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2023年11月 9日 (木)

中国の旅/チャーハン

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翌日は朝起きてすぐシャワーを浴び、朝食を龍門賓館内のレストランでとったあと部屋へもどり、荷物をまとめ、9時半ごろ部屋をチェックアウトした。
この日の請求書は748元だったから、日本円で9千円ぐらいで、そんなホテルにいつまで滞在したくない。
そのままタクシーで、前日に予約していた新亜大酒店へ向かった。
チェックインには早い時間だけど、引っ越すとなったらぐずぐずしていても仕方ないし、新亜大酒店のほうでは何時にいらしてもOKといっていたのである。

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ドアをあけてまっすぐフロントにおもむくと、前日に説明をしてくれた日本語を話せるメガネの服務員がいて、現金ですか、カードですかと訊く。
トラベラーズ・チェックはダメだそうだ。
今回の旅では、T/Cも用意してみたのに、中国での使用範囲はかなりせまい。
フロントでいわれるままに、わたしはとりあえず3日分の部屋代を前払いしておいた。
あまりいちゃもんもつけず、相手のいいなりになっていたら、値段の高い422号室に決められてしまった。
メガネの服務員がいうのには、もっと安い部屋がよければあとで変更することもできます、お金が余ったら差額は返しますなどと。

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新亜大酒店のわたしの部屋は4階で、高い部屋だけあって南向きの見晴らしのいい部屋だった。
窓からすぐ正面に時計台のある上海郵便局が見え、中で仕分け作業をしている職員の姿も見える。
租界時代の上海の写真に、この時計台のまえをロータリーバスがゆく光景を撮ったものがあるから、郵便局の建物はまちがいなしに租界時代からの建物だ。

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新亜大酒店の建物にそって視線を走らせると、ホテルの角に交通量の多い天潼路と四川北路との交差点が見える。
窓の下の道路に、大きさが10メートルもあるような、青い新亜大酒店の看板が寝かせてあって、これから取付け作業が始まるらしい。

部屋が決まったあと、ズボンとシャツをクリーニングに出して、さっそく街の散策に出た。
ホテルの近くで3輪タクシーをつかまえ、「人民公園」へ行ってくれと頼む。
3輪タクシーは大きな辻にいけばたいてい2、3台は停まっているから、タクシーよりずっと確実だ。

人民公園の近くで3輪タクシーを下り、まず「上海雑技場」の場所を確認しておくことにした。
雑技というのは、ようするに中国式サーカスのことである。
上海観光の目玉にもなっていて、上海にやってきた日本人はたいていこれを見物する。
わたしはこういうものを無理に見たいと思わないんだけど、今回は時間がたっぷりあるから、雑技でも見ないことには間がもたないかもしれない。
そうでなくても、いちおう雑技場の場所くらいは確認しておかないと、上海フリークの資格がない。

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上海の雑技については、ずっとあと(04年)になって友人たちと上海に行ったとき、いちど見物に行ったことがある。
わたしはロシアでもボリショイ・サーカスを見たことがあるけど、共産主義国のアクロバットがおもしろいことは事実である。
ただ映画「覇王別姫」や「變臉(へんめん)」を思い出して、すばらしいアクロバットには、サルに芸を仕込むような非人間的な訓練もあったのだろうとイヤな気分にもなる。
どうもつねにものごとの裏側を見てしまうのがわたしの欠点だな。

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現在の雑技場はどうなっているのかと写真を探してみたら、国が発展するにしたがって劇場も改築されたみたいで、わたしが95年に見た建物とはあきらかに違っていた。
ここに載せたのは最近の雑技場だ。
劇場が近代化されると同時に、演技者たちの待遇もオリンピック選手なみになっていると信じたいけどね。

雑技場をあとにして南京路をぶらつくと、人民公園のわきには租界時代のものらしい「上海図書館」の建物もあって、ここに隣接して画廊があるのを見つけた。
画廊なんてものが社会主義国にあっていいのだろうか。
画廊の売店では古銭なども扱っていて、奇妙なかたちの中国の古銭以外に、明治と刻印された日本政府発行の硬貨もあった。
わたしは中国で骨董品を見たかったので、どこかに本格な骨董の専門店がないかと、紙に書いて売り子の女の子に尋ねてみた。
彼女は“骨”という文字を“古”に直し、うーんと考えたあとで地図にしるしをつけてくれた。
人民公園わきの西蔵路を南下して淮海路とぶつかるあたりにあるという。

教えてもらった骨董屋のある場所へぶらぶらと向かいながら、とちゅうで小さな本屋を覗いてみた。
日本の本屋にくらべると、書籍の量はかなり少ない。
しかし表紙の絵だけ見るとおもしろそうな小説がたくさんある。
何冊か買っていこうかと思ったけど、たいていの本は中身が文字ばかりで、そんなものを翻訳しているヒマがないから、やめた。
外国小説の翻訳もたくさんあった。
それなのに、なぜ中国の一般大衆に思想が生まれないのかと不思議に思う。
「鄧小平語録」は山にして積まれていた。

