中国の旅/長征列車の1
西安行きの列車の発車は11時51分である。
わたしは1時間ほどまえに軟座(1等車)待合室に入り、売店などを見てまわった。
列車のようすがまったくわからないので、メシを食いそびれることもあるかもしれないと思い、携帯食として売店でビスケットとミネラルウォーターを買い込んだ。
待合室のすみに無骨というか、イロ気がないというか、緑に塗られたおそろしく頑丈そうなレンタル・ロッカーがあった。
コインかなにかを使用するのではなく、となりで監視しているおばさんにお願いして、刑務所でも通用しそうなデカい鍵をかけてもらうシステムだった。
発車の20分ほどまえになってホームへ移動した。
ホームには鉄のかたまりのような、色気も愛想もない、グリーンに黄色のストライプの列車が待っていた。
上海から中国の西の果て、新疆ウイグル自治区のウルムチに三日三晩かけて向かう、これぞまさしくの“長征”列車である。
いよいよ西安へ出発だけど、今回の旅では長距離列車に乗ることがテーマのひとつであったから、これについてはできるだけ詳細に記しておこう。
軟臥車両は9号車となっており、最後尾から前方をうかがうと先頭車両ははるかかなたにかすんでいる・・・・ように見える。
ずいぶん長い列車のように思えたけど、ホーム上で数えてみると18~19両くらいらしかった。
先頭までひとっ走りして数えてみればいいんだけど、とちゅうで列車が動き出したら困るので実行できなかった。
列車の構成は、1号車から8号車までが硬臥(2等寝台)車、9号車が軟臥(1等寝台)車、食堂車をはさんであとはすべて硬座(2等の自由席)車という編成で、先頭にディーゼル・エンジンつきの動力車、ほかに郵便車も連結されているようだった。
軟臥車に乗り込むと、すぐにトイレと洗面所がある。
洗面所のとなりに車掌の控え室があって、その前の通路にはボイラーが設置されており、お湯だけはいつでも自由に手に入るようだった。
控え室を過ぎると、8つのコンパートメントが並んでいる。
軟臥車は1両だけで、1両に4人用のコンパートメントが8つだから、この長い列車に軟臥の客は、満員でも32人しかいないことになる。
この日のわたしの座席番号は31で、これは8号室ということだった。
軟臥の下段料金は、空調費と服務費をあわせてトータルで331元(日本円で4千3百円ぐらい)だからおどろくほど安い。
上海から西安まで距離は1500キロ(東京~西鹿児島にほぼ同じ)もあるから、日本でこのクラスの列車に乗ったら3万円ちかい金が吹き飛ぶだろう。
軟臥(1等寝台)車から硬臥(2等寝台)車へは自由に行き来できるけど、硬座(2等の自由席)車はそうではない。
硬座車と軟臥車は食堂車ではっきりへだてられていて、そもそも硬座車からは食堂車にも入れないのである。
野次馬のわたしは行き来のできる硬臥車を見学に行ってみた。
こちらはなんとなくうす暗い中に3段ベッドが通路からまる見えで、わたしは子供のころ田舎でよく見たカイコ棚を思い出した。
男も女もみなごちゃまぜだから、硬臥車にプライバシーなんてないに等しい。
わたしは若い娘がぼんやりと硬臥車通路の折り畳み椅子にこしかけているのを見たけど、彼女も夜は着たきりスズメで寝るのだろう。
このときの旅は1995年の暮れだけど、現在(2023)の上海から西安までは高速鉄道が走っていて、1日に10本の列車があり、最短だと5時間半ほどで行けるようである(料金は1万5千円~2万6千円ちかくかかる)。
まさに隔世の感があるな。
もっとも高速でぶっ飛ばされてもあまり楽しくないかも知れない。
わたしが個室に入ってみてまずびっくりしたのは、テーブルにまえの客の残したゴミが放置されたままだったことである。
上海が始発のはずなのに、なんじゃ、これはと思う。
さいわい室内にゴミ箱が設置されていたので、わたしはゴミを捨て、テーブルクロスをばたばたと振った。
足もとを見わたしても、新しい乗客が乗り込んでくるまえに掃除をしたようすがぜんぜんない。
日本の新幹線の、東京駅における“7分間の奇跡”を見せてやりたいくらい。
個室の広さはタタミ3畳くらいである。
そのうちの2畳を2段のベッドが占め、まん中の1畳ほどのスペースの窓ぎわに小さなテーブルがついている。
テーブルの下にゴミ箱と、お湯を入れる金属性のポットが2本置かれていた。
ベッドには2つ折りにした毛布が1枚づつ用意されていて、きちんとたたんであったけど、シーツはどうもまえの客が使用したときのままらしい。
ベッドにはカーテンがなかった。
わたしは若いころいちどだけ1等寝台に乗ったことがあるけど、日本の列車なら昼間はベッドが折り畳んであるのが普通で、もちろんシーツは客が変わるたびに交換するのに、ここでは昼も夜もベッドは据えつけられっぱなしである。
したがって昼間はベッドをソファがわりに利用することになる。
ずぼらなわたしには昼間から横になれるのでウレシイけど。
荷物を個室に置いて車内とホームを行ったり来たりしていると、そのうち5、6人の男たちがたくさんの荷物をどかどかと、8号室にかつぎこんできた。
