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2024年1月

2024年1月31日 (水)

中国の旅/龍門石窟

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洛陽賓館で朝おきると停電だった。
トンネルを抜けると雪国だったの駄洒落みたいだけど、ただでさえ暗いロビーのあたりがよけい暗く、服務員の娘はローソクを持ってうろうろしていた。

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朝食は洛陽賓館内のレストランでとることにした。
このホテルは、宿泊のほうはなんとなく不景気なのに、レストランはアンバランスなくらい立派だった。
テーブルは30卓ぐらいあって、大使館のパーティや財閥の御曹司の結婚式にでも使えそうだ。
しかしこの朝は客は3、4組しかいなかった。
食事はバイキング形式で、テーブルに包子や炒めものなどが並べられている。
ただし、質、量ともにそうとうに貧弱である。
わたしはお茶がないとメシが食えないたちなので、それをくれというとありませんという。
牛乳もコーヒーも何もないという。
飲みものなしでどうやって食事ができるのか。
仕方なしに朝からビールを飲んだ。

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朝9時に岳さんが迎えにきた。
彼女にとって、この日いちにち貸切を予約したわたしは、逃がしてはならない上客のようだった。
わたしは彼女に、観光に出かけるまえにホテルを引っ越ししようと思うんだがねという。
まかせといてということで、わたしはまず洛陽賓館をチェックアウトし、彼女の車で前日下見をしていた旧のほうの友誼賓館にひとっ走りした。
こちらは1泊460元(6400円くらい)だそうだ。
416号室に部屋を決めたあと、ただちに有名な「龍門石窟」の観光に出た。
この日は雲が多いものの、悪くない天気だった。

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龍門石窟というのは、あ、またリンクを張っておくから勝手に調べて。
中国には3大石窟として、敦煌の莫高窟、山西省の雲崗石窟、洛陽の龍門石窟があることと、ここでは北魏の時代ということだけは頭に入れておいて。
敦煌はあとで出てくるから、わたしはこの中のふたつを見たことがあるわけだ。

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龍門石窟まで、市内から車で20分ほど。
駐車場で車をおりると、すぐに乞食の老人が激しくわたしに迫ってきた。
彼をすんなり退去させるには小銭を与えることである。
貧乏人のわたしが他人にほどこしというのには、かっとうを交えたうしろめたさがあるんだけど、なにしろここは中国で、乞食も立派な職業なのである。
硬貨を与えると老人は当然という顔をして、お礼もいわずに立ち去った。
どうも少額で申し訳ありませんと、こちらが謝りたくなってしまう。
乞食の存在について考え出すと、問題は壮大な国際問題、地球の南北格差やイデオロギー問題なんかにまで発展してしまって、わたしのような小人には神経もサイフももたない。
さいわい乞食はこの老人ひとりしかいなかった。

岳さんがアタシもいっしょに行ったほうがいいですかと訊くから、そうだねと答えると、それじゃカメラバックはアタシが持ちますという。
わたしはサンチョ・パンサを連れたドン・キホーテみたいな格好で出発することになった。

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F3と35Ti、2台のニコンを持って、駐車場からみやげ物屋のあいだをぶらぶら歩く。
左側に伊河という川が流れており、河岸にヤナギが植えられ、橋がかけられていた。
川幅は300メートルほどあるだろうか。
川の両側に山がせまっており、龍門石窟というのはその川岸に彫られた大小1300以上の石仏群をいうのだそうだ。
山といっても、わたしにいわせりゃハイキングにいい程度の山である。
中国では川をあらわすのに『江』(長江)、『河』(黄河)、『水』(渭水)などという字をあてるけど、わたしは個人的見解として、伊河だけは日本のように川という字をあてたいと思う。
この川はけっしてきれいはいえないけど、中国の川にしてはましなほうだし、京都の加茂川のように、広い河原を水が音をたてて流れているといった風情なのである。

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橋のたもとにゲートがあり、龍門石窟はここから始まっていた。
正直にいわせてもらうと、だいたいわたしは龍門石窟なんてものにあまり関心がない。
中国を旅行するのにナンダといわれてしまいそうだけど、去年の西安行きでも、最初は有名な始皇帝の兵馬俑さえ見るつもりがなかった。
現地でタクシーの運転手にすすめられてようやく、それじゃあ見てみるかという気になったものだけど、しかしあとになってから、やはり見ておいてよかったという気になったのも事実である。
龍門石窟もとりあえず見ておこう、だいたいこれでも見ておかないと、洛陽ではほかに時間を有効にすごす方法がないではないかというのが、この石窟に出かけた理由の本音である。

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わたしは山の斜面に彫られた無数の石仏をゆっくりと見て歩いた。
小規模なものなら、こういうものは日本でも各地にある。
テレビで見たものでは大分県の国東半島にも多いらしいし、千葉県の鋸山にもあっで、先年亡くなったわたしの知り合いを散骨するために下見に行った、飯能の天覧山にもちっぽけなものがあった。
こちらは大規模である。
岩肌に手間ひまのかかったであろうと思える仏像が無数に刻まれている。

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石畳のしかれた見学コースを歩いていると、石窟の背後の山の斜面に、ひとかたまりになった黄色い花がたくさん咲いているのが見えた。
遠目にはなんの花だかわからなかったけれど、たまたま見学コースのすぐ近くに咲いていたのを見たら、それは日本でもどこにでもあるようなただの野菊だった。
なかなかにわかダーウィンを満足させるような珍しい植物はないものだ。

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石仏なんかにもともと関心があるわけじゃなし、自分の家がどこの宗教のナニ派かも知らない無神論者であるから、ちっともおもしろくない。
美術芸術には関心があるほうだけど、わたしのそれはかなり偏向していて、仏教美術ってやつはまだまだ興味の対象外なのである。
岳さんはわたしが龍門石窟目当てにやってきたと思っているのだろう。

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石仏に興味はなくとも、あたりはなかなか風光明媚なところなので、それだけでものんびり歩く価値はある。
伊河の対岸をながめると、むこう側の山の斜面にりっぱな建物が見える。
あれは何ですかと岳さんに訊くと、なんとか寺デアルという返事をしたけど、彼女の中国語は聞き取れなかった。
帰国してから調べてみると、この寺は「香山寺」といって、唐の詩人・白居易がしばしば訪れ、その墓もあるという名刹だそうだ。
白居易が白楽天であることぐらいは知っていたけど、その作品についてはその場で思い出せなかった。
帰国してから確認してみたら、「長恨歌」という詩が彼のものであり、そのなかに行ってきたばかりの西安(長安)の華清池が出てきたから、李白や杜甫と同時代の詩人らしかった。

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龍門石窟が中国3大石窟のひとつということは前述した。
建設が始まったのは北魏の孝文帝の時代で、以後唐代まで400年間にわたって彫り続けられたとある。
賓陽洞にある如来像は孝文帝を模したといわれているそうで、だとしたら帝はマンガみたいな顔をしていたらしい。

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いちばん大きい石仏は、奉先寺洞にある高さ17メートルの廬舎那仏だ。
岳さんは石段に登るのがいやらしく、アタシは電話をかけてくるといって逃げてしまった。
わたしはひとりで石段をのぼって廬舎那仏の足下に立ち、いちおう義理で写真を撮った。
廬舎那仏の両サイドにも坊主や仁王さまの石仏が建っている。
あらかじめ調べてみたところでは、なんでもものすごく大きい石仏だというので、それだけが興味のマトだったのに、想像していたほど大きいとも思えなかった。
これなら奈良の大仏のほうがよっぽど大きい。
どうも中国を旅行していると、期待ほどじゃなかったという場合が多いようだ。
期待しすぎるほうが悪いのか。

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廬舎那仏はさておいて、奉先寺洞の高台から見える風景に感心した。
川上にも橋がかかっており、そのあたりで両側の山が切れて、V字型の空間に広々とした平野がのぞめる。
伊河は平野の中で蛇行し、川面にはきらきらと日がさしていた。

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川にそって1キロほど見て歩いて、龍門石窟は終わりである。
川の上流にあるもうひとつの橋のたもとにたどりつくと、その先に巨大な龍の石像が見えた。
それが古代のものならこれこそ見ものなのに、残念ながらそれはつい最近できた遊園地の建造物だった。
アホらしさにため息をつき、橋の上をぶらぶら歩きながら対岸へ渡ることにした。
つまりわたしは下流の橋のたもとからスタートし、石窟を見ながら川にそって歩いて、上流のもうひとつの橋から対岸に渡り、そちらから石窟をながめつつ戻るという、図で描くと四角いコースをぶらぶらしたわけだ。
橋の上から、川の浅瀬で釣りをしている人が見えた。
石だらけの河床を、水が音をたてて流れる川のようすから、アユ釣りのような感じである。

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対岸に着くと、先ほど眺めた香山寺のわきを通るからそこまで行ってみた。
対岸からながめた感じとは大違いで、香山寺には何もなかった。
有名な寺にしては管理がお粗末で、赤く塗られた塗装がはげており、頼もうというと狐か狸が返事をしそうだった。
乾隆帝の堂、9賢人のなんとかという室などがあっただけで、白楽天の墓も白居易の住まいも見つからなかったし、かってはここに宿泊も可能だったらしいけど、いまでは中国人すら泊める設備はなさそうだった。
ただ、ぜんぜん客の来なそうなレストランがあって、そのバルコニーからの眺めはまずまず。
全貌というわけにはいかないけど、窓から河の向こうの龍門石窟がよく見えた。
龍門石窟の全容は対岸からながめたほうがよくわかる。

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岳さんはあまり歩くのは好きではないらしく、すこし歩いただけでモーター3輪をつかまえてしまった。
2人でがたがたとゆられ、下流の橋、つまり出発点の橋を渡って駐車場にもどった。

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妃名子さん

あまり関わりたくない国内の問題だけど、芦原妃名子って漫画家の死亡が世間で騒がれているな。
彼女はちっと世間知らずだよ。
映画化された作品と原作は別のものになるのが当然で、原作は名前と評判を貸しただけ、お金をもらえるだけと割り切らなくちゃ。
カポーティが「ティファニーで朝食を」を映画会社に売ったとき、できた映画は原作とはまったく異なるものだった。
それでもカポーティは文句ひとついうでなし、もらったお金で甘い生活(退廃生活)に精を出した。
むしろそのあとで作られた同じ原作者の「冷血」は、内容が原作に忠実だって、そっちのほうで話題になったくらいなのだ。

ところで妃名子ちゃんの写真はネットで検索してちょっと見ただけなんだけど、これホントに本人なのかい。
本人が映画の主役を務められるじゃん。
ああ、彼女が原理主義者でなければ、漫画界は美しい漫画家をひとり失わずに済んだものを。

訂正/妃名子ちゃんのプロフィールを検索したら、戸田菜穂って女優さんの顔写真が出てきたのでカン違いしてました。

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2024年1月30日 (火)

また麻生くん

あああ、また麻生くんが炎上しているよ。
わたしは彼の主義主張に同調しているわけじゃないけど、国会議員のなかでは歯に衣着せぬ物言いが、いまどき得難いキャラと感心しているんだ。
しかも今回はわたしも同じような見方をしている外相の上村、もとい上川おばさんが俎上に上がっていた。

おばさんをおばさんと呼んでどこが悪い。
お姫様とでも呼べってえのか。
役人に書いてもらった原稿ばかり読んでいるのは、テレビを見れば誰にでもわかることじゃん。
上川おばさんが原稿に目をやらず、正面を見つめて、自分の意思でものを言っている映像があったら、誰でもいいからわたしに教えてくれる?
アイルランドの国会議員に発言を責められても動じないEUのフォン・デア・ライエン委員長のほうが、まだしも自分の意見を持っているワ。

こういうエセ正義漢がぞろぞろ出てくるから、日本の未来は暗いっていってんだよ。

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2024年1月29日 (月)

注意報

さあ、注意をしようよ、注意を。
アメリカがヨルダンに駐留していた米軍の兵士が攻撃されたと、ヨルダンに文句をいうならまだわからんでもないけど、見当違いのイランに文句をつけている。
イランに支援されている抵抗組織の仕業だというんだけど、自分だってイスラエルを支援しておきながら、いつもこんな調子。
そのイスラエルではパレスチナ人が、イスラエルに何百人、何千人も殺されているのに、自分のところは、兵士が3人死んだだけで大騒ぎだ。

ロシアはアルメニアとアゼルバイジャンの紛争を、中国はミャンマー軍と抵抗組織の争いを、いずれの側にも加担しないで押さえ込んだ。
なのにアメリカがからむと、かならず血を見なければ収まらない。
いったいこれはなんなのかね。
ネオコンや兵器製造企業にとって、とにかく戦争をしてもらわなければ金儲けの種がないというんじゃないのか。
日本もせいぜい巻き込まれないよう注意しなされ。

ゼレンスキーさんはあいかわらず支援を、支援をと叫んでいる。
おどろいたことに、「ロシアのウクライナ侵攻は世界大戦に発展も」とまで言い出した。
支援なんかしたら、それこそ戦争はますます深みにはまり、そのあとに待っているのは世界大戦しかないじゃないか。
完全に常軌を逸してるな。

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2024年1月28日 (日)

中国の旅/洛陽という街

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さて、この翌日は女性運転手の岳さんのタクシーに迎えに来てもらうところまでは話が進んだ。
彼女の車で洛陽の観光地をめぐるまえに、この街をもうちょいと眺めておこう。
わたしは1996年に初めて行って以来、洛陽を4回も訪問している。
理由はあとで書くけど、そのため洛陽の記述が何度も重複して出てくるのではわずらわしいし、まぎらわしくもあるから、この項ではばらばらの時系列をひとつにまとめるような作為をした。
そういう点を理解してもらって、またわたしの洛陽放浪記。

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洛陽の駅から南へ行った交差点のまん中に巨大なトーテムポールが立っている。
これは「九龍鼎」というもので、てっぺんに乗っている鼎は古代の遺跡からの出土品を模したもの、下の部分はそれを支えるための9頭の龍を彫りこんだコンクリートの柱だ。
洛陽のランドマークになっているものでよく目立つ。
あたりの景色は変わったものの、市の象徴としてはいいアイディアで、このポールだけはいまでもその場所にあるようだ。
洛陽のどこかで毛沢東の巨大な像も見たが、こちらはシンボルとしてはいただけない。

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洛陽には博物館がある。
わたしが見たころの博物館は、庭に桃太郎の像なんかあって、なんでこんなところに日本の童話の主人公がいるんだいと不思議がられていたものだ。
ちなみに上海博物館の項で、中国では博物館が厚遇されてないと書いたのは、この洛陽博物館の印象によるところ大なのである。
わたしが初めて洛陽博物館に行ったときは、最初のフロアで恐ろしいうなり声がするなと思ったら、なんと博物館の中で、安っぽい恐竜のハリボテを並べて遊園地の見せ物みたいなことをやっていた。
いちおう見学して見たけど、建物の内部はがらんどう、展示も説明もあまり素っ気ないので、ちっとも感心しない。
洛陽は唐三彩の本場らしいけど、そんな重要文化材をホコリだらけのガラスケースに放り込んだだけでは、誰もほめてくれやしないぞ。

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国の景気がよくなると、こういうところにも金をかけるようになるもので、現在の洛陽には、新しい博物館ができたようである。
写真で見るとこの博物館は近代的で、ひじょうに立派なものだから、わたしももっと若けりゃ見に行きたいものを。

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わたしの泊まった「洛陽賓館」は、紀元前からある(まさか)旧市街にあったから、わたしはさっそく近所をふらついてみた。
以前米国作家のポール・セローとバーチャルで地中海を巡ったとき、ベニスやシチリア島のシラクーザ、クロアチアのドブロブニクのような古い都市を見て感心したように、歴史のある中国で、古くからある都市ぐらい興味深いものはないのである。
しかし旧市街といっても、洛陽の場合、古い城壁は完全に撤去されていて、どこからどこまでがかっての城塞都市だったのか判然としない。
ご多分にもれずゴミゴミした迷路のようなところだけど、清潔感がないかわり生活感だけは有り余るほどある。
まだ発展のまえ段階にあるころだから、中国は貧しく、わたしの興味をひくものはつぎからつぎへと現れた。

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旧市街では白いしっくいの塗られた家が目立った。
といっても江南地方に多い、レンガの壁に水がしみ込むのを防ぐためのれっきとした建築様式ではなく、白いペイントを塗りたくっただけのように見える。

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そんなある場所で、建物の壁に漢詩が書かれているのを見た。
なかなか風流なものではないか。
日本や先進国では訳のわからないスプレー落書きが増えているけど、中国のこういう姿勢を見習ってほしいものだ。

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こんな写真を見せると、おまえもゴミゴミした街が好きだなあといわれてしまいそう。
しかしきれいな街が好きなら外国なんかに行く必要はない。
日本は世界中の旅行者から、きれいな国だと驚嘆されている国なので、日本人なら日本に居座っていれば十分じゃないか。
ダーウィンが初めて新大陸を見たとき、そこにはヨーロッパ人が見たこともない生き物や、人々の生活があふれていた。
わたしはそういう発見や体験がしたいから、海外旅行をしていたのである。

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洛陽の旧市街は古い街だからあちこちに古い生活習慣が残っていて、その大半はわたしが子供のころ、日本でもふつうに見かけたものだった。
ある町かどでは農民のおじいさんが野菜の行商をしていた。
リヤカーにキャベツを積んで売っているのを、癇癪もちみたいな近所のおばさんが、ためつすがめつ吟味していた。
キャベツは昔なつかしい量り売りだから、おばさんは表面の葉を、あ、これは虫が食ってる、あ、これは傷がついてるといって、バッサバッサとむしってしまう。
さらに水滴も重さにかかわるというんで、品物をしっかりと上下に振って水切りをしていた。
ひょうひょうとした顔がじつに魅力的な農家のおじいさんは、しょうがねえなという顔で、微笑みさえうかべてこれをながめていた。
わたしは野菜が好きで、とくに新鮮な生キャベツを刻んだものにソースをぶっかけて食うのが大好物である。
生野菜に飢えていたわたしには、このとき見た、葉をむしられてまだ露のついたままのキャベツは、かぶりつきたいほど魅惑的だった。

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こういう人の良さそうなおじいさんはまだいて、でんでん太鼓を鳴らしながら、子ども向けの手作りスナックを売り歩いている老人もいた。
まるで童話の世界を目の当たりにしているようだった。
わたしが子供のころ、牛の角のようなかたちの真鍮製ラッパを鳴らしながら、よく近所に豆腐屋さんがまわってきたものだ。
中国4千年の歴史を支えてきたのは、こういう名もない民衆だったのだろう。

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おじいさんの写真を撮らせてもらっているわたしの背後で、いきなりドカンという爆発音が聞こえた。
これも子供のころ見たおぼえがあるけど、臼砲みたいな機械を使って、露天商が路上でポップコーンならぬ、爆弾あられを作っていたのだった。

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あるところでは、鮮魚店の店頭に生きたザリガニががさごそとうごめいていた。
ザリガニはわたしみたいな戦後の欠食児童にとっては、貴重なタンパク源だったから、これ何といいますかとつまらないことを訊いてみた。
店のおばさんが「龍蝦」と教えてくれた。
見た感じはまっ赤で、大きさも日本でいうところのアメリカザリガニと同じだった。
いったいアメリカのザリガニがどうして中国にいるのかと、現代はウィキペディアの時代だから調べてみたら、戦前に日本から持ち込まれたらしい。
繁殖率の高い生きもので、子供のころは田んぼや小川のいたるところにおり、カエルやスルメの足で簡単に釣れたから、これを釣りに行くのは楽しみだった。
戦後の食べ物の少ない時代だったので、わたしの肉体の一部はあのころのザリガニで出来てるといって過言ではない。

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イヌ、ネコも売られていて、いよいよ中国にも本格的なペットの時代の到来を予感させた。
かっての中国では「狡兎死して走狗烹らる」の言葉通り、イヌを食べる文化があって、わたしも市場でさかさ吊りされたイヌだけは見たくないなと思っていたけど、さいわいどこの市場でも、またレストランのメニューにもそれはなかった。
現代の中国では愛犬家たちの抵抗運動が大論争になっているというから、この残忍な風習はじょじょにすたれていくのではないか。
食文化だといってクジラが好物の日本人(とわたし)には耳のイタイ話であるけど。

