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2024年3月13日 (水)

中国の旅/渭水にそって

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列車は洛陽の駅を定刻の21時13分に発車した。
ここに洛陽が出てくるのは、また女医のカクさんに会う予定があったからで、それはすでに書いたから、この旅は洛陽を出発するところから始めよう。

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わたしが軟臥車(1等寝台)の自分の個室にたどりつくと、その入口に3人の女性が立っているではないか。
若い女性たちならハーレムになるところだったけど、みなおばさんたちで、中のひとりは白人だった。
そしてひとりだけ英語と日本語の話せるおばさんがいた。
わたしは(外国映画によくあるように)礼儀正しく自己紹介をして、ワタシひとりが男ですけど、同室してかまいませんかと挨拶した。
かまいませんよと、みなさん一致した返事である。
日本語の話せるおばさんに聞いたところでは、彼女は中国人、白人女性は彼女の兄嫁で、もうひとりのおばさんは関係ない1人客だという。

もう夜だったし、あまり話をするのもはばかれたので、わたしはさっさと上段寝台で、頭のすぐ上にある扇風機に吹かれたまま横になった。
おばさんたちはみな、まだ夜の明けきってない4時ごろ、西安で下りていった。
白人女性が小さな声でわたしにバーイという。
わたしも予定していた言葉を小さな声で投げかける。
ボン・ボャージュ。
彼女たちが下車したあと、2人連れの男性が部屋に入ってきた。
天水まで行くそうだけど、相手が男なので、わたしの役者きどりもそこで終わってしまった。

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西安を過ぎるとわたしにはまったく初めての土地ということになり、わたしのシルクロードの旅は、実質的にここからがスタートである。
ここでこの旅についておおざっぱに説明しておくと
今回の旅の目的地は新疆ウイグル自治区のトルファンだった。
当時はトルファンが旅行雑誌などで“夢のトルファン”と称されていたから、わたしはぜひそこに行ってみたかったのである。
しかし諸般の事情から、まずシルクロード鉄道の終点であり、新疆の省都でもあるウルムチまで行ってしまうことにした。
ウルムチからトルファンまでは列車でせいぜい3時間だから、引き返すのはそれほどむずかしくないのである。

この旅も最初は上海に泊まった。
上海からウルムチまでは、列車で4000キロちかくあって、これは東京から鹿児島までのほぼ3倍ということになり、ノンストップで行っても3日以上かかる距離だ(ただしこの区間にはその後高速鉄道ができて、現在は42時間で行けるらしいから、これはあくまで1997年当時の目安)。
わたしには洛陽で女医のカクさんと会う予定があったし、それ以外にも列車に乗り続けというのも気が利かない話なので、途中で何ヶ所か寄り道をして行くことにした。
西安を過ぎてほぼ1日行程の場所に甘粛省の省都である蘭州があり、そこからまた1日行程には、莫高窟で有名な敦煌がある。
そういうことで、わたしは蘭州と敦煌にも寄って行くことにしたのである。

洛陽から蘭州までの列車料金は・・・・メモを確認しようとしたら、保証金を200元取られたとしか書いてなかった。
上海から洛陽までが400元ぐらいだったから、たぶんそれと同じぐらいだったと思う。
このときの人民元レートは、えーと、日本円で3万円を両替したら、2100元プラスになった。
旅慣れたつもりのわたしは、もういちいち細かい金に拘泥しないから、必要ならみなさんで勝手に計算してほしい。

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朝8時に列車のなかで目をさますと、山あいの小さな駅だった。
どんよりした曇り空で、このときわたしは丸首のシャツ(『欲望という名の電車』でマーロン・ブランドが着ていたやつ)だったけど、それでちょうど心地よいくらいである。
朝食は餐車に行って、お粥とパン3コ、ハムエッグをとった。
食事をしながらながめると、列車の左側を大きな川が蛇行しながら流れている。
これは黄河ですかと訊くと、コックやウェイトレスがいっせいに違うと答えた。
あとで調べたら、渭水(いすい)だとわかった。
黄河の支流で、このあたりでは長江、黄河のつぎに有名な川であり、中国の歴史書などでよく目にする名前である。
西安を出たらすぐに砂漠になるのかと思っていたけど、予想に反して行けども行けども山あいの景色だった。
中国の川は東に流れるといわれ、わたしは西に向かっているのだから、とうぜん川と反対向きである。

そのうち列車はどこかの駅で停車して、しばらく動かなくなってしまった。
わたしは停車中に用便をすませたけど、これは本来は禁止行為である。
正規の停車駅ならトイレに鍵がかけられてしまうはずだけど、臨時停車だったので車掌が忘れたらしい。
おかげでお腹がすっきりし、現在のところ旅は快調である。

