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2023年12月

2023年12月31日 (日)

大晦日の報道

ウクライナ戦争の終わりが見通せないまま大晦日になった(見通せないというのはウソだけどね)。
これから3、4日は海外からのニュースも少ないし、日本国内はわたしの嫌いなバラエティ番組ばかりになってしまう。
まあ、NHKの欺瞞・偏向報道が聞こえないのがゆいいつの取り柄といえるか(民放の番組は最初から観ないのだ)。

年末からロシア軍が大攻勢だそうだ。
前日にはロシアの揚陸艦を破壊したなんてゼレンスキーさんがイバっていたから、いいかげんにしろ、もう手加減しないぞと、ロシア軍が報道の少ない正月休みを狙って、一気に片をつけるつもりで攻勢をかけてきたようにも見える。
しかし大攻勢の割には、ガザの難民キャンプへの攻撃ほどウクライナには死傷者が出てないようだ。
これはロシア軍が民間人の被害をおさえるため慎重に狙いを定めているからじゃないか。

ネットニュースの見出しに「『最も激しい』反撃、21人死亡」とあったから、ウクライナ軍が反撃してロシア軍に損害を与えたのかと思ったら、21人のなかには子供まで含まれていた。
つまり敵ではなく、民間人を狙った反撃だったようで、もうなんでもいいから話題をつくれって、ゼレンスキーさんの悪あがきじゃないのか。
ネタニヤフさんとともに、戦後はICCの指名手配確実だな。
戦争が終われば、多くの
SNSもメシの種を失って、デタラメも止むのにねえ。

それにしてもアメリカが民主主義の国であることがよくわかった。
大統領が笛をふいても誰も踊らないじゃん。

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2023年12月30日 (土)

中国の旅/乾陵

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中国にはメンドリが鳴くと世が乱れるということわざがある。
また3大悪女というのがいる。
3大悪女のほうはいずれも国政を左右する地位に上った女性たちで、古いほうから漢の高祖の奥さんだった呂后、つぎは唐の時代の皇后だった武則天、最後は清の滅亡の幕を引くことになった西太后である。
彼女たちは自分の競争相手や恋敵に対して、およそ人間の仕業とは思えないような残酷な仕打ちをした。
しかし一歩間違えば、自分がそうされてもおかしくない宮廷内の権力闘争を勝ち抜いてきたのである。
彼女らにリンクを張っておいたけど、女性の権力欲もさることながら、げにそのこころの奥底にひそむサディズム傾向がオソロシイ。

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今回はその3大悪女のひとり、唐の武則天(則天武后)という女帝の陵墓を訪ねた話。
あまり名所旧跡に興味のないわたしだけど、秦の始皇帝の陵を見て、いくらか気が変わった。
始皇帝陵は田園地帯のまん中にある小山で、登山とはいえないような低い丘だけど、てっぺんから眺めた景色はけっこう素敵で、登山家が目的の山の頂きに立ったような爽快感があった。
そのときの旅('95)から帰国したあと、わたしはガイドブックで、西安郊外にある武則天の陵の写真を見て、行ってみたいなと思うようになった。
武則天の陵は「乾陵」といい、彼女の旦那だった唐の3代皇帝高祖との合葬になっているけど、始皇帝のものよりさらに大きな陵墓で、なんかのいわくつきの首のない石像や、ギリシャ神話との関わりを示す、天馬のペガサスの像があるという。
これは見てみたい。

そういうわけでひとっ走り西安に往復してこようと考えた。
乾陵を見てくるだけだから、あまり気合を入れず、3泊4日の安いパック旅行を見つけた。
パック旅行といっても、中の1日は自由行動になっていたから、その日に乾陵まで往復できるだろう。
話があちこち飛ぶけど、そういうわけで、今回の紀行記は2001年3月のことで、いまから23年ぐらいまえの西安の旅ということになる。

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成田空港から西安までは日本エアシステムの直行便だった。
宿泊ホテルはあらかじめ決まっていて、城壁の外にある皇城賓館という4つ星ランクのホテルだった。
このときの中国の貨幣レートは1元が約15円。

到着した日と翌日は、城壁や兵馬俑、大雁塔など、見たことのある観光地ばかりで、さらに土産を買わせるための絹の博物館、玉の博物館、お茶の専門店などでうんざりしたけど、3日目は終日フリータイムだったから、さっそく個人でタクシーを借り切って乾陵に行くことにした。
どうせ行くなら女性の運転手でもいないかとホテルの前へ行ってみたら、あいにく男の運転手ばかりだった。
たまたま中国人らしいグループが交渉をしていたけど、まとまらなかったようだ。
わたしも貸し切りの値段を訊いてみた。
西地区観光で1日600元だという。
高いぜ、まけろと値切ってみた。
いやならあっちの小さいやつにすると、そばのシャレード・タイプのタクシーを指さす。
ほかの日にたまたま乗って尋ねてみたことがあり、シャレードなら1日300元と聞いていたのである。
で、450元というところでまとまった。
わたしもねぎりが上手くなったものだ。

両替をしたりしたあと、9時ごろホテルを出発。
西安までいっしょに来たツアー客のうちの数人もタクシーを借り切っていたし、どこかのおばさん2人も西のほうへ観光に行くという。
わたしのタクシーは彼女らと前後して出発した。
わたしの車は運転手ひとりかと思ったら、男の助手がついてきた。
この助手とはまったく会話しなかったから、ガイドではなく、ただの用心棒らしい。

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目的地の乾陵までは、西安市内から北西へ85キロばかりある。
道路は幅広く、交通量も少なかったものの、高速道路ではないから1時間半ぐらいかかった。
わたしはゆっくり景色を楽しみたかったから、安全運転でいいからねという。
とちゅうでものの本で有名な「渭水」を渡り、「咸陽」という街を通ったはずだけど、中国のほかの街と変わらない工場の多いところと思ったくらいで、ぼんやりしていて写真を撮るのを忘れた。

果樹園の多い村で、畑のなかに無数の煙突のようなものが立っているのを見た。
高さは3、4メートルで、レンガを積み重ねた先細りの角柱である。
煙突のようなものというより、誰がどう見ても煙突である。
ただ不思議なことに、何もない果樹園の中にぽつんと立っていて、その下部にかまどが見当たらない。
なにか燃やすためのものなら下のほうに穴でもあいていそうなものだ。
ひょっとしたらサイロのようなものかなと思ったけど、それにしては人間ひとりがやっとくぐり抜けられる程度の太さしかなく、機械を持たない中国の農民がこんな出し入れ不自由なサイロを作るだろうか。
とうとうたまりかねて車を停めてもらい、すぐそばまで行って確認して、ようやく納得した。
道路からよく見えなかったけど、煙突の根元に地下室があったのである。
地表に置いたのでは吹き飛ばされてしまうような木の葉や、剪定した木の枝(つぎの年の貴重な肥料だ)などを燃やすための部屋らしかった。

西安は古墳の多いところである。
飛行機に乗って空から郊外を眺めれば、あちこちにピラミッド型の墓があるのがわかるだろう。
しかしそれにしても多すぎる。
畑のあいだに直径がせいぜい5、6メートルの、小さな古墳がやたらに多い。
現在では中国も火葬が一般的になってるけど、どうやらこの地方では、まだ毛沢東の時代あたりまで、ちょっと小金を貯めると、一般庶民も古墳を作っていたらしい。
こんなものも古墳といえるかどうかわからないけど、ある場所でそれが半分ぐらい破壊されていて、内部が見えるものがあったから、また車を停めてもらった。
なんらかの理由で所有者が管理できなくなったのか、そして無縁墓地になったのか、そういうことは日本でもよくある。
近くで見ると、ドーム型の墳墓が半分ほどに断ち割られており、内部にあるレンガの墓室が露出していた。
もちろん内部にホトケ様や副葬品が残っているわけではなく、現在では農家が作物や、農器具の物置きとして利用しているらしかった。
そんなみじめな古墳?が途中にふたつほどあった。

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やがて前方にいくつかのおだやかな峰をならべた低い山が近づいてきた。
そのうちの2つの峰には高いレンガの塔が見えて、遠方から見るとちょっと異様な景色である。
それが乾陵だった。
乾陵というのは人為的に土を盛ったのではなく、もともとそこにあった梁山という山をそのまま陵墓として活用したらしい。
規模は始皇帝のものよりずっと大きい。
わたしが説明できるのはこのくらいで、詳しいことはまたネットにまかせよう(英語だけど調べる気があればネット翻訳も使える)。
じつはわたしはこの墓について、唐の時代の高宗と、その妻だった武則天という女帝のものであること以外はほとんど知らないのである。
陵に興味を持ったというより、わたしは雄大な歴史のなかを、夢遊病の詩人ようにさまよってみたくて来たのだ。

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駐車場に車を待たせ、ぶらぶら歩きながら、乾陵の参道へ。
幅の広い参道にはタイルが敷きつめられているけど、唐の時代のものにしては新しすぎるような気もするから、これは新中国になってから観光客のために新しく敷いたのかも知れない。
もうこのあたりから、参道の向こうに、北海道の富良野や美瑛のような雄大な風景が広がっているのが見えた。

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参道の両側には田舎のお地蔵さんのように古びた石像が並んでいた。
ある場所には首を切り落とされた石像が、20体以上まとまって立っていた。
これは葬儀に参列した外国の使節を表しているそうだけど、石の彫刻だから首を落とすにも手間のかかることをしたものだ。
こういうことをするのは偶像崇拝を禁止するイスラム教徒の仕業である場合が多い。
しかしここにある像は神さまではないし、彼らに唐を恨むようなスジがあったかなあと思う。

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近くにギリシャ文化の影響といわれる天馬ペガサスの像もあった。
ペガサスといえばギリシャのほうではさっそうと天を駆ける駿馬として知られているのに、乾陵のそれは間抜けな顔をした短足・鈍重そうな馬で、天よりもばんえい競馬のほうがふさわしかった。
それでもこのウマは、唐の時代の中国に、ギリシャやペルシアの影響さえ伝わっていたことを証明する貴重なものだそうである。
ネットで検索すると翼の生えたたくさんのウマの映像がヒットするのは、ペガサスがテレヒ・ゲームのほうで大活躍するせいらしい。

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梁山は1000メートル以上あるそうだけど、山歩きの好きなわたしにはハイキング・コースのようなものだった。
山頂まで歩くつもりでいたら、とちゅうで太った男がウマに乗らないかと誘ってきた。
こちらはサラブレッドみたいにスマートだから、ウマもおもしろいと、べつに疲れたわけでもないのに、乗ってみることにした。
このたびは満州の荒野を疾駆する馬賊の頭領になったつもりで。

馬方はウマを引きながらいろんなものを売りつけようとする。
不要とわたしはみんな断ってしまった。
そのせいか、ウマに乗っていた時間は短かく、ほんの数百メートルで下ろされてしまった。
ウマが可哀想だから文句はいわないけど、乗る前にきちんと交渉しておかないとこういうことはよくある。

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2023年12月29日 (金)

また周庭ちゃん

ネットに香港の自由の女神、周庭ちゃんのニュースがあったね。
彼女が指定された出頭日に出頭しなかったから、香港警察から指名手配されたって。
香港警察というと、アレじゃん、ジャッキー・チェンが所属していたとこでしょ。
さすが法治国家の中国、法律を破る者は見逃さないんだね。

周氏は、19年6月の無許可集会を扇動した罪などで禁錮10月の判決を受けて服役。21年6月に出所していた
これって産経新聞のニュースなんだけど、またウソばっかりこいて。
周庭ちゃんが10カ月も服役したって事実があったっけか。
確かムショでは、若気の至りの活動なんかするんじゃありませんと教え諭されて、これじゃ学校の課外活動みたいなもんで、まじめに反省したってことで半年ぐらいで放免されて、しかもそのあとはカナダへ行くのも自由で、指定日に出頭しろってことは、これじゃ外国への国費留学していたようなもんで、ああん、とても禁固10カ月の罪人とは思えないんだよね。
ま、ソースが産経のときは、あそこは右翼で、左翼の中国がキライだから気をつけまひょ。

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2023年12月28日 (木)

昨日のNHK

昨夜のNHK国際は、由井秀樹サンと酒井美帆ちゃんの出てるやつだけど、アルメニアの最近の動向を特集していた。
NHKとしてはなんとかアルメニアをロシアから引っぱがして、西側に引き寄せたいという、ほとんど願望ばかりの内容になっていた。

もう忘れてしまった人が多いだろうけど、アルメニアは今年の9月ごろ、アゼルバイジャンと領土をめぐってケンカをしたばかりだ。
ケンカは実力のまさるアゼルバイジャンの勝ちで、わずか1日でアルメニアは降伏した。
そのさいアルメニア側には、それまで後ろ盾になっていたロシアがなんで味方してくれないのかという不満がつのった。
だからいまならアルメニアを扇動して、西側に引き寄せられるとNHKは考えたんだろうけど、なかなかどうして、そううまくはいかない。

ナゴルノ=カラバフをめぐるアルメニアとアゼルバイジャンの対立は根が深い。
アルメニアにはロシアが後ろ盾になり、アゼルバイジャンにはトルコが味方していて、どちらか一方に肩入れすれば、もう一方がむくれる。
ロシアとしても扱いがむずかしいところだ。
ちょっと乱暴だけど、こういう場合は両国にやりたいとおりにやらせてしまう方法がある。
アゼルバイジャンのほうが強いから、ケンカは当然アゼルバイジャンが勝つ。
ここで、それまでそれまでと審判(ロシア)が割って入る。
もう勝負はついたんだ、それ以上どちらも手を出すなと、柔道の黒帯であるプーチンらしい1本勝負だ。
こうやって、かってのボスニア・ヘルツェゴビナのような悲劇はぜったいに起こさせない。
さいわいプーチンはトルコとも仲が良好だから、エルドアンさんは副審の役を務めて、どちらも背後から両国を牽制し、それ以上の紛争を食い止めることができる。

すぐに武器を売りたがるアメリカとは大違いの裁定だけど、これでは負けた側のアルメニアが収まらない。
しかしそこはそれ、アルメニアにも経済的にロシアから離れにくい事情がある。
ロシアが見返りにエネルギーの優先支援でも約束すれば、アルメニアもそれ以上ゴネにくい。
いちばん新しいロシアの同盟国会議に、おや、またアルメニアは出席したのかと思ったくらい、アルメニアとしても、完全にロシアから手を切る踏ん切りはつかないようだ。

この会議でプーチンはアルメニアのパシニャン首相をつかまえ、なにやら語っていた。
アルメニアに造反しないよう釘を刺したんだろうなんてNHKは言ってたけど、釘を刺すより説得したとはなぜ言えないのだろう。
ウクライナ戦争で死んだ兵士の集まりに出席して、母親たちに正直に謝罪したこともあるプーチンだから、ここでも誠意をこめてアルメニア首相に説明をしたことだろう。
しかもその後、アルメニアとアゼルバイジャンの首脳会談もお膳立てしたという。

アルメニアの首相は不承不承という顔だったけど、最近の世界の途上国は、インドを見習って、双方から得られるものは得るという作戦をとることが多い。
なかなかNHKの目論みどおりに、あっちにつくとか、こっちに所属するなどと、旗幟を鮮明にすることはないのだヨ。

もうひとつNHKの欺瞞を。
アメリカではイスラエルのガザ侵攻を支持するかどうかというアンケートがあり、その結果若者と年配者で意見がふたつに割れたそうだ。
しかしここにはバイデンさんを支持して、なんとかウクライナ支援を続けてほしいNHKの作為がある。
ガザの被害を食い止めるために戦争はやめようという(バイデンさんと正反対の)意見が大勢になってはマズイので、NHKは巧妙にアンケート結果を操作している。
若者はネットなどでガザの悲劇を目の当たりにしているから、とうぜんイスラエルに批判的だ。
しかし年配者は戦争継続もやむを得ないと考えていると、なんと65歳以上の高齢者のアンケート結果を持ち出した。
アメリカの人口ピラミッドは知らないけど、65歳以上の高齢者がどれだけいるだろう(長寿社会の日本とは違うのだ)。
かりにそれが30パーセントなら、戦争の継続に賛成しているのは、さらにそのうちの何パーセントかということになる。

いかにも賛成反対が拮抗してかのように見せかける、これが欺瞞でなければナンダ。
4Kも映らないし、視聴料返せ。

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長引かせろ

ここんところ日本というか、西側というか、やることなすこと裏目に出ているね。
ロシアに制裁だというのに、ロシアの経済は依然として好調だし、かえって兵器は増産してしまうし、NHKの御用解説者たちが声をそろえて優勢だというウクライナが、いつの間にかジリ貧で、アメリカもイスラエルのほうでドンパチが始まっちゃって、これ以上ウクライナに支援できそうもないし。

