中国の旅/長江の河口
新亜大酒店の朝食はユニークだった。
この当時から大きなホテルでも朝食はバイキングというところが多かったけど、ここでは早朝から専従のコックがいて、火を使った出来立ての食事ができた。
当時のわたしはワープロ通信で、ニフティサーブの中国語フォーラムに入っていて、これから上海に行くんだけど、どこかいいホテルはありませんというメンバーからの質問に、このことを書き込んで感謝されたことがある。
テーブルに座わると、まずお茶が運ばれ、同時に注文表が渡される。
レストラン内の一画に、目のまえで材料を揚げてくれるかんたんな調理台があって、客はこのまえに出向いて、ならべられた食材の中から好きなものを注文すればよい。
中国の屋台でよく見られるスタイルで、そのとき注文表にチェックがつけられる。
それとは別に、テーブルのまわりをカートにのせた小籠包や点心が回遊しているから、客はこのなかから欲しいものをとりあげ、また注文表にチェックをしてもらう。
食事が終わったらカウンターでチェックを合計してもらい、勘定をすませるというシステムである。
ホテルのランクは上海駅のとなりの龍門賓館より下がるものの、こちらの朝食はあちらさんより凝っていて、わたしのささやかな食事量だと、料金はおおむね30元前後だった。
この日は朝食のあと、まず部屋を変えてもらうことにした。
最初に入れられた部屋は値段が540元で、貧乏なわたしにはゼイタクである。
日本円で6500円くらいだから、外国旅行でこのていどに目クジラたてても仕方ないんだけど、もっと安い部屋があるならそれにこしたことはない。
もっと安い部屋をというと、たぶん客の少ない季節なのだろう、フロント係りの男女(女は美人だ)は不満そうだったものの、4階のべつの部屋を見せてくれた。
前の部屋から廊下をはさんではす向かいにある423号室で、スペースが狭いこと、窓から汚いビルしか見えないことをのぞけば、設備は高い部屋とほとんど変わらない。
こっちは400元である(じっさいにはこれにサービスチャージがつく)。
400元なら5千円だから、日本のヘタな民宿より安いし、食事はどこかそのへんの立食スタンドで取れば、1食200円でもまにあってしまう。
わたしはフロントにもどってベリーグッドという。
この新しい部屋は、客がいないとき、4階の服務員たちが休憩したり、サボったりするのに使っていたようで、それをわたしが占領してしまったから、服務員たちは内心不満だったようだ。
このあとは、上海でいろんなことがあったので、省略したり、ひとつにまとめたりで、整理して紹介するからかならずしも時系列通りにはなっていない。
上海にいるあいだのある日、タクシーで「宝山(ポーシャン)」という街へ行ってみることにした。
中国には世界的に有名なふたつの大河がある。
ひとつは黄河で、もうひとつは中国最長の川、長江(楊子江)である。
長江は上海の近くで東シナ海にそそいでいるので、わたしは機会があったら、この川の河口がどのくらい大きいのか確認してみたかった。
地図をながめると、上海の北にある宝山が長江の河口の街で、そこまでおおざっぱな見立てでは上海から50キロもないくらいだ。
このくらいならタクシーを半日借り切れば十分行ってこれるだろうし、宝山は長江河口であると同時に、上海市内を流れる黄浦江が長江と合流する場所でもあるから、そのあたりの景色も見られるわけだ。
わたしは長江を見たことがいちどだけある。
第1回目の中国旅行で南京に行ったとき、長江にかかる「長江大橋」が見学コースに入っていたため、いやでもこの大河を見ないわけにはいかなかった。
長江大橋は中国が独力で完成させた最初の近代橋梁ということで、国威誇示のためにかならず外国の観光客に見せるのである。
そのときの印象は、想像していたより広くないなというのが本音だった。
なにしろ、なにしおう楊子江のことであるから、わたしは向こう岸が見えないくらい広いのではないかと思っていた。
そんなことはなかったものの、南京から3百キロ下った上海あたりまでくるとどうだろう。
たかが川を見るためにタクシーを借り切るなんてムダだというなかれ。
食費やホテル代はムダな経費だけど、好奇心を満足させる費用はけっしてそうではないのだ(中国のタクシーは日本に比べるとウソみたいに安いし)。
朝の9時ごろ、ホテル前で最初のタクシーには断られた。
2台目のタクシーは、地図を見せると、行ってもいいという。
中国のタクシーはみな汚い車ばかりだけど、この日に乗ったサンタナはちょっとユニークな車だった。
始動するのにエンジン・キーを使わないのである。
わたしが写真を撮るために車を下りると、ガソリンを節約するためか、運転手はいちいちエンジンを止める。
