小白クンの車を始皇帝の陵まで走らせる。
わたしが初めて西安に行った1995年には、兵馬俑は世界的に有名になっていたけど、兵馬俑が守るべき肝心の始皇帝のほうはそうでもなかった。
始皇帝陵は来るときに見た、兵馬俑から1.5キロほどはなれた農地のなかのピラミッド型の土盛りで、葬られた人間の偉大さに比べれば、走って登って、頂上まで10分もかかるまいと思える小さな丘だ。
丘のてっぺんまで石段がひとすじ伸びていて、始皇帝の陵であることを示すものは、石段のたもとに1個の石碑が立っているのみ。
しかも小山全体が付近の農民の果樹園に利用されていて、まだまだ中国は始皇帝の墓を大事に扱おうという気がないようだった。
しかしその後、中国政府はこの歴史上の英雄を観光資源として思い切り活用すべく、陵全体を大改造して、いまは日本の明治神宮のような樹木に覆われた聖域になっている。
ということはすでに書いた。
いちおう駐車場はあったので、車を待たせ、わたしは陵のてっぺんまで登ってみることにした。
登り口の石碑に書かれているのは「秦始皇帝陵」という文字だけで、その石碑のわきで石焼き芋屋が営業をしていた。
わたしは中国の焼き芋が美味しいことを知っていたから、ひとつ買って食べてみた。
やはりとても美味しかったのは有機栽培だからだろうか。
もぐもぐやっていると、男がやってきて、また布にくるんだインチキ骨董品を見せて、ダンナ、これは漢の時代のなにがしですぜとささやく。
そんなものは相手にしない。
石段のとちゅうにもつまらない記念品を売る土産もの屋が並んでいた。
すべて無視してあっという間に陵のてっぺんに到達した。
頂上に立ってわたしは周囲を見渡した。
果樹園といっても冬の真っ最中で、木の葉は落ちているし、あたりは平野だから眺めはまことによろしい。
乾いた土地で、ほこりが多いせいか、まるで春霞の野を見ているように、あたりはうっすらと霞んでおり、うらうらと霞たつ野に、天平の貴人たちがピクニックでもしているような不思議な錯覚におそわれた。
まことにここは、たけだけしい武人の秦の始皇帝より、怠惰と放蕩を愛した唐の玄宗皇帝のほうがふさわしい。
遠くまで農地が広がっている北側に比べると、南側には驪山が迫っている。
民家や農地のようすはー変わっても、山のかたちは2000年まえとそう変わらないだろう。
いまわたしが眺めている驪山という山を、始皇帝もきっと見たに違いない。
あなたは永遠の命を求めて虚しかったけど、名前だけは、すくなくても現代まで残りましたよ。
2000年の時空を超えて、ついそんな会話をしてしまった。
つぎに連れていかれた華清池は、なんでも玄宗皇帝と楊貴妃がたわむれた宮殿だったらしいけど、観光名所が苦手のわたしにとって、まさにつまらないところの見本といってよかった。
このあとの写真は1995年、2001年、2008年、2011年のものがごちゃまぜである。
つまらないところにしてはやけに何度も行ってるじゃないかという人がいたら、理由はその後に出かけた西安がみんなパック旅行で、華清池観光は最初からスケジュールに含まれていたせいだ。
ということもすでに書いた。
華清池の敷地には庭園があり、池があり、朱塗りの建物がいくつもあって、かなり広いので、見て歩くだけで疲れてしまう。
95年の華清池にはなかったけど、その後行ってみたらここには楊貴妃の像が出来ていた。
わたしの楊貴妃というと、なよなよとした柳腰の美人のイメージなんだけど、それがあなた、ミロのヴィーナスもまっ青というギリシャ彫刻ふうの半裸像で、こんな豊満な肉体に毎晩せまられたら、玄宗皇帝もさぞかし辛かっただろうなとあらぬことを想像してしまう。
楊貴妃がつかった温泉というのがあった。
のぞいてみたけど、冷たい石組みが残っているだけで、美人がつかっているわけでもない。
ハリウッド映画によくあるシーン、クレオパトラみたいな女王が、若い召使いなどを従えて、きゃあきゃあいいながら、泡風呂につかっている場面を空想してみたが、設定に無理があるみたいで、すぐに妄想もはじけた。
だいたいこんなところに温泉が湧くのか。
そう思いたくなるほど、日本の温泉とはあたりの雰囲気が異なる。
中国では温泉も皇帝が独占して、庶民があたりに宿屋や射的場やストリップ劇場を作るわけにはいかなかったせいだろう。
2008年に行ったときは、西安で、なんと雪にたたられ、つまらないを通り越して怒りさえおぼえた。
遠方にロープウェイがあって、驪山とふもとを往復しているのが見えたけど、乗り場まで行くのがおっくうで、とうとう一度も乗ってみなかった。
1936年12月12日、当時中国国民党のトップで、中国の最高指導者とされていた蒋介石は、この山のふもとで寝入っていたところを、張学良、楊虎城の反乱軍に襲われた。
いわゆる兵諌(へいかん)である。
国共内戦で中国が分裂し、そこに日本軍まで加わって三つ巴で戦争を続けていたとき、中国人同士が争っている場合ではないと、愛国者の張学良が反乱を起こしたものである。