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ぶらぶらしているうち、公衆トイレに出くわしたこともある。
無料だったからこれ幸いと利用することにして、その汚さにおもわず悶絶するところだった。
椎名誠さんはロシアの恐怖のトイレのことを書いていたけど、ウンチかこんな感じだったんだろうねえ。
教訓その1、タダより怖いものはない。

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これはべつの日になるけど、駅の近くの洛陽大厦というホテルのすぐ前に、レンタル自転車を発見した。
ちょうどヒマをもてあましていたところで、自転車があれば数時間は楽に時間をつぶせると思い、店に陣取っているおばさんに自転車のレンタルを申し込んでみた。
1時間8元で、せいぜい2、3時間のつもりだったのに、押金として100元をとられた。
どれでも好きなのを選びなといわれたけど、見るとみなおそろしいポンコツばかりで、タイヤ空気圧を調べて硬そうなものを選んだつもりが、乗ってみてびっくり。
急ブレーキをかけると、前輪がハンドルもろともがっくりと前におじぎをしそうになる。
こいつはヤバイ。
交通事故も怖いし、自転車自体がとちゅうで空中分解するんじゃないか。
とてものんびりサイクリングを楽しむどころじゃないというんで、旧城内のトーテムポールまで行っただけで、そうそうに引き返すことにした。

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道路にはたまにマンホールが口を開けていることがある。
のぞいてみると、大人でさえ転落したら出られなくなるほど深い。
この国では自分の命は自分で守るということを徹底しないと生きてはいけないなと思う。
自転車を返しにいくと、おばさんはおらず、そのかわりいまどきの日本ではおいそれと見かけない純朴そうな女の子が留守番をしていた。
押金を返してくれというと、ワタシじゃわかりません、座って待っていて下さいという。
椅子に座り、ヒマだから女の子に、キミいくつときくと、なんとかかんとかというから、ああ、14歳だねというと、ぷんとむくれて19歳ですという。
そのうち近くの店からおばさんが出てきて押金を返してくれて、おかげでまあまあの時間つぶしにはなった。

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歩き疲れてどこかで休憩しようにも、当時の中国には、レストランや飲み屋はあっても、スターバックスやマック、KFCのような、軽いドリンクでひと休みという店がなかった。
旧市街から抜け出して、王城公園のあたりをぶらぶらしていたら、王城西餐庁という感じのいい店があった。
ちなみに“西餐庁”というのは西洋式レストランという意味である。
カエデ並木の広い通りに面していて、おもてはガラス張りで、店内にはポピュラー音楽が流れ、日本の原宿あたりに持っていってもおかしくない店である(写真を撮り忘れた)。
店員までモダーンなカワイ子ちゃんで、冷たいビールはありますかと聞いたら、温かい缶ビールに、氷を入れたグラスをそえてきた。
それでもこの店がおおいに気にいったわたしは、洛陽へ行くたびにこの店に1度や2度は通ったものだ。

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小粉紅

今日は日曜日で海外からのニュースが少ない日で、ウクライナもイスラエルも一休みという感じ。
ネタがないからSNSを眺めていたら、英国で“小粉紅”がイギリス人のピアニストに因縁をつけるという映像があった。
中国に詳しいつもりのわたしも聞いたことがない単語だけど、小粉紅というのは完全に赤く染まってない、生はんかな共産党員のことらしい。
ピアニストは英国内の公共の場にあるピアノで演奏していたにもかかわらず、中国人が、自分たちを映すなと要求してきたのだそうだ。
わたしはBSの「駅ピアノ」という番組が好きでよく観るけど、公共の場での演奏だから、どうしてもまわりの通行人が映ってしまう。
それに対して外国人が因縁をつけるなんて非常識な。
と思ったのはわたしではなく、おおかたの中国人である。

こういう馬鹿はどの国にもいる。
日本にも他人の寿司にツバをつけたり、醤油さしから中味を口飲みする馬鹿がいた。
しかし大半の日本人はそれに眉をしかめる。
この小粉紅の事件も、わずかな例をとりあげて、相手全体を攻撃する、というより自分がいい気持ちになっているだけなのだろう。
抗議をした中国人もさることながら、そんな事件をおおげさに取り上げる発信者の動機のほうにいかがわしいものを感じてしまう。
だいいち、プライバシーの侵害が抗議の対象になり、うまくいけば金儲けにつながるというのは、民主主義の本家であるアメリカが広めたことではないか。
最新のトランプ裁判を見たか。

追伸
この中国人は中国の国旗をこれみよがしにかざして抗議しているから、いま流行りの非常識なユーチューバーではないか。
日本にもたくさん同類がいるよな。
まわりが騒げば騒ぐほど彼女の収入が増えるというわけだ。
にこやかな顔をして抗議をしているところをみると、やらせの可能性もあるぞ。

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2024年1月27日 (土)

午後のNHK

ハマスによる攻撃に国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)がからんでいたとの報道。
こういうふうにイスラエルを利する報道は、NHKはあっという間に信じてしまう。
そのくせハマスの攻撃による死者は、イスラエル軍にも責任もあるという報道はまるで無視。
確証がないというなら、それはどっちもどっちじゃないか。
だいたいブリンケンさんのいうことは信じられないというのが、最近のトレンドなんだよ。
公平をよそおって偏向というのはこういうことをいってんだぞ。
なんか証拠が出るかどうか、ま、続報に期待しましょう。

日本の月面探査機では、搭載していたオモチャが逆さになった探査機本体の画像をとらえていた。
動かぬ証拠というのはこういうものをいうんだヨ。

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騙されんぞ

煮ても焼いても食えないわたしみたいなじいさんのフェイスブックに、2人の若い娘から連絡待ちというお知らせ。
ひとりは、商売をしています、仕事は順調で、そのうち家族でクルーザー旅行に行きますだって。
どうせなんかの詐欺商売だろう。けんのん、けんのん。

もうひとりは、名前は日本人みたいだけど、文字がひとつ中国の簡体字になっていたから、中国人だろうと思ったら、本籍は台湾の人らしかった。
台湾人なら簡体字ではなく、繁体字を使うはずなんだけど、なんかの間違いかも知れない。
そんなことはどうでもいいけど、えらい美人で、それが水着で艶然と微笑み、モデルのようにカメラのまえでくるりと回転してみせる。
思わず友達になりたいわーと思ったけど、オッパイが大きすぎる。
これっていま騒がれているAI制作の映像じゃないのか。
ふざけるな、騙されんぞ、おじさんは。

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昨日のNHK

NHKの偏向報道、いや、偏向報道のNHK。
昨夜はネパールから、ロシアに兵士として応募しているネパール人を取り上げていた。
他国民を自分の国の戦争に使うのはケシカランということらしいけど、これのどこが間違っているのか。
ロシアがやっているのはいちおう公募であって、ウクライナがやっているように、街中で歩いている若者を拉致して、戦場に強制的に送り込むのとは違うのだ。
イヤならやめればいいだけの話だし、命の危険を犯して地中海を渡る移民もいるご時世、いい報酬を払うといえば、貧しい国の労働者が志願してくるのは当然だ。
このさい、ウクライナに志願するよりロシアのほうが生き延びられる可能性は高い。
もちろん本物の戦争なんだから命を落とす兵士もいるだろう。
そういう例だけを誇張して報道するから、NHKは偏向と、いや、偏向のNHKといわれるんだよ。

NHKは、ロシアがいかに兵力不足に悩んでいるか、それを強調したいらしかったけど、ところが同じ放送局が同じ日のニュース番組で、ロシアがこの夏にキエフに総攻撃をかけるかもと報じていた。
総攻撃には兵士が必要だ。
ネパールの傭兵だけでそんな攻撃ができるのか。

しかしいちばんの問題は、NHKの報道のなかに、ウクライナの状況がまったく出てこないことだ。
わたしはこのブログで、ロシアの損害ばかりあげつらって、それより大きいはずのウクライナの損害に触れない報道は、まったく信用するに値しないと何度も書いてきた。

アメリカの戦争研究所(ISW)によるとロシア軍の戦死者は、累計で31万人にのぼるそうだ。
ISWというのは米国のシンクタンクであり、その報告書はつねに米国寄りだから、わたしはいくらか割り引いて考えることにしてるんだけど、かりにロシアにそれだけ死者がいるなら、ウクライナはもっと多いんじゃないか。
ウクライナは死者の数を公表しないからわからない?
ウクライナに派遣されている有馬記者は、ウクライナの発表を鵜呑みにするためだけに派遣されているのか。
自国に都合のいい戦時放送は信じるな、というのはわたしが思いついた格言だけど、え、どうなのよ、え、え、え。

こんなご都合主義ばかり報道していると、ものわかりのいい日本人の中にも、おかしいと思う人がどんどん増えてくるだろう。
いいかげんに方向を転換しないと、NHKは未来永劫に信頼されない放送局になってしまうぞ。

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2024年1月26日 (金)

最近のNHK

最近のNHK国際報道は、飛び交うニセ情報に注意しましょうという報道が多いんだけど、これだけ画像や映像の加工技術が発達してくると、それを試してみたいという人間が増えるのももっともだ。
たとえばネットに氾濫しているコラージュ画像、わたしだって便利な加工ソフトがあれば試してみたいと思うし、加工した画像を公開して世間の評判を確かめてみたい。
こんな時代だから、ニセ情報をぜったいにダメといっても、ネクラでひきこもり人間(つまり新しモノ好きで創造力に富んだ人間)の、やってみたいという好奇心を止めることはできない。

それより、正しい情報の場合もそうだけど、その情報を紹介しているのが誰かということのほうが大切だ。
同じ事件でもNHKが発信すると、みんなロシアがわるいということになり、ニセ情報だって、NHKが取り上げるのは、みんな中国・ロシアのものばかりになってしまう。
パソコンやインターネット先進国の米国、西側は、まったくニセ情報を発信してないのだろうか。

今朝のNHK国際報道は米国人のマイケルさんが出演する日だけど、彼の報告ではAI大好きという米国の市長さんが紹介されていた。
この市長は手間がかからなくていいと、自分の演説映像まで、ぜんぶAIで作ってウレしがっているんだそうだ。
でも問題ないよな。
同じアメリカのなかで民主党、共和党の支持者が、それぞれAIを利用しているなら、どっちもどっちじゃないか。
デタラメを見破れっていったって、技術がどんどん進歩していく現在、素人にそんなものが見破れるわけがない。
これでは注意しましょうといっても意味がないので、わたしたちはそういう世界に生きているんだと覚悟するしかない。

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おっちょこちょい宰相

今朝のNHK国内ニュースに、ウクライナのことはほとんど出てこないのに、岸田クンがアメリカに国賓待遇で招待という報道があった。
うわ、国賓待遇だって、落ち目のオレにひさしぶりに脚光が当たるな、なんて喜ぶんじゃないぞ。
わかってんだろうねえ、岸田クン。
いまの時期に下にも置かないもてなしということは、ウクライナ支援が無理になっちゃったバイデンさんが、日本のゴマスリ首相をおだてて、支援をぜんぶ日本に肩代わりしてもらおうという魂胆に決まってるじゃないか。
うっかり、まかしとけ、日本が戦車500両は引き受けましょうなんて安請け合いしてくるんじゃないぞ。

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2024年1月25日 (木)

中国の旅/洛陽着

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終点の洛陽にはほぼ時間どおりに着いた。
中国の列車の到達時刻が正確なのは、貨物も含めた本数が多いからで、正確でないとダイヤが混乱する・・・・と、鉄道作家の宮脇俊三さんがいっていた。
中国の駅の御多聞にもれず、駅前広場はだだっ広い。

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現在の洛陽駅はどうなってるかと調べてみたら、ぜんぜん変わってないようだ。
そしてもうひとつ洛陽龍門駅という駅が新しく出来ていた。
こちらは有名な龍門石窟から5キロぐらいしか離れてないから、観光用に新設された駅らしい。

雨上がりで水たまりのある広場を横切っていると、すぐ男女の中国人が話しかけてきた。
どこへ行くのかというから、洛陽賓館というと、こっちこっちとわたしを先導する。
ようするにタクシーの客引きだった。
わたしは洛陽のおおよその地理くらいはそらんじていたものの、距離まではわからない。
どうせふっかけてくるだろうと身構えていたら、彼らの提示した金額は20元(240円くらい)で、これならまあまあ納得できる許容範囲の金額だった。
このときの車はワーゲンのサンタナで、メーターはついてなかった。

わたしがサンタナの助手席に乗ると、女も後部席に乗ってなにかしきりに話しかけてきた。
あなたたちは夫婦なのかと訊くと、ちがうという。
中国のタクシーにはこういうわけのわからない関係の男女が乗っていることがよくある。
女がいたほうが、おのぼりさんや日本人観光客をひっかけるのに具合がいいのか、あるいは強盗よけのお守りのつもりなのか。

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洛陽賓館に関してなにも知らなかったけど、このときの旅は2週間を予定していたので、あまり最初から贅沢するとあとが続かない。
ガイドブックで調べて、旧城内にある安そうなホテルということで選んだのである。
旧城内というのは古くからある街のことで、新市街といったら、新中国になってから新しく建設された町のことである。
もちろんわたしみたいなダーウィン的旅人には旧城内のほうがおもしろい。
ただし予約はしてなかったから、行ってみなけりゃ部屋があるかどうかわからない。
ぬかるんだ泥道を通って、駅からそこまであっという間に着いた。
あとでわかったけど、ホテルまで1キロぐらいしかなかった。

ホテルにつくと、タクシーに同乗していた女がやけに親切で、ホテルのフロントと掛け合ってくれた。
電気の節約のためか、なんかやけにうす暗いホテルである。
ホテルの服務員の女とタクシーの女がなにやら交渉をする。
客を連れてきたのだからいくらかキックバックしてくれとでもいってるのかも知れないけど、1泊160元ということで、べつに文句をいうほど高くもなかった。

タクシーが帰ってしまったあとで、宿泊手続きをしたら、料金は300元になっていた。
さっき160元といったろうと揉めたけど、つまり外国人料金ということだった。
タクシーの女が交渉したので、わたしが外国人とわからなかったのだそうだ。
こういうことは列車の料金でもあることで、べつに不正な請求というわけじゃないから、仕方なしにいわれた料金を払った。

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洛陽賓館は2階建てで、高層ビルではないかわり、空が広々としているのがわたしにはありがたかった。
ところが調べてみたら、このホテルはネットにひっかかるくせに、予約ページまでたどりつけないし、口コミは古いものばかりだから、いまでもあるのかどうか不明。

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わたしの部屋は本館の正面玄関を入ってすぐの1階で、トイレやバスルームもとくに問題はなかった。
窓のすぐ外にヤナギの木があって、その葉がふらふらとゆれているのが見える。
窓から首を出してみると、屋外からひとまたぎでわたしの部屋に入れてしまうことがわかった。
だいぶ不用心だなと思い、窓を内側からきっちりロックした。
ほかにとりたてて文句をいうほどのことはないけれど、客はひとりも見当たらず、わたしの想像していたものと比べると、えらくわびしいホテルである。
ホテルのフロントには、そのへんのお姉さんといったタイプの服務員が2人詰めており、マイペースでおしゃべりしていて、客がくると迷惑そうである。
あとでトイレットペーパーを補充してもらうとき、わたしはできるだけ腰を低くして行った。

ここでは両替もできなかったので、ベッドに荷物を放り出したあと、とりあえず友誼賓館というべつのホテルへ、下見をかねて両替に行くことにした。
そっちのホテルが気にいったら移動しちまうからなと思う。
この街には弁当箱型をした黄色い軽ライトバンのタクシーがたくさん走っていて、初乗りは5元という安さである。
門から飛び出すと、すぐ向こうからこの軽タクシーがやってきたので、それをつかまえた。

友誼賓館には新旧ふたつの建物があり、とりあえず新館のほうにつけてもらって、フロントにいた美女に尋ねると、両替時間は終わりましたという。
わたしが困った顔をすると、それなら旧館に行ってみたらと教えてくれた。
新旧の友誼賓館は50メートルくらいしか離れてなく、旧のほうで無事に両替もしてもらえた。
ただし1万円が700元きっちりにしかならなかった。
本来の相場はこれに25元くらいがプラスされるはずである。
両替の受領証には725元と書いてあったから、25元は両替嬢の貯金箱にでも消えたのだろう。
25元は350円くらいだし、時間外の両替だったかも知れないから、文句をいう気にもなれず、おとなしく引っ込んだ。

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帰りにながめると、友誼賓館と通りをはさんではす向かいの、ふたまたになった交差点の中心部に、洛陽最大のホテル「牡丹城」がそびえていた。
高そうなのでわたしは初めから無視したけど、列車のなかで知り合ったEさんはここに泊まったはずである。
友誼賓館については、撮ったはずだけど写真が見つからない。
ネットで探してみると、高層ビルのホテルが見つかったけど、わたしが泊まったホテルと違うようで、よくわからなかった。

帰りは友誼賓館の前にとまっていたサンタナでもどることにした。
乗ったとたんに運転手のほうから、40元よ、40元というので気がついたけど、運転手は女性で、これは白タクだった。
こういう車は観光や結婚式などが専門らしく、流しはやらずに、車の持ち主が無許可のままホテルなどで客待ちをしているらしい。

車中で考えた。
中国の運転手はたいてい運転が荒っぽいけど、女性ドライバーならそれほどでもないだろう。
タクシーを借り切ってドライブするのに、むくつけき男性ドライバーより女性ドライバーのほうが楽しいに決まっている。
そこで翌日あちこち観光してまわるのに、1日貸し切りでいくらかと交渉してみた。
400元(5600円ぐらい)でいいという。
わたしはひとりだから割り高だけど、これで朝から夕方まで自由にあちこちを見てまわれるのだから、人間が3人もまとまれば日本とは比較にならないくらい安い。
運転手の名前は“岳”さんで、娘がひとりいるという小太りの肝っタマ母さん、いや、姉さんという感じの人である。
スラックスに、かかとの高い靴をはいて運転していた。

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洛陽賓館にもどったのが午後の4時ごろ。
夕食はホテルのレストランでと思ったのに、ここは18時半オープンなのでまだやってなかった。
わたしは空腹をおさえかね、近所へ食事に出た。
かどを1本まがったところにおそろしく汚い食堂があった。
その汚さは感動的で、シミの浮き出たしっくいの壁など、なにか抽象絵画を見ているようだった。
店で働いているのは、軍服らしいカーキ色のコートをはおった痩身の男性と、彼の女房にしてはふけすぎというおばさん、そして息子らしい若者の3人である。
軍人でもないのにカーキ色の軍服を着た人には、中国を旅しているとあちこちで出会う。
軍服は丈夫だから、お役御免になったあと古着となって世間に出まわるのか、それとも徴兵の義務を終えるとタダでもらえるのか。
あるいは、中国では工場の労働者が製品を勝手に横流しすることが多いというから、軍服まで流されているのだろうか。

この年の日本ではO157という凶悪な細菌が世間を騒がせた。
小中学生に被害が続出し、給食設備の総点検が行われ、マスコミに踊らされやすいPTAが大騒ぎをした。
わたしが入った店は、そんな付和雷同型の親たちが見たら卒倒しかねない店だったけど、しかし大釜に湯気がもうもうと立ちのぼっており、鍋に油がじゅうじゅうとはねている。
こいつはきっと、マキシムのフランス料理なんてやつよりは美味いにちがいない、わたしはそう思った。
日本人客がふらりと迷い込んできたのは驚天動地のできごとだったらしく、店の3人はわたしを見て言葉を失ってしまったようだった。

わたしは3つあったテーブルのひとつに座った。
テーブルは傾いていたけど、壁に「食品販売に従事する者の健康証明書」なんて札が貼ってあり、箸は日本式の割りバシを使っていた。
ビールありますかというと、軍服のおやじが無言のまま、わざわざ近所へ買いにいってくれた。
わたしは水餃子を注文してみたけど、餃子はひと口サイズのものが50~60個もあってとても食べきれない。
味はわるくはなかった。

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メシを食いながら考える。
細菌を退治するのに薬品を使えば、細菌は薬に対して耐性をもつようになる。
「病原大腸菌O157」の騒ぎの原因は、近代的な設備をもつ学校給食の調理室の、ほんのささいな汚れだったというけど、そんなものが原因なら中国では12億人がすべて157になっていなければならない。
中国の場末の食堂のきたなさは日本の学校の給食室とは比較にならないのである。
材料に火を通すから大丈夫という人もいる。
しかし食器や調理器具やそれを洗う水など、O157がたかる機会はいくらでもある。
なにしろ日本では、清潔な工場で、機械で管理製造されているカイワレダイコンに、ほんのわずかな汚水がついたのが原因とされているくらいなのだ。

中国の場末の食堂に座っていると、あんまり衛生に神経質になるのも考えものだなあという気がしてくる。
人間と細菌の闘いはイタチごっこの連続なんだけど、SF作家ならずとも、いつかある日、薬品開発のほうが先に限界に達し、耐性というストレートな作戦だけに専念した細菌が勝利をおさめる日が来るような気が・・・・・もぐもぐ。
わたしは水餃子を半分ぐらい残してしまった。

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また闇のなか?

