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2023年10月 7日 (土)

中国の旅/みたび中国へ

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1994年ごろ、わたしの周辺でにわかに中国ブームが起こった。
といってもわたしの周辺にそんなに国際関係に興味のある人間が多かったわけじゃないから、原因はきわめて単純なものである。
わたしの職場近くにカラオケスナックがあって、そこに数人の中国娘が働いていた。
いつの時代にも景気のよくない国からいい国へ民族の大移動が起きるように、当時はなんとか景気のいい日本に行ってお金を稼ぎたいと、斡旋業者に法外な金を払って来日する中国人がたくさんいたのである。
たまたま同僚のひとりがそんな関係から、中国人の娘と結婚し、それを聞いたほかの独身男たちが色めきたったというわけだ。

わたしが中国に興味を持ち、じっさいに2度も行ってきたことを知った同僚が、そのスナックにいっしょに呑みに行かないかと誘ってきた。
カラオケの大嫌いなわたしだけど、本場の中国人から中国の話が聞けるのではないかと、何度かその店に顔を出したことがある。
あまり外で呑むことのないわたしは、あらかじめ中国に関係のある話題を考えてから行った。
たまたま新聞で見つけた「陰局部有毛毛雨」という言葉をおぼえておいて、店で女の子にこれはどういう意味ですかと訊いてみたのだ。
イヤラシイわねえという反応だったけど、そんなことはない。
これは天気予報で使う「ところにより雨」というセリフだそうだから。
このころからわたしは独学でぼつぼつ中国語の勉強をしていたけど、机に向かうとすぐになにかしら妄想にとらわれてしまう性格なので、いっこうはかどらかった。

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そのうちスナックで働いていた上海娘のひとりが里帰りをすることになり、ついでに同僚たちの数人が、彼女といっしょの上海旅行を企てた。
誘われてわたしの気持ちも揺れ動いた。
だいたいわたしは変人で、趣味が他人と合わない。
年にいちどの職場旅行もめったに参加したことがないし、職場にあった山登りクラブも、創設者のひとりに名を連ねておきながら、複数よりは単独で行くことが多かった。
見たいものや食事の好みが異なること、すぐに宴会になるスタイルが苦手だったので、旅行もむしろひとりのほうが気楽でよかったのだ。

それでもいっしょに行こうかと考えたのは、また通訳つきの中国旅行ができるという期待があったことと、同行する上海娘が実家に招待してくれるというので、中国人の家庭を見られる絶好の機会だったからである。
仲間たちとのフリーツアーなら、向こうに行ってから単独で行動したってかまわないんだし。
そんな事情で今回の中国旅行は同僚たち数人との、グループ旅行ということになってしまった。

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とりあえず経験者のわたしが旅行計画を一任され、あちこちの旅行会社に当たってみて、「上海フリーツアー7日間」というツアーを見つけた。
料金は8万9千円(わたしの場合、ひとり参加=個室利用ということで、さらに3万3千円取られた)で、前回と同じように飛行機とホテルは向こうまかせ、ただし現地ではまったくの自由行動というやつである。
ホテルの選択肢はふたつあって、そのうちのひとつが「龍門賓館」になっていたから、このホテルが上海駅のすぐとなりだということを知っていたわたしは、迷わずにこれを選択した。
同行者は同僚のA、B、C、D(年令順)に、ワタシの5人で、案内してくれる上海娘のW嬢は先に行って向こうで待っているという。

おっ、いきなり7日間かい、豪勢なもんだねといわれても困る。
この紀行記事の始めのほうで書いたけど、このころのわたしは自分の無能ぶりをしみじみと自覚して、こんな人間が結婚してもうまくいくわけがないと悟り、まともな家庭を放棄する決意をしていたから、海外旅行をする金ぐらいはあったのだ。
しかも仕事は、わたしひとりがいなくてもだれにも迷惑はかからないという無責任なものだったから、いくらでも長期休暇が取れたのである。
世間並みにいろいろ悩みの多い人生だったんだよ、わたしって。

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旅行が本決まりになると、参加者たちは向こうで知り合った中国娘に、土産は何がいい、パンストなんかどうだと騒がしい。
共産主義の国ではまだパンティストッキングが強力なくどき道具になると信じられていたころである。
わたしもいろいろ調べて、向こうでひっかけた女の子を連れていくには、シェラトン・ホテル内のJJというディスコがいいらしいよと、まあ、ロクなもんではない。

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今回のわたしは上海から日帰りも可能な蘇州に足を伸ばすことにした。
蘇州は2年まえの初めての中国旅行で訪問しているけど、えらい暑い季節の強行軍で、帰国してから膀胱炎になってしまったくらいだ。
肝心の景色はほとんどエアコンの効いた車の中からしか見物できなかったので、東洋のベニスと呼ばれる運河の街を、今回は自分の足でじっくり歩いてみようと考えたのである。
というわけで、わたしの3度目の中国旅行のスタートだ。
これは1994年の2月の旅なので、前回の上海から帰ってから1年と2カ月後の旅ということになり、やはりほぼ30年まえということになる。

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