中国の旅/美しい村
わたしみたいな変人の感性ではなく、フツーの人の目でながめれば、中国の農村はまずたいていが美しくない。
それこそ村中がゴミ溜めといっていい集落もある。
運河や用水路はどんな村にもあるものの、はっきり流れているとわかる川は少なく、水がよどんで、水中に気味のわるい藻が生えている川も多かった。
そんな川のほとりで便器を洗っている娘もいた。
トイレがなければ便器の使用は当然である。
便器の使用が当然なら、便器を洗うのも当然の日課である。
便器を洗うのが日課というのはどんな生活なのかと、文明国の住人であるわたしは考えこんでしまう。
ところがある村に入ったとき、わたしは自然に異質なものを感じた。
なんとなくあたりが清潔なのである。
その村だけがほかの村よりあきらかに違っていて、日本人でも住んでいるのかなと思ってしまったくらいだ。
できれば原因を追求してみたかったけど、しかし村人と出会ったものの、わたしにはややこしい質問をするだけの会話能力がなかった。
いまでもその村が当時のままであるのかどうかわからないけど、場所は“無錫市蠡園郷陳大村”というところである。
ストリートビューがあれば日本にいたまま確認できたのに。
その村でカメラをかまえていると、例によって付近にいた村中の老若男女が集まってきた。
人々の中にフレッド・アステアみたいな顔をした、やせた中年男性がいて、とくに積極的に話しかけてきた。
筆談を交えて話を聞くと、自分はランを栽培している、自分には日本人の友達がたくさんいるという。
彼に案内されて、わたしはその家まで行ってみることにした。
子供たちがぞろぞろとついてきた。
この人は“陳”さんといって、見せてくれたランの温室やアルバム、表彰状によると、ラン栽培のプロらしい。
たしかに日本人の友人も多いようで、写真や名刺も見せてくれた。
わたしはこれまで中国に花屋が少ないのを不満に思っていたけど、無錫の田舎に花の栽培を生活にしている人がいることはいたのである。
家にはおばあさんやきれいな娘さんもいて、商売は順調のようだった。
陳さんはこの村では有力者のようで、村がきれいなのは日本との関係のせいかもしれない。
当時は日本の企業が、人件費の安い途上国に進出ラッシュのころである。
日本の企業や商社がノウハウを提供して、途上国の企業に製品や産物の生産依頼をすることもよくあった。
日本ではランの花は高価だし、人件費の安い中国の農家にそれの栽培を受け持ってもらえれば、向こうの農家も儲かるから、陳さんもそうやってランの花の栽培を請け負ったのかも知れない。
その過程で日本人の往来が生じ、家のまわりを清潔にするという、日本なら当然のことの影響があったんじゃないか。
花はいつごろ咲くのですかと訊くと、陳さんは、ほら、ここにという。
たくさんの鉢の中にひとつだけ、つぼみをつけている株があった。
陳さんの村は特別で、ここを出るとまた汚い部落ばかりになる。
畑の中では農夫が肥桶をかついで、人糞をまいていた。
子供のころよく見た景色だから、その行為自体はなんとも思わないけど、やはり新鮮な野菜サラダを食べようという気にはなれなくなってしまう。
ある村には大きな電子機器の工場があった。
工場は近代的なんだけど、ちょうど昼どきとあって、玄関のあたりでドンブリ飯を食っている社員が見えた。
ここでおもしろい光景を見た。
畑の中にある新しい工場のコンクリート塀に、汚らしいほったて小屋がもたれかかっているのである。
工場は出来てからまだ日が浅いようだったけど、ほったて小屋はまるで春秋時代からそこにあるような感じだった。
これはいったいどういうことだろう。
ほったて小屋が先にそこにあり、隣接してあとから工場ができたのなら話はわかる。
しかしもたれかかっているところを見ると、どうも小屋のほうがあとから出来たようである。
せっかくの近代的な工場なのに、完成するとさっそく誰かがその塀を一方の壁として・・・まるで所かまわず張りつく海の牡蠣のように・・・・勝手に小屋を作ってしまったのだろうか。
作られた工場も、出来てしまったものは仕方がないとあきらめて、そのままにしてあるのだろうか。
この光景に、わたしは中国農民のたくましさと、中国流の居住権システムを見たような気がした。
そういえば上海の街でも、租界時代からある瀟洒な住宅に、びっしりと人間が住みついているのをよく見たものである。