ロシアで軍用機が撃墜され、輸送されていたウクライナの捕虜65人が死んだという報道があり、さっそくSNSに、ロシアの謀略に決まっているという映像が上がっていた。
じっさいには積んでいたのはロシア軍の武器で、大統領選をひかえて人気の失墜を恐れるプーチンが、ウクライナの捕虜だなんて言い出したんだろうという。
だいたい普段あまり自分たちのことを報道しないロシアが、今回はやけに迅速に発表したというのがおかしいなどと、その理由を並べていた。
そういわれると否定もできないけど、この説明そのものが、べつの解釈もできるものを、自分たちの都合のいい説明をしただけという疑念があるものだった。
けっきょくプリゴジンさんのときと一緒で、将来当事者のだれかが曝露しないかぎり、真相は闇のなかというものじゃないかと思えた。

ところが今日のNHK国際報道で、もうすこし具体的なことがわかってきた。
問題は捕虜交換がじっさいに予定されていたかどうかだ。
予定されていたのなら、戦争中でミサイルが飛び交う戦場で、航空機が、命令か過失かはわからないけど、撃墜されることはおおいにあり得る。

報道によると、捕虜交換はじっさいに予定されていたそうである。
これでは戦況の悪化で、指揮系統にも乱れの出ているウクライナ軍が、自国の飛行機以外はみんな撃ち落とせなんてむちゃな命令を出していて、それが今回の撃墜につながった可能性もある。
NHKの報道を観ているとそう考えたくなってしまう。
キャスターの望月麻美ちゃんが泣きそうな顔をして、ウライナの評判をおとしめようとするロシアの陰謀だなどと言い出すし、そもそもの原因は、ロシアがウクライナに侵攻したせいだ、それがなければ捕虜たちも死ぬことはなかったなんて、話をぜんぜん関係ない方向にそらそうとするし。

結果を整理しておくと、ロシアの軍用機が撃墜された原因は、ウクライナ側のミサイルによるゲリラ攻撃であり、自国の捕虜をまきぞえにしたとはいいにくいから、ウクライナは撃墜への明言を避けているのだろう。
望月麻美ちゃんのいう通りだ。
ゼレンスキーさんがさっさと戦争をやめていれば、捕虜たちが死ぬことはなかったのだ。

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2024年1月24日 (水)

米国大統領

アメリカじゃトランプさんが大人気。
そのトランプさんのもとで働いたのがヘイリーさんで、彼女はトランプさんのとりまきが内輪揉めでトラブったとき、ティラーソンから、黙ってろ、おまえはただのスケベ女だと怒鳴られて、スケベ女ってのはどんな顔をしてるんだと、わたしに関心を持たれていた人だ。
こういう人が大統領ってどうなのよと思っていたら、彼女は無事に脱落しそうである。
2戦目のニューハンプシャーでは彼女が有利といわれていたので、そこでの敗北は彼女(とNHK)にとって痛手だろう。
トランプさんは自国第一主義なので、ウクライナなんぞに関わらないかも知れず、するとこれまで熱心にウクライナを支持してきたNHKにも痛手というわけだ。

しかしNHKよ、がっくりするでない。
誰でも知ってるけど、これで米国の大統領が決まったわけじゃないからね。
共和党だけの選挙でトランプさんの支持率がヘイリーさんと拮抗したとなれば、単純に考えても、共和、民主が拮抗している米国では、トランプさんの支持は1/4をいくらか上まわるだけということになる。
しかも今回ヘイリーさんに投票した人たちは、トランプさん嫌いで、それなら民主に行くワとそっちに流れる可能性もある。
まだまだ大統領選挙の行先は不明なのだ。

バイデンさんじゃトランプに勝てないというんで、民主党のほうじゃ強力なかくし玉を用意している可能性もある。
以前ちょっと話題になって、そのまま話題に上らなくなっていたロバート・ケネディ・ジュニア、彼はどうなった。
女ったらしの遺伝子を持つケネディ家で、なんかスキャンダルでも出たのか。
ケネディという名は、いまでもアメリカでは錦の御旗のように霊験あらたかだから、選挙の直前にぶっつけようと、民主党が隠しているんじゃないか。
彼はいちおうは無所属ということになっていたけど、アメリカじゃそんなもの、どっちに転ぶかわからない。
スターの人気投票みたいな米国の大統領選挙だから、彼が登場すれば民主党は劣勢を一気に挽回ということもあり得る。

なんでもいいけど、わたしはつぎの大統領が、ウクライナ問題にどう対処するかしか関心がない。
新しい大統領がやっぱりウクライナ支援の継続を決めると、プーチンにはやっかいだけど、アメリカにとっては国外の問題で足踏みが続くだけだ(そして核戦争に一直線)。
いったいオリガルヒに食い物にされている破綻国家のウクライナに、全人類の命を賭ける価値があるんかね。
それより国内問題に目を向けないと、アメリカの衰退は止まらんよ。

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2024年1月23日 (火)

中国の旅/女医さん

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前年に西安に行くとき乗ったウルムチ行き特急は、軍用列車みたいなグリーンの汚い列車だったのに、今回の洛陽行きは赤とクリームのきれいな列車だった。
有名な古都である洛陽が終点になっていたから、生活列車ではなく観光列車なのかもしれない。
客すじもいいようで、硬座席(2等車)に異常な興味を示すわたしは、あとでそっちを見学に行ってみたけど、荷物が通路をふさいでなかったし、ニワトリやアヒルが走りまわっているわけでもなかった。

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コンパートメントでは、日本人の男性と中国人の女性という2人連れといっしょになった。
男性はEさんという元気な老人で、女性のほうは洛陽の女医さんで、郝さんという人である。
彼女の苗字は日本では見たことがない文字で、本人に聞くと日本ではカクさんと呼ばれていたという。
夫婦にしてはカクさんは若すぎて不釣合いである。
いったいこの2人はどんな関係なのかと判断しかねていると、彼女のほうが説明してくれた。

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カクさんは日本の大学病院に研修生として派遣されていたことがあり、そのとき下宿先の近所に住んでいたEさんにいろいろお世話になった。
彼女が研修を終えて中国に帰国することになったとき、Eさんも思い立って、彼女の案内で1ヶ月ばかり中国を見てまわることにしたのだそうだ。
もう2週間も、日本語のわかる女医さんつきであちこち見てまわってるというから、わたしにはうらやましいかぎりである。

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Eさんの職業について訊かなかったけど、隠居だと自己紹介していたくらいだから、年齢はもう70近いのかも知れない。
にぎやかな町内会の世話役といった感じの人で、費用はふたり分を全額Eさん持ちだといっていたから、けっこうな資産家らしい。
女医のカクさんはぽっちゃりした人で、30代の半ばくらいに見える。
男まさりみたいなところがあって、ぜんぜん洒落っ気がない。
中国の女は日本の女みたいなお化粧はしませんと、これは本人がいっていた。
ただ学校の先生のような教条的な言い方なので、これは一般的な意見ではなく、彼女の個人的意見のように聞こえた。
明るくてあっけらかんとした人である。

ここで弁解しておくけど、実在の人物の顔写真を出すのはいろいろ問題がありそう。
わたしもそのことはよくわかっているから、決して本人たちの迷惑になるようなことは書かないつもりだ。
Eさんは顔写真だけで、住所も本名も明かさないし、なにぶんにも25年以上前のことだから生きておられるかどうかも怪しい。
カクさんのほうは中国でえらいお医者さんになっている可能性があるけど、そんな彼女がわたしのブログに気がつく可能性はひくい。
この人についてはあとでまた出てくるので、そのときにもういちど弁解する予定。

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列車は、洛陽まで軟臥席(1等寝台)で400元(5500円)くらい。
今回は新亜大酒店にチケットの手配をぜんぶおまかせしてしまったので、おうようなわたしは正確な金額を知らなかった。
上海~洛陽は1122キロあって、これは東京から福岡までと同じくらいだから、どう文句をつけようとしても高くない。
当時はなかったけど、いまでは上海~西安間に新幹線が走っていて、これは洛陽にも泊まるから、時間が短縮されたかわりに、料金も大幅に上がったはずだ。

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コンパーネントを3人で占領して、いろいろ雑談をする。
Eさんは呑ん兵衛らしく、さっそく葡萄酒のボトルを持ち出した。
中国産のワインだそうで、わたしもひとくちご相伴になったけど、以前に飲んでその甘さに閉口したワインに比べると、けっこう本格的な味だった。
カクさんはぜんぜん飲まないという。
重慶では飛行機の中で缶詰になってねとEさんがいう。
中国人は搭乗のときぜんぜん並ぼうとしないんだからとぶつぶつ。

わたしはカクさんにいろいろ尋ねてみた。
彼女は日本と中国両方の生活体験者で、日本語を話すのだから、日中両国の比較や違いなどを質問するのにこれ以上の人はいない。
しかも医師というから知性の点でも申し分がない。

日本人はよその国の人と打ち解けようとしないとカクさんはいう。
彼女は研修先の病院で、日本人の医師たちとのあいだに微妙な差別意識みたいなものを感じたそうだ。
差別意識というのは、される側でないと気がつきにくいものなのだろうから、それはそうですねえとわたしも同調する。
日本人は日本人だけの島国生活が何百年も続いてましたから、外国人と付き合うのになれていないんですよと、それでもいちおう弁解はしておいた。
彼女は日本女性のふしだらについても触れた。
中国の女性は結婚したら子育てに専念します、離婚も少ないし、浮気なんてしませんという。
どうも初対面の日本人をまえにして教条的すぎるきらいがある。
これについてはカクさんに、20年、30年後の中国を見てもらうしかない。
離婚や浮気を奨励するわけじゃないけど、それのない社会は女性にとってあまり開かれた社会とはいえないんじゃないか。
開放後の、新中国になったばかりのこの国では、売春婦が壁のまえでまとめて銃殺されていたこともあったのだ。

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ここで鉄道作家の宮脇俊三氏が書いた上海~ウルムチ行き特急の体験記を参考に、わたしの乗った列車で気のついたことをいくつか書いてみたい。
宮脇氏がこの列車に乗ったのは1985年なので、わたしのこの旅より10年以上前のことである。
そのころの上海駅は貧弱だったと書いてあるけど、現在の上海駅はけっして貧弱ではない。
これはまあ、わたしと宮脇氏の期待度の差かもしれない。
軟臥車、硬臥車の構造やようすについては当時も現在もあまり変わってない。
すれちがった貨物列車の長さについて、鉄道マニアの宮脇氏が触れているので、わたしも数えてみたら、55両編成というのがあった。

硬座車は、これこそ中国の列車というくらい混んでいたらしいけど、わたしの乗った列車はそうではなかった。
これは終点がウルムチであることと洛陽であることの違いのようだ。
道中知り合った娘さんたちのために、宮脇氏はパンティストッキングをプレゼント用に持参していたけど、現在の中国では、すくなくとも都会では、そんなものをもらっても喜ぶ女性はあまりいないだろう。
この人がやはり持参したポラロイドカメラのほうは、今でもおおいに効果がある。

宮脇氏の本の欠点は便所の記述がひとつもないことだ。
寝台列車に乗れば、トイレ事情も大きなファクターであるはずだけど、餐車の記述があって便所がないというのは片手落ちではないか。
中国の列車の便所はきれいではない、そうかといってゼッタイ拒絶したくなるほど汚いわけでもない。
きちんと掃除をしてあれば、べつに問題のない空間である。
朝になってから、わたしが軟臥車のトイレへ行ってみたら、男が壁にヤモリのようにへばりついていた。
床に水がたまってだぼんだぼんとゆれており、トイレを使用するためには、一段高くなった便器のふちに足をかけ、壁で体をささえながら行うしかなかったのだ。
この程度のことさえガマンすれば、中国の列車のトイレはおそれるほどのものではない。

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夜中に列車が停車したのを感じて何度か目をさました。
窓のカーテンをかきよせて外をうかがうと、裸電球のともった殺風景な駅のホームに、大きな荷物をかかえた乗客が下車していくのが見えることもある。
また走行中、時おり前方から明るい照明が近づいてきたなと思うと、まもなくごおっ、がらがらがらと音をたてて、対向車がすれちがう。
あとはほとんど闇である。
窓ガラスに顔をおしつけて闇に目をこらすと、線路わきに農家の集落があるのがわかった。
家はあってもあかりがない。
村全体が気持ちいいくらいまっ暗である。
これではとなりの家に行くのにも懐中電灯がいるけど、こういう家で眠る人はどんな人だろうかと思う。

うとうとしているうち、6時ごろになってようやく空が白んだ。
雨が降っていて、道路に水たまりができているところをみると、だいぶ降ったらしい。
わたしは窓外の景色をじっとながめた。
鉄塔やめざわりな看板、空き地に山積みされた廃車などといった、およそ人の神経をささくれだたせるものがなにもなく、麦畑と集落が散在していて、畑の中にやたらポプラとキリの木が多いのが印象的だった。
中国の農村を見ていると、わたしは奥多摩あたりの山の中を歩いているときとおなじで、まったくストレスを感じない。

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今回のわたしは餐車(食堂車)を利用しなかった。
出発が夜だったからさっさと寝てしまったし、朝の9時半には目的地に到着である。
車内で食事をして便意をもよおしたりしたらコトだから、食事は洛陽についてからホテルでゆっくり食べることにした。
同行の2人のほうは、カクさんが餐車から食事を運んでいて、Eさんはそれをマズイと文句をいいながら食べていた。

2人の同行者とは洛陽駅で別れたけど、このとき列車のなかで撮った写真を、帰国してから彼女に送ってやったら、丁寧な礼状が届いた。
そのなかに気になる文面があった。
今度洛陽に来ることがあったら、ぜひ連絡をしてください、わたしが案内してあげますというのである。
わたしは列車のなかで、そのうち新疆ウイグル自治区まで行くつもりだと話してあった。
洛陽は新疆へのとちゅうだから、彼女はそのときのことをいったのかも知れない。
中国を旅するのに、日本語のわかる通訳がいてくれたらこんな便利なことはないし、しかも相手は高度な知性のお医者さんだ。
わたしはこのことをしっかり頭に刻み込んだ。

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今日のTBS

昨日はジョーシキを備えたNHKが沈黙しちゃったので、YouTubeでTBSのチャンネルを観てみた。
民放は公共放送よりさらに捏造がひどいと思っているから、あまりアテにしないんだけど、その通りだったねえ。
のっけからタイトルが「ウクライナを敗北させないプラン」だって。
出演者が渡部もと陸自幹部、NHKでおなじみの小泉悠サンという、アンチロシアの論客ばかり。
この2人が出ているだけで、このチャンネルの姿勢がわかるじゃないか。
なにがなんでも戦争を長引かせて、ただひたすら兵士の死体を積み上げる算段(プラン)だ。
こんな美味しいネタを途切れさせてたまるかというつもりらしい。

ウクライナのドローンが1250キロも飛んで、ロシアのサンクトペテルブルクを空襲したとイバってるけと、そりゃこんなところを狙ってくるとはロシア側も思ってない。
相手が油断していたからなんとか命中しただけで、1発か2発が命中したって戦況の好転にはつながらない。
戦線を拡大して、西側を戦場にひきこもうというゼレンスキーさんの、やけっぱち作戦であるということを指摘する人がひとりもおらず、ウクライナのドローンの解説なんかしてウレしがってる人ばかり。
このチャンネルはデタラメと思う。
ひとつデタラメがあると、どうせ全部デタラメだと思われてしまうんだよ。

プーチンが北朝鮮を訪問するという報道が、これはTBSだけではなく、NHKも報じているけど、ホントかねえ。
わたしは意表をついて、そんなことはないというほうに賭けてみよう。
西側はなんとかしてロシアと、ならず者国家の北を結びつけたがっているけど、これまでのところ西側がいっているだけで、プーチンのロシアだけで戦うという意思は固いように思える。
またそれだけの余裕もあるように見える。
たんなるリップサービスじゃないか。
ロシアと北じゃ格が違いすぎるし、正恩クンは非常識な独裁者、プーチンは冷静な愛国者だ。
プーチンが正恩クンに会えば、また西側が大喜びするだけだよ。

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2024年1月22日 (月)

休養

うーん、ネタ切れだね。
今日は米国でデサンティスさんが大統領選から撤退というニュースがあったくらい、NHKもさすがにウクライナを擁護するネタがなくなったみたいでひっそり。
毎日ロシアの擁護ばかりしているわたしとしても、NHKにひっそりされるとネタ不足で困ります。
能登半島の地震はわたしがぐだぐだいわなくても全国からボランティアが駆けつけてるみたいで、じいさんの出る幕じゃないし、芸能界のほうじゃだれかの訃報があったみたいだけど、そっち分野はさっぱりわからんもんね。
仕方がない、明日からまたNHKに期待して、本日はいちゃもんの休養日課といたします。

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2024年1月21日 (日)

中国の旅/上海博物館

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西安に行って、ここから先がシルクロードか、砂漠の国なのかと感慨にふけったわたしだけど、すぐにシルクロードに出発したわけじゃない。
わたしにはもう少し見ておきたい中国の都市があった。
列車で上海から西安に向かうと、とちゅうで洛陽という街を通る。
西安が唐の都長安であることを知っている人なら、洛陽もよく知られた中国の古都であることを知っているだろう。
「洛陽の紙価を高める」ということわざの洛陽であり、芥川龍之介の「杜子春」の冒頭で、主人公がたそがれの中で途方に暮れていたのも洛陽である。
洛陽を見てこようという以外にも、今度はひとつ、黄河をま近に見てやろうという願望があって、わたしはシルクロードのまえにこの街を目指すことにした。

人間、どこに奇遇が転がっているかわからない。
わたしはこの旅で忘れられないひとりの女性に出会った。
彼女もすでにいいおばあさんになっているはずだけど、わたしは彼女との思い出をもういちど紀行記のなかで追想してみたい。
という出だし、どうだ、読者の期待に応えるに十分じゃないかね。

ま、お楽しみはあとにして、まず上海について、わたしの旅はまた上海が起点だったので、そこから話をスタートさせよう。
最初にことわっておくけど、今度の旅は1996年の11月のことである。

上海に到着したわたしは、瑞金賓館はもうケッコウということで、新亜大酒店に部屋を取った。
駅や南京路や外灘、かっての日本租界からも近いこのホテルは、上海で歩きまわるのになにかと便利だったのだ。
ちなみにこのときの旅の通貨のレートは1元が日本円の14円ほどだった。
広大な中国のどこに行っても時刻は北京時間であるように、通貨のレートもどこに行っても同じだから、まず当時のお金の価値をあたまに入れておいてほしい。

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例によって市内をあてもなく歩きまわったけど、ここては最初に、前回の西安の旅の終わりにちょいと触れた上海博物館について書いておこう。
これは人民広場の真ん前にあって、95年にはまだ建物だけで、開業はしていなかったところである。

上海博物館、いや、もうすばらしい施設だった。
あまだ正式に開館して1年もたってないけど、中国の歴史や美術に興味のある人にはぜったい見逃せないところなのだ。
入場料は60元と高いけど、これには電話機の形をした日本語テープによる解説器の借し出し料も入っている。
ただし、文字数がかぎられているわたしのブログだから、博物館の説明はおおかたをまたウィキペディアにリンクを張ってすませよう。
自分で調べればわかることはいちいち触れないんだよ、このブログ。

