中国の旅/西子号
無錫に出発する日は、朝5時に目覚めてしまった。
部屋は15階だというのに、龍門賓館では地上の騒音がそうとうにはげしい。
やかましいなと思いつつ、窓から見下ろすと、駅のホームが雨にぬれているのがわかった。
この日の天気は雨まじりの曇天だった。
シャワーを浴びたあと、身支度をととのえ、前日の夜に食事をした駅構内の「上海埔友快餐館」に行ってみた。
この店は日本の立ち食いソバみたいな軽便な食堂で、日本の観光客がぜったいに利用しないような汚い店だ。
食券売場で買った食券をカウンターの上に置き、てきとうなテーブルにすわって待つと、やがてカウンターに注文の品が置かれる。
日本にもよくある方式である。
前夜の食事は、楊州チャーハン(10元)とビール(6元)ですませてしまっていた。
これは日本円で200円ちょっと。
味も見てくれもけっしていいわけじゃないけど、ちゃんと腹はふくれるし、なにより中国の一般大衆の食事のありようを、身近に観察できるのが楽しい。
この朝食は麺とビールで10元だった。
この日は無錫へ行く予定なので、朝食のあと、まずホテル内の切符売場へいく。
切符売場は7時半から営業で、10人ほどが並んでいたけど、あいかわらず係の女性の態度はわるい。
それでも並んでいる人たちは和気あいあいとしていた。
中国ではなにかを買うとき、店員の態度がわるいと怒っていては身がもたない。
それにホテル内のこの売場は1等車の切符しか売ってないので、ここにならんでいる人たちはだいたい金持ちのはずである。
金があれば、たいていの人は和気あいあいとするものだ。
あらかじめわたしは、上海を昼ごろ出て、無錫に午後の早い時間につく列車はないかと、時刻表を調べておいた。
すると「游12」という列車が11時30分に出ることがわかった。
これなら余裕をもってホテルをチェックアウトできるし、無錫には13時半に着くから向こうでホテルを探す時間も充分ある。
わたしはこの列車に決めた。
座席は2等でも3等でもいいけど、この売場では1等車以外は売ってくれないことになっていて、しかもおそろしいことに、外国人は乗車券、指定席券、寝台券、空調費など、すべての料金が一律に倍である。
これについては中国側にも言い分があって、なにしろわたしは中国の鉄道で働く人々より何倍も収入の多い国から来たのだ。
去年、蘇州に行くのに使った列車もこれだったかもしれない。
そうだとすれば2階建て列車のはずだ。
この列車に2楼はアリマスカ、アリマシタラわたしは2楼が欲シイというと、不愛想な係の女性は少しばかり笑顔をみせて没有といった。
2階席はもう売り切れということだった。
1階でも我慢するとして、切符代は50元(600円くらい)と空調費などがプラス。
これは日本でいうと1等の座席指定にあたる。
外国人は料金が一律に倍と書いたけど、この値段が高いか安いかは日本の鉄道と比較してみればよい。
上海~無錫間は126キロ、これは東京から東海道線の三島あたりまでの距離に匹敵する。
JRで三島まで、1等の座席指定に乗って600円ですむだろうか。
9時ごろ、宿泊料金を精算してもらってチェックアウトをする。
宿泊料金は680元で、服のクリーニング代など、もろもろが加算されて842元になった。
これでは前日に払っておいた押し金(保証金)の1万円で足らないので、20元ほど追加を支払った。
ホテルをチェクアウトして駅に行ったが、まだ時間はたっぷりある。
列車を待つあいだに、駅前に出来た新しい4階建てのデパートを見物してみることにした。
このデパートは、駅前広場をはさんで上海駅の正面に対座しており、「MP名品商厦」という大きな看板を上げている。
入ってみてその豪華さにたまげた。
店内は全体が大きな吹き抜けになっており、1階には池がしつらえられ、たくさんの噴水が七色の光で照明されていた。
1階が化粧品や貴金属品の売場、2階はファッショナブルな服装品売場であるところは日本のデパートと同じで、2階には日本の“三愛”も入っていた。
しかし豪華なのはせいぜい2階までで、3階、4階はだんだん中国らしいダサい売場ばかりになる。
エレベーターはひとつもなく、エスカレーターは1機が修理中だった。
わたしは赤いボールペンを買ってみた。
ボールペンは2元2角(25円くらい)だけど、買い方は中国流で、たかがボールペンでも、以前上海の本屋でマンガ本を買ったときと同じセレモニーを体験しなければならない。
あちこち走りまわって、なんとか売っていただくという感じだ。
金銭の管理がきびしいのは、店員にちょくせつ金のやりとりをさせると、品物もお金もみんな行方不明になってしまうということだろうか。