妄想の得意なわたしだけど、華清池では楊貴妃なんぞより、どうしても蒋介石の兵諌のほうに想像が飛んでしまう。
映画化やマンガ化するなら、わたしなら楊貴妃よりこっちのほうを選ぶな。
寝込みを襲われた蒋介石は窓から飛び出して、そのさい腰を打って、よっつんばいになって命からがら驪山に逃げ込んだという。
しかし捜索していた兵士に捕まって、学良のもとに引き出される。
第二次世界大戦のまっ最中であり、中国では人間の命がアヒルや羊なみに軽かったから、彼は本能寺の織田信長と同じ運命になるところだったのだ。
この事件は聯合通信社の松本重治によってスクープされ、世界を震撼とさせた。
蒋介石の奥さんの宋美齢は、旦那を救うために飛行機で西安に飛ぶというゴタゴタがあって、このあたりはひじょうにドラマチックである。
周囲の努力と働きかけがあって、かろうじて蒋介石は命拾いをした。
しかしこの話には彼の執念深さを物語るような続きがあって、メンツを失った蒋介石は、その後国共内戦に破れ、台湾に逃れる寸前に、西安で幽囚の身であった楊虎城を、わざわざ暗殺者を出して処刑して行く。
張学良のほうは、以前から特別な存在だったせいで命拾いしたけど、台湾まで同行し、死ぬまで虜囚の扱いだった。
しかし内戦で勝利をおさめた共産党には、楊虎城は尊敬すべき対象とされ、西安市には彼の功績をたたえる「楊虎城記念館」というものがある。
わたしは蒋介石が飛び出した窓を見たかったけど、残念ながらパック旅行でもこの場所はぜんぜん案内されない。
わたしが行ったころの中台関係は微妙なものになっていて、中国は統一を目指して、台湾人を傷つけないよう配慮する時代になっていた。
夜になってホテルでテレビを観たら、国共内戦を扱った戦争ドラマに蒋介石らしき人物が登場していたけど、けっして日本軍みたいにむちゃくちゃ残忍な司令官とは描かれてなかった。
わたしはほとんど時間つぶしのように華清池を見てまわり、てきとうな頃合いをみはからって外へ出た。
ここには中国人の観光客がたくさん来ていて、門の外にはミヤゲもの屋がひしめいていた。
しかしわたしはまたしても華清池を出たあと、付近の農村をぶらぶらするのである。
華清池のまわりの農村は坂道などがあって、いくらか山村という感じである。
道ばたでおとなしい子供が、ほかの子供にいじわるされて泣いていた。
しかし日本のイジメというほど陰険なものでもないようだから、わたしはかまわずに泣いている子供の写真を撮ることにした。
カメラを向けると子供はすぐに泣き止んだ。
中国の幼児はお尻の開いたズボンをはいていることが多い。
これはウンチのとき、いちいちズボンを脱がなくてすむというアイディア・ズボンだ。
わたしは山の斜面を登って、部落の家をのぞいて歩いた。
ある家の庭で奥さんが洗濯をしていた。
この家は山を切り開いた崖にへばりついており、崖に掘られた洞窟も住居として活用されている“ヤオトン”という形式の家であった。
奥さんは写真を撮っているわたしに気づいて、ナニヲシテマスカとすごい剣幕で飛び出してきた。
わたしは“对不起”(すみません)と謝って、あわてて退散した。
おもしろくない、さっさと西安に帰ろうとわたしは運転手の小白クンにいう。
西安に帰って、まだ見残した「大雁塔」を見物することにした。
大雁塔は西安市の南の郊外にあって、あたりの風景から、なんとなく砂漠のオアシスの街といった雰囲気を感じる。
この塔は慈恩寺という寺の境内にあり、べつの日に見た小雁塔と同じ造りで、こちらは7層、64メートルの高さがあるという。
わたしはたいして気乗りしないまま、塔に上ってみた。
塔といっても、内部は日本のそういうものとだいぶ異なり、玄奘三蔵が仏典を収めたというけど、どこにそんなものをしまっておく部屋があるのか。
各階ともただの展望台というべきもので、部屋やロッカーや物置きなどひとつもない。
まあ、ここなら風通しもいいし、雨もめったに降らないようだから、書物を床に山積みにしておいても虫に食われる心配はないからいいか。
わたしは最上階まで上ってあたりの景色をながめた。
北へ向かう通りのつきあたりが西安駅のはずだけど、さすがに駅までは見えなかった。
南側にはもうすぐ近くに農地が広がっている。
わたしは最上階から写真を撮って、さっさとホテルに帰ることにした。
塔から下りると、ちょうど日本人の団体と行き会ったので、そのうちのひとりの女性に、日本語が恋しくなりましてねと声をかけてさっさと小白クンのタクシーにもどった。
夜はまたホテル前の「福慶酒楼」で食事。
とろんとした目つきの益小姐が妖しく微笑む。
写真を送ってあげましょうかというと、なんだかためらう様子だから、あなたには亭主がいますねというとうなづいた。
生のトマトを頼んだら、ひとこというのを忘れて、砂糖をふりかけられてしまった。
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