中国を旅していておいおい知ることになるんだけど、中国の都市では博物館のような公共の施設が、けっして厚遇されているとはいえない。
例外は北京の故宮博物館だけど、ここが古い王宮をそのまま活用した建物であるのに比べ、上海博物館はまったく新しく建設された近代的な博物館で、日本の上野や各地にある美術館と比べてもまったくひけをとらない。
いまや中国の看板ともなった代表都市の上海で、その規模や設備には中国のメンツがかけられたのだろう。

建物は4階まであって、中央のエスカレーターでどの階にも行ける。
それぞれの階が、分類された展示会場になっていて、たとえば1階には青銅器の部屋があり、2階には陶磁器、3階には書画、4階には玉(ぎょく)や家具、貨幣などを展示した部屋があるといった按配だ。
わたしはこの1年のあいだにNHKテレビの「故宮」という番組で、中国の歴史、美術について多くの知識を得ていた。
中国で発掘された青銅器や玉製品の中には、いちど現物を見てみたいものがたくさんあったのだ。

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博物館の1階には殷の時代の青銅器がある。
この時代には饕餮(とうてつ)という怪物を彫り込んだ、祭祀用のおどろおどろしい青銅器が知られている。
そうした文様の彫りこまれた尊(そん=酒の容器)や爵(しゃく)、鼎(かなえ)に対面したときは感動した。
展示品を見ながら、そのまま中国の古代史の勉強になるのがいい。

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ほかにも4階には、古代の王の象徴とされた玉璧(ぎょくへき)、玉琮(ぎょくそう)、玉鉞(ぎょくえつ)などの玉製品があった。
NHKの「故宮」によると、“玉璧”は王の財力を象徴するもの、“玉鉞”は斧を模していて、軍事統帥権の象徴だそうだ。
“玉琮”はほんらい王の地位の象徴であったもので、真ん中に穴が貫通した四角い柱状のものである。
穴は天地を、それを囲む四角い段が大地をあらわしているのだという。
わたしはこの玉琮に魅入られてしまった。
上海博物館で見たものは、高さが50センチぐらいあり、半透明の緑玉石で作られていて、表面に細かい紋様が彫られていた。
じっと見ていると紋様に引き込まれそうな気分になる。
人を感動させるものが芸術なら、これはすばらしい芸術作品である。

玉というのはダイヤモンドに匹敵するくらい硬度の高い鉱物だそうで、そんなものに大昔の人はどうやって模様を刻んだのか、その説明が週刊朝日に載ったことがあった。
ようするに時間をかけた丹念な仕事の成果らしかったけど、短気なわたしにはこれの制作者は務まりそうもない。
それでもわたしが上海博物館で重点的に見たのは、青銅器と玉の部屋だった。

玉琮のレプリカが博物館内の土産ものコーナーに置いてあった。
安ければ飛びついても買ったけど、レプリカといえど数十万円もして、とてもとてもわたしの手の出せるものではなかった。
土産ものコーナーには、もうすぐ日本に行くというきれいな娘がいて、こっちのほうが手を出しやすかったくらい。

このときとは別になるけど、わたしは玉や青銅器に魅了された頭のまま、福祐路の骨董市場というところへ行ってみた。
ここにはせまい通りにゴザをしいて品物をならべた露店がびっしりひしめいて、けっこうな人だかりだ。
中国は歴史の古い国だけど、紀元前の文物がこんなところで売られているはずはないから(古いものを国外にもちだすのは法律違反である)、大半はそれらしいイミテーションである。
それでも古臭いさまざまなガラクタを見て歩き、店の主人と値切り交渉をするのは楽しかった。

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市場に分け入ってまずわたしが拾い出したのは、4段構えになった鉄製の亀の印璽(いんじ=印鑑)である。
親亀の腹から子亀、子亀の腹から孫亀、孫亀の腹から小さな鳥と、4つの大きさの印璽が出てくるところは、ロシアのマトリョーシカ人形みたいだ。
すべて一体成型か彫りぬきのものならたいしたものなのに、亀の部分と印璽の部分は接着剤ではりつけてあった。
この接着剤は時間がたつとはがれてしまう・・・・・・こともあるということを、去年西安で買った同じような印璽でわたしは知っていた。
見た感じは古色蒼然としていなくもないけど、古代からそんな接着剤を使っていたかねえと思う。

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つぎにわたしが目をつけたのは、石でできたブタの置物である。
これも去年西安のアンティーク市場でみつけて、そのユーモラスな造形がいたく気にいったものである。
おそらく大勢の職人が毎日せっせと制作しているのだろう。
よく見ると形やタッチが微妙にちがっていて、中には芸術的といえなくないものもある。
で、こいつを大小とりまぜて4個ほど新聞紙にくるんでもらった。
店のオヤジは、ほかの動物もあるよと勧めたがいらんと返事しておいた。
小さな動物の置物は、ひと山いくらで売っている店もたくさんあって、女の子ならカワイイ!と叫びそう。

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ある店でわたしは玉琮を発見してしまった。
この店にあったものは一辺が約7センチの四角柱で、高さが13センチあり、表面が溝で7段に仕切られている。
仕切られた7段のそれぞれにこまかい文様がある。
こまかい文様にもいろんな意味があるはずだけど、ここにあったのは安物だから、帰国してじっくり見たら文様もずいぶん手抜きされていて、材料もそのへんのたんなる石っころのようだった。
それでも柱のすみに土がついていたりして、バカな日本人観光客をあざむくには手がこんでいる。

こういうのを見つけても、すぐに購入をすると足もとをみられてしまう。
わたしは横目でうかがって、そしらぬ顔で市場を一巡し、同じサイズの玉琮がないかどうかずっと注意してみた。
ほかの店ではとうとう発見することができなかったから、わたしは決意して最初の店にもどった。
店のオヤジが200元というのを50元に値切って、わたしはまがいものの玉琮を手に入れた。
バカバカしいと思われるかもしれないけど、どういうわけかわたしは、NHKの番組を見てから、中国の古代の玉製品に魅了されてしまっていたのである。
ほかにも玉鉞があったので、おまけにつけてくれといったらダメといわれてしまった。

この日にわたしが買ったものは、全部ひっくるめても100元くらいのものだろう。
それじゃいらねえやというと、たいていこちらの言い値になってしまうから、原価はいくらなんだと疑問に思うような品物ばかりだ。
ここで買った玉琮も、その後飽きてしまってアパートの窓から庭に放り投げてしまった。

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上海博物館を出たあと、人民広場をぶらぶらした。
広場のまえには、博物館に向かい合って人民政府の大きなビルが立っている。
このビルは外灘の古いビルから引っ越してきたもので、新しくなって威厳や威圧感がなくなり、日本のどこかの県庁ビルといってもおかしくなくなった。
またそのとなりに、屋上に巨大なアンテナをさかさにしたような、異様な建造物が建設中だった。
なんだかわからないけど、わたしがつぎに上海を訪問するときには完成しているだろう。
人民広場のあたりだけをとってみても、上海の変貌のめまぐるしさには目を見張らされてしまう。

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ヤケッパチ

ネットにウクライナがロシアのガス会社をドローンで攻撃し、火災が起きているというニュースがあったね。
しかしこれはもちろん、ウクライナが互角に戦っているということじゃないぞ。
むしろ、まともな戦闘で勝てないことがはっきりしたから、ゼレンスキーさんがヤケになってゲリラ攻撃に転じたということなんだよ。
もうどこでもいいから、相手の油断していそうなところへ、ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たるのヤケッパチ戦術。
冷静に考えてみれば、これは戦線をロシア領土内に拡大して、自らの保身のために世界を道連れにしようという危険な賭けなのだ。

NHKのニュースを観ていると、ガザ地区の虐殺では公平を装いながら、じつはイスラエルの味方だし、アメリカでも暗にトランプさん非難だ。
なにがなんでもバイデンさんに続投してほしいという気持ちがありあり。
バイデンさんか岸田クンか、どっちが先に辞めるかという瀬戸際になってんのにね。
わたしはアメリカで共和党が勝利し、日本では勇気ある政治家が首相になって、ゼレンスキーさんに引導を渡すことを望んでます、人類が道連れにされないうちに。

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好久不见了

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先日、とっくに死んだんじゃないかと思っていた中国人の知り合いから、ひさしぶりにメールが来たよ。
なんでもいまは日本へのビザが入手困難で、やむを得ずロシアのほうへ旅行してたらしい。
添付した写真は、中国黒龍江省とロシアの国境をむすぶアムール川の鉄橋だそうだ。
日本がケチな考えで日中間の交流を阻害しているあいだに、中露関係のほうはいよいよ順調のようである。
せっかくロシアに店舗を開設したのに、日本政府からすべての努力をフイにされ、おまけに中国に美味しいところをみんな持っていかれた、ユニクロの柳井社長に胸のうちを聞いてみたい。

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2024年1月20日 (土)

疲れる

ネットニュースに、『ロシア、10年内にNATO攻撃』という見出しがあった。
言い出しっぺはドイツの国防相だそうだ。
どうせまた、なんとかウクライナに話題をつなぎとめようというプロパガンダだろう。
ロシアはウクライナ戦争以前に、NATOの国ばかりか、ルーマニア、ハンガリー、バルト三国のような、かってのワルシャワ条約機構の国にも攻撃を仕掛けてないぞ。
独国防相の予測では、攻撃は“5年から8年後に可能になると見ている”ってことらしい。
なんだ、憶測か。
そのころ自分はさっさと退任して、年金生活に入ってるんじゃないか。
だいたいノルドストリーム(ガスパイプ)を爆破されたのに、爆破した犯人に協力して、ドイツを窮地に追い込んだのはどこの国だよ。

ああ、また今日もひとつ、アンチ・ロシアに反論した。
疲れる。

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兄さはもっと

冷たい雨がひとしきり。
でも寒くてもぼやくでない。
兄さはもっと寒いだぞ。
この“兄さ”という部分を、露ウクライナ両軍の兵士に置き換えれば、現在でも立派に通用する「モズが枯れ木で」の歌。
NHKは平和が早くもどってほしいと口先だけ。
なんとしても断末魔のウクライナに引導を渡すわけにはいかないと、今日も戦争の引き延ばし作戦。
国際報道の酒井美帆ちゃんは、正面から見るとあいかわらずきれいだけど、ちょっとカメラが斜めから捉えると、げっそり頬がこけたよ。
罪の意識にさいなまされているのでなけりゃいいが。

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2024年1月19日 (金)

中国の旅/内山書店

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翌日も“感冒”は治っていなかったけど、わたしはまだ上海で見ておきたかったところがあるので、鼻水がぐじゅぐじゅのまま瑞金賓館から外出した。
まず向かったのは魯迅公園である。
この公園はかっての日本租界から近く、新亜大酒店からなら徒歩でも行けない距離ではなかったけど、瑞金賓館は市内南西部にあってだいぶ遠くなるのでまたタクシーだ。

公園のすこし手前で車を下りると、公園の入口で風船を売っている男が警察官に取り締まられていた。
男は自分で風船をふみつぶして、これで文句はないだろうと開き直っていたけど、警察官はカンベンしそうになかった。
風船ぐらいと思うけど、許可なしに物品の販売を許せば、街中が風船売りばかりになり、これがわらしべ長者のようにステップアップして、やがて格差社会の萌芽につながると考えたのなら、中国警察もなかなか見どころがある。

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公園は有料だった。
しかし市民に対しては入場料を割り引いた1カ月通しのパスもあるとか。
ここは市民のいい行楽地になっていて、たくさんの家族連れや年寄りが黄葉の木の下をのんびりと散策していた。
池もあってボートに順番待ちの列ができていた。
この公園は日本租界時代には日本庭園だったそうだけど、池にかかった橋は中国式の眼鏡橋だった。

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公園の奥まった場所にある魯迅の像にお参りしてみた。
この像はNHKの「中国語会話」の舞台になったこともあって、椅子に座った魯迅が前方を見つめている。
魯迅は日本でもよく知られた中国の作家で、「阿Q正伝」や「孔乙己」「藤野先生」「故郷」などの小説がある(わたしが読んだもの優先)。
彼は医師になるために日本留学をしたけど、先輩の孫文と同じように、中国人と日本人の表と裏の顔を見て、じょじょに反体制的な思想家に転向していく。

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魯迅の像の前では大勢の人々がラジオの音楽にあわせてダンスに興じていた。
魯迅先生、あなたの理想が実現されたわけではないんでしょうけど、人民は幸せなようですよと、わたしはそうつぶやいてしまった。

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魯迅記念館ものぞいてみた。
日本でもどこかで見たことのある魯迅の写真が大半で、めずらしいものや驚くようなものはなかった。
見学者は多くなかったけど、それでも中学生らしい男の子、女の子、またサラリーマンらしい男性などがちらほら展示物に見入っていた。
魯迅の日本留学時代の記事には、彼が日本人の藤野先生に薫陶をうけたと書いてあり、日中戦争の記事では日本のことが鬼か悪魔のように書いてある。
純真な見学者はどちらが真の日本人かととまどうのではないか。
見学者たちが日本人のわたしになにか反応を示すかと思ったけれど、とくになにもなかったから、わたしが日本人とは気がつかなかったのかもしれない。

出口近くには土産もの売場があった。
ここの売り子たちはさすがに嗅覚がするどく、たちまちわたしを日本人と看破した。
大きな硯を示してこれは端渓です、お買いなさいという。
わたしは下宿屋のおやじから、同じ品物を売りつけられた漱石の「坊ちゃん」を思い出した。
しかしわたしも坊ちゃん同様、端渓の真贋を鑑定できる目を持ってないし、いまどき硯でものを書く日本人なんかいるわけがない。
お茶でも飲んでいけという親切な売り子もいたけど、わたしには早々に退散した。

わたしは日本租界だったころの虹口地区の地図を持っていた。
それを参考にしながら、帰りにぶらぶらと内山書店跡まで歩いてみた。
途中の団地の中に魯迅の住んでいた家があるというので勝手に庭まで入ってみたけど、表示もなにもあるわけではなかったので、どれがその家かわからなかった。
かなり古そうな団地だったけど、日本租界時代からある建物かどうかもわからない。

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内山書店跡には、“魯迅と交遊のあった日本人の内山完造氏の書店跡”と書かれたパネルが、中国工商銀行の壁に貼りつけられていた。
魯迅が死んだとき、8人の葬儀委員のなかに、ゆいいつの日本人として内山完造の名前もあった。
宋慶齢、蔡元培、アグネス・スメドレーらに混じって、ただの書店主にすぎない内山を同列に置くとはと、同盟通信社の松本重治も感心している。
中国人が井戸を掘った人を忘れないというのは事実かも知れない。
しかし工商銀行は租界のころにはなかった建物であり、そんなものに興味のある中国人はいないようだった。
となると、魯迅と内山完造の交友は想像するしかない。
しかし想像や妄想くらい得意なものはないというのがわたしである。

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ある日、上海の内山書店の店頭に、ゆったりとした動きの知的な顔をした中国人がふらりと姿を見せる。
魯迅は日本に留学していたこともあるくらいだから、日中の文学に造詣が深く、このときも日本の書籍を求めに来たのである。
完造は当時知られていた作家の周樹人(魯迅)のうわさを聞いていたから、あなたが魯迅先生ですかと話しかけた。
このあたりの文章は、本屋の主人と客の当たりさわりのない出会いだけど、その後の彼らの交友を知る者には、なかなか味わいのあるエピソードである。

やがて内山書店は中国の進歩的文化人が集まるサロンと化した。
当時の上海には青幇、紅幫、藍衣社、CC団といった、政治結社なのかギャングなのかわからない組織があって、彼らは闇の部分で蒋介石政府を支持し、反対する者を取り締まっていた。
取り締まりは乱暴なもので、共産党員などはまとめて裁判もなしに銃殺されることもあった。
魯迅も反体制の著名人とみなされて、そういう連中に狙われることが多かった。
国際社会では中国を代表する政治家と思われていた蒋介石の、裏の顔がこれである。

ギャング団に狙われた魯迅は、日本租界にあった内山書店に何度もかくまわれている。
魯迅と内山完造の交友を通して、この時代にも中国人をまったく平等に、人間として扱った日本人も多かったことを知るのは感動的でさえある。

魯迅の「藤野先生」のなかにこんな文章があった。
『中国は弱国である。したがって中国人は低脳児である。彼らが60点以上とったら自分の力ではない』
魯迅が東北大学に留学していたとき、たまたまテストでいい成績をとったら、それをカンニングでもしたんだろうと疑って、こういう噂をひろめた日本人の学生がいたというのである。
いまでも同じように相手を見下す人間はいないだろうか。
現在(2024)の、中国の欠点ばかり拾い出して嬉しがってる日本人を見ていると、民族レイシストじゃないかと思ってしまう。

日本が優秀だったのは、国家が教育に熱心だったからで、中国はそうではなかった。
しかし現在の中国は日本を徹底的に研究して、国家を富強たらしめるには国民の教育にしかずと、あげて国民の教育水準を高めることに腐心した。
逆に日本のほうが、公共放送までデタラメを振りまく国になってしまった。
これでは勝てるわけがない。
現在のせせこましいナショナリズムに毒された日本人を見るたび、日本人を信じて失望した魯迅のことを思い出す。
紹興酒を飲むたび思い出す(浙江省紹興市は魯迅の故郷)。

内山完造は戦後の1959年に亡くなったけれど、その後の内山書店はどうなったのか。
中国やアジアの書籍専門店として、まだ神田の神保町にあるはずだけど、わたしが行ってみたのはもう20年以上もまえのことだし、最近の若者はぜんぜん本を読まないみたいだから、気になっていちおう調べてみた。
ネットで検索したらヒットしたから、まだあるらしい。
現在の恐るべき中国との対立政策の下で、こういう日中の和解に努めてきた本屋が、いつまでも残っていてほしいと思うのはわたしだけか(2021年になって天津に新しい内山書店ができたという情報もある)。

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中国は大変革の途中だったから、このとき(`95)の上海への旅で新しく知ったことは多い。
上海人民政府の建物は外灘(わいたん)から人民公園のまん前に移っていたし、公園をはさんでそのビルと向かい側に奇妙な建物ができていた。
いったいナンダと近づいてみたら、これは新しい上海博物館だった。
中国の歴史や美術に関心のある人には見逃せない施設だったけど、わたしが行ってみたときはまだ建物が完成ま近というだけで入場は出来なかった。
つぎの機会に詳しく紹介しよう。

ある日東方明珠に行こうとタクシーをつかまえた。
車で市内から東方明珠へ行くには浦東大橋が楊浦大橋へ大まわりをするか、フェリー乗り場しかないけど、タクシーは逆の方向に行く。
どこへ行くんだとわめくと、人民公園の近くから、黄浦江の下をくぐる自動車専用トンネルができていた。

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瑞金賓館の近所を探索して、このへんには日本食レストランが多いことがわかった。
以前上海で知り合った会長さんに教えられた「伊藤屋」もあるし、まだオープンして間もない「大和」や「京都」というレストランに、回転寿司や立ち食いソバ屋まであった。
ある晩、買い物の帰りに「伊藤屋」へ寄ってみた。
わたしがテーブルに座ると、さっそく店員の娘たちが寄ってきて、わたしの買物袋をみて、なにを買ってきたのと日本語で訊く。
これはめずらしいお茶でしてねと説明すると、彼女たちのほうが、いくらするの、アラ、10個入っているのネ、すると1個が◯元かなどという。
店員はみな日本風のかすりの作務衣なので、わたしはそのうちのひとりに日本人ですかと訊いてみた。
彼女は、ええ、そうよ、ニホン人と片言の日本語で答えた。

このとき伊藤屋でわたしが食べたものは・・・・マグロの刺身、カキフライ定食、アサヒ缶ビールなどで合計225元(3千円弱)。
ほかのメニューをながめると、焼き肉定食が48元、烏賊の山椒味定食57元などで、昼の定食はだいたい40~60元ぐらいだった。
異国であることを考慮すれば、けっして高くないので、客は日本人が多かった。
中国に行って日本料理の品定めというのもおかしいけど、わたしにとってひさしぶりの本格的な和食だったから、とっても美味かったといっておく。

