中国の旅/洛陽という街
さて、この翌日は女性運転手の岳さんのタクシーに迎えに来てもらうところまでは話が進んだ。
彼女の車で洛陽の観光地をめぐるまえに、この街をもうちょいと眺めておこう。
わたしは1996年に初めて行って以来、洛陽を4回も訪問している。
理由はあとで書くけど、そのため洛陽の記述が何度も重複して出てくるのではわずらわしいし、まぎらわしくもあるから、この項ではばらばらの時系列をひとつにまとめるような作為をした。
そういう点を理解してもらって、またわたしの洛陽放浪記。
洛陽の駅から南へ行った交差点のまん中に巨大なトーテムポールが立っている。
これは「九龍鼎」というもので、てっぺんに乗っている鼎は古代の遺跡からの出土品を模したもの、下の部分はそれを支えるための9頭の龍を彫りこんだコンクリートの柱だ。
洛陽のランドマークになっているものでよく目立つ。
あたりの景色は変わったものの、市の象徴としてはいいアイディアで、このポールだけはいまでもその場所にあるようだ。
洛陽のどこかで毛沢東の巨大な像も見たが、こちらはシンボルとしてはいただけない。
洛陽には博物館がある。
わたしが見たころの博物館は、庭に桃太郎の像なんかあって、なんでこんなところに日本の童話の主人公がいるんだいと不思議がられていたものだ。
ちなみに上海博物館の項で、中国では博物館が厚遇されてないと書いたのは、この洛陽博物館の印象によるところ大なのである。
わたしが初めて洛陽博物館に行ったときは、最初のフロアで恐ろしいうなり声がするなと思ったら、なんと博物館の中で、安っぽい恐竜のハリボテを並べて遊園地の見せ物みたいなことをやっていた。
いちおう見学して見たけど、建物の内部はがらんどう、展示も説明もあまり素っ気ないので、ちっとも感心しない。
洛陽は唐三彩の本場らしいけど、そんな重要文化材をホコリだらけのガラスケースに放り込んだだけでは、誰もほめてくれやしないぞ。
国の景気がよくなると、こういうところにも金をかけるようになるもので、現在の洛陽には、新しい博物館ができたようである。
写真で見るとこの博物館は近代的で、ひじょうに立派なものだから、わたしももっと若けりゃ見に行きたいものを。
わたしの泊まった「洛陽賓館」は、紀元前からある(まさか)旧市街にあったから、わたしはさっそく近所をふらついてみた。
以前米国作家のポール・セローとバーチャルで地中海を巡ったとき、ベニスやシチリア島のシラクーザ、クロアチアのドブロブニクのような古い都市を見て感心したように、歴史のある中国で、古くからある都市ぐらい興味深いものはないのである。
しかし旧市街といっても、洛陽の場合、古い城壁は完全に撤去されていて、どこからどこまでがかっての城塞都市だったのか判然としない。
ご多分にもれずゴミゴミした迷路のようなところだけど、清潔感がないかわり生活感だけは有り余るほどある。
まだ発展のまえ段階にあるころだから、中国は貧しく、わたしの興味をひくものはつぎからつぎへと現れた。
旧市街では白いしっくいの塗られた家が目立った。
といっても江南地方に多い、レンガの壁に水がしみ込むのを防ぐためのれっきとした建築様式ではなく、白いペイントを塗りたくっただけのように見える。
そんなある場所で、建物の壁に漢詩が書かれているのを見た。
なかなか風流なものではないか。
日本や先進国では訳のわからないスプレー落書きが増えているけど、中国のこういう姿勢を見習ってほしいものだ。
こんな写真を見せると、おまえもゴミゴミした街が好きだなあといわれてしまいそう。
しかしきれいな街が好きなら外国なんかに行く必要はない。
日本は世界中の旅行者から、きれいな国だと驚嘆されている国なので、日本人なら日本に居座っていれば十分じゃないか。
ダーウィンが初めて新大陸を見たとき、そこにはヨーロッパ人が見たこともない生き物や、人々の生活があふれていた。
わたしはそういう発見や体験がしたいから、海外旅行をしていたのである。
洛陽の旧市街は古い街だからあちこちに古い生活習慣が残っていて、その大半はわたしが子供のころ、日本でもふつうに見かけたものだった。
ある町かどでは農民のおじいさんが野菜の行商をしていた。
リヤカーにキャベツを積んで売っているのを、癇癪もちみたいな近所のおばさんが、ためつすがめつ吟味していた。
キャベツは昔なつかしい量り売りだから、おばさんは表面の葉を、あ、これは虫が食ってる、あ、これは傷がついてるといって、バッサバッサとむしってしまう。
さらに水滴も重さにかかわるというんで、品物をしっかりと上下に振って水切りをしていた。
ひょうひょうとした顔がじつに魅力的な農家のおじいさんは、しょうがねえなという顔で、微笑みさえうかべてこれをながめていた。
わたしは野菜が好きで、とくに新鮮な生キャベツを刻んだものにソースをぶっかけて食うのが大好物である。
生野菜に飢えていたわたしには、このとき見た、葉をむしられてまだ露のついたままのキャベツは、かぶりつきたいほど魅惑的だった。
