く。
わたしが南京でカエルを食べた話をしたからである。
奥さんは蛙の置物を集めているのだという。
搾菜は描けなくてもカエルの絵なら描けるから、これこそわたしの出番である。
わたしは紙にさらさらと蛙の絵を描いて渡して、おかげで奥さんは、帰りがけに蛙の置物をかんたんに手に入れることが出来たそうである。

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わたしたちはばらばらになってホテルにもどった。
帰路、道路のわきに公衆便所があるのに気がついた。
そういえばこれまでも街を歩くとよく公衆便所を見かけたもので、中国では一般家庭に水洗の設備がないから、おもてで用を足せるように公衆便所がたくさんあるのかと思ったけど、そればかりではないそうである。
一般家庭では便所が不備なために、夜間は小便壺のなかに用を足す。
壺は翌日公衆便所にあけてくる。
するとお役所がまとめてそれを回収する。
これなら1軒1軒をまわる手間がはぶけるということらしい。
あんまり感心しないものの、現在の状況ではやむを得ないことなのだろう。

ホテルにもどったときには深夜の1時に近かったけど、愛ちゃんたちはまだもどっていなかった。
ホテルの門に気がつかず、少し行き過ぎてしまったという。

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2023年9月 3日 (日)

バカの数

わたしも日本の原発処理水が安全なのはわかっているけど、あるタレントさんがIAEAに聞いてくれといったというのは無責任な話だ。
ザポーリジャ原発の査察でも、IAEAはつねにウクライナの味方をし、誠意をみせるロシアを疑ってきた。
ノーベル賞授賞式では、いったんは参加を認めたロシアやベラルーシの大使を、直前になって不参加にしたのも、IOC、ICCがいつもロシアばかりケチをつけるのも、こういうものがすべて西側主導の組織だからだ。
ウクライナ戦争でなんとしても金持ち日本の支持がほしい西側が、原発問題でも日本の肩を持つのではないかという疑惑は、きわめて健全なものといえる。
もちろん難癖をつける中国も悪いけど、そういうバカはどこの国にもいる。
中国の人口は日本の10倍だから、バカの数も10倍いると考えなければならない。
そういうことをきちんと考えて、いうべきことを言わなければならない。

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またポーズ?

ウクライナでイーホル・コロモイスキーという男が逮捕、いや拘留されたそうだ。
この男のことは知っている。
汚職大国ウクライナで、その元凶のようにみなされ、ウィキペディアにでかでかと顔写真まで載っていた男だ。
わたしがウクライナについて勉強しようと思い立ったのも、彼のことが頭にあったのである。 

そんな男が勾留されたという(逮捕ではない)。
ウクライナも少しはまともになるのかなと思ったけど、まだ信用できない。
以前にもウクライナ戦争が苦境になると、かたちだけ汚職の摘発が盛んになったことがあった。
不思議なことにそのとき逮捕された大物たちの続報が入ってこない。
国防大臣のレズニコフさんも何度か取り調べられたことがあったようだけど、けっきょくその後はどうなったのか曖昧なままだ。
おおかた、また外野がうるさいから、とりあえずポーズだけでも見せておけというのではないか。
汚職大国を根本から変えるのは、プーチンのような剛腕でなければ無理なのだ。

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2023年9月 2日 (土)

中国の旅/南京長江大橋

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中山陵のつぎは“南京長江大橋”を見学に行くことになった。
この橋はもともとソ連の協力で作られるはずが、中露の政治上の路線対立から、ロシア人が引き上げてしまったあと、1968年に中国人だけで完成させたものだそうだ。
一種の国威発揚事業、おらが国でもこのていどのものは作れんだぞという宣伝材料なので、団体旅行で南京に行くとたいてい連れていかれるところである(いまでもそうかは知らない)。
詳しいことはまたリンクを張っておいたから自分で学ぶこと。

エアコンの効いたバスで長江大橋まで行くとちゅう、高速道路の橋げたのようなものを建設している工事現場があった。
日本のそれに比べるとずいぶん薄っぺらな橋げただったから、朱さんに、このへんには地震はないのですかと訊いてみた。
そんなものはないという返事である。
そういわれてみるとこれまであちこちで見てきた建設現場の無謀ぶりにも納得がいく。
列車で見かけた建設現場では、鉄筋をほとんど使わず、レンガだけで5階建てぐらいのアパートを積み上げていた。

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長江大橋はさすがにデカい。
とはいうものの、わたしは名所旧跡にはあまり興味がないので、橋よりも名にしおう揚子江、つまり長江を見られる期待のほうが大きかった。
中国には世界に名だたる長江と黄河というふたつの大河がある。
わたしが日本で知っていた長い川というと、幼少のみぎりから慣れ親しんだ坂東太郎こと利根川があるけど、そちらが全長300キロあまりなのに対し、長江は6300キロだから桁がちがう。
そんな大きな川は生まれてからいちども見たことがなかったから、これだけはぜひ見たかった。