西安紀行はこのくらいにしておこう。
すぐにつぎの中国の旅が始まるので、乞う、ご期待。

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だまされません

ネットに「中国とフィリピン、対話の重要性確認」というニュース。
またNHKをがっかりさせる報道だ。
この前日、フィリピンのマルコス大統領が当選したばかりの台湾の頼総統に祝電を送って、中国が抗議したという報道があり、BRICSの国と途上国の仲違いは大歓迎のNHKが、大喜びで報道したばかりだけど、仲違いというほどのものじゃなかったわけだ。
ようするにフィリピンも、いま世界的に大流行の、どっちにもいい顔をして、両陣営から得られるものは得るという手を使ったに過ぎない。
一夜明けたら今度は中国に調子を合わせる。
政治家としてはかしこい戦略だ。

わたしもウクライナ戦争が始まったとき、旗幟を鮮明にしないで、あいまいな態度をとっておくべきだと提言したことがある(もちろんわたしの声はどこにも届かなかったけど)。
そういう点ではまえの首相の安倍くんはうまかった。
メルケルさんの主導で、欧州が難民を引き受けることにしたとき、安倍くんは、日本には日本の事情がありますもんで、ええ、もにょもにょとごまかしてしまった。
そんな風見鶏みたいなことをしてたら、どこにも相手にされなくなるという人がいるかも知れないけど、いまの世界に日本を無視できる国があるか。
現役だったころのトランプさんだって、西側同盟国のなかで、安倍くんだけが頼りだった。
日本はもっと是々非々で、つまり場合によっては、それはダメでしょうとはっきりいっても構わなかったのだ。

安倍くんが生きていたら、彼はプーチンとも親しかったから、少なくともやみくもにウクライナ難民を引き取りましょうなんてことはいわなかったに違いない。
そうしておいて、西側に支援疲れが出たころ、もういいかげんにしましょうやと、和平の仲裁役でも勤めていただろう。
これは露、ウクライナ両国の信頼があればこそで、アメリカべったりの岸田クンは、その機会を永遠に逃した。
あ、ダメだよ、岸田クン、いまからそうしようたって。
あんたはさっさと別の政治家に地位をゆずるべきだね。
派閥を解消するなんていってるけど、派閥というのは作るべくして作ったわけじゃなく、自然発生的にできたもんでしょ。
国民はもうだまされません。

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今朝の産経

朝起きたら、「中国で北朝鮮の労働者がスト」だって。
なんのこっちゃとニュースを眺めたら、コロナ禍などで賃金不払いが起きてるんだそうだ。
産経がソースだから、またいかに中国が不景気かを強調する記事だろうけど、これも中国がアメリカや日本と変わらない資本主義国になっていることの証明じゃないか。
いくらお友達国家同士だとしても、そんなものをいちいち国家が面倒みちゃいられない。
不動産会社や建設会社の自己責任ということで、まず企業に責任をとらせるはずだ。
そういえばロシアでは、プーチンが就任したばかりのころ、無責任体質が抜けきれてない経営者たちを、大統領がじきじきに怒鳴りつけたということもあったよ。
中国、ロシアがいまだに冷戦時代の専制国家と信じている人たちも、こういうことをようく考えてほしい。

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2024年1月18日 (木)

昨日のNHK

このままいくと中国はアメリカをしのぐ世界一の大国になる。
というと、そんなことはないという人がいる。
最近の中国の景気を見てみろ、不動産が暴落して青息吐息、発展もストップじゃないかと。
中国の不景気を強調したいNHKは、工事がストップした南昌駅まえマンションの、累々たる工事現場のしかばね映像なんかを観せていた。
ただどことなく元気がないのは、それか負け犬の遠吠えで、なんとかそうあってほしいという願望にすぎないことを知っているからだろう。

NHKによると、中国の去年の経済成長率は5.2%で、前年比ではいくらか減ったというんだけど、それでもとにかくこれはプラスなのである。
しかもコロナの影響もあったと、これはNHK自身が説明していた。
冷静に考えてみれば、景気の浮き沈みは資本主義国ならどこでもあり得る。
不動産というのは儲けが大きいので、ディベロッパーや投機筋が群がりやすく、しらばっくれちゃ困るけど、アメリカだってリーマンショック(2008)があり、これも不動産投機に金の亡者たちが群がった結果だった。

もちろん金儲けの好きな中国人もマンション建設などに群がった。
ところが不動産というのは、景気が落ち込んだ場合、損も大きいのでよく目立つ。
それにNHKが飛びついて、必要以上に騒ぐ。
これは裏を返せば中国が西側と同じ資本主義の下で動いていることの証明じゃないのか。
だいたいリーマンショックと、いまの中国の不景気はどっちが大きいのだろう。
わたしは経済音痴だから詳しいことは知らないけど、他国に影響を与えたという点では、リーマンのほうがずっと大きいんじゃないか。
かりに中国政府が不景気を、現在ていどで抑え込めれば、不景気不景気と大騒ぎするようなものかしらね。
中国やロシアの欠点探しに精を出すNHKの姿勢はぜんぜん変わらないな。

昨日の国際報道では、中国は人口が減ってきたというニュースや、胡錦濤もと主席の息子が政府で重用されたというニュースもあった。
人口減も政治家の世襲も、日本はとっくに経験ずみだ。
自分のことは棚に上げて相手を口撃したって、中国の怒涛の発展は止まりそうもない。
戦争以外の明確な将来戦略を持ってる政治家っていないのか。

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2024年1月17日 (水)

スラブ人

あいかわらずSNSを見ると、ロシア兵が◯◯万人死んだとか、戦車が◯◯両破壊された、◯◯が攻略されたなんて報道ばっかりだな。
まるでウクライナが攻勢をかけているか、そうでなくても互角に戦っているみたいだ。
ロシアがいちいち反論しないからだけど、いまどきこんなものを信じる人がいるのかね。
西側の支援はとどこおるし、ゼレンスキーさんは弾がない、兵隊が足りない、金がない、年金が払えないと絶叫しっぱなしじゃないか。
いいや、ウクライナ人はスラブ民族で、彼らは逆境に耐えることを知ってる民族だ、まえの大戦を見よ、そう簡単にはネを上げないよ。

うーん。
でも考えてみたら相手のロシア人もスラブ人だよね。
両方とも逆境に耐える民族じゃいつになっても終わるはずがないか。
いいかげんにしろよ、まわりで戦争をあおっている(大和民族を含む)その他の民族は。

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2024年1月16日 (火)

プレミアムシアター

台湾の選挙でわたしの用意していた祝電がボツになっちゃたけど、負け惜しみではなく、世界はわたしが想像していたほどには騒がなかったねえ。
騒いでいたのは日本のNHKだけじゃないか。
勝った勝ったといっても、アメリカのバイデンさんのように、立法院の主導権は対抗勢力ににぎられて、いわゆる“ねじれ”っていう状態になっているのだ。
台湾国民は絶妙のバランス感覚を発揮したようだし、これでは新しい総統も対決姿勢ばっかりというわけにはいかない。
つまり現状維持がだらだらと続くだけで、1週間もすればもうだれも台湾選挙に関心を持たなくなるだろう。

怒りを静めるために午後からのプレミアムシアターでも観ようと思ったら、シアターがなくなっていたよ。
4Kのほうに行っちゃたらしく、当の時間帯にやっていたのは大相撲だった。
それも下位のふんどしかつぎの土俵の実況だ。
そんなものを見たがる年寄りがなんぼいるんかね。
NHKは頭の足りない若いもんの専用チャンネルになって、知識と経験を積んだ年寄りは完全に忘れられてるな。
世間のじいさんに4Kテレビを買ってまでNHKを観るって人、どのくらいいるん?

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2024年1月15日 (月)

中国の旅/瑞金賓館

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わたしはふたたび、というか、また上海にもどってきた。
わたしの旅はすべて上海を起点にしているので、何回もどってきたのかわからないくらいなのだ。
もう上海はゲップが出るという人がいるかも知れないけど、このときの旅ではまたいくつか特筆しておきたいことがあったので、それだけは書いておく。

西安に行くまけにホテルでシャツを洗濯に出してあったから、駅からタクシーでまっすぐ新亜大酒店に向かった。
新亜大酒店では顔なじみのフロント係に、西安に行ってきましたというと驚いたような顔をしていた。

シャワーを浴びたり洗濯をしたりして、半端な時間だったけど、この日の夕食は例によってとなりの「海島漁村」である。
わたしを日本から来たスケコマシかなんかと思っている愛想のわるいママさんは、店内で仲間たちとマージャンの最中だった。
わたしはすみっこのテーブルで紹興酒(花彫酒)と、イカやナマコのあんかけ料理、ホウレンソウのような野菜の炒めもの、そしてたまにはめずらしいものをということで、魚(マナガツオ)料理を注文してみた。
マナガツオがえらく生臭かったのは、どうも炒めかたが足りなかったようだ。
めったに要望のない料理を注文すると、中国のコックの腕はあまりあてにならないのである。
あとで正露丸を飲んでおくことにして、これ全部で124元。

翌日からはまた特にあてもなく市内をうろうろする。
あてもないのではつまらないから、列車のなかで知り合った張クンに教わった「八宝茶」を探してみることにした。
ふだんのわたしは海外旅行でもあまり土産なんか買わない主義だけど、この旅のまえに病気で入院をして、そのとき世話になった知り合いになにか買っていかないわけにはいかない事情があったのだ。
ついでに肉桂も探してみることにした。
これは会社の同僚たちへのわるい冗談で、木の皮にしか見えないものを土産にしたら、連中がどんな顔をするかと思ったのである。

お茶だから茶屋に行けばあるだろうと思ったら意外とそうではなかった。
ぶらぶらと南京路まで歩いて、そのへんのお茶の専門店に飛び込んでみたけど、八宝茶を置いてある店はなかった。
ある店で、ひょっとしたらあの店ならあるかもといって、別の店を教えてくれた。
場所は西蔵路と金陵路の交差点あたりということだけど、歩いて行くには遠い場所だったから三輪タクシーをつかまえた。

いわれた交差点近くの大きな茶屋にとびこんで、八宝茶はアリマスカと尋ねると、おばさんの店員が、没有(ありません)、いや、待ってよ、あれがそうかなという。
彼女が壁ぎわの棚から下ろしてくれたのは、「三色台」という茶で、パッケージに描かれている絵をみると、たしかに八宝茶と同じようにいく種類もの植物の実が入っているようだった。
ほかにアラビア文字のようなものも書かれていたから、これも西域の特産品なのかも知れない。

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ところで西安では山のように積み上げてあった肉桂の皮が、上海にはほとんど見当たらなかった。
これもやはり西域の特産なのかなと思う。
市場の乾物屋、八百屋、魚屋の露店までのぞいてみたけど、たまたま見つけたそれらしい木の皮は、噛んでみてもあまりニッキの味がしなかった。
西安で噛んだものは強烈な味がしたものだ。
肉桂の本場はやはり西域で、こちらまで運んでくると、途中で味が抜けてしまうのだろうか。

ある乾物屋で尋ねると、これがそうだといって粉末になった「桂皮粉」というものを出してくれた。
なるほど、これも確かにニッキの味がした。
しかしお土産にするなら本物の木の皮のほうがおもしろい。
べつの店では「桂華糖」という妙な袋入りの調味料を出してくれた。
文字だけみるとなんとなく肉桂に関係がありそうな気もするけど、帰国してから中身をあためてみたら、なにかの植物とザラメをまぜたものらしかった。
ニッキの味かしなかったので、わたしはこれをシュガーのかわりにコーヒーに入れて飲んでしまった。
「桂皮粉」も「桂華糖」も、日本でいえばハイミーの小袋くらいの大きさだから、こういう調味料をかたっぱしから集めて研究したらおもしろいかもしれない。
中国三千年の調味料なんてものが見つかるかもしれない。

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こんなふうに三輪タクシーで街をうろうろしているとき、ある場所で「瑞金賓館」というホテルに出会った。
このホテルは租界時代のものであるだけではなく、もともと個人の邸宅だったというので、いつか泊まってみたいと目星をつけておいたものである。
一見したところ、これまで見てきた新旧の高層ビルではなく、建物はれんが造りの2階建てで、生け垣にかこまれた広い芝生の庭があり、ヨーロッパあたりの大富豪の邸宅のようである。
宿泊費が安いならぜひ泊まってみたいホテルだった。
わたしはいっちょう宿泊料金を訊いてやれと思って、ずかずかとフロントに出向き、1泊イクラと訊ねてみた。
フロントには気位の高そうな娘たちがいて、1泊で7、8千円くらいのことをいう。
部屋は空いているというので、わたしは明日出直すことにした。

この夜、新亜大酒店で寝るのにエアコンをかけっぱなしにしていたら、朝になるとかなりひどい風邪をひいていた。
喉がカラカラ、頭がくらくらするので、この日の最初のお出かけが薬屋を探すことになってしまった。
しかし風邪は中国語で“感冒”だから、あまりややこしいやり取りはしないですむ。
強力なドリンク剤とか、漢方薬でもあればいいと思ったのに、薬屋の小姐が出してくれたのは西洋の薬で、12,5元。
一発で風邪のウイルスを撃滅してくれる中国四千年の秘薬でもないかと思ったのに残念。

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薬を飲んだあと、荷物をまとめて、鼻水だらだらのまま瑞金賓館へタクシーをとばす。
瑞金賓館はひときわ長い灰色の塀にかこまれているからすぐわかった。
しかし入口がわかりにくく、門前でわたしが、あっ、ここだというと、運転手が急ブレーキを踏んだので、わたしはおもわず首をすくめた。
後続の車も急ブレーキを踏んだのがわかったから。

運転手を待たせておいて、瑞金賓館で部屋の有無を尋ねると、フロントには例によって気位の高そうな娘たちがいて、何日泊まるのかと訊く。
何日泊まるかは値段によりけりだから、逆にこっちから料金はいくらなんだとやりとりがある。
どうも最高の部屋をあてがおうとしているらしいから、ひとりだから安い部屋でいいというと、安い部屋はああだこうだと揉める。
ちょうどフロントの近くにいた日本人の若者が、みかねて助け船を出してくれ、彼に通訳をしてもらって、350元くらいのシングル・ルームを3泊分予約することができた。

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渡されたカギは1208号室。
荷物を運んでくれたボーイに案内されて、フロントまえの階段をのぼり、2階のおそろしく豪華な部屋のまえを横切り、廊下を右折したすぐ右側の小さな部屋に通される。
建物のわりに小さすぎる部屋だから、かっての召使の部屋だったのかも知れない。
ベッドこそシングルひとつであるものの、それでもバストイレ、テレビもちゃんとついていた。
部屋の明かりが点かないので尋ねると、夕方5時まで電源が切ってあるとか。
しかし宿泊客がいる場合はそのかぎりでないようで、翌日からは昼間もちゃんと点いた。

1208号室のすぐ対面がイタリアかどこかの領事館執務室になっていた。
あまり人が出入りするところを見なかったけど、たまたまドアが開いているとき、室内にその国の特産らしいガラス食器がならべられているのが見えた。
世界最大の購買者にガラス製品を売り込もうというセールスマンが泊まっているのかも知れない。

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ここまでざっとながめてみると、瑞金賓館の内部はほとんど個人住宅のままで、部屋数がずいぶん少ないことに気がつく。
最近の近代的ホテルは、合理性を追求するあまり部屋をこまかく仕切って、同じような間取りの部屋ばかり増やし、檻に押し込められているようなあしらいを感じさせるところが多いけど、瑞金賓館はそうではない。
わたしはフロントまわりの豪華さに感嘆して、それをわざわざ写真に撮っておいた。
暖炉やシャンデリアのある1階フロアといい、天然石をつかっているらしい柱や足もとのタイルといい、外国映画で見る大富豪の邸宅そのものである。
わたしはためいきをついて、こういうホテルを見つけたことを幸運だと思った。

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帰国してからパソコン通信(ニフティサーブのフォーラム)で、上海についていろんな人と話し合ってみたら、ある事情通によると、瑞金賓館はもとは蒋介石の別荘だったそうである。

現在のこのホテルはどうなっているのか、検索するとインターコンチネンタルの傘下に入って、まだそのまま残ってるようだった。
こういう格式のあるホテルは大手のホテル・チェーンが見逃さない。

中国のホテルには、たいてい各階の見通しのいいコーナーに、服務員のつめる服務台があるんだけど、瑞金賓館にはそれがなかった。
わたしは廊下をつたってカギの手にまがった建物のはしまで行ってみた。
そちらの階段は封鎖されていて出入り不能になっていたから、ホテルの客はすべてフロント前の階段を利用して出入りするわけだ。
たいして大きなホテルでもないし、これなら各階に見張りがいなくても防犯にあまり影響はないだろう。

服務台がなくても、服務員はそのへんをうろうろしているから、ランドリーやこまかい注文に問題はなかった。
フロントのお嬢さんたちは生意気だが、服務員たちは概してサービスがいい。
風邪をひいちまってねとぼやくと、ボーイはエアコンのスイッチを示して、これをまわしっぱなしにしないようにと注意をしてくれた。

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荷物を置いてさっそくホテルの庭を歩いてみた。
庭は、こういうのをフランス式庭園というのだろうか、広い芝生のふちをたどっていくとクスノキが葉を茂らせており、上海市の保護樹木とかいう札がかかっていた。
クスノキは何本もあるものの、おどろくほどの大木でもなければ、古木でもない。
それでもこの庭と、それをとりまく環境は上海市内では貴重であり、ここだけは小鳥たちも安心して飛んでいた。

この生け垣にかこまれた芝生の庭に、白いテーブルやブランコなどがおかれていて、女性向け映画の舞台のようである。
あまりにロマンチックな外観なので、このホテルは結婚式の記念ビデオを撮影するのに絶好のロケ地であるらしく、毎日のようにウェデイング・ドレスの撮影が行われていた。

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撮影のようすを近くでながめていたら、カメラマンがわたしのニコン35Tiを見て、いいカメラですねとうなづいた。
さすがである。

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2024年1月14日 (日)

中国の旅/帰路の列車

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2号室には南京まで行くという中国人の同室者が3人いた。
みな同じ職場のビジネスマンらしく、さいわい気のいい、愉快な人たちだった。
しかしネクタイをしめたビジネスマンでは、わたしにとってあまり話の合いそうにない相手である。
ドコドコへナニナニを仕入れに行くとかいっていたけど、日本からコレコレを5億円ばかり輸入したいなんて話になっても困るので、あまり積極的な会話はしなかった。
遅れて個室に入ったおかげで、わたしは景色の見えない通路側に座ることになってしまった。

個室はこのビジネスマン3人組にあけ渡し、わたしはもっぱら通路の窓ぎわにある折りたたみ椅子に座っていた。
そこで往路と同じ景色を、今度は反対向きにながめる。

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13時ごろ食堂車で昼食をとった。
メニューをみて、西域に行ってきたばかりのつもりで羊肉を頼んだら、賽の目に切ったコーンビーフみたいな肉が出てきた。
これは羊肉ですかと訊くと、ウェイトレスのおばさんがノートに「牛肉」と書いた。
なんだっていいやと、無理に肉が食いたいわけでもないし、わたしはインド人でないから、文句もいわずにそれを食べることにした。
ほかにセロリの炒めものと瓶ビールで48元。

ビールは栓が抜いてなく、グラスもついていなかった。
栓抜きがなければビールは飲めない。
わたしが途方にくれ厨房をうかがっていると、目の前にハンサムな若者が座って、彼もビールを頼んだ。
どうするかと見ていたら、彼は運ばれてきたビール瓶にいきなりがぶりとかじりついた。
彼は人間栓抜きだったのだ。
ビールの栓を吐き出すと、彼はそれをラッパ飲みし始めた。
わたしはハンサムな男というものは口でビールを開けないと思っていたので意表をつかれた。
わたしも真似しようかと思ったけど、歯のほうがへし折れても困るから、おとなしくウエイトレスに栓抜きを借りた。

