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2024年2月

2024年2月29日 (木)

中国の旅/開封へ

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話が前後するけど、ここからまた1996年の旅、つまりまえに河南省博物館を見学した旅の続きにもどる。
わたしはサンタナ・タクシーをつかまえて、黄河風景区に寄ってもらったあと、そのまま開封に向かった。
開封?
手紙の封を切る場合は開封(かいふう)だけど、中国の古都の名前の場合は開封(かいほう)と読む。
それでは開封とはどんな街なのか。

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わたしのこのときの旅と前後して、NHKが「故宮/至宝が語る中華5千年」という番組を放映した。
これは北京と台湾の故宮博物館に収蔵されている中国の貴重な文物を紹介しながら、あわせて中国5千年の歴史も勉強してしまおうという欲張った番組だった。
まだこのころはNHKも昨今のように、アメリカに追従して、中国にケンカを売るばかりじゃなかったのである。
この故宮シリーズの第8回に、夢の都という副題つきで開封が取り上げられていた。

この番組では政治や戦争よりも芸術を愛して、風流天子と呼ばれた北宋の皇帝徽宗(きそう)の悲しい生涯が印象に残った。
いつの時代にも、どんな階層にも、世間に反する人間はいるものだなと。

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鄭州から開封までは高速道路で60キロ足らず、車で約1時間、高速道路の料金は10元だった。
道路上に車は多くなく、その大半は貨物用のトラックで、たまに長距離バスや乗用車など、人間用の車が混じる。
まわりはポプラ並木の多い田園地帯で、遠方から見るそれはきわめて美しい。
ぼんやりと風景をながめていると、あの川べりの道、あの畑のあぜ道、あのポプラ並木のあいだと、じっさいにそこを歩きたいという欲望がわたしのこころのうちでさわぐ。
開封インターチェンジには1時間ほどで着いた。

この街についてはウィキペディアにリンクを張っておいたけど、ここはかって西安、洛陽とならぶ中国の有名な古都だったということぐらいは、ウィキを見なくても知っておいてほしい。

高速道路をおりたあたりで市内とおぼしき方向をのぞんでみたけど、広々とした農地が続いているだけで、高層ビルなどほとんど見えない。
わずかに建設中らしいビルが3つばかり見えるだけなので、いったい街はどこにあるのかと思ってしまった。
まもなく街のはずれにたどりついたものの、やはり洛陽、鄭州にくらべると貧しそうな家並みばかりが目についた。

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運転手が開封賓館を知っているというので、そのままホテルまで乗りつけてもらった。
このホテルは開封の名所・相国寺のすぐとなりにある瓦屋根のホテルで、中庭に入るのにお寺の山門のような門をくぐらなければならない。
それも含めて、中庭をとり囲む2階建ての真っ赤な建物が、どこか吉原の妓楼を思わせた。
案内された部屋は、なにか風呂場の排水みたいないやな臭いのする部屋だったけど、深く考えずに2日分予約してしまった。
ちなみにこのホテルは、同じ場所に妓楼然としていまでもあるようだ。

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部屋に荷物を置いてさっそく駅へ行ってみることにした。 
駅まで軽バン・タクシーで走るあいだ、あちこちでウマやラバが荷車を引いているのを見て、わたしは開封が想像していたより貧しい街であると思った。
駅まえにも寒々とした風が吹いていた。
開封の駅は街のはずれのほうにあって、まわりに高層ビルなどひとつもなく、小さな広場を民家や商店が取り囲んでいるような場所にあった。
それでもその後に駅は新調されたようだから、わたしが見た当時と現在の写真を並べておく。

ここでは市内の地図を買うつもりだったのに、駅の売店には置いてなかった。
タクシーの運転手にぼやくと、彼はバスの発着場の売店に声をかけてくれ、売店のおばさんがまた路上の売店に声をかけてくれて、ようやく地図を手に入れることができた。
地図なんか本屋に行けばあるだろうという人がいるかも知れないけど、わたしは本屋がどこにあるか知らなかった。

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このあとタクシーを待たせて、駅の近くをぶらぶらしてみた。
ガイドブックによると、この街にはレンタル自転車はないということだったのに、駅のすぐ近くでそれを見つけた。
しかしこの日は猛烈に寒い日で、とても自転車でサイクリングという気にはなれなかった。
路地の奥の小さな市場をのぞいたり、古い民家の写真を撮りながらうろうろして、適当なところでまたタクシーにもどった。

車中でタクシーの運転手に、この街でいちばん大きなホテルは開封賓館かいと訊くと、いや、もっと大きなホテルもあるよという。
そっちのほうがよかったら引っ越ししてしまおうというので、わたしは運転手を促してホテルの偵察に行くことにした。
最初に連れていかれたのが「東京大飯店」で、高層ビルではなく、せいぜい3階建ての、平屋のように横に広がったホテルである。
庭が広く、大きな池もあって、見た感じは開封賓館よりよさそうだった。
このホテルも当時の体裁のまま現存しているようだ。
そのつぎに連れていかれたのは「東苑大酒店」で、こちらは高層の建物である。
あまり居心地はよさそうに見えなかったから、もういいやといって、わたしは開封賓館へ引き上げることにした。

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いったんホテルにもどったあと、部屋には入らず、そのまま相国寺のまわりをぶらぶらしてみた。
相国寺については以下のサイトを。
ただし日本の臨済宗相国寺派の広報サイトだから、そのへんを了解のうえで読むこと。

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この寺のまわりには市場があったけど、衣類が主で、服や反物の店ばかりでたいしておもしろくなかった。
門前町のような形態の土産もの屋が集まる一画があり、客はあまりいなかったものの、いずれも瓦屋根の妓楼みたいな建物ばかりである。
あとで見に行く宋都御街もそうだけど、この街では殷賑をきわめた北宋の時代を模擬することという取り決めでもあるのか、多くの場所にこんな建物が多かった。
開封という街は善光寺や伊勢神宮みたいに、古い名所旧跡を活用して観光に特化した街らしかった。

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このあたりのレストランで、激辛ラーメンとキノコの炒めもの、ビールなどの食事をした。
注文取りにきた女の子に、あなたは美人だねとお世辞をいってみたら、ふんと鼻で返事をされてしまったけど、多少はわたしのことを記憶してもらえたようだった。
この日は終日曇り空で、風が強く、やたら寒い日だった。
開封の街には喫茶店など1軒もないし、寒いと歩いていてもつらい。
中国には“お澗”という概念がないらしく、食堂やレストランには温めた酒は置いてない。
軽バン・タクシーはたいていのところへ5元(70円ぐらい)で行くから、けっきょくタクシーにばかり乗っていて、すぐホテルへもどって一服ということになってしまう。

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夜の8時ごろ、なにかやってないかとタクシーで鉄塔公園へ行ってみた。
鉄塔公園というのは、園内に開宝寺塔と呼ばれる、古い時代の塔があることで知られている。
鉄塔の由来はこの開宝寺塔で、鉄でできているから鉄塔というのかと思ったら、たんに表面が赤錆び色をしていて、遠目には鉄の塔に見えるからそういうのだそうだ。
公園の門のまえでタクシーを下りてみたけど、この時間では真っ暗で鉄塔がどこにあるのかまったく見えなかった。
公園のわきに、夜目にはモダーンに見える建物があったので、勝手に入っていったら門番に誰何され、しどろもどろで弁解してようやく退散した。
翌日の昼間ながめたら、この建物は職業訓練学校の女子寮らしかった。

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このあと楽器の演奏か、金髪ショーでもやってないかと、帰りに東京大飯店にまわってみた。
夜なのではっきり見えなかったけれど、タクシーは途中で2カ所も、池というには大きな湖のそばを通った。
ついでにそのひとつの池の近くに、やけににごちゃごちゃしたぎやかな通りがあるのにも気がついた。

大飯店ではべつにおもしろいものはやってなかったので、途方にくれて相国寺の近くへもどり、そのへんの店でなんとかいう白酒(焼酎)を買ってホテルへもどる。
ホテルでは買ってきた酒を呑みながらテレビを見た。
酒は乳白色のビンに入った新彊産の醇爽酒とかいうやつで、ラベルにアラビア文字がびっしり。
アルコール度は45度もあったから、ほんの少ししか呑めなかった。
テレビは中国人主演のマカロニ・ウエスタン(ラーメン・ウエスタン?)みたいな映画をやっていた。
中国には多くの民族による攻防の歴史があるのだから、国がもっとゆとりのある発展をしていれば、この国でも西部劇や時代劇というジャンルの活劇映画が発達していたことだろう。

あまりいやな臭いがするので、夜中に部屋を換えてもらおうかと思ったくらいだけど、なに、明日になったら1日分をキャンセルして、すぐ別のホテルに引っ越すのだからと自分をなだめた。
中国の職人の腕はなってない。
よく街角でノミやハンマー、コンクリートをならすためのコテを持って立っている若者を見かけたけど、あれは求職中の若者が自分を職人であるとアピールしているのである。
見た目は職人にちがいないけど、配線や配管を間違える、床や壁はでこぼこという按配で、わたしはあとでその実例を体感することとなった。

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無理です

NHKはニュースの冒頭に、米国の上院が認めたウクライナ支援を、という文言を入れる。
ええっと驚くと、そのあとに下院では認めていないと続く。
そんなのとっくに知っているよ、いつまで同じニュースを繰り返すんだとつっこみを入れたくなる。
いくらNHK(と世間のロシア嫌い)が期待したって、金輪際アメリカの下院がウクライナ支援にまわるわけがない。
なぜわかるかって?
このブログに書いたように、アメリカの政治というのは民主、共和のどっちが勝って、企業からの献金をがっぽり頂けるかの競争だ。
民主主義の理念だとか、国民の幸せを願うものじゃないんだよ。

とにかくあらゆる手を使って相手を蹴落とし、自分たちが政権をにぎらなければならない。
政権をにぎってからなら、ウクライナ支援もOKするかも知れないけど、それまではゼッタイに相手にポイントを与えるようなことはしてはならない。
いまはバイデンさんの弱点を掴んで、政権を奪取のチャンスなのだ。
こんなときにわざわざ政敵に協力するバカはいないやね。
NHKには申し訳ないけど、せいぜいニュースの冒頭に上院の結果だけを出して憂さ晴らしをしてるがよい。
アメリカがウクライナ支援にOKを出すのは、下院を共和党がにぎっているかぎり無理よ、ゼッタイ無理。

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ふざけんな!

ロシアでノーベル平和賞を受賞したオレグ・オルロフさんが、禁錮2年6カ月の刑だそうだ。
また日本のNHK(と、その他の民放)が飛びついている。
平和賞という点で、まずわたしなんかガックリ。
平和賞、文学賞のふたつぐらい、ノーベル賞が西側の都合で決まるものはないと信じていますもんで。
だからわたしは発表の季節になるたび、ハルキ君に、ガッカリするこたあないですよと励ましてしまうんだけどね。
しかもオルロフさんが受賞したのがウクライナ戦争が始まってからというんじゃ、ますます政治的なものだったといわれても仕方がない。
ふざけんな、NHK!

オルロフさんも戦争が始まるまえまでは、ロシア国内でプーチン政権にブウたれながら、それでも問題なく生活していたらしい。
しかしいまは戦争中だ。
どんな発言をしたのか知らないけど、自国の兵士が命をかけて戦っている最中に、それをけなすような発言をすれば、そしてそれが一線を越えれば、ぶちこまれても仕方がないんじゃないか。
太平洋戦争中に日本の共産党も日本政府に反抗した。
そして戦後になってそれが正しかったことが証明された。
あのときと状況が似てるけど、いまのロシアと完全に同一視することはできない。

NHKがまだ未練たらしく取り上げているナワリヌイさんの場合もそうだ。
プーチン政権下でどうどうと反露活動ができたことにそもそも驚くけど、これも戦争中だ。
当然西側の支援のもとに活動しているのではないかと当局は疑うだろうし(じっさいにその痕跡はある)、その疑念が晴れるまで遺体は返さないというのも無理からぬことである。
そして肝心のウクライナが病死だと認めていて、遺体も返す、葬儀もするというのでは、あとはもうたんなる因縁づけにすぎない。
大切なのは上記のいろんな問題ではなく、なんでNHKはそこまでウクライナの肩を持つのかということなんだよ。
ふざけんな、NHK! まだうちでは4Kも映らんぞ。

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2024年2月28日 (水)

別府サン

フランスのマクロンさんが、EUはウクライナに派兵することも否定しないと発言したことが、EUとNHKのあいだで食い違っている。
NHKの確信犯別府正一郎サンは嬉しがっていたけど、EUは発言を否定するのにやっきになっているというし、マクロンさんは政治家だ。
中国に文句をつけるくせに、訪中するときはフランスの経済人を大勢連れて行く人だ。
そういうことをまったく無視しても国際報道のアナウンサーが務まるのだから、NHKはお気楽な職場のようだ。

興味があって調べてみたら、別府サンはまだ50代の半ばらしい。
ひるがえってわたしのそのころの思想を考えてみると、わたしもまだヘンリー・フォンダやグレゴリー・ペックの影響で、アメリカを理想の国と思っていたんじゃないか。
他人のことはとやかくいえないな。
それでもわたしはそれ以降も年輪を重ねて、ようやくアメリカの欺瞞に気がついた。
民主、共和の争いといっても、ようするにどっちが企業からの献金をたくさん受け取れるかの競争にすぎない。
アメリカは国民ではなく、製薬会社や兵器産業が支配する国なのだ。
バイデンさんという正直な大統領の登場で、それがくっきりとわかるようになった。
うん、やっぱり人間は歳をとらなくちゃわからんこともあるんだね。
別府サンも歳をとれば、あっ、そのころはもうNHKを定年退職してるか。

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2024年2月27日 (火)

ポーカー

ゼレンスキーさんがウクライナの戦死者は3万1千人だといっている。
デタラメである。
と、わたしがいっても誰も信用しない。
冷静に考えてみよう。
去年の6月からウクライナは反転攻勢をかけた。
いったい攻勢をかけたときのウクライナ軍は何人いたのだろう。
そして半年以上攻め続けて、まったく攻略できずに撤退することになった。
撤退というと聞こえがいいけど、ようするにこてんこてんにやられたということだ。
鳴物入りでつぎこんだレオパルドもエイブラムスも、制空権のない戦争で、まったく効果を発揮していない。
戦死者はもっと多いか、さもなくばそれほど大きな戦闘はなかったと考えるべきで、大きな戦闘がなかったのなら、今度はロシア軍の戦死者も少なかったはずということになる。
相手の戦死者は多いけど自軍は少なかったなんてことがあるわけがない。
一方だけに都合のよいウソはなかなかつけないものである。

ゼレンスキーさんは米国やEUの傀儡で、もう自分の意思でなにかを決断することもできないのだろう。
だから彼を責めるより、ここはやはりウクライナの言い分を丸呑みにするNHKに罪があるということになる。
いや、ウチだって戦死者の数が正確だとはいってないと弁解するかも知れないけど、そんな憶測や推定値をぬけぬけと放送すんな!

