中国の旅/無錫到着
「無錫」は中国語の簡体字で書くと「无锡」、発音するとウーシーという。
3年まえの団体ツアーで来たとき、ガイドさんがウーシーです、ウシシシと冗談をいっていた。
名前の由来は、むかしこの街で錫が採れたのに、いまは採れなくなったからだというんだけど、最近では錫よりレアアースだもんね。
中国ってむかしからいろんなものが採れたんだねぐらいは感心するけど、あんまりわたしには関係のない話で、関係がなければ気にしないことにしているのだ、ワタシゃ。
無錫に着いたときは今にも降り出しそうな天気だった。
列車を下りて、売店でまず地図を一冊買う。
ひとりで下り立ったのは初めてなので、わたしは無錫の地理についてまったく明るくない。
駅から眺めると、駅前をまっすぐ行ったところに「中国飯店」という大きなホテルが見える。
とりあえずあそこに泊まろうと歩き出したら、サングラスをかけた中年女が、タクシーは要らないかと話しかけてきた。
もっぱら中国人との会話に努めることにしているわたしは、タクシーは要らないけど、どこか安いホテルを知らないかと訊いてみた。
女は仲間らしいタクシーの運転手と口を揃えて、ある、ある、200元のホテルがあるという。
200元とはうれしいハナシである。
けっきょくこの運転手の、車名、年式、国籍ともまったく不明で、それでも生意気にメーターはついているという、ものすごいポンコツ・タクシーに乗っていくことにした。
乗るまえに距離を確認しておこうと思ったけど、中国語で「近いのか」というセリフがわからなかった。
しかし「遠いのか=ユエンマ」という言葉は知っていた。
どっちで訊いても同じことだ。
運転手は、いや、遠くないという。
地図で場所を教えろと要求すると、あまり遠くなさそうなところを指でなぞってみせた。
まあいいだろうと乗り込むと、運転手はメーターを入れなかった。
着いてからあんまり高いことをいったらブッとばしてやるぞと思う。
連れていかれたのは「麗新賓館」という、まあまあ大きめのホテルで、駅からほんの10分で着いた。
場所は、無錫駅から「通景路」を道なりに景山に向かい、「内塘河」という運河の橋のたもとである。
この少し先には「京杭運河」というもっと大きな運河がある。
無錫も蘇州と同じような運河の街なのである。
このホテルはいまでもあるかと調べてみたけど、見つからなかった。
無錫も大発展して、新しいホテルが乱立するようになると、改革を怠ったレベルの低いホテルは、みなその奔流にまきこまれて絶滅したのかも知れない。
こういうときストリートビューがあれば、現地を直接のぞけるのにと思う。
タクシーの運転手はネズミかイタチを思わせる狡猾そうな男だったけど、なかなか親切で、わざわざホテルの中までついてきて、わたしのかわりにフロント係に説明してくれた。
タクシー料金も20元ですんだから文句をいうほどでもなかった。
フロントには庶民的な顔をしたおばさんがいて、ふたつ返事で宿泊OKだった。
安いのはいいけど、あまりひどい部屋でも困る。
部屋を見せてくれというと、これも親しみやすい顔をしたお姉さんが部屋に案内してくれた。
おばさんもお姉さんもみなジャンパーやオーバーをはおったままだ。
ホテルの中でも暖房はあまり効いてないのである。
このブログでわたしが“おばさん”を乱発することに、失礼じゃないかと感じる人がいるかも知れない。
しかしわたしはウクライナ問題でも、プーチンの場合は親しい友人のつもりなのでつけないけど、たいていは敵味方に関係なく“さん”をつける。
若くはない女性を呼ぶのにほかの言葉があるだろうか。
一説によると、中国でも日本語の「おばさん」は通じて、あるていど図々しくなった中年女性という意味も同じだそうだ。
いまや“おばさん”は世界共通語なのである。
2階の部屋にいくには毛布のような分厚いカーテンをかきわけて、乱暴な動きをするエレベーターに乗っていく。
安ければたいていのことはガマンしようとわたしはおおらかに考えていたけど、部屋を点検すると、トイレはあまりきれいではなかった。
しかしまあ、いちおうベッドは2つあって、シャワーもついている。
窓から見える景色は、となりの建物のベランダの洗濯物と汚い運河だけだったけと、わたしが寝泊まりするのに不便はなさそうである。
200元といえば2400円ではないか、文句をいってはバチが当たらあ。
わたしは部屋に荷物を置き、サブ・カメラのニコン35Tiだけを持って、ぶらぶらとそのへんの散策に出た。
ホテルの建物はかどが美容院になっていて、そのまえで幼児と女性が遊んでいた。
ホテルのとなりの民家にはおばあさんや子供たちがいた。
わたしはさっそく彼らの写真を撮った。
サブ・カメラとして35Tiを買ったのは正解だった。