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また通路に座って景色を眺めていると、黄色い制服をだらしなく着こなした男の車掌が通りかかって、沿線の景色についていろいろ説明してくれた。
制服の色の違いがなにを意味しているのかわからないけど、濃紺の制服の女性車掌たちはみなどことなく威厳があり、誇りをもって仕事をしている様子なのに対して、こちらはなんとなく卑屈っぽく、仕事にウンザリしてるような態度である。

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華山のあたりでこの車掌にいろいろ聞いてみた。
華山には車でも登れるそうで、山頂に宿もあるという。
しかし片言の会話であるから、どこまで間違いなく聴きとれたかわからない。
いつか機会があったら、近くの街に泊まって華山に登ってみたいと思うけど、はたしてこの近くの街は解放都市なのだろうか。
帰国してから「地球の歩き方」で調べてみた。
華山のあたりの街というと「華陰市」で、これは問題なく解放都市である。
おそらくこの街に泊まれば、タクシーの運転手たちは華山に案内しようとウルサイにちがいない。

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華陰市をすぎるとで華陽市で、黄河はこのあたりで、ま北からやってきて直角に東に向きを変え、線路と平行に流れることになる。
しかし列車から黄河をじかに見ることはできない。
それにしても中国の大河はややこしい流れをするなあと思う。
ばくぜんと考えれば、黄河も長江も中国大陸を西から東に流れている。
わたしは上海から南京を経由して西安にやってきたんだけど、そのスタート地点にあったのは黄河ではなく長江だった。
西安は上海から見てほぼま西にあるから、ここに黄河ではなく長江が流れていなければおかしいのではないか。
いったい黄河はどこからあらわれたのか。

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原因は地図を見ればわかる。
黄河は西安の近くでは、オルドスという地方を囲むように、いったん北へ向かい、東に向かい、さらにま南に落下するという大迂回をしているのだ。
みんなすなおに流れない黄河がいけないらしい。
このオルドスにはジンギスカンの墓があっで、歴史的にもいろいろ逸話のある土地らしいけど、列車から見えるわけではなく、とりあえず今回の旅ではわたしの興味の対象外だった。
すなおに流れない黄河は、このあたりで線路に近づき、やがてまたどこかへ姿を消して、長江と位置を交代するのである。

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華陽市をすぎるとまもなく三門峡である。
三門峡はかって関谷函とよばれ、滝連太郎の「箱根の山」の歌にもうたわれている難所、のはずだけど、あたりの地形はそれほど険しい難所とも思えなかった。

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三門峡をすぎると、紙価を高めることで知られた古都の洛陽になる。
この街にも興味があったけど、列車から見たかぎりでは小さな工業都市のようで、道路に石炭ガラがまいてあるようなススぼけた街に見えた。
駅と隣接して大きなホテルのような建物があり、線路ぎわの通りを弁当箱のような軽バンのタクシーが走っている。
この列車に乗ったとき、わたしを失望させた8号室の若い娘たちはここで下りてしまった。

洛陽のあたりで見た農家の庭には、馬、牛、ブタ、ヤギ、ニワトリなどが飼われていた。
中国のブタはまっ黒で、お腹がだらりと垂れている。
それが5、6匹の子をひきつれて農家の庭にかけこむのを見て、わたしは幼児向けの動物園みたいだなあと思った。
動物たちもあれだけいろんな仲間がいれば寂しくないだろう。

19時ごろ、列車が駅で停車中に、夕食も食堂車で昼と似たようなものを食って45元。
1日2回も食堂車を使う中国人はめったにおらず、列車内には米国人らしい金髪の娘がうろうろしていたけれど、彼女も食堂車など使わなかった。

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食堂車にいるとき、痩せて背の高い軍人がわたしのまえに座り、新聞紙を広げて怒気を含んだ言い方でなにかいう。
内容は忘れたけど、当時も現在(2024年)と似たような状況があって、アメリカと中国が対立しており、日本は一も二もなくアメリカの支持にまわった。
どういうことなんだと彼はわたしにつめ寄る。
つめ寄られたって一介の旅人のわたしにどうしようもない。
彼もすぐにいい過ぎに気がついたらしく、自分は1983年に日本に行ったことがある、日本はいいところだったとほめ始めた。
話をしてみたら、彼は「王民」さんといって、学生時代は拝球、つまりバレーボールの選手だったそうだ。
西安高校の生徒だったとき親善試合のために神戸や金沢に行ったことがあるという。
そういわれると体全体が豹のように敏捷そうで、笑顔がいかにもスポーツマンらしい魅力的な男性だった。

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翌朝は南京に到着する少しまえに夜明けになった。
このへんまでもどってくると、さすがに河やクリーク、白壁の民家や水田が目立ってくる。
南京で同室のビジネスマン3人組は下車した。
わたしは彼らに「再見」といい、彼らもにこやかに挨拶して下りていった。

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やっとひとりになれたと思ったら、日本人に興味をもったらしい別の部屋の若者がやってきて、ずうずうしく居座った。
まだ学生のような若者で、わたしのどこに関心をもったのか、えらく人なつっこい。
彼と筆談を交えて会話しながら上海へ向かう。
この若者の名前は“張”クンといって山西省遠城市の人で、友人と仕事で杭州まで行くという。
三国志を知っていますかというから、ええと答えると、自分の故郷は三国志の英雄、関羽の故郷ですという。
ううむ、なるほどと返事をして、わたしはいちおう地図を参照した。
山西省遠城市は三門峡の近くだから、この若者はそこから乗り込んできたのだろう。

帰国してから関羽の故郷について調べてみたら、(三国志によれば)彼の故郷は河東・解梁県とあった。
ただしこの地名は現在は使われていない古い地名らしい。
関羽という人はひじょうに中国人に人気があって、各地にこれを祀る廟があるというから、張クンのいったのはこうした廟のひとつがあるということだったかもしれない。
こんど遊びにきて下さいといって、張クンは自宅の電話番号まで教えてくれた。

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会話の最中、彼はわたしに自分が飲んでいた妙なお茶を勧める。
「八宝茶」といって、はじめて見たけど、お茶の葉以外にいろんな木の実(大きなものは指のツメほどもある)が入っている。
飲んでみると甘い紅茶のようである。
これは枸杞(クコ)ですといって張新クンは、茶の底にしずんでいる小さな赤い実を指さした。
彼が紙に書いてくれたものは、ほかに「桂元」「板栗(松ボックリみたいなもの)」「葡萄干」「杏仁」「草梅」「冰糖」などである。
うっ血、美容、疲労回復に効果があるという。

帰国してから買った週刊朝日にこの茶の宣伝が載っていた。
それによると古代シルクロードの隊商たちが愛飲していた健康茶で、中国湖北省産の宜紅茶(イーコウチャ)を始めとして、ナツメ、羅漢果、枸杞子、山査子(サンザシ)などが入っているとある。
めずらしいものだけど、砂糖が入っていては、日本ではあまり売れそうもない。

上海近くで張クンは「康師傳」というカップラーメンまで食わせてくれた。
これは前回の無錫の旅でも食ったことのあるラーメンで、中国のインスタント麺の中では、わたしかいちばん美味いと思ったものである。
せっかくだから全部頂いたけど、こちらから上げるものが何もないので、駅でミカンを買ってすすめた。
張クンは虫歯が痛むから食えないという。
別の個室にいて、ときどき顔を出す彼の友人は大喜びで受け取ってくれた。
この友人の顔は日本でもよく見かける顔である。

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2024年1月13日 (土)

あーら

あーら、台湾で民進党が勝利確実だって。
せっかく書いておいた、親中候補への祝電がボツだよ。
こうなるとすぐに不正があったと騒ぐのが最近の世界の風潮だけど、台湾にかぎってそういうことはあるまい。
台湾人が選んだものにいちゃもんをつけても始まらない。
しかし、このあとはどうなるだろうというのが気にはなる。
前日のNHKのニュースによると、当選した頼清徳さんて、現在の蔡英文総統よりさらに強硬派といわれていたらしいから、調子に乗って独立するなんて言い出さなければいいけど。

現状維持なら中国もつぎの総統選挙を待てばいいだけだ。
心配なのはここんところやけっぱちで、イランやイエメンに本気の攻撃を仕掛けているアメリカの出方、それにやみくもに追従する日本の出方。
なにしろ時間がたてばたつほど、中国は発展し、台湾の投資家は中国の企業に投資し、台湾の学生は安心して中国の大学で勉学に励み、そのうち台湾人はやっぱりあっちと仲良くしたほうがいいかなと考えて、台湾有事の芽はどんどん減ってしまう。
いまが最後の、絶好の機会だってことで、アメリカが頼さんをあおって、ウクライナの二の舞を演じさせなければいいが。
台湾が戦場では、他国の戦争だなんて日本も呑気なことはいっていられなくなる。
最近わたしにも将来を案じてやらなければいけない親族が登場した。
彼女らのためにもなんとしても平和を守りたいんだけどね。

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まだしばらくは

いよいよ今日になった台湾の総統選挙、夜には大勢が判別するだろう。
昨夜のNHK国際ニュースでは酒井美帆ちゃんが真剣なまなざしで、中国は台湾の学生を優遇処置で取り込もうとしていると報じていた。
台湾の学生が中国の大学へ入学すると、いろいろと特典があるのだそうだ。

それはいいけど、台湾の学生が中国の大学を受験しようとすると、入試まえにアンケートがあって、思想調査をされるんだとか。
ニュースの映像には、アンケート用紙も映っていたけど、そんなものはわたしにだって作れるし、顔をさらすのは危険ということで、告発者本人の顔はふせたままだった。
これでは事実かどうか確認のしようがないけど、どうも捏造映像のような気がする。
根拠は?
いま説明しよう。

たとえばあなたに、なにがなんでも結婚したい相手がいるとする。
そんな相手に、あなたのお父さんはお金持ちですかと聞けますか。
そんなことを聞けば、まるで親の財産目当てで結婚したがっていると思われてしまう。
中国が台湾の学生を優遇処置まで用意して受け入れようとするのは、台湾の学生をどんどん受け入れて、平和的に統一したいからであって、入試のまえにわざわざ思想調査なんかすれば、学生だって馬鹿じゃない。
なんかウラがあるんだろうと疑われて、かえって逆効果だ。
NHKがやったのか、アメリカの意を受けた台湾のどこかの政党がやったのかわからんけど、捏造ならアホなことをしたもんだ。

わたしは選挙の結果がどうなろうと、中国のほうから台湾の軍事侵攻などあり得ないという考え。
なにも今回の選挙が中台の将来を決定するわけじゃあるまいし、中国は香港の返還まで100年ちかくじっと待った実績があるのだ。
あわてることはない。
ゆっくり成長と繁栄を志ざしていれば、いつか台湾は熟した柿のように中国側に落ちるに決まってる。
なんで戦争なんかする必要があるんだ。

むしろアメリカや日本のほうに焦る理由がある。
いまの機会を逃して、中国がますます繁栄し、台湾がそれに指をくわえるようになったら、もう2度と台湾有事に持っていくのは不可能かも知れない。
選挙の結果はどうであれ、なにがなんでも台湾有事をでっち上げて、ここで中国をがつんと叩いておきたい、とそう考える人たちが世間には一定数いるんだよね。
だからわたしたちは、台湾の選挙後もしばらく監視の目を弛めるわけにはいかないよ。

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2024年1月12日 (金)

中国の旅/さらば長安

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人民大厦にはひと晩泊まっただけで、翌日には退房(チェックアウト)することになった。
退房の手続きにきた服務員の娘は、おや、おまえ、こんなところで何をしてるんだといいたくなるくらい、わたしの姪っ子のひとりに似ていた。
ああ、またどうでもいことを。

そういうわけでわたしの西安=唐の都・長安の旅も終わり。
しかしわたしは95年の最初のとき以降、3回(正確にはシルクロードの帰りにも寄っているから5回)も西安に行っているので、あとでまたこの街に触れることがあるかも知れない。

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わたしが最後に中国に行ったのは2011年だから、その後西安もだいぶ変わったんじゃないだろうか。
この項ではネットで見つけた最近の西安の写真を中心に集めてみた。
城壁は夜な夜な美しくライトアップされ、大雁塔のあたりも公園としてきれいに整備されて、古都の魅力を最大限に活用した観光都市になっているようだった。
しかし古都というのは改造するにも限度がある。
京都や奈良が古い景色をよく残していて、訪日外国人を喜ばせるのは、うっかり地上げ屋なんかが入って、街の景観を変えてしまったら元も子もないからである。
わたしが01年に行ったときは、鐘楼のわきの交差点のかどが、地表より一段低くなった巨大なショッピングモールになっていた。
地下にしたのは、これも外から見える地上部分に、あまり大きな景観の変化を与えたくないという中国政府の指導によるものかも知れない。

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長安を去るにあたって、わたしはこの街がもっとも栄えた唐の都だったころのことで、またひとくさりエラそうなたわごとをほざいてみようと、図書館でそのころの長安を描写した名著とされる「長安の春」という本を借りてきた。
石田幹之助という東洋史学者が書いた本だけど、また堅苦しいことで知られる東洋文庫なので、ざっと読み飛ばすにも時間がかかった。
たぶん内容は、玄宗皇帝と楊貴妃の恋あたりから、もっとも繁栄したころの長安に、漢詩や四季折々の風物、わたしのハンドルネームの由来になった詩人の李白や、相棒の杜甫をからませた歴史ドキュメントだろうと思っていたんだけど、ぜんぜんそんなことはなかった。
長安の繁栄について、当時流行のパフォーマンスや、そのころ伝わっていた伝承を解説することで、社会の側面から長安の栄華を語ろうとするものだった。
つまり吉原のしきたりや長屋の落語を解説することで、江戸を語ろうというようなものだ。
あまりおもしろくはなかったけど、吉原や落語の世界ほど雄弁に江戸を語るものはないのだから、行き方としては正しいかもしれない。
歴史の研究者、好事家、わたしと趣味の異なる人に興味深い本だろう。

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この本の冒頭に“胡旋舞”という、よそから、たぶん西域であろうとする場所から入ってきた踊りが出てきた。
しかしいくら詳しく書いてあっても、文章で書かれた踊りを立体的に理解するのは、わたしみたいに妄想の得意な人間にもむずかしい。
しかし現在はインターネットの時代なのだ。
著者の石田先生も胡旋舞のじっさいを見たことはなかったと思われるけど、ためしにネットでYouTubeを検索してみたら、この踊りの映像が見つかった。
映像はCCTV(中国中央電視台)のものだったから、本場の本物にちがいない。
ホント、便利な時代になったものである。

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わたしは新疆でウイグル族の踊りを見たことがある、だけではなく、その踊りの輪に引っ張りこまれそうになったことがある(この紀行記のもっとあとに出てきます)。
おそらく胡旋舞もそれに似たようなものだろうと思っていたら、手や首をくねくねと動かすところが、どっちかというとインドネシアのバリ島ダンスに近かった。
それでもこれは、唐の都長安が、世界のさまざまな文化を取り入れた国際都市であったことの証明なのだろう。

李白の詩などを読むと、長安には西域から出稼ぎにきた踊り子がたくさんいたそうである。
胡人や胡姫という単語がたくさん出てくるけど、この“胡”というのは、ペルシア(現在のイラン)やウズベキスタン、また現在の新疆ウイグル自治区など、中東から中国の西域にかけての一帯のことである。
西域から来た踊り子は中国人離れした美人が多く、彼女たちに惚れて、入れ込んで、道をあやまる非行少年があとを絶たなかった。
李白の「少年行」という七言絶句はそういう少年を謳ったもので
 五陵年少金市東  
 銀鞍白馬度春風  
 落花踏盡遊何處  
 笑入胡姫酒肆中
本来は「少年非行」というのがふさわしいんだけどネ(訳は各自で調べて)。
わたしはそういう踊り子のひとりと新疆に行く列車で知り合ったことがあるから、そんな出稼ぎの伝統はいまでも脈々と続いているいるようだ(これもあとで出てきます)。

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長安の繁栄ぶりを象徴するものはまだあって、本の後半に女性の意識革命のことが出てきた。
それ以前の中国の女性のファッションというと、わたしなんか、たとえば天の羽衣に出てくる天女や、法隆寺の百済観音のようなぞろりとしたスカート?姿を想像してしまう。
あまりおてんば向きではない。
ところが長安の時代には、北方の騎馬民族のファッションがもてはやされ、女性までズボンをはき、馬にまたがって狩りを楽しんだりしたそうだ。
これが男ならすでに漢の時代に、騎馬民族の匈奴に対抗するにはこっちも同じ服装でということで、とっくにそういう軍服が取り入れられていたけれど、それが長安では女性にまで波及していたのである。
玄宗皇帝は狩りを好んだというから、柳腰のはずの楊貴妃も、ひょっとすると女だてらに馬を乗りまわす巴御前みたいな女性だったかも知れない。
ヨーロッパでも女性がそれほど開放的になることは近世までなかったから、当時の長安がいかに才気はつらつとした進歩的な都市であったかわかろうというものだ。

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長安を謳った漢詩でわたしが知っていたのは、杜甫の「春望」だった。
でも残念なことに、この詩でうたわれた長安は戦乱に荒廃し、すでに国際都市のおもかげはなかった。
杜甫はひとりの人間の一生のうちに、李白らと遊んだ栄光の長安と、国破れて山河ありの衰退した長安を見たことになる。
彼が放浪の果てに59歳で湘江にただよう船のなかで客死したとき、彼の脳裏に酔いつぶれてなお詩を生産した天衣無縫の李白や、玄宗とともに都落ちのとちゅう非業の死をとげた楊貴妃の美貌などがちらつかなかっただろうか。

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そんな柄にもない妄想にどっぷりひたりながら、わたしは長安、いや、西安駅に着いた。
帰りの列車も往路と同じ軟臥車だった。
ただし今度は昼間から寝られるように上段ベッドにしておいた。
発車時間は9時40分だった。
携帯食としてパンとミネラルウォーターを買いこんだわたしが、列車に乗り込んだのは20分ぐらいまえ。
座席ナンバーが8だったので、わたしはコンパーメントの8号室に荷物を放り込んでホームをうろうろしていた。
発車時間が迫ったので個室にもどると、そこに若い女性が3人座っているではないか。

個室がいっぱいの場合、外国人を優先的に女性と同室にするという規則でもあるのだろうか。
それにしてもちょっと優遇されすぎだなと思い、女性たちとチケットを照合しあうと、ナンバー8は2号室のことだった。
個室は4人部屋だから、1番から4番までが1号車、5番から8番までは2号車ということだったのである。
あなたの部屋はあっちよといわれ、わたしは部屋を押し出されてしまった。ザンネン。

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大違い

見ているだけでほれぼれするいいオンナ、という中国の毛寧報道官が出てきて、アメリカは台湾の総統選挙に口をはさむなって。
もちろんアメリカがわかりましたって引っ込むわけがないけど、両者が口先だけで言い合うのはいつものことだから、そんなことにいちいち目くじら立てちゃいられない。
まえの報道官の華春瑩さんもいいオンナだったけど、わたしが感心するのは、中国の看板たる運命を背負わせられた彼女たちの美貌、ではない。
以前パンダのシャンシャンと、日本の杉山事務次官を取り違えて、テレくさそうな顔をしていた
春瑩さんを見ると、つまり、中国の報道官て自分の裁量で発言することが許されてんのねということ。
役人が書いてくれた原稿を、まちがえずに読むことが政治家の使命だと確信犯の上川おばさんに、爪の垢でも煎じて飲ませたいわサ。
たまには外務官僚の指図によらない自分の発言をしてもらいたいものだ。
それが戦車300両を、アタシの負担でウクライナに供与しますってものでも、たぶんわたしは彼女を見直すと思う。

アメリカはフーシ派を叩くということで、イエメンの拠点を攻撃。
フーシ派、フーシ派って大騒ぎをしているけど、現在のところ、彼らは船舶を拿捕しているくらいで、乗員には危害を加えてない。
それなのに航空機から巡航ミサイルまで繰り出して反撃するのはやりすぎじゃないか。
なんとかして因縁をつけてイランを土俵上に引っ張り出そうという腹のようだけど、どうやらBRICSには、アメリカの挑発に乗るなというお触れがまわっているようだ。
イスラエルでも紅海でも、アメリカのやることは強引すぎるというんで、どんどん支持を失ってゆく。
放っておけばそのうちジリ貧になるさと、なにも知らないのは米国とイスラエル、そして日本のNHKだけかも知れない。