「パトリオット輸出で日本に警告 ロシア」というネットの見出し。
日本はどこまでロシアと敵対するつもりだろう。
プーチンは同じスラブ人同士の戦争にいいかげん幕を引きたいのに、今度は日本が米国の肩代わりをして、戦争を引き延ばすとは。
いや、そうじゃあるまい。
ゼレンスキーさんがいつになっても戦争をやめようといわないから、日本が決断して戦争を引き延ばし、ウクライナ兵士を枯渇させようというんだろう。
いくらカラ元気があったって、兵隊がいなけりゃ戦争はできません。

戦争が長引けば被害も大きくなります。
するてえと戦争特需で、日本も不景気から脱却できると、ホント、うまい手を考えたもんだ。
ウクライナのほうでは街を歩いている若者が、無理やり拉致されて兵隊にされているって話じゃないか。
ICCの日本人おばさんはナニやってんだ。
人権が無視されているんだぞ、ウクライナ政府と日本政府の双方から。

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2023年12月27日 (水)

開き直り

やれやれ、また時節の変わり目かしら。
ここんところ普段あまり付き合いのない人物から立て続けに連絡が来るねえ。
正月が近いから年賀状のつもりかも知れないけど、わたしって年賀状とはとっくに縁を切って、今年の年賀状も1枚も買ってないからね。
文句のある人はこのブログに一報を。

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2023年12月26日 (火)

中国の旅/華清池

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小白クンの車を始皇帝の陵まで走らせる。
わたしが初めて西安に行った1995年には、兵馬俑は世界的に有名になっていたけど、兵馬俑が守るべき肝心の始皇帝のほうはそうでもなかった。
始皇帝陵は来るときに見た、兵馬俑から1.5キロほどはなれた農地のなかのピラミッド型の土盛りで、葬られた人間の偉大さに比べれば、走って登って、頂上まで10分もかかるまいと思える小さな丘だ。
丘のてっぺんまで石段がひとすじ伸びていて、始皇帝の陵であることを示すものは、石段のたもとに1個の石碑が立っているのみ。 

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しかも小山全体が付近の農民の果樹園に利用されていて、まだまだ中国は始皇帝の墓を大事に扱おうという気がないようだった。
しかしその後、中国政府はこの歴史上の英雄を観光資源として思い切り活用すべく、陵全体を大改造して、いまは日本の明治神宮のような樹木に覆われた聖域になっている。
ということはすでに書いた。

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いちおう駐車場はあったので、車を待たせ、わたしは陵のてっぺんまで登ってみることにした。
登り口の石碑に書かれているのは「秦始皇帝陵」という文字だけで、その石碑のわきで石焼き芋屋が営業をしていた。
わたしは中国の焼き芋が美味しいことを知っていたから、ひとつ買って食べてみた。
やはりとても美味しかったのは有機栽培だからだろうか。
もぐもぐやっていると、男がやってきて、また布にくるんだインチキ骨董品を見せて、ダンナ、これは漢の時代のなにがしですぜとささやく。
そんなものは相手にしない。

石段のとちゅうにもつまらない記念品を売る土産もの屋が並んでいた。
すべて無視してあっという間に陵のてっぺんに到達した。
頂上に立ってわたしは周囲を見渡した。
果樹園といっても冬の真っ最中で、木の葉は落ちているし、あたりは平野だから眺めはまことによろしい。
乾いた土地で、ほこりが多いせいか、まるで春霞の野を見ているように、あたりはうっすらと霞んでおり、うらうらと霞たつ野に、天平の貴人たちがピクニックでもしているような不思議な錯覚におそわれた。
まことにここは、たけだけしい武人の秦の始皇帝より、怠惰と放蕩を愛した唐の玄宗皇帝のほうがふさわしい。

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遠くまで農地が広がっている北側に比べると、南側には驪山が迫っている。
民家や農地のようすはー変わっても、山のかたちは2000年まえとそう変わらないだろう。
いまわたしが眺めている驪山という山を、始皇帝もきっと見たに違いない。
あなたは永遠の命を求めて虚しかったけど、名前だけは、すくなくても現代まで残りましたよ。
2000年の時空を超えて、ついそんな会話をしてしまった。

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つぎに連れていかれた華清池は、なんでも玄宗皇帝と楊貴妃がたわむれた宮殿だったらしいけど、観光名所が苦手のわたしにとって、まさにつまらないところの見本といってよかった。
このあとの写真は1995年、2001年、2008年、2011年のものがごちゃまぜである。
つまらないところにしてはやけに何度も行ってるじゃないかという人がいたら、理由はその後に出かけた西安がみんなパック旅行で、華清池観光は最初からスケジュールに含まれていたせいだ。
ということもすでに書いた。

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華清池の敷地には庭園があり、池があり、朱塗りの建物がいくつもあって、かなり広いので、見て歩くだけで疲れてしまう。
95年の華清池にはなかったけど、その後行ってみたらここには楊貴妃の像が出来ていた。
わたしの楊貴妃というと、なよなよとした柳腰の美人のイメージなんだけど、それがあなた、ミロのヴィーナスもまっ青というギリシャ彫刻ふうの半裸像で、こんな豊満な肉体に毎晩せまられたら、玄宗皇帝もさぞかし辛かっただろうなとあらぬことを想像してしまう。

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楊貴妃がつかった温泉というのがあった。
のぞいてみたけど、冷たい石組みが残っているだけで、美人がつかっているわけでもない。
ハリウッド映画によくあるシーン、クレオパトラみたいな女王が、若い召使いなどを従えて、きゃあきゃあいいながら、泡風呂につかっている場面を空想してみたが、設定に無理があるみたいで、すぐに妄想もはじけた。
だいたいこんなところに温泉が湧くのか。
そう思いたくなるほど、日本の温泉とはあたりの雰囲気が異なる。
中国では温泉も皇帝が独占して、庶民があたりに宿屋や射的場やストリップ劇場を作るわけにはいかなかったせいだろう。
2008年に行ったときは、西安で、なんと雪にたたられ、つまらないを通り越して怒りさえおぼえた。

遠方にロープウェイがあって、驪山とふもとを往復しているのが見えたけど、乗り場まで行くのがおっくうで、とうとう一度も乗ってみなかった。
1936年12月12日、当時中国国民党のトップで、中国の最高指導者とされていた蒋介石は、この山のふもとで寝入っていたところを、張学良、楊虎城の反乱軍に襲われた。
いわゆる兵諌(へいかん)である。
国共内戦で中国が分裂し、そこに日本軍まで加わって三つ巴で戦争を続けていたとき、中国人同士が争っている場合ではないと、愛国者の張学良が反乱を起こしたものである。
妄想の得意なわたしだけど、華清池では楊貴妃なんぞより、どうしても蒋介石の兵諌のほうに想像が飛んでしまう。
映画化やマンガ化するなら、わたしなら楊貴妃よりこっちのほうを選ぶな。

寝込みを襲われた蒋介石は窓から飛び出して、そのさい腰を打って、よっつんばいになって命からがら驪山に逃げ込んだという。
しかし捜索していた兵士に捕まって、学良のもとに引き出される。
第二次世界大戦のまっ最中であり、中国では人間の命がアヒルや羊なみに軽かったから、彼は本能寺の織田信長と同じ運命になるところだったのだ。
この事件は聯合通信社の松本重治によってスクープされ、世界を震撼とさせた。
蒋介石の奥さんの宋美齢は、旦那を救うために飛行機で西安に飛ぶというゴタゴタがあって、このあたりはひじょうにドラマチックである。

周囲の努力と働きかけがあって、かろうじて蒋介石は命拾いをした。
しかしこの話には彼の執念深さを物語るような続きがあって、メンツを失った蒋介石は、その後国共内戦に破れ、台湾に逃れる寸前に、西安で幽囚の身であった楊虎城を、わざわざ暗殺者を出して処刑して行く。
張学良のほうは、以前から特別な存在だったせいで命拾いしたけど、台湾まで同行し、死ぬまで虜囚の扱いだった。
しかし内戦で勝利をおさめた共産党には、楊虎城は尊敬すべき対象とされ、西安市には彼の功績をたたえる「楊虎城記念館」というものがある。

わたしは蒋介石が飛び出した窓を見たかったけど、残念ながらパック旅行でもこの場所はぜんぜん案内されない。
わたしが行ったころの中台関係は微妙なものになっていて、中国は統一を目指して、台湾人を傷つけないよう配慮する時代になっていた。
夜になってホテルでテレビを観たら、国共内戦を扱った戦争ドラマに蒋介石らしき人物が登場していたけど、けっして日本軍みたいにむちゃくちゃ残忍な司令官とは描かれてなかった。

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わたしはほとんど時間つぶしのように華清池を見てまわり、てきとうな頃合いをみはからって外へ出た。
ここには中国人の観光客がたくさん来ていて、門の外にはミヤゲもの屋がひしめいていた。
しかしわたしはまたしても華清池を出たあと、付近の農村をぶらぶらするのである。

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華清池のまわりの農村は坂道などがあって、いくらか山村という感じである。
道ばたでおとなしい子供が、ほかの子供にいじわるされて泣いていた。
しかし日本のイジメというほど陰険なものでもないようだから、わたしはかまわずに泣いている子供の写真を撮ることにした。
カメラを向けると子供はすぐに泣き止んだ。
中国の幼児はお尻の開いたズボンをはいていることが多い。
これはウンチのとき、いちいちズボンを脱がなくてすむというアイディア・ズボンだ。

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わたしは山の斜面を登って、部落の家をのぞいて歩いた。
ある家の庭で奥さんが洗濯をしていた。
この家は山を切り開いた崖にへばりついており、崖に掘られた洞窟も住居として活用されている“ヤオトン”という形式の家であった。
奥さんは写真を撮っているわたしに気づいて、ナニヲシテマスカとすごい剣幕で飛び出してきた。
わたしは“对不起”(すみません)と謝って、あわてて退散した。

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おもしろくない、さっさと西安に帰ろうとわたしは運転手の小白クンにいう。
西安に帰って、まだ見残した「大雁塔」を見物することにした。
大雁塔は西安市の南の郊外にあって、あたりの風景から、なんとなく砂漠のオアシスの街といった雰囲気を感じる。
この塔は慈恩寺という寺の境内にあり、べつの日に見た小雁塔と同じ造りで、こちらは7層、64メートルの高さがあるという。
わたしはたいして気乗りしないまま、塔に上ってみた。
塔といっても、内部は日本のそういうものとだいぶ異なり、玄奘三蔵が仏典を収めたというけど、どこにそんなものをしまっておく部屋があるのか。
各階ともただの展望台というべきもので、部屋やロッカーや物置きなどひとつもない。
まあ、ここなら風通しもいいし、雨もめったに降らないようだから、書物を床に山積みにしておいても虫に食われる心配はないからいいか。

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わたしは最上階まで上ってあたりの景色をながめた。
北へ向かう通りのつきあたりが西安駅のはずだけど、さすがに駅までは見えなかった。
南側にはもうすぐ近くに農地が広がっている。
わたしは最上階から写真を撮って、さっさとホテルに帰ることにした。
塔から下りると、ちょうど日本人の団体と行き会ったので、そのうちのひとりの女性に、日本語が恋しくなりましてねと声をかけてさっさと小白クンのタクシーにもどった。

夜はまたホテル前の「福慶酒楼」で食事。
とろんとした目つきの益小姐が妖しく微笑む。
写真を送ってあげましょうかというと、なんだかためらう様子だから、あなたには亭主がいますねというとうなづいた。
生のトマトを頼んだら、ひとこというのを忘れて、砂糖をふりかけられてしまった。

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泥沼ふたつ

振り上げた手を下ろせないで弱っているのが現在のイスラエル。
ハマスを壊滅させると息巻いて、国際世論もものかわ、ガザ地区の北部から南部まで攻め込んだのはいいけど、目標にしているヤヒヤ・シンワル指導者が見つからず、彼を殺してそれをきっかけに停戦に持ち込もうという目論見は依然不透明。
このままでは停戦のきっかけもつかめず、そのあいだにもイスラエル非難の世論は高まる一方だ。
戦力で劣るハマスのプロパガンダ作戦に、イスラエルは完全に敗北した。
先日も新しいトンネルを発見したなんて威張っていたけど、それはエジプトなどからひそかに支援物資を搬入するためのもので、ガザ地区の下に網の目のように張り巡らされていることは、とっくに、わたしでさえ知っていた。
いまごろ発見したと騒ぐのは、なんとかこの戦争に勝ってるという宣伝行為にほかならない。

たとえシンワル指導者を殺しても、これだけ残忍なことをしてパレスチナ人の反感を買ったのだから、未来永劫にハマスはよみがえる。
NHKでさえ、ハマスはすでにパレスチナ人のイデオロギーになっているので、指導者を始末してもつぎの指導者が現れるだろうといっていた。
イスラエルは明日の見えない泥沼の戦場に足を突っ込んだというわけだ。

ウクライナのほうも似たような状態だ。
NHKニュースでは、プーチンは大統領選挙で対抗馬になりそうな相手の立候補を妨害しているなんて強調していたけど、いまは戦争中で、ロシアは戦時統制下だぞ。
戦争をしてなければプーチンは、反体制派の候補者なんて歯牙にもかけなかっただろうけど、戦時統制下では、敵国に利用されそうな相手の自由を一時的に制限するのはやむを得ない。
立候補妨害どころか、選挙そのものさえ妨害しているウクライナには目をつぶって、なんでロシアばかりあげつらうんだ。

昨日のNHKニュースではまたロシアの問題ばかりで、それ以上ひどいウクライナのことはほとんど報じられなかった。
たまになにかあると、市民やバレリーナや、昨日は動物園の飼育員までかつぎだして、ウクライナの悲劇を強調することばかり。
ウクライナではロシアと同じなのが気に入らないと、クリスマスの日にちまで変更したそうだけど、こんなものは太平洋戦争のとき、日本が敵性語だといって英語の使用を禁止したのといっしょ、たんなる憂さ晴らしにすぎない。
もともとウクライナの政局は、韓国のようにあっちにつくか、こっちにつくかと揺れ動くていどの状態だったのに、本気で一方に肩入れしたバイデンさんの失敗だ。
米国は景気はまあまあなのに、バイデンさんの人気は落ち目だというニュースがあったけど、当たり前じゃん。
他国の戦争に15兆円も支援したいなんてムチャなことをいって、そんな金があるなら自分の国に使えといわれるのは当然だわサ。
言い出しっぺのバイデンさんにとって、こちらも泥沼だ。
あ、バイデンさんに追従するNHKにも泥沼ね。

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2023年12月25日 (月)

明日なき世界

日本に船籍のある貨物船がイランに攻撃されたと、日本が大騒ぎ。
これは前にも似たような事件があったけど、船に乗り込んできたフーシ派は、べつに船員を虐殺するわけでもなく、イスラエルに協力する船は通さないというだけで、船員はすぐに解放された。
今回はどうか。
一種の示威行為で、どうも海賊のような手荒な方法で船をシージャックしようというわけではないようだ。
許容範囲とはいわないけど、武器を支援して犠牲者を積み上げる米国に比べれば、現在のパレスチナを同じアラブ人が遠方から支援するということで、このていどは認めてもいいんじゃないか。

むしろことさら騒ぎ立てて危機を広大に演出しようというアメリカ(とNHK)の姿勢のほうが目立つ。
日本船籍といっても、日本人はひとりも乗っていないのだ。
実質的被害はなにもないのに、こんなことで騒ぐのは、軍備を増やして中国に対抗しようという日本政府の陰謀に違いない。
台湾有事の行方が台湾総統選挙の結果待ちで、どうも不確実になってきたので、今度はイランにケンカをふっかけて、なんとかほかにメシの種を見つけようという米国のネオコンの陰謀に加担しているようにも思える。

プーチンは和平提案に応じる用意があるという報道もあった。
ロシアはクリミア半島と、現在占領している東部4州さえ手に入れれば和平に応じるといっているらしい。
これはわたしが、ロシアの目的はその地域だけで、ウクライナ全土を占領しようという意図は最初からないのだといってきたことと、まさに一致する。
しかしすぐあとに、ロシアが困っているからだとか、西側にゆさぶりをかけるつもりだろうとか、邪推ばかりする意見も紹介されていた。
いま困っているのは、欧州の支援疲れや、米国議会の支援予算拒否で、だれがどう見てもゼレンスキーさんのほうに決まっているのに、こんなことを言っていたらいつになっても和平は出来ない。
NHKはいつまで、アメリカの、血に飢えた危険な勢力に追従しようというのか。

わたしという人間のひとりの人生のうちだけでも、日本は戦後の混乱期から、世界の大国に変身した。
つぎの、あるいはさらにそのつぎの世代の人生ひとつのあいだに、まるっきり逆のことが起こらないという保証はないんだよ。
いまでは世界中から、日本は平和でいいと観光客や移民が押し寄せるけど、子供や孫たちがガザの悲劇を体験しないためにも、日本人はもっと冷静に、公平にものごとを判断するべきだ。

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2023年12月24日 (日)

