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2024年1月14日 (日)

中国の旅/帰路の列車

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2号室には南京まで行くという中国人の同室者が3人いた。
みな同じ職場のビジネスマンらしく、さいわい気のいい、愉快な人たちだった。
しかしネクタイをしめたビジネスマンでは、わたしにとってあまり話の合いそうにない相手である。
ドコドコへナニナニを仕入れに行くとかいっていたけど、日本からコレコレを5億円ばかり輸入したいなんて話になっても困るので、あまり積極的な会話はしなかった。
遅れて個室に入ったおかげで、わたしは景色の見えない通路側に座ることになってしまった。

個室はこのビジネスマン3人組にあけ渡し、わたしはもっぱら通路の窓ぎわにある折りたたみ椅子に座っていた。
そこで往路と同じ景色を、今度は反対向きにながめる。

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13時ごろ食堂車で昼食をとった。
メニューをみて、西域に行ってきたばかりのつもりで羊肉を頼んだら、賽の目に切ったコーンビーフみたいな肉が出てきた。
これは羊肉ですかと訊くと、ウェイトレスのおばさんがノートに「牛肉」と書いた。
なんだっていいやと、無理に肉が食いたいわけでもないし、わたしはインド人でないから、文句もいわずにそれを食べることにした。
ほかにセロリの炒めものと瓶ビールで48元。

ビールは栓が抜いてなく、グラスもついていなかった。
栓抜きがなければビールは飲めない。
わたしが途方にくれ厨房をうかがっていると、目の前にハンサムな若者が座って、彼もビールを頼んだ。
どうするかと見ていたら、彼は運ばれてきたビール瓶にいきなりがぶりとかじりついた。
彼は人間栓抜きだったのだ。
ビールの栓を吐き出すと、彼はそれをラッパ飲みし始めた。
わたしはハンサムな男というものは口でビールを開けないと思っていたので意表をつかれた。
わたしも真似しようかと思ったけど、歯のほうがへし折れても困るから、おとなしくウエイトレスに栓抜きを借りた。

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また通路に座って景色を眺めていると、黄色い制服をだらしなく着こなした男の車掌が通りかかって、沿線の景色についていろいろ説明してくれた。
制服の色の違いがなにを意味しているのかわからないけど、濃紺の制服の女性車掌たちはみなどことなく威厳があり、誇りをもって仕事をしている様子なのに対して、こちらはなんとなく卑屈っぽく、仕事にウンザリしてるような態度である。

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華山のあたりでこの車掌にいろいろ聞いてみた。
華山には車でも登れるそうで、山頂に宿もあるという。
しかし片言の会話であるから、どこまで間違いなく聴きとれたかわからない。
いつか機会があったら、近くの街に泊まって華山に登ってみたいと思うけど、はたしてこの近くの街は解放都市なのだろうか。
帰国してから「地球の歩き方」で調べてみた。
華山のあたりの街というと「華陰市」で、これは問題なく解放都市である。
おそらくこの街に泊まれば、タクシーの運転手たちは華山に案内しようとウルサイにちがいない。

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華陰市をすぎるとで華陽市で、黄河はこのあたりで、ま北からやってきて直角に東に向きを変え、線路と平行に流れることになる。
しかし列車から黄河をじかに見ることはできない。
それにしても中国の大河はややこしい流れをするなあと思う。
ばくぜんと考えれば、黄河も長江も中国大陸を西から東に流れている。
わたしは上海から南京を経由して西安にやってきたんだけど、そのスタート地点にあったのは黄河ではなく長江だった。
西安は上海から見てほぼま西にあるから、ここに黄河ではなく長江が流れていなければおかしいのではないか。
いったい黄河はどこからあらわれたのか。

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原因は地図を見ればわかる。
黄河は西安の近くでは、オルドスという地方を囲むように、いったん北へ向かい、東に向かい、さらにま南に落下するという大迂回をしているのだ。
みんなすなおに流れない黄河がいけないらしい。
このオルドスにはジンギスカンの墓があっで、歴史的にもいろいろ逸話のある土地らしいけど、列車から見えるわけではなく、とりあえず今回の旅ではわたしの興味の対象外だった。
すなおに流れない黄河は、このあたりで線路に近づき、やがてまたどこかへ姿を消して、長江と位置を交代するのである。

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華陽市をすぎるとまもなく三門峡である。
三門峡はかって関谷函とよばれ、滝連太郎の「箱根の山」の歌にもうたわれている難所、のはずだけど、あたりの地形はそれほど険しい難所とも思えなかった。

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三門峡をすぎると、紙価を高めることで知られた古都の洛陽になる。
この街にも興味があったけど、列車から見たかぎりでは小さな工業都市のようで、道路に石炭ガラがまいてあるようなススぼけた街に見えた。
駅と隣接して大きなホテルのような建物があり、線路ぎわの通りを弁当箱のような軽バンのタクシーが走っている。
この列車に乗ったとき、わたしを失望させた8号室の若い娘たちはここで下りてしまった。

