中国の旅/市内点描
あっちこっち歩きまわってだいぶ疲れた。
それでも上海をひとりで思う存分歩きたいという希望はかなったからよし。
まだまだ書きたいことはいくらでもあるけど、旅日記に記録してあるものを全部書いていたらきりがないし、わたしの上海訪問はこのときだけではないので、あとはおいおい報告していくことにしよう。
とりあえず1992年12月の旅はこれで終わりである。
おいおい、きれいな娘とはどうなったんだ、ホテルで寝たのかという人がいるかも知れないけど、このブログは恋愛小説じゃないから、あとは勝手に想像してほしい。
ここではこのときの旅で撮った写真をムダにしたくないので、上海点描ということで、街で見かけた気になるものの写真をどさどさ掲載して締めくくろう。
上海のような都市でも道ばたに露天の食べもの屋や、靴直しや自転車の修理屋などの家内工業的職業は多い。
街をぶらついていて発見したのは北京ダックの製造工場で、まったくの家内工業。
民家の軒に下がっていたのは鳴き声を競わせるので有名な画眉鳥。
西安に行ったとき、じっさいに鳴き声を競う大会を見たことがあるけど、大谷崎の「春琴抄」に出てくるウグイスの鳴き声比べほど優雅じゃなかったね。
道ばたで売っていたネジ菓子。
いっぱしの中国人になったつもりでひとつつまんでみた(中国では味見はふつうの行為である)。
固くて食えなかった。中国人の歯が丈夫になるわけだ。
92年当時の上海としては、モダーンな床屋。
街かどで見かけた黒澤明の映画にでも出てきそうな野武士ふうの3輪タクシーの運転手。
工事現場で見かけた竹の防護壁。
日本のようなキャンパス布と鉄パイプではなく、使われているのはすべて竹で、まだ市内のあちこちで見た。
民家の建て込んだ貧民窟のようなところで日向ぼっこをするおばあさん。
この一帯も都市改造の波に洗われていて、つぎに行ったときはもうあとかたもなかった。
おばあさんは住みなれた家をはなれてどうなっただろう。
野武士ふうの3輪タクシー運転手も失職しただろうし、進歩というのはときに残酷なものである。
そんなごみごみした町をぶらついていたら、まえを行く女の人がきれいな壷のようなものを、後生大事にささげもって歩いているのに気がついた。
おお、あれはひょっとするとアレではないかと、こっそりついていったら、彼女は中身を公衆便所に空けていた。
彼女が持っていたのは、夜中に用をたすための便器“おまる”だったのだ。
92年当時はまだこんなものがじっさいに使われていて、昼間になると、洗ったものがよく家のまえに干してあるのを見たものだ。
中国は遅れているなと感心するのはだれにでもできる。
わたしたちがほんとうに感心しなければいけないのは、そういう中国の都市がわずか30年ほどで、東京に匹敵する近代都市に変貌したということなのだ。
以前テレビ番組で、上海の若い娘が日本までウォシュレットを買いに来て、自宅でひとりで取り付けているのを見たことがある。
いまでは朝になるたびに、おまるをかかえて公衆トイレに通う人もいなくなっただろう。
むかし読んだ中国語テキストの著者が、中国の街を歩いていると、どこに行っても郷愁のようなものを感じるといっていたけど、同じことを感じるわたしは幸せなのか、時代遅れのアナクロ人間なのか。
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