中国の旅/村の風景

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というわけで兵馬俑を見終わったあと・・・・
もう終わりかいといわれてしまいそうだけど、仕方がないでしょ。 
そんなに記述するようなこともなかったし、ネット上には兵馬俑を見学してきた人の紀行記もたくさんあるし。 
わたしがあらためて感想を書いてもそういう記事を超えられるとは思わないから、ここは先輩の紀行記として、前述のクリスティナ・ドッドウェルと、ポール・セローの記述をコピーしてすませよう。 

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ドッドウェル/この陶製の兵馬を制作する技法はみごとなものであり、細部(爪、口ひげや顎ひげ、個々の髪型)まで巧みに表現されている。 
兵士はさまざまな形の帽子をかぶり、チュニックを着てベルトを締め、鎖かたびらを着こみ、短いブーツや爪先が反った四角い靴を履いている。 
それぞれに個性を与えているのはさまざまな顔とその表情である。 
セロー/サッカー場ほどもある広いスペースに、鎧をつけたままの兵士たちが背筋をのばして行進していた。 
兵馬俑坑の素晴らしさは、人形の生きているようなリアルさと、そのおびただしい数にあり、つくられた当時の姿がそのまま保たれていることである。 
これ以上わたしがなにを付け加えればいいのか。 

べつの方面から余計なことを付け加えると、セローの「中国鉄道大紀行」は図書館にあったけど、ドッドウェルの「中国辺境の旅」のほうは、わたしの地区の図書館にはなかったので、ヤフオクで中古本を新たに買い求めた。 
文庫本だけど、この値段がたったの19円で、送料をこみにしても257円にしかならなかった。 
送料のほうが高いの典型で、申し訳ないと思うと同時に、愛書家のために損得を無視しても本を提供しようという古書店の努力に感謝。 

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兵馬俑のありさまについては以上にして、ほかに気のついたことを。 
駐車場から博物館までのあいだに土産もの屋がたくさんあって、ザクロを売っている露店が多かった。
ザクロという果物は中東のほうから中国につたわり、中国から日本にもつたわったそうで、奈良の正倉院にも痕跡が残っているという。 
これは前項で書いた、中国がさまざまな文明の影響を受けやすかったことと合致する。 
わたしはザクロも好物である。 
よく果物屋で買ってきて、実だけを集めて口にほうばり、種をプップッと吐き出す食べ方をする。 
これは何というかと露天のおばさんに尋ねてみたら、ザクロは中国語でも“石榴”だった。 
バンザイと嬉しがるわたしって、どこかおかしいのか。 

ほかに柿も売っていたけど、実が小さく、さわってみると熟柿のようにやわらかかった。 
たちまち妄想が谷崎潤一郎の「吉野葛」に飛ぶ。 
わたしの脳細胞はつねにあらぬ方向をさまよっているのだ。 
そして本人はまた新たな目標を見つけて、兵馬俑からあらぬ方向にさまようことになった。 
ながめると、兵馬俑博物館の門から500〜600メートルほどはなれた場所に、小さな農村集落が見える。 
わたしが田舎を見るのが好きなことは、この紀行記のあちこちで説明した。 

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博物館の門を出てから、塀ぎわをつたい、畑のなかを抜けて、その集落へふらふらとまよいこんだ。 
まえに無錫でやはり田舎を見てまわったけど、今度はだいぶ環境の異なる中国の農村をま近に見るチャンスだし、わたしにとっては陶器の人形を見物しているより、こういうところを散策しているほうがよほど楽しいのである。

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この部落の印象をこの歳までずっと純粋日本人のわたしが表現すると、民家は土で出来ており、部落全体がどこまでも褐色という感じである。
あちこちに古い土塀があって、家のまわりにあるなら泥棒よけかと納得だけど、畑の周囲にまであった。
あとで聞いたら、それは畑の土が飛んでしまうのを防ぐためだそうだ。 
そういわれてみると、泥棒対策にしては、崩れかかってノコギリの歯のようになっているものが多く、あまり役に立ちそうもない。 
けっして不潔という感じがしないのは、ときどき(わたしみたいな)外国からの観光客が迷い込んでくるので、当局から指導でもあるのだろうか。

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江南あたりにはまだ日本の水郷を思わせる景色があったけど、西安まで来ると、いかにも異国に来たなと思わせる日本とはかけ離れた景色ばかりだ。
それでもそれほど遠くない場所に、樹木の茂る山塊が見える。
これは驪山(りざん)といって、蒋介石が部下の張学良からの兵諌に遭ったとき逃げこんだ山である。

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あちこちで写真を撮りながら部落のまん中を歩いていると、付近の子供たちがぞろぞろついてきた。 
どの子も坊主頭で、現在の日本では絶滅したような邪気のない子が多い。 
集落の中には小学校があり、その門の内側には学用品や日常品を扱っているちっぽけな売店があった。
教室を見たかったけど、さすがに勝手に校舎の中へ入るわけにはいかないので、門のまえで立ち止まり、売店でなにか買物がないかと考えてみた。 
しかしボールペンはここへ来るまえに臨潼の町で買ったばかりだ。 
石鹸や洗濯洗剤はここでは必要ないしと逡巡していると、仕立てのよさそうな人民服のおばあさんがなにかいう。 
意味は聞き取れなかったものの、上海のような大都会ではほとんど見られなくなった人民服が、この村ではまだ幅をきかせていた。 

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それにしても極楽みたいなところである。 
部落のなかには老人もいたけど、日中あいまみえた戦争を知っているはずの年齢なのに、ひとりだってわたしにイヤな顔をする人がいない。 
つまらない意識過剰を妄想しているのは、むしろわたしのほうだった。 
わたしはのんびりしたおじいさんの柔和な顔を見て、国民の幸福度指数が世界一だという、ブータンという国に迷い込んだ気分になってしまった。 

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まえに中国語学者・鐘ケ江信光さんの言葉を引用して、中国ではどこに行っても郷愁を感じると書いたけど、ここでわたしがほのぼのとした感情におそわれたのもそれだろうか。
いいや、最近日本にやってくる外国人が多いけど、彼らも信州の妻籠宿や、四国四十八カ所の巡礼地めぐりに魅了される人がいると聞く。
田舎に魅了されるというのは、国籍を超えて、アフリカの原野を故郷とする人類に普遍の感情なのだろうか。
オレはそんなものは感じないという人がいたら、ん、あんたは人間以下だな、すくなくともわたしの世代とは別人種だよといっておく。

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わたしは思い切り好奇心を満足させたあと、てきとうな時間に駐車場へもどろうと、桐の植わった空き地を通り抜けようとした。
そのあたりで、日本でいえばアオゲラ・サイズのキツツキが梢にとまったのを見た。 
樹上に気を取られたわたしは、あやうく足もとの人糞を踏んづけるところだった。 
遠方からでは見えないけど、空き地には人糞が散乱していた。 
中国式の汲み取りトイレより青空トイレのほうがいいと、中国人でさえ思っているのだろうか。 

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兵馬俑博物館の駐車場周辺には、空き地に天幕をはっただけの毛皮屋がずらりと並び、白や黒、茶色といったおびただしい毛皮が、洗濯物のようにぶら下げられていて、これはじつに壮観だった。 
自称ナチュラリストのわたしはとうぜん考える。 
いったいこの毛皮のもとになった獣たちはこの西安あたりで獲れたのだろうか。
この近くにこんなに野性動物がいるだろうか。 
ま、いても不思議じゃない。 
先刻の村の雰囲気は昭和前半の日本の田舎レベルだったから、そのころはわたしの田舎でも、まだまだイタチくらいは見かけたものだ。 
この毛皮屋の写真を撮っておけばよかったけど、ちょっと写真を撮っていられる雰囲気ではなかったので、1枚もない。 
ここに載せたイラストは福岡大学名誉教授、専門は廃棄物管理、特に最終処分関係の樋口壯太郎さんという人のスケッチから。 
1989年の西安というから、わたしの旅より6年まえで、この人も同じ兵馬俑博物館の毛皮屋を見たのかもしれない。 

今度は邪気のない子供たちではなく、むくつけき荒くれ猟師たちがわたしを取り囲んだ。 
即席の毛皮商人たちが手に手に毛皮を持って、これを買うまでは帰さないという勢いである。
わたしはまさかキツネの毛皮が2千円程度で買えるとは思わなかったから、これしかないよといって150元をみせてみた。 
とたんにその金をひったくられてしまった。 
まけずにわたしも相手の持っていた毛皮をひったくった。 
返してほしかったら金を返せといっても相手は応じるようすがない。 

これはわたしが悪かった。 
むかしから熊は猟師に負け、猟師は旦那(商人)に負けるということわざがある。 
いくら毛皮を獲っても、それをはした金でもいいから現金に換えないかぎり、彼らは家で待ってる女房や子供たちの腹を満たすわけにはいかないのだ。 
目のまえに突き出された金をひったくりたくなる気持ちもわかる。 
わたしはとうとう買いたくもない毛皮を150元で買わされるハメになってしまった。 
PS.この毛皮は帰国してからネコ大好きおばさんにあげてしまったけど、本格的になめしてない安物だそうで、そんならネコじゃらしにどうぞといってみたら、ネコも喜ばなかったそうだ。

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2023年12月23日 (土)

謀略

え、どうしてくれるんだ、どうすんだよ。
最近のBSは再放送ばっかりじゃないか。
あ、これはNHKのことで、民放は知らんけど、再放送で、しかもウクライナ擁護のプロパガンダばかり観せられるこっちの身にもなってみろ。
きっと新しくておもしろい番組はみんな4Kってところに行っちゃったんだろうな。
こうやって新しいテレビに買い替えさせようとするNHKと家電メーカーの押し売りは、じわじわとせばまってくるのだ。

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2023年12月22日 (金)

中国の旅/兵馬俑考

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というわけで、兵馬俑を見学したあと・・・・
おいおい、まだなにも書いてないじゃないかといわれてしまいそう。
じつは1995年の旅では、兵馬俑は写真撮影が禁止になっていたので、写真がないんだよね(現在はそんなことはない)。
そのままでは兵馬俑はネットで見つけた写真を使うしかないところだけど、さいわいわたしは95年以降3回も兵馬俑の見学に行ってるので、あとで撮った写真はたくさんある。
ここに載せたのはそういう写真。
あまり関心がないにしては、ずいぶん行ってるじゃないかといわれてしまいそうだけど、その後の3回というのはぜんぶパック旅行だったので、兵馬俑の見学は最初からコースに含まれていたのだ。

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いったい兵馬俑というのはナニモノであるか。
これからそれについてヨタ話をでっちあげようと思うけど、わたしはロマンチストであると同時に、非情なリアリストでもあるので、世間の俗説を破壊する可能性がある。
兵馬俑に夢やロマンスを感じている人は、以降の文章は読まないほうがいいかも知れない。

簡単にいえば兵馬俑は、亡くなった人があの世に行っても権勢をふるえるようにと、人間の代わりにお墓に埋葬した人形の軍隊だ。
上海の博物館に行ってみれば、始皇帝以前にも兵馬俑は各地にあったことがわかる。
ただし、さすがに等身大以上というのは少なくて、たいていはテルテル坊主のように小ぶりなものが多い。
兵馬俑についてはいろいろな伝説や物語がある。
大半は科学的根拠にもとずかない、フィクション・ネタばかりだけどね。

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始皇帝が亡くなったのは紀元前210年で、お墓は生前から準備されていたようだけど、建設が本格的になったのは息子の胡亥が後継者になってからだろう。
親父が偉大だったから墓も偉大でなければならないと、墓の建造に金をかけたもんだから、それだけで秦という国の土台は傾いてしまった。
極道息子が家を傾けるという、このへんの事情はとてもおもしろい。

始皇帝の墓は地下に造られ、豪華絢爛たる宮殿や、周囲に水銀の流れる川などがあって、それは壮麗なものであったらしい。
書物によっては墓のなかにたくさんの財宝が埋まっていると書いたものもある。
中国にも死者にお金(ニセ紙幣)を持たせて葬る風習があるから、始皇帝クラスになれば、そう考えるのも無理はない。
しかし秦が崩壊したのは紀元前206年、ということは始皇帝が死んで4年後にはもう国が滅亡したわけで、あとを襲った項羽の軍隊は、秦の痕跡を根絶やしにするような破壊と略奪をした。
始皇帝の陵も焼き討ちされ、その炎はえんえん3カ月も燃え続けたという。
かりに金銀財宝が副葬品として埋められていたとしても、これではとても無事だったとは思えない。

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盗掘者から守るために、陵の構造を知っていた設計者、土工などはひとり残らず生き埋めにされたなんて話もある。
しかし後継者争いで殺された始皇帝の子供たちの骨らしきものは見つかっているものの、大量の人骨が発見されたというニュースは今のところないみたいである。
いずれにしても、始皇帝が死んで4年後では、まだ陵の秘密を知っている人間は多数生存していただろう。
項羽の軍隊はそのへんのチンピラ盗掘団ではなく、国家が盗掘を推進したようなものだから、始皇帝の陵の周辺に金目のものはひとつも残ってないと考えるほうが自然である。

ではなぜ兵馬俑だけは無事に残っていたのか。
じつは無事でもなかったのだ。
もともと兵馬俑は弓や槍のような武器も携えていたらしいけど、そういうものはほとんど残っていない。
おそらくまだ使用できる武器はすべて奪われて、兵馬俑本体は、こんな役立たずの陶器製人形をひとつひとつ壊していたらえらい手間だから、そのまま埋め戻してしまえというのが真実じゃないか。
わたしが項羽だったらそうするな。

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兵馬俑にはいくつもの伝説があり、そのひとつとして兵馬俑の製造方法がわからないという説もある。
わたしは兵馬俑を見に行くとき、近くの村でまだ制作中の兵馬俑を見たから、これもあまり信じられない。
兵馬俑が作られたころ、日本ではまだずん胴の埴輪しか作れなかったからそう思うんだろうけど、ギリシアのほうではこれより古い時代に、あのリアルな女性の裸体像さえ作っていたんだから、そんなに大騒ぎするようなことかしら。
しかも中国にはヘレニズムやオリエント、北方の異民族、南方の少数民族など、さまざまな文明が流れ込みやすい条件がそなわっていた。

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兵馬俑には同じ顔のものがないともいわれている。
始皇帝の軍隊は、さまさまな民族の寄せ集め軍隊だったらしいから、軍装や髪型を変えるのは簡単でも、8000個もあるとされる兵士の表情すべてに変化を与えるのは、才能のある漫画家にもむずかしい。
まだ3Dプリンタもないころだし、ひとつひとつが手作りだから、これは同じ顔を作るほうが難しかったということじゃないか。
かってに作らせたら同じものができなかったというのが真実だったりして。
わたしが旅をしたころの中国人は、職人の腕がなってなく、トイレや洗面所も設計図通りに作れなかったのだ。

そんなことより始皇帝陵のスケールを考えてみよう。
わたしは金品には興味がなくても、陵のスケールの実際ぐらいは知りたいのだ。

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陵から兵馬俑まではおよそ1.5キロあるので、兵馬俑が陵の一部として造られたものなら、これは全長が、最低でもそれ以上ある広大な墓苑だったはず。
ここに載せた図は、始皇帝陵と兵馬俑の位置関係を(妄想たくましいわたしが)図にしてみたもので、兵馬俑はみんな東を向いているというから、もしも陵と兵馬俑が東西を結ぶライン上に一直線に並んでいるなら、こんなもんじゃなかったかという配置を描いてみた。
最前列に兵馬俑が並び、そのうしろに大臣や役人、女官などが並んでいるけど、大臣以下は人間のかたちをした俑ではなく、その地位を象徴する金目の品物だったとする。
惜しむらくはそうしたものは、残らず略奪されたはずだということである。

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かりに兵馬俑が東西を結ぶライン上になく、アンバランスに置かれていれば、これは陵の前方だけではなく、前方の2カ所に、あるいは陵の4隅に配置しようとされていた可能性もある。
とすれば、陵の大きさは最初の図どころではなくなるだろう。
でっかいことの好きな皇帝の意に応えようとすれば、万里の長城並みのスケールがあった可能性もあるけど、残念ながら、たとえば長城は何百年もかけて少しづつ増築と延長を繰り返してきたのに比べ、始皇帝陵にはそんなに時間がなかった。
始皇帝陵の建設が始まったのは、彼が諸国を統合して、国をひとつにまとめてからだとすれば、そこから秦が崩壊するまで15年ぐらいしかないのである。
始皇帝の子孫が5代も10代も続けば、陵の建設もずっと続いたかも知れないけど、息子の胡亥はあとを継いでほどなく国を食いつぶした。
当初の構想ではもっと大きかったかも知れない始皇帝陵は、途中で建設がストップしてしまったと考えるのが妥当なのだ。

