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2023年11月29日 (水)

中国の旅/長征列車の2

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朝4時ごろ目がさめた。
張おじいさんをおこさないようにそっとベッドからおりる。
明るくなれば景色を見る楽しみがあると思ったんだけど、そのあと40分たって洛陽に着いてもまだまっ暗だった。
線路と平行して、闇の中にポプラ並木があるのが、車のライトと、わずかに白い空をバックにしてわかった。
月の光のせいか、たまに通り過ぎる村落の家々はみなセメント工場のように白く見える。

昨夜は空いていた上段ベッドでさっさと寝た。
完全に日が沈むと景色はなにも見えないし、車内の明かりは本を読むには暗すぎたのだ。
明かりがついていてはわたしに迷惑と考えたらしく、張おじいさんもつきあって消灯してしまった。
明け方まで10時間以上あったから気のドクなことをした。
ところでわたしは、下段ベッドのほうが寝心地がいいだろうと思っていたけど、そうではなかった。
客が4人満室だったら、下段ベッドはソファ代わりにされて、昼間は横になることもできない。
それがわかってからは、ずぼらなわたしは特段の事情がないかぎり、列車に乗るときは上段ベッドを利用することにした。

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便所はとなりの硬臥車のものを利用した。
軟臥車にもトイレはついていたけれど、どういうわけか明かりがつかず、あまり利用されていなかった。
列車内の便所はきたない。
便所や通路はときどき車掌の朱さんがモップがけをしていたけど、よく絞ってやらないからそこら中が水びたしである。
便器は洋式ではなく日本式で、いちおう水洗であるものの、最近のわたしは長時間ウンチングの姿勢をとっていると足がしびれてしまう。

夜中に小用のためトイレに行ってみたら、硬臥車のトイレは使用中だった。
仕方がないからあまり使われてない軟臥車のトイレを使おうとしたら、こちらも使用中だったので、少しはなれたところで空くのを待っていると、ややあって女性が出てきた。
交代して入ってみると、明かりがつかないので中はまっ暗である。
わたしはドアを半開きにして通路の明かりを利用したからいいけど、あの女性はどうやって用を足したのかと思う。

うとうとして気がつくと三門狭のあたりで、夜がようやく明けていた。
わたしはふらふらと洗面所にいってみた。
洗面所は軟臥、硬臥客共用だから、利用者は多い。
水は過不足なしにちゃんと出たけど、足もとに水たまりができて、列車の動きにあわせて、あっちに行ったりこっちに来たりしていた。
わたしはつま先で立つような格好で、タオルを水でぬらし、それで寝グセのついた髪の毛を起こした。

軟臥車ではコンパートメントの片側が通路になっており、この窓ぎわには折り畳み式の椅子がついている。
座りごこちは悪いけど、個室と反対側の窓から景色を見るのに都合がいいので、わたしはしょっちゅうこれを利用した。
車掌や乗客が通るたびに肩をすぼめなければならないのか難点だけど。

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8時になったら車掌の朱さんが、食堂車がオープンしたと教えてくれた。
中国人の乗客はたいてい弁当を持参していて、食堂車なんか利用する人はほとんどおらず、張おじいさんもいちども利用しなかったけど、わたしは前日の乗車時から、今朝の朝食まで食堂車を利用しそびれ、とうとう20時間、ビスケットとミネラルウォーターだけで過ごしてしまっていた。
ようやくありついた朝食は、インドのナンのような平べったいパン(早油餅)と、お粥(餐稀飯)の定食しかなかった。
料金は8元(百円くらい)で安いけれど、どちらもあまり美味いとはいえない。
食事時になると車掌たちが弁当箱やお碗をかかえてぞろぞろと食堂車へいく。
これでは食堂車は社員食堂だなと思う。
食堂車のテーブルには造花の花とビールの瓶が飾ってあり、窓にはレースのカーテンがかかっていた。
この日のこの列車に乗っていた外国人はわたしひとりのようで、なんとなく痛快な気分である。

食事を終えて個室にもどり、また窓外の景色を見る。
霊宝という街の近くでは線路が大きくカーブしており、窓から前方をうかがうと、ディーゼル車を先頭にして、いま自分の乗っている車両まで、ずっとひとつながりに連なっている列車の全体が見える。
鉄道旅行をはっきりと実感できるダイナミックな景観である。

