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2023年12月24日 (日)

中国の旅/村の風景

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というわけで兵馬俑を見終わったあと・・・・
もう終わりかいといわれてしまいそうだけど、仕方がないでしょ。 
そんなに記述するようなこともなかったし、ネット上には兵馬俑を見学してきた人の紀行記もたくさんあるし。 
わたしがあらためて感想を書いてもそういう記事を超えられるとは思わないから、ここは先輩の紀行記として、前述のクリスティナ・ドッドウェルと、ポール・セローの記述をコピーしてすませよう。 

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ドッドウェル/この陶製の兵馬を制作する技法はみごとなものであり、細部(爪、口ひげや顎ひげ、個々の髪型)まで巧みに表現されている。 
兵士はさまざまな形の帽子をかぶり、チュニックを着てベルトを締め、鎖かたびらを着こみ、短いブーツや爪先が反った四角い靴を履いている。 
それぞれに個性を与えているのはさまざまな顔とその表情である。 
セロー/サッカー場ほどもある広いスペースに、鎧をつけたままの兵士たちが背筋をのばして行進していた。 
兵馬俑坑の素晴らしさは、人形の生きているようなリアルさと、そのおびただしい数にあり、つくられた当時の姿がそのまま保たれていることである。 
これ以上わたしがなにを付け加えればいいのか。 

べつの方面から余計なことを付け加えると、セローの「中国鉄道大紀行」は図書館にあったけど、ドッドウェルの「中国辺境の旅」のほうは、わたしの地区の図書館にはなかったので、ヤフオクで中古本を新たに買い求めた。 
文庫本だけど、この値段がたったの19円で、送料をこみにしても257円にしかならなかった。 
送料のほうが高いの典型で、申し訳ないと思うと同時に、愛書家のために損得を無視しても本を提供しようという古書店の努力に感謝。 

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兵馬俑のありさまについては以上にして、ほかに気のついたことを。 
駐車場から博物館までのあいだに土産もの屋がたくさんあって、ザクロを売っている露店が多かった。
ザクロという果物は中東のほうから中国につたわり、中国から日本にもつたわったそうで、奈良の正倉院にも痕跡が残っているという。 
これは前項で書いた、中国がさまざまな文明の影響を受けやすかったことと合致する。 
わたしはザクロも好物である。 
よく果物屋で買ってきて、実だけを集めて口にほうばり、種をプップッと吐き出す食べ方をする。 
これは何というかと露天のおばさんに尋ねてみたら、ザクロは中国語でも“石榴”だった。 
バンザイと嬉しがるわたしって、どこかおかしいのか。 

ほかに柿も売っていたけど、実が小さく、さわってみると熟柿のようにやわらかかった。 
たちまち妄想が谷崎潤一郎の「吉野葛」に飛ぶ。 
わたしの脳細胞はつねにあらぬ方向をさまよっているのだ。 
そして本人はまた新たな目標を見つけて、兵馬俑からあらぬ方向にさまようことになった。 
ながめると、兵馬俑博物館の門から500〜600メートルほどはなれた場所に、小さな農村集落が見える。 
わたしが田舎を見るのが好きなことは、この紀行記のあちこちで説明した。 

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博物館の門を出てから、塀ぎわをつたい、畑のなかを抜けて、その集落へふらふらとまよいこんだ。 
まえに無錫でやはり田舎を見てまわったけど、今度はだいぶ環境の異なる中国の農村をま近に見るチャンスだし、わたしにとっては陶器の人形を見物しているより、こういうところを散策しているほうがよほど楽しいのである。

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この部落の印象をこの歳までずっと純粋日本人のわたしが表現すると、民家は土で出来ており、部落全体がどこまでも褐色という感じである。
あちこちに古い土塀があって、家のまわりにあるなら泥棒よけかと納得だけど、畑の周囲にまであった。
あとで聞いたら、それは畑の土が飛んでしまうのを防ぐためだそうだ。 
そういわれてみると、泥棒対策にしては、崩れかかってノコギリの歯のようになっているものが多く、あまり役に立ちそうもない。 
けっして不潔という感じがしないのは、ときどき(わたしみたいな)外国からの観光客が迷い込んでくるので、当局から指導でもあるのだろうか。

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江南あたりにはまだ日本の水郷を思わせる景色があったけど、西安まで来ると、いかにも異国に来たなと思わせる日本とはかけ離れた景色ばかりだ。
それでもそれほど遠くない場所に、樹木の茂る山塊が見える。
これは驪山(りざん)といって、蒋介石が部下の張学良からの兵諌に遭ったとき逃げこんだ山である。