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昨日のココログ

わっ、昨日のわたしのブログ、アクセスが45だって。
読めよといってある親戚や知り合いをのぞけば、見ている人がたったの15ってことじゃないか。
日本全国が相手のメジャーなココログで、そんなことがあり得るのか。
アクセスカウンターを励みにしている人もいるみたいだけど、わたしのアクセス数こそデタラメのあきらかな証拠じゃないか。
ジョーシキを知らないね。
せめて3桁の下のほうを維持してくれなきゃ、デタラメだデタラメだって、定期的に連呼しちゃうから。

デタラメをもうひとつ。
昨日のNHK国際報道。
キャスターの由井秀樹サンがまじめな顔をして、ロシアは北朝鮮のミサイルをウクライナに撃ち込んでいるという。
またミサイルの破片にハングルでも書いてあったのかと思ったら、ただ形がロシア製ではないようだから(たぶん)北のものだろうとのこと。
どうせ負けが込んできて、ヤケのヤンぱちのデタラメに決まっている。
ロシアは困難な時期にあった戦争の初期の段階でも、隣国のベラルーシからさえ兵士や武器の直接的な支援を受けてないぞ。
まわりをまきこまずに、ロシアだけでカタをつけるというプーチンの意思は硬いのだ。
だいたい自分とこはありったけの兵器をウクライナに供与しておきながら、ロシアが北のミサイルを使うのは国際法違反だってのはナンダ。

ウクライナでは徴兵忌避の若者が増えているという。
あったり〇〇コの毛。
現在の戦況では、死ぬ確率はウクライナのほうがずっと多いのだ。
にもかかわらずウクライナの民意は、ロシアに妥協すべきじゃないという答えが74パーセントだって。
太平洋戦争末期の日本といっしょで、ほんとうの民意はさっさと戦争をやめてほしいというのに決まってんでしょ。
戦争中はそんなことをいう人はいなかったけど、終戦になったとき、ほとんどの日本人はこれで安心して眠れるとほっとしたもんだけどね。

そういえば上川のおばさんは帰国したのか。
最近の国会議員の中には、政治家というのは国費で外国旅行できるものだと信じているのがいるみたいなんで、まだ北欧あたりの温泉にでも寄り道してんじゃないだろうな。
日本もいまは地震災害で他国の援助どころじゃありません。
いいかげんに和平の相談でもいたしませう。
なに、降伏したってロシアが親戚も多いウクライナの国民にひどいことをするわけはありません。
そりゃウクライナの大統領の命は保障できませんけど、それは身から出たサビってことで。
そのくらいのこと言えないか。
言えばわたしのおばさんの評価も劇的に逆転するのだが。

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2024年1月11日 (木)

昨日のNHKの続き

昨日のニュースの追加だけど、台湾でスマートフォンにアラームが鳴ったそうだ。
中国の打ち上げた人工衛星が台湾上空を通過したってことらしい。
NHKも難クセに事欠いて、血迷ったのか。
北朝鮮のミサイルもどきならわからんでもないけど、普通の人工衛星で騒いでどうするんだよ。
日本の上空だって、地上観測や気象観測などのおびただしい人工衛星が、四六時中飛びまわっている時代だぞ。
天気のいい日に外へ出て星空をながめてみろ。
二つか三つの人工衛星はかならず見ることができる。
それともなにか、それが新しい地上攻撃用の衛星だというたしかな情報でもあんのか。
以前に報道されていた米国上空の気球だって、大騒ぎしたあげく、海に撃墜して、その後なんの追加報道もない。
台湾人もとっくに心得ていて、アラームになんの反応もなかったそうだ。
ま、台湾軍の訓練の一環だったと思えばいいか。

わたしは総統選挙で親中派の候補が当選した場合、これでウクライナの悲劇は回避できましたねと、お祝いのブログ記事をとっくに用意してあるんだ。
それをムダにさせんといてや。

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2024年1月10日 (水)

昨日のNHK

昨日のNHK国際ニュースでバングラデシュの選挙が取り上げられていた。
今年は世界の多くの国で国のトップを決める選挙が行われる選挙イヤーだそうだ。
バングラデシュがその嚆矢というところだけど、ニュースを注視すると、わざわざ底辺の労働者の声などを取り上げて、なぜかNHKは選挙結果に不満そうである。
はてね、バングラデシュがなんかNHKに恨まれるようなことをしたっけか。
最近のこうした選挙では、負けたほうはかならず選挙に不正があったというのが当たり前になっているから、できるだけ先入観なしに観てみた。

バングラデシュというと、わたしの世代ではビートルズのジョージ・ハリソンが主催したバングラデシュ・コンサート('71)が有名だ。
当時のバングラデシュは、インドとパキスタンの宗教対立のあおりを受けて、国内にあふれた難民が飢餓に苦しめられていた。
コンサートもそうした悲惨な難民を救済するためのものだったから、原因や結末は省くとしても、この国がいちじはアジアの最貧国といわれるほど貧しい国だったことは間違いがない。

ところがここ10年のバングラデシュは、経済成長が6パーセントを超え、最貧国待遇から脱却する可能性も出てきたという。
これでは国民が現在のハシナ首相の与党を支持するのは当然じゃないか。
なんでいちゃもんをつける必要があるんだ。
そのへんが気になってさらにニュースの詳細に注目してみた。
すると選挙結果を中国、インド、ロシアが支持しているという文言があった。
なーんだ、ようするにBRICSのメンバーが支持しているから、先進国仲良しグループの一員で、BRICSと対立関係にある日本としては、けなすしかないということか。

そんなことだろうと思ったよ。
これまでさんざんバングラデシュを支援してきた日本としては、それなのにBRICSに先を越されたのがクヤシイというんだろう。
日本の公共放送であるだけのNHKがくやしがる必要はないけれど、不正だ不正だを強調しておくことは、台湾の選挙、ロシアの選挙でも使えるし、ひっくり返せばバイデンさんが負けたときにも使える。
なかなか世界が思い通りにならないので、NHKのやることも手がこんできた。

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2024年1月 9日 (火)

昨日のニュース

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上川のおばさんは何をしに行ったのだろう。
テレビ画面をキャプチャしてみたけど、ウクライナ側の不満がありあり。
いつも調子いいことばかり言ってないで、たまにはミサイルや戦車の現物を持ってこいよと、ゼレンスキーさんのとなりの幹部はいいたそう。
対面しているおばさんはあいかわらず親切なのか適当なのか。
戦争を長引かせれば、当のウクライナの若者の死体が積み上がるだけなんだけどネ。
まあ、日本にとってはそれがいちばんいいのかも知れないけど。

アメリカじゃオースティン国防長官が無断入院だって。
無責任というのか、あるいはバイデンさんが頼りにされてないのか。
核戦争になって、バイデンさんが認知症で入院したら、いったいだれがボタンを押すんだよ。
NHKは、トランプさんが大統領になったらどうしよう、ウクライナも台湾もぜんぶ日本が引き受けなければならないと心配ばかり。
いくら心配したって、そんなことで米国の選挙をどうこうできるわけでもないのにね。
あー、アメリカの大統領選がタノシミ。

ハマスが北朝鮮製の兵器を使用って。
それはそうだ。
ハマスと北はレベルが同じ程度。
ロシアじゃ北の兵器なんかアテにしてないぞ。

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2024年1月 8日 (月)

才能のないわたし

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SNSを観ていると、いいたいことは山ほどある。
でも今日はつまらない話。
去年の5月ごろ、枯れてしまったので花壇に埋め込んでおいたノースポールが、最近になっていくつか芽を出した。
ノースポールというのは寒い冬に白い菊のような花をつけるので、カンシロギクとも呼ばれる花だ。
わたしの経験では、あまり手のかからないずぼら向きの花のはず。

一箇所にかたまって咲かれてもつまらない。
そこでほかに株分けしても大丈夫かどうかテストすることにした。
添付したのが株分けしたその苗。
無事に育てば下の写真のようになるはずだけど、育つかどうか運を天にまかせる主義のわたしのこと。
去年枯らしたオオキバナカタバミ、今年は3つも植えてみたけど、こちらはもうすでにげんなりという感じ。
あいかわらず花を育てる才能のないわたしだものね。

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2024年1月 7日 (日)

アノネ

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何日かまえに、ブログのアクセス数が操作されているらしいけど、わたしはココログの事情も察しているから文句はいいませんよと書いた。
するとココログは安心して、つねに2桁に抑えることに決めたようだ。
ここに載せたのは今日のアクセス・グラフ。
また最初にどーんと跳ねあがって、あとはだらだら。
17:00現在でカウント48。

ちっとはジョーシキってもんがあるでしょ。
わたしだってココログの人気を高めるために、長い中国紀行や、皮肉やユーモアの効いた文書を書いたりと、いろいろ貢献してんだよ。
将来ウクライナ戦争が終わって、マスコミの欺瞞が白日のもとにさらされたとき、うち(ココログ)だけはそんなことしてません、ちゃんとロシアの味方もしてましたって、わたしのブログをおもてにかざして弁解することもできるじゃん。
え、事実の数字を載せろとはいいませんよ。
でもこれからは、せめて3桁の下のほうにしてくれる?

どっちを先に書こうかと迷ったけど、上川のおばさん、ウクライナを訪問したってね。
なにしに行ったんだろう。
ニュースでは岸田クン、林クンに続いて3人目の閣僚だなんていってたけど、まえの2人もウクライナを支援しますなんて口約束だけで、なにしに行ったのかわからんかった。
米国もドイツもフランスも沈黙ぎみなんで、ここは日本しかいないと虚勢を張りに行ったのか。
日本国民は官民あげてウクライナに連帯を示しているそうだけど、“民”の中にわたしも入っているなら迷惑な話だ。

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2024年1月 6日 (土)

中国の旅/西安徘徊

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ややこしいけど、2001年の乾陵からまた1995年の西安にもどりますよ。
つまり兵馬俑や華清池、大雁塔を見物に行ったあとのこと。
おおかたの観光名所は観終わったけど、まだ日にちはあるので、わたしは西安市内をうろつきまわった。
ただし、西安の総括のつもりで、見たもの、気がついたものなどを適当に並べてあるから、かならずしも時系列通りには並んでいません。

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西安市内徘徊しているとき、たまたま偶然に「炭市場」という市場を見つけた。
これはアーケードのあるかなり大きな市場で、ここでは香辛料の露店が目についた。
そんな店のひとつで、店主が褐色の木の皮のようなものを齧じってみろという。
すみっこをちょっぴり噛じってみると、子供のころに噛んだことのあるなつかしいニッキの味がした。

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ニッキは、すなわち肉桂である。
この有名な香辛料はどこの特産だったろう。
わたしはパソコンを買ったばかりで、CD版の「広辞苑」や「コンサイス国語辞典」があるのだから、帰国してからこいつで肉桂について調べてみた。
「コンサイス国語辞典」によると
にっき【 肉桂】にっけい・・・・にっきは肉桂であり、肉桂はにっきとある。
これではよくわからない。
「広辞苑」によると
にっけい【肉桂】クスノキ科の常緑高木。インドシナ原産の香辛料植物。享保(1716-1736)年間に中国から輸入。高さ約10メートル。樹皮は緑黒色で芳香と辛味とを有する。古来、香料として有名。葉は革質で厚く、長楕円形。6月ごろ葉腋に淡黄緑色の小花をつけ、楕円形黒色の核果を結ぶ。上記の樹皮(桂皮)を乾燥したもの。香辛料・健胃薬・矯味矯臭薬とし、また桂皮油をとる。にっき。シナモン・・・・さすがは広辞苑である。

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この市場ではヘビまで売られていたから、そういうものの苦手な人は注意。
わたしはヘビがきらいではない。
とっとっと、カン違いしないよう、これは美味い不味いではなく、生きものとして興味があるだけである。
ガラガラヘビは怖ろしい毒蛇だけど、ヘビとヘビの対決になると、たいてい呑まれる存在で・・・・そういうことを含めて、ヘビの種類や大きさや、料理になる彼らの運命について、博物学のほうから考えてしまうのがわたしなのである。

ほかにもインコ、カワラヒワ、モルモットなどの動物や、キクの花を売る店などもあちこちで見た。
金魚の露店も出ていたので、自称ナチュラリストのわたしは足を止めてじっくり観察した。
しかし日本に比べると金魚の種類は物足りないくらい少なく、小さなデメキンが1匹10元(130円)だという。
釣りの餌のアカムシも売っているのを見たけど、西安のあたりに釣りのできる川や沼が多いようには見えないから、これはキンギョの餌かも知れない。

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せまい路地に屋台や小さな店がごたごた並ぶ一角があったので、そこへも鼻をつっこんでみた。
ある屋台ではベテランの調理人が、練ったウドンのかたまりを、変わったかたちの包丁ですっぱすっぱと鍋に刻みこんでいた。
これは“刀削麺”といって、中国の職人芸で、台湾にだけは詳しいわたしの知り合いにいわせると、とてもめずらしいものだそうだけど、中国を旅しているとあちこちで見かけるものである。

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わたしは街角に立っていた売り子からチマキを買ってみた。
チマキとは、屈原が汨羅(べきら)に身を投げたとき、遺体が魚に食われないよう代わりに川に投じたというアレである。
このときのものはナツメ入りで、なかなか美味しかったけど、食べ終わったあとチマキのカラを返すと、売り子のおやじはそれをぱっと道路に投げ捨ててにやりと笑った。
ゴミ捨てんなよ。

タクシーをつかまえて城内の東北部にある図書市場へ行ってみた。
これは西安の地図に「図書批發市場」として載っていたもので、東七路という通りにある。
たぶん路上に古本をならべた露店がずらりと並んでいるのだろうと思っていたら、ただ小さな本屋が軒を接しているだけだった。
古本屋といっても、べつになにか探しものがあったわけでもないし、漢字ばかりの本ではおもしろいわけもない。
マンガや画集でもないかと思ったのだが、いちいち本屋をのぞいてみるのもメンドくさくなってさっさと退散することにした。

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駅から解放路の雑踏の中をぶらぶら南下すると、左側に民生百貨店がある。
西安ではもっとも大きいデパートで、工事中の別館と通路でむすばれていた。
入ってみるとここもたいへんなにぎわいだ。
売場は5階まであって、1階は食料品、2階は電化製品、3階が衣服や時計貴金属品などで、4階はすべて靴屋になっていた。
靴屋が多いから、とうぜん靴の種類も多い。
中国製品は安物というイメージがあるけど、考えてみればこの日にわたしがはいていた靴もメイドイン・チャイナである。
日本の靴メーカーで、中国に下請け工場を持ってないメーカーなんて皆無ではないか。
わたしはこのつぎの訪中では皮靴を買おうと思った。
そう思ってよく見て歩いたら、わたしがはいているような頑丈な皮靴でも、だいたい200元くらいで買えることがわかった。
日本円で2600円くらいだ。ウレシイ話ではないか。

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西安をうろついているうち、ひとつのアイディアが浮かんだ。
わたしは以前から部屋のアクセサリーとして、薬局などで使う天秤量り・・・両側にお皿がついているやつだ・・・を欲しいと思っていた。
これは植物の種子の重さを計ったり、ちょっとした知的な遊びにも使える。
日本ではいまどきこんな旧式な秤は薬屋でも使ってないようだし、精密機械の一種だから値段も安くはないだろう。
これを中国で買ったらどうだろう。
なにしろそこいら中の露店で、いまだに天秤量りが活躍している国だから、薬屋だってまだまだ天秤量りを使っているにちがいない。
そう考えて薬屋に飛び込んだ。
中国の街(欧州の古い街でも共通)の特徴として、同じ種類の店、専門店が、同じ区域にまとまっているということがある。
西安もその傾向が強いようで、薬屋や薬局関連の品物を扱っている店ばかりが集まった一画があって、そうした場所の小さな店で、わたしは天秤量りを見出すことができた。
値段を訊いたら91元だという。日本円で1200円!
むろんわたしはその場でそれを購入することに決めた。

この買物は、中国での買物についてひとつの示唆を与えてくれる。
つまりあちらで買物をする場合、土産ものや人気商品を買うよりも、プロが使用するような専門用具を買うと得をすることが多いということだ。
もちろん専門用具といっても電子機器や高度な技術を必要とする複雑な機械はムリである。
しかし天秤量りくらいなら、プロが使う間違いのない専門用具だし、観光客に売りつけようとして作っているものではないから、中国人が買う値段で買うことができるではないか。

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ある晩は城内北西部の屋台街へ焼き魚を食べに行くことにした。
毎日中華料理ばかりで日本式の焼き魚に飢えていたわたしは、まえに南稍門飲食街の屋台で餃子を食べたとき、駅の近くの屋台街で魚が食べられると教わっていたのである。
ウチワでコンロの上の魚をあおぎ、煙がもくもく・・・・とそんな光景を期待したんだけど。
中国に日本式のサンマやイワシの類があるはずがなかった。
屋台にあったのはタチウオとイボダイで、どちらを頼んでもやり方はいっしょ、無造作にぶった切りにして煮えたぎった油の中に放り込むだけである。
タチウオと餃子を食ってみたけど、魚は骨が多く、あまり美味くなかった。

屋台の若者がわたしのカメラに興味を示し、1枚撮らせてほしいという。
ああ、いいよといって彼に食事中のわたしの写真を撮らせた。
彼はカメラの値段を訊いてがっかりしたようだった。
彼が日本に生まれなかったのは運がわるかったとしかいいようがないけど、この若者はなかなか親切で、このつぎは奥さん同伴で来なさいという。
わたしは結婚してないんだよ、キミも独身ならよく考えたほうがいい、結婚はよくないというと、子供っぽい顔をした店の奥さんがアハハと笑った。

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西安では4泊の予定で、西安賓館に3泊したものの、最後の1日ぐらいはべつのホテル、できれば旧城内、つまり城壁の内側のホテルにも泊まってみたかった。
やたらにタクシーを乗りまくって、城内をうろちょろするうち、たまたま「人民大厦」という灰色の古そうな建物が目についた。
「飯店」「賓館」というのはホテルのことで、「大厦」もそうである場合が多いから、おいおい、停めてくれと叫んだ。
運転手にUターンしてくれと頼むと、彼はあそこのホテルは古いからよくないという。
わたしは古いほうがいいという。
強引に説得して車を人民大厦に乗り入れさせた。

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このホテルには守衛の詰める立派な門があり、その内側はちょっとした庭園になっている。
もとはなにか別の建物だったんじゃないかと帰国してから調べてみたら、確かにもとはなにか特別な行政府の建物だったらしく、かってNHKで「シルクロード」という番組が制作されたおり、スタッフが西安で宿泊させられたのがこの建物だったそうだ。
そのころはまだ一般の旅行者に解放されてなかったようである。

フロントで部屋はありますかと訊くと、あるという。
建物が立派なわりには部屋代は安くて350元(4500円ぐらい)。
わたしはここに泊まることにした。
わたしの部屋は最上階で南向きの眺めのいい部屋だった。
窓から外をながめると、すぐ下に閑静なホテルの庭、その向こうににぎやかな東新街という通りが見え、廊下に出て横の窓からながめると、すぐとなりに省政府の大きな建物が見える。
部屋の中の感じは、全体の造りはかなりがっちりした建物なのに安普請のような造作がめだった。
どうももともとの部屋が広すぎて不経済なので、部屋だけはあとから細かく仕切ったらしい。
設備は、バストイレ、冷蔵庫つきというオーソドックスなものだった。

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このホテルは現在どうなっているのだろう。
調べてみたら、基本的にはむかしのままで、いまでも同じところにあるらしい。

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ご注意

ウクライナのニュースを観るとき、発信もとはどこかを確認することが大切だとわたしは何度も書いてきた。
これはべつにウクライナ関連だけではなく、すべてのニュースにあてはまることだけど、最近ではそれに公開日時を確認することも必要だとつけ加えなければならなくなってきた。

