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2023年9月25日 (月)

中国の旅/上海駅

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日本租界のあった虹口地区を歩き続けて、わたしはそうとうにくたびれていた。
いったんホテルヘもどって出なおそうかと考え、そのまえに上海駅へ行ってみることにした。
わたしの夢は中国の列車で大陸を自由に旅することである。
でもはたして外国人が駅でかんたんに切符を買えるものだろうか。
まだ現在のように、ネットで外国のホテルや鉄道チケットがかんたんに予約できないころだったから、今回の旅ではそうした点を確認する目的もあったのだ。

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駅までは3輪タクシーを利用することにした。
四川北路の新亜大酒店のあたりで、そのへんに停まっていた車の親父に「上海駅」と書いて示すと、親父は「上海火車駅」かと間い直してきた。
“火車”というのは物騒な言葉だけど、中国語で鉄道列車のことだから、ただの“上海駅”といったのではバス・ターミナルにでも連れていかれるのかもしれない。
鉄道駅なら8元=180円だそうだ。
いいだろうと、わたしはせまい客席に乗りこんだ。
2人がなんとか座れるスペースで、足は伸ばせず、乗りごこちはむかしのリヤカーなみだった。

駅まで20分ぐらいかかった。
ガイドブックによると、黄浦公園からそんなに離れているようにみえないので、もっと近いと思っていたわたしは、上海の西駅まで連れていかれるのではないかと不安になってしまった。

ひらりひらりと、むちゃくちゃな交通状態のなかを3輪タクシーは巧妙にかいくぐって、それでも無事に上海駅に到着した。
駅まえをながめてみると、すぐとなりに見覚えのある龍門賓館がそびえていたので、たしかに前回の旅で列車に乗った上海駅に間違いはなかった。

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「龍門賓館」は駅のすぐとなりにあって、便利さが売り物の4つ星ホテルだったけど、2005年に行ってみたら、すぐとなり、それも駅寄りに、かたちも大きさもよく似た「鉄路大厦」という新しいホテルができていた。
とたんに龍門賓館のほうは、駅からいちばん近いというメリットを失って、悲惨なホテルに落ちぶれた。
中国ではこんなふうに商売をするうえで競争が激しい。
出し抜かれても出し抜かれるほうがワルイと、たいていは敗者のほうがあきらめるのだそうだ。

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駅まえはあいかわらずものすごい人混みで、目的があるのかないのか、大勢の人々がたむろしていた。
でも市場と同じくらい、わたしは混雑している駅というものが好きである。
これから旅に出かける人、仕事で出張する人、帰省してひさしぶりに家族に会いに行く人、田舎から集団就職で上京してきた娘など、別れもあれば再会もあり、希望もあれば不安もあって、そこはまさしく人生の縮図といっていいところだからだ。

駅のまん前に列車火災の予防ポスターが掲示されていた。
以前にあった列車火災で、まっ黒こげになった被災者の写真がそのまま掲載されていた。
こんな効果のあるポスターはあまりないだろうと思う。
駅前広場を歩いていると、あちこちに人だかりがある。
なんじゃらホイとのぞきこむと、宝クジのようなものを売っていた(これは街のあちこちでも見た)。
清涼飲料水を売る店もたくさんあり、あとでわかるけど地図や時刻表も立ちんぼうで売っている売り子がいた。

駅では改札口と切符売場が、すこし離れたべつの建物になっていて、切符売場は駅から広場に向かって左前方のビルの中にあった。
混雑するので外国人にはなかなか切符が買えないと聞いていたけど、それほどでもなく、硬座(2等車)売場は混雑しているのに、軟座(1等車)売場のほうには客がひとりもいなかった。
これなら引っ込み思案のわたしでもなんとか買えそうである。

