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2024年1月31日 (水)

中国の旅/龍門石窟

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洛陽賓館で朝おきると停電だった。
トンネルを抜けると雪国だったの駄洒落みたいだけど、ただでさえ暗いロビーのあたりがよけい暗く、服務員の娘はローソクを持ってうろうろしていた。

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朝食は洛陽賓館内のレストランでとることにした。
このホテルは、宿泊のほうはなんとなく不景気なのに、レストランはアンバランスなくらい立派だった。
テーブルは30卓ぐらいあって、大使館のパーティや財閥の御曹司の結婚式にでも使えそうだ。
しかしこの朝は客は3、4組しかいなかった。
食事はバイキング形式で、テーブルに包子や炒めものなどが並べられている。
ただし、質、量ともにそうとうに貧弱である。
わたしはお茶がないとメシが食えないたちなので、それをくれというとありませんという。
牛乳もコーヒーも何もないという。
飲みものなしでどうやって食事ができるのか。
仕方なしに朝からビールを飲んだ。

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朝9時に岳さんが迎えにきた。
彼女にとって、この日いちにち貸切を予約したわたしは、逃がしてはならない上客のようだった。
わたしは彼女に、観光に出かけるまえにホテルを引っ越ししようと思うんだがねという。
まかせといてということで、わたしはまず洛陽賓館をチェックアウトし、彼女の車で前日下見をしていた旧のほうの友誼賓館にひとっ走りした。
こちらは1泊460元(6400円くらい)だそうだ。
416号室に部屋を決めたあと、ただちに有名な「龍門石窟」の観光に出た。
この日は雲が多いものの、悪くない天気だった。

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龍門石窟というのは、あ、またリンクを張っておくから勝手に調べて。
中国には3大石窟として、敦煌の莫高窟、山西省の雲崗石窟、洛陽の龍門石窟があることと、ここでは北魏の時代ということだけは頭に入れておいて。
敦煌はあとで出てくるから、わたしはこの中のふたつを見たことがあるわけだ。

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龍門石窟まで、市内から車で20分ほど。
駐車場で車をおりると、すぐに乞食の老人が激しくわたしに迫ってきた。
彼をすんなり退去させるには小銭を与えることである。
貧乏人のわたしが他人にほどこしというのには、かっとうを交えたうしろめたさがあるんだけど、なにしろここは中国で、乞食も立派な職業なのである。
硬貨を与えると老人は当然という顔をして、お礼もいわずに立ち去った。
どうも少額で申し訳ありませんと、こちらが謝りたくなってしまう。
乞食の存在について考え出すと、問題は壮大な国際問題、地球の南北格差やイデオロギー問題なんかにまで発展してしまって、わたしのような小人には神経もサイフももたない。
さいわい乞食はこの老人ひとりしかいなかった。

岳さんがアタシもいっしょに行ったほうがいいですかと訊くから、そうだねと答えると、それじゃカメラバックはアタシが持ちますという。
わたしはサンチョ・パンサを連れたドン・キホーテみたいな格好で出発することになった。

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F3と35Ti、2台のニコンを持って、駐車場からみやげ物屋のあいだをぶらぶら歩く。
左側に伊河という川が流れており、河岸にヤナギが植えられ、橋がかけられていた。
川幅は300メートルほどあるだろうか。
川の両側に山がせまっており、龍門石窟というのはその川岸に彫られた大小1300以上の石仏群をいうのだそうだ。
山といっても、わたしにいわせりゃハイキングにいい程度の山である。
中国では川をあらわすのに『江』(長江)、『河』(黄河)、『水』(渭水)などという字をあてるけど、わたしは個人的見解として、伊河だけは日本のように川という字をあてたいと思う。
この川はけっしてきれいはいえないけど、中国の川にしてはましなほうだし、京都の加茂川のように、広い河原を水が音をたてて流れているといった風情なのである。

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橋のたもとにゲートがあり、龍門石窟はここから始まっていた。
正直にいわせてもらうと、だいたいわたしは龍門石窟なんてものにあまり関心がない。
中国を旅行するのにナンダといわれてしまいそうだけど、去年の西安行きでも、最初は有名な始皇帝の兵馬俑さえ見るつもりがなかった。
現地でタクシーの運転手にすすめられてようやく、それじゃあ見てみるかという気になったものだけど、しかしあとになってから、やはり見ておいてよかったという気になったのも事実である。
龍門石窟もとりあえず見ておこう、だいたいこれでも見ておかないと、洛陽ではほかに時間を有効にすごす方法がないではないかというのが、この石窟に出かけた理由の本音である。

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わたしは山の斜面に彫られた無数の石仏をゆっくりと見て歩いた。
小規模なものなら、こういうものは日本でも各地にある。
テレビで見たものでは大分県の国東半島にも多いらしいし、千葉県の鋸山にもあっで、先年亡くなったわたしの知り合いを散骨するために下見に行った、飯能の天覧山にもちっぽけなものがあった。
こちらは大規模である。
岩肌に手間ひまのかかったであろうと思える仏像が無数に刻まれている。