スウェーデンがMATOに加盟するそうだ。
NHKは大喜びでこの件を報じていたけど、あいにく軍事のしろうとのわたしが見ても、スウェーデンの戦闘機は、米国、ロシアの最新鋭戦闘機に比べればひと昔まえのタイプ。
こんなものが役に立つとは思えないし、フランスのマクロンさんがNATO軍のウクライナ侵攻も排除しないというのと同じ、壮大なハッタリ。
わたしたちはいかに相手を勝負から下ろすかという国家間のポーカー・ゲームを見せられているのだ。

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デタラメのSNS

ネットを閲覧していたら文春オンラインの記事で、八尋伸という記者のウクライナ取材記事があった。
文春というと世間をお騒がせが常態化している出版社だけど、わたしはそれについてはどうこういわない。
世間にはそれを喜んで読んで(自分も渦中に加わって騒いで)いる輩も多いのだから、そういう人の楽しみを奪っちゃ可哀想だ。
しかしわたしの惚れ込んだ男のなかの男、プーチンをけなされちゃおもしろくない。

今回の記事の見出しは
「ロシアになればウクライナよりいい暮らしになる」
「挨拶をしてもそっけない“親ロシア派”住人の本音とは」
というものだけど、これが現地取材だそうだ。
八尋クンはいったい何をしに行ったのか。
ウクライナ人の友人に案内されて行ったらしいけど、これで親ロシア系住人に歓迎されると思っていたのだろうか。
ロシア人だっていま西側が共謀してロシアをいじめていることを知っている。
そっけない以外にどんな反応をしてもらえると思っていたのか。

ロシアのほうがいい暮らしができるというのは、日本にだって政治に満足していない人間がいるくらいだから、いちがいにいえないけど、ウクライナよりマシというのはほぼ事実である。
ウクライナはオリガルヒというひとにぎりの金持ちに牛耳られた国で、庶民は病院にもいけない。
ということをわたしは日本にいるウクライナ人ユーチューバーの映像で知った。
ウクライナでは汚職が蔓延していて、医者になるのも技術でなく、袖の下で決まるのだそうである。
以前NHKテレビの「ぐるっと黒海4000キロ」では、野村佑香ちやんが話を聞いたウクライナの農民がしみじみこぼしていた。
儲けるのは都会の人間だけさ。

ウクライナがワイロ漬け国家であることは、汚職が多すぎるといわれて、NATOにいつまでも加盟できなかったことからも明らかだ。
ウクライナが追い込まれると、NATOはそんな規則を反故にしてまで、ウクライナをNATOに入れようとしている。
汚職大国を勝たせるためならどんなデタラメも押し通す気らしい。

こんな状態だから、ロシアのほうがいい暮らしというのは間違いではないだろう。
わたしはじっさいにロシアに行って、プーチンが大統領になったあとのロシアが、日本人でも安全に旅行できることを確かめてきた。
八尋クンは現地で文春と原稿の打ち合わせでもしてたのか。
やっぱり文春というのはマッチポンプだなとしか思えんけど、“マッチポンプ”という言葉の意味知っとるかい。
つまり自分で話題をこさえて、自分でそれを報じて儲ける文春のような、いや、いまの日本のマスコミ全般にいえることなんだよ。

もうSNSはデタラメの海だ。
プーチンが反論しないのをいいことに言いたい放題がまかり通っている。
おかげでわたしのブログネタも尽きることがない。
今日のニュースに香港の周庭ちゃんがYouTubeを発信しているものがあったけと、彼女の発言を聞くと、ゼッタイに民主主義がいいと信じる、いまどきの若者の軽薄な考えの見本を見せられているようだ。
多民族の大国をよくコントロールする権威主義と、大統領がボロ儲けをする格差社会の民主主義なら、わたしは権威主義のほうがマシだと思うけどね。

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2024年2月26日 (月)

今日の埋め草

土日は海外の報道が少ない日なんで、わたしも埋め草みたいな記事でお茶をにごさにゃならん。

どういうつもりか知らないけど、ナワリヌイさんは病死だったと、ほかならぬウクライナ自身が言い出した。
どうしても動かしようのない病死判定が出たのか、それともまたなにか企んでいるのか。
どっちでもいいけど、わたしにとっては、犯人はプーチンだと連呼していたデタラメSNSが、面目まるつぶれになったのがウレシイ。
これまでのデタラメは、気球やノルドストリームから始まって、6月のウクライナ軍の大反攻まで、すべて西側とウクライナが騒いだだけ。
ロシアもプーチンもひたすら戦争に傾注して、プロパガンダに興味も持たない。
あるブロガーがプーチンは大嘘つきだというから、へえ、彼がどんなウソをいいましたかとコメントつけたら、それっきり沈黙しちゃった。
だれでもいいよ、プーチンがどんなウソをいったか、知ってる人がいたらコメント欄で教えてくれる?

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2024年2月25日 (日)

写真の追加

どこかへまぎれこんでいた写真が見つかったので、わたしのブログの「中国の旅/黄河のほとり」の写真を追加しました。

興味のある人はもういちど見てくださいな(ない人はそのかぎりにあらず)。

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2024年2月24日 (土)

親切なのは?

昨夜のニュース9を観たら、キャスターの田中正良サンがウクライナから放送していた。
若い青井実クンがいなくなっちゃって、若くない田中サンに負担がかかっているなら気のドクなことだ。

そんなことはどうでもいいけど、あいかわらず渾身の反露プロパガンダだ。
このたびは「ウクルインフォルム」という雑誌の記者が、田中サンとともに現地から解説をしていた。
あまり聞いたことがない雑誌だから、どんな傾向の雑誌なのかと調べてみた。
なにごともこうやって自分で調べてみることが、悪質なプロパガンダに引っかからないコツなんだけどね。

それでわかったことは、ウクルインフォルムというのは、もともとはウクライナの国営通信社で、テレビに出てきた解説者はその日本版の編集者だった。
記事をざっと眺めてみても、ウクライナの政治家、要人に対するインタビューや記事ばかりで、ロシア側にインタビューした記事なんかひとつもない。
ウクライナの汚職官僚にインタビューしたものもない。
もうこれだけで、なんだ、NHKの御用解説者の新顔じゃんとわかるね。

わざわざウクライナから報告と謳っていながら、NHKはあいもかわらずウクライナ擁護のプロパガンダばかり。
民主主義の日本にはあらゆる傾向の情報が氾濫しているから、NHKはその中から都合のいい解説者を見つければいいだけなんだけど、こうなるとほんとにカルト宗教の手法だね。
え、そこまでしてウクライナを応援する理由はなんなのだ。
もう支援なんかやめて、さっさとゼレンスキーさんに引導を渡しちまえ。

わかりやすい話をしよう。
わたしはゼレンスキーさんに、引導を渡せ、さっさと降伏しちまえという。
NHKは可哀想なウクライナにもっと支援してやろうという。
さあ、どうだ。
ほんとうに親切なのはどっちだ。
支援したって戦争を長引かせるだけ、プーチンを困らせて嬉しがってるだけで、そのあいだに兵士たちの命はますます失われるだけだ。
降伏すれば、ゼレンスキーさんはともかく、一般国民は安心して眠れるようになるんだよ。
ウクライナ国民も、大半は戦争を支持してるって?
太平洋戦争末期の日本の国民も表面的には支持してたっけねえ。
そんなもんNHKの捏造に決まってる!
NHKは大本営発表という愚で、日本国民をふたたび欺いているんだ。

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2024年2月23日 (金)

中国の旅/黄河風景区

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翌朝はサンタナのタクシーをつかまえ、運転手と交渉して、鄭州の観光名所である黄河遊覧区に寄ってもらい、そのあと古都の開封まで行ってもらう契約をした。
黄河遊覧区の正式名称は「鄭州黄河風景名勝区」というので、以後は黄河風景区と書くことにして、そこに着くと、さすがに向こう岸が見えないくらい広かった・・・・

おい、おい、ずいぶん速いな、いくらかはしょってないかいといわれそう。
じつはその通りで、はしょった理由は、このときの旅は1996年のものだけど、そのあとの1999年にもわたしは洛陽の女医カクさんの案内で、同じ鄭州の黄河風景区を見物に行っている。
それをべつべつに書いてもわずらわしいだけなので、ここから彼女といっしょの旅を優先させることにした。
そのときはカクさんの妹とその娘もいっしょだったので、記述もそちらのほうが詳細になりそうだったからである。

ということで前後が交錯してややこしいけど、ここからは1999年の黄河風景区の旅である。
この年にわたしは、性懲りもなく洛陽に女医のカクさんを訪ねた。
彼女は鄭州に妹の家族が住んでいるので、それを訪問するついでに鄭州を案内するという。
にぎやかなところやお寺を案内されても困るから、わたしは3年まえにひとりで行ったことのある黄河風景区へ行ってみたいとお願いして、それでは彼女もひさしぶりのピクニックということになったのである。

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洛陽から鄭州までバスのほうが便利がいいとカクさんはいう。
混雑するバスでほこりまみれになって行くのはゴメンだったけど、これは1時間に1本くらいしかない列車とちがって、本数が多く、客が満員になりしだい発車するから、発車しそうなバスを見つければ待つこともない。
高速道路を使うから、かかる時間も2時間ぐらいだそうだ。
というわけで鄭州までバスで行くことになった。
バスは20~30人乗りくらいのマイクロバスで、あまりうれしくなかったけど、乗ってみてその気が変わった。
車もそれほどひどいポンコツではないし、いちおうエアコンも効いている。
混んでいるからつぎのバスにするといったら、あせった運転手が助手席に座らせてくれた。

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混雑したバスのなかの特等席というべき席に座ったまま、これで中原の穀倉地帯を列車よりさらにま近に見られることになった。
とちゅうに西安のあたりで見たような複雑な段丘状の地形があったので、わたしは以前から疑問に思っていたことをカクさんにぶつけてみた。
こういう地形は黄河の侵食によるものだろうか、それとも地殻の隆起や沈降によるものだろうか。
カクさんは優秀な人だけど、専門は医学であって、地質学もしくは博物学は知識の外らしく、じつに率直な返事をした。
人間が拓いたものです。
納得。
ブルトーザーやダンプはなくても、中国の農民にとって、そうした作業に費やす時間は数千年もあったのだから。

農村地帯では取り入れが終わって、つぎの畑起こしと種まきの季節らしく、大勢の農民が働いているのが見えた。
牛や馬、たまに耕運機も動いているけど、ほとんどは人間だけの作業で、牛の代わりに人間が3人くらいで犂(すき)を引いていることもある。
それはミレーの「晩鐘」の時代を思わせた。
アグネス・スメドレーの「中世の中へ」という表現は今でも生きていたのである。

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鄭州では96年の旅で泊まったことのある杜康大酒店に泊まることにした。
このときは中国人のカクさんが宿泊手続きを全部してくれた。
あとで聞いたら、わたしの書類を見たフロントの女の子たちが、独身の日本人が来たといって、カクさんに紹介してくれと騒いだそうである。
惜しいことをした。
日ごろ日本でいじけた生き方をしているわたしが、モテモテというめずらしい体験をできたかも知れないのに。
3年まえにひとりで泊まったときは、さすがに本人に向かって直接そんなことはいえなかったのか、そんな気配はさらさらなかったもんだけどね。

この日の夜はわたしひとりで杜康大酒店に泊まり、カクさんは妹の家に泊まりに行くことになった。
わたしはまたホテルの近所をぶらぶらして、晩飯はそのあたりの食堂で麻辣湯を食べたということは前回といっしょだからもう書かない。

翌朝は、いきなり部屋に飛び込んできた高校生くらいの女の子に起こされてしまった。
彼女はカクさんの妹の娘、つまり姪っ子で、外国人が泊まるホテルが珍しかったのか、母親たちをさしおいて部屋をのぞきに来たのだった。
カクさんと妹もすぐに現れた。
カクさんの妹というのは、丸っこい元気な人で、あとでわかってくるけど、しっかり者のお姉さんに、甘えん坊の妹という感じの人だった。
妹さんの娘はメガネをかけた活発な子で、ジーンズをはき髪を短くしているから、わたしは最初男の子とカン違いした。

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ほかにどこかの役所の職員だという中年男性が車を運転してきて、足つきの贅沢な観光になった。
車はアウディで、タクシーに使われているワーゲンのサンタナと同じように、このころの中国にはドイツとの合弁会社が多かったのだ。
アウディに運転手を含めて5人が乗り込み、黄河風景区に出発である。
わたしは助手席に乗せられた。
運転手は日本でもよく見かける実直そうなタイプの人だったけど、日本語がわからないし、わたしも中国語がペラペラというわけじゃないから、会話はほとんどなかった。
休日に無理に引っ張り出したんじゃないかと、こっちのほうが恐縮。
ふだん事務職らしく運転はうまくないから、彼が運転操作をミスっても、わたしは気がつかないふりをしていた。

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さて、わたしが黄河風景区を最後に見てからすでに25年近くがすぎた。
その後の中国の発展の結果として、ここもずいぶん変わったようである。
わたしが行ったときはなかったものに、燕王と黄帝という人物の巨大な石像がある。
調べてみたらこれは両方とも皇帝の尊称で、じっさいに存在した特定の王のことではなかった。

あっちこっち寄り道をしたので、5人乗りのアウディは目的地まで1時間以上かかったけど、やがて車の左手に山が近づいてきた。
これは三皇山という山らしく、そのふもとにはあちこちにヤオトン(洞窟住居)も見える。
黄河風景区は三皇山のふもとの、黄河のほとりに広がっていた。

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黄河風景区の駐車場の入口で、運転手が係りとなにやら交渉をする。
どうやら自家用車は風景区の中まで入れないといってるようだけど、こちらは役人で、共産党員のカクさんもついているのだから、まあ、いいでしょうということになった。
そういう光景をわたしがぼけっと眺めていると、近くをがらがらと音をたてて列車が通過していくのが見えた。
風景区の近くには鉄道が走っていて、送電線の鉄塔が並んでいるのも見える。

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ここの河川敷内には人工の堰堤で仕切った小さな湖があって、ボート乗り場が作られていた。
カクさんの妹さんは、日本人という生きものと会話できるのが嬉しくてたまらないらしく、わたしに乗ろうよ、乗ろうよと誘うので、娘と3人で乗り込んでみた。
中国のボートのユニークな点は、オールを引くのではなく、押してこぐ点にある。
日本のボートは逆で、たいていはオールを引くときに力を入れる。
全身の力をこめるには引くほうに分がありそうだけど、欠点は前が見えないというところだ。
わたしにしてみれば、ひさしぶりにボートをこいで楽しかった。

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出発点までもどるとカクさんは少々おかんむりである。
彼女はたまたま車を移動させていた運転手を迎えにいって、留守にしているあいだにわたしたちが勝手にボートを乗り出してしまったのだから。
それで今度はカクさんを忘れずに全員で展望台まで行ってみることにした。
運転手はリフト乗場まで車で行こうとしたものの、5人が乗ったアウディは急坂のとちゅうでエンコしてしまった。
ギアの入れ替えにもたもたしすぎるのである。
わたしたちは車から下りて歩くことにした。

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リフトは日本のスキー場にあるものと同じで2人乗りである。
距離はかなり長く、山ひとつ越えてえんえんと山頂までつながっている。
目の下にヤオトンの農家が見下ろせて、農家の庭でイヌが昼寝をしていたり、ヒナを連れたニワトリが遊んでいたりと、なかなか楽しい(このリフトは、現在はゴンドラ型のロープウェイになったようだ)。

山頂の展望台から見る黄河の景色は雄大のひとことだっだ。
水の流れている部分はそれほどでもないけど、対岸の河川敷まで含めれば広さは相当のもので、向こう岸はぼんやり霞んでおり、耕地になっている河川敷に野焼きの煙がいくすじも立ちのぼっていた。
わたしはこの先に、さらにどんな景色があるのかと、期待と空想をふくらませることとなった。

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風景区からの帰りに妹さん母娘を自宅アパートまで送るとき、近くの原っぱでお粗末な京劇が上演されているのを見た。
カクさんにいわせると「豊作祭」の催しものだそうである。
原っぱの掘ったて小屋といっても、京劇のキャラクターはちゃんと揃っており、華やかな衣装は本格的で、舞台のすそにちゃんと楽器奏者もひかえている。
天幕に「鄭州市新金豫劇団」とあって、鄭州市の市民劇団なのか、それとも旅まわりの(いちおう)本格的な劇団なのかわからないけど、それでも数十人の観衆が集まっていた。
こういうローカルな上演形態こそ京劇の原点ではないか。

おまけのようなかたちでおもしろいものを見ることができたけど、これでわたしの黄河風景区の観光はお終いである。
鄭州市にもどったところで遅い昼食にして、「大砂鍋」とかいう、骨ごと叩き切った肉を煮込んだダイナミックな鍋料理を食べた。
わたしが来年もまた来たいとお世辞まじりのお礼をいうと、これまであまり口を聞かなかった運転手のお役人さんが、笑いながら、来年もまたこれを食べましょうという。
気兼ねしていたわたしはようやくホッとした。

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昨日のNHK

昨夜のNHK国際報道はひどかった。
視聴者の意見も聞きながら、ウクライナ戦争のいまを解説するという謳い文句で、画面の下にその意見とやらが表示されていたけど、国民をだまし続けているNHKが、首尾よくだまされた国民の意見を、取捨選択する権限まで持っているんだから、もうやりたい放題。
仕立てのよさそうな背広を着た、ウクライナ大使の松田邦紀さんという人が出てきて、いうことはすべて、なにがなんでもウクライナの支援を続けさせようというまっ黒なプロパガンダ。
やがて戦争が終わり、ロシアとの関係を修復しなければならない時期が来たとしたら、松田サンはしゃあしゃあとして、あのときのわたしの立場ではああいうしかなかったのだというのだろう。
メデタシ、メデタシ。

さらにこれとは別に「私の故郷・ウクライナ」というドキュメンタリー(を装った)番組もあって、これは日本にいるウクライナ娘が、帰国して母国の戦禍を見てまわるというもので、ほとんど総力戦のプロパガンダ。
遠いヨーロッパの戦争で、どっちが勝っても直接的な利害はないと思えるのに、NHKがこれほど入れ込むというのは、もはやウクライナは絶壁のふちだということを認めたのだろう。
狂気の沙汰としか思えないけど、ずっと先を遠望すれば、中国に対する恐怖心が底にあると思われる。
将来かならず中国と一戦を交えなければならない。
そのときまで西側の結束を維持しなければならないから、ここは絶対にアメリカに追従して、汚職国家ウクライナを守ってやらなけりゃいけないのだ。

