中国の旅/待ち合わせ
虎丘の塔を見たあと、もう時間が3時近かったので、仲間と待ち合わせた「寒山寺」へ向かうことにした。
リキシャの運転手は近道をすることにしたらしい。
寒山寺までの道すがら、わたしたちの車は全体がゴミ捨場みたいなおそるべき町を通った。
蘇州の美しさは尋常の神経では理解しがたいものかもしれないけど、このあたりの不潔さだけは、わたしでさえどうにかならないものかと思ってしまった。
民間企業に清掃を委託し、郊外に焼却場をつくればいい。
社会主義の国だからその気と金さえあれば、住民の反対運動など起こりようがない。
私営企業を認可するなら、見てくれのよい企業をたくさん認可するより、清掃会社をひとつ認めるほうがよっぽどマシではないか。
こんなふうに実行力はないくせに、他人の欠点を見つけると、よけいなお節介を焼きたがるのがわたしの欠点なんだけどね。
寒山寺には3時半ごろ着いたけど、仲間たちはまだやってきていなかった。
わたしは寒山寺を見学したことがあるので、ここには入ってみる気もおきなかった。
門前に堀があり、橋を渡った正面にレストランがあって、そこなら食事をしながら寒山寺の門に出入りする人々を見張ることができる。
時間つぶしと見張りと昼食をかねて、リキシャの運転手とこの店でメシを食うことにした。
このレストランは古い中国式飯店で、2年まえにはじめて見たとき、魯迅の小説に出てくる孔乙己(こういっき)が千鳥足で出てくるんじゃないかと思ったくらい、運河べりのたたずまいがなんとも絵になるところである。
わたしはこの店に入ってみたくてたまらなかったのだ。
橋をわたってレストランに入ってみると、店内はやはりあまりきれいな店ではなかった。
わたしたちは奥の部屋の窓ぎわに通された。
ビール2本とでっかい魚2匹ほか2品くらいを決め、レストランの亭主にいくらかと訊くと100元だという。
前夜のレストランの夕食が、ビールが1本、ライスとラーメンに料理が3品で43元だから、それに比べるとやはり高いかなと思う。
高いといってもここは観光地だし、日本円で1300円くらいでは文句もいえない。
レストランの亭主は、ワタシは徳島県に知り合いがいるといって、日本人の名刺を出してきた。
日中友好協会のなんとかと書いてあったけど、そんなエライさんは知らないし、わたしの知り合いに徳島出身の者はいないから、あ、そうというしかなかった。
ここでもわたしのお節介が頭をもたげる。
寒山寺のまん前にあって、雰囲気がいい店なのだから、ちょっと改造して長所を伸ばせば、これはフランス料理のレストランとしても使えるのではないか。
わたしに資産も実行力も、そのことを説明する言語能力もないのが残念である。
この店はどうなったのだろうかと、ネットでいろいろ調べてみたけど、寒山寺の門をとらえた写真はたくさん見つかるのに、門のほうからこのレトロなレストランをとらえたものはひとつも見つからなかった。
店でリキシャの運転手といろいろ話(筆談)をした。
彼の名前は曹クンで、若く見えるけど42歳だといい、子供が2人いるそうで、わたしが独身だというと驚いていた。
彼はわたしにタバコを勧めてくれたけど丁寧にことわった。
わたしは高校生のころ試して、いちどで懲りたという人間だから、肺は生まれたときから清浄なままなのだ。
なかなか仲間たちが見えないなと案じていたら、4時半ごろになってジーンズ姿のW嬢が門前をうろうろしているのが見えた。
飛びだしていって呼びかけると、なんのことはない、全員がしばらくまえから駐車場に停めたバンのなかで待っていたのだという。
バンで来るとは予想していなかったので、わたしはぜんぜん気がつかなかったのだ。
一行はAさん、Bさん、C、Dと、W嬢以外にY嬢というもうひとりの女性を含めた6人だった。
わたしはいったんレストランにもどり、適当なところで食事を切り上げ、曹クンにゆっくり食べてから帰りなさいといって、握手して彼と別れた。
仲間たちは朝6時に上海を発ち(えらく早いけど、この時間しか列車の切符が手に入らなかったのだそうだ)、蘇州に到着すると、すぐバン・タクシーを借り切って、1日あちこちを見物してまわったのだそうである。
バン・タクシーの料金は360元だったといい、中国娘のW嬢がいるからそれほどふっかけられたわけではないだろうけど、駅で持ちかけられるままに話に乗ったというから、相手にとってはいい商売だったに違いない。
ついでに帰りの列車の切符まで買った(売りつけられた)という。
わたしは駅で長時間並んで切符を買うよりも、多少高くてもダフ屋から買ってしまったほうがいい場合もあるだろうと考え、後学のためにこのときの状況をよく聞いておいた。
話をもちかけてきたのは私服を着た軍人で、軍人特権を利用したアルバイトだといったそうだ。
先軍主義の中国では、軍人は優先的に切符を買うことができる。
彼らはむろん中国人料金で買う。
それを外国人に倍の料金で売りつける。