駅前には地下鉄も出来ていた。
のぞいてみたが、まだ1日の本数が8本しかなく、料金も高いようで、とても一般の中国人の足にはなりようがないようだ。
地下通路はがらんとしていて、物見客らしい人々がなんとか地下鉄を見ようと、せいのびして改札口からホームをのぞきこんでいた。
なんとなく冷え冷えとした光景なのは、がらんとした通路のせいばかりではなく、暖房が効いてないせいもあって、改札の女性駅員はボアつきのジャンパーで退屈そうにすわっていた。
地下鉄についていうと、わたしはひょんなことから上海駅前の変貌を順をおってながめることになった。
3年前にひとりで上海の駅前を歩いたときは、そこには戦時に防空濠として使われるという地下商店街があるだけだった。
1年前に来たときは駅前は大々的にほじくり返されていた。
そして今年はそこに地下鉄ができているのを見たのである。
なんだか魔法を見ているようだ。
上海駅前はだだっぴろい広場になっていて、この日の広場はいつもどおりの混雑だった。
いや、いつもより混雑がはげしいようだ。
今年は1月31日から春節(旧正月)が始まるので、帰省する人々の混雑がそろそろ始まっていたのである。
そうでなくても、だいたい中国の大都市の駅前というのは、どこでもいつでも夜中でも、人間があふれかえっているのがふつうだ。
夏になると暑くて家にいられないというので、用もないのに駅に来る連中もいるから、よけいに混む。
しかし異国では、人間をながめているだけでもおもしろい。
わたしは人混みの中を、周囲を観察しながらゆっくり歩いた。
うすぎたない大勢の人々が、夜逃げでもするように大きな荷物をかかえこんで、あちらこちらの地面にすわりこんでいる。
集団就職で働いていたらしい娘さんたちのグループも、駅まえで野宿をしたらしく、疲れきったようすで肩を寄せあっていた。
人々の中には、独特の服装や頭巾をかぶった少数民族の姿もみられる。
駅前は混雑していても、1等の旅客には静かな軟座待合室が用意されていた。
ドアひとつへだてたこの待合室は、外国人や金持ちの中国人のためのもので、一般大衆が足を踏み入れることのできない別世界だ。
列車の発車まで1時間足らずというところで、わたしは軟座待合室に入り、今度はそこにある土産もの売場を見てまわった。
なんとなくホコリっぽい売場ばかりで、ある店では大きなあくびをしている店員の娘と目が合ってしまったから、ニヤッと笑ってやった。
列車(西子号)の指定席に行ってみると、わたしの席は中国人の家族らしいグループに占領されていて、わたしは彼らに頼まれて別の席に替わることとなった。
替わった席は通路側で、となりと正面に不愛想な男性が2人座っていたので、あまり居心地はよくなく、景色もあまり見られなかった。
この列車は蘇州までほぼ満員だった。
無錫の位置をおおまかに述べるなら、まず長江(揚子江)の河口ふきんに発展した街が上海であり、そこから列車で西に一時間ほどゆられたところに蘇州があり、蘇州から一時間ほどゆられた先が無錫である。
蘇州の近くには、雪でも降ったのかとおどろくほど、あたり一画がまっ白になった街があった。
セメント工場があるんだけど、公害はダイジョウブなんだろうかと思ってしまう。
蘇州に着くとほとんどの客が下車して列車はがらがらになってしまった。
車掌がまわってきて、テーブルの上に残された食べものの残骸を掃除していく。
あるテーブルで車掌が飲み残しの紙コップを捨てようとすると、そこにはまだ男性客が座っていて、持っていかれてたまるかと、あわてて紙コップをひったくった。
なにもあんな顔をしてにらむことはないじゃないか。
相手は女性であるし、ここはひとつ微笑みをうかべて、イエ、まだ飲みますとひと言いえばいいのに。
それとも中国では、車掌はいちおう国家公務員なので、一般庶民がお上に抗議するなんてとんでもないことである・・・そういう習性が身に染み込んでいるために、この客もお上のはしくれである車掌に文句をいうことができず、ただ顔と身ぶりだけで抗議の意思表示をしたのだろうか。
列車ががらがらになったので、わたしは車掌にことわって2階席に移ってしまった。
すいた車内をひとりの少女が走りまわっていた。
写真にかこつけて彼女とすこし会話をしてみた。
家は上海かと訊くと杭州だと答えたから、またえらく遠くから来たなと思ったら、母親がこの列車の車掌をしていて、列車を幼稚園として利用しているらしい。
日本だったら公私混同とえらい騒ぎになるところだ。
| 固定リンク | 0
« 中国の旅/その日に | トップページ | 全体の把握 »
コメント