ああ、怒りのあまり血湧き肉躍る。
これではやっぱりボケる時間もないワ。

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最高値の更新

株がバブルの最高値を更新したそうだ。
テレビを観たら、嬉しいといって涙を流している人までいた。
そんなおめでたいことなのか。
だいたい日本はそんなに景気がいいんだろうか。
トレーダーたちが煽るのは当然としても、日本人は前回のバブルを知ってるから、あつものに懲りてなますを吹くで、そう簡単には煽られないように思うんだけどな。

株なんざやったことのないわたしは、なにかひたひたと迫り来る不気味なものを感じてしまうけど、世間はどうなんだろう。
株の暴騰は極端な不景気や戦争の前兆という学術的論文はないんだろうか。
そうじゃなくても現在の世相は異常なことばかりじゃないかね。
わたしのボケが先か、世界の破滅が先か、温暖化も始まってるような気がするし、悪い予感ばかりというのは、わたしがペシミストだからそう感じるんだろうか。

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2024年2月22日 (木)

またプロパガンダ

前項でプロパガンダというものは、わかりやすくなければいけないと書いた。
今度は逆にややこしくて、ミステリーファンをうならせるプロパガンダについて書いてみよう。

昨夜のNHK国際報道で、ロシアで反戦活動をしている兵士たちの家族が取り上げられていた。
プーチンに抗議をする反戦メディアや、路上でアタシの亭主を返してと抗議デモをする奥さんたち、ロシアの人口の何分の一が知らないけど、戦争に反対する人々は確実に増えているとNHKは言いたいらしい。
ま、これはわかりやすいプロパガンダのほう。

しかしこんなものを見せられれば誰しもが、へえ、ロシアにはいまだに反体制メディアもあるのか、抗議デモも許されてるのかと考えてしまうだろう。
これってロシア側のプロパガンダじゃないのか。
ロシアの反戦運動を報じているつもりのNHKは、まんまとロシアのプロパガンダに乗せられて、逆にロシアが民主的で寛容な国であることを宣伝してんじゃないのか。
ミステリーファンをうならせるプロパガンダとはこういうものだよ。

これはNHKのジレンマだな。
ロシアを貶めるのは上からの至上命令だから、なんとかそれらしいネタを探して報道しないわけにはいかない。
といって、ロシアが抑圧的な独裁国家であることを証明しようとすればするほど、かえってその逆を宣伝することになってしまう。
こうなるとミステリーというよりユーモア小説だよ。
わたし、ますますNHKのファンになってしまいそう。

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プロパガンダ

ウクライナ戦争はプロパガンダ戦争だということに気がついた人は多いだろう。
ところでプロパガンダというのは、簡単で分かりやすいものでなければいけない。
ミステリーファンをうならせるような複雑なプロパガンダでは、だます相手(たいていは単細胞で複雑な思考のできない輩)が混乱してしまって、うまくだまされてくれない。
だから、誰が見たって犯人はロシアだというような分かりやすいプロパガンダでなければならない。

スペインで脱走ロシア兵が殺されたという。
これなんかロシアを貶めるに絶好の材料だ。
脱走したということは、ロシアから見れば裏切り者であり、ロシアの秘密警察に狙われてんだろうなとはだれでも考える。
いまこいつを殺せばだれだってロシアがやったと思うだろう。
気のドクに、脱走した兵士はウクライナ側から身の安全を保証されていたというけど、じつはプロパガンダ用の駒として保存されていたにすぎなかったわけだ。
過去にも似たような例はたくさんあったというけど、プーチンによって没落したオリガルヒの残党や、西側から指図されたグループによる犯行だったものもあるだろう。
あまりわかりやすい事件は疑ったほうがいい。

同じことはナワリヌイさんの場合もいえる。
ただし、今回は煽動者たちはちょっと焦りすぎたようだ。
いまの時期にプーチンには、刑務所に収監されていて、立候補もできない彼を殺す理由がない。
西側が大喜びするのは目に見えているから、ヘタすれば選挙に悪影響が出てしまう可能性すらある。
おおかたの単細胞は信じるからいいとしても、ちょっと複雑な思考をするミステリーファンなら、だれだっておかしいと思う。

YouTubeを観ていると、公平客観的な態度で、ロシアについて報告しているチャンネルがいくつも見つかる。
その中から、プーチンとタッカー・カールソンの対談の翻訳もしていたLizzyさんという娘のチャンネルを紹介しよう。
彼女は殺されたとされるナワリヌイさんの、日本ではけっして報じられることのない裏の顔について紹介している。
それじゃあ公平ではないんじゃないかと思う人がいるかも知れないけど、もういちいち説明はしないから、あなたが自分でそのチャンネルを観て判断してほしいね。
このLizzyという娘(日本人)を見ていると、せめて外務大臣の上川のおばさんが、彼女くらい自分の意思で話してほしいと思うよ。

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2024年2月21日 (水)

ボケがきた

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やばい、ボケが始まったようだ。
わたしはテレビ番組を録画して、それをむかしはDVDに、最近はブルーレイに焼いて集めるのを趣味にしている。
映画もあれば、自然科学、旅行番組、音楽や舞台など、ほかに興味のあるものならドキュメンタリーも保存しておくという按配で、わたしにいわせれば目で見る図書館を所有しているようなものだ。

そんなものを全部観ている時間はないけど、たとえばあの映画のあのシーン、あの国のあの街、あのオペラのあの歌は、ライオンはいかにしてカモシカを食べるのか、マリアナ海溝の奥底にひそむ魚はどんな顔をしているのかなどということを、必要なときにすぐに確認できるのだから、知識の宝庫といって過言ではない。

そういうわけで、部屋にはおびただしいディスクが山積みになっている。
これだけ録画した番組が溜まると、注意しないといけないのは、過去に録画した番組を、ついうっかりしてまた録画保存してしまうことだ。
それを防ぐためにわたしはエクセルでデータベースを作って、過去に録画したことがないかどうかを瞬時に検索できるようにしてある
それも映画のDB、科学番組のDB、旅行番組のDBのいうふうに分類し、ディスクの画像のサムネイルまで作って見た目もいいデータベースにしてあるんだけど、今日それの更新をしようとして、ふと見たら、1連のサムネイルが消滅していることに気がついた。

ええ、おい。
消したおぼえはないんだけど、いったいどうなってるんだ。
あわててほかのデータベースもチェックしてみようとして、いまためらっている。
もしもほかにも消したおぼえがないのに消えているものがあったらどうしょう。
ついに来たるものが来たかと、身寄りのないわたしには重大な案件である。
貯金みんな下ろして美味しいものでも食っとくか。

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2024年2月20日 (火)

中国の旅/河南省博物館

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翌日もときどき雨のぱらつく嬉しくない日だったけど、それでも軽バン・タクシーで河南省博物館に行ってみることにした。
雨では屋根のある施設でないと具合がわるいのである。

この日は朝から風邪ぎみでもあった。
風邪には「銀翔解毒片」という薬がいいという情報を、女医のカクさんから仕入れていたので、とちゅうで車を停めて薬屋に寄ってもらい、これを買ってすぐに飲んでみた。
黄色い丸薬で、甘くて飲みやすい。
すると、あら不思議、わたしはこれ以降風邪に悩まされることはなかった。
しかしインフルエンザにそんな即効薬があるとは思えないから、女性の医者にもらった薬はよく効くというプラセボ効果かも知れない。
あるいはたんなる気のせいだったかも。
タクシーの運転手も風邪ぎみのようすだったから、どうぞとすすめてみると、彼はいらんいらんと手をふった。

じつはこの日はどこに行こうかと悩んだ。
鄭州という街は日本人にあまり知られてないから、現代ならYouTube映像でも作って儲けることも可能だろうけど、96年といったらまだパソコン元年とされるWIN95が発売されて1年しかたってない。
わたしはどこまでも金儲けに縁のない男なのだ。

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そんなことをいまごろぼやいても仕方がない。
河南省の省都である鄭州には、河南省最大の博物館がある(はずである)。
とりあえずわたしが興味を持ちそうなものは、そのくらいしかないので行ってみることにした。
しかし、ああ、建物の外観をひと目見ただけで、とても上海博物館ほど近代的なものではないだろうと覚悟した。
ガイドブックはここをあまり推薦しないほうがいいと思う。

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とはいったものの、この記述はあくまで1996年当時の所感である。
現在はどうなっているのだろう。
その後の鄭州の繁栄はもうすさまじいほどのもので、中国政府や河南省は、メンツをかけて文化事業にも力を入れたようである。
河南省博物館は立派なものが新しくできており、ほかにも、あとでわたしががっかりした鄭州市の市立博物館も近代的なものができていた。

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96年当時の博物館がどんなものだったかは、このブログを読めばわかる。
入場すると、まずがらんとしてホコリだらけの1階のロビーに驚かされる。
展示場は2階にもあったけど、からっぽの部屋が多く、どこになにがあるのかわからない。
カビくさい階段を上がったり降りたりして、ようやく恐竜の実物大骨格模型のある部屋を発見した。
恐竜というとジェラシックパークだけど、この模型は横から見られることだけを想定して作られたようで、正面から見ると左右からプレスされた馬みたいな顔になっていた。
河南省はアメリカやモンゴルと同じように、恐竜の化石を多く産出するところだから、恐竜の卵の化石があると知って興味を持ったけど、じっさいには砲丸の弾みたいなただの丸い石にしか見えなかった。
ダチョウの卵とあまり変わらないなというのが正直なところで、恐竜もダチョウも生物学的にそれほど変わる生き物ではないから、これでだし巻き卵を作ったら何人分ができるだろうと感心したくらい。

この博物館は美術館も兼ねていて、ある部屋では「書法芸術展」という書家の個展をやっていた。
わたしが入っていくと、それまで椅子に座っていたヒゲの若者がさっと立ち上がって、いずまいを正した。
どうやらボヘミアン的服装のわたしは、ここでもエライ芸術家であると見そこなわれたようだった。
この若者は朱明クンといって、この個展の主催者で、作品は書道と絵画のまじったような前衛書道で、なかなかおもしろかった。
うん、見どころがあるね、頑張りなさいとホラを吹くと、彼はしきりに恐縮して、カレンダーになった個展のポスターをくれた。
どこへ行っても罪作りなわたしである。

このポスターはだいぶしばらくわたしの部屋に飾ってあったけど、現在の団地に引っ越すさいに行方不明になってしまった。
朱明クンについて、ひょっとすると書法の大家になっているかもしれないと、中国の百度(中国の検索エンジンで、グーグルみたいなもの)まで調べてみたけど、結果はこの名前は中国では珍しくないということだった。
芸術家で出世するのは中国でも簡単ではないようだ。

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そろそろ帰ろうと軽バンのタクシーをつかまえたけど、雨はそれ以上降りそうになかったから、途中で見かけた碧沙崗公園という大きな公園のわきで降りてしまった。
この公園は有料である。
園内に鄭州市の博物館というものがあり、あまり期待しないけどのぞいてみようとしたら、この日は休みになっていた。
だいたい開いている日があるのかと疑問を感じるくらい、無愛想な博物館だった(いまでは河南省博物館に負けないくらい立派なものが新しく出来ている)。

園内に映画館があったから入口のあたりを観察してみた。
1階にチケット売り場ともぎりカウンターがある。
もぎりなんていっても今どきの若いもんにはわかるまいから、リンクを張っておいた。
大きな体育館みたいな建物の横に入口がいくつかあって、黒いカーテンが下がっており、わたしの子供のころのなつかしい映画館といっしょだった。
しかし字幕なしの映画なんかわかりようがないし、当然ながら天気のよくない平日に、映画を観ようという酔狂はいないようだったから、外から外観を観察しただけで通り過ぎた。

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園内にはほかにもワシントンの議事堂みたいな白亜の建物があった。
どういうことなのか、門に皇家花園というレリーフ文字があったのをはずして、新しく「花園」という金色のレリーフに付け替えてあった。
以前は“皇家”という文字が頭についていたらしいけど、これはおだやかじゃないから、よっぽど尊い人の御用達ホテルだと思い、ずけずけ入っていってボーイに尋ねると、ここはレストランですという返事だった。
まわりの雰囲気はあまりよくなかったけど、フランス料理でも食わせるのかしらん。
後学のために入ってみればよかったけど、麻婆豆腐や餃子定食という雰囲気ではないので、ここも外から眺めただけで通り過ぎた。

ホテルにもどって近所をぶらぶらする。
まわりは道路の広い閑静な住宅街で、散歩するにはわるくなかったけど、あまり見るものがない。
それでも住宅街の一角に露店の市場があったりするので、冷やかしながら歩いた。
腹がへったのでそのへんの店で食事をすることにした。
店のまえでは、夜になると開店する屋台の準備で忙しそうな娘がいた。
どことなくはかなげな顔立ちの女だったので、わたしの記憶のファイルに綴じ込めた。

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鄭州では「麻辣湯」というのが名物らしく、あちこちでその看板を見たので、試しに注文してみた。
これは酢と辛味の効いたスープで、麺を加えた酸辣麺という料理もあり、わたしは病みつきになってしまって、日本に帰国したあとも、中華料理店でこれがメニューにあれば、よく注文したものだ。

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夜になってホテルの近くにある「浴池」へ行ってみた。
ホテルにシャワーはあるけど、たまには中国の銭湯もおもしろいと思ったのである。
気をつけないといけないのは、中国に貧乏旅行に行った先達が、浴池で泥棒に遭い、荷物を盗まれて、まっ裸のまま放り出されたことがあるということだった。
だからタオルと着替えだけを持って行ってみたんだけど、番台のあたりからのぞいてみたら、せまい浴室に裸の男たちが肌を寄せ合う状態だったので、なんとなくイヤになって帰ってきてしまった。
ああいうところに平然と入れる人は勇気があると思う。
浴池の帰りに見たら、はかなげな娘が、今度は屋台で働いているのが見えた。

風呂に入るのにカメラを持っていくわけにもいかず、写真がないから、じっさいに中国で浴池に入ったことのある人のサイトにリンクを張っておく。
最近では中国でも、清潔でスポーツジムやマッサージを備えたデラックスな浴場が増えているようで、これは日本の温泉を見習ったのだろう。

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ホテルにもどって翌日の予定について考える。
鄭州はどうにもおもしろくない街である。
地図やガイドブックを参照すると、鄭州の北に黄河遊覧区という観光名所がある。
あまり名所旧跡に関心のないわたしだけど、ここは大きな自然保護区らしく、それならこっちからお願いしても行ってみたいところだ。
わたしは予定を早めて、といってももともと予定なんかない旅であるから、臨機応変に行きたいところに行ってかまわないので、さっさと鄭州から脱出することにした。
鄭州からつぎの目的地の開封(かいほう)までは60キロぐらいだから、タクシーを借り切って、とちゅうで黄河遊覧区に寄ってもらい、そのまま開封に行ってしまえばよい。

昼間の軽バン・タクシーで聞いたところによると、軽バンの1日貸し切り料は300元だそうだ。
しかしこんなポンコツで遠っ走りする気にはなれないから、明日はサンタナ・タクシーを探すことになるなと思う。

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2024年2月19日 (月)

ザ・原宿

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今日は原宿まで行ってきた。
原宿、ハラジュク、そういまや海外にまでとどろく若者のメッカ。
そんなところへじいさんがなにをしに行ったのか。
つまり、たまには冥土のみやげに美味しいものを食べに行くことにしたのである。
なんでも原宿の某食品チェーン店が、外国人も押し寄せて大人気で混雑しているという。
しかし支店のひとつはうちの近所にもある。
べつに特別に美味しくもない(不味くもない)ので、いちど行ったきり、そのままになってしまった。
たまたま物知りの知り合いがいて、原宿にあるその店は、チェーン店中の旗艦店だということを教えてくれた。
これなら期待してもいいかも知れない。

というわけで、今日のブログは、わたしとしては珍しくグルメ紀行になるはずだった。
もうおわかりの人がいるかも知れないけど、わたしかその店の名前を出さないのは、美味しくなかったとけなすつもりがあるからだ。
あれならうちの近所の店で十分で、わざわざ原宿まで行く必要はなかった。
同時にあんなものを食べて、日本で◯◯を食べたと嬉しがる外国人の、貧しい食生活を思ってしまったワ。
宝くじが当たったら、このつぎは「すきやばし次郎」にします。

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2024年2月18日 (日)

ウクライナの戦況

前項でプーチンは余裕しゃくしゃくと書いたけど、じつはそうでもないかも知れない。
ゼレンスキーさんはあいかわらず頑固で、徹底抗戦を叫んでいる。
太平洋戦争末期の日本軍といっしょ、これではどうしても首都のキエフまで軍隊を進軍させて、ヒトラーや沖縄の守備隊のように、地下の塹壕で指導者を自決させるしかないみたいだ。
それは不可能ではないだろうけど、そうなると戦争はますます悲惨なものになる。
わたしがプーチンだったら、うーんと悩むところだ。