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こういう状態だから、始皇帝陵と兵馬俑のふきんをいくら発掘しても、エジプトのツタンカーメンみたいな価値のあるものは出てこないだろう。
そう考えた中国政府は、この中国の歴史を象徴する皇帝の墓を、神聖な伝説にするつもりで、いまそこは日本の明治神宮のような樹木の多い公園に変身させられてしまった。
これがいちばんいい方法かも知れない。
文革のたんびに、独裁の象徴だ、反社会主義的だと目のかたきにされるより、子孫のために、観光客を呼び寄せる役目を担うほうが平和でいい。
わたしの結論としては、ミステリーファンには申し訳ないけど、始皇帝陵の近くに、もうめぼしいものはなにも埋まってないだろうということである。

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2023年12月21日 (木)

今日は

今日はめずらしく街まで出ている。
昨日のNHKはひどかったという原稿は書きかけてあるんだけど、ヘタすると今日は帰りが遅くなるかも知れない。
その場合はこの短信がブログ更新の代わり。

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2023年12月20日 (水)

昨日のNHK

今朝のNHK国際によると、ウクライナは弾薬が足りないと悲鳴を上げているそうだ。
なんだい、なんだい。
NHKと御用解説者のこれまでの主張によれば、弾丸やミサイルが枯渇するのはロシアのほうじゃなかったのか。
これだけみてもNHKのデタラメぶりがわかるな。
ひとつでもこういうデタラメが混じっていれば、ほかのニュースもみんな信じられないということになってしまうんだよ。

これはNHKにとってジレンマだ。
ウクライナが互角に戦っているといえば、それじゃ援助は必要ないなと思われてしまうし、弾丸が足りないといえば、あれだけつぎこんだのにまだ足りないのかといわれてしまう。
世界は支援に疲れたのではなく、真実に気がついてきたということなんだよ。
さいわい日本では岸田クンが青息吐息だ。
早く首相が交代して、つぎの首相は自分の意思で、ウクライナ戦争は終わらせようといえる人になってほしいね。

日本の政策を決める(そして首相に原稿を渡す)官僚のなかには、米国のネオコン政治家とツーカーの人がいて、今度はまた中東で紛争ネタを作り出そうとしているみたいだ。
なんとかイランに因縁をつけて、相手を土俵に引っ張り出そうとしているようだけど、最近のBRICSには中国をお手本に、相手の謀略にひっかかるなというおふれがまわっているようだよ。
アメリカがいくら手を振り上げても、イランもフーシ派も、肝心な部分ではぜったいに挑発に乗らない。
そのうちアメリカのほうが勝手に落ちぶれるさと、足元を見られているのだろう。

日本に上川のおばさんがいれば、米国にはオースティンという国防長官がいる。
彼も影が薄くて、お飾り以外のなにものでもないという感じ。
イスラエルにいってぼそぼそと、いったい何を話してきたんだろう。
大男、総身に知恵がまわりかねって、腕力以外に取り柄のない国だからな、米国は。
オースティン君も米国も足元を見られて当然か。

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2023年12月19日 (火)

この子の未来

1185

花壇の草むしりをする。
時期は関係ない。
運動不足の解消とレクリェーションを兼ねているから、今日みたいに日がらがいいと、やりたいときにやるのだ。

地ベタにはいつくばって可哀想な雑草(多くはカタバミの仲間)をむしっていると、通りかかった小学生くらいの女の子がペコリと頭を下げて何かいう。
可愛い女の子だったけど、こっちはイヤホンをつけて音楽を聴きながら作業をしているから、何をいわれたのかわからない。
たぶんご苦労さまぐらいのことをいったのだろう。
なんかほんわりしてしまうな。

わたしには子供はいないけど、こういうことがあると、この子の未来に責任を感じてしまう。
世界はわざわざ分断されることを望んでいるようで、対立はますます激しくなる一方だ。
紛争アオリストのせいで、こういう女の子がガザ地区の子供のような運命にならんという保証はないんだよ。
わたしの言い分が世間に届くこともなさそうだけど、今日もせっせとアラ探しをしよう、NHKの。

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2023年12月18日 (月)

昨日のNHK

NHKの国際報道。
今日は台湾と中国の関係をめぐって、確信的偏向犯の別府正一郎サンが、台湾と米国の識者に話を聞いていた。
どちらもNHKに都合のいい返事をしてくれる識者で、よくこんな便利な識者を見つけてきたものだ。
別府サンは台湾の識者に、開口一番「中国はますます焦っていて、プレッシャーを感じてると思いますか」と訊く。
まるっきり誘導尋問じゃないか。こんな質問の仕方はないやね。
まあ、確信的に偏向している別府サンだから不思議でもないけど。

彼は近々の台湾有事を見つめて、なんとか台湾を西側に惹きつけておきたいようだけど、中国にそんなに焦る必要があるだろうか。
たとえばあと5年、10年以内に、どうしても台湾を併合しなければいけない理由があるだろうか。
中国の時間は西側よりずっとゆるやかに流れているのだ。
NHKのアナは自分が生きているあいだを目標にしているのかも知れないけど、中国人は将来のいつかは取り戻すくらいにしか考えていないよ。
香港を返還してもらうのに、ほぼ1世紀、99年まえの英国との約束を守ったくらいなのだ。

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2023年12月17日 (日)

フェイク

昨日の国際ニュースに、生成AIで作られたフェイク動画が問題になっているという報道あり。
うーんと考えたけど、どうにもならんね。
新しい技術が登場すれば、使ってみたいと思うのは、わたしもそういう青少年だったからよくわかる。
デジタル技術が登場し、アドビのフォトショップのような素晴らしいソフトが出てくれば、わたしも写真をいろいろ加工してみたくなったものだ。
わたしが若ければ生成AIで深田恭子(古い?)みたいな美女を作って、世界でただひとりのわたしのアイドルとして、イヤらしくもてあそんでいたものを。
これは創造分野の能力発露であるので、止めて止まるものではないし、止めることによる弊害のほうがかえって大きい。

こういう時代だから、フェイクに騙されないというのは至難の技、さいわい今はまだ生成AIも未熟なところがあるから、どれが本物のプーチンかわかりやすいけど、これからさらにソフトが進化すれば、もうほとんど見分けるのは不可能になるだろう。
もうこうなったら、世界的なSNSなどのまったく新しい倫理規定、管理、制約システムが完成するまで、騙されるだけ騙されるしかないな。
フェイクを見破るための研究組織も発足しているそうだけど、その組織がどちらの側に属しているかで、結果はいくらでも捻じ曲げが可能だ。
たとえばウクライナ戦争では、米国とウクライナのフェイク情報が圧倒的に多いのに、NHKはしれっとして、フェイクに騙されないようにと公平をよそおうことなど。
これでは騙される人間はいつになっても減りゃしない。

各国の大統領選挙のまえにはフェイクが多くなるそうだ。
もうなんだっていいじゃないか。
世界中にフェイクで当選したトップばかりが溢れても、そもそもいまの米国の大統領だって、フェイク合戦の果てに当選した人じゃんか。
それでも世界はまわっていくよ、ギクシャクと。
戦争より重要な温暖化問題があさってのほうにおっぽり出されてしまったのが気がかりだけど、そのころ時代遅れのおじさんは絶滅しているから、もうどうでも・・・・エエ。

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意志もつ花

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テレビを観ていたら、植物も意思の伝達方法を持っていて、仲間同士でいろいろ情報をやりとりしているという番組があった。
どうやって撮影したのかわからんけど、たとえば葉を食べる害虫がきたりすると、葉のなかを光が移動して、葉の末端や他の植物にまで危険を知らせ、しかるべき対応策を立てているのだそうだ。
目も耳もない植物だって、生きものなのだから、そういうことはありそうである。

わたしはよく花壇の雑草取りをする。
すると雑草たちが、わたしがあらわれるのを察知して、警戒警報を発令しているかも知れない。
いくら警戒警報を出したって、彼らには足も羽根もあるわけじゃないから、人間から逃げるわけにはいかない。
でもそんなことを考えたら気のドクになって、草むしりもしにくくなった。
雑草の側から見たら、わたしはヒトラーやネタニヤフさんのような、非情な殺戮者なのだ。

逆の方法はないだろうか。
つまり植物に、わたしはやさしいおじさんなんだよとわからせる方法は。
じつは去年花壇に植えてみたら、ものの見事に枯れてしまったオオキバナカタバミ、あれを今年もひと株もらってきて、花壇に植えたんだけどね。
わたしの理想はマルタ島で見たように、いたるところにあの黄色い花が咲き乱れることだ。
冬に開花する花だから、花の少ないこの季節にあれほど目立つ花もないのである。

去年枯れてしまったのは、すこし手荒に扱いすぎて、花のほうがショックを受け、失意から立ち直れなかったのかも知れない。
同じ轍を踏まないように、今年は耳もとで、わたしはやさしいおじさんなんだよ、なんだよとささやいてみたらどうだろう。
彼らがうまくだまされて、よし、元気に発育しようって気にはならんだろうか。
それにしても光の移動で植物の反応がわかるものなら、近い将来、植物と人間の会話もできるようになりそうだ。
でも、そんなことになったら、ますます草むしりなんかしにくくなるな。
キャベツの千切りも痛々しくて食べられなくなるかもね。

  温暖化すでに戸口に迫るかや
     見あぐる空に木星ひとつ

暖かいのはよかったけど、人類みんな、フライになる日も近いんじゃないかね。

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2023年12月16日 (土)

中国の旅/兵馬俑へ

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回族居住区を見たあと、西安の城壁内、いわゆる旧市街をうろうろした。
いろいろ興味深いものを見たけど、わざわざブログに特筆するほどのこともないので、あとでまとめることにしよう。
このたびはまたタクシーを借り切って、近郊の農村にでも行ってみようかと考えた。
列車で西安に来るとき見た、浸食された大地のようなダイナミックな地形を、もっと近くから自分の目でながめてみたかったのだ。

そのまえにそろそろ帰りの列車のチケットを手配しておかなければならない。
ANAの長安城堡大酒店で訊ねたときは、あとでもういちど来てくれといわれ、いくらか高くつきますよとのことだったので、自分でもういちど当たってみることにしたのである。
西安賓館で教えてもらったところによると、列車のチケットは城内にある建国飯店で買えるとのこと。
そこでべつの日にタクシーをつかまえ、そのホテルまで走らせた。
そのときついでに運転手に、この車をいちにち借り切ったらいくらするかと訊いてみた。
700元だという。
700元といったら日本円で9千円ぐらいだ。
上海で長江を見に行ったときはろくな景色がなくてがっかりしたけど、西安はちょっと走ればまわりがもう農村で、英雄豪傑が覇を競った歴史的な土地である。
それを自分の行きたいように見てまわれるなら安いものではないか。
しかし相手の言い分に気楽に乗るのもナンだしなあと、わたしも煮えきらない。

タクシーの運転手は小白クンといって、まだ27歳の若い男性だった。
西安大学を出ており、奥さんも英語がペラペラの才媛だそうで、子供がひとりいるという。
このころの中国では、大学を出たサラリーマンより、タクシーの運転手のほうが稼ぎがいいというので問題になっていた。
奇しくもその実例に出会ったわけだ。

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会話していると小白クンがしきりにピンマーヨン、ピンマーヨンという。
この言葉はこれまで乗ったタクシーの運転手や、ホテルのボーイからもよく聞いた。
客を勧誘するための常套句らしかったけど、わたしはほかに見たいところがたくさんあったので無視していたのだ。
なんだ、ピンマーヨンて?
紙に書いてもらったら「兵馬俑(へいばよう)」のことだった。

信じられないかも知れないけど、わたしは西安に着くまで、世界の七不思議といわれ、その後中国で5Aクラスの国家最重要観光地に指定される兵馬俑を、見に行くつもりがぜんぜんなかったのである。
西安に到着した日の記事に、恥ずかしくて人に話せない失態をしていたと書いたのはこのことだったのだ。

ここで兵馬俑にもリンクを張っておいたけど、わたしはそれを知らなかったわけじゃない。
この旅のすこしまえにNHKが、兵馬俑を解説するテレビ番組をつくり、わたしはひじょうな興味をもってこれを見た。
しかしわたしが興味をもったのは兵馬俑の背景のドラマ、始皇帝の足跡や、その後継者争いなどの歴史ドラマであって、兵馬俑そのものについては、埴輪のでっかいやつかぐらいの認識しかなかった。
動くわけでもない土の人形に興味はなかったのである。

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どうもわたしの性格も困ったもんだ。
わたしより10年まえに、ひとりで中国の辺境を歩いた英国の女流作家クリスティナ・ドッドウェルも、西安ではまっ先に兵馬俑を目標にしている。
わたしといっしょにアフリカを(バーチャルで)旅した紀行作家のポール・セローも、中国をまわったときは、西安で兵馬俑を重点目標にしていた。
それほど貴重な文物を無視するのは、宝の山に入って、いちばん価値のある宝を見逃すようなもんじゃないか。
思うに当時のわたしには、オレが見たいのは世間の俗物どもが見たがるものじゃないのだという、屈折した矜持のようなものがあったのだろう。
でも現地で心境の変化が起こり、じっさいに見てきたものを、これから披露しようというのだからいいじゃんと弁解して、あとを続けよう。

田舎が見たいんだけどねというと、小白クンは作戦を変えたようで、明日まだ日にちがあるのなら、また僕のタクシーを使えばいい、そのときどこへでも案内しよう。
この日は260元で貸切りにしてもいい、自分が西安の有名な観光地をみんな案内するといいだした。
200元にしろよとねぎって、煮えきらないわたしも、とうとうこの日はすべて彼にまかせることにした。

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いったんホテルにもどり、カメラを積みこんで、小白クンのタクシーで西安観光に出発する。
タクシーは市の東端の万寿路を北上し、長楽路を右折した。
このあたりはもう郊外といっていいところで、バスや乗用車にまじって、ウマやロバがのんびり荷車を引いているのを見たりした。

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最初に立ち寄ったのは市の東部にある「半坡(はんぱ)博物館」。
古代の集落遺跡だというけど、わたしはこんな名前は聞いたことがなかった。
帰国してからドロ縄で勉強したところによると、中国で初めて発見された新石器時代の遺跡として注目されているとか。
学問的にひじょうに貴重なものらしいけど、わたしはそんなものに興味がないので、またリンクを張っておいたから、興味のある人は自分で勝手に調ベナサイ。

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半坡遺跡博物館では渡り廊下のような見学通路を見てまわった。
最近の写真を調べると、わたしが見たときより建物が立派になったような気がするけど、当時もあまり熱心に見たわけじゃないから、よくわからない。
覚えているのは、建物の中に土がむきだしになっていて、そこに穴が掘られていることだけだった。
青森県の三内丸山遺跡と同じように、発掘された古代の住居跡に、雨風を防ぐための屋根をつけたものらしい。
考古学にさして興味のないわたしは、写真も撮る気も起きなかった。
ニワカ考古学者になってエラそうなことをいっても始まらない。
やや珍しかったのは葬られた当時のままに展示されていた人骨で、子供のものも含めて3体か4体分あったようだ。
駐車場にもどって、待っていた小白クンに、あまりおもしろくないと正直にいう。

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それじゃつぎは始皇帝の兵馬俑に行きましょうとなって、いよいよわたしの歴史の中への旅の始まりである。
ここでちょっとお勉強をするけど、「始皇帝」というのはイエス・キリストより200年ぐらい古い人である。
中国の歴史の節目にあらわれた人で、漢、晋、隋、唐、宋、明、清などという王朝はすべてこのあとに続くものだから、覚えておくといいかも知れない。
日本はまだ歴史以前で、有名人といったら、せいぜい伝説の女王・卑弥呼がいたくらいだ。

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兵馬俑まで車で1時間ほどかかり、途中の景色はのどやかな田園風景で、なかなかいいドライブだった。
しかし小白クンが車をぶっ飛ばすのには閉口した。
事故でもやられたらわたしは中国の生命保険に入ってないのである。

途中で“臨潼”という町を通った。
この名前には見おぼえがあった。
当時のわたしは中国の近代史にも関心があって、書物でよくこの地名を目にしていたのである。
小白クンに車を停めてもらって、わたしはこの街の文具店でボールペンを1本買っていくことにした。
安いのはよかったけど、これは1日どころか、帰りにはもうインクが出なくなってしまった。
普段なにげなく使っているものだけど、ボールペンの芯先の構造には、精密工業の極地のような技術がつまっているもので、日本の優秀さをつくづく思い知らされた。

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兵馬俑博物館が近くなってきたころ、わたしは畑のなかに、はっきり人為的に築かれたとわかる小山があるのを見た。
あたりは平野といっていい場所なのに、そこに唐突に、きれいなピラミット形の山が盛り上がっているのである。
小白クンが説明をしなかったので、わたしもそのときは何だろうと思っただけで過ぎてしまったけど、これが秦の始皇帝の陵墓だったのだ。
気のドクに、この偉大な歴史上人物の墓は、小山全体が付近の農民の果樹園に利用されてしまっていた。
ただし、その後の中国は始皇帝を神格化する決心をしたようで、わたしの最後の西安行きになった2011年には、陵墓は日本の明治神宮のような濃い緑におおわれていた。

