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2024年1月21日 (日)

中国の旅/上海博物館

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西安に行って、ここから先がシルクロードか、砂漠の国なのかと感慨にふけったわたしだけど、すぐにシルクロードに出発したわけじゃない。
わたしにはもう少し見ておきたい中国の都市があった。
列車で上海から西安に向かうと、とちゅうで洛陽という街を通る。
西安が唐の都長安であることを知っている人なら、洛陽もよく知られた中国の古都であることを知っているだろう。
「洛陽の紙価を高める」ということわざの洛陽であり、芥川龍之介の「杜子春」の冒頭で、主人公がたそがれの中で途方に暮れていたのも洛陽である。
洛陽を見てこようという以外にも、今度はひとつ、黄河をま近に見てやろうという願望があって、わたしはシルクロードのまえにこの街を目指すことにした。

人間、どこに奇遇が転がっているかわからない。
わたしはこの旅で忘れられないひとりの女性に出会った。
彼女もすでにいいおばあさんになっているはずだけど、わたしは彼女との思い出をもういちど紀行記のなかで追想してみたい。
という出だし、どうだ、読者の期待に応えるに十分じゃないかね。

ま、お楽しみはあとにして、まず上海について、わたしの旅はまた上海が起点だったので、そこから話をスタートさせよう。
最初にことわっておくけど、今度の旅は1996年の11月のことである。

上海に到着したわたしは、瑞金賓館はもうケッコウということで、新亜大酒店に部屋を取った。
駅や南京路や外灘、かっての日本租界からも近いこのホテルは、上海で歩きまわるのになにかと便利だったのだ。
ちなみにこのときの旅の通貨のレートは1元が日本円の14円ほどだった。
広大な中国のどこに行っても時刻は北京時間であるように、通貨のレートもどこに行っても同じだから、まず当時のお金の価値をあたまに入れておいてほしい。

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例によって市内をあてもなく歩きまわったけど、ここては最初に、前回の西安の旅の終わりにちょいと触れた上海博物館について書いておこう。
これは人民広場の真ん前にあって、95年にはまだ建物だけで、開業はしていなかったところである。

上海博物館、いや、もうすばらしい施設だった。
あまだ正式に開館して1年もたってないけど、中国の歴史や美術に興味のある人にはぜったい見逃せないところなのだ。
入場料は60元と高いけど、これには電話機の形をした日本語テープによる解説器の借し出し料も入っている。
ただし、文字数がかぎられているわたしのブログだから、博物館の説明はおおかたをまたウィキペディアにリンクを張ってすませよう。
自分で調べればわかることはいちいち触れないんだよ、このブログ。

中国を旅していておいおい知ることになるんだけど、中国の都市では博物館のような公共の施設が、けっして厚遇されているとはいえない。
例外は北京の故宮博物館だけど、ここが古い王宮をそのまま活用した建物であるのに比べ、上海博物館はまったく新しく建設された近代的な博物館で、日本の上野や各地にある美術館と比べてもまったくひけをとらない。
いまや中国の看板ともなった代表都市の上海で、その規模や設備には中国のメンツがかけられたのだろう。

建物は4階まであって、中央のエスカレーターでどの階にも行ける。
それぞれの階が、分類された展示会場になっていて、たとえば1階には青銅器の部屋があり、2階には陶磁器、3階には書画、4階には玉(ぎょく)や家具、貨幣などを展示した部屋があるといった按配だ。
わたしはこの1年のあいだにNHKテレビの「故宮」という番組で、中国の歴史、美術について多くの知識を得ていた。
中国で発掘された青銅器や玉製品の中には、いちど現物を見てみたいものがたくさんあったのだ。

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博物館の1階には殷の時代の青銅器がある。
この時代には饕餮(とうてつ)という怪物を彫り込んだ、祭祀用のおどろおどろしい青銅器が知られている。
そうした文様の彫りこまれた尊(そん=酒の容器)や爵(しゃく)、鼎(かなえ)に対面したときは感動した。
展示品を見ながら、そのまま中国の古代史の勉強になるのがいい。

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ほかにも4階には、古代の王の象徴とされた玉璧(ぎょくへき)、玉琮(ぎょくそう)、玉鉞(ぎょくえつ)などの玉製品があった。
NHKの「故宮」によると、“玉璧”は王の財力を象徴するもの、“玉鉞”は斧を模していて、軍事統帥権の象徴だそうだ。
“玉琮”はほんらい王の地位の象徴であったもので、真ん中に穴が貫通した四角い柱状のものである。
穴は天地を、それを囲む四角い段が大地をあらわしているのだという。
わたしはこの玉琮に魅入られてしまった。
上海博物館で見たものは、高さが50センチぐらいあり、半透明の緑玉石で作られていて、表面に細かい紋様が彫られていた。
じっと見ていると紋様に引き込まれそうな気分になる。
人を感動させるものが芸術なら、これはすばらしい芸術作品である。