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石畳のしかれた見学コースを歩いていると、石窟の背後の山の斜面に、ひとかたまりになった黄色い花がたくさん咲いているのが見えた。
遠目にはなんの花だかわからなかったけれど、たまたま見学コースのすぐ近くに咲いていたのを見たら、それは日本でもどこにでもあるようなただの野菊だった。
なかなかにわかダーウィンを満足させるような珍しい植物はないものだ。

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石仏なんかにもともと関心があるわけじゃなし、自分の家がどこの宗教のナニ派かも知らない無神論者であるから、ちっともおもしろくない。
美術芸術には関心があるほうだけど、わたしのそれはかなり偏向していて、仏教美術ってやつはまだまだ興味の対象外なのである。
岳さんはわたしが龍門石窟目当てにやってきたと思っているのだろう。

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石仏に興味はなくとも、あたりはなかなか風光明媚なところなので、それだけでものんびり歩く価値はある。
伊河の対岸をながめると、むこう側の山の斜面にりっぱな建物が見える。
あれは何ですかと岳さんに訊くと、なんとか寺デアルという返事をしたけど、彼女の中国語は聞き取れなかった。
帰国してから調べてみると、この寺は「香山寺」といって、唐の詩人・白居易がしばしば訪れ、その墓もあるという名刹だそうだ。
白居易が白楽天であることぐらいは知っていたけど、その作品についてはその場で思い出せなかった。
帰国してから確認してみたら、「長恨歌」という詩が彼のものであり、そのなかに行ってきたばかりの西安(長安)の華清池が出てきたから、李白や杜甫と同時代の詩人らしかった。

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龍門石窟が中国3大石窟のひとつということは前述した。
建設が始まったのは北魏の孝文帝の時代で、以後唐代まで400年間にわたって彫り続けられたとある。
賓陽洞にある如来像は孝文帝を模したといわれているそうで、だとしたら帝はマンガみたいな顔をしていたらしい。

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いちばん大きい石仏は、奉先寺洞にある高さ17メートルの廬舎那仏だ。
岳さんは石段に登るのがいやらしく、アタシは電話をかけてくるといって逃げてしまった。
わたしはひとりで石段をのぼって廬舎那仏の足下に立ち、いちおう義理で写真を撮った。
廬舎那仏の両サイドにも坊主や仁王さまの石仏が建っている。
あらかじめ調べてみたところでは、なんでもものすごく大きい石仏だというので、それだけが興味のマトだったのに、想像していたほど大きいとも思えなかった。
これなら奈良の大仏のほうがよっぽど大きい。
どうも中国を旅行していると、期待ほどじゃなかったという場合が多いようだ。
期待しすぎるほうが悪いのか。

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廬舎那仏はさておいて、奉先寺洞の高台から見える風景に感心した。
川上にも橋がかかっており、そのあたりで両側の山が切れて、V字型の空間に広々とした平野がのぞめる。
伊河は平野の中で蛇行し、川面にはきらきらと日がさしていた。

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川にそって1キロほど見て歩いて、龍門石窟は終わりである。
川の上流にあるもうひとつの橋のたもとにたどりつくと、その先に巨大な龍の石像が見えた。
それが古代のものならこれこそ見ものなのに、残念ながらそれはつい最近できた遊園地の建造物だった。
アホらしさにため息をつき、橋の上をぶらぶら歩きながら対岸へ渡ることにした。
つまりわたしは下流の橋のたもとからスタートし、石窟を見ながら川にそって歩いて、上流のもうひとつの橋から対岸に渡り、そちらから石窟をながめつつ戻るという、図で描くと四角いコースをぶらぶらしたわけだ。
橋の上から、川の浅瀬で釣りをしている人が見えた。
石だらけの河床を、水が音をたてて流れる川のようすから、アユ釣りのような感じである。

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対岸に着くと、先ほど眺めた香山寺のわきを通るからそこまで行ってみた。
対岸からながめた感じとは大違いで、香山寺には何もなかった。
有名な寺にしては管理がお粗末で、赤く塗られた塗装がはげており、頼もうというと狐か狸が返事をしそうだった。
乾隆帝の堂、9賢人のなんとかという室などがあっただけで、白楽天の墓も白居易の住まいも見つからなかったし、かってはここに宿泊も可能だったらしいけど、いまでは中国人すら泊める設備はなさそうだった。
ただ、ぜんぜん客の来なそうなレストランがあって、そのバルコニーからの眺めはまずまず。
全貌というわけにはいかないけど、窓から河の向こうの龍門石窟がよく見えた。
龍門石窟の全容は対岸からながめたほうがよくわかる。

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岳さんはあまり歩くのは好きではないらしく、すこし歩いただけでモーター3輪をつかまえてしまった。
2人でがたがたとゆられ、下流の橋、つまり出発点の橋を渡って駐車場にもどった。

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