中国の旅/夜遊び
ホテルにもどってシャワーを浴びる。
まだ寝るには早いけど、すでにあたりはまっ暗である。
わたしはひとっ走りタクシーを飛ばして、無錫いちばんの繁華街である人民路と中山路の交差点あたりをざっと眺めてくることにした。
さいわい雨はほとんど止んでいた。
ホテルの玄関には太った年配のガードマンがいて、わたしの顔をみるとニコニコしてえらく愛想がい。
ワタシがタクシーを呼んであげるから、まあ、ホテルのロビーで待っていなさいという。
ところがどんよりした日が暮れたばかりで、タクシーのつかまえにくい時間帯である。
ガードマンが手をあげても、やってくる車、やってくる車、みな実車中ばかりで、暖かな屋内で待っているわたしのほうが恐縮してしまった。
ようやくつかまえたタクシーは、近道でもするつもりだったのだろう、中山路の直前で細い路地に入りこんだ。
ところがここで、突然ドカンという音とともに、道路のまん中にあいていた四角い穴にタイヤをはまりこませてしまった。
運転手も馴れたもので、さっそく後部トランクからジャッキを持ち出したから、こういうことはしょっちゅうあるらしい。
そのうち前から大きなバスが路地に入ってきたものの、時間がかかるとみてバックして出ていってしまった。
わたしはこんなところでぼけっと待つのもイヤだったので、運転手にそこまでの料金を余分に支払って、さっさと歩き出した。
予期しないところでタクシーを下りたので、人民路も中山道もぜんぜん方角がわからない。
後ろからきたできるだけ美しそうな小姐(シャオチエ=若い娘)に、人民路はここから遠いですかと訊いてみた。
彼女は困惑してワカリマセンという。
わたしは今度はそのへんの店のおばさんに訊いてみた。
無錫一の繁華街の交差点はすぐ近くだった。
繁華な通りを往復してみると、建物のスケールはちがうものの、にぎわいは上海などの目抜き通りとさして変わらない。
ある場所に大きな遊戯場があり、そのまえで妖しい雰囲気の少女が2人で抱き合っていた。
いわゆるレズという関係なのか、写真を撮るにはいい被写体だけど、カメラを向けたらそのとたんに2人はびっくりして離れてしまうだろう。
そういえば上海娘のW嬢も、わたしが以前ポン引き氏に紹介されたきれいな娘と、会ったばかりなのにすぐ恋人同士みたいに手をつないで歩いていた。
中国人の女性は、わりあい気楽に同性同士で手をつなぐことが多いようである。
そのうちわたしはぞくぞくっと肌寒さを感じた。
シャワーを浴びてすぐ、冬の夜の街に飛び出してきたのである。
こいつはヤバイ、風邪をひいてはたまらんと、わたしはホテルに引き上げることにした。
ところがまたしてもタクシーがなかなかつかまらない。
やってくる車を見るとどれも助手席に客が乗っているのが見える。
そのうちわたしは気がついた。
どういうわけか、夜になると無錫のタクシーには、たいてい助手がひとり同乗していて、遠目に見て客が乗っているように見えるタクシーでも、空車であることが多いのだ。
日本のように空車ランプがアテになるわけではないのである。
わたしはむくつけき男が2人乗っているタクシーをようやくつかまえた。
2人乗っていても料金はメーター通りであった。
これでは運転手の稼ぎがいくらになるのかと少し心配になるけど、これは強盗が多いせいだろうか。
それにしても野郎が2人も乗っていては、若い娘が利用するには勇気がいるだろう。
わたしはメクラへびにおじずで、平気で夜の街をカメラ片手にさまよっているけど、ほんとはずいぶん危険なことをしていたのかもしれない。
夜はまた「琨瑰園西餐庁」で食事。
大きな口の肖さんが嬉しそうな顔をして注文をとりにきたから、わたしはあなたに会いたかったと紙に書いてみせた。
もちろんお世辞だけど、ついでに風邪ぎみだ、紹興酒を熱くしてくれと頼む。
まえのテーブルで2人の娘を連れた父親らしい男性が食事をしていた。
わたしが肖さんらと会話中に、ニーハオは日本語で・・・と言いかけると、まえの娘たちがコンニチワと合唱した。
わたしはどうもありがとうという。
娘2人の写真を撮ろうとすると父親の機嫌が悪い。
わたしを日本から来たスケコマシとでも思ったらしい。
この晩は店のマスターみたいな男もわたしのとなりにやってきた。
ちょっとヤクザっぽい若者で、気むずかしい顔をしていたけど、べつにわたしに反感を持ったわけでもなさそうだった。
勘定は90元で前日と同じ。
メシを食っていると、わたしのテーブルに酔っぱらった客がすわった。
鼻下にドジョウヒゲを生やして、頬っぺたにあるホクロからもひょろひょろと数本の毛を生やした若い男だった。