そのうちなんとか上院下院で妥協した米国あたりが、また武器を支援し始めるかもしれない。
いくら支援したって、ウクライナの延命はできても、勝利まではおぼつかないから、最後の手段は核戦争ということになる。
そのまえに事態を重く見たザルジニーさんあたりが、クーデターを起こしてくれるのがいちばんいいのだが。
若い兵士の死がどのくらい積み重なるか、そしてウクライナ国内の反戦気分がどのくらい盛り上がるかが勝負だな。
太平洋戦争でも、戦争末期にはほとんどの日本国民が、早く戦争が終わってほしいと考えていた。
日本人はそのことをよく知っているはずなのに、NHKはあいかわらずウクライナ国民は戦争継続を望んでいるなどとデタラメばかり。
そして日本人のなかにそれを信じる人のなんと多いことか。

ウクライナ軍はアウディーイウカから撤退だそうだ。
これも日本軍がよく使った手で、負けたとはいいにくいから撤退という。
日本語をよく知らない若いモンにいうとくけど、がっちりと固めていた守備を破られて、もう守るべき兵士もいないとなったら、フツーは負けたというのが正しいのだよ。

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2024年2月17日 (土)

MM誌

あなたが作家になろうとして、純文学は難しいからミステリーなら書けるだろうと、原稿をミステリーマガジンに持ち込んだとする(ミステリーマガジンってまだあんのか)。
編集者は一読して、ダメだよ、キミという。
いちばん犯人と思われそうな相手が犯人だなんて、こんなものミステリーの邪道だ、持って帰りなさいといわれてしまう。
あなたはガッカリして貧乏アパートにもどることになる。

これと同じことが昨夜のNHKニュースにあった。
ロシアで反体制活動家のナワリヌイさんが暗殺されたらしいという。
もちろんNHKは大喜びでこの報道に飛びつく。
犯人はロシアだ、プーチンに違いないと、こんなわかりやすいニュースはない。
世界中からプーチンに非難が殺到しているというし、日本でも(ココログにも)、ロシア犯人説をもろに信じてしまっている人がいるわな。

しかしこれじゃあミステリーファンは納得しない。
プーチンのロシアでの支持は圧倒的であり(70〜80パーセントだそうだ)、ナワリヌイさんは泡沫候補で、しかも刑務所に収監中だ。
なんでそんな者を殺す必要があるのか。
これじゃミステリーマガジン(以後MM誌)の編集者が引き受けてくれるわけがない。
キミ、どうせならロシアは犯人のようで、そうではなく、調べてみたらやっぱり犯人だったという、このくらい裏の裏をかくアイディアは思いつかないかねと、MM誌の編集者ならいうだろう。

わたしも編集者を満足させるアイディアを考えてみた。
しかし現在の状況から、そんなシチュエーションを思いつくのは困難だ。
なんとなればプーチンは余裕しゃくしゃくであるのに対し、ゼレンスキーさんの方はあとがないところまで追いつめられて、ロシアを貶めるためならどんな手でも使いかねない状態だからだ。
しかし、これではゼレンスキーさんが犯人というのもお手軽すぎるな。
だからやっぱり犯人はロシアというのも、強引すぎて動機を捻出するのかむずかしいし。
本当にミステリーファンを満足させるアイディアはなかなかないものだ。

真犯人はプーチンでもゼレンスキーさんでもないという、意表をつくアイディアはないだろうか。
ロシア国内にはかってプーチンに追い落とされて、いまでも恨みに思っているオリガルヒの残党がいる。
また西側に支援された反体制グループもいるかも知れない。
そういう連中が、プーチンを貶めるためにナワリヌイさんを暗殺して、ロシアは危険な国であると印象づけたとしたら。
しかも西側の首脳たちが、大急ぎで声をそろえてロシアを非難しているところをみると、自分たちに嫌疑がかかるのをゴマかそうとしているようにも思えるし、これが真実にいちばん近いかも知れない。
MM誌が採用してくれるかどうかは別にして。

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2024年2月16日 (金)

今日のNHK

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ウクライナが危機に陥っている。
これまでプーチンは戦後のことを考え、ウクライナ国民を敵にまわしたくないから、どうしても攻撃に本気になれなかった。
しかしいま決着をつけてしまわなければ、トランプさんの復帰も先が見えないし、また米国が上院下院も支援に前向きにならないともかぎらない。
ここんところのプーチンは、米国の意見がまとまらないうちに勝負をつけてしまおうと決心したように見える。
追い込まれたウクライナ兵士はどうなるか。
心配はいらない。
両手を上げて出ていけば、戦争まえまで親戚付き合いをしていたウクライナ兵士に、ロシア軍が手荒な真似をするものか。
虐殺なんてことはすべて西側の捏造だよ。

NHKニュースを観ていたら、米国の強硬ネオコンのカービーさんの発言として、ウクライナは敗北する恐れがある、支援を早く早くだって。
それがどうした。
ものごとを冷静に判断できる人なら、そんなことはとっくに承知している。
御用解説者を動員して、ウクライナが勝ってる、互角に闘っていると絶叫してきたツケを、NHKはいま払わされているだけだ。
西側でゆいいつ気前のいい日本だって、いま国内問題で手いっぱいで、岸田クンはウクライナどころじゃないわさ。
こう考えると、イスラエル戦争を含めて、西側先進国のやることはことごとく裏目に出ているな。
油井秀樹サンや別府正一郎サン(NHKアナ)の声もむなしやウクライナ、って句でも詠んでしまおうかしら。

今日は3、4日前までつぼみだった黄色のスイセンがあっという間に花開いた。

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2024年2月15日 (木)

避難先

そういえば数少ないロシア擁護派の及川幸久さん、たまには彼のチャンネルをのぞいてみようか思ったら、ないよ、ないね。
なにかトラブルにまきこまれたのか、彼のチャンネルはYouTubeのほうから公開禁止にされちゃったみたいだ。
しかもそうされたのがもう2カ月も前のことらしいから、知らなかったわたしもかなりのボンクラだけど、こちとら1匹狼で、教えてくれる人もいなかったのだから仕方がないね。

言論弾圧だっていうんだけと、なにがあったんだろう。
わたしは及川という人の経歴を調べてみて、幸福の科学に所属なんてことがわかってガックリきたことがある。
わたしは名うての宗教ギライだし、まして相手が新興宗教じゃあね。
しかしそれさえ気にしなければ、ロシア擁護派ということで、わたしと志をひとつにするという同じ立場だ。
しかもこの人の場合、国際情報を駆使し、それを的確に判断し、理路整然とした説明で、SNSでデタラメをふりまいている輩を寄せつけないくらい影響力があるから、これじゃ日本政府(とNHK)から危険人物扱いにされてもおかしくない。

いったいどうしてYouTubeを出入り禁止にされてしまったのだろう。
そのへんを調べていると、この人を支援するサイトにいくつもぶち当たる。
いくら及川さんの主張を公開禁止にしたって、ほかの人の名義で対談形式にして公開することもできるし、なかにはYouTubeに載せられない彼の映像をまるごとコピーして、自分名義でYouTubeに載せている人もいる。
わたしが知らなかっただけで、けっこう及川さんといっしょに、ロシアを応援しようという他人も多いようだ。

YouTubeはあまりに露骨な金儲け主義がはびこっているので、わたしもほんとうに世間に訴えたいことがあったら、タダでやれなんてわめいたことがあるくらいだ。
及川さんにいわせるとあまり金にはならんけど、これからは彼の映像はX(もとのツィッター)で配信するんだそうだ。
金にならんというところが気にいった。
そこまでして自分の主張を配信するということは、真実をあきらかにするほうを優先させた結果なのだろう。

驚いたことに、すでにXで配信した及川さんの映像に、数十万という再生回数があったという。
わたしのブログとはケタ違い、なんてことは、ま、どうでもよくて、これは世間に真実を知りたいという人がどれだけ多いかの証明じゃないか。
わたしはそのお手軽さがキライで、X(ツィッター)には興味がなかったんだけど、これからは興味を持とう。
わたしのブログだっていつなんどき官憲から指導が入らないともかぎらない。
そしたらXで発信してやっから。

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2024年2月14日 (水)

おっさん

YouTubeを観ていたら、わたしと正反対の見方をしているチャンネルに行き当たった。
どこかのテレビタレントみたいな顔をしたおっさんがやっているもので、NHKは偏向しているという。
その点はわたしといっしょだけど、ところ変われば品も変わる。
彼のいうのには、NHKはロシアの応援ばかりして、ウクライナをけなしているのがケシカランとのこと。
そしてロシアはいまや沈没しかかっている船だという。
沈没しかかっているのはアメリカじゃないかと思うんだけど、あそらく確信犯的にウクライナ戦争に入れ込むと、そういうふうに見える人もいるのだろう。
わたしも気をつけなくちゃあね。
どっちからも偏向していると思われるNHKがいちばん可哀想なのかも知れないな。

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2024年2月13日 (火)

島サミット

な、なんなのよ、これは!
ここは太平洋の島国フィジーの会議室。
叫んだのは日本の外務大臣・上川陽子。
島サミットなのに、18カ国あるはずの参加国のうち、肝心の外務大臣の参加がわずか1/3だけ。
ほかの国は中国の顔色をうかがうのに忙しく、開催地フィジーの外相まで、へたな言い訳をしてトンズラしてしまうありさまだ。
ああ、日本の御威光はどこへ行ったのか。

こういうときこそ外務大臣が、あんたたち何をやってんの、なんでちゃんと仕切ってくれないのよお、みんな給料泥棒じゃないのさと、役人を怒鳴りつけなければいけない。
いや、もちろん上川おばさんには無理な話だ。
そんなことをして原稿を書いてもらえなくなったら、彼女が自分の意思で話せることはなにもないのだ。
今日も役人が書いてくれた原稿を、最後までまちがえずに読めたわって、それが大臣の仕事だとカン違いしているおばさんなのである。

こういう大臣に国政を託さなければならない日本人こそ悲劇だけど、仕方がない。
やる気のある議員は、ひとり残らずスキャンダルまみれで、岸田クンだって当たり障りのない、つまりいてもいなくても同じという政治家を起用するしかないんじゃん。
という記事を書こうとして、いちおうネットで内容にまちがいがないか確認しようしたら、島サミットの問題点を指摘する報道ってほとんどなかった。
これでは日本人は今回のサミットが大成功と思ってしまうのではないか。

おまけみたいなニュースで、帰りのチャーター機が故障して、おばさんは帰国が遅れ、閣議に参加できなかったというものがあった。
もう踏んだり蹴ったりだな。

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2024年2月12日 (月)

中国の旅/鄭州

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カクさんの病院を視察?に行ったあと、わたしはつぎの目的地に向かうことにした。
この1996年の旅は2週間を予定していたので、洛陽だけに居座ったのではつまらないと、出発まえに地理をよく研究してみたら、洛陽の近くには「鄭州」という河南省の省都があることがわかった。
そしてもうひとつ、洛陽に来てから知ったんだけど、「開封」という街もあり、これも長安(西安)、洛陽にならぶ歴史的な古都であることがわかったから、このふたつの街にも行ってみることにした。
洛陽、鄭州、開封の街はそれぞれが120キロ、60キロほどの距離にとなり合っており、列車や路線バスを使うにしても、となり街に行くような気分で行けるのである。

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わたしは朝9時2分の列車に乗り、3時間以上かかって鄭州に着いた。
となり街にしては予想以上の時間がかかったのは、とちゅうで列車が原因不明の遅延をしたためだけど、外国旅行をして列車が遅れたと文句をいう人は、そもそも外国旅行をする資格がない。
わたしは動かない列車のなかでいろいろ観察をしていた。
となりの街へ行くのに軟座(1等車)は必要ないだろうと、硬座(2等車)を使ったから、観察する材料には事欠かない。

この日は天気がよくなく、窓外の田舎景色にはもやがかかって幻想的な雰囲気になっていた。
途中で窓外に蛇行する大きな川が見えた。
前にすわっている娘になんという川ですかと訊くと、困ったような顔をしてワカリマセンという。
日本人なら、自分の住んでいる土地を流れる川の名前を知らない人はいないだろう。
彼女が黒龍江省や雲南から来た旅人とも思えなかったし、どうも中国の人々は国内の地理に無関心の人が多いようだ。

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列車はまだ動かない。
もやがますますはげしくなってきたようだから、天候のせいてダイヤに乱れでもあったのかもしれない。
車内にはやかましい音楽が流れていた。
音楽だけではなく、そのうち男の声で、立ち会い演説会が3つぶつかったようなすさまじい怒声罵声が加わり、女の金切り声がそれに混じり始めた。
いい機会だからってんで、列車にカンヅメになって逃げるすべのない乗客に、共産党が革命スローガンをたたきこもうと企てたのかもしれない。
気をまぎらわそうとまわりを見ると、お尻まるだしの男の子がペットボトルを投げる、はすむかいの女がリンゴの皮をペッペッと吐き散らかす、車掌が通路のモップがけをする、ときどき〇△□はいらんかねーともの売りが来る、タバコの煙がもうもうとたちこめる、そしてあいかわらず怒声罵声金切り声が・・・・
こんな喧噪の中で30分ほど停車して、わたしの発狂寸前に列車はようやく動き出した。

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鄭州駅に着いてまわりをながめると、西安や蘇州のように周囲がひろびろとしているわけではなかった。
駅まえ広場はひろいけど、まわりはごちゃごちゃと建物に囲まれている。
しかし96年当時のことだから、洗練された高層ビルなどがあるわけがなく、ひと昔まえの香港や台湾を見ているようだった。
そしてあいかわらずの人、人、人だ。
というのが鄭州駅の印象だったけど、現在はどうなっただろう。
調べてみたら驚いた。
鄭州駅のまわりはすっきりし、いまではべつの場所に新幹線専用の東駅というのもできているらしい。

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鄭州のホテルはあらかじめ調べてあった。
「杜康大酒店」といって、市の西部にあって、綿紡路と建設路の大馬路(大通り)にはさまれており、まわりはアパートや住宅街だから環境はよい。
写真と実物では異なる場合が多いのに、大きさだけはこちらの想像通り、かなり大きいホテルだった。
料金は220元(3000円くらい)で、とくに問題もなく部屋に収まった。

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荷物を置いてから、タクシーをつかまえてまた駅に行ってみた。
鄭州の駅は大きな鉄道路線が集中するハブ駅なので、駅前広場のあたりをぶらぶらしているだけでおもしろそうだったのである。
駅に着いて、ポケットをさぐるとこまかい金がない。
日本の百円玉があったから、これじゃダメかと聞いてみると、運転手は手にとってためつすがめつしたあと、にやっと笑って、まあいいやという。
日本の百円はこのときのレートで7元くらいだから、まあ、お互いに文句をいうほどのことはないし、相手にしてみれば珍しいという付加価値がついている。
わたしはこの旅のあちこちで日本の硬貨を出してみたけど、イイとダメは半々ぐらいだった。

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駅まえのセルフサービスの食堂でまずいメシを食う。
メシを食って店の外にでると、この食堂のまえにチベット族の民族服を着たおじいさんがいて、手作りのナイフを売っていた。
めずらしいと思って写真を撮ろうとしたら、めざとく気がついて、えらい剣幕でこっちへ来いという。
なんで写真を撮るんだといってるらしいけど、いえ、まだシャッターを押してませんとすらすら弁解できるほど、わたしは中国語に堪能じゃない。
日本語でもにょもにょと叫んでなんとか逃げ出したけど、相手はサバイバルナイフみたいなでっかい刃物を持っているのだ。怖かったねえ。

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この街に見るようなものは、少なくともわたしが見るようなものはない。
街をぶらついていたら、駅の近くに二七記念塔というものがあった。
わたしはこれを古代の寺院の塔かと思ったけど、戦前のストライキ騒動を記念するために、1971年に共産党によって建てられた、比較的新しい塔だそうだ。
それならもっと近代様式にすればいいものを、瓦屋根がいく層かに重なった中国式建築なので、古い寺院の色を塗り替えただけといわれてもわからない。
最上階まで登ってみようとエレベーターのまえで待ったけど、いつになっても降りてこない。
メンドくさいから階段で上がっていくと、上の階でドアが開いたまま停まっていた。
エレベーター・ガールの休憩時間だったらしく、わたしがまた階段をつたって降りるころ、ようやくごろごろと動き出した。
塔の各階には共産党の歩みを説明した写真や文献などを見せる展示場があったものの、そんなもの見てもおもしろくもなんともないし、展示場にすわっている女の子もやはりおもしろくなさそうな顔をしていた。

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最上階からあたりを観察したところ、すぐ近くに、新宿に新しくできた高島屋より大きいんじゃないかと思えるような巨大なデパートがオープンしたばかりだった。
外見が赤と金色という大胆な色彩なので、仰天しつつ、見物していくことにした。
このデパートは「亜細亜」といって、正面入口の上に、大きく「吉」という字が描かれている。
なんだかよくわからなかったのは、建物をおもてから見ると8階建てくらいに見えるのに、中は5階までしかなかったことである。
どうも外壁の上のほうは、ついたてみたいに壁があるだけのようで、ハッタリといえばこれほど壮大なハッタリもない。

