中国の旅/和平飯店 JAZZ
蘇州を自分の足で歩きまわるという目的は達したのだから、今回の紀行記はここで終わりにしてもよかったんだけど、上海にもどったあと、ひとつだけユニークな体験をしたので、それだけは書いておこう。
ただし、わたしはフィルムが底をついたので、カメラを持って出かけなかった。
したがってビジュアル的にはもの足りないかも知れないから、文章は見るのもキライという人は飛ばしてもらってかまわない。
わたしの旅はまだまだあとがあるのだから。
上海にもどった翌日はまたひとりで、新大陸にはじめて上陸したダーウィンのように街を歩きまわった。
そして夜になってから、有名な和平飯店へジャズを聴きに行くことにした。
ジャズやってんのか、上海ってけっこうまともな街なのねという人がいるかも知れないけど、戦前の上海にはアメリカ租界もあったくらいだから、べつにおどろくことじゃない。
上海のジャズも米国のジャズも、ギャングが支配していたころに隆盛をきわめたという点は似ているかも。
演奏は夜の8時からだというので、外灘をぶらぶらし、時間を見計らって行ってみた。
ジャズを演奏するのは1階のバーで、和平飯店そのものがクラシックな建物だし、客には欧米人も多いから、ちょっと日本ではあまりできないゴージャスな体験ができる。
洋画にはこういうシーンはよく出てくるもので、たとえばハンフリー・ボガートの「カサブランカ」を・・・・と書こうとしたけど、いまどきこんな映画知ってる人はいないよね。
ムズカシイ時代になったもんだ。
わたしはたまに吉祥寺のライブハウスにジャズを聴きに行くけど、こんな本格的なクラブで聴いたことはない。
なんとなく正装でなければ悪いような気がして、この晩のわたしはいっちょうらのコーデュロイのジャケット姿だった。
ネクタイはしてなかったけど、これでも精一杯の正装だ。
ボーイに案内されて空いたテーブルに座った。
和平飯店のジャズは「和平飯店老年爵士楽団 /OLD JAZZ BAND PEACE HOTEL」というベテラン・プレーヤーたちによって演奏される。
“爵士”というのが中国語のジャズという意味だ。
発音は・・・漢字というのは意味だけをあらわす表意文字だから、勝手にジャズと読めばヨロシイ。
この晩の楽器の編成はセクステットで、トランペット1本に、サックス2本、ピアノ、ベース、ドラムといったものだった。
曲目はわたしもよく知っているスタンダードばかりで、「モナ・リサ」「テネシー・ワルツ」「ムーンリバー」「センチメンタル・ジャーニー」など。
たまに「北国の春」なんぞが混じる。
ほかにサックス奏者が楽器をマラカスに持ち替えたタンゴもあった。
欧米人のなかにはチークを踊る男女も現れる。
夫婦や愛人と外国に行く人は、簡単な社交ダンスをおぼえておくといいなとは、コレわたしの考え。
演奏者たちを観ていると感慨がある。
彼らは中国の文化大革命をどうやって生き延びたのだろう。
おそらく正式な音楽教育を受け、音楽家として食っていこうと考えていた人たちだろうけど、紅衛兵たちは、他人が自分より高度な教育を受けているだけで気にくわないという無知な若者が多かったから、西洋式の楽器を抱えているだけで生き辛かったはずだ。
(カッコつけて)ウイスキーの水割りなんぞ飲みながら、七転び八起きしたこの国の人々の運命について考えてしまう。
演奏のあい間にボーイがやってきて、相席でもよろしいですかと訊いてきた。
ええ、どうぞと答えると、わたしのまえに日本人らしき老紳士が座った。
わたしは最初、きちんとした服装のこの老人を見て、企業の重役さんでもあるかとか思い、ちょっと苦手なタイプだなと思った。
しかし話を始めるとすぐに馬脚があらわれた。
といってはひどい言い方になるけど、この老人はじつに人間的な話し方をする、親しみやすい人だったのだ。
わたしは本田技研を興した本田宗一郎という人を連想した。
あとで知ることになるけど、この人は「H」という、ゴルフ用具を製造する日本の一流企業の会長さんだったのだ。
仕事で上海にやってきて、部下を先に帰し、最後の一夜を気ままに楽しもうと和平飯店にやってきたのだという。
いや、会長室ってのは死ぬほど退屈でねなどと、えらぶったところのない愉快な言い方をする人だった。
話をしているうちにわたしのどこが気にいったのか、会長さんは、これからおもしろいところへ案内しようといいだした。
いいんですかといいつつも、わたしもこの人が好きになっていたので、ついていくことにした。
急いで和平飯店の勘定をすませると、スコッチの水割り2杯とカクテルで、270元少々=日本円で3500円くらいだった。
最近の口コミ情報をながめると、上海が発展して観光客が押し寄せるようになり、このジャズバーも料金は値上げ、行列に並ばなければ入れなくなったようだ。
30年まえに行ったわたしは幸運だったのだ。
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