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2023年11月20日 (月)

中国の旅/冬の夜の妄想

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無錫からもどって上海をうろうろしているけど、これではいつになっても先に進めないので、あとは上海で体験したこと、見たものについてさらりと記述して、この旅を終えよう。
わたしの旅はまだ先が長いし、上海にふれる機会もまだまだアリマス。

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新亜大酒店から上海一の繁華街てある南京路までは、徒歩で15分か20分なので、わたしはサンダルでもつっかけるような気楽さで、何度も出かけた。
いまでは消滅したようだけど、このころ南京路を西に行くと、人民公園の近くに「雲南路灯光夜市」という屋台街があって、縁日の屋台みたいな店で、目のまえでさまざまな料理がつくられていた。
つくる人はみな医者のような白衣である。
清潔さをウリモノにしているつもりかもしれないが、うす汚れていてかえって逆効果だ。
わたしは市場と同じくらいこういうところが好きなので、とりあえずその屋台の写真をずらりと並べる。

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これまで書いてきたことでわかるように、わたしは開高健さんのような健啖家じゃないから、料理についてエラそうなことを書く資格がまったくない。
それでもある露店で強引にテーブルにつかされ、強引に焼きソバを食わされてしまった。
焼きソバをじっとにらんでいろいろ考える。
焼きソバは日本にもある。
あんまり奥義だとか秘訣なんてものと関係のない、だれでも作れる料理である。
うーむと、この思索はこのあとの文章に続いていくのだ。

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上海の街をうろついていて、発見した事実はほかにもある。
街を歩いていると、足にぴったりしたタイツ(最近はレギンスというらしい)をはいた女性が多いのに気づく。
世界中の若い人たちにとってジーンズが普遍的な文化のはずなのに、中国ではジーンズが手に入りにくいのだろうか、若い女性からおばさんまでみんなタイツだ。
はきやすさからいえば、ごわごわしたジーンズより伸びちぢみするタイツのほうが楽に決まっているし、わたし個人の意見からしても、足の長い、若い女性たちがタイツをはくのをカッコいいと思う。
そして中国の女性たちはみな健康的で、たくましい足をしている。
日本では足のあいだから向こうの景色が見えてしまうような女の子が多いけど、わたしはよく注意して観察していたにもかかわらず、そんな女の子にほとんど出会わなかった。
こういう点では、粗食に耐え、どこに行くにも自分の足か、自転車しかない国の女の子のほうが圧倒的に美しい。
もっとも足がたくましいというだけではなく、おばさんたちの中にはタイツを2枚重ねてはいている人もたくさんいた。

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ある晩、和平飯店の近くの雑踏の中で、うしろからアベックに呼び止められた。
ふりかえると身なりのいい男女が立っており、そのうちのコートを着た太めの男が、日本人ですか、ワタシたちは日本語を勉強しています、よろしかったらそのあたりでお茶でも飲みませんかと、流暢な日本語で話しかけてきた。
わたしはこれが上海のポン引きの常套句であることを知っていたから、そら来たと思った。
上海の南京路、しかも和平飯店のあたりは、ポン引きやキャッチガールの暗躍するそっち方面の名所である。

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わたしは度胸のあるほうではないし、浪費する金もなかったから、こんな相手にくっついていくことはほとんどなかった。
かっては有名だった上海の娼婦の値段は、いまはどうなっているのかという経済的、人文科学的なことにしか興味はなかったのだ。
そういえば人民公園の近くには、租界時代に悪徳の象徴だった「大世界」という遊戯場がいまでも残っていた。
これはフランス租界にあって、「ダスカ」と呼ばれ、植民地では快楽のために羽目をはずす欧米人のための、バーや飲食店、歌劇場、賭博場、曲芸などの見せ物、阿片窟、娼館など、人間の欲望を満たすあらゆる設備が備わっていた場所だという。
映画「フットライト・パレード」で、最後にJ・キャグニーが“上海リル”を歌うどんちゃん騒ぎの背景を想像すればよい。

こういうものにひたすら興味のあるわたしは、ある日大世界に行ってみた。
歩道橋の上から眺めると、現在では若者向けのゲームセンターになっているようだったから、そういうもののキライなわたしは、入ってもみないで退散してしまった。
そういうわけで、いまでも赤ん坊を箱に入れて成長させ、四角いスイカみたいに奇形児になった子の見せ物があるのかどうか、アヘン(いまなら大麻)を吸えるのか、金髪の娼婦がいるのか、そういうことはぜんぜんわからない。

くだらない話題にかたむくまえに、料理の思索の続きにもどろう。
例の一期一会で終わった四川路の酒屋の美人、彼女から洋酒を1本仕入れた翌日、わたしは上海の知り合いの家を訪問した。
中国に知り合いがいるほど世間の広くなかったわたしだけど、じつは日本に出稼ぎに行ってる中国人女性から、上海に行くならついでに荷物を届けてくれと頼まれていたのである。
あらかじめ連絡してあったから、相手の家族は準備して待っていて、家庭料理で歓迎してくれた。
これは私用だから詳しく触れないけど、ご馳走になった料理がとても美味しかったことだけは書いておく。