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デパート前の広場では開店セレモニーが行われていた。
大勢の人々が押しかけている中に、巨大な角つきのヤクの頭蓋骨を、旦那は2つ、妻はひとつ(と赤ん坊を)ぶらさげたチベット族の若夫婦が、ぽかんと口をあけて見とれていた。
チベットにはこんな大きなデパートはないとみえる。
若妻のほうは素朴な、まあ美人といえる顔で、どこにでも美人はいるものだなと感心したけど、しかし角つきのヤクの頭蓋骨は、いくらなんでも鄭州のような大都会にそぐわない。
そんなものをさげたままデパートに入っていかれては困ると、警備員が押しとどめていた。
わたしが写真を撮るのを発見して、若妻はキリッとわたしをにらんだ。

どういうわけか鄭州では、チベット族をよく見かけたけど、このころチベットでまた騒乱でもあったのか、あるいは彼らは独立をねらう活動家でもあったのか、行きあうチベット族はみんな写真を撮られるのに神経質になっているようだった。
それでもわたしは中国とチベットの関係は微妙であると信じていたので、彼らがとくに問題もなしに中国国内を移動しているのをみると、なにか新しい事実を発見したような気分になる。

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駅のちかくのガードをくぐってホテルにもどることにした。
鄭州駅は東側にしか出入口がなく、ホテルは駅と反対側にあるから、どこかで線路を越えなければもどれないのである。
中国の駅というのは一方向にしか出入口がないことが多い。
日本の新宿駅が線路の両側(西と東)以外に、線路と直角になる南側にもあるのとは大違いだ。
ガードを越えたあたりで交通事故を見た。
バイクのタクシーへの追突事故で、路上に事故車が放置されたまま、被害者も加害者も警察官もいなかった。

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このブログを書いているとき、現代の鄭州市はどうなっているか調べてみた。
わたしの記憶にある鄭州は、大きいことは大きいけど、どうもダサいところがある街という印象だったのに、いまでは近代的な高層ビルが立ち並び、まさに河南省の省都にふさわしい街になっていた。
ここまでわたしが見てきた街では、蘇州や無錫の変化もおどろくべきものだったけど、それ以上に変化の大きいところかもしれない。

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UNRWA

国連のUNRWAの腐敗がどうのこうのと騒がれているけど、これも西側の(NHKの)、表面的にはガザのパレスチナ人に同情しているようにみせて、本心ではイスラエルの味方をしようっていう欺瞞 じゃないかね。
そもそもなんでUNRWAの隊員がハマスに味方しなくちゃならんのだ。
彼らはどちら側にも属する義務のない世界から集まった人々で、そのくせイスラエルの横暴をずっと間近に見ている。
イスラエルは凶器を持った暴力団で、ガザのパレスチナ人は、かろうじてその日を生き永らえ(させられ)ている囚人のようなものだ。
この暴力団の装備はハンパじゃないから、まともに闘ったって囚人に勝ち目はない。
これはひどすぎるという同情が、ハマスへのひそかな支援につながってもおかしくない。
つまりいま世界中でパレスチナに同情している人々が、実力行使に訴えたようなもので、彼らのほうこそ人間のこころを持った人々といえないか。

あ、またへそ曲がりの李白が屁理屈をこいてると思われてもかまわんよ。
いいたいことがあったら、コメント欄はいつでも空けてありまっさ。

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2024年2月11日 (日)

今日のSNS

「ロシアで再び記者ら拘束、動員兵の妻らデモ、当局『無許可』と警告」
というネットニュース。
ソースが朝日新聞だ。
それだけで真実なのかと疑いたくなるけど、こういうときいつもデタラメばかりいってると信用されないのだ。

真実だとしてもいまは戦時中だ。
ロシア当局からすれば、裏で西側が操っているんじゃないかと疑いたくもなるだろう。
こういう例ははなはだ多い。
戦時中でなければプーチンも放っておいただろうということが。

昨日はポーランドの首相による、ロシアはポーランド侵略も狙っているという発言があったけど、プーチンが大統領になって25年近くなる。
そのあいだ一度でもポーランドやEUに野心を抱いたことがあっただろうか。
これから先に抱くとしたらいつの話で、そのときプーチンはいくつになっているだろう。

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2024年2月10日 (土)

リンク

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タッカー・カールソンのプーチンへのインタビュー、彼の映像を取り上げて、他人や他のマスコミが論評している映像もYouTubeにたくさん上がっているけど、他人が介在しただけで、共産党が日本の政治を論評しているようなものになってしまう。
まったく偏見なしに観ようというなら、余計な雑音の入らないオリジナル映像を観るにしかず。
わかっていると思うけど、リンクを張っておくから英語のわかる人はそっちを観てほしい。

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昨日のNHK

さあ、NHK国際ニュースがタッカー・カールソン(今回は“さん”づけなし)のインタビューを取り上げたぞ。
どんなふうに偏向するのか、捻じ曲げるのか、じっくり聞いてみようじゃないか。

わたしが思うのは、カールソンのインタビューは、これまで本音を聞けなかったプーチンの側の意見を聞ける貴重なものといえる。
これまでプーチンがなにをいっても、NHKは正反対の解釈ばかりしてきた。
たとえばあなたが饅頭が好きですというと、ああ、なるほど、煎餅がお好きなんですねといわれる。
いや、塩辛いものより甘いものがというと、ああ、なるほど、それじゃ塩辛なんかどうですといわれる。
そんなことが続いたらあなただってそうとうにイライラするだろう。
プーチンがこれまで西側のインタビューに応じなったのはそれが原因さ。

カールソンの質問に答えてプーチンは、ポーランドやラトビアなど、ウクライナ以外に侵攻するつもりはないと言い切った。
いったいプーチンがウクライナ以前に、ひとつでも他国に侵攻したこと、しようとしたことがあっただろうか。
その形跡でもいいけど、あったという人がいたら教えてほしい。
ウクライナについては、わたしのブログをずっと読んでいる人なら侵攻をした理由がわかるはず。

公平という観点から考えれば、カールソンさんの意見はたんなる一方の意見にすぎない。
それなのにNHKは彼が過去にFOXテレビを解雇されたと、過去の問題まで引っ張り出して、なんとしても彼を保守に結びつけようとする。
わたしはアメリカにいいところがあるとすれば、ときどき世論にさからうジャーナリストが出てくることだと思っているんだけど、NHK自身がそういう異端者を許さずに、一方の、つまり米国の民主党の言い分だけを押し付けるつもりのようだ。
いったいNHKの言い分だけが正義という見方はどこから出てきたのか。
これのどこが民主主義なのか。

ここでNHKアナの由井秀樹サン登場。
カールソンはトランプに近い、だからロシアの権威主義と、米国の保守政権が奇妙な一致をしたという言い方。
それならわたしもいわせてもらうけど、日本政府の西側一辺倒主義と、NHKの右翼傾向が奇妙な一致をしてはいないか。
NHKが日本でいくら騒いでも、そんなものがアメリカやウクライナに影響を与えるとは思えない。
つまりNHK(とその他のマスコミ)が騙そうとしているのは日本の国民なんだよ。
みなさんもようく注意をしなされ。

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たとえると

たとえばあなたが日本の首相だったとする。
ところがある日、維新の会でもどこでもいいけど、関西の政党がもうやってられませんわ、日本から独立しますといいだした。
あなたはあわてて、ま、ま、ま、地方交付金も増やしてあげます、地方自治も拡大したげます、府を都に変えてもかまいませんとなだめにかかる。
そこへ中国なりロシアなりが、大阪の独立を支援しますよ、武器も思い切り供与しますと言い出した。
関西人はもともと関東人がキライで、これまでは日本の景気がいいから、おとなしく付き合っていたにすぎない。
たちまち日本は内乱のちまただ。
同じ日本人同士が殺し合うのだ。
中国もロシアも武器を支援するだけで、自分のところはひとりの兵も出すわけじゃない。
いまこそ第二次世界大戦の仕返しだ、大和民族なんてこの世界から消滅してもかまわないと、あおる一方だ。
こんな状態が耐えられるか。

なんで同じ日本人が殺し合わなければいけないのだと、あなたも思うんじゃないか。
戦争が終わればまたもと通りの親愛な日本人同士にもどりたい。
そう考えればどうしても手荒なことはできない。
すると中国、ロシアは、それ相手はおじけづいてるぞと、関西人をあおる。
もうわかってんだろ、わたしはプーチンのことを言ってるんだよ。
同じスラブ民族の殺し合いはさっさとやめたい。
それなのにアメリカ、英国、先進国づらした日本まで加わって、とにかく戦争を引き延ばす算段だ。
わたしはプーチンが気のドクでならない。
彼が焦る、イライラするとしたら、同じ民族がなぜいつまで殺し合わなければいけないかということだ。
あなたが日本の首相だとしたら、そんなものは放っておけばいいじゃないかというのか。
関西が日本人のこころのよりどころとされる京都、奈良をいっしょに独立させるといっても、おとなしく見ていろというのか。

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2024年2月 9日 (金)

プーチンとカールソン

タッカー・カールソンのプーチンへのインタビュー映像を観た。
もちろん英語による会話の内容はわたしには理解できないけど、映像を観て、個人的な感想を。

インタビューは約2時間だったそうで、映像もちょうどそのくらいあるし、会話が飛ぶこともないようだから、ほとんど編集もなしにそっくり全部をYouTubeに上げたのだろう。
2時間のあいだ、メモも見ずにたんたんと答えるプーチンを観ていると、信念の人だなと感じる。
ゼレンスキーさんならうっかり失言をしても、NHKや西側のマスコミが適当にカバーしてくれるのに、プーチンの場合は世界中が足をひっぱろうと待ち構えているのだ。
ひとことの失言も許されないなかでのインタビュー、日本の、たとえば上川のおばさんや岸田クンに見せてあげたいくらい。

相手のカールソンさんも、ヘタすれば最初からロシアの味方だなんていわれかねない。
徹底的に公平を示さなければならない彼も終始まじめな顔だった。
つくづく日本には得られない政治家とジャーナリストだと思ってしまうね。
日本では軍事評論家を称する人たちが、わたしのような素人でもわかるデタラメを並べてるのに。

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昨日のNHK

タッカー・カールソンがプーチンにインタビューしたそうだ。
内容が知りたいけど、わたしのニガ手の英語だもんね。
大地舜さんあたりが翻訳してくれるのを待つしかないか。
米国でももうすでに、プーチンの言い分を正当化するつもりかと文句をいう人がいるようだけど、わたしはアメリカにいいところがあるとすれば、ときどきこういう世論に反する意見の持ち主があらわれることだと思う。
カールソンさんはバイデンさんに反対する保守系のジャーナリストだから、トランプさんの応援をして、ウクライナ戦争を終わらせようとするだろうと、NHKはいまから戦々恐々だ。
しかし、ここで保守だリベラルだと色分けするのはおかしいと思う。

これまで日本人はリベラルとされるバイデンさんの意見は、耳にタコができるくらい聞かされてきたんだ。
NHKが先頭に立って、プーチンのいうことを信じるな、ロシアの意見なんかハナっから無視しろと、日本人を扇動してきたんじゃないかね。
ロシアを擁護するわたしのブログなんか、あいかわらずアクセスがふた桁だ。トホホ。
ものごとを公平に知ろうというなら、たまには反対側の意見も聞くべきじゃないか。
プーチンの言い分にも耳を傾けようというジャーナリストが現れたのなら、歓迎すべきことだろう。

偏向のかたまりの昨日のNHK国際報道では、いまごろになってノルドストリームの爆破が取り上げられていた。
爆破犯人は誰なのかということで、ロシア、ウクライナ、アメリカが容疑者に挙げられていたけど、なんでここにロシアが出てくるんだよ、しかもトップに。
ロシアが犯人ということは100パーセントあり得ない。
プーチンと、ドイツのメルケルさんが政治生命(と莫大な費用)をかけて作ったガスパイプだぞ。
犯人はアメリカか英国、あるいはそれに支援されたウクライナ以外にあり得ないと、なんでぴしりといえないのだ。

おまけにガスパイプ爆破の件はザルジニーさんもあらかじめ了承していたと、ウクライナの内部問題にまで口を出してゼレンスキーさんを擁護しようとする。
ノルドストリームは戦争の初期に起こったことで、当時はまだゼレンスキーさんは救国の英雄と思われ、支持もゆるぎなかったから、爆破直後はわたしも、ゼレンスキーさんに知らせずに米国か英国が勝手にやったものではないかと思った。
しかしザルジニーさんが知っていて、ゼレンスキーさんが知らないということが考えられるだろうか。
NHKにしてみれば、ゼレンスキーさんが選挙で大敗しては困るから、いまから最大の政敵ザルジニーさんの足を引っ張っておこうという魂胆だろう。
そんなことで極東の島国である日本が騒いでも、ウクライナ国民のザルジニー支持が変わるわけはないから、これは日本人をあざむこうというNHKの謀略に違いない。
なんとかして戦争を長引かせ、中国に対抗するまで西側の結束を維持しようというのだ。
いいかげんにせんかい、お人好しの日本人は。

プーチンに対抗して大統領選に立候補したナデジディンさんが、書類不備ということでペケだそうだ。
プーチンも大人げないことをしたと思うけど、こういうニュースになるとNHKの早いこと早いこと、1面トップの扱いだよ。
どっちにしても国民のために汗をかいた候補と、そうではない候補の闘いだから、プーチンの優位が変わるわけじゃない。
民主主義国のリーダーでもあるアメリカでも、選挙の結果にいちゃもんをつけた候補がまた大統領候補になりそう。
大統領選挙がめちゃくちゃというのは世界的傾向かも知れないな。
そんなことよりタッカー・カールソンのインタビューを、あのNHKとマスコミ・SNSがどうねじ曲げて報道するか、今日はそれが楽しみ。

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2024年2月 8日 (木)

中国の旅/医療事情

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カクさんは共産党員である。
驚くことはない。
カクさんのように地域に貢献した医師なども中国では共産党員に推薦されるのである。
わたしは中国の共産党というものに興味があったので、いい機会だからカクさんにいろいろ質問してみた。
中国では政治家でなくても、有名人であったり、町内会の会長さんであったり、あるいは税金をたくさん収めて国家の経済をうるおした人や、もちろん人口のバランスを考慮しながら、少数民族の代表なども共産党員に選ばれる。
共産党員の権力は絶大なもので、たとえばカクさんがタクシーに乗ると、運転手にすごく威圧的である。
往来の激しい道路のまん中でも平気でUターンさせるし、運賃はいくらと決めて、相手にうむをいわせないから、運転手が気のドクになってしまう。
ほかにもいろいろ特典があって、中国では一般的に警察官や列車の車掌が威張っているけど、それよりさらに一段と上に位置するのが共産党員らしかった。
名字帯刀を許された、むかしの日本のサムライという官職みたいで、金を注ぎ込んでこの地位を買いたがる人もいるらしい。

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わたしは他人の人生のせんさくなど好きじゃないから、カクさんの経歴について詳しいことは聞かなかったけど、文化大革命の余波が静まって、ふたたび社会が落ちついたあと、彼女は学業に専念し、医大の入試でも難関を突破した50人くらいのひとりだったそうだ。
だからこそ、選ばれて日本に研修留学したこともあるのだろう。
本来ならわたしなんぞが足元にも寄れない秀才なんだけど、ここでもたまたま日本人だったわたしの僥倖だったわけだ。

当然の疑問だと思うけど、彼女は独身なのかと訊く人がいるかも知れない。
それについては、結婚はしたけど、現在はバツイチで、娘がひとりいると、このブログではそれ以上個人的なことには踏み込まないのだ。
この項では病院が舞台ということがあって、写真もほとんどないから、洛陽の総括のつもりで、また市内で目についたものの写真をずらっと載せることにした。

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わたしはカクさんの勤務先まで行ったことがある。
ホテルに泊まっているとき、彼女から電話があって、今夜は当直だから病院まで遊びにおいで、おカユを作ったから食わしてあげるといわれたのである。
当直勤務の医師ところへ遊びに行っていいものなのか、病人でもないのに病院でおカユなんかご馳走になっていいものなのか、だいたい当直の医師がおカユなんか作っていていいのだろうか。
疑問は多々あったけど、なにしろ中国のことだからというわけで、タクシーで出かけてみた。
わたしは名所旧跡に興味がないくせに、市場や路地裏や、ロシアではモスクワ大学の学生寮や食堂を見学に行ったくらい、ふつうの人が興味を持たないようなところに関心があるのだ。

彼女の勤務先は洛陽のはずれの、10数階もある大きな総合病院だった。
中国の病院といっても日本とそんなに違わない。
各階にナースステーションがあり、まわりに入院患者の部屋がある。
建物はボロっちいように見えたけど、日本にだってこんな病院がないわけじゃない。

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カクさんの専門部署は11階で、彼女はそのフロアで序列2位というえらい先生である。
2人だけのときはけっこう気安い態度なのに、病院関係者がいるときは、あまり親しい態度をとってくれるなと釘をさされた。
そのうえで後輩の若い医師たちに紹介してくれた。
よくわからないけど、わたしを日本から来た大先生だとでもいっていたのかも知れない。
背広にネクタイでもしめてくればよかった。

