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2023年10月14日 (土)

中国の旅/南林飯店

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めざす「南林飯店」に着いたのは14時半ごろだった。
守衛のいる門があり、中庭に木立の繁る大きなホテルだけど、かって知ったる宿なのでずんずん歩いてフロントへ行く。
部屋の予約は拍子抜けするほど簡単だった。
「日本語わかりますか」と訊くと、フロント係が「ワカリマセン」と答える。
英語で、ワタシハ部屋ガ欲シイというと、小さな用紙に必要事項を記入しただけ(パスポートは必要)で、すぐ部屋のキーをくれた。
このころはまだ中国人は国内旅行をするほど豊でなかったので、わたしはこのあとも中国をあちこち旅をして、飛び込みで泊まれなかったことはいちどもない。

あとは勝手に部屋へ行くだけである。
1泊料金は418元、日本円で5,500円くらいだから、ホテルの規模からすればかなり安い。
部屋は608号室で、設備は上海の龍門賓館と似たようなものだったけど、こちらのほうが全体に古く、それだけに落ちつきがある。
木造家具はみがきぬかれたニスでてらてらと光っていた。

百元札の両替をしてもらい、フロントわきの喫茶店で缶ビールを飲んで渇きをいやしたあと、ぶらぶらと市内散策に出た。
南林飯店の門前にはリキシャ(自転車にリヤカーをつけたような乗りもの)がたむろしていて、運転手たちがいつも路上で博打をしている。
わたしの顔をみると、おっ、お出かけですかい、どうですリキシャはと、なんだかえらく気安い口ぶりである。
わたしはいらんという。

以前に泊まったときは、宿へ着いたのが暗くなってからだったので、あたりの様子を把握しにくかったけど、今回のわたしは、地図を参考にホテル前の通りを東へ向かって歩いてみた。
そちらに「篈門」という古い蘇州城の城門があるはずである。

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歩いていると、途中の民家の壁に「網師園」という文字と矢印が書いてあった。
網師園がなんなのか知らなかったけど、そこから民家のあいだに細い露地が続いていたから、おもしろそうというので入ってみた。
露地の両側は年代がしみこんだような白壁である。
地面には石畳がしきつめられており、露地は細い回廊のようである。
旧正月中なので、「天地人万物皆春・福禄寿三星竝茂」などと、日本人にもわかるおめでたい文字を書いた赤い紙を、入口の扉に貼った家もあった。
途中の民家のまえに2人の老婆が座りこんでいた。
その頭の上にはたくさんの魚の切り身がヒモにつるされている。
この切り身を干してある光景はあちこちで見たけど、冬のあいだの保存食だろうか。
まさか春節(旧正月)のおまじないではないだろう。

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網師園を無視してさらにぶらぶら歩いていくと、わたしを日本人とみたリキシャの運転手が、つぎつぎに乗らないかと声をかけてくる。
わたしは歩かなければ街の様子はわからないと考える旅人だから、それらをかたっぱしから無視した。
しかしひとりのリキシャ運転手は特にしつこかった。
10元、10元といいながら、彼はわたしにどこまでもつきまとってきた。
顔を見ると、朴訥な顔をした若者で、あまりタチの悪そうな運転手にも見えなかったから、とうとうわたしも根負けして彼のリキシャに乗ることにした・・・・リキシャなら、歩くのと感覚的にそう違うわけではないと勝手な理屈をつけて。

リキシャに乗って街を見物するのは愉快な体験である。
乗りごこちはごっついけど、明治時代に日本へ訪れた博物学者のモース博士が、人力車の便利さ快適さに感心したように、街をじっくり見物しようと思ったら、タクシーよりよっぽどマシだ。
人間を牛馬のように使役するには疑問もあるけれど、貧しい国にあっては、わたしが乗ることによって彼の生計を助けているのだという弁解も成り立つ。

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リキシャはじつに頑丈単純にできている。
むかし豆腐屋が荷物を売り歩いていた自転車のようで、華奢な部分はこれっぽちもなく、複雑な仕掛けはなにもついていない。
運転手が時々またのあいだに手をのばすのは、これはギヤをチェンジしているのではなく、ブレーキを引いているらしかった。
ただし道路はかなり混雑しているから、交通事故にでもあったらコトである。
こんな家内工業みたいな乗り物に、保障なんてあるわけがないだろうから、運転手は片手を上げただけで大胆に方向転換をするのを見て、こちらはひやっとする。

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まもなく広い運河の橋に出た。
河面に船が行き来し、両岸にはびっしりと民家がならんでいる。
蘇州の民家と運河の美しさについては、ふつうの感覚ではむしろ汚いと考える人のほうが多いだろうけど、わたしにはその汚れぶりも、なんともいえない素晴らしいものに写る。
この運河の橋が篈門だったのだけど、すでに城門の痕跡はほとんど残っていなかった。
わたしはこのあたりがかっての城門だとは思わず、運転手にさらに前進を促した。

前進すると幅の広い道路につきあたり、これを右折するとすぐにまた大きな橋があった。
橋の上から左前方に大きな川と、広々とした農地が見える。
農地こそわたしが見たかったもののひとつである。
たいした距離ではなかったから、わたしは運転手にそこまで行ってくれと頼んだ。
橋は全体がゆるやかに弧をえがいたアーチ橋なので、上りが辛いだろうと、わたしはここでリキシャを飛びおりた。