料理はなかなか豪華で、上海蟹やスッポン料理が含まれていた。
いまでも日本に「〇〇の家庭料理」というのを売りモノにしている飲み屋、小料理屋があるけど、これぞ本物の上海家庭料理というわけである。

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上海蟹は相手の家のお父さんのうんちくを少々聞かされた。
この蟹はオスよりメスのほうが人気があり、お店で注文する場合、黙っているとオスばかり食わせられるから要注意とのこと。
わたしは最初、市場で大量に売られているワタリガニ(ガザミ)を上海蟹と思っていたけど、じつは淡水性の、ハサミの根もとに手袋をはめたようなモクズガニの仲間だった。

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スッポンのほうは、わたしは以前仲間たちと蘇州に行ったとき、途中でレストランに全員で繰り込んで食べたことがある。
そのときは予約もなしに押しかけて、いきなり注文したものだから、ただスッポンをぶった切りにして鍋で煮込んだというだけで、べつに旨いとも思わなかった。
だからわたしは中国の料理について、一種の誤った固定概念を持ってしまっていた。
世界の3大料理とされる中国料理に畏れ多いことであるけど、気のドクなスッポンをまえにして、まだわたしの思索は続いていくのだ。

中国料理は世界中で、安い材料を使った廉価で栄養満点の食べ物として、それなりの地位を占めている。
もちろんそこにも奥義や秘伝はあるだろうし、ツバメの巣だのアヒルの肝臓だのと、めずらしい材料もあるにはあるけど、おおまかにいえば、こんないいかげんな料理はないんじゃないか。
その作り方は焼きソバに代表されるように、基本的にはごった煮、ごった炒めである。
野菜くずや豚肉、そのほかそのへんにある材料をみんないっしょくたにして油で炒めてしまう。
これなら多少材料が古くても、痛んでいても問題は没有である。
ギョーザや包子(パオツ)にしたって、年期を積んだ調理師にしか作れないようなものではない。
だから世界中のどこでも、いちばん手っとり早く開業できるレストランは中華料理店である。
邱永漢さんの本には、あまった料理をごった煮にしたのがいちばん美味いという記述もあり、わたしは意を得たような気がした。
冬になるとわたしはよくダイコンを煮るんだけど、残り汁で作る雑炊はわたしの大好物なのである。

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誤った固定概念というのは、中国料理はろくなもんじゃないということで、雲南路灯光夜市や、街の食堂で食べたものに感動するようなものはなかったのだ。
ところが、上海の知り合いの家でご馳走になったスッポンは、腹を十文字に割き、香辛料を詰め込んだ手のこんだもので、とくにそのスープが絶品といってよかった。
わたしは完全に意表をつかれた。
知り合いの家のお母さんは料理の達人らしく、この国にも手のこんだ作り方だってあるということを教えてくれたのである。
中国では美味しいものをレストランで食べようと思ったら、しかるべき人の紹介で、あらかじめの予約が必要であり、貧乏な旅人が街をうろついているだけでは、なかなか真実には出会えないものなのだ。

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この晩のわたしはホテルにもどると、シャワーを浴びてさっさと寝た。
夜中の12時に電話が鳴った。
寝ていたわたしが受話器を取り上げると、女性の声でしきりに何かいっている。
さっぱりわからないのであなたは誰ですかと訊くと、フーイン、フーインという言葉が何度も聞こえる。
ようやく、ああ服務員ですか、4階の服務員ですかと訊くとそうだという。
通路に出てみると、ひざに枕をかかえこんだ服務員の娘(4階でいちばん可愛い娘だった)が、服務台で寒さにちぢこまっていた。
新亜大酒店では客室内に暖房は効いているけど、通路はそうではないのである。
服務員の娘は、ここに釣り銭があるけど心当たりはありますかという。
それは昼間、服やズボンをクリーニングに出したとき、釣りがありませんというから、そんなもの、あとでいいやと放っておいたものだった。

しかしそれにしても、そんな用事で夜中の12時に客を起こすやつがあるか。
いやいや、彼女はあまりに寒いものだから、ひょっとするとわたしの部屋であっためてもらいたいと考えたのかもしれない。
夜になると(たぶん)4階のフロアは彼女ひとりで詰めているので、少しぐらいサボってもわからない。
そんならそうとはっきり言ってもらえば、わたしも決してキライじゃないから、すぐにあっためて上げたのに。

彼女の名誉のために書き添えると、もちろんあっためる部分はわたしの妄想なんだけど、他人に迷惑をかけるわけでもないし、冬の夜長の勝手な妄想は楽しいものである。
わたしは自分のダウンジャケットを朝まで彼女に貸してあげることにした。
こんなことがきっかけで彼女と仲良くなれるのではないかと、妄想はまだずっと続いたけど、いくら中国でもそんなうまい話がごろごろしているわけはなく、わたしは朝までひとり寂しく寝たのでありました。

書くことに事欠いてくだらないことばかりになってしまったけど、わたしにはつぎの目的地が待っている。
無錫の旅のときの報告はこれくらいにしよう。

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