ここんところ日本国内ででっかい事件が相次いで、ウクライナの報道が減ってるせいもあるだろうけど、古いニュースが蒸し返されることがある。
YouTubeに「ロシアが原発をテロ攻撃」という映像があった。
またかよ、自分たちが占領している原発を攻撃するアホがいるかよと、よく見たら半年まえの映像だった。
わたしがウクライナ戦争の戦況に関心があるせいで、パソコンが優先的にそういう映像を見つけてくるらしい。
でも半年前にいわれていたことが、じっさいに起こったか、その後ロシアが原発を攻撃したことがあるか。

YouTubeに公開された映像はずっとあとまで残っている場合が多い。
だから過去の映像を検証してみれば、いかに西側の報道がデタラメかがよくわかる。
NHKの御用解説者や、口から先に生まれたようなJクンの映像も、あとから振り返れば的はずれであったことがよくわかるはずだ。
もう一度いう。
ソースを確認するだけではなく、それが公開された日にちもかならず確認するんだね。

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2024年1月 5日 (金)

今日も昨日のNHK

昨日のNHK国際。
由井秀樹サンが台湾に乗り込んで現地からの報告。
もう10日もない台湾の総統選挙だけど、NHKにはもうあきらめムードがいっぱい。
いくら由井サンがあちらまで行って中国の非道を訴えたって、そんなものは日本人に対するプロパガンダになるだけで、台湾の選挙に影響を与えるわけじゃない。
もしも親中候補が当選したら、台湾有事もクソもないやってことで、NHKはさぞかしいらいらしていることだろう。
まだ結果はわからないんだから、せいぜい頑張りなさいな。

ウクライナについては米国のカービー戦略広報調整官が出てきたけど、わたしの見立てでは、この人はバイデンさん以上のネオコン強硬派。
北朝鮮がロシアに支援したミサイルがウクライナを攻撃した(と見られる)と憶測発言。
ホントかウソか知らないけど、これは国連安保理決議違反だそうだ。
それでもって、自分たちはレオパルト2、劣化ウラン弾、クラスター爆弾、F16までありったけの兵器を供与してるんだから(これは憶測ではなく事実)、もうなにをかいわんやだな。
当のミサイルはザポリージャ州の平原に落下したというから、これは狙っても当たらない本物の北のミサイルかも知れない。

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昨日のNHK

昨日のNHK国際報道。
台湾の総統選挙がヤバくなってきたので、もういまから中国がアメとムチを使い分けていると、けなす算段だ。
中国は台湾を取り込むために、台湾の若者にいろいろ優遇政策をとっているという。
実例がいくつか紹介されていたけど、それがそんなに悪いことか。
軍隊を派遣して恫喝するならともかく、優遇政策ぐらいなら日本だって、地方の行政が企業を誘致しようとそこいら中でやってるじゃないか。
早い話が、わたしの知り合いのオンナの人が血まなこになってるふるさと納税、あれだって優遇策の一種でしょ。
中国は武力なんか使わずに、平和的に台湾を取り込もうとしているのだ。
もうすぐ台湾の選挙、中国は慌てず騒がず、今回がダメならつぎの総統選でもいいやと長期戦のかまえ。
問題はアメリカにのせられるととこうなると、ウクライナで散々な結果を見せてしまったアメリカ自身の責任だ。

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2024年1月 4日 (木)

今日のアクセス?

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正月そうそうココログをおちょくるようなことを書いたら、さっそく管理者から意地悪されたよ。
元日のわたしのブログのアクセスが99だ。
3桁に届きそうで、そうはさせぬと微妙なところ。
じっさいには4桁ぐらいいってるんだけど、なにがなんでも2桁に抑えてしまえという陰湿なイジメ。
しかしまあ、イジメというのは相手がイヤがるからイジメで、こちらが無視していれば、それはのれんに腕押しとか、馬耳東風とか、カエルのつらにションベンということになる。
自分でいうのもナンだけど、だってそうでしょ、ココログの人気ブログ番付の、つねにトップあたりにいる占い師さんより、わたしのブログのほうが人気がないってこと考えられる?
99という微妙な数字はむしろ、ココログが数値を操作しているというあきらかな証拠。

添付した画像は今日のアクセスの推移(17:00現在)。
最初ピーんと跳ねあがったあと、ずしーんと落ち込んで、あとはだらだら。
こういうことがしょっちゅうあるんだけど、これってどうなのよ。
わたしがブログを更新するとアクセスが殺到し、それに気がついた管理者があわてて押さえ込んだという証拠じゃないのか。
じっさいにはわたしのブログのアクセスは3桁、4桁、千の単位は間違いない。
そのへんの女の子がパンツをちらりと見せるだけで、何万という“いいね”がつく時代なんですよ、現代は。

ココログさんも大変だよね。
かりにわたしのブログが人気になって、世間の耳目を集めることになったら、なんだ、日本中が一団となってロシアを非難しているとき、おまえんところだけ逆行しようってのかと、日本政府、NHK、右翼界隈から叱責されないともかぎらない。
わたしは相手の立場も理解する男だ。
ええ、けっして不満は漏らしませんとも。
今年もせいいっぱい好き勝手なことを書かしてネ。
さあ、今年も張り切ってマスコミやSNSの欺瞞を説き、ロシア擁護の論陣を張ろう。
こんなことを書くと、今日のアクセスは2桁の半分くらいが確実だ。
ええ、気にはしません。

  望むらく操作ばかりのアクセスも
        撃ちてしやまむ真実いずこ

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2024年1月 3日 (水)

中国の旅/梁山中腹の村

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行ったり来たりだけど、2001年3月、いまからほぼ23年まえの西安、乾陵の旅の続き。

ウマから下りて徒歩で山頂へ向かうと、今度は泣きそうな顔をした中学生くらいの女の子が、つまらない土産ものを持ってまとわりついてきた。
土産というのは十二支の飾りをつなげたもので、そんなものを買う気はぜんぜんなかったけど、彼女は泣きそうな顔で「十二支10元、十二支10元」と日本語でくりかえす。
日本語ということは、どうやらこのあたりにも日本人がたくさんやって来るらしい。
わたしは不要、不要とくりかえす。

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山頂はさすがにすばらしい眺めだった。
遠くまで一面の農地が広がっていて、春霞なのか黄砂なのか、ぼんやりとけぶっている。
唐の歴代皇帝たちがここを墓に選んだのは正解だっただろうと思う。
人間に進化するまえから、猿というのは他人より高いところを見せたがるものなのだ。

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写真を撮っていると中国人の中学生らしい7、8人の女の子たちが寄ってきて、バカチョンカメラをかざしながら、単三電池ありませんかという。
中国の乾電池は性能がわるいのが当たり前だったから、予想よりまえに電池切れになってしまったらしい。
さいわい、わたしは今回の旅のためにたっぷりとスペアの乾電池を用意してあったから、ほらといって包装されたままの電池を渡した。
いくらですかと訊くから、これは日本製の高性能電池だけど、1元でいいやというと、みんな大喜びで、しまいにはわたしのまわりに集まって記念写真を撮ることになった。
この少女たちはカメラを持っているくらいだから、不自由のない家庭の子らに違いない。
そのあいだ泣きそうな顔をした女の子は、肩身がせまそうにはじのほうで小さくなっていた。

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梁山を下る途中、眺めると山腹のとちゅうに小さな村が見えた。
農村に目のないわたしである。
泣きそうな女の子に案内されて、この小さな村へ寄ってみることにした。
こんなところに寄り道する観光客はほとんどいないと見え、道は舗装もされてない細い山道が1本たどっているだけだった。
それがむしろ嬉しく、わたしは浮き浮きした気分で、山肌をまわりこんでいった。

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村のはずれの空き地に大きな獅子の石像が放置されており、まわりで村の子供たちが遊んでいた。
どうやら乾陵の参道はひとつではなく、むかしはこちらにもあったようで、大きな獅子は、日本の鳥居のような参道の目印だったのだろう。
唐の時代の唐獅子が半分土に埋まって、子供たちの遊び相手になっているのはいい景色といえなくもない。
同じ獅子像があとから行ってみた陝西省博物館にもあった。
こちらはタイル張りの正面フロアに鎮座していたけど、わたしには村で子供たちの相手をしているほうが、像も楽しいだろうなあと思う。

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わたしは少女の案内で村内をあちこち歩きまわった。
村のまわりには青々とした麦畑があって、空き地の草むらにヤギの親子が飼われていた。
少女がここにも◯◯がいるよというので、石組みの柵の中をのぞくと黒いブタもいた。
あちこちでアンズのような木がつぼみをつけている。
まだ咲いている花は多くないけど、まもなくあたり一面が、日本の千曲市や勝沼あたりのように花でおおわれて、桃源郷のさまを呈するだろう。
歴史にごちゃごちゃいうより、花が満開の時分に、ピクニック気分で来たいところである。

わたしがまた乾陵の参道にもどろうとすると、少女はまだくっついてきた。
彼女はまだ13歳だそうだけど、学校はどうしたと聞くと、泣きそうな顔をますます泣きそうにする。
悪いことを聞いたと思ったので、わたしはここまでつきあってくれたお礼のつもりで10元をやってしまた。
十二支の飾りなんかもらっても仕方がないので、それはいらないとことわる。
この日の彼女の仕事は報われただろうか。

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参道を歩いていると、かたわらにいたおばさんがヤオトンを見たくないかと話しかけてきた。
ヤオトンというのは、この地方に多い洞窟住居である。
じつはわたしはこれ以前に、洛陽という街を訪問したとき、知り合いに連れられて田舎の親戚を訪ねたことがあって、ヤオトンを知らないわけじゃなかった。
しかし他人の家を覗き見するくらい興味深いことはないので、まあ、見て写真を撮るくらいならとついていくと、参道のすぐ下のヤオトンに案内された。
観光用にきれいに内張りなどがされたヤオトンで、清潔ではあるものの、人間の生活感にとぼしい。
屋内にいろんな土産ものが並べてあったけれど、欲しくなるものはひとつもない。
不要といってすべて断り、わるいのでリンゴを1個もらった。
庭に白い子ネコがいて、これはオッドアイ、いわゆる金目銀目で、皮膚病にかかっているようだった。
そのうちこの家の小学生の女の子が出てきたので、彼女にネコを抱かせて写真を撮る。
どこかぼんやりした子で、ワンテンポ遅れるその笑顔は可愛かった。

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こっちのヤオトンはつまらないや、あっちの本宅のほうを見せてくれないかと頼むと、あんがい簡単に別の、じっさいに人が住んでいるヤオトンに案内された。
屋内に3人ほどの農民らしい男性がいて、テレビがひとつ、ほかにベッドや粗末な家具ぐらいしかない。
彼らはワンタンのような手打ちウドンをふるまってくれた。
見た目は白っぽいスープにつかっているけど、酸湯ワンタンとでもいうか、酸っぱい味のワンタンで、なかなか美味しかった。
あとでいくらと聞くと2元と答えたから、手厚いもてなしに感謝するつもりで10元やってしまった。
わたしも気前がいいけど、なに、10元といったら130円ていどである。
つくづく先進国の日本に生まれたことをありがたく思う。

帰りがけ、外の建物の横についているカマドに興味を示すと、主人が、これはこうなっているといって家の中を見せてくれた。
話に聞いていたけど、床の下に暖気を流すオンドルというものだった。
この日はもう春の陽気だったけど、電気を使う暖房器具なんぞ贅沢な寒村に見えたから、冬にはもっと原始的な暖房が必要なところらしい。

梁山のどこかに地下の墓所への入口でもあるかと思ったけど、そんなものは見当たらなかった。
べつの場所に乾陵からの出土品を展示した博物館があったらしいけど、予備知識がなかったので知らなかった。
墓の一部と思えるものはなにもなく、最初に見た山門のようなふたつの塔だけが遺跡らしいものである。
その塔を見物にいくことにした。

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遠方からも石造りの堂々とした建造物が参道の両側にふたつ並んでいる。
駐車場の係員に、あそこには登れるのかと聞くと、OKだという。
ところがそばまで行ってみると、巨大なコンクリートの建物のドアに鍵がかかっていた。
あきらめて建物を一巡して帰ろうとすると、若い男がドアを開けて待っていた。
わざわざわたしひとりのために開けてくれたらしい。

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この建物は古いものではなかった。
建物の中に鋒火台のような土の小山があり、その崩壊をくいとめるために、わざわざ小山をすっぽり覆って、あとからコンクリートで建てたものだった。
そういえばこの建物よりすこし上の参道の両わきにも、ぺつの盛り土が向かい合っていて、そっちは屋根がかぶせてなく、もとはどんなかたちをしていたのかもわからないくらい崩壊が進んでいた。
遺跡を保護するならもっと徹底的にやればいいのに、こっちには屋根をかぶせる予算がなかったのだろうか。
だいたい作るときに泥で作らず、レンガのようなもっと頑丈なもので作ればいいものを、唐王朝ってあまり金がなかったのだろうか。
気になって最近の写真をチェックしてみたら、遅まきながら無蓋の盛り土も、遺跡の城壁を模したコンクリートで覆われたようである。

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単なる盛り土では、見たっておもしろいものではないから、コンクリートの建物を覗いただけで帰ろうとしたら、ドアを開けてくれた男がてっぺんまで見てきてもかまわないという。
せっかくだから屋上まで登ってみた。
いや、ここから見える景色は素晴らしかった。
南側へ参道が一直線にのびているのが見える。
わたしは1300年以上まえのある日、亡くなった武則天の遺体を乗せた牛車と、お供の行列がしずしずと行進してくるさまを思い浮かべた。
おそらく近隣の一般住民も、こうべを垂れながら葬列を見送っていただろう。
アンズの花の季節なら、それは素晴らしい見ものだったにちがいない。

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ゆずポン

最近気がついたこと。
わたしは夜中にいつも足の運動のために4キロぐらいの散歩に行くんだけど、歳のせいか、それとも寒いせいか、オシッコが近くなって大変だ。
ややもすると、片道2キロのあいだに2回、往復で4回トイレが必要になることがある。
あいにくわたしの散歩道に公衆トイレは1カ所しかないし、あいだにコンビニのような気軽に拝借できるトイレもない。
緊急事態の場合、男だからそのへんの暗がりですませてしまうけど、夜中でもジョギングや仕事帰りの女の人に会うこともあるから、見られないよう細心の注意が必要だ。
いえ、気がついたことというのはオシッコじゃない。

わたしは湯ドーフが好きで、冬になるとそれでイッパイやるのが楽しみ。
わが家の近所は昔からの農家が多く、採れたての柚子が安く手に入る。
湯ドーフはポン酢で食べるんだけど、そのとき生の柚子を刻んで入れ、これがほんとの天然ゆずポンということになる。
すると、あら、不思議。
そうやって湯ドーフを食べた日は、散歩のあいだのオシッコの回数が半分に減った。
これまで往復で4回行っていたのが2回ですむようになった。
これならあいだにある1カ所のトイレで間に合うわけだ。

ネットで調べてみたけど、柚子に頻尿を抑える効果があるという記事は見つからなかった。
こんなことをわたしひとりで嬉しがっていても仕方がないし、じっさいに効果があるのかどうか、わたしひとりのデータでははっきりしない。
さいわいココログのブロを書いてる人、読んでいる人のなかには年寄りが多いようだ。
もしもオシッコが近くて困っている人がいたら、ぜひゆずポンと湯ドーフを試してくれたまえ。
このさい、刻んだ柚子の皮もいっしょに食べてしまわなければいけない。
そうやって試して、もしも薬効あらたかなりということがわかれば、このブログのコメント欄に一報を。
これが事実なら全世界の老人たちにとって明報であり、暗い新年度も明るくなるというものだ。

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2024年1月 2日 (火)

惨事の年

とんでもない新年になってしまったな。
大地震についで、羽田で日航機が炎上って、ちょうど帰省のさいちゅうで飛行機も混雑している時期だ。
わたしらの世代なら夏休み中の御巣鷹山の惨事('85)を思い出す。
やれやれ、あの事件もぼちぼち40年かい。
九ちゃんの孫が結婚してもおかしくない歳か。

今回は乗客全員が脱出できたらしいけど、ニュース映像を観ると、一歩間違えば死者がどーんと増えてもおかしくなかった。
おかげで更新しようと思っていた中国の旅ももうすこし延期だ。
ちっと世の中が落ち着いてくれないと、いつになっても更新できないよ。

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紅海

ここのところ紅海がキナくさい。
アメリカは今度はイランを戦場に引っ張り出そうとやっきになっているようだ。
イランが支援するフーシ派の海賊行為だっていちゃもんをつけているけど、フーシ派は船を占拠して乗務員を拉致する程度。
拉致した船員もたいていは無事のまま釈放している。
これなら救出に行ったヘリや軍艦で威嚇して追い払うくらいでよさそうなものを、いきなり襲撃犯を皆殺しだ。
アメリカにいわせると敵が反撃してきたからというんだけど、米軍のほうにはひとつも被害が出てないじゃないか。
どうせいちゃもんをつけようという米国のでっち上げだろう。

襲撃をするほうには、もとをたどればアメリカがイスラエルを支援して、同胞のイスラム教徒を殺害しているからという言い分がある。
自分勝手な言い分はつねにアメリカのほうだ。
プーチンはアルメニアとアゼルバイジャンの対立も、戦争をせずにすむよう両国を説得し、民族浄化が起きないよう平和的に押さえ込んだ。
米国だけがつねに戦争に火をつける。
ウクライナ戦争もアメリカのこういう戦争をあおる行為から始まった。
台湾がアテにならなくなってきたので、今度はふたたび中東か。
日本がまた盲目的に追従するんじゃないかと心配だけど、それを止められるのはひとりひとりの日本人の冷静な判断だけなんだよ。

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2024年1月 1日 (月)

元旦の句

年金暮らしのじいさんには正月そうそう用事があるわけでもない。
用事がなくて時間ばかりあるというときはどうするか。
というわけで元旦2回目の更新だ。
今年もまさに順風満帆というところだね。

元旦の朝は、いつもの散歩の代わりに初詣(の偵察)に行ってみた。
初詣をするほど信心深くないから、なんかおもしろい写真でも撮れないかなと思ったのである。
うちの近くの氏神さまは、自転車で5〜6分のところにある氷川神社だ。
夜中の12時ぴったりに行ったらもう行列が出来ていた。
これではわたしみたいな人間までご利益がまわってくるのにだいぶかかるだろうと思い、焚き火の写真を撮っただけでさっさと引き返した。
今年はもうひとつの氏神さまのところへ行ってみることにしたのである。

わたしの団地の近くに、もとハンセン病患者の収容施設だった全生園があり、その広い園内に小さな神社があることを知っていた。
ちょっと特殊な場所にある神社だけど、施設が開設したころからそこにあるらしく、なかなか古びて味わいのある神社である。
それがしめ縄などを飾って正月の準備をしていたのを、何日かまえに見ていたから、初詣客がいるかも知れない。
いるとすれば患者さんか、患者さんの身内ということになるだろう。
いずれにしても過去にさまざまな偏見と迫害に遭った人たちに違いない。

ということで素直でないわたしは、正月から素直でない神社に詣でるのであった。
行ってみたら参拝者などひとりもおらず、しめ縄が暗い灯りに照らされていた。
世間の風評と患者さんたちの苦しみが過去のものになったのならいいことだけど、わたしもあいかわらずネクラ趣味だね。
はい、元旦の句をふたつ。

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マスコミもSNSも、あいかわらず「おめでとう」というあたりまえの新年の挨拶ばかりだ。
例年の正月と変わりはないけど、この日も世界のあちこちに正月どころじゃないという人たちがいたはずで、偏屈なじいさんとしては、あまりはっきりおめでとうをいう気にもなれないね。

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2024年

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ああ、新年ですよ。
年賀状の準備をしておこうと思ったけど、今年はタツ年だそうだ。
また描きにくい動物を選びやがったなということで、なんかほかの動物、たとえばタツノオトシゴでもあしらった年賀状を作ろうかと考えたけど、とうも月並みだね。
それで、かってどこかのアパレルメーカーがやっていたように、新しい年に希望や警告を発するような写真を見つけて、それで間に合わせることにした。

今年もこころをあらたに・・・・・ん、公共放送の欺瞞をつっつくぞ。
もういいかげんやめようよ、ウクライナ戦争。
いいかげんに考えをあらためようよ、ココログさん、ウクライナの味方ばかりするのは。

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