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列車は両側に山のせばまった谷間のようなところを行く。
山にほとんど木は生えておらず、段々畑が天に近いところまで刻まれている。
耕して天に至る、貧しきかなとつぶやき、その荒々しい景色から、まるで列車でいく“三峡下り”だなと思う。
わたしは窓ガラスごしではなく、じかに写真を撮りたいから、どこか開く窓はないかとあちこち探してみた。
その結果、右側の場合は部屋から出てすぐまん前の通路の窓の上部、左側は洗面所の窓が少し開くのを発見した。
あまり清潔じゃないけど、そうはいってられないので、わたしはときどき窓からカメラを突き出して、シャッターチャンスをうかがった。

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10時半ごろ鉄橋を渡った。
川は右側になった。
5分後にまた川を渡った。
川と線路はゲームをしているように、ときどきお互いの位置を変える。
あちこちでわびしい集落を見たけど、そのまわりだけは緑が濃く、果樹園がたくさんあった。
いったい何が取れるのかと、じっと目をこらしてみたものの、ウメのサイズの青い実がちらりと見えただけだった。

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山はどこまでも続く。
ひとつ山をすぎると、その向こうからまた新たな山塊があらわれる。
どこまで行ってもどこまで行っても同じ褐色の大地だ。
山肌につづれ折れの細い道が通じているけど、あまり登山家の食指をさそう山には見えない。
あの山のてっぺんまで農作業に行くとしたら、このへんの農民はそのたびに登山をしているようなものだから、みんな足が丈夫になってしまうなと思う。
川岸にヤナギやアカシア、ポプラなどが並んでおり、じっと目をこらすと青い葉が風になびいているのがわかった。

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ときどき大きな村や小さな集落を通過して、広場で市場が開かれているのが見えたりする。
農作業にいそしんでいる農夫たちは、大きなおとなは大きなワラ束、小さな子供は小さなワラ束を運んでいた。
線路ぎわでウシに餌の草を刈ってやっている少女もいれば、子供たちが畑の中でとっくみあいをしているのも見た。
微笑ましく、どこか郷愁をさそわれる景色だ。

町が見えてきたと思ったら、12時54分、列車は甘谷という小さな町に停車した。
列車が停車するとワッともの売りが集まってくる。
ただしそれはほとんど硬座の客が目当てで、わたしの車両のほうにはやってこない。
それもそのはずで、1等車の客はほとんどいないのに、2等車ではすべての窓から客が顔を出して、弁当や惣菜、果物などを買い求めるのだ。

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甘谷をすぎた列車は、まだ青々とした麦畑のあいだをゆく。
西に進むにつれて麦はどんどん若くなって、まだ穂も出ていない畑さえあらわれた。
野菜の手入れをしている農民の姿がぽつんぽつんと見える。

昼ごろ車掌から“健力宝”という缶ビールを買う・・・・と思ったら、これは甘ったるいジュースだった。
缶のパッケージがなんとなくバドワイザーに似ているのでビールだと思ってしまったのだ。

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13時40分ごろにまた餐車で昼メシにしたけど、このころから外では雨が降り始めていた。
メニューがないからと、服務員が紙に書いてくれた料理が5つほどあって、そのなかからニラと豚肉の炒め物、なんとかいう麺にビールを頼んだ。
厨房は汚いけど、まもなくいい匂いがただよってきた。
麺は薄味でいただけなかったけど、炒め物のほうはまあまあ。
猪八戒を思わせる服務員がやけに愛想よく話しかけてくる。
まあ、飲めよと調子をあわせていると、やっこさん、勤務中なのに平気でわたしのビールを飲む。
腹の中でうんざりして、いくらと訊くと食事のトータルは46元だった。
餐車の服務員は男女7、8名いて、みんな愛想がいいけど、よってたかってむしられたみたいな気がする。

16時ごろ外をうかがうと、窓の外にはあいかわらず荒涼とした山が連なり、かたわらを濁った渭水が流れている。
単純な色彩の中で、まだ青々とした麦だけが、遠い山塊に美しい縞模様を描いている。
軟臥車のなかでは車掌以外の往来が少なくなって、ひょっとすると軟臥車の客はわたしひとりになってしまったかも知れない。
窓のすきまから侵入してくる風が冷たく、雨はまだ降っているようだから、これではわたしの西域のイメージとだいぶ異なるんだけど。

大きな煙突から煙をはいている、わりあい近代的な工場のわきを通ったら、その近くには、まっ黒な顔のヒツジの群れを追う人がいた。
通路側の窓から菜ノ花畑が見えて、これはこの地方が洛陽より寒いということだろうと思い、わたしはトレーナーを引っ張り出した。
雨は蘭州に着くまえに上がるかもしれない。

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時刻は18時半だけど、曇り空であるにもかかわらず、まだけっこう明るい。
考えてみれば、東京と北京で1時間の時差があるとすれば、東京と蘭州では2時間の時差があるかもしれない。
蘭州の手前で通路側の窓から見ると、いつのまにか、これまでよりずっと水量の多い濁流が線路のすぐ横を流れていた。
車掌に訊くと黄河だという。
山の向こうに蘭州の街が見えてきた。

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