中国の旅/安い食堂
1992年の12月、わたしはふたたび上海に姿をあらわした。
団体旅行で江南をめぐった旅から、およそ5カ月足らずで、また虹橋空港に降り立ったわけだ。
今度は完全にひとり旅である。
到着した日は銀河賓館におさまったあと、まだ晩メシを食ってなかったから、わたしはさっそく外食をすることにした。
ホテルの近所でもいい、とにかく早く上海をひとりで自由に歩いてみたかったのである。
そういうわけで、最初の晩の夜食は一般の中国人と同じ店で食べることにしたんだけど、なにしろ魔都といううわさを聞いていた上海のことだから、ぼんやりした日本人が、ニューヨークみたいにカメラをひったくられたら困る。
カメラは部屋に置いていくことにした。
そんなわけで写真がないから、この晩の状況はみなさんに勝手に想像してもらうしかない。
オレは想像が苦手?
そんなんだからウクライナ戦争でもNHKにやすやすと騙されるんだよ。
想像力欠如の人のために、このあとはネットで見つけた上海の夜の写真を3枚ほど。
ホテルのまえの通りを左へ向かうと、すぐに信号があった。
これを右析するとまわりは暗いアパート街になる。
わたしはレンガの壁にそって黙々と歩いた。
このあたりでわたしの胸には、とうとう子供時代に住んでいたなつかしい町にたどりついた、心身ともに自由に解き放たれたという大きな喜びがこみあげてきた。
少し行くとガードをくぐる。
さらに行くといくつかの雑貨屋や床屋や食堂があり、その先の四つ角に果物屋の露店が出ていた。
店頭で品物をながめていると、露店の小学生くらいの女の子が、不思議そうな顔をしてわたしの服のそでをひっぱった。
わたしは少女に「アルトン(子供)」と呼びかけてみた。
ぜんぜん通じなかった。
子供という言葉はアルトンではなく、ハイツのほうが一般的なのかも知れない。
店の親父にミカンが欲しいというと、30個ほどビニールの袋に入れてくれた。
そんなにいらない、1元分でいいというと、親父は不満そうに中身をもどして、たった3個しかくれなかった。
これではこの晩のレートで、1個が7円ぐらいということになる。
中国人にはミカンは高価な果物なのだろうか。
味見をするだけだから、3個もあれば十分だけど。
わたしは途中で缶の青島ピールも購入したけど、こちらは3元=約70円だった。
食堂を求めてさらに歩く。
歩いているうちにわたしはくたびれてしまった。
左へ左へとまわってホテルヘ戻るつもりでいたら、大きな踏切のわきに出た。
ちょうど列車が通過するところで、わたしが渡る直前に遮断機が閉まってしまった。
踏切の手前の道路はすぐに、自転車に乗った人々や車でごったがえした。
このときわたしが見た風景はその後失われてしまった。
まだ高架になった高速道路など見たおぼえはないのに、つぎに上海に行ったときは、銀河賓館のまわりにも高速道路が出来て、風景は一変していたのだ。
列車を待ちながらふと見ると、踏切の手前の道路ぎわに、わたしが探し求めていたような汚い食堂がずらりとならんでいるではないか。
食堂ばかりではなく、路上で果物やサトウキビを売っている露店もある。
わたしは踏切を渡るのをやめて店をのぞいていくことにした。
1軒1軒の店内をのぞきながら歩くと、働いているのはみな貧しそうな人たちばかりである。
暗い顔をした若い娘が調理をしている店もある。
わたしは中でも多少はましかなと思えるうす汚い食堂へ入ってみた。
入口のわき、道路のすぐはじに受付のカウンターがあって、そこで横柄な態度のおばさんが、サトウキビをかじりながらペッペッと食べかすを吐き散らしていた。
わたしが黒板に書かれたメニューのうち、小ワンタンを指して注文すると、彼女は奥の調理場になにか怒鳴った。
わたしは傾いたテーブルに座ってぼけっと待つ。
半地下にあって、テーブルが4つくらいのお粗末な店で、白い漆喰の壁などずいぶんいい具合に汚れていた。
ゴキブリでも走っておかしくない店だが、ハエもゴキブリもほとんど見なかった。
テーブルから調理の様子はまったく見えない。
ここに載せた3枚の写真は1996年に鄭州に行ったときのもの。
うす汚い店の雰囲気は、このとき(92年)の上海の店に似ている。
せっかく外国に行って、お粗末なものばかり食べているなと思うなかれ。
鄭州では女の子連れで北京ダックも腹いっぱい食べたわさ。
ただ、この連載が鄭州に行くまで、わたしが生きていられるかのほうが心配だけど。
そのうちおばさんが後ろでなにか怒鳴ったからふり向くと、ワンタンが出来上がったから取れというのだった。
おばさんは自分の席から動こうとせず、客が自分で、壁の穴のところからテーブルまで食事を運ぶのである。
湯気のたったワンタンはまあまあ美味そうだった。
箸はテーブルの上にたくさん置いてあったけど、日本のように先細りではないので使いにくい箸である。
ワンタンはうす味だがまずまず食べられた。
食べ終わって科金を払うことになり、黒板のメニューには7という数字が書かれていたから、わたしは7元=154円を差し出した。
これなら日本と比較しても、そんなに高くはない。
ところが横柄なおばさんは不審そうな顔をして6元を返してよこした。
ワンタンは7元ではなく7角=15円だったらしい。
信じられない安さである。
ただし、おばさんは気前のいいわたしにつり銭をくれなかった。
わたしはキツネにつままれたような気分で店を出た。
ホテルにもどり、シャワーを浴び、正露丸をのんでこの日は寝てしまった。
寝る前に日本へ電話しようとしたけれど、説明書どおりにやってどうしても通じなかった。
説明書といっても中国語と英語だから、どこかにわたしの理解不足があったのだろう。
もちろんまだパソコンの時代以前だから、メールも使えないし、LINEもあるわけじゃない。
30年ひと昔だけど、隔世の感があるな。
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