洛陽のあたりで見た農家の庭には、馬、牛、ブタ、ヤギ、ニワトリなどが飼われていた。
中国のブタはまっ黒で、お腹がだらりと垂れている。
それが5、6匹の子をひきつれて農家の庭にかけこむのを見て、わたしは幼児向けの動物園みたいだなあと思った。
動物たちもあれだけいろんな仲間がいれば寂しくないだろう。

19時ごろ、列車が駅で停車中に、夕食も食堂車で昼と似たようなものを食って45元。
1日2回も食堂車を使う中国人はめったにおらず、列車内には米国人らしい金髪の娘がうろうろしていたけれど、彼女も食堂車など使わなかった。

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食堂車にいるとき、痩せて背の高い軍人がわたしのまえに座り、新聞紙を広げて怒気を含んだ言い方でなにかいう。
内容は忘れたけど、当時も現在(2024年)と似たような状況があって、アメリカと中国が対立しており、日本は一も二もなくアメリカの支持にまわった。
どういうことなんだと彼はわたしにつめ寄る。
つめ寄られたって一介の旅人のわたしにどうしようもない。
彼もすぐにいい過ぎに気がついたらしく、自分は1983年に日本に行ったことがある、日本はいいところだったとほめ始めた。
話をしてみたら、彼は「王民」さんといって、学生時代は拝球、つまりバレーボールの選手だったそうだ。
西安高校の生徒だったとき親善試合のために神戸や金沢に行ったことがあるという。
そういわれると体全体が豹のように敏捷そうで、笑顔がいかにもスポーツマンらしい魅力的な男性だった。

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翌朝は南京に到着する少しまえに夜明けになった。
このへんまでもどってくると、さすがに河やクリーク、白壁の民家や水田が目立ってくる。
南京で同室のビジネスマン3人組は下車した。
わたしは彼らに「再見」といい、彼らもにこやかに挨拶して下りていった。

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やっとひとりになれたと思ったら、日本人に興味をもったらしい別の部屋の若者がやってきて、ずうずうしく居座った。
まだ学生のような若者で、わたしのどこに関心をもったのか、えらく人なつっこい。
彼と筆談を交えて会話しながら上海へ向かう。
この若者の名前は“張”クンといって山西省遠城市の人で、友人と仕事で杭州まで行くという。
三国志を知っていますかというから、ええと答えると、自分の故郷は三国志の英雄、関羽の故郷ですという。
ううむ、なるほどと返事をして、わたしはいちおう地図を参照した。
山西省遠城市は三門峡の近くだから、この若者はそこから乗り込んできたのだろう。

帰国してから関羽の故郷について調べてみたら、(三国志によれば)彼の故郷は河東・解梁県とあった。
ただしこの地名は現在は使われていない古い地名らしい。
関羽という人はひじょうに中国人に人気があって、各地にこれを祀る廟があるというから、張クンのいったのはこうした廟のひとつがあるということだったかもしれない。
こんど遊びにきて下さいといって、張クンは自宅の電話番号まで教えてくれた。

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会話の最中、彼はわたしに自分が飲んでいた妙なお茶を勧める。
「八宝茶」といって、はじめて見たけど、お茶の葉以外にいろんな木の実(大きなものは指のツメほどもある)が入っている。
飲んでみると甘い紅茶のようである。
これは枸杞(クコ)ですといって張新クンは、茶の底にしずんでいる小さな赤い実を指さした。
彼が紙に書いてくれたものは、ほかに「桂元」「板栗(松ボックリみたいなもの)」「葡萄干」「杏仁」「草梅」「冰糖」などである。
うっ血、美容、疲労回復に効果があるという。

帰国してから買った週刊朝日にこの茶の宣伝が載っていた。
それによると古代シルクロードの隊商たちが愛飲していた健康茶で、中国湖北省産の宜紅茶(イーコウチャ)を始めとして、ナツメ、羅漢果、枸杞子、山査子(サンザシ)などが入っているとある。
めずらしいものだけど、砂糖が入っていては、日本ではあまり売れそうもない。

上海近くで張クンは「康師傳」というカップラーメンまで食わせてくれた。
これは前回の無錫の旅でも食ったことのあるラーメンで、中国のインスタント麺の中では、わたしかいちばん美味いと思ったものである。
せっかくだから全部頂いたけど、こちらから上げるものが何もないので、駅でミカンを買ってすすめた。
張クンは虫歯が痛むから食えないという。
別の個室にいて、ときどき顔を出す彼の友人は大喜びで受け取ってくれた。
この友人の顔は日本でもよく見かける顔である。

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