上海に着いて、無事に新亜大酒店に部屋を取ったけど、まだ西安に出発しないぞ。
じつは新亜大酒店でひとりの日本人に会ったので、彼についても書いておこう。
内容が個人のプライバシーに触れることなので、写真は上海市内のもので間に合わせる。
わたしが両替をしているとき、カウンターの横にいた若者が「日本人ですか」と話しかけてきた。
彼はKクンといって、両替をしようとして営業時間が過ぎているからダメだと断られたのだそうだ。
わたしの場合は、時間外でも両替をしないことにはホテル代を払えないわけだから、両替所も不承々々で時間外営業をしてくれたのである。
わたしはKクンに、部屋に荷物を置いたあと、ちょっとホテル内のカフェで話でもしましょうといっておいた。
相手が初心者とみると、すぐ先輩風を吹かしたくなるのがわたしの欠点なのだ。
わたしの部屋は前回の旅と同じ4階だった。
荷物をかかえてエレベーターに乗った。
上へあがるときは間違えようがないものの、下るときは注意をしないといけない。
どういうわけか、1階にある新亜大酒店のフロントは0階のボタンを押すことになっている。
フロントに行くつもりで、降りてみたらそこは2階だっということが何回かあって、わたしは最初ちょっととまどった。
4階の服務台で部屋のキーをもらう。
正確にはキーではなく、今ふうの磁気カードである。
これを差込口にさしこんで青ランプがついたら、ドア・オープンだ。
いまでは珍しくないけど、当時としては新しいシステムで、なれないとやはり使いにくい。
カードの使い方を説明をしてくれた、ちょっとしゃくれた顔の服務員の娘に見おぼえがあったけど、前回の旅であっためてあげたいと思ったカワイ子ちゃんの服務員は見えなかった。
わたしはまた日本に出稼ぎに行ってる上海娘に頼まれて、その実家に渡す現金を預かってきていた。
それを届けてしまわないうちは落ちつけないので、部屋から相手の実家に電話をかけてみた。
ところが部屋の電話は市内は無料のはずなのに、どうしてもつながらない。
あきらめてまた1階にまで下りて、エレベーターのわきにある公衆電話を使うことにした。
公衆電話は市内が10元だった。
こんなことを書くといかにも中国語がペラペラに聞こえるけど、じっさいにはそんなことはないのである。
それでも事情は国際電話で連絡してあったから、なんとかかんとか相手のお姉さんに、こちらのホテルの部屋番号を教えて電話を切った。
お姉さんが金を受け取りに来るまで、ホテルの1階にあるカフェでKクンと話をしていることにした。
Kクンは千葉県に住む床屋さんで、上海娘と結婚手続きのため訪中しているのだそうだ。
手続きがめんどくさいのでもう訪中3回目ですよなどという。
相手の写真を見せてくれたけど、えらい美人であった。
いまのロシアや東欧の娘たちがネコも杓子も日本に来たがるように、当時の日本は中国娘に絶大な人気があったのである。
話をしていて気になったのは、Kクンがしょっちゅう運勢だとか相性だとかを口にすることだ。
上海娘との結婚についても、2人の姓名鑑定をしまして相性がよかったからなどという。
わたしは奇妙な宗教や迷信が氾濫する最近の世相に批判的な人間だから、Kクンのこういう態度がガマンならず、ずけずけとイヤミをいってしまった。
彼もいちおう参考にしているだけだからと弁解をしていたけど、参考にするだけでもわたしはガマンできないのである。
結婚前からこんな調子では、Kクンの前途はあやしいものだと思う。
そのうちお金の届け先のお姉さんがやってきたから、お金を無事に渡して、すこし3人で懇談した。
ここでKクンが中国語をぜんぜん理解しないことに気がついた。
婚約者とはどうやって意思の疎通をはかっているのと訊くと、英語ですという。
翌日婚約者とデイトだというので、わたしは適当なところで切り上げて部屋に引き下がった。
カフェのお茶代は42元で、わたし持ち(先輩はツラい)。
この日の夜は新亜大酒店のすぐとなりにある「海島漁村」へ晩メシを食いにいってみた。
この店は前回の旅のときに顔見知りになり、その後も何回か入りびたった店で、庶民的な顔立ちのかわいい娘たちがいるのである。
ところがこの晩は知った顔の娘はひとりしかいなかった。
ひとりだけいた顔見知りの名前は“王”さんらしく、前回の旅で撮った写真を渡すと嬉しそうだったけど、わたしのいちばんのお気に入りだった娘はもういないようだった。
中国の娘たちは写真が大好きだ。
そのうち店の女の子たちがたくさんあらわれて、興味深そうに写真をながめた。
和気あいあいはいいけど、全員が出てくると、このそれほど大きくないレストランに、金のネックレスをぶら下げたママを合わせて、10人も店員がいることがわかった。
こういうのもワーキングシュアというのだろうか。
人件費の安い中国ではまだ機械化や効率化より、人を増やしちまえという安直な姿勢なのかもしれない。
翌日は、まず西安までの列車の切符を買いに、駅のとなりの龍門賓館へ出かけた。
ホテルの前でつかまえた3輪タクシーは10元。