これがわたしと同室になる連中か。
ひとり旅を愛するわたしとしては、見ず知らずのよそ者といっしょになりたくないんだけど。
わたしはいちおう「日本人です、ヨロシク」と挨拶をした。
みんなびっくりしたようで、また安心したようでもあった。
そして発車時間がせまると、ひとりだけを残してみんなぞろぞろ下りてしまった。
彼らの大半は見送りの人々で、乗客はそのうちのひとりだけだったのである。
わたしと同室になったのは“張”さんという、もと軍人のおじいさんで、牛のように大きな体の人だった。
あとで訊いたら68歳だという。
目的地はわたしと同じ西安で、おじいさんにとっては里帰りということらしい。
張おじいさんの見送りの人たちは、窓の外からわたしにも、よろしくお願いしますと挨拶をしていたから、わたしははいはいとうなづいた。
列車はほぼ定刻に発車した。
けっきょくわたしと同室は張おじいさんだけだった。
発車してまもなく、女性車掌が部屋にやってきた。
彼女は“朱風蘭”さんといって、歳のころは30代半ばか、子供のいるお母さんといった感じだけど、ちょっと愛嬌のあるかわいらしい人だった。
彼女の名前を3文字すべて紹介するのは、フツー中国人の名前というのは、字づらを見ただけでは男か女かわからない場合が多いんだけど、“風蘭”というと、宝塚の女優みたいにきれいな名前で、いっぺんで女だとわかったからである。
わたしは朱さんに切符を預けさせられ、代わりに小さな金属製のプレートをもらった。
彼女は時々コンパーメントをのぞいて、お湯を持ってきてくれたりして、サービスは悪くなかった。
彼女の写真を撮ろうとすると、ダメダメというふうに手をふる。
しかしあまり強い拒否でもなさそうだったから、彼女が張おじいさんと話をしているときに強引にシャッターを押してしまった。
彼女はわたしに、どうしてそんなに写真を撮るのが好きなのかと訊く。
わたしがただの記念ですと答えると、ノートに「現在能不能取出照片」と書いた。
残念ながらわたしのカメラはポラロイドではないから、その場で写真を取り出すことはできない。
上海から蘇州、無錫、南京までは過去に見たことのある景色で、日本の関東地方とみまごう農村とムギ畑、日がさしてきらきらと輝いているクリーク、そこをゆく運貨船など、日本の秋とあまり違わない景色がひろがる。
ちょうどイネ刈りが終わった時期で、江南の農村では庭に穀物をいっぱいに広げて乾燥させている家や、家族総出で脱穀をしている農家もあった
昔なつかしい脱穀機が稼働しているのも見た。
わたしは窓辺に座ってのんびり景色をながめた・・・・もっとも目のまえに座っている張おじいさんを無視するわけにもいかないので、時々筆談をまじえていろいろ話をした。
張おじいさんはよくしゃべる人ではなかったけど、べつにわたしを目ざわりと思っているわけでもないらしく、親切にいろいろなことを教えてくれた。
ベッドの下にスリッパがあるよと教えてくれたのもこの人だった。
南京到着は16時半ごろで、このあたりには山が多い。
その山のどれかは、日中戦争のとき、日本軍と中国軍が山頂を争った山かもしれないなと思う。
運河のほとりではヤナギが風にゆれていた。
またあちらこちらで線路ぎわに黄色い花が咲いているを見て、気になったものの、べつの場所でこれが野菊であることがわかった。
ススキも多く、お墓にま新しい花輪が飾ってあるのもよく見かけた。
停車駅に到着すると女性車掌がひとりづつ、列車の出入り口の下に直立不動で立つ。
彼女らは自分の職業に誇りを持っているようで、なかなかカッコいい。
南京駅では、朱さんは「烏鉄人歓迎你」と書かれた赤いたすきを肩からかけた。
日本のテレビでなになにの鉄人という番組がはやっていたけど、これは「烏魯木斉(ウルムチ)鉄道の職員たちはあなたを歓迎します」という意味らしかった。
南京を発車してまもなく、列車はがらがらと大きな音をたてて南京大橋を渡った。
橋の下は長江である。
わたしは第1回目の中国旅行で、橋のたもとから橋を渡っていく列車をながめていたものだ。
つまりここまではわたしにとって概知の世界、ここから先はいよいよ見たことのない土地になるわけだ。
南京大橋をすぎるとまた起伏にとぼしい平野になる。
このあたりでもうたそがれで、窓の外にきれいな夕焼けが見られた。
わたしが日本で見る夕日は、ほとんどの場合奥多摩の山かげに沈むのに、ここでは平野の農地の上にちょくせつ沈んでいく。
あたりが農村であるから、夕日もことさら暖かな色をしているように感じられた。
日が沈むころになると線路ぞいの民家に電球がともる。
ほとんどがオレンジ色の裸電球で、ながめているとなんともいえないなつかしさにおそわれ、おもわず子供のころの自分にもどり、あぜ道をたどって、ただいまとその家に飛び込んでいきたくなってしまう。
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