こいつは小さくて軽くて、こんな気軽な散策のお供にはきわめて重宝である。
ホテルのすぐ前の内塘河はきれいではない。
きれいな川など中国にあるわけがない。
いったい中国の河が汚いのは、なんでだろうと考えてみた。
もちろん下水道やゴミ処理場など、インフラ整備の不完全さがいちばんの理由に決まってるんだけど、ツバをはいたり、なんでもかんでも平気でそのへんに捨てる中国人のモラルの欠如は、いったいなにに起因しているのか。
中国では、川は広大な平地をゆったりのんびりと、時間をかけて流れているという地形的要因もあるだろうが、それはあまり人間精神の考察材料にはなりそうにない。
考えたって1文にもならないことだから、結論を先延ばしにしたまま歩き続ける。
運河のほとりにヤキイモ屋が出ていて、わたしが珍しそうにながめていると、親父が食ってみろといって石焼きイモを1個くれた。
見てくれは悪いけど、このヤキイモはひじょうに甘くておいしかった。
なにしろ中国のことだから、正真正銘の有機農業の産物にちがいない。
甘いのはいいけど、親父が軍手の代わりにスリッパを使っていたのはあまり感心しない。
運河にそって歩き、橋を渡って近所を一巡し、通景路を横切って向こうの通りに入りこむと、そこに自由市場があった。
市場のない中国の町なんてあるわけがないのである。
開放政策のおかげで、中国では誰でもそのへんの道ばたで物を売ることができるようになり、自由市場のにぎわい、そして品物の豊富さを見ていると、ここが共産主義の国であるとは信じられなくなってしまう。
市場をぐるぐる見てまわる。
日本では見ることのない変わった仕事、奇妙な食べものなど、好奇心の強いわたしにはあいかわらず刺激満点の場所である。
ドラムカンを利用した大釜でセイロが蒸されているし、大きな鍋でオコシのようなお菓子を製造販売しているおばさんもいれば、道路上で鏡のついたモダーンな洋服箪笥を売っている男もいた。
きれいな箪笥だけに、路上で売る神経が理解しにくい。
またオコシと箪笥が同列で売られているのもわかりにくい。
ある露店では男が大きな中華包丁を使って、肉をこまかくきざんでいた。
わたしが写真を撮ろうとすると、彼は張り切ってさらに激しく包丁を上下させた。
巨大なバカ貝のカラを器用にむいているおばさんもいた。
このおばさんもカメラを向けると、あら、いやだあといって、嬉しそうだった。
まことにもって親しみやすい人々である。
箪笥やバカ貝くらいではおどろかないけど、ある場所では男が、生きたハトの皮をむいでいた。
これは上海の市場でも見たことがあるけど、見ていると両手だけで、くるりくるりとかんたんに羽毛のついたままの皮をむいてしまう。
手ぎわはみごとだけど、ハトは皮をむかれてもまだひくひくと動いているので、文明国の住人には正視にたえない光景である。
しかしこれを軽蔑するわけにはいかない。
自分が手を下さないからといって、手を下す人間を野蛮とみなすのは欺瞞である。
日本人の女性なら目をそむけるだろうけど、そういう彼女だって、割烹で口をパクパクしている活け作りの魚をみてよだれを流しているではないか。
アフリカの原野では今日もライオンが、カモシカを生きたままかじっているのだし、市場の親父が生きているハトの皮をはいだとしても、生物の営みとしては、もっとも素直で自然なものであるのだ!
市場をはずれると、路上にテーブルを置いてポーカーをやっていたり、大きなテーブルを持ち出してビリヤードをしている男たちもいた。
ある場所では子供たちが陶器でできた独楽をまわして遊んでいた。
まわっている独楽を、棒の先についたムチでひっぱたくと、派手な音がして、わたしもやってみたくなってしまった。
べつの場所では、子イヌを入れたダンボールを見張っている少女がいた。
上海あたりでペットを見るのはめずらしいのに、わたしは無錫の旅ではけっこうあちこちでイヌやネコを見た。
このとき撮った写真が多いので、このあとに別項を作ってそれをずらっと並べる。
そのうち小雨が降り出したので、わたしはあわててホテルにもどった。
すると宿の主人らしき男性が飛び出してきて、あわてた様子でなにかいう。
ワカリマセンと答えたけど、紙になにか書いてえらく熱心である。
苦労して理解してみると、ようするに、このホテルでは外国人を泊める設備が完璧ではありません、ほかに安いホテルを紹介しますからそちらへ移って下さいという要請だった。
納得できないけど、警察から外国人を泊めることに対して、なにか指導でもあったのかもしれない。
相手を困らせてもはじまらないので、宿泊料金を返してもらい、タクシーまで呼んでもらって、わたしは別のホテルに移ることにした。
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