わたしが彼に酒をすすめると、男は自己紹介をして、自分の名前は“李”であると書いてみせた。
食事を終えてわたしがホテルに帰ろうとすると、彼が追いかけてきて、いっしょに来いという。
意味がよくわからないけど、オレの家に遊びに来いとでもいってるのかもしれない。
こんなとき見ず知らずの相手にほいほいとついていくのは危険かもしれないけど、考えてみるとわたしは偶然に彼と知り合ったのであり、彼が日本人をカモにするつもりでレストランで網をはっていたとは思いにくい。
わたしは彼についていくことにした。
2人してタクシーで乗りつけたのは、広い通りに面した、小さな喫茶店のような店だった。
店のカウンターの中には、素人っぽい、まだ少女のような顔をしたママさんがいた。
客はハンサムな若い男がひとりだけ。
彼女の前でコーヒーを飲んだあと、李クンはわたしを店の奥にある個室に案内した。
個室はカーテンで仕切られた小さな部屋で、明かりがなくまっ暗である。
こいつは同伴喫茶じゃないか、ヤバイなとわたしは思った。
店にはいつのまにかもうひとり若い娘がやってきていた。
客だろうと思ったこの娘は、じつは、李クンが電話でもしたのだろう、わたしの相手をするためにやってきたのである。
わたしは彼女といっしょに個室に押し込められてしまった。
仕方なしに名前を訊いたりしてみたものの、まっ暗なので筆談をするのもそのくらいがやっとである。
こんな女に手を出したらいくら取られるかわからない。
わたしはトイレはどこだと訊ねた。
トイレは店の外にあった。
店のすぐとなりに、なにか団体の接待所に使われているらしい大きなホテルふうの建物があって、トイレはそこのを借用するのである。
用心深いわたしは、万一のさいのために200元だけを別にしてポケットに入れた。
法外な金額を要求されたらこれしかないといってやるつもりだった。
店にもどり、同伴していた娘に50元を渡し、べつの個室にいた李クンを探して、もう帰るよといってみた。
彼はそっちでしっかり女と抱き合っていた。
そっちの女のほうがわたしの好みだったのに図々しいやつだ。
カウンターの中の娘に全部でいくらと訊くと500元だという。
そら来たとわたしは思った。
李クンや女の飲んだ分のお茶を含めたって、せいぜい4、5杯ぐらいのものなのに、500元といえばホテルの宿泊料より高い。
わたしは「没有」とはっきりいって、金はない、領収書をくれ、明細を教えろと強く要求した。
ふくれっつらをした娘はこちらの質問にひとつひとつ、コーヒーは20元、お茶は20元などと答えた。
飲物のほかに“雅座費”というものがあって、これが女のサービス料金らしい。
しかしわたしは女の手をにぎったわけでもないし、腰を抱いたわけでもなく、せいぜい20分くらいわけのわからない会話をしただけである。
わたしは李クンを呼んだ。
李クンはびっくりして出てきたけど、わたしは彼の前でカウンターに百元札をたたきつけ、そのまま店を飛び出してしまった。
運よく、すぐにわたしの前にタクシーが停まり、客をおろしたから、わたしはそのタクシーでホテルにもどった。
この晩はちょっとあぶない体験をしてしまったけど、わたしにはすこしだけ痛快な気分もあった。
このくらいのハプニングがないと旅はおもしろくない。
それにしても李クンは・・・・彼も店の仲間で、日本人から金をまきあげるためにわたしを誘ったのだろうか。
ベッドで横になるとほどなく部屋のドアがノックされた。
ドアを開けると悄然とうなだれた李クンが立っていた。
たぶん日本人がひとりで泊まっている部屋ということを、ホテルで聞いたのだろう、彼はわたしに、悪いことをした、お金を返しにきたという。
じっさいに百元をわたしの手に押しつけた。
わたしも申しわけない気分になってしまった。
李クンは悪い男ではなく、気のいい、ただの飲んべえだったのだ。
わたしを変な店に誘ったのも、仲良くなった日本人に女を紹介してやろうという、彼にとって精いっぱいの好意だったのだろう。
わたしはお金は要らない、店の女の子にでも上げてくれといってみたけど、彼は無理やり百元を置いて帰っていった。
彼には悪いことをしてしまった。
あとでこの晩のわたしのしたことをしみじみ考えでみたけど、同伴喫茶に行った時点では、わたしにはなにもわからなかったのだ。
ヘタに女に手を出して、法外なお金を取られてはたまらないから、店に対するわたしの態度がまちがっていたと思わない。
それでもあと味の悪さだけはしばらく消えなかった。
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