中国の旅/その日に
成田空港の大型モニターには、阪神大震災のニュースがつぎつぎと飛び込んでいた。
高速道路が崩壊している映像まであって、どうなるかと思ったけど、中国東方航空機は通常通りに飛んでいた。
わたしは禁煙席にして下さいと頼んで、窓ぎわの席の搭乗券をもらった。
新しいシャトル・システムでサテライトビルへ行く。
前回の旅ではユナイト機で、そのときはバスで飛行機まで運ばれたから、すでに開通していたはずのシャトル・システムは使ったおぼえがない。
シャトル・システムは成田空港の新しい旅客ターミナルの売りもので、空気浮上式の浮かぶ移動システムだそうだ。
たしかにおどろくほど静粛で、高尾山のケーブルカーのように、2台のシャトルが5、6分間隔で、交互にすれちがいながら客を運んでいる(だからシャトルというんだけど)。
ものの2分でサテライトビルについたら、つぎは“動く歩道”に乗って所定の待合室にいく。
こちらでも備えつけのテレビが阪神大震災を報じており、乗客たちが不安そうに画面に見入っていた。
この時点での死者はまだ二百数十名となっていたけど、崩壊したビルや高速道路などを見ると、とてもその程度ではおさまるまいと思えた。
そのうち搭乗が始まった。
今回の東方航空の飛行機は以前のものよりきれいで、機首にどこかぶつけたようなスリ傷もなかった。
塗装をぬりかえただけかもしれない。
わたしの座席は左側主翼の少し後方部分で、まあまあ景色は見える。
離陸したのは14時05分。
毎度のことながら、わたしは飛行機の窓から外の景色を見るのが好きである。
雲海は雪山を見ているようで、もっこりした雲は蔵王の樹氷群のようだし、そのあいだにただよう雲はまるで地吹雪のように見える。
ただしここではすべてが静止、沈黙していて、ちょっと荘厳な景色である。
上海までの飛行中に機内食が出る。
チキンにするか、ビーフにするかと訊かれるのもいつもの通り。
小食のわたしはこれを見越して空港の食事をひかえていたので、ビーフ弁当をきれいにたいらげた。
時間つぶしに機内報をながめると、中国の高級ホテルの写真がいくつか掲載されており、これを読んでわたしは、“上海波特曼香格里拉”というわけのわからない文字の羅列が、シャングリラ・ホテルのことであることを知った。
また中国のテレビ局で「三国志」が製作されていることも知った。
写真でみると、湖のほとりに大規模なオープンセットが組まれ、実物大の軍船なども作られていて、さしずめ中国版大河ドラマといったところ。
わたしは中国に滞在中、機会があったらこの番組を観てみたいと思った。
上海まであと15分のアナウンスがあったのは16時35分ごろで、じっさいの着地は17時(中国時間の16時)ちょうどだった。
この日の上海は雲のなかに太陽の円盤がぼんやり見えるていどの天候で、降下するにつれ、わたしの位置から地表は逆光になり、飛行機のあとを追ってオレンジ色の太陽が、クリークや貯水池の中を光りながら移動していった。
1年ぶりに上空から見る上海は想像していたよりずっと緑が多かったけど、これはすべて畑の冬野菜らしい。
虹橋空港をスムースに出る・・・・以前に上海娘のW嬢がアダルト・ビデオを持ち込もうとして、空港で没収されたことを聞いており、この日のわたしはビデオテープを1本持っていたからちょっと心配だったけど、これについてまったくなんのチェックもなかった。
ツアーでもひとり旅でも、日本人に対する審査はあまいらしい。
空港でタクシーを待っていたら、わたしのすぐ後ろに一見して日本人とわかる初老の男性が並んでいた。
どうせ街まで行くのだろう、相乗りしませんかとわたしのほうから持ちかけると、男性はハァ・・・と答えた。
最初はわたしに警戒心をいだいているようで、無理もない。
上海の空港にはタクシーの客引きや、金を交換してくれという不逞のやからがけっこう出没するのである。
この人はSさんといって、この日のうちに仕事で無錫まで行くのだという。
上海駅のそばの龍門賓館で、取り引き先の人間と待ち合わせだというから、そこに泊まる予定のわたしとドンピシャリじゃないか。
上海駅そばの龍門賓館だとタクシー運転手に中国語で指示すると、中国語できるんですか、エライですねえとSさんはしきりに感心する。
わたしも中国語を勉強して3年であるから、ホテルの名前ぐらいいえるのである。
高速道路を利用して、上海駅までタクシー代は50元プラスだった。
前回の蘇州の旅(94年)のときは、いちおうセット旅行だったので旅行会社の車が迎えにきて、みんなでワイワイ騒いでいたから、高速道路を走った記憶がない。
そのまえの上海ひとり旅(92年)のときは虹橋空港の近くの銀河賓館に泊まって、ホテルのまわりをうろうろしたけど、そもそも高速道路なんか見たおぼえがない。
いったいこの高速はいつ出来やがったんだと思う。