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車は街道から右折して兵馬俑博物館の方向に曲がった。
ここでは近くの農村に奇妙なものを見た。
雑木林のなかにまだ制作途中の、生乾きの粘土の兵馬俑がいくつも並んでいたのである。
ここは兵馬俑制作の工房でもあるかと思ってそのまま通り過ぎた。
しかしこんなものを見たせいで、よくものの本などに、兵馬俑の制作工程は謎であるなんて書かれているのは怪しいと思う。
中国人は贋物を作る名人である。
わたしは何かの本で、中国人は骨董品を古く見せるために、まだ新しい銅製品を、海にしばらく沈めておくなんてことを読んだことがある。
日本の博物館で兵馬俑の展覧会があったこともあるけど、そこで展示されていたのはこの村で制作されたものだったかも知れない。

とはいうものの、これについてこれ以上触れるのはよそう。
わたしは通りすがりに見ただけで、この生乾きの兵馬俑がなんのために作られていたのか知らないのだ。
客を騙して売るつもりではなく、客も納得のうえのレプリカだったのかも知れないし、科学的な年代分析をしなくても、専門家が見れば贋物と一発でわかるものかも知れない。
うっかりしたことを書くと、だから中国人はと、アンチ中国のプロパガンダに利用される恐れがある。

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2023年12月15日 (金)

プーチンのイベント

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プーチンの国内外の記者の質問に応えるというイベント、それが気になって追跡報道を観てみた。
だいぶ盛況だったようだけど、NHKの報道はくやしさを押し殺して事実をそのまま報じるだけで、あまり突っ込みどころがなかった。
で、またSNS上のTBSニュースを観てみた。
ここもNHK以上に偏向の激しいところである。

プーチンのイベントは4時間にも及んだという。
添付した写真はイベントのようすで、参加者が多かったことがよくわかるではないか。
参加した記者がロシアのマスコミだけなら、これはヤラセだろうで済んだけど、中にはウクライナやクリミアの記者もおり、ニューヨーク・タイムズの女性記者も混じっていた。
混じっていただけではなく、彼女も発言をしていた。
これでは偏向のNHKも文句がつけられないのは当然だ。

TBSのニュースでは2018年の同じイベントと比較して、以前はもっと和気あいあいとしてユーモアもあったのにという。
しかし今回もプーチンは、西側の報道人が少ないのはペスコフ(報道官)のせいだよと返す場面もあって、参加者の笑いを誘っていたし、いったいどこを見てんだよ。
真山なんとかいう作家が無理な解釈をして、余裕をみせたいんでしょうねなどといっていた。
見せたいんじゃなく、じっさいに余裕があるじゃないか。
いまの世界のどこに、なんとかアラを探そうと必死のマスコミを相手に、4時間も自分の言葉で語れる指導者がいるか。
ちなみに岸田クンだとか、上川のおばさんにそんなことが期待デキマスカ?

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昨日のNHK

EUはなんとかしてウクライナを加盟させたくて仕方がない。
ニュースによるとハンガリーだけがこれに反対しており、全員一致が原則のEUとしては、ハンガリーはEUからの支援が欲しくて駆け引きをしてるんだろうと見ているらしい。
しかしこれはEUのほうがおかしい。
ついこの間まで、EUには健全な民主主義国であることという厳格な加盟条件があった。
それをロシアの侵略から守るという理由で、EU自身が無理やり捻じ曲げようとしているのである。
ウクライナが健全な民主主義国であるという証拠は、いまのところウクライナ自身の申告でしかない。

なんとかハンガリーを翻意させようと、EUは支援金で釣ろうとしている。
なんでもやっとくれ。
こんなご都合主義でなんとか間に合わせても、意見の異なるメンバーをかき集めているようじゃ、将来のEUがうまくいくものか。
昨夜のプーチンは国内外の記者や、ロシアの一般市民からの質問に、ちょくせつ答えるというイベントをしていた。
わたしはむかし、石原慎太郎議員が立候補した選挙で、ヤジを飛ばす聴衆にその場で論争をいどんだことを思い出した。
慎太郎さんというと好き嫌いがあい半ばした政治家だったけど、本人にそれだけの信念があるからできたことで、役人の原稿を読むしか能の無い政治家にはとてもできないことだ。

敵対する西側の記者の質問にも、どうどうと応えるプーチンのこの自信に満ちた態度、国民の反応がコワくて、大統領選挙も中止しようというゼレンスキーさんとは大違いである。

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2023年12月14日 (木)

歴史は繰り返す

昨日のNHK国際報道を観ていて思ったこと。
日中戦争(太平洋戦争)のおり、中国の蒋介石の奥さんだった宋美齢は、アメリカに乗り込んで日本と戦うために支援要請をした。
最初の訪問では美齢は大成功をおさめた。
二度目の訪問ではもうアメリカの熱意は冷めていて、というよりアメリカも蒋介石とその一派が汚職まみれで、つぎこんだ支援がみんな彼らのふところに消えることに気がついていたのだ。
美齢は失意のうちに帰国せざるを得なかった。

どこかで聞いたような話だな。
ゼレンスキーさんは何度もアメリカに乗り込んで支援を要請しているけど、アメリカはそうそう甘くない(甘いのは兵器産業から莫大な献金が期待できるバイデンさんだけだ)。
ウクライナはEUに加盟するために腐敗を一掃したなんていってるけど、腐敗体質がそんな簡単に一掃できるなら苦労はしない(最近の日本を見よ)。

歴史は繰り返したわけだけど、似たような例はイスラエルにもある。
地下道にこもったハマスとの戦闘で、イスラエル軍にも死者が出ているそうだ。
地下の話なので地上にいるわたしたちにはわかりにくいけど、おそらくハマスの戦闘員は見つけしだい射殺ということになっているだろう。
つまり第二次世界大戦でワルシャワの地下に立てこもって、ドイツ軍を相手に絶望的な戦いを挑んだユダヤ人が、今度は他人に対して同じことをしているわけだ。
世論に追いつめられたネタニヤフさんは、水責めをしてるそうだけど、いちばん先に死ぬのはイスラエル人の人質だということを知らんのか。

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2023年12月13日 (水)

ネタニヤフさんの運命

ネタニヤフさんは何をしてるのだろう。
ハマスに投降を呼びかけていたけど、相手はもともと死ぬことを恐れないイスラム教徒だ。
ハマスの捕虜だといって、裸の男たちを地面に並べていたけど、NHKの解説者まで、ハマスの戦闘員ならもっと痩せているはずだと看破していた。
ハマスの地下道を発見したといっていたけど、ガザの地下道はもともと戦争のためではなく、イスラエルの物資搬入禁止に耐えかねて、パレスチナ人が物資をひそかに融通しあうために掘ったものだ。
イスラエルは地下道を把握しているようなことをいっていたけど、この調子ではなにも知らず、軍隊を南部にまで進めてようやく全体が見えてきたんじゃないか。
これでハマスのトップが見つからなかったらどうするつもりだろう。
あせったネタニヤフさんは、民間人まで敵の一員にカウントして、やみくもに勝利をでっち上げているだけじゃないか。
じっさいの戦闘では、圧倒的な物量のイスラエル軍が有利に決まっているけど、ハマスのほうもそんなことは百も承知で、相手の裏をかいているようである。

ハマスの蜂起がプロパガンダのためのものなら、イスラエルは完全に敗北した。
世界はこぞってパレスチナに同情的で、イスラエルを支持するのはアメリカ政府ぐらい。
そのアメリカ政府も、ハマスの蜂起のおかげでウクライナどころじゃなくなるし、影響はほかにまで及んでいる。
戦後のネタニヤフさんが戦争犯罪で責任をとらされることはお決まりのコースだろう。

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2023年12月12日 (火)

昨日のNHK

昨日のNHK国際報道を観たら、ロシアのサハリン州(ユジノサハリンスク)で、ロシア兵の死者が前年に比べると、この2カ月で急増していると報じていた。
なにがいいたいのかと注目してみたけど、肝心のいいたい部分はなくて、事実をそっけなく報じただけ、尻切れトンボみたいな報道だった。
わたしが代わりに解説すると、つまりロシアは辺境の兵士を戦争の前面に出している、あるいはロシアは劣勢で、なりふりかまわず兵士を戦場に注ぎ込んでいるといいたいのだろう。
しかしそうともいえない見方もできるはずだ(NHKは絶対に報じないけど)。

たとえば辺境というのはおおむね貧しいところが多い。
ロシア軍がいい給料を払うといえば、応募する兵士もよそより多いだろう。
必然的に死者が増えてもおかしくない。
というと、ロシア軍は相手の弱みにつけこんで兵士を募集していることになり、あまり感心できないことになる。

ほかにも理由は考えられる。
たとえば戦争が前年に比べて激しくなってきたこと。
これまで自重してきたロシア軍が、イスラエルでもドンパチが始まって、西側の支援が滞るのをみて、一気に決着をつけようと、攻撃を激化させてきたとか。
これならここ2カ月に死者が急増した理由も納得だし、サハリン州だけではなく、各地の出身兵士の死者が増えてもおかしくない。

問題はそういうことじゃないのだ。
戦争が激化したのなら、とうぜんウクライナ側でも死者は増えているはずなのに、あいかわらずウクライナ側の損失にはまったく触れないことだ。
これではわたしたちが知らないうちに、ウクライナは兵隊がひとりもいなくなってしまわないか。
もうすでにその前兆はある。
自軍の被害は隠したまま、今日もゼレンスキーさんは米国に物乞い行脚だ。
彼にすればバイデンさんの胸ぐらをつかんで、あんたがやれといったからやったんじゃないか、最後まで面倒みろよといいたいところだろうね。

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やっぱり民放も

わたしがケチをつけるのはNHKが中心である。
日本のマスコミのすべてがアンチロシアで結束しているとき、民放の番組にまでケチをつけていたらきりがないからだ。
昨日は日本国内の問題でNHKも手いっぱいだったらしく、ちょっとウクライナの報道が少なかったから、民放のYouTube上のニュースを観てみた。
TBS系の「報道
1930」というチャンネルだったけど、司会は松原耕二キャスターで、もとNHKの露特派員だった石川一洋さんと、御用解説者の小泉悠さんが出演していた。
このメンバーで、プーチンが大統領選挙に出馬したことについて、
茶番という言葉を使って非難していた。
いいかげんにしてくれよといいたくなる。

なにが茶番かというと、プーチンはエリツィン時代にロシアが経験した(そしてたまたま欧米が容認した)不正選挙に味をしめて、自らの選挙にずっとその方法を使ってきたなどという。
不正選挙がなにを意味するのかよくわからないけど、とにかくつぎの選挙でもプーチンは周囲から懇願されて出馬するという、わざとらしいヤラセが目立ち、だから茶番だということらしい。

不正選挙は世界のあちこちでよくある。
途上国ではとくに激しく、ミャンマーのように民意はスーチー氏にあるのに、結果はぜったいにそうならないという国もある。
もしもプーチンが不正で当選した独裁者なら、選挙が終わったとたんに自分の利益を守ることに汲々として、国民の幸福なんかあっちに置いてしまっただろう。
そして国民の不満は煮えたぎり、そのうわさは西側にも聞こえてきただろう。
エリツィンのとき、大統領が飲んだくれだということは西側でも有名だったくらいだ。

ところが現在のプーチンの人気は、ウクライナ戦争をかかえていてさえ、ひじょうに高く、対立候補がハナっからあきらめる状態だ。
かりに出馬を乞うようなヤラセがなかったとしても、プーチンの優位はゆるぎそうにない。
それはなぜなのか、ということを追求するのが報道機関の役割ではないか。

わたしが見たって、プーチンは国民のために汗を流し、ロシアを西側に匹敵するグローバル大国に押し上げた大統領だ。
国民はエリツィンやソ連時代より、間違いなく豊かで自由で幸福になっている。
ところがこのチャンネルでは、プーチンが不正選挙をしているということだけに焦点が当たって、しかもウクライナのほうは、ゼレンスキーさんが選挙をやらないと言ってるのに、わりあい好意的な見方である。
ウクライナが汚職大国であるということに触れないのも、いつもの常套手段。

けっきょく民放も似たようなものなのだ。
いや、民放のヤラセやでっち上げは、NHKよりひどいというのが昔から常識で、だからわたしはテレビはNHKしか観ないことにしてたんだけどね。
やはり時間の無駄だったか。

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2023年12月11日 (月)

中国の旅/回族居住区

鐘楼は西安の城内を東西南北につらぬくメインストリートの交差点のまん中にある。
東西のほうの通りをまっすぐ西に行くと安定門になり、それがシルクロードの出発点という説もあるので、街をぶらつきながら、今度はその門を見に行こうとかと考えた。

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鐘楼から人込みのなかを、西に向かってぶらぶら300メートルほど歩くと、鼓楼があった。
まぎらわしいけど“鐘”と“鼓”を間違えないように。
鐘楼は十字路のまん中にあり、鼓楼は通りのわきにある大きな建物である。

鼓楼のあたりで、白いヒゲをのばした痩身のじいさんがガラクタを売っていた。
写真を撮るには絶好の被写体だったので、撮ってもイイデスカとことわると、こわい顔をしてダメという。
絶好の被写体であるだけに、しょっちゅう素人カメラマンに狙われているのかもしれない。
じつは彼は、このあとわたしがさんざん見ることになるイスラム教徒だった。

鼓楼の先に土産もの屋がならんだ細い路地があったので、はいり込んで、いちばん手前にあった店で店主の女性と会話してみた。
ここでチベットかモンゴルの文字が彫られた指輪を買ったら、彼女はわたしのカメラをみて写真を撮ってくれといいだした。
小さな石の印材を差し出して、撮ってくれたらこれをオマケにつけるという。
わたしは2枚撮るからこれもくれといって、別の品物を手にとった。
ダメだといわれてしまった。
彼女の写真を送ってやる約束をしたけれど、彼女の書いた住所は達筆すぎてよく読めなかったので、帰国してから虫メガネで地図を調べて、どうやらこれらしいという地名を見つけた。
それでも写真を送ったのは2カ月もあとになってしまった。
はたして着いたことやら。

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彼女の店には手芸品らしいきれいな刺繍やアクセサリー、東南アジアあたりでよく見かける影絵の人形劇で、その影のもとになる切り絵などがあって、わたしの興味を引いた。
坊やの写真の背後に写っているのがその絵だけど、動物の革で出来ている。
ただし、あまり興味を持つと買わずにすまなくなりそうなので、手に取るようなことはしなかった。
適当なところで、お店をぐるっと見てまわって、あとでまた来ますといってその場を離れた。
ほかの店をまわると、最初はめずらしいと思った品物がどの店にもあることに気がついた。
あわてて買わなくてよかった。

店をのぞいていると、どの店でも店主がわたしを奥の部屋に招き入れ、引き出しの中から布にくるんだ仏像などをとりだしで、これはじつはと声をひそめて、いかにも禁制品であるかのように説明することもわかった。
彼らの説明によると、そこにある品物はすべて漢の時代のものなのだそうだ。
わたしももうだいぶすれているからそんなものにはダマされない。
春秋時代のものはないのか、殷の紂王の形見はないのかと抵抗をしてみた。

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そのうち清真寺という寺のまえに出た。
このときのわたしは知らなかったけど、中国で“清真寺”といったらイスラム教のモスクのことである。
しかし屋根にドームやミナレット(突塔)がついているわけでもなく、様式はまったく中国式の仏教建築で、寺の門戸は閉ざされていたから、そのまえを素通りしてなおもふらついていくと、異様な光景の街並みに迷い込んでしまった。
こんなことをいってはナンだけど、あまりきれいではない景色がますますきれいでなくなってきたのだ。

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わたしは迷い込んだのは回族の居住区だった。
回族というのは、中国のイスラム教徒のことである。
中国は世界最大といわれる多民族国家なので、もちろんイスラム教徒もいるけど、民族の解説を始めるとひじょうにややこしいことになるから、わたしの一存で適当な説明をさせてもらおう。
この紀行記で回族といったら、ふつうの漢族で、イスラムに改宗した人々のことをいう。
専門家に怒られそうだけど、この先わたしはいろんなところで回族を見ることになる。
その特徴はと聞かれたら、漢族、つまり日本人とおなじような顔をしたイスラム教徒といって、おおきな間違いではないのである。
ところが、そんなわたしをあざ笑うように、このあとすぐにわたしの前提をひっくり返す見本があらわれた。

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ある食堂で見かけた若い娘は、灰色の瞳をした西欧ふうの美人で、家の中でも顔にスカーフをまいて、うす暗い食堂の厨房で、つぎの当たったエプロン姿のままうどん粉を練っていた。
中国が多民族国家であることを知っていたわたしは、カメラをむけて、あなたはとても美人だけど何族ですかと尋ねてみた。
彼女はにっこり微笑んで、わたしのノートに“回族”と書いた。