こういう人の良さそうなおじいさんはまだいて、でんでん太鼓を鳴らしながら、子ども向けの手作りスナックを売り歩いている老人もいた。
まるで童話の世界を目の当たりにしているようだった。
わたしが子供のころ、牛の角のようなかたちの真鍮製ラッパを鳴らしながら、よく近所に豆腐屋さんがまわってきたものだ。
中国4千年の歴史を支えてきたのは、こういう名もない民衆だったのだろう。
おじいさんの写真を撮らせてもらっているわたしの背後で、いきなりドカンという爆発音が聞こえた。
これも子供のころ見たおぼえがあるけど、臼砲みたいな機械を使って、露天商が路上でポップコーンならぬ、爆弾あられを作っていたのだった。
あるところでは、鮮魚店の店頭に生きたザリガニががさごそとうごめいていた。
ザリガニはわたしみたいな戦後の欠食児童にとっては、貴重なタンパク源だったから、これ何といいますかとつまらないことを訊いてみた。
店のおばさんが「龍蝦」と教えてくれた。
見た感じはまっ赤で、大きさも日本でいうところのアメリカザリガニと同じだった。
いったいアメリカのザリガニがどうして中国にいるのかと、現代はウィキペディアの時代だから調べてみたら、戦前に日本から持ち込まれたらしい。
繁殖率の高い生きもので、子供のころは田んぼや小川のいたるところにおり、カエルやスルメの足で簡単に釣れたから、これを釣りに行くのは楽しみだった。
戦後の食べ物の少ない時代だったので、わたしの肉体の一部はあのころのザリガニで出来てるといって過言ではない。
イヌ、ネコも売られていて、いよいよ中国にも本格的なペットの時代の到来を予感させた。
かっての中国では「狡兎死して走狗烹らる」の言葉通り、イヌを食べる文化があって、わたしも市場でさかさ吊りされたイヌだけは見たくないなと思っていたけど、さいわいどこの市場でも、またレストランのメニューにもそれはなかった。
現代の中国では愛犬家たちの抵抗運動が大論争になっているというから、この残忍な風習はじょじょにすたれていくのではないか。
食文化だといってクジラが好物の日本人(とわたし)には耳のイタイ話であるけど。
ぶらぶらしているうち、公衆トイレに出くわしたこともある。
無料だったからこれ幸いと利用することにして、その汚さにおもわず悶絶するところだった。
椎名誠さんはロシアの恐怖のトイレのことを書いていたけど、ウンチかこんな感じだったんだろうねえ。
教訓その1、タダより怖いものはない。
これはべつの日になるけど、駅の近くの洛陽大厦というホテルのすぐ前に、レンタル自転車を発見した。
ちょうどヒマをもてあましていたところで、自転車があれば数時間は楽に時間をつぶせると思い、店に陣取っているおばさんに自転車のレンタルを申し込んでみた。
1時間8元で、せいぜい2、3時間のつもりだったのに、押金として100元をとられた。
どれでも好きなのを選びなといわれたけど、見るとみなおそろしいポンコツばかりで、タイヤ空気圧を調べて硬そうなものを選んだつもりが、乗ってみてびっくり。
急ブレーキをかけると、前輪がハンドルもろともがっくりと前におじぎをしそうになる。
こいつはヤバイ。
交通事故も怖いし、自転車自体がとちゅうで空中分解するんじゃないか。
とてものんびりサイクリングを楽しむどころじゃないというんで、旧城内のトーテムポールまで行っただけで、そうそうに引き返すことにした。
道路にはたまにマンホールが口を開けていることがある。
のぞいてみると、大人でさえ転落したら出られなくなるほど深い。
この国では自分の命は自分で守るということを徹底しないと生きてはいけないなと思う。
自転車を返しにいくと、おばさんはおらず、そのかわりいまどきの日本ではおいそれと見かけない純朴そうな女の子が留守番をしていた。
押金を返してくれというと、ワタシじゃわかりません、座って待っていて下さいという。
椅子に座り、ヒマだから女の子に、キミいくつときくと、なんとかかんとかというから、ああ、14歳だねというと、ぷんとむくれて19歳ですという。
そのうち近くの店からおばさんが出てきて押金を返してくれて、おかげでまあまあの時間つぶしにはなった。
歩き疲れてどこかで休憩しようにも、当時の中国には、レストランや飲み屋はあっても、スターバックスやマック、KFCのような、軽いドリンクでひと休みという店がなかった。
旧市街から抜け出して、王城公園のあたりをぶらぶらしていたら、王城西餐庁という感じのいい店があった。
ちなみに“西餐庁”というのは西洋式レストランという意味である。
カエデ並木の広い通りに面していて、おもてはガラス張りで、店内にはポピュラー音楽が流れ、日本の原宿あたりに持っていってもおかしくない店である(写真を撮り忘れた)。
店員までモダーンなカワイ子ちゃんで、冷たいビールはありますかと聞いたら、温かい缶ビールに、氷を入れたグラスをそえてきた。
それでもこの店がおおいに気にいったわたしは、洛陽へ行くたびにこの店に1度や2度は通ったものだ。
| 固定リンク | 0
コメント