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目についたのは、畑や農家のまわりをかこむ土の塀で、かなり古いものらしく、全体が風雨で浸食されて、鋸の歯のようにぎざぎざになっているものが多かった。
土の塀も含めて、あたりの色彩は明るい肌色である。
江南地方の民家には、レンガの上から白いシックイを塗ったものが多かったけど、こちらではほとんどレンガがむき出しのままだ。
シックイを塗るのは水分の浸透をふせぐためということだから、乾燥地帯のこの地方の民家がレンガむき出しなのも納得がいく。
列車かときどき切り通しのようなところを抜けていくので、わたしはすぐ近くから土質を観察してみたけど、さらさらした土ではなく、踏み固めればアスファルトのように硬くなる土質らしかった。
土の塀もおそらく土を水で練って固めたものだろう。
中国の西域ではレンガが大量に使われるけど、日干しレンガといって、焼いたものではないそうである。

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張おじいさんは部屋で「若峰茶」というのを飲んでいて、わたしにも勧めてくれた。
わたしは茶碗を持っていなかったことがミスであることに気がついた。
中国ではお湯やお茶っ葉はわりあい簡単に手に入るものの、湯飲みがなくてははなしにならない。
勧められたお茶を飲んでみないのも残念なので、わたしは途中の駅で「洋河」というカップ酒を5元で買い、この空きカップを湯飲みに代用することにした。
ところがこれは45度もある酒だったので、わたしはお茶を飲むまえにいい気持ちに酔っぱらってしまった。
張おじいさんはこの酒のカップを見るとにやっと笑った。
あなたは酒を呑みますかと訊くと、呑まないといっていたけど、歳をとったから呑まないという意味らしかった。
空きカップにお茶っ葉を入れてもらったあと、おじいさんの湯飲みに残っていた出がらしのお茶っ葉を、わたしが気をきかせて捨ててきましょうかというと、おじいさんはいいやといって、その上から平気でお湯をそそいでいた。
そういうものなのか、それとも節約倹約の見本なのか。

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張おじいさんが、この沿線に「華山」という山があることを教えてくれたので、わたしはカメラを構えてその山が迫るのを待った。
この山は中国ではかなり有名な山らしく、NHKの中国語会話テキストの表紙でも、カメラマン、S・L・ライリーが何度か取り上げている。
帰国したあとで華山について調べてみると
華山は陝西省・華陰県にあって、古来より中国五岳(東岳泰山、西岳華山、南岳衡山、北岳恒山、中岳嵩山)のひとつとして数えられている。
複数の峰からなり、主なものは朝陽峰、蓮花峰、玉女峰、雲台峰などで、最高峰は落雁峰の2200メートル。

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線路上からはこの山の全貌を把握するのはむずかしいらしいけど、なにしろ線路のすぐわきだから、ま近にせまった華山は相当の迫力だ。
山頂はひとつではなく、いくつかの峰の集まった山塊で、列車の中からも山肌がむき出しの、かなり険しい絶壁などが見られる。
写真でみると、目もくらむような絶壁のとちゅうに板をわたして登山道がつくられていた。

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景色を見る以外には、あいかわらず張おじいさんと筆記を交えて会話をする。
この列車から黄河は見えますかと訊くと、見えないという返事だった。
北京に行ったことはありますかと訊くと、朝鮮戦争で韓国までなら行ったことがあるよという。
よくぞご無事でといいかけたけど、わたしのボキャブラリーではあとが続きそうもないから、やめておいた。
朝鮮戦争はもう40年前のことだから、計算してみるとおじいさんの20代のころではないか。

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車窓からの景色は、江南地方とだいぶ異なる異様なものになってきた。
このあたりは、スケールの小さいグランドキャニオンというか、あるいはスケールの大きい千枚田というか、いたるところに崖やくぼ地が多く、しかも段々畑のような小さな平地も多い。
平坦な部分はまず例外なしに耕地化されている。
全体を巨人の目でみれば壮大な丘陵地ともいえる。
雨がほとんど降らず、水のとぼしい土地ということで、畑には貧弱な麦のようなものが植えられていた。
木もひょろひょろしたものが多く、ヤドリギ、カバノキ、アカシア、そして畑の中に、すでに実が熟したあとのカキの木が多かった。
動物では白い山羊をあちこちで見た。
まさか野生ではないと思うけど、かなり険しい山の斜面に自由に群れていた。

西安が近づくと原子力発電所のような臼のかたちの煙突をもつ建物が出現し、それも列車で30分足らずの距離に2つもあった。
そして西安到着まえに車掌の朱さんが、乗車券の「引換え札」を回収に来た。
わたしは引換え札(金属製のプレート)のことをけろりと忘れていて、乗車券が見つからないと大騒ぎをした。
張おじいさんもいっしょになって探してくれたけど、こっちは乗車券そのものだと思っているから見つかるわけがない。
バタバタしているうちにポケットから引換え札がぽろりと出てきて、ようやく一件落着した。
西安到着は昼すこしまえで、わたしは駅のホームで張おじいさんと別れた。
おじいさんは荷物が多いから知り合いが迎えが来るという。

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