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2024年1月 6日 (土)

中国の旅/西安徘徊

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ややこしいけど、2001年の乾陵からまた1995年の西安にもどりますよ。
つまり兵馬俑や華清池、大雁塔を見物に行ったあとのこと。
おおかたの観光名所は観終わったけど、まだ日にちはあるので、わたしは西安市内をうろつきまわった。
ただし、西安の総括のつもりで、見たもの、気がついたものなどを適当に並べてあるから、かならずしも時系列通りには並んでいません。

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西安市内徘徊しているとき、たまたま偶然に「炭市場」という市場を見つけた。
これはアーケードのあるかなり大きな市場で、ここでは香辛料の露店が目についた。
そんな店のひとつで、店主が褐色の木の皮のようなものを齧じってみろという。
すみっこをちょっぴり噛じってみると、子供のころに噛んだことのあるなつかしいニッキの味がした。

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ニッキは、すなわち肉桂である。
この有名な香辛料はどこの特産だったろう。
わたしはパソコンを買ったばかりで、CD版の「広辞苑」や「コンサイス国語辞典」があるのだから、帰国してからこいつで肉桂について調べてみた。
「コンサイス国語辞典」によると
にっき【 肉桂】にっけい・・・・にっきは肉桂であり、肉桂はにっきとある。
これではよくわからない。
「広辞苑」によると
にっけい【肉桂】クスノキ科の常緑高木。インドシナ原産の香辛料植物。享保(1716-1736)年間に中国から輸入。高さ約10メートル。樹皮は緑黒色で芳香と辛味とを有する。古来、香料として有名。葉は革質で厚く、長楕円形。6月ごろ葉腋に淡黄緑色の小花をつけ、楕円形黒色の核果を結ぶ。上記の樹皮(桂皮)を乾燥したもの。香辛料・健胃薬・矯味矯臭薬とし、また桂皮油をとる。にっき。シナモン・・・・さすがは広辞苑である。

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この市場ではヘビまで売られていたから、そういうものの苦手な人は注意。
わたしはヘビがきらいではない。
とっとっと、カン違いしないよう、これは美味い不味いではなく、生きものとして興味があるだけである。
ガラガラヘビは怖ろしい毒蛇だけど、ヘビとヘビの対決になると、たいてい呑まれる存在で・・・・そういうことを含めて、ヘビの種類や大きさや、料理になる彼らの運命について、博物学のほうから考えてしまうのがわたしなのである。

ほかにもインコ、カワラヒワ、モルモットなどの動物や、キクの花を売る店などもあちこちで見た。
金魚の露店も出ていたので、自称ナチュラリストのわたしは足を止めてじっくり観察した。
しかし日本に比べると金魚の種類は物足りないくらい少なく、小さなデメキンが1匹10元(130円)だという。
釣りの餌のアカムシも売っているのを見たけど、西安のあたりに釣りのできる川や沼が多いようには見えないから、これはキンギョの餌かも知れない。

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せまい路地に屋台や小さな店がごたごた並ぶ一角があったので、そこへも鼻をつっこんでみた。
ある屋台ではベテランの調理人が、練ったウドンのかたまりを、変わったかたちの包丁ですっぱすっぱと鍋に刻みこんでいた。
これは“刀削麺”といって、中国の職人芸で、台湾にだけは詳しいわたしの知り合いにいわせると、とてもめずらしいものだそうだけど、中国を旅しているとあちこちで見かけるものである。

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わたしは街角に立っていた売り子からチマキを買ってみた。
チマキとは、屈原が汨羅(べきら)に身を投げたとき、遺体が魚に食われないよう代わりに川に投じたというアレである。
このときのものはナツメ入りで、なかなか美味しかったけど、食べ終わったあとチマキのカラを返すと、売り子のおやじはそれをぱっと道路に投げ捨ててにやりと笑った。
ゴミ捨てんなよ。

タクシーをつかまえて城内の東北部にある図書市場へ行ってみた。
これは西安の地図に「図書批發市場」として載っていたもので、東七路という通りにある。
たぶん路上に古本をならべた露店がずらりと並んでいるのだろうと思っていたら、ただ小さな本屋が軒を接しているだけだった。
古本屋といっても、べつになにか探しものがあったわけでもないし、漢字ばかりの本ではおもしろいわけもない。
マンガや画集でもないかと思ったのだが、いちいち本屋をのぞいてみるのもメンドくさくなってさっさと退散することにした。

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駅から解放路の雑踏の中をぶらぶら南下すると、左側に民生百貨店がある。
西安ではもっとも大きいデパートで、工事中の別館と通路でむすばれていた。
入ってみるとここもたいへんなにぎわいだ。
売場は5階まであって、1階は食料品、2階は電化製品、3階が衣服や時計貴金属品などで、4階はすべて靴屋になっていた。
靴屋が多いから、とうぜん靴の種類も多い。
中国製品は安物というイメージがあるけど、考えてみればこの日にわたしがはいていた靴もメイドイン・チャイナである。
日本の靴メーカーで、中国に下請け工場を持ってないメーカーなんて皆無ではないか。
わたしはこのつぎの訪中では皮靴を買おうと思った。
そう思ってよく見て歩いたら、わたしがはいているような頑丈な皮靴でも、だいたい200元くらいで買えることがわかった。
日本円で2600円くらいだ。ウレシイ話ではないか。

