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2023年12月11日 (月)

中国の旅/回族居住区

鐘楼は西安の城内を東西南北につらぬくメインストリートの交差点のまん中にある。
東西のほうの通りをまっすぐ西に行くと安定門になり、それがシルクロードの出発点という説もあるので、街をぶらつきながら、今度はその門を見に行こうとかと考えた。

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鐘楼から人込みのなかを、西に向かってぶらぶら300メートルほど歩くと、鼓楼があった。
まぎらわしいけど“鐘”と“鼓”を間違えないように。
鐘楼は十字路のまん中にあり、鼓楼は通りのわきにある大きな建物である。

鼓楼のあたりで、白いヒゲをのばした痩身のじいさんがガラクタを売っていた。
写真を撮るには絶好の被写体だったので、撮ってもイイデスカとことわると、こわい顔をしてダメという。
絶好の被写体であるだけに、しょっちゅう素人カメラマンに狙われているのかもしれない。
じつは彼は、このあとわたしがさんざん見ることになるイスラム教徒だった。

鼓楼の先に土産もの屋がならんだ細い路地があったので、はいり込んで、いちばん手前にあった店で店主の女性と会話してみた。
ここでチベットかモンゴルの文字が彫られた指輪を買ったら、彼女はわたしのカメラをみて写真を撮ってくれといいだした。
小さな石の印材を差し出して、撮ってくれたらこれをオマケにつけるという。
わたしは2枚撮るからこれもくれといって、別の品物を手にとった。
ダメだといわれてしまった。
彼女の写真を送ってやる約束をしたけれど、彼女の書いた住所は達筆すぎてよく読めなかったので、帰国してから虫メガネで地図を調べて、どうやらこれらしいという地名を見つけた。
それでも写真を送ったのは2カ月もあとになってしまった。
はたして着いたことやら。

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彼女の店には手芸品らしいきれいな刺繍やアクセサリー、東南アジアあたりでよく見かける影絵の人形劇で、その影のもとになる切り絵などがあって、わたしの興味を引いた。
坊やの写真の背後に写っているのがその絵だけど、動物の革で出来ている。
ただし、あまり興味を持つと買わずにすまなくなりそうなので、手に取るようなことはしなかった。
適当なところで、お店をぐるっと見てまわって、あとでまた来ますといってその場を離れた。
ほかの店をまわると、最初はめずらしいと思った品物がどの店にもあることに気がついた。
あわてて買わなくてよかった。

店をのぞいていると、どの店でも店主がわたしを奥の部屋に招き入れ、引き出しの中から布にくるんだ仏像などをとりだしで、これはじつはと声をひそめて、いかにも禁制品であるかのように説明することもわかった。
彼らの説明によると、そこにある品物はすべて漢の時代のものなのだそうだ。
わたしももうだいぶすれているからそんなものにはダマされない。
春秋時代のものはないのか、殷の紂王の形見はないのかと抵抗をしてみた。

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そのうち清真寺という寺のまえに出た。
このときのわたしは知らなかったけど、中国で“清真寺”といったらイスラム教のモスクのことである。
しかし屋根にドームやミナレット(突塔)がついているわけでもなく、様式はまったく中国式の仏教建築で、寺の門戸は閉ざされていたから、そのまえを素通りしてなおもふらついていくと、異様な光景の街並みに迷い込んでしまった。
こんなことをいってはナンだけど、あまりきれいではない景色がますますきれいでなくなってきたのだ。

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わたしは迷い込んだのは回族の居住区だった。
回族というのは、中国のイスラム教徒のことである。
中国は世界最大といわれる多民族国家なので、もちろんイスラム教徒もいるけど、民族の解説を始めるとひじょうにややこしいことになるから、わたしの一存で適当な説明をさせてもらおう。
この紀行記で回族といったら、ふつうの漢族で、イスラムに改宗した人々のことをいう。
専門家に怒られそうだけど、この先わたしはいろんなところで回族を見ることになる。
その特徴はと聞かれたら、漢族、つまり日本人とおなじような顔をしたイスラム教徒といって、おおきな間違いではないのである。
ところが、そんなわたしをあざ笑うように、このあとすぐにわたしの前提をひっくり返す見本があらわれた。

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ある食堂で見かけた若い娘は、灰色の瞳をした西欧ふうの美人で、家の中でも顔にスカーフをまいて、うす暗い食堂の厨房で、つぎの当たったエプロン姿のままうどん粉を練っていた。
中国が多民族国家であることを知っていたわたしは、カメラをむけて、あなたはとても美人だけど何族ですかと尋ねてみた。
彼女はにっこり微笑んで、わたしのノートに“回族”と書いた。