玉というのはダイヤモンドに匹敵するくらい硬度の高い鉱物だそうで、そんなものに大昔の人はどうやって模様を刻んだのか、その説明が週刊朝日に載ったことがあった。
ようするに時間をかけた丹念な仕事の成果らしかったけど、短気なわたしにはこれの制作者は務まりそうもない。
それでもわたしが上海博物館で重点的に見たのは、青銅器と玉の部屋だった。

玉琮のレプリカが博物館内の土産ものコーナーに置いてあった。
安ければ飛びついても買ったけど、レプリカといえど数十万円もして、とてもとてもわたしの手の出せるものではなかった。
土産ものコーナーには、もうすぐ日本に行くというきれいな娘がいて、こっちのほうが手を出しやすかったくらい。

このときとは別になるけど、わたしは玉や青銅器に魅了された頭のまま、福祐路の骨董市場というところへ行ってみた。
ここにはせまい通りにゴザをしいて品物をならべた露店がびっしりひしめいて、けっこうな人だかりだ。
中国は歴史の古い国だけど、紀元前の文物がこんなところで売られているはずはないから(古いものを国外にもちだすのは法律違反である)、大半はそれらしいイミテーションである。
それでも古臭いさまざまなガラクタを見て歩き、店の主人と値切り交渉をするのは楽しかった。

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市場に分け入ってまずわたしが拾い出したのは、4段構えになった鉄製の亀の印璽(いんじ=印鑑)である。
親亀の腹から子亀、子亀の腹から孫亀、孫亀の腹から小さな鳥と、4つの大きさの印璽が出てくるところは、ロシアのマトリョーシカ人形みたいだ。
すべて一体成型か彫りぬきのものならたいしたものなのに、亀の部分と印璽の部分は接着剤ではりつけてあった。
この接着剤は時間がたつとはがれてしまう・・・・・・こともあるということを、去年西安で買った同じような印璽でわたしは知っていた。
見た感じは古色蒼然としていなくもないけど、古代からそんな接着剤を使っていたかねえと思う。

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つぎにわたしが目をつけたのは、石でできたブタの置物である。
これも去年西安のアンティーク市場でみつけて、そのユーモラスな造形がいたく気にいったものである。
おそらく大勢の職人が毎日せっせと制作しているのだろう。
よく見ると形やタッチが微妙にちがっていて、中には芸術的といえなくないものもある。
で、こいつを大小とりまぜて4個ほど新聞紙にくるんでもらった。
店のオヤジは、ほかの動物もあるよと勧めたがいらんと返事しておいた。
小さな動物の置物は、ひと山いくらで売っている店もたくさんあって、女の子ならカワイイ!と叫びそう。

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ある店でわたしは玉琮を発見してしまった。
この店にあったものは一辺が約7センチの四角柱で、高さが13センチあり、表面が溝で7段に仕切られている。
仕切られた7段のそれぞれにこまかい文様がある。
こまかい文様にもいろんな意味があるはずだけど、ここにあったのは安物だから、帰国してじっくり見たら文様もずいぶん手抜きされていて、材料もそのへんのたんなる石っころのようだった。
それでも柱のすみに土がついていたりして、バカな日本人観光客をあざむくには手がこんでいる。

こういうのを見つけても、すぐに購入をすると足もとをみられてしまう。
わたしは横目でうかがって、そしらぬ顔で市場を一巡し、同じサイズの玉琮がないかどうかずっと注意してみた。
ほかの店ではとうとう発見することができなかったから、わたしは決意して最初の店にもどった。
店のオヤジが200元というのを50元に値切って、わたしはまがいものの玉琮を手に入れた。
バカバカしいと思われるかもしれないけど、どういうわけかわたしは、NHKの番組を見てから、中国の古代の玉製品に魅了されてしまっていたのである。
ほかにも玉鉞があったので、おまけにつけてくれといったらダメといわれてしまった。

この日にわたしが買ったものは、全部ひっくるめても100元くらいのものだろう。
それじゃいらねえやというと、たいていこちらの言い値になってしまうから、原価はいくらなんだと疑問に思うような品物ばかりだ。
ここで買った玉琮も、その後飽きてしまってアパートの窓から庭に放り投げてしまった。

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上海博物館を出たあと、人民広場をぶらぶらした。
広場のまえには、博物館に向かい合って人民政府の大きなビルが立っている。
このビルは外灘の古いビルから引っ越してきたもので、新しくなって威厳や威圧感がなくなり、日本のどこかの県庁ビルといってもおかしくなくなった。
またそのとなりに、屋上に巨大なアンテナをさかさにしたような、異様な建造物が建設中だった。
なんだかわからないけど、わたしがつぎに上海を訪問するときには完成しているだろう。
人民広場のあたりだけをとってみても、上海の変貌のめまぐるしさには目を見張らされてしまう。

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