中国の旅/蘭州
蘭州の駅に降り立ったわたしは、異様な雰囲気に息をのんだ。
駅前はこれまで見てきた中国の街と同じように、どこかやぼったい雰囲気はあったものの、ほかに特に変わったところがあるわけではない。
わたしが気がついたのは、広場のあちこちに、白い帽子の集団がたむろしていたことである。
これはすべて回族(中国のイスラム教徒)で、べつに通勤通学のサラリーマンや学生ではなく、昼間から用事もないのに集まっている人たちらしかった。
風貌はふつうの漢族と変わらない中国人だから、白い帽子をかぶってなければ回族ということはわからない。
西安で回族の居住区を見たことがあるけど、あそこでは回族は特定の範囲内にかたまって生活していたのに対し、ここでは街全体が、まるでカルト宗教に乗っ取られたみたいだった。
蘭州は回族の街だったのだ。
わたしはこれまで洛陽から鄭州、開封まで、徹底的に黄河にこだわってきたけど、たいていの場合それは車で行く郊外にあった。
しかし蘭州では黄河はほとんど街のまん中を流れているといってよい。
川が先にあったのか、街が先にあったのかと問えば、まあ、川があってそのまわりに自然発生的に街が形成されたんだろうけど、蘭州について詳しいことはまたウィキペディアを参照のこと。
ウィキは97年にはまだなかったし、わたしもじっさいに行ってみるまでなにも知らなかったのだから、エラそうなことはいわないけど、蘭州は当時でも高層ビルが立ちならぶ大都会だった。
いまでもたまにメールをくれるわたしの中国人の知り合いはここに住んでいて、わたしはその後、この街に何回も行っているのである。
蘭州ではあらかじめ調べてあった金城賓館というホテルに行ってみることにした。
ちなみに“金城”というのは蘭州の古い雅称で、日本の奈良を斑鳩というようなものらしい。
と思っていたら、じつはこの名前のホテルは北京にもあるし、広州にもあって、中国では固有名詞ではなくほとんど普通名詞。
それも同系列のチェーンホテルというわけでもなく、いまのところ本家争いも起きてないようだった。
駅から北に向かって大通りがのびていて、金城賓館はそれをまっすぐ2、3キロ行ったところにあった。
駅からタクシーに乗って7元だったから、歩いても行けない距離ではないので、わたしはあとでじっさいに歩いてみた。
金城賓館は高層の建物で、なかなか立派なホテルだった。
フロントで1晩いくらと訊くと、4種類くらいの料金を示した。
高いほうの2種はスィートだったから、安いほうの2種のうち、見栄をはって高いほうを選んだ。
385元(5千円くらい)だから、このていどの見栄ではまだ日本の民宿より安い。
部屋は3階の331号室で、窓の下に花壇があり、きれいな花が咲いているのが見えた。
さらに視線をずうっと遠方に持っていくと、駅の方角になり、その先に山がそびえているのが見える。
この山は蘭山で、全体が公園になっており、歩いても登れるし、歩くのが嫌いな人はリフトに乗って山頂まで行ける。
ホテルの写真を撮ってなかった。
じつは今回のわたしは荷物を軽くするために、カメラはニコンのコンパクトカメラである35Tiしか持参しなかったのだ。
おかげで交換レンズやストロボも不要になったのはいいけど、よっぽどおもしろい写真でないと撮りこぼしが多くなった。
中国旅行も最初のうちは、ナショナル・ジオグラフィックに投稿するぞと、リバーサルフィルムまで持ち込んだのに、そんなことをしたら帰国後に現像代で破産することがわかってしまったのだ。
ネットで探してみても、金城賓館の全景をとらえた写真が見つからず、やっと見つけたのがこんな小さなもの。
おかげでホテルの細かい部分が思い出せない。
蘭州ではべつの機会に泊まった蘭州飯店や天馬大酒店のほうがはっきり記憶に残っているんだけどね。
金城賓館ではまずシャワーを浴びることにした。
中国の鉄道に1日ゆられると体中がススぼけた気分になってしまう。
バスルームの見た目は悪くなかったけど、排水が不調で、不要の水が栓を抜いてもいつまでたっても出ていかない。
見えないところで手抜きをするのは中国人の悪いクセだ。
ついでに下着の洗濯もした。
洗濯物は洗面台でゆすいだけど、こんどはこの栓がきっちりはまって抜けなくなってしまった。
若い男性服務員においおいと訴えると、やっこさん、部屋の備品の中から小さな針を持ち出して奮闘してくれた。
洗濯ずみのパンツや靴下を部屋中の突起物にひっかけ、ようやく落ちついて外出しようという気になる。
蘭州に到着したのは中国時間で19時ごろだったけど、こちらでは時差の関係でまだ明るい。
体感としては、こちらの夜の7時が、日本の夕方5時という感じだ。
洗濯を終えたころ、ようやく日はとっぷり暮れた。
ホテルの前で軽タクシーをつかまえて駅まで走らせる。
駅前で市内の地図を売っている店を探してみたら、ようやく見つけた店では、店員がごそごそやって、何かボールペンの書き込みのある古い地図を出してくれた。
どうも誰かが使用したもので、売り物ではなかったらしい。
それでも2元だというから、わたしは無抵抗でそれを買い込んだ。
日本人は職人の腕は確かだけど、売ったり買ったり売りつけられたりでは、とても中国人やユダヤ人にかなわないのである。
このあとホテルにもどるつもりで、駅前の大通りをぶらぶら歩く。
蘭州は甘粛省の省都なので、この通りには甘粛省の最高学府である蘭州大学もある。
ホテルの近くには、路地に屋台をならべた食堂街があった。
いい匂いにつられてここで晩メシを食っていくことにした。
白い帽子の回族の若者の屋台で、まず串に刺した羊肉4本(1本1元)を食べて、これは日本でヤキトリというんだよとつまんないうんちくを述べる。
つぎに近くのこぎたない食堂に入ってみた。
べつの席の女の子が食べていた、見るからに辛そうなスープの中の餃子が美味しそうだった。
あれは鄭州で食べて味をしめた酸辣湯に餃子を加えたものではないか。
それをぜひ食べたかったけど、言葉の齟齬もあって、皿に持られただけの水餃子を出されてしまった。
このときわたしが食べたのは“大肉餃子”というものだそうで、ビールこみで8元くらい。
帰りに屋台の八百屋で、最近日本でも見かけるようになった、果物のライチを買って、これが29元。
ぼられたような気がするけど、ライチは中国語で“茘枝”といって、かっては楊貴妃も愛したという貴重な果物だそうだ。
このころはまだ日本でも珍しかったので、わたしは部屋で食べるつもりで、両手いっぱいに買い込んだ。
これで晩メシは終わりである。
この程度の浪費じゃ、金がいつになっても減らない。
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