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切符売場の偵察を終え、駅の正面へもどる途中、駅前広場に地下商店街の入口があるのに気がついた。
これは本来は核シェルターとして造られたものだそうだ。
冷戦時代に毛沢東の命令一下、中国の大都会にはみんな核シェルターが造られたそうで、これはその名残りである。
階段を下りてみると、タバコ屋と、アメ横のような洋品屋ばかりだったので、一巡してさっさと出てきてしまった。
この地下商店街の出入口には、シャッターや暖簾ではなく、ぼってりした毛布が下げてあった。

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時刻はわたしの時計で午後5時ごろ(まだ日本時間)になっていたので、だいたいの様子がわかったからホテルヘもどることにした。
そのまえにわたしは上海市街図と列車の時刻表を購入することにした。
列車の時刻はしょっちゅう変わるらしいけど、ひとりで思索にふけるのにこんなに重宝なものはないのである。
駅の構内にある売店に行ってみようとしたけど、そのまえに近づいてきた売り子が、地図も時刻表も売っているのを発見して、そちらから買ってしまった。

タクシーをつかまえようとして、見ていると、駅前につぎつぎとタクシーが入ってきて客を下ろしていく。
そのうちの1台をつかまえて、乗れるかと尋ねると、運転手はダメダメと前方を指してさっさと行ってしまった。
どうやら運転手が指した方向に、正規のタクシー乗り場があるらしい。
正規以外の場所での乗車は禁じられているとみえる。

そっちの方向へ歩きかけると、さっそく客引きがやってきた。
わたしがタクシーを探しているのを見ていたらしいけど、正規のタクシー乗り場のまん前で白ナンバーが客を勧誘しているのである。
ためしにいくらだと訊いてみた。
駅から銀河賓館まで120元だという。
ふざけるな!とわたしは一喝した。
あらかじめ聞いておいたけど、上海駅からホテルまで、せいぜい40元ぐらいのはずなのだ。
相手は、それでは40元でいいといって追いかけてきた。
わたしが無視すると30元に値下げしたものの、それでもわたしはもう相手にしなかった。

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正規のタクシー乗り場は駅前広場に向かって右の方にあり、マイクを持ったおばさんがてきぱきと車と客をさばいていた。
入ってくるタクシーは、車種はほとんどがワーゲンのサンタナで、ナンバーにUやVのついたのは信頼できる国営タクシーだそうだ。
メーターには上下に数字が並んでいて、上段が料金。
フロントガラスの汚れぐあいを見ると、こちらでは車の清掃は運転手の仕事に入っていないようだった。

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走行距離は、銀座から中野くらいあったと思う。
途中、ヒルトンホテルのあたりで、レンガ造りの瀟洒な洋館が立ちならぶ住宅地を通った。
瀟洒な洋館といっても、建物のまわりは草ぼうぼうで荒れ果てており、2階の窓から洗擢物が突き出されていて、白い立派な顔立ちのネコが屋根を歩いていた。
ネコはめずらしいけど、洗濯物が窓から突き出ているのは、中国ではふつうの光景である。
あとでわかるけど、これがかってのフランス租界があった地域で、瀟洒な住宅はもとはフランス人の邸宅だったのだ。
問題があるとすれば、そういう邸宅がいまではみんな中国人のアパートになっていることで、中国人が住めば、洗濯物が窓から突き出されても不思議ではないのである。

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中国は韓国とちがって、たとえそれがかっての抑圧者のものであっても、わざわざ破壊するようなことはしなかった。
毛沢東時代は貧しく、住宅難だったという事情があるにせよ、それはのちに素晴らしい観光資源を中国にもたらすことになった。
92年にわたしが見たフランス租界は、前述したようにたくさんの洗濯物が突き出される下町らしいところだったけど、現在ではその瀟洒な造りを生かして、ほとんどがカフェやレストラン、ブティックなどに改造されているようである。
ネットで探してみたけど、もはや窓から洗濯物などまったく見つからなかった。

銀河賓館までタクシーは29元プラスだった。
ホテルに着いて、わたしがきっちりと料金を支払うと、運転手はちょっと不満そう。
良心的な彼に30元払ってやってもよかったかなと思う。

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