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西安をうろついているうち、ひとつのアイディアが浮かんだ。
わたしは以前から部屋のアクセサリーとして、薬局などで使う天秤量り・・・両側にお皿がついているやつだ・・・を欲しいと思っていた。
これは植物の種子の重さを計ったり、ちょっとした知的な遊びにも使える。
日本ではいまどきこんな旧式な秤は薬屋でも使ってないようだし、精密機械の一種だから値段も安くはないだろう。
これを中国で買ったらどうだろう。
なにしろそこいら中の露店で、いまだに天秤量りが活躍している国だから、薬屋だってまだまだ天秤量りを使っているにちがいない。
そう考えて薬屋に飛び込んだ。
中国の街(欧州の古い街でも共通)の特徴として、同じ種類の店、専門店が、同じ区域にまとまっているということがある。
西安もその傾向が強いようで、薬屋や薬局関連の品物を扱っている店ばかりが集まった一画があって、そうした場所の小さな店で、わたしは天秤量りを見出すことができた。
値段を訊いたら91元だという。日本円で1200円!
むろんわたしはその場でそれを購入することに決めた。

この買物は、中国での買物についてひとつの示唆を与えてくれる。
つまりあちらで買物をする場合、土産ものや人気商品を買うよりも、プロが使用するような専門用具を買うと得をすることが多いということだ。
もちろん専門用具といっても電子機器や高度な技術を必要とする複雑な機械はムリである。
しかし天秤量りくらいなら、プロが使う間違いのない専門用具だし、観光客に売りつけようとして作っているものではないから、中国人が買う値段で買うことができるではないか。

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ある晩は城内北西部の屋台街へ焼き魚を食べに行くことにした。
毎日中華料理ばかりで日本式の焼き魚に飢えていたわたしは、まえに南稍門飲食街の屋台で餃子を食べたとき、駅の近くの屋台街で魚が食べられると教わっていたのである。
ウチワでコンロの上の魚をあおぎ、煙がもくもく・・・・とそんな光景を期待したんだけど。
中国に日本式のサンマやイワシの類があるはずがなかった。
屋台にあったのはタチウオとイボダイで、どちらを頼んでもやり方はいっしょ、無造作にぶった切りにして煮えたぎった油の中に放り込むだけである。
タチウオと餃子を食ってみたけど、魚は骨が多く、あまり美味くなかった。

屋台の若者がわたしのカメラに興味を示し、1枚撮らせてほしいという。
ああ、いいよといって彼に食事中のわたしの写真を撮らせた。
彼はカメラの値段を訊いてがっかりしたようだった。
彼が日本に生まれなかったのは運がわるかったとしかいいようがないけど、この若者はなかなか親切で、このつぎは奥さん同伴で来なさいという。
わたしは結婚してないんだよ、キミも独身ならよく考えたほうがいい、結婚はよくないというと、子供っぽい顔をした店の奥さんがアハハと笑った。

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西安では4泊の予定で、西安賓館に3泊したものの、最後の1日ぐらいはべつのホテル、できれば旧城内、つまり城壁の内側のホテルにも泊まってみたかった。
やたらにタクシーを乗りまくって、城内をうろちょろするうち、たまたま「人民大厦」という灰色の古そうな建物が目についた。
「飯店」「賓館」というのはホテルのことで、「大厦」もそうである場合が多いから、おいおい、停めてくれと叫んだ。
運転手にUターンしてくれと頼むと、彼はあそこのホテルは古いからよくないという。
わたしは古いほうがいいという。
強引に説得して車を人民大厦に乗り入れさせた。

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このホテルには守衛の詰める立派な門があり、その内側はちょっとした庭園になっている。
もとはなにか別の建物だったんじゃないかと帰国してから調べてみたら、確かにもとはなにか特別な行政府の建物だったらしく、かってNHKで「シルクロード」という番組が制作されたおり、スタッフが西安で宿泊させられたのがこの建物だったそうだ。
そのころはまだ一般の旅行者に解放されてなかったようである。

フロントで部屋はありますかと訊くと、あるという。
建物が立派なわりには部屋代は安くて350元(4500円ぐらい)。
わたしはここに泊まることにした。
わたしの部屋は最上階で南向きの眺めのいい部屋だった。
窓から外をながめると、すぐ下に閑静なホテルの庭、その向こうににぎやかな東新街という通りが見え、廊下に出て横の窓からながめると、すぐとなりに省政府の大きな建物が見える。
部屋の中の感じは、全体の造りはかなりがっちりした建物なのに安普請のような造作がめだった。
どうももともとの部屋が広すぎて不経済なので、部屋だけはあとから細かく仕切ったらしい。
設備は、バストイレ、冷蔵庫つきというオーソドックスなものだった。

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このホテルは現在どうなっているのだろう。
調べてみたら、基本的にはむかしのままで、いまでも同じところにあるらしい。

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