外国人にとっては、正規に購入しても倍なのだから、この方法は並ばずにすむだけありがたい。
ただし軍人たちは軟座(1等車)券を買うことができないから、この方法では2等車切符しか買えないという。
列車の時間まで2時間以上あったから、蘇州駅まえの運河べりにある「第一舫大酒店」というレストランでヒマをつぶすことにした。
この店は2階になっており、なかなかきれいな店で、若いウェイトレスがたくさんいた。
中国のレストランでコーヒーだけというわけにはいかないから、またわたしたちはビールを頼み、つまみ代わりの料理をとった。
ビールを呑みながら、仲間たちにこの日と前日の行動などを聞く。
前日はW嬢の案内で、上海市内の見学をしたというんだけど、外灘や豫園、南浦大橋、楊浦大橋など、名所観光地ばかりをまわっていたようで、あまりおもしろそうでもなかった。
北京ダックを食べたとか、カラオケに行ったと聞いてもわたしはぜんぜん感心しない。
蘇州に来てからももっぱら有名な観光名所ばかりを見てまわっていたようで、北寺の塔に登ったなんていっていたから、路地だとか市場、お寺の裏側ばかりに鼻をつっこむ好奇心旺盛な仲間はひとりもいなかったようだ。
わたしは蘇州のあちこちで見かけたカラフルな下着について、Y嬢に訊いてみた。
ああいうものをあなたもはいているんですか。
彼女は笑って首をふった・・・・
そのうち夕暮れがせまり、レストランのベランダから運河に映えるきれいな夕陽が見えた。
なかなかいい景色だけど、この景色がいつまで維持されるだろうかと、わたしはちょっぴり感傷的な気分にもなった。
最近の蘇州の街をネットで検索してみると、まるで全体がテーマパークである。
そりゃおもしろい体験をし、美味しいものを食べ、ブランド商品を買うのもいいけど、わたしに限れば、たとえば歴史の中をさまよったり、とっくに死んだ英雄たちと会話しながら旅をしたいと思うのだ。
しかし中国政府は白壁の汚れを洗浄してきれいな街に変え、蘇州を大観光都市として再生させた。
同時に何千年も積み重ねた歴史も洗浄されてしまったのだ。
余計なことをしやがってと思うのは、当時を知っているわたしだけかも知れないけど。
20時すこしまえの列車で上海へ向かう。
指定席には違いないけど、これは硬座(2等車)で、値段はたったの6元(70円あまり)だ。
でも軟座より庶民的な客ばかりなので、これはこれでおもしろかった。
わたしがひとりで、仲間たちと通路をはさんだ反対側の席に座っていると、そこへ女性ばかりのグループがどやどやと乗り込んできた
そのうちの母娘らしい2人連れがわたしのとなりに座った。
母親はおばあさんだが、娘は30代くらいのきれいな女性である。
わたしは席を交代して、母娘が並んで座れるようにとりはからい、まもなく彼女たちの写真を撮るほど親しい関係になってしまった。
女性たちの中には「サラダ記念日」の歌人、俵万智に似た娘もいた。
わたしの座った車両は最後尾の車両だった。
列車の後部がどうなっているかと興味があったので、途中でちょっとのぞきにいってみた。
列車の後部は連結部分が開けっぴろげになっていて、デッキから後方の闇の中に飛び去っていくレールが見える。
メガネをかけた老車掌がいて、わたしが写真を撮るのをほほえみをうかべてながめていた。
写真を撮らせてもらうと、彼はあとでわざわざ客室のわたしに挨拶をしにきた。
これが旅の醍醐味というもんだろうねえ。
大勢でかたまって歩いているだけでは、なかなかこういうチャンスはないと思う。
上海の手前で、線路ぞいのまっ暗な街道に、ドライブインのような食堂を何軒か見た。
あたりに民家の少ない場所で、わびしいネオンのともった店のたたずまいを見ると、わたしはいつも「郵便配達は二度ベルを鳴らす」という映画を思い出してしまう。
どうしてなのかわからないけど、わたしはこの小説を読んだことはないのである。
ということで、わたしの蘇州めぐりは終わりだけど、わたしの旅はいつもだいたいこんな調子だ。
ひたすら歩き続けるだけ、名所旧跡なんかほとんど出てこないし、いまの時代に役にたつ情報があるわけでもないから、おもしろくないと思った人は、この先を読んでもしようがないヨ。
わたしはこれから西安や敦煌や、はるかな新疆ウイグル自治区を目指すことになるけど、先はまだまだ長いので、この紀行記が終点に到達するまで生きていられるかどうかわからない。
それでもわたしは命のあるかぎり、この旅の思い出を綴っていこうと思う。
あまり輝いたことのないわたしの人生が、いちばん輝いていたころを回顧するのは、死にかけたじいさんにとってトッテモ楽しいことであるし、できることならこの文章が、台湾有事だなどと一方的な見方しかしない昨今の風潮を撃破して、もっと広い視野でものを考える一助になってほしいのである。
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