宿直室でご馳走になったおカユは、患者からもらった新米で炊いたのだという。
中国では医師の給料も恵まれているとはいえないけど、患者やその身内からけっこう差し入れがあって、少ない給料をおぎなえるらしい。
これがそうといって見せてくれた米は、黒くて胡椒の実のようで、「小米」というのだそうだ。
おいしいでしょうといわれても返答に困る味だった。

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とちゅうでカクさんは呼ばれて中座した。
残されたわたしが手持ち無沙汰に宿直室をながめてみると、汚いベットが2つの小さな部屋で、壁もうす汚れている。
日本の有名な総合病院には比べようがないけれど、わたしの知り合いが日本で似たような病院に入院していたことを思い出した。
そこは入ったら生きて出られないという評判の病院で、つまり死にかけた病人や年寄りを引き受けてくれるということで、それなり存在意義のある病院だったけど、そこがやはりカクさんの病院に似ていた。
いくら立派でも貧乏人を受け入れてくれない米国の病院のようなものは困る。
建物が立派かどうかは、かならずしもよい病院とはかぎらないのである。

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つぎにカクさんの病院を訪ねたのは、ワタシの治療を見たくありませんかと聞かれ、見たい見たいと返事したときである。
彼女はこれから病院の外にある小さな招待所(宿)で、小さい子供に針治療をするのだという。
どうしてそうなるのかというと、中国の一般の人々には、病院への入院は料金が高すぎて不可能な人が多いから、病院のまわりには専用の安宿があって、入院を必要とする患者は、そこに泊まりながら、出張してきた医者の治療を受けるのである。

わたしは実直そうな夫婦に紹介された。
ほかに元気そうな女の子と、母親に抱かれたまだ幼い男の子がいた。
最初はだれが患者なのかわからなかったけど、このときの患者はまだ生まれて4カ月のこの男の子だった。
かわいそうに、生まれるとき難産で医者が強引なことをしたため、首すじの神経を損傷して左腕がマヒしてしまったのだそうだ。
それでも針治療を始めてからほんの少し、腕が曲がるようになったとカクさんはいう。
この幼児の家庭は複雑というか、悲劇的というか、腕がマヒした男の子の前にも2人の兄弟がいたのだが、水難事故にあって2人とも死亡し、親戚から女の子を養子にもらったあとで生まれたのがこのマヒの子だという。

鍼治療というから中国4千年の秘術でも使うかと思ったら、そんなことはなかった。
男の子は母親に抱かれているときはニコニコして元気そうだったけど、この治療は4カ月の幼児には残酷な方法で行われる。
痛くないのとわたしが訊くと、痛いよ、この子はいつも泣いてしまうとカクさんはいう。
男の子の左腕の肩や手の甲まで8本の針が挿入され、それに電極がつながれた。
あまり見ていて楽しい光景ではない。
男の子は泣き出してしまい、この状態が15分ほど続く。
このあいだのカクさんは医師らしい厳粛な顔をしている。

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治療が終わったあと、見学をしているわたしに、この子の親たちに何かいってやってくれという。
わたしにとっては一世一代の大芝居だった。
わたしは夫婦に向かって、自分にも交通事故で腕がマヒした友人がいたけど、熱心にリハビリしたおかげで、いまは普通の人と変わらないくらい回復した。
この子はまだ子供だから頑張ればきっと良くなる。
と、当時のわたしにはじっさいにそういう知り合いがいたので、彼のことを思い出しながら、口からでまかせをならべた。
相手はわたしのことを日本のえらい先生と思っているようだったし、こういうウソならついても罪にはなるまい。
夫婦は感動して涙を流さんばかりで、今度中国に来るときはぜひうちにも寄って下さい、ご馳走をしますという。
そこまでやられちゃこちらも罪の上塗りをするばかりだ。

この家族が泊まっている宿は1日10元だという。
安いことは安いけど、泊まっているあいだは収入がないはずだから、どうやって生活しているのと訊くと、カクさんは、この人たちは農民だから、お米を売った金でここへ来ているという。
わたしは自分の存在の軽さについて考えないわけにはいかなかった。

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とてもいたたまれないので、あとで子供用のタオルを買って、カクさんに、あの腕のマヒした男の子に上げてほしいと頼んでおいた。
針治療を受けていた宿は通風が悪く、子供がじっとり汗をかいていたのを見ていたからである。
やさしいのねとカクさんはいっていたけど、しかしわたしはこの農民夫婦をあざむいたことにいささか罪の意識もあった。
彼らに再会することはないだろうけど、貧しい人たちが、うちで御馳走しますといってくれた好意を思うと、わたしはほんのわずかな贖罪をしたにすぎない。

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先に中国の病院の粗末さに触れたけど、改革開放政策は順調に進展しているようだったし、いつの日にかこの国にももっときれいな病院ができるに違いない。
病院がきれいになり、医師の給料も上がるのはけっこうだけど、同時にわたしが見てきたような医師と患者のこころのつながりが消滅してしまわないか、アメリカのように貧乏人にとって、入院がますます縁の遠いものにならないか、そっちのほうが心配だ。

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2024年2月 7日 (水)

あしやさん

有名なロシア人ユーチューバーのあしやさんが、自分の祖国のロシアについてぼやいている。
これはデタラメというか、誰かにいわされているなと思う。
思うだけでは世間の単細胞と変わらない。
なんでそう思うか理由をちゃんと書いてみよう。

彼女がいってることはまず最初に、プーチンの対抗馬として大統領選に立候補するというナデジディンさんについて。
あしやさんは彼について、戦争に反対する人もいて、ほかの戦争反対論者を元気づけたなんていってたけど、ロシア人がほんとうに戦争反対を歓迎するだろうか。
もちろん戦争はしないですめばそれが一番いいことだけど、プーチンがやったことはウクライナを侵略して征服しようという単純なものではなく、NATOの包囲網からロシアを救うためだということを、ほとんどのロシア人は理解しているはずだ。
ワグネルのプリゴジンさんがモスクワに進軍したときも、多くのロシア人が国内が分裂するのではないかと心配した。
日本人が知らないだけで、ロシア人はその時々の戦況についてちゃんと知っているのだよ。

つぎにロシアが戦争に反対する海外のロシア人の資産没収ということが出てきた。
西側だってつい先ごろ、海外にあるロシアのドル資産を没収して、ウクライナの支援に使おうと、まだ戦争が終わったわけでもないのに、これはれっきとした国際法違反である、をしようとした。
あしやさんがロシア人しか知り得ないことでもいうならともかく、これはいま日本に氾濫しているアンチ・ロシアのプロパガンダを、忠実になぞっているだけじゃないか。
彼女は最近はずっと日本に居座っているから、ロシアの情報について、日本のそれしか知らないのだろう。

つぎにこの冬のロシアでは、各地で暖房パイプが破損して問題という話が出て出てきた。
これなんか典型的な西側のプロパガンダで、冬に暖房パイプが止まったら、ロシアではもっと大騒動になっているだろう。
だいたい暖房パイプの故障なんて、ロシアにケチをつけるために日本のマスコミだけが騒いでいたことで、ロシアに家族のいるあしやさんなら、ロシアに経済制裁はぜんぜん効いてないし、暖房パイプの問題もほとんど起こってないことがわかるはず。
YouTubeなどを注意していれば、数は少ないものの、現在のロシアの現状を報告するチャンネルはいくつかあるのだ。
ほかならぬあしやさんの親友のアリョーナさんが、最近モスクワの公園から、いまのモスクワは戦争まえとほとんど変わらないと伝えていた。
ところでこのアリョーナさん、つい1週間ぐらい前までロシアに里帰りしていたけど、いつの間に帰ってきたんだろう。
いったいロシアと日本の往来はどうなってるんだ。

兵士の妻たちが夫を返してとデモをやっているというのも、わたしがこのブログで書いたばかりじゃないか。
北朝鮮やほんとうに抑圧的な独裁国家なら、そんなデモに参加すれば一網打尽か、ひどいときには機関銃でひとなぎだ。
彼女たちが無事にデモをして、それを外国の報道機関まで報じているなんて、これってヤラセじゃないのかとわたしが疑ったやつ。
ほれ、わたしが1億分の10万と書いたやつだよ。

ロシアのロックバンドがタイで逮捕という話もあったけど、初耳なので確認してみた。
ニューズウィークの報道によると、タイで不法就労をしタイ警察に逮捕されたバンドがあるのだそうだ。
ここでも思い浮かぶのは、ロシア人て簡単にタイに旅行ができるのかってこと。
ウクライナでは一定の年齢以上の男子は海外移住も禁止だ。
ロックバンドというのはむかしから反体制的なところがあるから、言動に問題があっても不思議じゃないけど、いまは戦争中だぞ。
ほかの時期ならプーチンも問題にしなかったんじゃないか。

つまり、あしやさんのいうことがあまりにも日本のうすら馬鹿がいうプロパガンダと合致しているので、よけい信じられないんだよ。
彼女は日本が大好きで、なんとか日本の永住ビザをもらいたがっている。
どこかのヘボ役人が彼女のそんな弱みにつけこんで、協力者に仕立てているという疑いはきわめて健全なものだと思う。
苦肉の策でこんな乙女まで引き込まなければいけないなんて、切羽詰まった日本の焦りがようくわかるではないか。

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2024年2月 6日 (火)

昨日のNHK

昨日までは憶測にすぎなかったものの、とうとうゼレンスキーさんがザルジニー総司令官の首を切ったらしい。
EUまでやめろといってるのに、ウクライナ軍のリセットが必要だなんて言い訳して、強引に押し切ったようだ。
これであとはゼレンスキーさんがきちんと大統領選挙をするかどうかだな。
すればザルジニーさんも立候補し、とうぜん彼の圧勝で、彼はウクライナ国民の民意を無視できないから、ロシアとの和平を目指すだろう。
たといクリミア半島を割譲しても、平和を熱望しているウクライナ国民は文句をいうまい。
クリミア半島はロシアやEUにとってこそ要衝だけど、ウクライナにとっては兵士の死体を積み上げるほど価値のある場所ではないのだ。

いまの時期にプーチンがなにかすると、西側のマスコミはすぐに選挙目当てだといいたがる。
しかしプーチン支持は圧倒的だ。
バイデンさんのようにぎりぎりの支持で当選したのならともかく、プーチンに選挙目当ての工作をする必要があるんかね。
むしろある程度ぐらいは票を集めそうな対抗馬がいてくれたほうが、ロシアも民主主義の国であると宣伝するのに好都合だと思わないか。
そもそも、どうしてプーチンはそんなに支持が多いのか、そっちを説明するほうが簡単なのに、西側のマスコミ、SNSはやろうとしない。

そう考えると昨日のNHK国際報道は、すべてひっくるめてロシアのプロパガンダかも知れない。
ロシアの大統領選挙に出馬するナデジディンという反体制候補がいるそうだ。
彼の集会に多くの人が集まり、立候補に必要な10万人以上の署名が集まったという。
しかしロシアの人口は1億4千万人もいるんだゾ。
赤ん坊や子供をのぞいた有権者だけでも1億人くらいはいるだろうから、1億分の10万だ。
しかもいってることは泡沫候補なら当然いいそうなことだし、西側の記者まで取材が許されているところをみると、これはロシア政府が立たせたヤラセの候補者かも知れない。

プーチンはあまりプロパガンダに興味がなさそうだし、NHKがそこまで考えているかどうか知らないけど、モスクワの特派員だけが張り切って
・・・の警戒を強めている可能性があります
・・・の圧勝を目指しているとされます
・・・のお墨付きがが目的とみられます
・・・が厳しくなっている可能性があります
・・・へ神経をとがらせているとみられます
なんだ、なんだ、なんだ、このロシア報告は。
わたしは憶測の報道ばかり観たいわけじゃないぞ。

今日は雪の翌日だ。
こんな日にじいさんが外出すると、凍った雪に足をすべらせてすってんころりん、頭を打ってそのままポックリとなりかねないから、花壇のようすを見に行ったくらいで、あとは家でひたすら映画を観ていた。
こういう日は録画してDVDやブルーレイに焼いた映画を観るいい機会なのである。
コーヒーを飲みながらじっくりといい映画を観る。
体調も悪くないし、心配ごとや未練もない。
いまのわたしの生活は、現役後の年寄りとしては、理想的なものじゃないかね。

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2024年2月 5日 (月)

中国の旅/ヤオトンの村

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洛陽での予定はほとんどこなした。
わたしはこのあと別の街に移動するんだけど、ここで忘れないうちに大切な人のことを書いておこう。
この旅('96)では、洛陽までの列車で、郝さんという中国の女医さんと知り合ったことを書いた。
郝という字は日本では見たことがないけど、これは中国語では“ハオ”と読み、日本での読み方は、漢和辞典をひくと“カク”である。
本人も日本に研修中はカクさんと呼ばれたといっていたから、ここでもそれでいくことにする。

今度中国に来るときは連絡して下さいといわれて、わたしは舞い上がってしまった。
日本語の話せる相手に案内してもらって、外国を自由に旅するのはわたしの夢だったのだ。
まして相手は若い女性で、医師というから、えーと、うーんと、わたしより高学歴の人ではないか。

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わたしは1997年の6月にとうとうシルクロードを目指すことにして、途中洛陽に立ち寄った。
もちろんカクさんと会うためである。
あらかじめ手紙で連絡をしてあったから、洛陽の駅では彼女はホームまで上がってわたしを待っていた。
このときはうっすらとお化粧していて、初めて会ったときに比べると、いい方向にイメージ・チェンジしていた。
どこへ行きたいですかと聞かれたから、できれば観光地ではなく、田舎が見たいですねと答えると、それでは知り合いの農家に行ってみましょうという。
知り合いの家というのはこの地方に多いヤオトンという洞窟住居だそうだ。
これはおもしろいことになったなと思った。

このときの旅では、ホテルはカクさんが見つけておいてくれた。
王城公園の近くにある「洛陽航空大厦」というところで、安いというから料金以外の部分が心配だったけど、見た感じも悪くないし、部屋も悪くはなかった。
それで1泊280元(このときのレートで4000円ぐらい)だという。
部屋は5階の503号室だった。

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部屋に荷物を置いてから、あらためて彼女とともに農村へ向かうことになった。
もうひとりの女性がいっしょに行くという。
こっちの女性は名前が“郭”さんで、まぎらわしいけど、日本語ではやはりカクさんである。
あとで聞いたらカクさんは郭さんを、わたしの嫁さんに紹介しようと連れてきたのだそうだ。
そんなことをいわれてもわたしにはぜんぜんそんな気がなかったから、できるだけ話がそういう方向に傾かないように用心した。

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小さいバン・タイプの路線バスに乗って、目的地までは30分ぐらい。
街道でバスを降りて、あとは3人で田舎道をぶらぶら歩く。
ちょうど麦の収穫時期で、あちこちで刈り取りや脱穀などの農作業を見た。
北関東の農村育ちのわたしには、とてもなつかしい光景だった。
たどりついたのは崖っぷちの小さな集落で、崖の下に川が流れていて、そのよどみの上にヤナギが緑色の葉をさしのべている。

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頑丈な木の扉を開けてもらって、わたしたちは1軒の農家に招じ入れられた。
老人と老婆にその息子さん、そして小学低学年の女の子が2人、家から出てきた。
息子さんと女の子は農繁期にたまたまもどっていたもので、本来のこの家の住人は老人と老婆だけであるという。

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門の内側は中庭になっており、葉を茂らせた数本の木が大きな日傘をつくっていた。
中庭は3方向を4、5メートルの高さの崖にかこまれ、そこに大小8個ほどの洞窟が掘られている。
いちばん大きな洞窟は、奥ゆきが10メートルくらいで、老夫婦が住んでいる洞窟は、せいぜい7、8メートルくらいだった。
住まいとして使われているのは3つくらいで、あとは物置きや空き洞窟になっていた。
庭に7、8羽のニワトリが放し飼いにされていて、小さなヒナが走りまわり、囲いのなかにはブタもいた。
洞窟の入口にはツバメの巣があり、ここの住人はまったく自然と同化して生きてるなと思わせた。
めずらしくない、そう、むかしは日本の田舎もみんなこうだったのだ。

カクさんは少女のころ、いちじこの家に居候していたのだという。
とはいうものの、あまり郷愁ばかりにひたるわけにはいかない。
じつは彼女がこの家に居候したのは、毛沢東の文化大革命にひっかかって、彼女も下放という受難に遭ったせいなのである。
下放というのは知識人、文化人など、紅衛兵をしていた無学な若者からみれば、ちょっと生意気な暮らしをしていた人たちが、再教育のため田舎に追放されたことである。
カクさんの家もわりあい恵まれた家庭だったから、追放の仲間入りをさせられ、両親と引き離されて、まだ幼かった彼女が居候させられたのがこの農家だったのである。

