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2024年3月 7日 (木)

中国の旅/サニ族の娘

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洛陽、鄭州、開封と3つの街をめぐって、わたしはふたたび上海にもどってきた。
ここでもひとつ特筆すべきことを体験したので、最後にそれを書いておこう。

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上海ではホテルの予約なんかしてないから、また新亜大酒店に行こうか、あるいは蒋介石の別荘だったとされる瑞金賓館にと考えたけど、このときは新機軸として、うわさに聞いていたドミトリーホテルの「浦江飯店」に行ってみることにした。
海外旅行に詳しい人なら知っているだろうけど、これはようするに相部屋ホテルということで、貧乏旅行をするヒッピーや学生などにとって重宝な宿である。
しかしわたしは金持ちを自認する日本人であるから、無理に相部屋に泊まる理由はなく、あくまでドミトリーってどんなものかと見物のつもりだった。

フロントでドミトリーですかと訊かれたから、いえというと、300元の部屋と360元の部屋がありますという。
安いほうの部屋へ案内してもらった。
このホテルは入り口がふたつあり、正面から入ると、1階のフロアは大部分が、なにかいかめしい感じのオフィスとして使われているようだった。
フロントに行くには正面横にある小さい入り口のほうが入りやすい。

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ボーイにエレベーターで先導されて、わたしは3階の服務員に引き渡された。
浦江飯店の内部はあちこち改装中で、3階のわたしの部屋に通じる廊下も工事現場みたいにごたごたしていた。
部屋を見せてもらうと、やけに広々していて殺風景な部屋である。
板張りの床は、むかしなつかしい木造の小中学校の廊下みたいで、窓からとなりのビルの壁しか見えない。
こんな部屋じゃいやだ、高いほうの部屋に替えてくれというと、今度は4階の部屋に案内された。
窓からすぐ目の前にロシア領事館の建物と、外白渡橋(ガーデン・ブリッジ)が見える。
あとで外からこのホテルを眺めたら、わたしの部屋は最上階のいちばん位置のいい場所にあった。
つまり360元(5000円ぐらい)の部屋が、このホテルの最上級の部屋ということになるらしい。

新しい部屋も、わたしには不安を感じるほど広々としていた。
どうももともとは、家具の完備した事務所や個人の住宅として使われていた部屋だったようで、ベッドふたつと小さな机、タンスだけでは、まだ卓球台を置いてピンポンができるくらいの余裕がある。
ひび割れた板の床には年代が染みついていた。
部屋まで案内してくれた服務員が、窓わくはペンキ塗りたてですから気をつけて下さいという。
ホテルというより廃校になった校舎にほうりこまれたような感じだけど、360元だから文句をいう気にもなれず、まあいいやとわたしは納得した。
窓わくも指でこすってみたら、おおかた乾いていた。

後学のために5階にあるドミトリーの部屋を見せてもらうと、シーツもきれいだし、昼間からベッドにいすわっているアラブ系らしい男性もいた。
ドミトリーは1泊55元だそうで、この値段ならわるい部屋ではない。
上海に相部屋の格安ホテルありということで、浦江飯店の名は外国にも轟いているらしく、どおりでフロントあたりにバックパックを背負った若い欧米人の旅行者が多いはずだ。
欧米の若者は物価の安い中国でも徹底的にケチる。
それはまあ、ひとつの見識である。
廊下で金髪の娘がホテルの従業員に、シャワーはどこなのと尋ねていたから、共同シャワーがべつの場所にあるらしい。

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宿が決まったあとはまた外灘や南京路をぶらぶらした。
浦江飯店は中国人の差別の象徴だった外白渡橋を渡ってすぐ、バットマンのようなシルエットの上海大厦と、道路1本をはさんだとなりにあって、租界時代の上海を見物するのに好適な場所にあるのだ。

この夜は伊藤屋で食事をすることにした。
ここは蘇州への旅のとき知り合った某大企業の会長さんに教わった店で、その後何度か行ったことがあるけど、本格的な日本食が、それほど高くない料金で食べられる店である。
メニューの中からいちばん安いA定食を選ぶと、店員の娘が日本語で、それでは量が少ないのでもの足りないと思いますという。
わたしは極端な小食なんだけど、彼女は平均的中国人を基準にして親切に忠告してくれたのだろう。
それじゃこっちのでいいですと、下から2番目のB定食にした。
ついでにあなたは日本人ですかと訊いてみると、彼女はイイエと答えた。
日本人の女の子もひとりいましたが、仕事をしないのでクビになりましたという。
どうせもうすぐ帰国だといい気になって、B定食+日本酒+生トマト+オシンコ+塩辛+50元の中国酒などを食ったり呑んだりした。
勘定を頼んだら500元(7千円)近くになっていた。
もう二度と行かないぞと毒づく。

