中国の旅/虎丘
見学を終えて盤門の城壁のわきの道を下りると、「蘇州南門総合市場」という食料品市場の一角に出た。
中国の市場はどこも似たようなものだけど、こういうところがわたしは大好きである。
あいかわらず路傍に白菜が山積みされていたり、アヒル、ニワトリ、魚などが売られているのを眺めながら、ぶらぶらと市場のなかを歩いてみた。
山積みにされた野菜のなかには表面がしおれかけているものがあるし、イカやクラゲなどの海鮮物も日なたに並べられている。
冬だからまだいいけど、暑い夏だったら品物は24時間でイカれてしまうだろう。
中国の人たちが、どんなものでも必ず火を通して食べるのはこんなところにも理由があるにちがいない。
市場の背後には瑞光寺の塔がそびえていた。
いったい蘇州にはいくつの塔があるだろうと考えてみた。
いちばん有名なのは「虎丘の塔」で、旧城内には、わたしが前日に見た「北寺の塔」もあり、行ってみなかったものの、双塔院というところにも塔があるらしい。
瑞光寺の塔も七重くらいあって、かなり高かったけど、もちろんわたしは無視。
市場を出て、地図をながめた。
ガイドブックによると、「広済橋」「新民橋」という二つの橋が、いかにも蘇州を象徴するような運河景色だという。
わたしはそこを見たかったけど、さすがにもう疲れていた。
通りかかったリキシャの運転手と交渉し、12時半から4時まで拘束していくらかと訊いてみた。
やっこさんは百元でいいという。
どうせふっかけた金額だろうが、日本円にすると1300円だから、これで夕方まで歩かずにすむなら安いものだ。
街中をゆるゆるとリキシャに乗っていくあいだ、信号で停車中に、となりのリキシャに乗っている美人にカメラをむけてみた。
彼女ははじめビックリ、あとでにっこりした。
市場も好きだけど、わたしは美人も好きなのだ。
リキシャに乗っているとき、故事にちなむ「胥門」を見た。
この門はまえに書いた史記のなかの伍子胥(ごししょ)にちなむ門で、復讐の鬼と化した伍子胥が、自分の目をくりぬいてかけろといった門である。
街なかにアーチ型の城門が残っていたけど、いまでは交通のじゃまとみなされているようで、盤門ほどあたりの景色がよく保存されていない(ただし現在ではやはり貴重な観光資源ということで、だいぶ様変わりしているようだ)。
胥門の前の運河にかかる橋も、新しい橋なのでおもしろくなかった。
このあと、金を両替したいから華僑飯店まで行ってくれとリキシャの運転手に頼んでみた。
すると彼は、工商銀行まで行けば、個人の両替商から両替してもらえるという。
わたしが疑い深そうな顔をすると、リキシャの運転手は自分のリキシャのボディを指さした。
そこに番号を打った小さな金属板がとりつけてある。
リキシャの鑑札で、これをおぼえておけば問題があっても大丈夫だということらしい。
そこまでいわれりゃわたしも文句のつけようがないので、1万円で800元だぜと念を押して行ってもらうことにした。
あとでもっとふっかければよかったかなと思った。
工商銀行につくと、どこで連絡したのか、おもてに風体のよくない男が待っていて、わたしの金を無造作に両替してくれた。
なんだかギャングの取引のようだったけど、相場はわたしの言い値どおりの800元ぴったりで、リキシャの運転手に手数料まで渡していたから、公定の相場よりヤミ相場のほうがいいらしい。
ひょっとするとニセ札でもつかまされたかなと思ったけれど、その金はなにごともなしに全部使ってしまったから、真偽のほどはわからない。
「広済橋」「新民橋」と見てまわる。
このふたつは名所でもなんでもないけど、ガイドブックによると、東洋のベニスといわれる蘇州らしい写真を撮るのに絶好の場所だそうである。
確かにその通りで、せまい運河の両側に、民家がごたごたと並んでいた。
よく写真で見る蘇州の運河風景はこのあたりで撮影されたものだろう。
あとは特に目的もない。
リキシャの運転手のいうままに、「留園」と「西園」を見物した。
べつに庭園なんか見たくないけど、ほかに行くあてがないのである。
「留園」ではリキシャを下りたとたんにレストランの親父が飛んできて、メシはどうだと誘われた。