あちらこちらをうろついているうちに午後の遅い時間になってしまった。
いいかげん疲れたので、骨董品はあきらめて、歩きながらホテルへもどることにした。
南京路から新亜大酒店にもどるには、どこかで蘇州河を渡らなければならない。
蘇州河の橋は数が多いけど、このときはいつもの四川北路の橋ではなく、その上流の橋を利用してみたら、橋の上にまでいくつか露店が出ていて、この季節にスイカも売っていたのにはおどろいた。
また小さな外国語の会話集も売られており、英語、フランス語などにまじって日本語もあった。

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橋を渡ったあたりにも市場や露店のある通りがあり、おもしろそうだったので寄り道をしてみた。
食料専門の市場には野菜もたくさん売られていた。
山と積まれたキャベツを見て、わたしはこれを刻んで、ソースをかけて食たいと思ってしまった。
わたしは刻みキャベツが好物で、海外に行って1カ月もキャベツを食べないでいると禁断症状を起こすのである。
しかし無錫で農民が糞尿肥を使っていたことを思い出し、また上海にはまだ清潔でよく消毒された上水道が完備していないだろうと考え、新鮮野菜はまだ中国の食べものではないのだといい聞かせた。

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この日の晩メシは、新亜大酒店となりの「海島漁村」という小さなレストランでとることにした。
店のウェイトレスたちは、みなお揃いのチェックのブレザーを着ており、なかに庶民的な顔立ちのかわいい娘もいた(若い娘のことになると、突然描写が細かくなるのはわたしのブログの特徴だ)。
ママらしき女性は白いセーターで、首から高価そうな金のネックレスをぶらさげている。
例によってビールにマーボ豆腐、キノコの炒めもの(絵を描いて注文する)、エンドウの炒めもの(となりのテーブルで食事中のものをアレといって注文する)、そして炒飯を頼んだ。
「チャーハン」というと一発で通じた。
わたしは安心してビールを飲みつつ、注文の品が来るまで女の子たちの写真を撮ったりしていた。

そのうち小さなエビを山盛りに入れたどんぶりが、どんとテーブルに置かれた。
エビはまだ生きていて、ぴょんぴょん飛び跳ねている。
なんだい、これはと訊くと、女の子が食べ方を教えてくれた。
シッポを取り、皮をむいて、添付されているタレをつけて食べるのである。
エビはあらかじめ酒につけてあるらしい。
2、3匹食べてみたものの、小さなエビなので、美味しいというより先にいちいち皮をむくのが面倒くさい。
それにしてもなんでこんなものがと思う。
日本人は生の魚を食べる。
それを知っている店の人が、中国にも生で食うものがあるという証明のために、サービスとして出してくれたのかもしれない。
それにしては量が多すぎるなと思いつつ、わけがわからないまま、わたしはチャーハンを待っていた。
いつになってもチャーハンが来ないので催促してみた。
すると女の子がエビのどんぶりを指してチャーハンという。
それでわかった。
エビのどんぶりをこちらではチャーハンというのだろう。
案の定、訊いてみると日本の炒飯は“ツァオハン”である。
仕方ないからわたしは2、3匹しか食べていないエビの料金もきちんと払った。
このときのエビ料理の正式な名前はわからないけど、上海でチャーハンを頼むとき、日本人は注意が必要である。

食事を終えて部屋にもどると、もうやることもない。
歩きすぎてくたびれて夜遊びに行く気にもなれないから、部屋でテレビを観ていたら、衛星中継で日本の阪神大震災のニュースをやっていた。
ひどい災害になっているみたいだけど、日本にいないわたしにはどうすることもできない。
寝るには早いので、そのうち近所へ買い物に行くことにした。
じつはこの翌日に上海人の知人を訪ねる予定があったので、酒屋で洋酒でも仕入れておこうと思ったのである。
ホテルのすぐわきを走る四川路はかなりにぎやかな通りなので、そこへ行けば酒屋の1軒くらいあるだろう。

四川路をぶらぶらして酒屋はすぐ見つかった。
奥のほうに洋酒のブースがあって、女性が後ろむきで品物の整理をしていたから声をかけると、ふりむいた彼女はぞっとするような美人であった。
こんな店で高級な洋酒を買う中国人はほとんどいないのだろう。
大金持ちの資産家とカン違いされたわたしが、舶来のウイスキーを1本買い求めると、彼女はにっこりと、男を悩殺してやまないようなおそるべき微笑みをみせた。
だいたいにおいて、中国の商店で店員の女性の会釈というものはめずらしい。
わたしは思わずドッキリとして、あなたは美人ですね、また会いましょうといってしまった。
写真を撮っておけばよかったけど、近所にウイスキーを買いに行くのに、カメラを持っていくやつはおらんよね。
用事もないのにウイスキーを何本も買うわけにはいかなかったから、これも一期一会で終わった悲しい体験だった。

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