ここではじめて、わたしはふきんの住人があたりまえの中国人でないことに気がついた。
まわりの店で働いている人たちは、顔こそふつうの中国人だけど、頭に白い帽子をかぶっている者が多く、これは中国では回族の特徴とされるものである。
わたしが回族というものを見たのはここ西安が初めてだった。
日本の田舎者だからやむを得ないけれど、灰色の瞳の娘の存在は、わたしに特大の哲学的命題を突きつけた。
もしも彼女が日本に生まれ、わたしが代わって西安の回族居住区で生まれていたらどうだろう。
美人の彼女はモデルかタレントになり、たとえならなくても、まあまあ幸せな人生を送り、わたしのほうはうだつが上がらないまま、西洋のプレイボーイ誌でもながめてシコっていたんじゃないか。
人間の運命は生まれた場所で決まってしまうのか。

考えても虚しい。
現実に西安で生まれた彼女は、とくに不満もなくその日を暮している(ように見える)のに対し、豊かな日本にうまれたわたしは、人生に悩みつつ悶々と日々を送っているのである。
哲学的命題というのは生まれた場所うんぬんではなく、なんで人間のてのはこううまくいかないのかってことである。

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この街を歩いていると、多民族の融合の結果である回族のことだから、まったく絵に描いたような風貌のイスラム教徒もいる。
わたしがたまたま見つけたイスラムの仏具店(仏具とはいわないけど)には、白いヒゲのアブラハムみたいな老人がいて、わけのわからないアラビア文字が刺繍されたペナントを、わたしがいくらですかと尋ねると、おまえはイスラムかと訊く。
いいえ、仏教徒ですと答えたら、それじゃ売れんといわれてしまった。
とてもきれいなペナントで、部屋のインテリアにも悪くないと思えたのに、たぶん“アラーのほかに神はなし”とでも書いてあったのだろう。

清真なんとかと書かれたレストランもあちこちにあるけど、この手の店では豚肉を使った料理は出さないし、ヘタすると酒も飲めないことがある。
西安あたりではまだ原則に忠実でない店が多いから、なにも知らないままビールを頼んだバチ当たりのわたしは、清真食堂のひとつで牛肉湯包子と、ひと口サイズのぴりりと辛い肉饅頭を食べながら考えた。

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それにしても悲惨なところである。
これまであちこちで日本と比較にならないくらい非衛生な場所を見てきたけど、この回族の居住区はそれに輪をかけて非衛生だったのだ。
通りをなにかの肉を乗せた自転車が来る、お店のまえには五体満足のままの羊肉がぶら下がっている、日本人なら肝をつぶすような羊の頭蓋骨が山になって売られている。
わたしはこのあと、有名な兵馬俑を見に行ったりするけど、西安でいちばん印象に残ったのは、この回族の居住区だった。

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ホテルに帰るまえに、回族の飲食街で甘い菓子を買ってみた。
イスラム圏の国では酒が御法度のかわり、スィーツが多いので、甘いものの好きな女性には天国かも知れない(そのかわり太った女性も多いけど)。
日本の饅頭みたいな菓子で、赤いものや白いもの、ゴマをのせたものなどがあった。
これを持って帰るというと、包みの上に「西安清真誠信×食品店」と書かれたまっ赤な紙ラベルを貼ってくれた。
判読不能な文字がひとつあったけど、お店の保証状みたいなもので、賞味期限を書いたものじゃなかったね。

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最後の西安訪問になった2011年に、回族の居住区がどうなっているか気になったので、わたしはもういちどこの一画を訪ねてみた。
その後のこのあたりは、「回民街」という名の、特異な風物を生かした観光名所になっていて、だいぶ様変わりしていた。
不潔だといって住人の強制移住なんかした日には、またBBCあたりにかぎつけられ、少数民族の迫害だなんて悪評を立てられかねない。
街の一画をまとめて観光名所にするというのは、国にとっても住人にとってもベストの方法だと思う。

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回民街で購入したお菓子は、ホテルにもどって冷蔵庫の「松仁露」というジュースを飲みながら食べてみた。
赤いのや白いのや、ゴマをふったものなど種類があったけど、いずれもやや固めのアンコが入った日本の饅頭というべきしろものだった。
とても全部は食べきれないので、余ったぶんは服務員の娘にやろうと思い、服務台にいってみたら男の服務員しかいなかった。
こんなのにお愛想をいってもはじまらないので、誰もいないときお菓子はこっそり服務台に置いてきてしまった。

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