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バスは長江大橋のたもとに停まり、わたしたちはエレベーターで展望台へ上がった。
展望台といってもたいしたものではない。
橋は川の手前ですでに高架になっているから、終点まで上がってようやく、橋上の路面より建物1階ぶんぐらい高いところへ出るだけである。

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わたしは長江を眺めた。
太湖と同じようにわたしの想像ほど広くはなかったものの、対岸まで1キロ半ぐらいあって、水はたっぷりしており、河べりの樹木が冠水していたから、いくらか増水ぎみだったようだ。
その後この上流に、世界最大の水力発電所である三峡ダムができるけど、工事が始まったのはわたしたちの旅の翌年からだった。

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長江大橋は上下2階建てになっており、わたしたちが見学しているあいだにも、がらがらと音をたてて下段を列車が通過していった。
橋が完成してからこのときすでに25年近い歳月が流れている。
展望台から目で追うと、橋はまっすぐに長江を渡り、向こう岸でゆっくりと右にカーブして、そのまま対岸の景色のなかへとけこんでいた。
規模はたしかに中国人にとって誇り得るべきものだろうけど、しかし彼らに日本の瀬戸大橋を見せたらどんな顔をするだろう。
横浜のベイブリッジでさえ、長さはともかく、スケールは長江大橋より大きい。
ということは橋を見たときに考えたことで、現在は長江大橋の下流に「南京八卦洲長江大橋」というベイブリッジのような近代的な橋がかけられており、さらに川底をくぐるトンネル(南京揚子江隧道)もあるという。
架橋工事やトンネル掘削技術の進化は日本の専売ではなくなっているのだ。

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わたしはほかの人たちよりひと足早く駐車場にもどり、被写体を求めてそのあたりをうろうろした。
近くの芝生に馬がいて、これは観光客を乗せて記念写真を撮るもので、中国人のグループが交代で馬にまたがって大喜びをしていた。
わたしは橋げたのあいだに人民軍の兵士がいるのを見て、写真を撮らせてくれと頼んでみた。
暴走族によくいるような顔をした若者2人だったけど、だめだと不愛想にことわられてしまった。
仕方がないから、そのへんに停められていた、BMWのような水平対向エンジンつきのサイドカーの写真でごまかす。

南京長江大橋の見学が終わったら昼食である。
街のレストランに案内され、チーパオ(裾の割れたチャイナドレス)の娘たちに歓迎されたものの、王さんも朱さんもけっして食事には同席しない。
ふたりとも中国人なので、彼らにも外国人のような贅沢は許されてないようである。

チーパオの娘たちのなかにかわいい子がいた。
わたしは彼女が肩ごしに料理を配膳しているとき、おぼえたてのスケコマシ用語で「ニン、クイシン(あなたの名前は)?」と訊ねてみた。
彼女はなんとかかんとかと答えたけど、さっぱり聞き取れなかった。
写真を撮られて平気な娘もいたけど、この子は気位が高いらしく、写真を撮ろうとするとさっと顔をそむけてしまった。
わたしだって当時はまだイケメンで、いまより若かったんだけど。

食事のあと南京駅に向かう。
これで南京見物は終わりである。
見物したところが悪かったのかも知れないけど、南京はつまらなかったというのが、ツアー仲間のおおかたの感想。
みんながいいところだと褒めたのは、無錫と、このつぎの蘇州である。
よくしゃべる女性ガイドの朱さんとはここでお別れ。

駅にはわたしたちのために増結された列車が待っていた。
南京から蘇州までは2時間半くらいの旅で、列車は来たと同じ道を引き返す。

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駅で反対側のホームに停まっている列車の中国人たちを見ていると、そのモラルの欠如ぶりに驚いてしまう。
線路にゴミを捨てるのはあたりまえという認識のようで、わたしたちが見ている目の前で、列車の窓からぽいぽいとゴミや食べかすが捨てられる。
夏目漱石の「三四郎」を読むと、主人公が熊本から上京するさいに列車の窓から駅弁のカラを投げ捨てるシーンがあるけど、あれは明治時代の話だから、中国人のそうした意識は日本の明治なみということか。
もっとも捨てる神あればひろう神ありで、ある駅では乗客の捨てたペットボトルを、通りかかった農家のおかみさんが拾い上げ、じっと吟味して、そのまま持っていってしまった。
こういうのもアナログ式リサイクルになるのだろうか。

列車が走り出すとまもなく、日本から紙パックの日本酒を大量にかつぎこんできていたパンチマーマのKさんや、呑ん兵衛のEさんから紹興酒がふるまわれた。
Eさんの紹興酒は現地で仕入れたもので、彼が時々行方不明になるのは、酒を求めてのことだという。
愛ちゃんは、あらまあ、あははと叫んですぐにみんなの仲間入りしていたけど、こういう宴会騒ぎになると、わたしは悩めるゲーテの末裔で、愛ちゃんはノーテンキの見本みたいな性格だから、とうていかなわない。