ここではじめて、わたしはふきんの住人があたりまえの中国人でないことに気がついた。
まわりの店で働いている人たちは、顔こそふつうの中国人だけど、頭に白い帽子をかぶっている者が多く、これは中国では回族の特徴とされるものである。
わたしが回族というものを見たのはここ西安が初めてだった。
日本の田舎者だからやむを得ないけれど、灰色の瞳の娘の存在は、わたしに特大の哲学的命題を突きつけた。
もしも彼女が日本に生まれ、わたしが代わって西安の回族居住区で生まれていたらどうだろう。
美人の彼女はモデルかタレントになり、たとえならなくても、まあまあ幸せな人生を送り、わたしのほうはうだつが上がらないまま、西洋のプレイボーイ誌でもながめてシコっていたんじゃないか。
人間の運命は生まれた場所で決まってしまうのか。

考えても虚しい。
現実に西安で生まれた彼女は、とくに不満もなくその日を暮している(ように見える)のに対し、豊かな日本にうまれたわたしは、人生に悩みつつ悶々と日々を送っているのである。
哲学的命題というのは生まれた場所うんぬんではなく、なんで人間のてのはこううまくいかないのかってことである。

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この街を歩いていると、多民族の融合の結果である回族のことだから、まったく絵に描いたような風貌のイスラム教徒もいる。
わたしがたまたま見つけたイスラムの仏具店(仏具とはいわないけど)には、白いヒゲのアブラハムみたいな老人がいて、わけのわからないアラビア文字が刺繍されたペナントを、わたしがいくらですかと尋ねると、おまえはイスラムかと訊く。
いいえ、仏教徒ですと答えたら、それじゃ売れんといわれてしまった。
とてもきれいなペナントで、部屋のインテリアにも悪くないと思えたのに、たぶん“アラーのほかに神はなし”とでも書いてあったのだろう。

清真なんとかと書かれたレストランもあちこちにあるけど、この手の店では豚肉を使った料理は出さないし、ヘタすると酒も飲めないことがある。
西安あたりではまだ原則に忠実でない店が多いから、なにも知らないままビールを頼んだバチ当たりのわたしは、清真食堂のひとつで牛肉湯包子と、ひと口サイズのぴりりと辛い肉饅頭を食べながら考えた。

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それにしても悲惨なところである。
これまであちこちで日本と比較にならないくらい非衛生な場所を見てきたけど、この回族の居住区はそれに輪をかけて非衛生だったのだ。
通りをなにかの肉を乗せた自転車が来る、お店のまえには五体満足のままの羊肉がぶら下がっている、日本人なら肝をつぶすような羊の頭蓋骨が山になって売られている。
わたしはこのあと、有名な兵馬俑を見に行ったりするけど、西安でいちばん印象に残ったのは、この回族の居住区だった。

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ホテルに帰るまえに、回族の飲食街で甘い菓子を買ってみた。
イスラム圏の国では酒が御法度のかわり、スィーツが多いので、甘いものの好きな女性には天国かも知れない(そのかわり太った女性も多いけど)。
日本の饅頭みたいな菓子で、赤いものや白いもの、ゴマをのせたものなどがあった。
これを持って帰るというと、包みの上に「西安清真誠信×食品店」と書かれたまっ赤な紙ラベルを貼ってくれた。
判読不能な文字がひとつあったけど、お店の保証状みたいなもので、賞味期限を書いたものじゃなかったね。

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最後の西安訪問になった2011年に、回族の居住区がどうなっているか気になったので、わたしはもういちどこの一画を訪ねてみた。
その後のこのあたりは、「回民街」という名の、特異な風物を生かした観光名所になっていて、だいぶ様変わりしていた。
不潔だといって住人の強制移住なんかした日には、またBBCあたりにかぎつけられ、少数民族の迫害だなんて悪評を立てられかねない。
街の一画をまとめて観光名所にするというのは、国にとっても住人にとってもベストの方法だと思う。

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回民街で購入したお菓子は、ホテルにもどって冷蔵庫の「松仁露」というジュースを飲みながら食べてみた。
赤いのや白いのや、ゴマをふったものなど種類があったけど、いずれもやや固めのアンコが入った日本の饅頭というべきしろものだった。
とても全部は食べきれないので、余ったぶんは服務員の娘にやろうと思い、服務台にいってみたら男の服務員しかいなかった。
こんなのにお愛想をいってもはじまらないので、誰もいないときお菓子はこっそり服務台に置いてきてしまった。

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2023年12月10日 (日)

復讐の荒野

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録画しておいた「復讐の荒野」という西部劇を観た。
モノクロの古い映画だけど、むしろこういう映画のほうが、まだアメリカの良心が残っていたころに作られたということで、安心して観られる(ことがある)。

これもちょっとひねるのが得意のアンソニー・マン監督の作品で、善悪のはっきりした単純な西部劇ではなく、想像していたよりおもしろかった。
主演は、わたしの歳ではあまり縁のなかった、バーバラ・スタンウィックという女優さんで、彼女が西部劇版のモンテ・クリスト伯爵を演じるという、意表をついたウエスタン。
ドンパチもあることはあるけど、映画の後半は恋人を無理解な父親に殺されたヒロインが、その復讐をしようと決心し、それも武器を使うわけではなく、父親が発行した牧場の債権を失墜させて大損をさせるというトレーダー的やり方。
マン監督はここでも敵対する人間同士の一方だけをワルとは描かず、いずれの側も血の通った人間として描いている。
少々荒っぽい筋書きも目立つけど、最近のウクライナ戦争のように、単細胞的な世界観のアメリカよりよほどマシだ。
人々を納得させるには公平で客観的な姿勢というものがなにより必要なんだよと、あ、これは日本の公共放送へ。

ところでBSのプレミアムがどっかに行っちゃったね。
4Kというところに移動したらしいけど、うちのテレビじゃ映らないらしい。
いまさらわたしみたいなじいさんが、家電メーカーとNHKの謀略にのせられて新しいテレビを買っても仕方がないし、精緻な画面で偏向報道を見せられるのもイヤだから、たぶん死ぬまでこのまま。

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2023年12月 9日 (土)

プーチンの歓迎

またやみくもにウクライナの支援をしている人たちの気分をこわすニュース。
プーチンが中東のカタールを訪問したときの歓迎ぶりはすごかった。
とうぜんのように国賓待遇で、国王がじきじきに出迎え、車両には前後に軍隊の護衛がつくし、戦闘機がロシア国旗を象徴する白、青、赤の煙幕をひいて、なんかオリンピックの開会式みたい。
この映像と、ドイツの大統領を迎えるさいの映像をならべた人がいて、観た人もいるかも知れないけど、その差があまりにも歴然。
ドイツの場合は迎えが現れず、飛行機のなかでぼさっと待たされたのだそうだ。

これでもロシアが孤立したといえるのか。
イタリアは一帯一路から離脱したそうだけど、わざわざ孤立する道を選んだだけじゃないか。
そういえばイタリアも女が首相だよ。
ここんところ、わたしのブログは女性軽視ばっかりだな。
まだ炎上しないのかしら。

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2023年12月 8日 (金)

ICCは?

まだプーチンが指名手配犯だなんて報道が、昨日あたりもちらほらあったね。
子供たちを危険な戦場から安全なロシア国内に退避させ、しかも親があらわれて返せといったらちゃんと返してくれたプーチンが指名手配で、子供も親もいっしょくたに爆撃で殺しまくるネタニヤフさんはまだ手配されてないのか。
パレスチナでは子供だけで7000人(ひと桁違うんじゃないかと思ったよ)も死んでるって話で、しかもまだまだ増えそうだ。
ICCはなにやってんだ。

そういえばプーチンを指名手配犯にしたのはICCにいる日本人のおばさんだってえじゃないか。
女性が好きなことでは人後におちないわたしだけど、上川のおばさんといっしょで、これではどうしても「女はダメだ」と思わざるを得ないや。
岸田クンに同情しとくか。
出てくる議員、出てくる議員、すぐにスキャンダルが露呈するロクでもないのばかりじゃ、役人の原稿を棒読みする議員ぐらいしか選びようがないもんな。

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中国の旅/鐘楼と城壁

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朝になって窓から眺めると、西安賓館のすぐ東側に、唐楽宮という劇場の入ったビルがあり、太陽はその向こうから昇る。
太陽がなんとなくくすんで見えるのは、ここが黄砂の本場だからだろうか。
西安はシルクロードの出発点といわれ、これより西には砂漠の国があるはずなのだ。

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この日は、朝メシまえの運動のつもりで、まず西安の名所のひとつである小雁塔を見に出かけた。
遠ければ無理して出かけないけど、これはホテルのすぐ裏にあったのだ。
ホテルを出ると、道路の向こうに日本で見なれた景色があった。
佐川急便のトラックである。
塗装もボディのロゴも、日本の佐川急便とまったく変わらないトラックが停まっていたのである。
一瞬びっくりしたものの、すぐに気を取り直した。
おどろくことはない、日本の佐川急便の西安支社があるのだろう。
当時はなにかと評判のよくない会社だったけど、仕事熱心なことだけはほんとうのようだ。

中国に支社があるなら、荷物の配送などに便利ではないかと思い、帰国してから佐川に電話で確認してみたら、担当者が、いや、じつはウチでも車の耐用年数がありましてね。
古くなった車を友好のために中国へ寄付してしまうんですが、すると向こうじゃ塗装を変える費用がないもんだから、そのまま使ってるんでしょうという。
ああ、そうなんですかとわたし。
事実は単純かつ下らない場合が多いものだ。

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小雁塔は唐の時代に大薦寺といった寺院の一部で、塀の門が開いていたものの、まだ切符売場はオープンしていなかった。
しかし切符売場わきの小屋に人がいたので、切符はどうなっているんでしょうかと尋ねると、相手はいくらいくらだよという。
なにも知らないわたしは、この親父が切符売場の人間かと思って金を払ってしまったけど、あとで考えるとたんなる近所の人だったようだ。
親父はお釣りがないといいい、しかもおかげで10元とられてしまった。

小雁塔は707年の建造だというから、1300年以上も前のものということになる。
全体が褐色で、ちょっと見には土の塔のように見える。
しかし土の塔では雨が降ったらくずれてしまう。
中国でも西域には日干しレンガといって、土をこねただけのレンガがあるそうだけど、そんなもので10層もある塔は作れまい。
うーんと、いっぱしの建築家みたいなたわごとを考えながら、近くで建築材料を吟味しようとしたら、時間が早かったせいか、塔の入口にはがっちりと錠がおりていた。

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境内では老人たちが、カゴに入れたツグミくらいの大きさの、目のまわりに白い輪のある小鳥の鳴きくらべをしていた。
わたしは自称ナチュラリストなので、小鳥の種類には詳しいはずだけど、このときこの鳥の名前はわからなかった。
帰国してから調べてみたら、こいつは画眉鳥といって、中国や東南アジアではめずらしくない鳥で、侵略的外来種として東京の高尾山にもいるそうである。
小鳥と老人たちを横目に見ながら境内のとっつきまで歩き、とっつきの出口から外へ出られないのを確認してまた入口へもどった。
切符売場はオープンしていたものの、ずるがしこい親父はもういなかった。

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この日は西安城内の鐘楼とその周辺をうろうろするつもりで、ホテルのバイキング朝食をすませたあとタクシーで出発した。
西安賓館から鐘楼までは徒歩でも行けるけど、永寧門までは前日に歩いたところだから、タクシーで行ってしまうことにしたのである。
鐘楼についてはまたウィキペディアにリンクを張ってすませる。

鐘楼の近くでタクシーをおりてみたら、鐘楼はロータリーになった広い十字路のまん中に位置していて、危険を覚悟で道路を横断しないとその足もとに接近することもできない。
そんなはずはない、どこかに地下通路があるのだろうと探したら、ロータリーの、新華書店側のかどに地下通路の入口があった。
入口はひとつしかないようだ。
この地下通路には壁ぎわに土産もの屋がならんでいで、鐘楼へ登るための受付もここにある。
カバンを持ったままでは鐘楼に上がれないというので、わたしはバッグを預け、カメラだけを持つことにした。

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鐘楼からの眺めはいい。
ここから東西南北に道路がのびていて、ガイドブックによると大雁塔も見えるということだったけど、しいて探しもしなかったのでわたしには見えなかった。
鐘楼の軒下には、日光の東照宮のように細かい細工がびっしり飾られていたけど、感心するほどわたしはそういものに関心がない。
楼内に薄ものの天女スタイルで古代楽器をかなでる女の子がいて、演奏のあい間にカメラを持った観光客のまえでポーズをとっていた。
こちらにはおおいに関心があったけど、よく見ると衣装の下にジーンズとスニーカーをはいていたから、ぜんぜんイロっぽくなかった。
最初は冠をつけていたのに、うっとうしかったのか、そのうちはずしてしまったから、どこかの大学生のアルバイトかもしれない。

鐘楼の見物はこれで終わりである。
簡単すぎるという人がいるかも知れないけど、わたしはこういう名所旧跡にあまり興味がないので、また市内をぶらぶらすることにした。
どこになにがあるかわからない土地を、行き当たりばったりに探索するのが楽しいのである。

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このあとの記事はべつの日のものである。
中山門というところから、西安の街をとりかこむ城壁に上ってみた。
門の下に小屋があってそこが料金徴収所になっている。
小屋をのぞくと、ヤカンにお湯が沸いていて、小学校の用務員さんの詰め所みたいである。
すぐわきの壁に料金表が立てかけられていた。
  内賓    1.00
  小学生   0.50
  自行車登城 0.50
  ADMISSION TICKET FOR TOREIGNER   3.00  THREE YUEN
最後のは外国人用で、料金を払うと裏に城壁についての説明を書いた、ちゃんとしたチケットをくれる。

ところで“中山門”という名称はあまり古いもののように思えない。
西安城をめぐる城壁にはたくさんの門があり、北壁の中央にある安遠門から右回りに数えると、尚徳門、尚勤門、望春門(もしくは朝陽門)、中山門、長楽門、建国門、和平門、文昌門、明徳門、朱雀門、勿幕門、含光門、安定門、玉祥門、尚武門まで、ぜんぶで16の門があることになる。
建設当時の名前をそのまま使っているようなものもあるけど、解放後に新しくつけた名前や、新しく壁に穴をあけた門などもあるようだ。
中山門というのも、“中山”という言葉はたしか革命の父・孫文の尊称だったはずだから、解放後の名前ではないか。
古くからある門は、門がそのまま楼閣になっているものが多いのに、中山門にはそんなものはなかったから、これも中山門があとからつけられた門であることの証明かもしれない。

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わたしは城壁の上をぶらぶら歩きながら、目測でその幅を計測してみた。
幅は15メートルくらいだろうか。
きっちりレンガがしきつめられており、ここなら騎馬軍団でも行進できそうだ。
外側はわずかに傾斜のついたほとんど垂直といっていい壁で、手がかりなどなにもないから、飛行機やミサイルのない時代にこの壁を攻略するのはさぞかしむずかしかっただろう。

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城壁の上から内側の市内を見まわすと、重なりあった2階、3階建ての民家が多く、城壁からだと上から見下ろすような感じになるので、ベランダや屋上に、洗濯物やガラクタが雑然と置かれているのが見えた。
どの家もみな白っぽいホコリにおおわれている。
千数百年はいいすぎとしても、復元された明の大都だった時代から数えて、4、5百年のホコリがつもっているのかもしれない。
近くにあまり檀家のいそうにないさびれた寺院もあった。
現在は集会所か何かに使われているだけのようだから、共産主義の廃仏毀釈のダメージをうけて、そのまま立ち直れていないらしかった。
しかしこんなさびれた寺の境内で、近所の子供が年寄りと遊んでいたのは悪くない光景だった。

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城壁のすぐ下ではノミの市が開かれていた。
かなり長い範囲にわたってさまざまな露店がならび、洋服から靴、日常品、書籍、車や電気製品の錆びた部品まで売られていた。
なんとなく戦後のヤミ市をほうふつとさせる光景で、骨董品でもあればおもしろいけど、上から見たかぎりではほとんどが日常品だった。

わたしは城壁の上をとなりにある長楽門へ向かって歩いていった。
ところどころに楼閣がある以外はまったくなにもない城壁の上だから、はるか彼方まで見通すことができる。
周囲17キロといえば短辺はせいぜい3キロプラスのはずだけど、こうして眺めると遠方にはかげろうさえもえている。
西安への旅人は、ヒマな日に弁当でも持ってのんびり1周してみるのもいいかもしれない。

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中山門から長楽門へのあいだに、柱や軒が赤くぬられた2階建ての楼閣がふたつあった。
後ろのほうから自転車でやってきた用務員みたいな男性が、カギをあけてそのひとつへ入っていったから、わたしもあとから入ってみた。
ずうずうしく2階まで上がってみた。
中はがらんどうでホコリがつもっているだけだったから、西安が長安だったころ、兵士たちの詰め所かなにかとして使われていたのかもしれない。
先に入った男性は文句もいわずにわたしが写真を撮るのをながめていた。
わざわざわたしのためにカギをあけてくれたのかも。