ああいうのも戦後の混乱期に、勝手に住みついた人間がそのままになっているんじゃないか。
もちろん膨大な数の国民に住居を提供するために、政府がそういう指導をした可能性もあるけど、どうもその住居の無秩序さを見ていると、どさくさにまぎれて住みついたという感じがぬぐえない。
しかしここではそういうことを考察しているヒマはない。
わたしには汚い村も窮屈な住宅環境も、すべて好奇の対象なのだ。
蠡渓路に出て、ふたたび道路を南下し太湖をめざす。
やがて還湖路と合流し、ここから先は前日にバスで走ったと同じ道になる。
通りのわきには、第1回目の中国旅行のさいに泊まった「湖浜賓館」という高層ビルのホテルがある。
なんとなくそのときのホテルと違うような感じがしたので、確認してやろうと自転車のままホテルの庭に乗り入れたら、守衛にとがめられてしまった。
自転車を下りて庭へ入ってみると、たしかに以前泊まった湖浜賓館に違いはなかった。
ただしそのときより建物がいくらかくたびれた印象だ。
ホテルの庭は湖に面しているのに、対岸も当時の印象にくらべるとずいぶん近くなったような気がした。
前日と同じような場所を走りまわっているのだから、わたしはまもなく「蠡園」の前にさしかかった。
さすがに蠡園菜館にまた顔を出す気にはなれず、この道路ぎわにあった無料の公衆トイレに寄るだけにしておいた。
トイレに入るさい、カメラザックを自転車にしばりつけたままにしておいたのでちょっと心配だったけど、あたりは広い駐車場で、オシッコをする短い時間だけではコソ泥も手の出しようがなかったようだ。
中国のトイレについては、日本にあまりいい評判が伝わっていない。
しかし数についてはあまり問題がない。
上海や無錫のような、それなりの街なら公衆トイレはけっこうあちこちにあって、有料の場合もあるし、無料の場合もある。
問題はこの先で、清潔な水洗トイレとなると、街なかにはまず皆無である。
コンクリートのみぞに放尿するのはまだいいほうで、オシッコをしようと入ってみたら、丸いポリタンクがならべてあるだけというトイレに何回か遭遇した。
先に使用した人の黄色い液体のうえにドボドボと用を足すのはあまりいい気分ではなかった。
公衆トイレで、大のほうが完全な個室になっている場合は少ない。
中国人はトイレを使うことをすこしも恥ずかしいと思っていないのだ(そういわれりゃそうだけど)。
もちろん男女はべつべつである。
日本人にとっては、となりの人の頭が見えるような低いしきりしかない個室で用を足すのは勇気がいる。
しかし世界を旅しようと考える人は、郷に入っては郷にしたがえという信念でなければやってられない。
ハワイなどでは逆に足もとがあけっぴろげだというから、そっちのほうがよっぽど恥ズカシイ。
しかしトイレについて、外国人の場合はなにも問題はない。
もよおしてきたら、さっさと近くの外国人向けホテルに飛び込めばよいのである。
こういうホテルには清潔な水洗トイレが完備している。
ただし入口にボーイががんばっていることがあって、すると気のよわいわたしはチップを払わずには出られなくなってしまうのである。
湖浜賓館から還湖路ぐにもどり、ペダルをこいで宝界橋のたもとの十字路まで行ってみた。
橋を渡れば前日に行った亀頭渚だけど、なんとなく橋を渡る気になれず、そのまま還湖路を直進する。
右手に一戸建てのきれいな住宅が並んでいた。
ふつうの中国人には買えまいと思われる立派な家ばかりで、まだ人が住んでおらず、新興住宅地として売りに出されているらしかった。
最近中国で恒大グループや碧桂園などのような、大手の不動産ディベロッパーの破産をよく聞くけど、このころから業界のバブルは始まっていたのだ。
ただ扱う商品が大きいから目立つものの、こういう破産は日本だって経験しているのだから、中国ばかりが騒がれるのはべつの意味があるような気がする。
左手の湖は大湖の一部の蠡湖で、岸辺になにかの養魚場が多い。
養魚場と道路のあいだには細い運河が流れており、ところどころに小さな小屋がたっている。
この湖を背景にした小さな小屋のたたずまいは、写真のいい被写体になりそうに思えたので、わたしはなんとか養魚場のそばまで行きたかったけど、どこまで行っても橋がないので運河を越えることができなかった。
まもなく前方に奇妙な建物が見えてきた。
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