中国の旅/歓迎会
今回は成田空港まで、メンバーのひとりがライトバンを持っていたのでそれを使うことにした。
同僚のAさん、Bさん、CとD(あとの2人に“さん”がつかないのは、年齢的にわたしのほうが年上だから)にわたしの5人が乗り込んで、飛行機の出発は17時25分の予定なのに、成田空港には14時ごろ到着してしまった。
メンバーの中に上海娘のW嬢に頼まれた家電製品をかついできた者がいた。
税金が心配で港内の税関で尋ねたところ、(少なくとも日本国側においては)なんの税金もかからなかった。
あとは出発まで空港内のレストランで最初の宴会である。
メンバーのなかのCは酒豪で、声が大きいので有名な男で、わっはっはと大騒ぎ。
わたし以外の全員が中国は初めてである。
今回は東方航空ではなくユナイテッド航空で、チケットを見たらわたしの席はまた喫煙席になっていた。
前回は文句をいったら窓ぎわの席に替えてもらえたから、また文句をいってみた。
係りの美人がガタガタとコンピューターを打って、即座に座席を変更してくれたけれど、おかげでわたしはほかの4人と離れて座ることになった。
Cがいないと静かでいいけど。
乗客待合室で出発までしばらく待つ。
ここはガラス張りの円形フロアで、空港と飛行機をま近に見られるから、そういうものの好きな人は退屈しないところだ。
ユナイテッド航空の飛行機はシルバー・グレイの胴体に赤と黒の塗装で、軍用機みたいでなかなか魅力的である。
ところが同じ会社に(古い機種なのか)ホワイトの塗装もあって、こちらはあんまりカッコよくない。
上海行きはホワイトだった。
待合室でえらく待たされて、わたしたちが飛行機に乗り込んだときには時計は18時をまわっていた。
座席に行ってみたら窓ぎわではなかった。
しかし搭乗が締切られても、となりには誰も来なかったから、わたしはどうどうと3座席をひとりで占領した。
これならエコノミーでもなにも文句はないし、機内はがらがらだったから、わたしは離陸後に勝手に窓ぎわに移動してしまった。
ユナイテッドの客室乗務員はおばさんばかりで、あまり美人がいないという印象。
帰国してから読んだ週刊朝日に、アメリカにおけるユナイト航空のおおらかな仕事ぶりが書かれていた。
ある日のユナイト便で、パイロットが来ません、心配していますという機内放送があり、代役のパイロットが馴れていないので目的地の手前の空港に着陸しますという追加放送があったという。
ユナイトのおおらかさについては、わたしにも経験がある。
その後のべつの海外旅行で、わたしは買ったおぼえがないのにビジネス席に座らせられた。
気の弱いわたしがいいんですかと訊くと、女性の客室乗務員から、いいんですよ、得しましたねとウインクされたことがある。
米国の航空会社の競争は苛烈で、空席があって客がいるなら、なんでもいいから載せちまえって精神らしかった。
ユナイトというと、9.11同時多発テロでハイジャックされ、それが映画にまでなって有名になった。
おかげで客が激減し、企業としてのユナイトには倒産、再建という波乱の社史があり、そのためかどうか、YouTubeに冗談みたいな機内ビデオが上がっている。
この画像をクリックするとそのビデオが観られます。
18時40分になってようやく飛行機は動き出した。
空港の無数にきらめく光のなかを、4機のジャンボが隊列を組んで、しずしずと滑走路へ進行を開始する。
おごそかで、敬虔な光景である。
わたしの過去2回の中国旅行は、いずれも往復とも昼間の飛行だったから、今回はべつの景色が見えるかと期待した。
しかし窓から外をながめても、位置がわるいのか、雲の上の飛行にもかかわらず月は見えなかった。
飛行時間は3時間足らずでも、いちおう機内食が出るから、わたしは成田空港で、立ち食いソバでも食っていこうという仲間を制止した。
ユナイトの機内食メニューには、英語、日本語、中国語が併記されていて、この日の献立は、ビーフ串焼きか広東風チキン、それに野菜サラダとデザート、飲物など。
わたしはビーフ(中国語で“牛柳串”)にした。
おばさんの客室乗務員が、ドリンクはワインかビヤーかと訊く。
この程度の英語はわたしにもわかるからワインを頼んだ。
ところがそのあとに彼女はまだなにかペラペラいう。