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この楼閣のわきにトイレまであった。
トイレはレンガを組んで溝をつくっただけの簡単なものだったけど、いちおう屋根や壁もあって外から見えないようになっていた。
素材が同じだから城壁と同じ時期(長安の時代?)に造られたものかと思ってしまうけど、女性用まであるところをみると、20世紀になってから観光客のために作られたものではないか。
長楽門はちょうど工事中で、それより先は通行止めになっていた。
わたしはまたぶらぶらと中山門へひきかえした。
わたし以外に城壁の上を歩いていた観光客は、若い中国人のアベックだけだった。

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2023年12月 7日 (木)

続・周庭ちゃん

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カナダに亡命した香港の周庭ちゃんについて、いい年をこいた著名人(らしき人)までゴタゴタいってるな。
雨傘革命のとき、彼女は当局に拘束されたけど、当時の中国がそんな年端もいかない娘を本気で厳罰にするわけもない、すぐに釈放されるだろうとこのブログに書いたら、そのとおり、彼女は警察でお目玉をくらっただけで、翌日には釈放された。
こういうことは、すぐに忘れてしまう人が多くて困るよ。
中国政府は、帰ってこないと一生指名手配のままだぞなんていってるけど、西側にたぶらかされた未熟な少女を、これ以上たぶらかされたままにしていたら本人も可哀そうだというので、建前だけでいってるような気がする。
北朝鮮なら、たとえ本人が外国に亡命したって、家族・親族全員が収容所行きだ。
中国政府が本気で怒っているなら、周庭ちゃんの両親が香港で無事に暮らしていられるはずがない。

ああ、そのうちわたしも築地警察にでも引っ張られるかもしれないなあ。
なんだ、貴様は。
日本中が一団となってロシア、中国の脅威に備えようというとき、貴様ひとりが世間の常識に反するブログなんかやりおってがに。
国賊だ、リンチしてくれるわと、竹刀や木刀でぼこぼこにされそうな気配がするよ。
そういう時代の足音が聞こえる。
わたしが死んだあとに来てくれればいいけど。

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しつこくNHK

録画したウクライナ関連の報道が溜まってしまって、いつの報道だかはっきりしないけど、たぶんおとといのNHK国際報道だろう。
プーチンがつぎの大統領選挙に立候補することについての内容だったけど、とにかくプーチンがやることは、あれもこれも何かたくらんでいるんだろうと、ことごとくうがった解釈をする。
核兵器の展示物を視察すれば、それ、またロシアは核で威嚇しているという。
ボランティアの表彰式に顔を出せば、それ、選挙キャンペーンだという。
そんなものがいちいち大騒ぎするようなことか。
ロシアでも和平を支持する国民が増えているといって、デタラメなアンケート結果を持ち出す、いや、いつまでもそれにしがみつく。

アナウンサーの別府正一郎サンは、ロシアをけなすことについて、およそ報道人と思えない偏向の確信犯だ。
以前、民間のシンクタンクの主任さんとの対談で、相手がおだやかにロシアの立場も認めなければなりませんねというのに対し、しかし他国に侵略する国に正義があるんでしょうかと勢い込んで聞いていた。
もちろんプーチンに正義はある。
ロシア側からみれば、じわじわと包囲の輪をせばめようというNATOに対抗するのは、まったく正しいことである。
この“ロシア側から見れば”という公平な考えを、確信的に持てない別府サンのようなアナが報道をするのがそもそも間違いなのだ。

だいたいプーチンが選挙に落ちる可能性がどれだけある?
プーチンはこれまで苦労をして、そのなかには悪質なオリガルヒを追放するということも含まれるけど、剛腕とスポーツマンシップに満ちた正攻法で、ロシアをグローバル大国に変貌させてきた。
私利私欲のために国政を牛耳る権力者は(米国を含めて)数えきれないくらいいるけど、プーチンが国民をないがしろにしたことがあるか。
アメリカのバイデンさんみたいに、地球温暖化の防止を公約にかかげて、かろうじて当選し、当選したとたんそれを反故にする大統領とはわけが違うのだ。
ロシア国民はそのことをよく知っているからプーチンを支持しているのであって、彼以外の人物が当選すれば、ロシアがウクライナのように、オリガルヒの食い物にされる危険性はいつでもある。
ロシア国民の悲劇は、プーチンに変わりうる候補者がひとりもいないということなんだよ。

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2023年12月 6日 (水)

今日の欺瞞

政府が税制改革で高校生の扶養控除の額を引き下げることを計画しているそうだ。
その言い分を聞くと、こっちを減らすかわりあっちを増やすから、全体としては損をしないと、なんやらよくわからない理屈で、国民が損をしないような仕組みになっているという。
しかし政府が税制をいじろうという場合は、なんとかして税収を増やそうという魂胆があることが多いのだから、結果をざっくばらんに言ってしまえば、国民が損をしないなんてことはあり得ない。
まして国民が得をすることなどあるわけがない。
保険会社が書き換えを迫る場合や、電話会社がウチのほうが得ですなんていう場合も同じで、相手が慈善事業でもないかぎり、ようく注意したほうがエエ。
数々の欺瞞を経験してきた年寄りの警告。

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2023年12月 5日 (火)

中国の旅/永寧門のあたり

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西安賓館に落ち着いてすぐに、ホテルからいちばん近い城門の、明徳門(南門)あたりまで散歩に出ることにした。
ここで気になったのは、わたしのメモには「明徳門」と書いてあったのに、グーグルマップでは南門は「永寧門」となっていたことである。
グーグルマップをよく見ると、明徳門のあったあたりは現在の西安市のずっと南の郊外になっているから、これは明の時代に縮小されるまえの、オリジナル(唐の時代の長安)の南門を、なにかのまちがいでメモに書いてしまったのではないか。
唐の時代の南門が明徳門だとしたら、長安が現在の西安の6倍もあったことは不思議ではない。
ということで、わたしが散歩で向かったのは永寧門に訂正しておくけど、あらためて戦慄すべき長安の広大さを思った。

用意周到なわたしは、帰りの列車を確保してからのんびり街を見て歩こうと考えていたので、西安賓館を出るまえにフロントで、ここで列車の切符がとれますかと訊いてみた。
いいえ、とれませんとのこと。
あまりあっさり言われたので、怒る気にもがっかりする気にもなれず、そのままホテルを出た。

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永寧門は西安賓館から城壁に向かって、まっすぐ2キロもないところだから、のんびり歩いたって30分ほどで着く(地図を参照のこと)。
この門のまえは広いロータリーになっていて、信号はなく、あたりの車の往来はかなりのものだから、年寄りは道路を横断するのが大変だろう。
ロータリーのかどにANAの出資による「長安城堡大酒店」という大きなホテルがあった。
西安では掛け値なしの5つ星ホテルで、ひらけた場所にあるからその威容は城壁にひけをとらない。
しかしこのホテルは2006年にANAが経営権を手放したそうだ。
栄枯盛衰は世の習いで、本国が落ち目になると、出先機関も落ち目になるという典型的なパターンなのだろう。
最近の写真で見ると、長安城堡大酒店のまわりにも高層ビルが増えていて、わたしが見たころほど偉容は自慢できなくなっている。

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永寧門のすぐ下に行って、あらためてすぐ近くで城壁を観察すると、幅、高さとも3、4階建ての建物くらいあるというのは誇張ではない。
門の下を車が通行し、両側に歩道まであるのである。
もっともすぐ近くで見たのでは、有楽町のガード下みたいで、あまりおもしろいものでもないけど。
門をくぐって通りを直進すれば、これは鐘楼のある西安のメインストリートで、古風な言い方をすると朱雀大路ということになるらしい。
城内を本格的に見物し始めると時間がかかりそうだから、この日はホテルの近くだけを探索するつもりで、永寧門から引き返した。

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帰りのついでに「長安城堡大酒店」のフロントで、列車の切符が手配できるものかどうか訊いていくことにした。
フロントでは、商務中心(ビジネス・センター)で訊いてくれという。
これはひとつの例だけど、中国語では欧米由来の施設や品物を、そのものズバリの直訳ということが多い。
商務中心がビジネスセンターであることは、日本人なら容易に判断できるだろう。
外資系のホテルにはかならず商務中心があって、わたしにはあまり縁のないところだけど、たいてい容姿端麗な娘が働いているものだ。

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ホテルへ向かって歩いていると右側の路地の奥にごたごたした露店が見えたので、ふらりとそちらへ迷いこんでしまった。
それは中国のどこにでもある小さな裏町の市場で、食料品や日常雑貨などが売られていた。
ここには2つの球体がゆっくり回転するゴマ油攪拌器があり、中国ではめずらしい電動のオートメーション機器がいい香りをただよわせていた。
自転車につるされたウサギの死骸もあった。
最近の日本ではクマが人間をかじっても、カワイソウといって助命嘆願をする人がいるそうだけど、まだまだ中国ではそんなやわな精神は皆無だったころである。

肉や脂に混じって、中国の市場でよく見かける大きなレバーみたいなものがあった(冒頭の写真)。
なんですか、これはと聞いてみればよかったけど、どうせ返事を聞き取れないに決まっているし、いちいち紙に書いてやりとりをするのもメンドくさいから、あとで調べることにした。
あとで調べてみたらこれは「血豆腐」というものだそうだ。
動物の血を固めたものだというけど、どうやって食べるのか、じっさいに食べたことや、調理をしているところを見たことがないのでわからない。
麻婆豆腐ばかり食べているわたしだけど、字づらからしてあまり食べてみたいと思わない。
先にわたしの旅はモーム流と書いたけど、こんなふうに行った先で、食べたり遊んだりするより、生きものや人の生活に興味をもつわたしの旅は、「ダーウィン流」ともいえるかも知れない。

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西安賓館は夕食がついてなかったので、この晩はホテルのすぐ前にある「福慶酒楼」という店で夕食にした。
ここではカレー味の麻婆豆腐、そしてキノコの絵を描いたら持ってきた、茹でたブロッコリーみたいな野菜、そしてビールを頼んだ。
生野菜に飢えていたわたしは、街で新鮮なモヤシかカイワレダイコンのようなものを見たから、それはないかと訊くと、出てきたのは「清炒豆苗」というモヤシ炒めだった。
生で食べる野菜はなかなか出てこないものだ。
美人とはいえないものの、目つきのとろんとした女性がやってきて、なにか手助けできることがありますかと紙に書いた。
彼女と筆談をまじえて他愛ない世間話などをする。

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彼女の名前は“益”さんで、トマトは中国語でなんというのと聞くと、「西紅柿」だという。
トマトは柿じゃないんだけど、こちらでは果物とみなされているらしく、とくにことわらずに注文すると、まずまちがいなしに砂糖をかけられてしまうので、日本人はこれに塩をかけて食べるんだよと説明する。
わたしはこのあと中国へ行くたびにアジシオの小瓶を持参して、市場のトマトを盛大に食ったから、名前を知っておくことはぜったいに必要だったのだ。
なぜトマトなのか。
まだ糞尿を肥料として利用している中国で、キャベツやレタスのようなややこしいかたちの野菜を生で食べるのは危険だけど、トマトならかんたんに水洗いして、表面をハンカチかティッシュでぬぐうだけでいいからである。

ここで注意をひとつ。
西安に4泊もしたので、わたしは同じ場所に何度も出かけたことがある。
そんなものを別々に書いていたら、書くのもわずらわしいし、読むほうも混乱すると思うので、そういう記事はひとつにまとめてしまうという作為をした。
だから以降の記事はかならずしも時系列通りに並んでないこともアリマス。

明るいうちに往復したときはまだやってなかったけど、西安賓館から永寧門までの通りには、夜になると「南稍門飲食街」といってたくさんの屋台が出る。
わたしは市場と同じくらい、こういう屋台街を見て歩くのが好きだ(わたしのブログを読むような人ならやっぱり好きだろう)。
ただし現在の中国ならいざ知らず、このころの中国の屋台は、先進国の女の子が興味本位に行ける場所ではなかったことも事実。

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食事をすませたあと、寝るには早かったから、またぶらぶらとその屋台街を見物に出かけた。
なかなか盛大なもので、西安の人っていうのは夜は自宅でメシを食わないのかと思うほど、どの屋台もにぎわっていた。
烤肉という串焼きの羊肉や、カエル、ザリガニ、野菜でも香菜(パクチー)など、いろんな食材があって、ダーウィン流を愛する旅人には飽きないところである。
ただ見ていてもつまらない。
食事はすんでいたけど、まだ胃袋にいくらかすき間が残っていたから、ここで餃子を食べてみることにした。
ワンタンのようにスープの中に浮いた餃子はなかなか美味しいし、量的にもわたしの胃袋にちょうどいい。
ただし最初に値段を交渉しておかなかったら餃子だけで20元とられた。

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餃子を食べていると、誰かがわたしの背中をつっつく。
ふりかえるとすぐ後ろに、汚れた服装の2人の物乞いが立っていた。
2人ともまだ少年で、しかもひとりは盲目で、右腕がなかった。
びっくり仰天したわたしがあたふたと紙幣を出すまえに、少年たちは屋台の人間に追い払われてしまった。
また目の前の道路っぱたで、幼児がこちらにお尻をむけてもりもりと大便をしていた。
これではとてもおちついて食事なんかしていられない。
わたしはほうほうの体で食事を終えた。

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西安賓館のすぐ前には「唐楽宮」という大きな劇場があり、連夜のように外人観光客のバスが並んでいる。
劇のひけ時にいくと、派手な天女スタイルの女の子たちにかこまれて、米国人らしい観光客がやにさがったまま記念写真におさまっていた。
この劇場と物乞いの少年とは、中国の光と影というところか。

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中国の福祉政策はどうなっているのかと、帰国してから調べてみたら、中国の福祉政策、とくに幼児に対するそれは悲惨なものらしい。
ひとりっ子政策のおかげで、生まれるとすぐに間引きされたり捨てられたりする女の子があとを絶たないのだそうだ。
また孤児や薄弱児を収容する施設では、およそ人間らしからぬ扱いがまかりとおっているという。
これは中国から亡命した人間の証言だからあまり信用するわけにいかないけど、日本でもつい最近まで、寝たきり老人を虐待する養護施設や、れっきとした病院が問題になっていたのだから、行政の目のとどかない中国の、そうした場所でそうしたことが繰り返されていてもおかしくない。
ただ、これはあくまで95年当時のことなので、その後のこの国の福祉政策にも、繁栄のおすそわけがまわっていると信じたい。

ホテルのラウンジで寝るまえにコーヒーを飲む。
ラウンジの娘が愛想がよかったので、わたしもついやにさがってしまった。

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昨日のでたらめ

ロシア兵が降伏するウクライナ兵士を射殺する映像が出まわっているそうだ。
ホントかよとその映像を探してみたけど、NHKが取り上げた映像や、わたしが探してみたかぎりでは、YouTubeにも肝心の射殺する部分が映っている映像は見つからない。
残酷な場面だから見せないということも考えられるけど、それならボカシを入れることもできるはずだし、ちょっと無理スジじゃないか。
ロシア兵は塹壕から出てきたウクライナ兵に地面に伏せるよう命令し、あとから出てきたもうひとりにも同じことをいっている。
射殺するくらいなら最初から塹壕に手りゅう弾でも投げ込むだろうし、地面に伏せるよう命令しているところをみると、ロシア兵が激戦で冷静さを失っているようでもない。
この件では、あ、またかいというわけで、ロシアはコメントも出してないそうだ。
こんなふざけたニュースまでいちいち取り上げるから、NHKはますます信頼を失うんだよ。
だれか肝心の部分が映っている映像を知っていたら教えてほしい。

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2023年12月 4日 (月)

周庭ちゃん

どうでもいいニュースがひとつ。
雨傘革命で日本でも人気の出た香港娘の周庭ちゃん、ひさしぶりにSNSに投稿して、いまはカナダにいます、もう香港にはもどりませんて。
中国政府はもどってきなさいなんていってるけど、内心で安堵していることだろう。
なんとなれば、自由民主主義の国(といわれている)アメリカに亡命した活動家たちのことごとくが、亡命したとたんに飼い殺しのような状態になり、影が薄くなってしまうからだ。
周庭ちゃんの場合も、中国政府にとっては厄介払いをしたようなもん。
彼女は香港にいたからこそ注目されたもので、カナダにいて何ができるのか。
そのうち彼女はカナダで結婚し、そのまま子供でも産んで老いてゆき、ずっとあとになって、やっぱり中国にいたほうがよかったとしみじみ述懐するのだろう。
天安門事件の学生リーダーだったウアルカイシなんか、国にもどりたいとゴネて、大使館に体当たりしたくらいだ。
若気の至りというのは誰にでもあることなんよ。

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2023年12月 3日 (日)