わたしのポケットには前回の旅行であまった人民元がいくらか入っていたから、わたしが最初に金を出して、あとでワリカンにしましょうというと、Sさんもようやく信用したらしく、いいや、ワタシのほうは会社の出張経費で落とせますからこちらで出しておきますという。
それでは申しわけないので、わたしは持っていた中国紙幣を25元ばかりSさんに押しつけた。
わたしが龍門賓館に泊まるのは2回目である。
去年、仲間たちとツアーでやってきたときは、ホテル代もツアー料金に組み込まれていたから、ひとりで泊まるといくらとられるのかわからなかった。
今回はまったくのフリー旅行なので、ホテルの手配もすべて自分でやらなければならない。
フロントで訊くと、1泊が740元あまりだという。
この日のレートは日本円の1万円が人民元の830元くらい(1元=約12円)、ということはこれは9千円近い金額である。
たまったもんじゃないと思ったけど、翌日さっそく無錫に出かける予定のわたしには、駅から近いということは貴重なので、黙っていた。
海外旅行で安いホテルをおのぞみのむきには、ドミトリーという方法があるそうだ。
これはようするに共同部屋という意味で、金のない旅人がひと部屋にごちゃまぜに押し込まれる。
中国のドミトリーなら40元とか50元とか、信じられないほど安くてすむらしい。
そういう宿も体験してみたいと思うけど、だからといって、始めから終わりまでそんな安宿ばかりのケチケチ旅行をしたいとは思わない。
ドミトリーやユースホステルは、金のない学生や勤労青年のための宿で、なんとなく自由気ままな旅のように思えるものの、わたしのような性格、わたしのような年令の勤労者にとっては、かならずしもそうとはいえない。
同じ部屋で他人に気をつかうのがまずイヤだし、見ず知らずの人とすぐに仲良くなれるといわれても、わたしはだいたい孤独を愛する人間なのである。
共同部屋ではサイフや荷物からも目をはなせないし、ひとりでのんびり旅の感慨にふけるなんてことも、そばに他人がいてはなかなか落ちついてできそうにない。
こんなふうに四六時中、他人や荷物に気をつかう旅がなんで自由気ままなものか。
5、6千円の出費ですむなら、きちんとしたホテルに泊まって、荷物を部屋に放り出し、手ぶらで街に飛び出せるほうがはるかに自由気ままでいい。
自由に対価を払うのは当然のことだし、旅は幸福なものでなければいけない。
ただし9千円はちと高すぎる。
もっとも外国のホテルは人数ではなく、ひと部屋いくらというのが多いから、2人で泊まれば半額になるわけで、いちがいに高いとはいえないけどネ。
ホテルの喫茶店でSさんとしばらく会話をした。
この人はセンベイを作る合弁企業の指導のために、日本の製菓会社から派遣されてきたのだそうだ。
センベイって、日本で売るんですかと訊くと、そればかりじゃありません、つまり米不足の騒動がまたあったときの保険なんですなどという。
中国は人件費が安いというので、日本企業の中国移転が華やかだったころである。
はあはあと、あまり得意でない経済の話なんぞしているうち相手企業から迎えが来たので、Sさんとはここで別れた。
Sさんがいなくなったあと、わたしは大急ぎで、上海娘のW嬢(の友人)に頼まれた仕事のひとつを片付けることした。
仕事というのは、日本に出稼ぎに行ってるその友人の家族に品物を届けることで、もしもSさんと会話なんかしていなければ、とっくに届いているはずだから、相手の家族が待ちくたびれているだろう。
わたしは家族の家までタクシーを飛ばした。
これは私用なので細かいことを書いても仕方がないんだけど、相手の家族の家というのが、虹口地区のもと日本租界にあったので、気がついたことだけ書いておく。
友人の家は虹口地区の四川北路にあって、“横浜橋”という橋の近くだというのでまずそれを目印にした。
このあたりは日本人がたくさん住んでいたところで、戦前の歌謡曲(夜霧のブルースなど)にはこの地名の出てくるものもある。
わたしの示したノートを見て、タクシーの運転手が「ファンパンチャオ」ですねという。
橋はすぐにわかった。
しかし、じっさいに見てみたら長さが10メートルていどの、ドブにかかるような小さな石橋だった。
いまはどうなってるかと調べてみたら、現在はこの写真のように立派な橋になっていた。
おかしいねえ、わたしが見たものとはだいぶイメージが違うんだけど。
30年ちかい歳月をはさむと、橋も肥満するのか。
日本人が嬉しがるからって、わざわざ日本人のために新しくしたのかも知れない。
横浜橋のそばまで、タクシー代は20元プラス。
ちなみに上海のタクシーの基本料金は14.4元(95年1月現在)。
わたしが利用したのは上海でいちばん数の多いサンタナ・タイプ(中型)で、小型のシャレード・タイプには乗る機会がなかったから、中型小型で料金に差があるのかどうかわからない。
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