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翌朝は、前夜の食事に金を使いすぎたので、ささやかにいこうと新亜大酒店の近くまで歩き、立ち食いスナックみたいな店で、包子と豆乳だけの食事をすませた。
浦江飯店から虹口地区や新亜大酒店へも、徒歩でまわれるくらい近いのである。
おかげでこの日の朝食は 3.2元(45円くらい)ですんでしまった。

朝食のあと、日本租界のあった虹口地区をぶらぶら。
四川路の橋の上に靴みがきが出ていたから、磨かせてみたら、例のとおり、靴墨を使って、最初の言い値より高い10元とられた。
例のとおりというのは、最初は◯元だというくせに、磨いている最中、靴墨を使いますかと聞いてくる。
こっちは墨も料金に含まれていると思うから、いいよと返事をすると、あとでその分も加算されるのである。
ひどいときには、こっちの足も磨きますかと聞かれることがある。
靴というのはたいてい左右でひとつと決まっているのだから、うっかりいいよと返事をすると・・・・
わたしももう中国式靴磨きには慣れているつもりだったけど、このときは相手がひとのよさそうな老人だったのでつい引っかかってしまった。

冬の旅でも上海にいるかぎりあまり寒い思いをすることはない。
街をふらついたあと、人民公園の地下にある香港名店街の喫茶店でサンドイッチをかじりつつ、フランス式コーヒーを飲む。
ぬるくてまずいコーヒーをフランス式というのかなと思う。
それでも上海のよさは、こうして寒かったり歩き疲れたら休憩する場所がいくらでもあることだ。

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街の散策からもどると、浦江飯店の建物のわきで少数民族の女性が2人、手編みの刺繍製品を売っていた。
ひとりは野性的な顔立ちをした若い娘で、かんたんな日本語を話す。
2人とも南方の少数民族をあらわす変わった形の帽子をかぶり、そで口に美しい刺繍のある上着を着ていた。
苗族ですかとあてずっぽうで訊くと、あまりうまくない字で「撒尼族」という字を書いた。
文字どおりに読めばこれはサニ族ということになる。
雲南省の昆明から来たといっていて、そういわれればこういう名称の少数民族の名を聞いたことがあるような気がする。

帰国してからサニ族について調べてみた。
手元にある本のうち、周達生という人が書いた「中国民族誌」という本が中国の少数民族について詳しかったけど、この中の一覧表にはサニ族の名がない。
そんなバカなというわけで、図書館へでかけて「地球の歩き方/雲南・貴州編」を借りてきたら、こちらにはかなり詳しく記述されていた。

サニ族とは雲南省で最大の人口を誇るイ族の自称で、勇猛果敢で、プライドが高く、義理と人情を重んじ、礼儀正しく、女性のたしなみなどを大切にする少数民族とある。
雲南省の観光名所・石林にいくと、土産ものを売るサニ族の女性が多いという。
中国で感心するのは、彼女たちが自分のことをどうどうと、少数民族の◯◯ですと自己紹介することである。
このことからこの国では民族による差別はないことがわかる。

若いほうが、いくらの部屋に泊まっているのと日本語で訊くから、高い部屋だよとてきとうに答えておくと、いくらとしつこい。
360元と答えると、ちょっとためいきをつくような顔をした。
それだけではなく、成金の日本人に対して、いまに見ておれというような挑戦的なまなざしがあるようにも感じた。
じつはわたしはこの質問に答えたくなかったのである。
360元といえば彼女たち2人の何日分の稼ぎになるのだろう。
申しわけないと思ったわたしは、20元で刺繍入りのサイフを買って、罪ほろぼしというか、せめてもの気休めをしておいた。

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部屋にもどってテレビをつけたら、中国語の字幕つきで黒澤明の「生きる」をやっていた。
戦後すぐにつくられたこの映画の背景は、現代の中国に似ているところもあるから、かっては日本もこのように貧しかったのに、いまでは先進国のひとつにまで発展したのだと、国民を奮起させる意味があるのかもしれない。
テレビを見ているかぎり、中国はりっぱな資本主義国である。
やたらコマーシャルの数が多く、その切り替わりは日本よりもさらにせわしい。
番組が終わったあと、タイトルやクレジットを読み終わらないうちにつぎの画面に切り替わってしまうことがよくあった。

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帰国日に浦江飯店をチェックアウトすると、例のサニ族の娘がこれから店をひろげるところだった。
わたしがサヨナラというと、このホテルよくないのかと訊く。
まあねとあいまいな返事をして、そのうちわたしも雲南へ行ってみますよというと、ホント?と日本語で返事をした。
ホントなんて言葉がとっさに出てくるくらいだから、彼女の日本語は聞きおぼえていどのものではない。
いったいどこで勉強したのか訊いてみればよかった・・・・と、わたしはいつでもあとで後悔する。

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