他人の酒ばかり飲んでいては申し訳ないというので、たまたま停車した駅に売店が出ているのを見つけた愛ちゃんが、酒を買いに下車しようとすると、ドアには鍵がかかっていて開かなかった。
けしからん話だけど、外国人の列車はみな車両の出入口が施錠してあるのである。
買い物をしたいのだと服務員にうったえると、なかの1人が出ていってビールを買ってきてくれた。
愛ちゃんの欲しかったのは紹興酒だったのに、それは売ってないという。
ビールは当然冷えていなかった。

わたしたちの車両の半分は、欧米人のグループによって占められていて、彼らのなかにもKさんやEさんと同じタイプがおり、頼みもしないのに酒をあっちこっちについでまわって、彼我の境界あたりでは思わぬ国際親善の花が咲いていた。
この欧米人グループは無錫で下車した。

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わたしは窓から外ばかり見ていた。
同じ道を引き返すのだから、景色もいちど見た景色ばかりで、水郷を思わせるのどかな田園風景だ。
農家の庭先に花が少ないのが気になった。
日本ならどんな田舎へ行っても、農家のまわりにたくさんの花が咲いていて、わたしを楽しませてくれるのに、中国で数時間も田舎景色を見続けていて、わたしが見た花はヒマワリ、ムクゲ、カンナぐらい、それもほんのわずかだった。
社会主義という体制の下では、人々は自分だけの楽しみを見出しにくいのだろうか。
ソ連ではアジア人の花屋が、けっこう成功していると聞いていたので、中国で花屋を始めたら儲からないかなと、遠大な妄想にふける。

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この旅のまえのほうで、中国には小鳥が少ないと書いたけど、ずっと列車の窓から農村風景を凝視していて、ついに1羽のカラスも見かけなかった。
ハトはいないことはない。
水田のなかによく、人工のものらしい池がある。
なにか魚を養殖しているようだったけど、あまり面倒見のいい養殖場には見えず、それよりあちこちで池に浮かんだアヒルの大群を見た。
みんなそのうち北京ダックになるのだろう。
そんな池のほとりで釣りをしている太公望もいた。

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蘇州が近づいてくると、農家の屋根の両端に鴟尾(しび)がめだってくる。
南京のほうの屋根にはあまりなかったようだから、やっぱり観光地として有名な蘇州のほうが、男がうだつを上げるのに有利なのかも知れない。
建物のほかの部分についてはさほど変化がない。
「街道をゆく・江南の旅」によると、レンガに漆喰という建築様式は、イスラム文化に起源があるといい、わたしたちの目からすると、窓の数はかぎられているようだし、日本の民家ほど風通しがよさそうに見えない。
このクソ暑いのにと思ってしまうけど、コンクリートの地下室がひんやりするように、厚いレンガの壁は閉め切ったほうがかえって涼しいのかもしれない。

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平凡な風景ばかりではなく、わたしは無錫だったか南京だったかの郊外で、大きな臼のような形をした建造物を見た。
あれは原子力発電所の煙突ですねと誰かがいう。
線路から7、8キロのところに、そんな危険なものを造っていいのか。

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2023年9月 1日 (金)

騒ぐ

日本は世界一原発の安全基準にきびしい国で、それがかえって日本の首を絞めている。
日本が安全といったら安全なのに、それを理解しない人や国が増えているよな。
それほど安全に留意しているのに、中国がケシカランというのは、たんにウクライナ戦争がらみで、日本が米国に追従して、中国叩きをするのをとがめているだけなのだ。

世間ではいろいろ議論が盛んだけど、原発事故はソ連のチェルノブイリでもあったし、それ以前にはアメリカのスリーマイル島でもあった。
スリーマイル島の事故ではチャイナシンドロームという言葉が有名になった。
わたしがこの言葉を知ったのはジェーン・フォンダの映画だけど、溶解した高温の核物質が原子力施設の床を溶かし、地表に到達し、地面を溶かして、しまいには地球の反対側の中国に達するというコワイ話だった。

これより以前には、米国は太平洋上のビキニ環礁などで原爆、水爆の実験をしていた。
薄めてなんかいないぞ。
こちらは純生の放射能放流だ。
海洋汚染が問題になるとネバダ砂漠の地下核実験に切り替えたけど、それで安全になったわけじゃない。
放射能の危険はそう簡単にはなくならず、ジョン・ウェインがガンで死んだのは、ネバダ砂漠で映画のロケをやりすぎたからというジョークもある。

とにかく徹底的に安全基準がきびしいのが日本で、それを律儀に守ろうというのも日本だ。
核兵器を持っているような先進国なら、たいてい日本よりルーズで、原発で出た産業廃棄物なんかも海に放り投げて知らん顔なのだ(いまでもそうかは知らんけど、たぶんいまでもそうだろう)。
中国もそのことはよくわかっているし、自分とこも叩けばホコリが出る国だから、もう騒ぐのはぼちぼちやめているらしい。
さすが大国はちがうな。
いま騒いでいる日本人のなかに、ここまで考える人がいないのが問題だ。

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