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川の土手の上にはひょろりとした並木がならぶ道路があった。
川の支流には眼鏡橋がかかり、ヤナギが水面に影を落とし、アヒルが浮かんでいて、じつにのどかな風景だった。
まわりは冬野菜の畑だけど、木々の青ばむ5月ごろまた来たいなと思った。
土手を走ると川岸に船が何叟も係留されていて、船のなかで生活しているおばさんたちが洗濯などをしていた。
わたしがカメラを向けると彼女たちは悲鳴をあげたけど、顔は笑っていた。

土手の上の道路は舗装されていない。
こんな道でリキシャをひっぱる運転手も気のドクだし、わたしも薄着で出てきたので寒くなってしまった。
で、このへんでホテルへもどることにした。
そう告げると、運転手はわたしになにかいいたそうである。
ノートを渡すと、彼は“晩上要不小姐”、つまり女はいらないかと書いた。
試しにいくらと訊いてみると、1時間150元(2千円くらい)だという。
この値段をなにに比較したらいいだろう。
わたしがいらないと断ると、彼は100元でもいいと必死の様子である。
このころにはわたしは彼に親近感を感じていたから、ていねいに断った。

帰りは篈門のそばで、車をおろされてしまった。
運転手の言い分はよくわからなかったけど、この時間になると南林飯店の近くはリキシャ通行止めになるといっているようである。
べつに歩いてももうたいした距離ではなかったから、わたしは納得して車を下りた。
料金を最初の約束どおり30元払ったのはバカ正直すぎたかもしれない。

南林飯店のまえを素通りして、ワンブロックを一周してからホテルにもどった。
途中に洋風のパンを売っている店があったから、菓子パンを2個買ってみた。
「多少銭(いくら)」と訊くと、店のおばさんはわたしの顔を見て、ひと呼吸おいてから、目をくりくりっとさせて値段を言った。
ふっかけられたかなと思う。

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ホテルの部屋にもどり、服務員の若者に、駅から南林飯店までのタクシー料金を訊ねてみると、50元くらいをみておけばいいだろうという。
彼もまた日本語を学んでいるようで、他ニ用事ガアリマシタラ何ナリト仰セ下サイとていねいな口ぶりでいう。
ていねいな口ぶりに慣れていないわたしは、彼にチップを渡してしまった。
蘇州のメディア事情も知っておきたかったから、部屋でテレビのスイッチを入れてみた。
チャンネル数は4つで、ひとつはアニメを、もうひとつは洋楽、3番目は英会話(これが国営放送らしい)、4番目でもアニメをやっていた。
アニメは中国語に翻訳してあったものの、どうも日本の作品のようである。

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ひさしぶりに思い切り歩いたのでどっと疲れが出た。
わたしはベッドに横になってひと眠りしてしまい、目をさますともう21時半ごろになっていた。
フロントで訊くとホテル内のレストランは22時までだという。
夕食を食いそびれたわたしは、食堂を求めてまた蘇州の街へさまよい出た。

上海に比べると蘇州はやはり田舎らしく、ホテルのまわりももうほとんどの店が閉まっていた。
「神戸」という英国パブふうの高級そうな店が開いていたけど、わたしには似つかわしくない。
同じ通りの反対側にまだ灯のついた店があったので、ドアを開けて首をつっこみ、食事イイデスカと訊いてみると、いいという。

この店は地方の町の駅前にあるような、ごたごたした、あまり清潔とはいえない店だった。
テーブルが4つか5つで、すみにテレビが置いてあり、壁に大きな南の島の写真がかかげてある。
店内には7、8人の人がいて、子供も混じっていたから、客ばかりではなく、店を経営しているこの家の家族が自宅の食堂として使っているらしかった。
メニューをというと、女性がやってきた。つぎに男性がやってきた。
わたしの中国語が理解できないらしく、そのつぎには聡明そうな顔をした中学生くらいの女の子がやってきた。

椅子にすわるとわたしにも余裕がでて、まずビールを頼み、なにがなんだかわからないメニューの中から、“清蒸鯽魚”と“香茹菜心”というものを注文してみた。
RICEはないのかと訊いてみたが、こんな簡単な英語でも彼らには通じない。
メシだ、コメだと日本語で叫んでみたがやはり通じなかった。
あきらめて注文したものを待っていると、たまたま前のテーブルにすわった人が、肉と野菜の炒めもの、そしてご飯を食べているではないか。
これだこれだと米の飯を指すと、店の人は、ライスは“米飯=ミーファン”というのだと教えてくれた。
そこで米飯と、肉と野菜の炒めものを追加注文してしまった。

感心なことに、この店には紙袋に入ったワリバシがあった。
しかし茶碗はシュールリアリズムの絵のように超現実的にゆがんでおり、出てきたゴハンは粘り気のないポロポロの長粒米だった。
清蒸鯽魚は20魚センチほどの、フナを丸ごと蒸したものであり、香茹菜心はチンゲン菜とキノコを炒めたものである。
これに肉野菜の3品をならべてビールを飲みつつ、わたしはメニューに麺類がないのを不思議に思った。
ついに訊いてみた。
訊かなければよかった。
調理人はおおきくうなづき、奥からひとかたまりの麺を持ってきて、コレかという。
そうだというと、彼は大満悦でさっそくラーメン作りにとりかかった。
わたしはもうだいぶ腹がきつかったので、ただ訊いてみただけなのに。

ラーメンにはほとんど具が入っておらず、ピリリと辛かった。
腹いっぱいのわたしには半分も食べられなかったから、日本人はずいぶんもったいない食べ方をすると思われただろう。
わたしがいくらか引け目を感じながら、料金はと訊くと、43元だという。
支払いにもたもたしていたら40元にまけてくれた。

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店を出ると、スズカケのこずえに月がこうこうと輝いていた。
中国の人たちよ、バンザーイと叫びたい気持ちでわたしはホテルへ帰った。

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