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あちこちで写真を撮りながら部落のまん中を歩いていると、付近の子供たちがぞろぞろついてきた。 
どの子も坊主頭で、現在の日本では絶滅したような邪気のない子が多い。 
集落の中には小学校があり、その門の内側には学用品や日常品を扱っているちっぽけな売店があった。
教室を見たかったけど、さすがに勝手に校舎の中へ入るわけにはいかないので、門のまえで立ち止まり、売店でなにか買物がないかと考えてみた。 
しかしボールペンはここへ来るまえに臨潼の町で買ったばかりだ。 
石鹸や洗濯洗剤はここでは必要ないしと逡巡していると、仕立てのよさそうな人民服のおばあさんがなにかいう。 
意味は聞き取れなかったものの、上海のような大都会ではほとんど見られなくなった人民服が、この村ではまだ幅をきかせていた。 

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それにしても極楽みたいなところである。 
部落のなかには老人もいたけど、日中あいまみえた戦争を知っているはずの年齢なのに、ひとりだってわたしにイヤな顔をする人がいない。 
つまらない意識過剰を妄想しているのは、むしろわたしのほうだった。 
わたしはのんびりしたおじいさんの柔和な顔を見て、国民の幸福度指数が世界一だという、ブータンという国に迷い込んだ気分になってしまった。 

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まえに中国語学者・鐘ケ江信光さんの言葉を引用して、中国ではどこに行っても郷愁を感じると書いたけど、ここでわたしがほのぼのとした感情におそわれたのもそれだろうか。
いいや、最近日本にやってくる外国人が多いけど、彼らも信州の妻籠宿や、四国四十八カ所の巡礼地めぐりに魅了される人がいると聞く。
田舎に魅了されるというのは、国籍を超えて、アフリカの原野を故郷とする人類に普遍の感情なのだろうか。
オレはそんなものは感じないという人がいたら、ん、あんたは人間以下だな、すくなくともわたしの世代とは別人種だよといっておく。

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わたしは思い切り好奇心を満足させたあと、てきとうな時間に駐車場へもどろうと、桐の植わった空き地を通り抜けようとした。
そのあたりで、日本でいえばアオゲラ・サイズのキツツキが梢にとまったのを見た。 
樹上に気を取られたわたしは、あやうく足もとの人糞を踏んづけるところだった。 
遠方からでは見えないけど、空き地には人糞が散乱していた。 
中国式の汲み取りトイレより青空トイレのほうがいいと、中国人でさえ思っているのだろうか。 

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兵馬俑博物館の駐車場周辺には、空き地に天幕をはっただけの毛皮屋がずらりと並び、白や黒、茶色といったおびただしい毛皮が、洗濯物のようにぶら下げられていて、これはじつに壮観だった。 
自称ナチュラリストのわたしはとうぜん考える。 
いったいこの毛皮のもとになった獣たちはこの西安あたりで獲れたのだろうか。
この近くにこんなに野性動物がいるだろうか。 
ま、いても不思議じゃない。 
先刻の村の雰囲気は昭和前半の日本の田舎レベルだったから、そのころはわたしの田舎でも、まだまだイタチくらいは見かけたものだ。 
この毛皮屋の写真を撮っておけばよかったけど、ちょっと写真を撮っていられる雰囲気ではなかったので、1枚もない。 
ここに載せたイラストは福岡大学名誉教授、専門は廃棄物管理、特に最終処分関係の樋口壯太郎さんという人のスケッチから。 
1989年の西安というから、わたしの旅より6年まえで、この人も同じ兵馬俑博物館の毛皮屋を見たのかもしれない。 

今度は邪気のない子供たちではなく、むくつけき荒くれ猟師たちがわたしを取り囲んだ。 
即席の毛皮商人たちが手に手に毛皮を持って、これを買うまでは帰さないという勢いである。
わたしはまさかキツネの毛皮が2千円程度で買えるとは思わなかったから、これしかないよといって150元をみせてみた。 
とたんにその金をひったくられてしまった。 
まけずにわたしも相手の持っていた毛皮をひったくった。 
返してほしかったら金を返せといっても相手は応じるようすがない。 

これはわたしが悪かった。 
むかしから熊は猟師に負け、猟師は旦那(商人)に負けるということわざがある。 
いくら毛皮を獲っても、それをはした金でもいいから現金に換えないかぎり、彼らは家で待ってる女房や子供たちの腹を満たすわけにはいかないのだ。 
目のまえに突き出された金をひったくりたくなる気持ちもわかる。 
わたしはとうとう買いたくもない毛皮を150元で買わされるハメになってしまった。 
PS.この毛皮は帰国してからネコ大好きおばさんにあげてしまったけど、本格的になめしてない安物だそうで、そんならネコじゃらしにどうぞといってみたら、ネコも喜ばなかったそうだ。

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