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2024年1月25日 (木)

中国の旅/洛陽着

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終点の洛陽にはほぼ時間どおりに着いた。
中国の列車の到達時刻が正確なのは、貨物も含めた本数が多いからで、正確でないとダイヤが混乱する・・・・と、鉄道作家の宮脇俊三さんがいっていた。
中国の駅の御多聞にもれず、駅前広場はだだっ広い。

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現在の洛陽駅はどうなってるかと調べてみたら、ぜんぜん変わってないようだ。
そしてもうひとつ洛陽龍門駅という駅が新しく出来ていた。
こちらは有名な龍門石窟から5キロぐらいしか離れてないから、観光用に新設された駅らしい。

雨上がりで水たまりのある広場を横切っていると、すぐ男女の中国人が話しかけてきた。
どこへ行くのかというから、洛陽賓館というと、こっちこっちとわたしを先導する。
ようするにタクシーの客引きだった。
わたしは洛陽のおおよその地理くらいはそらんじていたものの、距離まではわからない。
どうせふっかけてくるだろうと身構えていたら、彼らの提示した金額は20元(240円くらい)で、これならまあまあ納得できる許容範囲の金額だった。
このときの車はワーゲンのサンタナで、メーターはついてなかった。

わたしがサンタナの助手席に乗ると、女も後部席に乗ってなにかしきりに話しかけてきた。
あなたたちは夫婦なのかと訊くと、ちがうという。
中国のタクシーにはこういうわけのわからない関係の男女が乗っていることがよくある。
女がいたほうが、おのぼりさんや日本人観光客をひっかけるのに具合がいいのか、あるいは強盗よけのお守りのつもりなのか。

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洛陽賓館に関してなにも知らなかったけど、このときの旅は2週間を予定していたので、あまり最初から贅沢するとあとが続かない。
ガイドブックで調べて、旧城内にある安そうなホテルということで選んだのである。
旧城内というのは古くからある街のことで、新市街といったら、新中国になってから新しく建設された町のことである。
もちろんわたしみたいなダーウィン的旅人には旧城内のほうがおもしろい。
ただし予約はしてなかったから、行ってみなけりゃ部屋があるかどうかわからない。
ぬかるんだ泥道を通って、駅からそこまであっという間に着いた。
あとでわかったけど、ホテルまで1キロぐらいしかなかった。

ホテルにつくと、タクシーに同乗していた女がやけに親切で、ホテルのフロントと掛け合ってくれた。
電気の節約のためか、なんかやけにうす暗いホテルである。
ホテルの服務員の女とタクシーの女がなにやら交渉をする。
客を連れてきたのだからいくらかキックバックしてくれとでもいってるのかも知れないけど、1泊160元ということで、べつに文句をいうほど高くもなかった。

タクシーが帰ってしまったあとで、宿泊手続きをしたら、料金は300元になっていた。
さっき160元といったろうと揉めたけど、つまり外国人料金ということだった。
タクシーの女が交渉したので、わたしが外国人とわからなかったのだそうだ。
こういうことは列車の料金でもあることで、べつに不正な請求というわけじゃないから、仕方なしにいわれた料金を払った。

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洛陽賓館は2階建てで、高層ビルではないかわり、空が広々としているのがわたしにはありがたかった。
ところが調べてみたら、このホテルはネットにひっかかるくせに、予約ページまでたどりつけないし、口コミは古いものばかりだから、いまでもあるのかどうか不明。

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わたしの部屋は本館の正面玄関を入ってすぐの1階で、トイレやバスルームもとくに問題はなかった。
窓のすぐ外にヤナギの木があって、その葉がふらふらとゆれているのが見える。
窓から首を出してみると、屋外からひとまたぎでわたしの部屋に入れてしまうことがわかった。
だいぶ不用心だなと思い、窓を内側からきっちりロックした。
ほかにとりたてて文句をいうほどのことはないけれど、客はひとりも見当たらず、わたしの想像していたものと比べると、えらくわびしいホテルである。
ホテルのフロントには、そのへんのお姉さんといったタイプの服務員が2人詰めており、マイペースでおしゃべりしていて、客がくると迷惑そうである。
あとでトイレットペーパーを補充してもらうとき、わたしはできるだけ腰を低くして行った。

ここでは両替もできなかったので、ベッドに荷物を放り出したあと、とりあえず友誼賓館というべつのホテルへ、下見をかねて両替に行くことにした。
そっちのホテルが気にいったら移動しちまうからなと思う。
この街には弁当箱型をした黄色い軽ライトバンのタクシーがたくさん走っていて、初乗りは5元という安さである。
門から飛び出すと、すぐ向こうからこの軽タクシーがやってきたので、それをつかまえた。

友誼賓館には新旧ふたつの建物があり、とりあえず新館のほうにつけてもらって、フロントにいた美女に尋ねると、両替時間は終わりましたという。
わたしが困った顔をすると、それなら旧館に行ってみたらと教えてくれた。
新旧の友誼賓館は50メートルくらいしか離れてなく、旧のほうで無事に両替もしてもらえた。
ただし1万円が700元きっちりにしかならなかった。
本来の相場はこれに25元くらいがプラスされるはずである。
両替の受領証には725元と書いてあったから、25元は両替嬢の貯金箱にでも消えたのだろう。
25元は350円くらいだし、時間外の両替だったかも知れないから、文句をいう気にもなれず、おとなしく引っ込んだ。