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ほら、ここがワタシが間借りしていた部屋よといって、カクさんが洞窟のひとつに案内してくれた。
彼女が使っていたころはもっと内装も手が加えられていたのかもしれないけど、文化大革命のころ、電球や蛍光灯がもっとこうこうと輝いていたはずはないから、夜はほとんど明かりのない生活だったんじゃないか。
いまでは表面があちこちではがれかかっている壁や天井から、夜になると血を吸う小さな虫たちが落ちてきたという。

この農家の息子さんという人は、ちょっとやぶにらみの傾向を感じさせる痩せた人で、だらりとたるんだランニングに短パン姿で出てきた。
学校の英語教師をしているそうで、名前は“呂”さん。
彼と話して思ったけど、英語の教師になるにはそれなりの努力がいるはずである。
そうした息子を養育するのに両親はそれなりの苦労をするだろう。
それなのにこの国では、たいした努力もなしに勤まるタクシー運転手のほうが、教員より給料がいいというのでは、国の発展などたかが知れたもんじゃないか。

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呂さんの娘は2人いて、姉のほうは11歳で安那(アンナ)という西洋ふうの名前を持ち、妹は7歳で安東といってすぐにわたしになついた。
下の娘に案内されて、崖の上の畑に行ってみた。
崖の上には、すぐ背後にレンガ工場があって、その向こうに線路が走っている。
線路はともかく、レンガ工場は風景をはなはだしく損ねていた。
手前の畑のわきにワラが積み上げられ、汚れた身なりの子供たちが、とつぜん現れた日本人を驚いたような顔で見つめていた。
子供たちはいずれもむくんだような顔をして、目のまわりに腫れ物ができているようだった。
カクさんの話では、健康保険制度のない中国では、貧しい農民は病気になってもまともな医者にかかることもできないという。

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そうしたことを除けば、こころのなごむ風景だった。
村のなかを流れる小川のほとりに、カモやニワトリが泳ぎ、小さな子供たちが遊んでいる。
ああ、あのなかに幼いころのわたしがいないだろうか、というのは宮沢賢治の童話の一説だけど、まさしくわたしもそう思った。

食事のお礼としていくらかの対価を払ったあとで、わたしたちはヤオトンの農家をあとにした。
麦畑ばかりの農道を歩きながら、いま見てきた村の貧しさについて考える。
カクさんは、この村は街から遠いから作物を売るにも分が悪いのだという。
そんなことはない、路線バスでせいぜい30分も走れば洛陽市街じゃないか。
わたしは彼女に、日本では農協というものがあって、村でトラックや農機具を購入し、作物の生産調整をしたり、必要なら政府に対する圧力までやる。
どうして中国の農民はそういうことを・・・・といってはみたものの、すぐにあほらしい意見であることに気がついた。
4千年の歴史のある国で、わたしみたいなとるに足りない人間が、その国民性をゆるがすようなことをいっても仕方がない。

洛陽航空大厦にもどり、交代でシャワーを浴びたあと、今度はわたしのおごりで、夕食のためレストランへ行くことにした。
郭さんがホテルの近くに新しいレストランを知っているという。
行ってみると、外装がログハウスを思わせる西洋式の店で、新しもの好きな中国人でビヤホールのようにごったがえしていた。
注文はぜんぶ彼女らにまかせたけど、さすがに中国の店だけあって品揃えは豊富である。
こうなるとわたしのダーウィン的部分が騒いできて、メニューを見ながら彼女たちにいろいろ質問してみた。
これはタニシ、これはエビ、これはウシガエルと、字を見ただけで想像できるものもある。
しかし血を吸うヒルまで食べるとは想像できなかった。
この店ではガラスの水槽に、じっさいのメニューの見本が並べてある。
はじから順に見学してみたら、生きたライギョ、ウシガエルなどに混じってネコザメまでいた。

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カクさんはお酒を飲まないけど、それでも日本流にまず生ビールを頼んだ。
テーブルには豚の骨つき肉、アナゴのぶつ切り炒め、蒸し器の中の小龍包、おそろしく香りの強い緑色の野菜などが並べられた。
その骨を食べてごらんなさいとカクさんがいう。
わたしはイヌと違って、ふだん骨なんかあまり食べないんだけど、圧力釜でそうとうにやっつけたらしく、この骨つき肉は骨ごと食べられた。
郭さんは“全虫”というものを注文した。
なんだい、それはと訊くと、これはあれ・・・と、カクさんがへたな絵を書いて説明する。
出てきたものを見たらサソリだった。
ま、日本人がサワガニのから揚げを食うようなもんかと、度胸をすえて食べてみた。
食べるまえに尻尾の針をぽっきり折ってと説明される。
精力増強に効果があるらしいけど、この晩はひとりで寝たから、効果はわからない。

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雪の日

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昨日は日曜日で海外からの報道もなし。
NHKをいじめる材料もなし。

今日は大雪になるというので、午前中に籠城用の糧食を仕入れに行ってきた。
これで3日や4日は孤立してもダイジョウブ。
花壇の花には干天の慈雨ってトコ。
孤立したまま安定の厭世家・李白だよーん。

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2024年2月 4日 (日)

中国の旅/古墳博物館

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翌日になった。
今日はどこへ行こうかと考えながら、ホテルの玄関に出てみたら、岳さんが写真を持って待ちかまえていた。
昨日彼女の家に行った帰りに、それまで撮ったフィルムの何本かを途中で現像に出してあったのである。
中国のDPEも仕事は丁寧だからそれはいいんだけど、彼女はこの日も貸切でどこかへ行こうと誘ってくる。
2日続けてタクシーを借り切ったらわたしは破産してしまう。
適当な理由をつけてお断りし、彼女がずっと玄関で待ち構えているかも知れないから、わたしは裏口からそっと外出した。

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軽バン・タクシーをつかまえ、とりあえず博物館にでも行ってみようとしたら、運転手があんなところはつまらないよ、それより「洛陽古墳博物館」へ行かないかと勧める。
この博物館は洛陽市の郊外にある、古墳ばかりを集めた博物館だそうだ。
古墳を集めたというと、墓が切手やレコードみたいに蒐集できるものなのかという疑問が生じて、変な表現になってしまう。
それでも洛陽博物館はすでに見たあとだから、予備知識はなにもないまま、その博物館に行ってみることにした。

行ってみると洛陽博物館よりむしろこっちのほうが興味深いところだったので、わたしはこのとき(96年)だけではなく、翌年にもういちど見学に行っている。
そういうわけで、この後の記事はまた、96年と97年の旅のメモをひとつにまとめてあるから、その点に留意しておいてほしい。

軽タクシーは郊外を走って、大きなY字路を左折した。
このあたりには唐三彩を売る露店が路傍にずらりとならんでいて、前日に岳さんの車の中からちらりと見た記憶がある。

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Y字路からすぐに丸い小山が見えてきた。
西安にある秦の始皇帝陵ほど端正な形じゃないけど、なんとなく遠方からでも人工の山であるような感じがする。
あたりは麦畑のひろがった田園地帯である。
すぐわきの畑にウシやヤギがつながれて、のんきに草をはんでおり、いいところに来たなとわたしは思った。

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運転手は博物館まえの駐車場に車を停め、ここで待っているからという。
門を入ると前方に瓦屋根の博物館があり、中庭には動物をかたどった石像がならんでいた。
博物館のなかでまっ先に目についたのが土産もの屋で、墓から出土した土偶や土器などのミニチュアがならべられていた。
わたしは土産に興味がないから、さっさと背後の小山に登ってみることにした。
墓地だからあたりまえかもしれないけど、広さの割に人が少なく、閑散としていて、墓のあいだにサツマイモ畑まであった。

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小山は、全体が北魏の皇帝の陵になっていた。
小山の正面には地の底の墓室まで入っていくための黒い穴があいていて、「北魏世宗宣武皇帝景陵」という石碑が建っている。
なんとなく死んだ妻に会うためにオルフェが通った地獄の門みたいだ。
照明がなく、奥に小さな明かりが見えるだけで、あまり気持ちいい体験じゃないけど、なにごとも見聞だというので入ってみた。
通路に照明はまったくなく、直線のゆるい下りなので、背後の入口からの光を頼りにそろそろと歩く。
とっつきに小さな墓室があったから、わたしはやみくもにカメラのストロボを光らせた。
帰国してから写真を現像してみると、なにか環のついた石棺が写っているだけで、墓室のようすはわからなかった。

このあと小山のてっぺんまで登ってみた。
枯れた野菊やいばらのあいだに細い道が通じており、ほんの数分でてっぺんまでたどりついた。
高さはなくとも、まわりは麦畑のひろがる平野なので、見晴らしは素晴らしく、わたしはしばし恍惚となってしまった。
というのが96年の体験だったけど、じつはわたしはまた大きな過ちを犯していた。
もういちど小山のてっぺんからの景色が見たくて、わたしはこの翌年(97年)の6月、シルクロードへ行く途中でまた洛陽に寄り、古墳博物館にも行ってみたのである。
その結果、古墳博物館は最初に見たときよりずっと大きいことがわかったのだ。

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このときのタクシー運転手は、就学中に身をもちくずした学生のようなタイプで、ときどき肺病やみみたいなセキをしていた。
彼は博物館への道を知らなかった。
ほかのタクシーの運転手に訊ねたりして、ようやく理解したらしく、20キロはあるよ、いいのかいという。
いいけどいくらでいくのかと訊くと、運転手はいったん入れた乗車表示灯を無視し、ぱたっと空車表示灯を起こして、20元だなという。
空車の表示灯を起こしたのは、メーターを使わずに談合料金で行くということである。
OKだ、向こうで待っていてもらって帰りも利用するけど、往復ではいくらだと重ねて、70元というのを60元に値切って話をつけた。

今回のわたしは懐中電灯を用意してきたので、地下墳墓ではおちついて穴のなかを観察をした。
入口から奥までおよそ40〜50メートルくらいで、壁や足もとにレンガがしきつめてあり、とっつきの墓室の天井は丸い。
ここに鉄環のついた黒い石棺と、反対側の壁に出土品がいくつか並べてある。
古代の中国では皇帝が死ぬと、后たちが生きたまま埋葬された時代もあるという。
こんな暗闇の中で、石棺にとじこめられ、重い蓋が閉じられ、誰の声も聞こえなくなったら、わたしならきっと恐怖のあまりオシッコを漏らすだろうなと思ってしまう。

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墓穴から出たあと、わたしはこのときも小山のてっぺんに登ってみた。
てっぺんは別天地である。
さいきん山登りにごぶさたしていたわたしにとって、ここにはひさしぶりに体験するさわやかな風が吹きわたっていた。
このときは6月の旅だったので、西側の広い空き地で、大勢の村人が脱穀作業をしているのが見えた。

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小山を下って、ぶらぶらと博物館へもどる。
石畳の敷かれた博物館の庭に、サルやニワトリなどの獣面人身の奇怪な石像が、10体ほど向かい合ってならんでおり、真昼の静寂の中で、それはかなり超現実的な風景である。
帰国したあとで、ネットを通して、それは12支の動物ではないですかと教えてくれる人がいた。

わたしはカン違いをしていた。
古墳博物館は地上にある施設がすべてだと思っていたけど、土産もの売り場で売り子たちと話しているうち、地下博物館への入口があることを教えられたのである。
地上にいては見えないところなので、前回はこれにまったく気がつかなかった。

さまざまな墳墓の見本を集めた地下博物館の展示場はそうとうに大きなものだった。
「北魏帝王陵園」というのが古墳博物館の別名で、パンフレットによると
もともとこの地にあった北魏世宗宣武皇帝の景陵と、洛陽近郊の遺跡から発見された数十万点の文物を基礎に設立された墳墓専門の博物館」とあった。
龍門石窟に行ったとき、北魏のことを頭に入れておいてほしいといったのは、このことが念頭にあったのである。
失望した洛陽博物館より、こちらの施設のほうが充実しているかもしれない。
ただし96年のころは、この博物館も客があまりおらず、そうとうに雑な扱いをされていた。

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北魏か、なるほどね。
と思っただけで、わたしはこの王朝についてなにも知らなかった。
洛陽を首都にしているのだから、唐の前後だろうけど、はたしてそれより前か後ろなのか。
わたしは「史記」を読み込んでいたおかげで、漢までは順ぐりに王朝をたどることができた。
神話的な堯舜の時代から始まって、中国では珍しいことにまだ遺跡が見つかってない夏、北朝鮮の正恩クンのような残忍な王がいた殷、そのあとを襲った周、はじめて中国を統一した始皇帝の秦、垓下の戦いで宿敵を滅ぼした漢にいたる歴代王朝である。
こまかいところは飛ばしてあるけど、おざっぱにこんなところだ。
始皇帝はイエス・キリストとほぼ同時期の人だから、これを基準にすると西洋との比較もしやすい。

唐という国は遣唐使で日本でもよく知られているから、日本の平安時代の王朝で、この先は日本とも比較しやすい。
北魏は漢と唐のあいだのどこかにはさまる王朝のような気がしたけど、帰国して調べてみるまではっきりしたことはわからなかった。
わからない理由は、北魏の時代に、殷の紂王や周の太公望、始皇帝や項羽、劉邦、呂皇后、楊貴妃などのような個性的な人物が見当たらないからである。
やっぱり歴史はドラマチックでないと興味が湧かないのだ。
いちおうウィキペディアにリンクを張っておいたから、興味のある人はまた自分で勉強してほしい。

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地下にある博物館の中はひんやりしていて、警備員の中にはオーバーをひっかけて座りこんでいる者もいた。
しかし風が吹き渡っているわけでもないので、わたしは急ぎ足で見学をすませた。
現在はこの博物館で、人数をかぎって地下の館内でひと晩を過ごす、ホラー・ツアーというのも催されているという。
通俗的な旅行に満足できない人は、申し込んでみると、コワーイ体験ができるかも知れない。

タクシーで洛陽市内にもどり、約束どおり60元を払うと、運転手は待っていた分もくれとぬかす。
ふざけるな、行きが20元、帰りが20元、寝ていた分が20元で、全部で60元だよと言い張ると、運転手はニガ笑いしながら、まあいいやとあきらめた。

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昨日のマスコミ

「ロシア大の統領選挙で反戦候補を親プーチン派が一斉に中傷・・・テレビ番組で『ナチスの候補だ』」
これは日本の某大新聞発のネットニュース。
「動員500日、ロシア兵帰還運動の記者ら拘束 政権は影響力を懸念か」
これも日本の某大新聞のニュース。
なんとかしてプーチンにけちをつけたいらしいけど、なんとでもいえ。
ぐちゃぐちゃいって喜んでいるのは日本のマスコミだけだ。
米国みたいに民意がまっぷたつだとか、日本やドイツのように政権の支持ががたがたならともかく、プーチンの支持は圧倒的じゃないか。
なんでロシアでプーチンはそんなに人気があるのか考えたことはないか。
知らなきゃ何度でも繰り返すぞ、わたしのブログは。

まずプーチンが大統領になる直前のロシアはどんな国だった?
ゴルバチョフの改革が失敗して、エリツィンがトップに座ったのは1991年で、それから10年近くロシアはエリツィンの政権下にあった。
そのころのロシアについては「ロシアン・ブラザー」という映画に描かれている。
つまりオリガルヒと呼ばれる新興成金がロシアを食い物にし、ヤクザが市内にはびこり、国中がマフィアやカポネがいたころの30年代の米国のような無法国家だったのだ。
法治などないも同然で、一般の国民はその日の暮らしにもおびえながら暮らしていた。
ウソだと思ったら、ウィキペディアにも書いてあるから読んでみろ。
そんなことはないという人がいたら、どうぞコメント欄でいくらでも反論してみてくれ。

プーチンはKGB上がりの剛腕で、ギャングやオリガルヒと渡り合い、彼らを刑務所に叩き込んで、ロシアを正常なグローバル国家に転換させた。
プーチン以降のロシアは劇的に変わったのだ。
ウソだとおもったら、どうぞコメント欄で反論してみてくれ。
あちらから大勢のロシア人が訪日するし、こちらも、たとえばわたしも、じっさいにロシアまで行って、そこがケンタッキーやマクドナルドもある、米国やヨーロッパと変わらない国だということを確認してきた。
その紀行記はこのブログに書いてある。
異論があるなら、どうぞコメント欄で・・・・

プーチンが選挙のことを心配しているというのは、ぜんぶこちら側の願望さ。
バイデンさんみたいに悪徳企業の献金をあてにして、私腹を肥やす政治家とは違うんだよ。
ときどきプーチンが私腹を肥やしていると悪口をいう人がいるけど、証拠があって発言しているのかね。
まず国民を豊かにするという、プーチンは正攻法の政治家だ。
これじゃロシア国民がプーチンを支持するのは当然じゃないか。
反論があるなら、どうぞコメント欄・・・・

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2024年2月 3日 (土)