いらないといってチケット売場にいくと、親父がくっついてきて、この人は外国人だと余計なことをいう。
黙っていればはした金の人民料金で入れたものを。
20分もかからずに見学を終えて、待機していたリキシャの運転手に「不好」という。
つぎは「西園(西寺)」である。
ここではしらばっくれて人民料金で入ってしまった。
よけいなことを言わず、「一票」といって金を出せばいいのである。
西寺の黄色い土塀は寒山寺などと共通のものだけど、黄色になにか意味があるのだろうか。
門上に「蘇州仏教協会」という看板があった。
宗教を禁止しているはずの共産主義国でも、中国はおうようなものだ。
中庭には赤いローソクに火をともしている信心深い人たちがいて、若いきれいな娘さんもいた。
この寺の本堂は、色が少々派手なのと、屋根のそりがいくらか大きいことなどを除けば、日本人にもまずまず受入れやすい形をしている。
正面から見ると、ひとまわり小さくした東大寺のようである。
門の両わきと本堂の中には、金メッキされた大きな仁王像があった。
この金ピカはいい趣味ではないけれど、日本の東大寺の大仏も、古くは金メッキされていたらしい。
見学を終えて門の外に出ると、そのあたりにごたごたしたミヤゲ物屋や雑貨店が並んでいて、観光客が群れていたから、わたしもそこに加わってみた。
たいしたものを売っているわけではないけれど、人間を見ているとおもしろい。
わたしはここでフィルムを1本購入した。
パッケージが中国文字で書かれたフジフィルムで、値段は20元(260円)だった。
リキシャの運転手が案内するのは観光名所ばかりである。
となればつぎはとうぜん「虎丘」ということになる。
虎丘にはピサの斜塔のように傾いた塔があり、これが蘇州観光のひとつのハイライトになっている。
虎丘に向かう途中に鉄道のガードがあって、わたしはそのあたりの景色に見覚えがあった。
第1回目の中国旅行のとき、休憩をとった大きなレストラン兼みやげ物屋が、このガードすぐわきにあったのだ。
時間があったにもかかわらず、猛暑のせいで店から一歩も出られず、ほぞを噛んだ場所である。
そのとき虎丘も見学したんだけど、べつにおもしろくもなんともなかった。
なにしろ猛烈な暑さだったので、閉口して、塔を中庭から遠望しただけで退散してしまったのである。
今回はすぐ近くから見物してみるかと、あまり気乗りしないまま、わたしは虎丘の門前でリキシャを下りた。
有名な観光名所らしく、門のまわりはミヤゲ物屋がいっぱいで、大勢の観光客がやってきていた。
虎丘の入場料は外国人8元である。
リキシャの運転手は、門の前で、ここで待っているからという。
虎丘はまわりを堀でかこまれている寺なので、小さな橋を渡って境内に入った。
このあたりにカゴかきが待機していて、観光客に声をかけてくる。
ひとかつぎ20元だそうだ。
なるほど、虎丘はちょっとした山登りだったけど、しかしわたしはむろん歩くのである。
坂道を登っていくと、池のある広い庭に出る。
足もとは大きな岩盤で、岩場を平らに拓いたようだ。
ここでは傾いた塔を背景に写真を撮ろうという観光客が、よい場所を確保しようと順番を待っていた。
塔までは、ここからさらに石段を登らなければならない。
虎丘の塔は近くで見るとなかなか重厚なもので、細部の装飾まで、すべてレンガを積み上げた石の塔だった。
木造の塔しか見たことのない日本人には、壁の厚みがおそろしく重量感を感じさせる。
床は積年の人間の歩行により、踏み磨かれてくぼみが出来ていた。
登ってみたかったが、現在は塔の中へ立ち入るのは禁止だそうだ。
塔のまわりは、どうせ中へ入れないというので、大半の観光客は中庭から引き返してしまうらしく、比較的人影が少なかった。
塔のある庭はこの登山の最頂部になっているから、裏手にまわると蘇州の郊外が遠くのほうまで遠望できる。
わしは斜面の途中にあるベンチで休憩した。
あたりにウメの木があって、紅梅がまだつぼみだった。
| 固定リンク | 0
« 中国の旅/網師園と盤門 | トップページ | おーい »
コメント