何度か繰り返すうちに、わたしは彼が始動のたびに、車内に引き込んだ電線の先端を触れ合わせていることに気がついた。
電線の先端は裸になっており、この部分を触れ合わせることにより電流が流れる。
つまりこの車の始動は、むかし車泥棒がよく使った直結方式というわけだ。
わたしがそのことを指摘すると運転手はにやりと笑って、コワれているんだ、なに、走るのにべつに問題はないよという。
宝山までは片道3車線もある「逸仙路」という広い道路を行く。
バス停にはバスを待っている人が多かった。
バスがなかなか来ないので、わたしのタクシーに手をあげる人が何人もいた。
朝のタクシーはかなり忙しいようだ。
車窓から見る景色は工場地帯というべきで、あまりわたしの関心をひくものがなく、やけにホコリっぽい景色ばかりが続く。
そういえば宝山には、日本の新日鉄が技術協力をした「宝山製鉄所」があるという。
製鉄所のある街というものはたいていホコリっぽいものだ。
交通量の多い箇所がいくつかあり、とちゅうの吴淞というところには大きな交差点があって、ここを通過するのにかなり時間がかかった。
吴淞には大きな橋もあって、橋の手前で運転手が◯元、◯元と叫んだ。
橋は有料で、もちろん料金はわたしが払うのだ。
料金所の前には車が長蛇の列だったのに、こちらの運転手はわきからかまして、強引にいちばん前へ割り込んでしまった。
割り込まれたほうはあまり怒ったようすがなかったから、中国人はこういうところにも大人の風格があるようだ。
ようやく吴淞を抜けたものの、運転手は地理に自信がなさそうで、わたしの地図をしょっちゅうながめていた。
聞いたところによると、上海人のくせに長江の河口を見るのは初めてだという。
このあたりは、まだつい最近まではのどかな田園地帯だったようで、ま新しい工場や新興の工業団地が多く、道路もよく整備されていた。
ただし眺めて感心するような景色ではない。
日本なら信州でも伊豆半島でも、あるいは奥多摩にでも、眺めてこころを癒される景色はいくらでもある。
無錫ではのどかな田園風景に感心したばかりだけど、山も湖もなく人間ばかりが多い上海近郊に、そんなきれいな景色があるわけがなく、わたしは写真を撮ろうという意欲も消失した。
やがて河の土手のようなものが見えてきたので、車を待たせて土手に登ってみた。
白砂青松を期待したわけじゃないけど、それでも土手の向こうには大きな川が流れていて、上海の街ばかり見ていた眼にはいささか爽快な景色である。
しかし手前の河岸では桟橋の敷設工事をしており、沖や対岸にも、なにかの施設や係留されている大型貨物船などがあって、李白の詩に出てくるような長江の雄大な景色を想像していたわたしにはもの足りなかった。
運転手も車を下りてきた。
爽快な景色というものは中国人にとっても爽快な景色なのだろう。
彼はひさしぶりに遠くを見たような顔をしていた。
目の前の河はどうやらまだ黄浦江で、長江ではなさそうだった。
こちらがわの土手を下流にずうっとたどっていくと、遠方に展望台のような建物が見える。
その方向で大河はもやにけぶっており、それが長江との合流点らしかった。
たぶん展望台のあるあたりが現在の宝山の臨江公園で、そこまで行けば長江ももっとよく見えるのかもしれない。
そこに立てば対岸ははるか彼方にかすんで見えるはずである。
しかし対岸とみえたものは、じつは“長興島”という島なのだ。
本物の対岸は長興島の左側、さらに遠くにぼんやりと見える・・・・と思いきや、それもまた“祟明島”という巨大な島なのだ。
衛星写真で見ると、祟明島は長江デルタにできた広大な干拓地の島で、全体がいちめんの農地のようである。
たとえこの2つの島が視野をさえぎっていなくても、宝山から対岸を見るのは不可能かもしれない。
長江の河口はそれほど幅広いのである。
現在ではこのふたつの島を踏み台にして、長江をまたぐ、日本の東京湾アクアラインに匹敵するような巨大なトンネルと橋が完成している。
写真で見るとさすがに胸がスカッとする壮大な景色なので、わたしも見てみたいけど、宝山からクルーズ船が出ているらしいから、そのツアーに参加すれば橋も見られそうだ。
土手づたいに道はあるものの、車で観望台の近くまで行くのはちょっと無理なようだし、わたしはもうそれ以上前進する意欲を失っていた。
もう帰ろうと運転手にいう。
なんだ、なんだ、おまえの旅というのはいつも中途半端だなといわれてしまいそうだけど、後悔はしない。
こういうことの積み重ねが相手の国を理解することになるので、わたしはこれ以降もあちこちで、一見ムダと思えるタクシーの借り切りなんてことをするのである。
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