首をかしげていると、いらついた彼女はキッチンからボトルの現物を持ってきた。
ワインは赤にするか、白にするかということだった。
くだらない話題で申し訳ないけど、20時50分に海上に船舶の光を認め、21時05分にはべつの航空機とすれちがったのを見た。
上海に近づくとまた雲が多くなり、なにも見えなくなってしまったものの、まもなく雲の下に出て、ようやく上海の暗い夜景が目にとびこんできた。
東京にくらべると街の灯りははるかに少ないけど、わたしにとってはなにかこころやすらぐ暗さである。
翼を大きくゆすり、わたしたちの飛行機が上海の虹橋空港に着地したのは21時41分だった。
空港にはW嬢とその知人たちが、花束を手にして迎えにきていた。
わたしたちは彼女に頼まれた電気製品をかついでいたので、空港の荷物検査でちょっと手間どった。
手荷物を審査する女性係員は、愛想はわるくなかったけど、「電子鍋」が理解できないらしい。
ダンボール箱にはちゃんと品物の絵が描いてあるし、“鍋”という字は中国にだってあるはずなのに、わたしたちはバーベキューだの、スキヤキだのと言葉を尽くして説明をしなければならなかった。
ツアー・ガイドのバンでこの旅の宿である「龍門賓館」まで送られる。
今回のツアーの参加者はわたしたちのグループだけだったので、W嬢はわたしたちの車に便乗した。
空港を出てからしばらくは、郊外らしい空間の多い風景の中を走る。
バンは信号停止がちょっと長いと、すぐエンジンを切ってしまう。
燃料節約のつもりかも知れないけど、いちいちエンジンを再始動するのでは、かえって燃料を食いそうな気がするんだけど。
「龍門賓館 (LONGMEN HOTEL)」は上海駅のすぐとなりにあって、駅まで歩いてそれこそ2、3分だから、列車に乗るのにこれほど便利なホテルはない。
外国人相手のホテルで、建物もまだ新しく、フロントも清潔で、駅前あたりの喧騒と不潔さからすれば別世界である。
わたしは第1回目の中国旅行で、到着したその晩にここで夕食をとったことがある。
エレベーターは4つあり、指定された14階の部屋まで上ってみると、建物は新宿の住友ビルのように三角形であるらしかった(ふきぬけの部分にエレベーターがあると思えばいい)。
部屋はダブル・ベッドで、机とテーブル、ロッカー、冷蔵庫も備わっている。
冷蔵庫は目立たないようにカモフラージュされているので、わたしは初め、その存在に気がつかなかったけど、呑ん兵衛の多い仲間たちはすぐ見つけたという。
わたしはひとりで個室を占有するかわり、ツアー料金を3万円ばかり余分に払っていた。
しかしわたしの孤独癖からすれば、その価値は充分ある。
部屋の窓からは上海駅の構内が見下ろせて、夜になるとホームのはずれに“上海”という赤いネオンがともる。
この晩は荷物をホテルに置いたあと、そのままW嬢の家で歓迎会ということになった。
わたしたちはW嬢のいとこだという屈強な男性の車で、彼女の家に向かった。
夜なのでどこをどう走ったのかわからないけど、家というのは毛沢東時代に建てられたような4~5階建ての集合住宅で、まわりに鉄の柵があったことだけは覚えている。
到着を知らせると、建物から出てきた人が門の鍵を開けてくれた。
あたりが暗いから雰囲気はフィルムノワールそのものである。
魔都とよばれたころの上海なら、わたしたち5人はそのまま拉致されて、気がついたら貨物船の罐焚きにされていてもおかしくなかった。
無事にW嬢の実家に到着したものの、他人の家を詳しく紹介しても仕方がないので、これについては簡単な説明だけにしよう。
部屋は、ずっとあとになってわたしがロシアで見てきたと同じような、冷戦時代の共産主義国ではスタンダード・タイプというか、あまり広くはなく、わたしたち5人と、W嬢、彼女の両親、お姉さん夫婦プラスその子供、なんだかわからない親戚などを入れるとかなり窮屈だった。
ようするにそのころの中国ではふつうの庶民の家なのだろう。
トイレはいちおう水洗で、水タンクの上にあるボタンを押して流すというもの。
はじめて見る方式なので、面食らったなあ、流し方がわからなかったよといったのは、わたしとほかのメンバー数人。
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