今年の福寿草

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今年はいつもの場所に福寿草が出てこないなと、念入りにそのあたりを点検したら、すでにある程度大きくなっていた花を見つけた。
そのあたりというところは小さなカタバミが絨毯状に地表を覆っていて、上から見たのではわからなかったのだ。
よかった、よかった。

ここんところ自家製のぬか漬けも好調で、ナス、カブ、ニンジン、ダイコンなど、食事のおかずや酒のつまみでぺろりぺろりと食べてしまう。
わたしは高血圧らしいので、世間の常識からすると塩分はいけないはずだけど、世間の常識に反してもう20年以上。
根っからの反骨人間なのだ。

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2024年2月 2日 (金)

今日と昨日

ネットニュースにあった記事。
「伊藤美誠の“衝撃発言”を巡る批判に中国メディアが猛反論!」
「並外れた成績を残してきた」「彼女は称賛に値する」
わたしはスポーツに明るくないので、詳しいことは知らないけど、美誠ちゃんが何か言ったら、それに対してこころない野次馬から非難や中傷が殺到したのだそうだ。
すると、いまNHKがせっせと難癖をつけている中国から、彼女を擁護する声が上ったというのである。
うーん、大人だねえ。
これがスポーツマンシップというもんじゃないか。

それに対して日本(と西側)は、なにかと難癖をつけて、オリンピックからロシアの選手を締め出すという姑息な算段。
それでウクライナの戦況が変わるわけもないし、勝ち目のなくなった側のいやがらせ以外のなにものでもない。
だいたいロシアの選手が出場しないフィギュアや体操競技に、どんな価値があると思ってるんだ。
強い相手がいないあいだに、弱い選手だけで、だれが勝ったの優勝したのと喜んでいるだけじゃないか。
しかもオピニオンリーダーであるべきマスコミまでが、抗議の声ひとつ上げるわけじゃない。
いったいスポーツと政治、芸術と政治は別物だという主張、あれはたんなるたてまえだったのか。

わたしはロシアのバレエが観たいけど、NHKがそれを放映しなくなって久しい。
いまはテレビ画面でもYouTubeが観られる時代だから痛痒は感じないけど、4Kも観られないし、偏向報道ばかり観せられるこっちの身にもなってみろ。
受信料返せ。
受信料というのは受信した場合に払う金だろう。
受信できないチャンネルを放送しておいて、なにが金を払えだ、ブツブツ・・・・

ところで昨夜のNHK国際報道では、よっぽど嬉しかったとみえて、EUのウクライナ支援合意がトップニュースだ。
これだけをみても崖っぷちだったウクライナの境遇がわかるじゃないか。
しかし喜ぶだけで、わたしがいうところの、そして本当に知りたいこれからの曲折にはひとつも触れてなかった。
ただひとつの障害だったハンガリーが合意したということは、おもてには出ないけど、EUはハンガリーのオルバン首相にかなりの譲歩をした可能性がある。
ヘタすりゃオルバンさんとプーチンも了解のうえで、いいんじゃない、どっちにしたって、もうウクライナの勝ちはないよって話がついているかも。

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中国の旅/黄河のほとり

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龍門石窟を見終えると、あとはとくに見たいものがあるわけではない。
洛陽に名所旧跡は多いはずだけど、そんなものよりわたしは、岳さんに黄河が見たいといってみた。
「地球の歩き方」をみると、黄河の近くに古い皇帝たちの墓陵があることになっているので、そういうものを見たかったのである。
このころには天気も快晴に近くなっており、岳さんはうなづいて車を発進させた。

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走り出してまもなく、岳さんが「関林」を見ていくかと訊く。
三国志で有名な関羽をまつる廟で、中国ではいたるところにあるから、日本のお稲荷さんみたいなものだ。
道の途中だというので、あまり寄り道にならなければいいよと返事をしておいた。

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なんだかごみごみした民家のあいだで車をおりた。
なるほど、目の前に「関林」という額のかかった赤い門がある。
門からのぞいてみると、奥にもうひとつ門があって、関羽さんはそのさらに奥らしい。
門からとっつきにある廟の建物まで目測で100メートルくらいある。
せっかくだからというわけで、気のすすまないまま境内へ入ってみた。
壁や柱がまっ赤で派手ぎみなところをのぞけば、日本のどこにでもある神社、寺院みたいである。
ひたいに赤いしるしをつけたかわいらしい幼女を連れて、お線香をあげている家族がいた。

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わたしは三国志も読んだことがあって、同じ劉備の子分でも、単細胞の張飛にくらべれば、インテリでもある関羽を崇拝していた。
熱燗がさめないうちに敵の大将の首をとってきたなんてエピソードも痛快である。
しかし中国のこの手の像というやつは、たいてい悪趣味としか思えない色に塗られているので、わたしにはとても好きになれない。
日本で木像石像といえば、生地の材質や色彩を生かした無色のものがほとんどだけど、中国人は像に色をつけるのが大好きである。
もっとも奈良の大仏も昔は全身が金箔でおおわれていたという。
金がはげおちて灰色の像になってしまっても、もとどおりに復元しろという声が出ないのは、そのほうが日本人の好みに合っているからだろう。

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帰りぎわ、有料の公衆トイレに寄ったら、便所のわきにボタンの花が咲いていた。
洛陽は別名を牡丹城というくらいボタンの花で有名なのに、この街に滞在中に、開花している花を見たのはここだけだった。
きれいですねと、トイレの使用料徴収係りのおばさんにゴマをすっておいた。

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黄河までしばらく郊外の農村を走る。
ポプラやアカシアの並木、畑のなかのキリの木のたたずまいなど、風景は美しく、へたな観光名所よりこちらのほうがずっといい。
ウマやラバが引く荷車にあちこちで出会う。
ずっと遠方に樹木のほとんど生えてない山が連なっていて、全体がじつにきめ細かく段々畑におおわれている。
あそこまで行ってみたいと思ったけど、岳さんは田舎なんかにまるで関心がなさそうだった。
わたしもそんな遠方までまわり道をしてくれといいにくいので、うじうじしているうちに黄河に着いてしまった。

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どうも予想に反しておとなしい河だった。
岳さんが案内したのは黄河にかかる、ただの橋の上だった。
橋の長さは1キロくらいあって、まあ大きいことは大きいけど、わたしの郷里の利根川の橋とたいして変わらないなと失望した。
水量は多く、うわさどおり水は黄色くにごっていたものの、足もとに中州が広がっており、中州の先で合流した濁水は、はるか彼方で白い雲と一体になっている。
見渡すかぎりの遠景の中に人工の建造物はほとんど目に入らない。
爽快な景色といわれればその通りである。
しかし橋の上だから、わたしのすぐ後ろをトラックがごろごろと走って、落ち着いて景色なんぞ見ていられなかった。
わたしが写真を何枚か撮って車中にもどると、岳さんは橋のまん中で切り替えしをして、強引に車をUターンさせてしまった。
おいおいとアセる。

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このあと橋のたもとの空き地に車をとめ、すこし川岸を散策することにした。
岳さんにしばらく待っていてくれと言い置いて、わたしは土手を下った。
このころ太陽がぞんぶんに顔を出し、あたたかな陽光がふりそそいで、川岸を歩くのに快適な天候になった。
いい気持ちでぶらぶら歩いていると、どこからともなく若い娘があらわれて話しかけてきた。
舟で黄河を遊覧しないかという。
なるほど、わたしの立っている川岸にエンジンつきの小さな舟が近づいていた。
しかし船着き場らしいものはどこにも見えないから、どうするのかと思っていると、へさきを陸に接触させたあと、舟を操縦していた男がロープを投げた。
陸にいた男がそれを受け取り、陸からちょくせつ舟に飛び乗るらしい。

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ふりかえると若い娘はいつのまにか小さな机を川岸にセットしていた。
この机が受付で、つまり即席の観光船着き場の出来上がりである(この机がどこから出現したものか、わたしにはいまでも謎なんだけど)。
些細な問題はわきに置いて、わたしは舟に乗って黄河を間近に見たかった。
いくらと訊くと、20元だというから、じゃ20分だけといってわたしは舟に飛び乗った。
舟は黄河をさかのぼり、橋げたのあいだをゆっくり回遊してもとの場所にもどった。
黄河にはでっかい魚が生息しているというから、水面に波紋でも見えないかと注意していたけど、そんものはひとつも見えなかった。
わたしが舟から下りて娘に料金を払っていると、またいつのまにか舟も人間も(小さな机も)どこかへ姿を消した。
おおかたまた農業か漁業か、はたまた土工か知らんけど、自分のほんらいの仕事にもどったのだろう。

岳さんは車の中でぐうぐう眠っていた。
おいおいとおこして、つぎは白馬寺という観光名所に向かう。
ずっと昼食抜きで走りまわっていたので、白馬寺で食事をすませてしまうことにした。
駐車場の前にあった食堂へ飛び込み、なんでもいいから注文してくれと岳さんに頼む。
わたしは極端な偏食で小食家だから、ひとりの場合、うっかり正体のわからない料理を注文するわけにはいかないんだけど、おおむね健啖家である中国人女性がついていると、たまには変わったものを頼んでやれという気持ちになる。

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彼女はメニューをわたしによこして、なんとかいう魚料理をどうだと薦める。
しかしどんな料理なのか見当もつかない。
困惑していると、店の娘がわたしの服のそでをひっぱってこっちへ来いという。
あとについて厨房へまわってみると、生け簀があってコイのような魚が飼われていた。
どうせ何だっていいのだから、かわいそうな魚を1匹注文することにした。
ほかに例によって麻婆豆腐、水餃子、野菜の炒めもの2品、ビールやジュースなどで、2人で190元くらい。
日本人は食べ物を残すことをきらうけど、中国人は不必要なくらい料理を並べたがる。
このときの食事は岳さんと2人がかりでも食べきれなかった。
まあいいやと、金持ち日本人のわたしも鷹揚なものだ。

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白馬寺は、寺のシンボルになっている斉雲塔に、登るどころか近づくこともできないので(斉雲塔は塀でがっちりかこまれている)、もう筆舌に尽くせないくらいつまらいところだった。
筆舌に尽くせないのだから、さっさと見学はあきらめて、わたしは西安の兵馬俑のときと同じように、寺の近くの農村をぶらぶらすることにした。
塀にそって裏のほうへまわると、前から6、7人の子供が棒の先にヘビの死骸をひっかけて、得意そうに歩いてくるのに出会った。
ほう、こんなところにもヘビがいるのかと、わたしの好奇心はすぐにそっちに飛んでしまう。

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わたしはレンガの塀にかこまれた集落に近づいた。
集落にはポプラやキリなどの木が植わっていて、兵馬俑で見た農村と同じように、低い枝がみな刈られ、下草も少ないので根もとがひじょうにすっきりしている。
塀にかこまれた集落をのぞいてみると、たんなる農村ではなく、門になにか工場の看板のようなものがかかげられていた。
塀の中全体が工場のようでもあり、遠慮なしに入っていくのがためらわれた。
けっきょく白馬寺を一周して、今度は道路の向こう側の集落に行ってみるかと考えていたら、後ろからわたしを探していた岳さんがやかましくクラクションをならした。
わたしは後ろ髪ひかれる思いで車にもどった。

岳さんにしてみれば、もうこの日の観光コースはみなまわってしまったのだろう。
ぜんぜんおもしろそうな顔をしないわたしを見て、このあと彼女は、アタシの家を見にこないかと意外なことを言い出した。
わたしはむろん中国の一般庶民の家を見てみたい。
しかし相手は、腕力こそわたしよりありそうだけど、いちおう色香の衰えていない30代の人妻である。
誘われるままに女性の家に寄っていいのだろうか。
昼間っから変なことを期待したわけじゃないけど、けっきょく好奇心が勝って、わたしは彼女の招きに応じることにした。

岳さんの家は引っ越すことに決めた友誼賓館から近い、やけにごたごたした住宅街の中にあった。
迷路のような路地をたどったので、わたしにもういちど彼女の家を探せといわれても無理である。

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いっぱんに中国人の家は西洋式で、土足で部屋まで入ってしまい、そのままソファに座ったりする。
岳さんの家も、道路からドア1枚開けるとそこがもう応接室だった。
ソファには小学生の娘がちょこんと座っていた。
おそらく電話で、日本人のお客が行くからと連絡してあったのだろう。
部屋は応接室と寝室のふたつに、小さな台所といった配置らしく、応接室にはテレビや冷蔵庫が置いてあり、壁には鏡と額に入った大きな絵、あちこちに花が飾られ、床にははきれいなタイルがしいてあった。
中国では一般的(もしくはいくらか上等)な家庭サイズと思えた。

旦那さんは今日は仕事ですかと訊くと、岳さんは外へ出ていって2、3分で亭主を連れてもどってきた。
赤いシャツを着たやせぎすの男で、一見して遊び人というふうだったから、近所で麻雀でもやっていたのだろうか。
中国の一般人の家庭を見たいと思っていましたというと、亭主は寝室まで見せてくれた。
寝室はダブルベッドでいっぱいで、娘用の小さなベッドが通路のようなところに置かれていた。
言葉が不十分なので亭主もいずらそうだし、わたしも居心地がよくない。
このあと、まだ小学生の娘や亭主の写真を何枚か撮って、早々にホテルへもどった。

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2024年2月 1日 (木)

NHKの速報

夜9時からのNHKニュースウォッチ9を見たら、いつもの青井アナがいなくなっていたね。
また同僚のアナに手を出して、南アフリカかアラスカ支局にでも飛ばされたのかしらと思ってしまったよ。
調べてみたらなにやらトラブルを抱えてフジテレビに移籍したんだそうだ。

そんな個人的な話はどうでもよくて、番組のなかで臨時の速報だ。
なにごとかと思ったら、EUがウクライナへの8兆円の支援に合意だって。
こういう話になると、NHKはとっても早いし、ウレしそう。
そのくせウチは偏向していませんというんだろう。
いくらお金をつぎこんだって、そんなものウクライナの汚職政治家を喜ばせるだけだし、戦争を長引かせて兵士の死体をさらに積み上げるだけってことがわからんかね。
どっちにしてもいきなりポンと現金で支払えるわけはないから何年がかりになるのか、どの国がどれだけ負担するのか、まだまだ曲折がありそう。
それまでゼレンスキーさんが大統領でいられるかしら。

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ウクライナのいま

ひょっとするとウクライナ戦争の未来を左右する大きな事件かも知れないのに、日本(とくにNHK)じゃあまり大きく報道されないね。
これまで汚職に関与したとして、レズニコフさんなど、官僚・軍人の首をかたっぱしから切ってきたゼレンスキーさんは、今度は軍の総司令官であるザルジニーさんを切るとか切らないとか。
まだ確定情報ではないけど、このふたりの確執が本物なら、ウクライナの国内はそうとうガタが来てるってことだな。

今年のウクライナの大統領選挙に、ザルジニーさんも立候補するという噂がある。
現時点でザルジニーさんの人気はゼレンスキーさんを上まわるから、立候補すれば彼が当選するのは間違いがない。
ザルジニーさんは戦争のなりゆきを最初から知っている。
アメリカの扇動で始まり、そのアメリカが戦争が長びくと、いとも簡単に支援を打ち切ったということも、しかも現在でもウクライナの兵士たちが死体を積み上げていることも、現場で見て知っているのだ。
彼が大統領になれば、真っ先に戦争を終わらせることに専念するだろう。
もちろんプーチンだって頑固なゼレンスキーさんが交代して、つぎの大統領が和平を求めてくれば、当初の目的通り、クリミア半島とそこへの回廊の割譲だけで、それ以上の要求はしないだろう。
ウクライナにとっては、メンツを保ったまま戦争を終了させられる最後の機会かも知れないのだ。

ただし、大統領職を失ったゼレンスキーさんは悲惨なことになりそうだ。
ウクライナ軍の戦死者の数があきらかになれば、彼は自分の国の国民に非難されることになる。
ヘタすればチャウシェスクやカダフィの二の舞だ。
ゼレンスキーさんは戦争中だからと大統領選を行わないつもりのようだけど、ザルジニーさんが人気があるというのは、これこそウクライナ国民が、腹のなかでは早く戦争を終わらせてほしいと考えている証拠じゃないか。
国民の過半数が戦争の続行を望んでいるというNHKの報道は、ありゃ、いったいナンダ。
アンケート結果まで、こうあってほしいと偏見でしか見ないからこうなるのだ。
戦争の続行を望んでいるのはウクライナ国民ではなく、日本の公共放送じゃないのか。

これとはべつに「ウクライナ」「汚職」という言葉を検索してみたら、過去にこれに関する報道がぞろぞろ。
これでどうしてウクライナが世界中から支援してもらえるのか不思議なくらい。
いや、ウチだってちゃんとウクライナの欠点も報道してますよという、マスコミの言い逃れの材料としか思えないね。
ロシアに対するさまざまな偏見と同じくらい、ウクライナの本質を執拗に報じていれば、日本人もとっくに目を覚ましていたかも知れないのに。

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