ゲルギエフさん

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ボリショイ劇場の新総裁にゲルギエフが就任だって。
ワレリー・ゲルギエフさん・・・・
知ってますよ。
いつも無精髭を生やしているけど、たぶん現在のロシアでは、人気実力の双方をそなえたトップクラスの指揮者だ。
わたしはなにかのオペラで、彼が指揮しているのを見たことがある。
以前YouTubeで見たバレエ(石の花)のドキュメンタリーでも、解説者のひとりとして出演しているのを見た。
名実ともにロシアを代表する音楽家といっていい人だから、彼の新総裁就任に文句をつけられる人はいないはずだ。
ところが彼がプーチンと仲がいいというので、いちいち騒ぐのが西側のマスコミ(今回は朝日新聞)だ。
おまけにNHKは彼が指揮をしているという理由で、そのオーケストラの演奏放映を中止だそうだ。

またしても良識ある人の顔をくもらす行為。
芸術と政治は異なるものだというのはたてまえにしか過ぎなかったのか。
スポーツでもロシアの選手は五輪から締め出されているし、え、そこでロシアを中傷して喜んでいるアンタ。
こういうことを先進国を標榜している国がやるって、どこかおかしいと思わないのか。
プーチンが政治と芸術・スポーツを混同するようなことを、ひとつでもしたことがあるか。
彼は黒帯の有段者だ。
スポーツマンシップがどんなものか知っている。
追いつめられた西側(とそのマスコミ)は、もう嫌がらせをするしかウサ晴らしの方法がないんだよね。

わたしは芸術と政治ははっきり区別している。
バイデンさんのいる国の音楽家でも、素晴らしいものは素晴らしい。
いや、これはバイデンさんひとりが素晴らしくないだけか。
ロシア人が聴いてもウクライナ人が聴いても、音楽は国境なんぞ飛び越えて人を感動させるものなんだよ。
現在の西側(および日本のマスコミ)の姿勢を見ていると、もはや発狂したとしか思えんね。
今夜のプレミアムシアターの演目はなんだっけ。

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今日の憶測

「北朝鮮が軍事用偵察衛星の運用に着手か」だって。
今度は毎日新聞がネタもとだ。
また憶測記事だけど、北朝鮮の発表を鵜呑みにすることしかできないのか、この新聞は。
たった1個の衛星ではたいして役にたたないことを知らないのか。
しかも撮影した映像はもっかCGで捏造制作中で、それが完成するまで公開されないって、こんな記事を書いて若いもんをたぶらかす魂胆はなんなのだ。
わたしのブログのようにずばっと切り込めないか。
北に人工衛星を打ち上げ、それをまともに運用する技術なんかあるわけがない。
まあ、わたしは専門の科学者じゃないからな。
かりにあったとして、危険な軍事行動を発見したとして、それから先はどうする気だよ。
ケシカランといってICBMをぶっ放すのか。
そのICBMにしたって、ちゃんと目標を狙えるのか。
北が乗り越えなければいけない障害は多すぎる。
かりにロシアが技術を提供したとしても、そんなものは猫に小判だ。
この件は見栄を張りまくりたい正恩クンと、親分の機嫌を損ねたら自分の命があぶないという、子分たちとのおもわくの一致に決まっている。

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昨日のNHK

昨日のNHK国際報道を観たら、由井秀樹キャスターはウクライナに出張して、あちらでも必死のプロパガンダに精を出していた。
それも現地から、ウクライナ国民が戦争でいかに悲惨な状況に置かれているか、10歳の女の子まで引っ張り出して切々と訴えていた。
そんなら戦争をやめちまえばいいと思うのに、ぜったいにそういうことはいわないのだ。

どうにかならんものかねえ。
わたしはウクライナのことを思うからこそ、戦争はさっさとやめるべきだというんだけど、NHKはウクライナが敗北することだけは絶対に受け入れないつもりらしい。
なんで極東の島国が、遠いヨーロッパの戦争にそこまでこだわらなけりゃいけないのだ。
降伏しろでは角が立つ。
それなら「負けるが勝ち」とか「急がば回れ」ということわざが日本にはありますと、おだやかな口調で説得すればよい。
アナウンサーなら口先で丸め込むのは得意だろうに。

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2023年12月 2日 (土)

中国の旅/西安賓館

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いよいよ西安である。
というより唐の都・長安ということである。
列車が西安駅にすべりこむとまず目についたのは、駅前広場から道路1本をはさんで前方に見える黒い城壁だった。
西安(長安)の城壁は撤去されてしまったという記事をなにかで読んだ記憶があるけど、じっさいに現地で目撃したかぎりでは、駅まえの一部をのぞいて、城壁はほぼ完全な形で残されていた。
わたしが西安で見たもののうち、いちばん迫力があったのは、街をとりかこむこの城壁だった。

長安について広辞苑には
中国狭西省西安市の古称。洛陽と並んで史上最も著名の旧都。漢代から唐代にかけて最も繁栄、とある。
現在はウィキペディアがある時代なので、それにリンクを張っておいたから、興味のある人はさらに自分で調べてほしい。
調べればわかることは、わたしのブログではといっておいて、ここではなぜわたしがこの街に興味を持ったかを書いておこう。

漢和辞典に付属している年表で調べると、長安が王朝の都として年表に登場するのは、紀元前の周の時代からで、それから唐代までとすれば、(いちゃもんのつけどころはあるけど)千年以上も中国の首都の栄誉を担ったことになる。
北京が首都として歴史に登場するのは、元の時代の1264年から、清の時代をへて現代までで、その期間はおおよそ700年くらいしかない。
首都の期間が長かっただけではなく、このあたり一帯は秦の始皇帝や玄宗皇帝と楊貴妃、そして詩人の李白や杜甫らが活躍した歴史の街でもあるのだ。
わたしがパソコンで使っているハンドルネームの“酔いどれ李白”は、むろん酒1斗を呑んだ直後に皇帝から詩を所望されて、なんなく期待に応えた詩仙にあやかりたいとつけたものである。

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唐の都であった最盛期には、長安は百万の人口を誇り、東は日本、西はローマに通じ、さまざまな宗教の寺院がたちならび、日本の留学僧、ペルシャ商人たちまでが闊歩する壮麗な国際都市だった。
長安の名は日本人にもよく知られている。
遣唐使として渡海した阿部仲麻呂や、弘法大師の空海がめざしたのは唐の都・長安だったし、西遊記の三蔵法師が教典を求めて天竺へ旅立ったのもここ長安だ。
かっての西安は現在の東京、ニューヨークをしのぐような巨大な国際都市だったのである。
そんな栄光の長安は唐代末期に戦乱で焼かれ、現在の西安は明代に再建されたものが基礎になっており、往時の1/6ていどのスケールしかないという。
わたしが駅で買った地図には唐代の長安の復元図が載っており、それで見ると、いまでは城壁の外側になっている西安駅、そして城壁からかなり遠い場所にある大雁塔も、かっては城壁の内側にあったことがわかる。

古い歴史ばかりではなく、もっと新しい歴史に興味のある人なら、西安は日中戦争のおりに、当時中国の最高権権力者だった蒋介石が、腹心の張学良の兵諌に遭って、世界を震撼とさせた場所であることを知っているんじゃないか。
ここに“兵諌(へいかん)”という聞きなれない言葉が出てきたけど、これは武力でもって上司を諌めることで、わたしは蒋介石のこの事件以外に使われているのを見たことがない。
たまたま同盟通信社の上海支局長だった松本重治が、この事件をスクープして全世界に打電した。
という顛末は、彼の「上海時代」というドキュメントに詳しい。
中国に興味があると、こういう本でも読みたくなるのである。

それほど長安に愛着を持っていたわたしだけど、じつはこの街について、恥ずかしくて人にいえないくらいのとんでもない失態を犯していた。
それについてはおいおい語るから、たまげるな。おどろくな。

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現在の中国はそのうちアメリカをしのいで、かっての栄光をとりもどすかもしれないけど、現実問題として、中国がもっとも輝いていたのは、長安が首都だった時代だといっても過言ではないだろう。
西安はいまではあたりまえの現代都市になってしまったけど、ロシアのサンクトペテルブルクと同じように、街そのものがわたしを遠いむかしにいざなってくれる。
空想・妄想の好きなわたしはじっと目をつぶって、いまようやく唐の都・長安に到着したのだと思う。

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西安駅に下り立つと、中国の大都市の例にもれず、駅まえ広場はかなり広い。
蘇州の駅が一変してしまったように、ここ西安駅もかなり変わってしまったのではないかと思ったけど、新旧ふたつを並べてみると、建物はほとんど変わっていないようだった。
駅前広場からもう目のまえに城壁が連なっている。
この城壁なんだけど、駅近くに中途半端に撤去された部分があったおかげで、断面を観察することができた。
内部まで全部レンガを積み上げたのかと思っていたけど、そうではなく、内部は土を盛り上げた土手になっていて、レンガはモナカの皮のように外側をおおっているだけだった。
現在ではレンタル自転車でその上を一周できるらしいから、撤去された部分も、観光資源として重要だということで復旧されたのかも知れない。
わたしはこのあと何度も西安に行っているけど、最後に行ったとき(2011)確認しなかったので、いつごろ復旧されたかわからない。

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ご多分にもれず駅まえ広場に人間は多かった。
わたしがカメラをかまえたり、地図を買おうとすると、それだけでまわりの人が好奇のまなざしで見つめてくる。
立ち売りのおばさんから市内の地図を買っていると、2人の女が話しかけてきた。
片方は安定したおばさんだけど、もうひとりは、そう断言するには気のドクな程度に若くて、日本の芸能人のだれかに似た、まあまあの美人だった。
ただしよく見ると目の下にしわもある。

ホテルを探しているのかというから、試しに安いとこを知らないかと聞いてみた。
あるあるという。
50元(650円)だというので、どんな宿なのかと興味をもってくっついていくことにした。
ただし、歩きだぜ、タクシーは使わないと、ここでもやばい客引きにボラれないようにわたしは慎重だ。
2人はいいですよ、ついてらっしゃいという。
歩きながらいくつか言葉を交わしてみると、若いほうの女は“姚”という姓だそうだ。
日本の安い辞書には出てこない漢字で、むかしはパソコンで表示できなかったものである。
相手が女性の場合、年齢差別主義者のわたしは、おばさんのほうの名前は最初から聞かなかった。

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ぶらぶら歩きながら思ったのは、西安の印象がほかの中国の都市とあまり変わらないということ。
だだっ広い駅まえから、解放路とよばれるメインストリートまで、あいかわらずおびただしい人と車である。
わたしはシルクロードの出発点というからして、この街を砂漠の中のオアシスみたいな街、人々は彫りが深く、鼻すじのとおったイスラム教徒のような人ばかりの街ではないかと想像していた。
しかしこの街でいちばん多いのは、やはり日本人と共通の顔立ちをした漢族の人々だった。

安いというホテルに到着してみると、入口は自動ドアとかいうものではなく、大きなビニールののれんで、これだけでイヤな気分になってしまった。
あまり安すぎるのもナンだけどなあと思いつつ、部屋を見せてもらうと、日本アルプスや八ヶ岳の山小屋に泊まったことのあるわたしには、文句をいうほどのことはなかった。
しかしいまは登山やケチケチ旅行をしているわけではなく、いかに金を使わなかったかということを自慢するつもりもない。
このブログ紀行は中流の下ぐらいの旅行好きのために書いているのだし、わたしはモーム流の旅をしているのだ(モーム流というのはわたしのブログを参照のこと)。

だらしない話だけど、こころの中でそんな自己中心的な理屈をならべて、けっきょくこのホテルには泊まらないことにした。
2人の女には申し訳ないけど、客を引っ張るのが彼女らの仕事で、仕事はいつもうまくいくとは限らないのである。
いまの日本にもまだ貧乏旅行をこころざす勇気ある若者がいるかもしれないから、このホテルの名前を書いておくけど、それは「光華賓館」といって、東五路と尚勤路の交わる角にある。
検索すると、グーグルマップに出てくるから、いまでもあるらしい。

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だいたいわたしは上海を発つまえから、西安のホテルの目録を作っていて、泊まるホテルもあるていど目星をつけていたのだ。
泊まらないことにしたホタルの近くでタクシーをつかまえて、「西安賓館」へ行ってくれと頼んだ。
ここは外国人向けの4つ星ホテルである。
贅沢だなんていわれても、わたしは日本から来た金持ちなのだ(当時の中国では、日本人はみんな金持ちになってしまうのだ)。

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タクシーは朝陽門から城外へ出て、しばらく城壁にそって走った。
壁のすぐ外側には日本の城と同じように堀もある。
車のなかから眺めると、城壁は3、4階建てのビルほどの高さと厚みがあり、地図でみるとだいたい5対3の比率の長方形で、西安市をぐるりと取り巻いている。
全周は17キロということだから、長辺が約5.3キロ、短辺が約3.2キロということになるけど、遠方がスモッグで霞んでいて、とてもその程度とは思えない。
わたしを驚かせたこの城壁は、唐の時代のものではなく、明の時代に再建されたもので、築かれてから650年ぐらいだという。
現在の中国で街を取り囲む城跡がほぼ完全なかたちで残っているのは、西安以外には山西省の平遙ぐらいしかないそうである。

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「西安賓館」は今ふうの高層ビルで、1階は広く、床は鏡のように輝いていて、予想よりずっと立派なホテルだった。
料金もガイドブックで調べておいた金額より高かった。
タクシーを待たせておいたまま、フロントで部屋はあるかと訊くと、ふたつ返事でOKである。

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この西安賓館はいまでもあるのかと調べてみたら、正面の意匠が同じホテルが見つかったから、ほぼ30年経つのにいまでも当時のまま、同じ場所にあるらしい。
地図で示すとちょうど小雁塔のすぐ前である。

ボーイに荷物を持たせて、わたしはエレベーターで6階まで上がり、638号室に入った。
ホテルが立派なら、部屋も外国人旅行者を迎えて過不足のないものだった。
部屋まで案内してくれたボーイが、西安観光をするならタクシーを斡旋しますといったけど、わたしは西安に4泊するつもりだったから、あまりスケジュールにしばられたくないので、それは不要であると断った。

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2023年12月 1日 (金)

キッシンジャーさん

昨日のNHK国際報道に亡くなったキッシンジャーさんの話題が出てきた。
この人の死について、わたしはべつに感慨もないから黙っていようと思ったけど、NHKのほうはなんとなく不満がありそうな報道。
んならいわせてもらおうじゃないかと、わたしもひとこということにした。

キッシンジャーさんというとニクソン大統領のとき、米中の融和の橋渡しをした人として有名だ。
べつにほめるほどエライことをしたわけじゃない。
政治家というのは国際状況をよく観察していて、気が熟したらそのとき最善と思えることをするだけだ。
大陸中国が台湾中国より強大になり、それなりの国際的地位を占めてきていることがわかれば、いつまで無視もしていられない。
ただしいきなり仲良くしましょうといったのでは、アメリカ国内にもわからず屋がいるし、それまで敵対視してきた手前もある。
そこであらかじめの根まわしを、ひそかにやったのがキッシンジャーさんだ。
しかし米中の融和は彼がやらなくてもいつかは誰かがやっただろう。
日本では田中角栄さんが同じことをしたけど、これだって大陸を無視できなくなったからで、べつに角栄さんにそれだけ先見の明があったわけじゃない。
政治というのはそういうふうに、なるようにしかならない場合が多いのだよ。

NHKの不満というのは、キッシンジャーさんの融和政策が、中国を現在のような大国にしたということ。
そうだろうか。
米国はその後も天安門事件や、香港の騒乱のさいなど、機会あるごとに介入してみたけど、中国の台頭はとめられなかった。
キッシンジャーさんの宥和のための根まわし政策がなくても、中国はいつかは現在のような大国になっただろうし、これは時代の趨勢というものだ。
大英帝国の衰退が止められなかったのと同じだよ。

もうひとつのNHKの不満は、キッシンジャーさんがウクライナ戦争で、ウクライナはクリミア半島の奪還を断念して、ロシアとの和平に応じるべきだといったこと。
これも国際政治に精通した人なら当然の意見だ。
ロシアはかっての帝国を夢見ている、弱小国ウクライナを征服しようとしているという人が多いけど、ロシアの狙いは最初から一貫している。
クリミア半島は黒海をにらむ戦略上の要衝だ。
これを手土産がわりにウクライナのNATO加盟を許すわけにはいかないから、そこだけでも返せというのがプーチンの言い分だ。
こう考えれば、ロシア軍が戦争の初めのころから、竜の牙の防衛ラインにこもって、ほとんどウクライナ領内へ侵攻しない理由もわかるね。

キッシンジャーさんが上記の条件で和平を提案したとき、ゼレンスキーさんが反対したという。
それも当然すぎるくらい当然で、そんなわかりきったことを持ち出すNHKの子供じみた報道に感動すら覚えてしまうワ。
この期に及んでもまだウクライナ戦争を長引かせようという日本の公共放送の、目的はいったいなんだろう。

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