上海市内のちょい乗りはだいたい10元であることを、わたしはもう知っていた。
駅の近くでタクシーを下り、駅前広場を横切って龍門賓館1階の切符売場へ。
ここで翌日の西安行き列車のチケットを買う。
このころはまだ中国の一般市民で旅行する者が少なかったのか、あるいはわたしが買うのが軟座(1等車)だったせいか、上海を午前11時51分発のウルムチ行き列車、軟臥(1等寝台)、下段ベッドという希望で、西安までなんの問題もなくすんなり買えた。
料金は空調費、服務費を含めて、331元(4千3百円ぐらい)である。
西安までほとんど一昼夜の行程であることを思えば、予想していたよりずっと、おどろくほど安かった。
切符を手に入れたあと、安心して駅前をぶらぶらしてみた。
駅前広場はあいかわらず混雑しているものの、特に変わったようすはない。
駅まえの群衆の中に、頭にタオルをまき、紺の上着にまえだれというスタイルの少数民族のおばさんが2人いた。
この服装(と色の黒さ)からして、たしか南のほうのなんとかいう少数民族だったと思うけど、南方、西方だけでも、中国にはペーとかプイとかサニ、ミャオとかいういろんな民族がいる。
おばさんたちは2人して手作りらしい指輪や首輪を売っていた。
ユニークな服装なので写真を撮らせてもらうかわりに、指輪を2つ買うことにした。
わたしが買った指輪は金色で、1個10元である。
おばさんはもっと買わせようとしつこかったけど、どうせすぐメッキがはげるだろう。
駅前の「名品MP商厦」というデパートにも寄ってみた。
1階は日本の最新のデパートにもまけないくらい華やかだが、2階、3階と、上にいくほどダサい売場になる・・・・と前回の旅のとき書いたけど、今回の印象ではそのダサさが1階づつ下にくり下がってきた感じである。
前よりいっそうダサくなり、いちばん上の階の売場は廃止されてしまったらしい。
デパートのわきあたりで見かけた女運転手のモーター三輪に乗り、15元でホテルにもどる。
八百屋か魚屋のおかみさんみたいに威勢のいいお姉さんであった。
ホテルにもどり、また海島漁村でビールを飲む。
食事はすんでいるからといって、おつまみにピーナツを頼んだら、塩煮したピーナツが出てきた。
中国にもピーナツがあることはわかったけれど、ぜんぜん美味しくなかった。
厨房の従業員らしい娘が、帰宅する仕度でわたしの近くをうろうろしていた。
ちょっとかわいい娘で、わたしに写真を撮ってもらいたいそぶりだから、用事がないのならどこかそのへんでわたしのモデルになるかいなどとくどいていると、店のママがさっさと帰れと娘を追い出してしまった。
このママは日本から来てスケコマシみたいなことばかりしているわたしに、あまりいい印象を持ってないようだ。
夜はホテルでKクンとそのいいなづけに会い、ホテルのレストランで会食をした。
この日は2人で動物園に行ってきたそうだ。
目の前で見る彼女は写真で見るより美しく、名前は“兪”さんといい、英語がぺらぺらで、なんだかすごいエリートのようだから、ぶしつけだけど彼女は上海でこれまでいくらくらい給料をもらっていたのと訊いてみた。
2万5千円という返事である。
見栄が入っているかも知れないけれど、上海娘としてはかなりの高給取りだ。
しかし美人で頭がいい、しかもひとり娘となったら、この世でいちばん扱いにくい生きものではないか。
ちょっと気の弱そうなKクンに御せるかどうか。
この晩の会話はややこしい三角関係になった。
兪さんは中国語と英語を話す。Kクンは日本語と英語を話す。わたしは日本語と中国語、英語がカタコトである。
わたしとKクンの会話は兪さんにわからない。Kクンと兪さんが話していることはわたしによくわからない。わたしと兪さんの話はKクンにはさっぱりわからない。
こういう三すくみの状態で、それでもわたしたちは和気あいあいで会話を続けた。
美しい顔をした兪さんはイヌが好きよと平気な顔をしていう。
イヌは美味しいわと嬉しそうで、わたしとKクンが、日本ではイヌは食べるものではないのだと説明すると、なんとなく釈然としない顔つきである。
兪さんに食事の注文をまかせたら、自分はあまり食べないくせにどんどん注文して、全部で231元も食べることになった(さすがに今度はわたしとKクンでワリカンだ)。
中国の女性はよく食べるんですよとは、Kクンも同感。
わたしは兪さんを見て、遠慮や気取りのない人だなと思った。
これはべつに悪いことではないけど、彼女は自分にそうとう自信を持っているようである。
こんな女性に床屋の手伝いなんか勤まるだろうか。
あとで2人だけのときKクンと話したら、そうなんですよという。
彼女は、ワタシも床屋の仕事をおぼえなくてはいけないんでしょうかと心配していたそうだ。
兪さんの父親は彼らの結婚に猛烈に反対しているらしい。
彼女としてはなんとしても日本に行きたいらしいけど、なにしろひとり娘ですからねとKクンはいう。
中国も日本も父親の気持ちは同じである。
厳格な父親が彼女とのデイトを夜8時までしか許可していないというので、そのまえに彼らと別れた。
最近のコメント