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帰りにながめると、友誼賓館と通りをはさんではす向かいの、ふたまたになった交差点の中心部に、洛陽最大のホテル「牡丹城」がそびえていた。
高そうなのでわたしは初めから無視したけど、列車のなかで知り合ったEさんはここに泊まったはずである。
友誼賓館については、撮ったはずだけど写真が見つからない。
ネットで探してみると、高層ビルのホテルが見つかったけど、わたしが泊まったホテルと違うようで、よくわからなかった。

帰りは友誼賓館の前にとまっていたサンタナでもどることにした。
乗ったとたんに運転手のほうから、40元よ、40元というので気がついたけど、運転手は女性で、これは白タクだった。
こういう車は観光や結婚式などが専門らしく、流しはやらずに、車の持ち主が無許可のままホテルなどで客待ちをしているらしい。

車中で考えた。
中国の運転手はたいてい運転が荒っぽいけど、女性ドライバーならそれほどでもないだろう。
タクシーを借り切ってドライブするのに、むくつけき男性ドライバーより女性ドライバーのほうが楽しいに決まっている。
そこで翌日あちこち観光してまわるのに、1日貸し切りでいくらかと交渉してみた。
400元(5600円ぐらい)でいいという。
わたしはひとりだから割り高だけど、これで朝から夕方まで自由にあちこちを見てまわれるのだから、人間が3人もまとまれば日本とは比較にならないくらい安い。
運転手の名前は“岳”さんで、娘がひとりいるという小太りの肝っタマ母さん、いや、姉さんという感じの人である。
スラックスに、かかとの高い靴をはいて運転していた。

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洛陽賓館にもどったのが午後の4時ごろ。
夕食はホテルのレストランでと思ったのに、ここは18時半オープンなのでまだやってなかった。
わたしは空腹をおさえかね、近所へ食事に出た。
かどを1本まがったところにおそろしく汚い食堂があった。
その汚さは感動的で、シミの浮き出たしっくいの壁など、なにか抽象絵画を見ているようだった。
店で働いているのは、軍服らしいカーキ色のコートをはおった痩身の男性と、彼の女房にしてはふけすぎというおばさん、そして息子らしい若者の3人である。
軍人でもないのにカーキ色の軍服を着た人には、中国を旅しているとあちこちで出会う。
軍服は丈夫だから、お役御免になったあと古着となって世間に出まわるのか、それとも徴兵の義務を終えるとタダでもらえるのか。
あるいは、中国では工場の労働者が製品を勝手に横流しすることが多いというから、軍服まで流されているのだろうか。

この年の日本ではO157という凶悪な細菌が世間を騒がせた。
小中学生に被害が続出し、給食設備の総点検が行われ、マスコミに踊らされやすいPTAが大騒ぎをした。
わたしが入った店は、そんな付和雷同型の親たちが見たら卒倒しかねない店だったけど、しかし大釜に湯気がもうもうと立ちのぼっており、鍋に油がじゅうじゅうとはねている。
こいつはきっと、マキシムのフランス料理なんてやつよりは美味いにちがいない、わたしはそう思った。
日本人客がふらりと迷い込んできたのは驚天動地のできごとだったらしく、店の3人はわたしを見て言葉を失ってしまったようだった。

わたしは3つあったテーブルのひとつに座った。
テーブルは傾いていたけど、壁に「食品販売に従事する者の健康証明書」なんて札が貼ってあり、箸は日本式の割りバシを使っていた。
ビールありますかというと、軍服のおやじが無言のまま、わざわざ近所へ買いにいってくれた。
わたしは水餃子を注文してみたけど、餃子はひと口サイズのものが50~60個もあってとても食べきれない。
味はわるくはなかった。

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メシを食いながら考える。
細菌を退治するのに薬品を使えば、細菌は薬に対して耐性をもつようになる。
「病原大腸菌O157」の騒ぎの原因は、近代的な設備をもつ学校給食の調理室の、ほんのささいな汚れだったというけど、そんなものが原因なら中国では12億人がすべて157になっていなければならない。
中国の場末の食堂のきたなさは日本の学校の給食室とは比較にならないのである。
材料に火を通すから大丈夫という人もいる。
しかし食器や調理器具やそれを洗う水など、O157がたかる機会はいくらでもある。
なにしろ日本では、清潔な工場で、機械で管理製造されているカイワレダイコンに、ほんのわずかな汚水がついたのが原因とされているくらいなのだ。

中国の場末の食堂に座っていると、あんまり衛生に神経質になるのも考えものだなあという気がしてくる。
人間と細菌の闘いはイタチごっこの連続なんだけど、SF作家ならずとも、いつかある日、薬品開発のほうが先に限界に達し、耐性というストレートな作戦だけに専念した細菌が勝利をおさめる日が来るような気が・・・・・もぐもぐ。
わたしは水餃子を半分ぐらい残してしまった。

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