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2024年3月 2日 (土)

中国の旅/開封の名所

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朝、起床してみるとこの日も曇天で肌さむい。
まずフロントにおもむいて、1日分の予約をキャンセルしてしまった。
その足でタクシーをつかまえ、東京大飯店へ移動し、飛び込みで1泊いくらと訊くと、朝食券つきで260元(約3千6百円)だという。
臭い開封賓館が220元なので、ああ、けっこうですといって問題なく部屋をとった。
開封でもっとも大きなホテルがこの値段だから、当時の中国はまさにわたしみたいな貧乏人天国。
しかもわたしは予約などまったくしておらず、つねに飛び込みだ。

このホテルだけど、写真が撮ってなかった。
なに、ネットで探せばいいさと軽く考えていたら、ない、ネットでも見つからない。
廃業したのかと思うと、予約サイトではちゃんとヒットするから、いまでも営業しているようである。
しかしそこに載っている写真はホテルではなく、開封の観光地のものだった。
そういうわけでホテルを紹介できないけど、せいぜい3階建ての横に長い建物で、湖に近く、庭園がすてきだったとだけ書いておく。

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このあとはタクシーで、前夜に見そこなった鉄塔公園に乗りつけた。
園内はそうとうに広く、ちょうど菊祭りというのをやっていて、入園料は10元で、園内の開宝寺塔(鉄塔)に登るのはまた別料金だった。
鉄塔は全体がレンガで出来ていて、外壁のレンガは曼陀羅のようなこまかい絵模様で飾られており、それなりみごとである。
せまい階段で最上階まで登ることができるけど、塔の大きさに比べると階段はせまい。
鉄骨も鉄筋も使われてない塔で36メートル以上の高さを維持するには、とにかくレンガを厚く積むしかなかったのだろう。
階段の途中の壁にもあちこちに、仏画の絵模様レンガが使われていたけど、仏といっても日本の大仏やお地蔵さんみたいな柔和なものではなく、西遊記に出てくるようなおどろおどろしい仏ばっかりである。

わたしはてっぺんまで登ってみた。
もとより観光用展望台として建設されたものではないから、最上階までいっても、通路の踊り場ていどのせまいスペースに、鉄格子の入った小さな窓があるだけだった。
窓から眼下に大きな池が見えたものの、冷たい風が吹きこんでいて、わたしはそうそうに退散した。

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鉄塔公園内にもみやげ物店が数軒ある。
店の女の子をからかいながら見て歩くと、どこの店でもかならず小さな絵巻物のレプリカをすすめられた。
残念ながらこの絵巻物についての知識がなかったし、そもそもわたしは中国の古典絵画にあまり好感をもってない。
とうとう1幅も買わずにきてしまったけど、帰国してから例のNHKの「故宮」を観て、この絵巻物が「清明上河図」という、北宋時代の開封を描いた有名な絵であることを知った。
実物は5メートルもある大絵巻であるという。
そうと知っていれば、ジャマになるほど大きなものでもないし、迷うほど高価なものでもなかったから、ひとつくらい買っておいたのに。

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公園の前にたむろしていた女2人の軽バン・タクシーをつかまえ、ホテルへもどることにした。
女は、ひとりがドライバー、もうひとりは強盗よけらしい。
走り出してまもなく、タクシーは大きな湖にぶちあたり、そのふちをたどるようにして走った。
前夜は夜でよくわからなかったけど、ホテルと駅あたりの様子から、開封は貧しいごみごみした街だという印象をもっていたわたしは、湖のまわりの広々とした爽快な風景におどろいた。
地図で確認すると、これは番家湖と楊家湖で、湖のほとりに龍亭公園がある。
予備知識のなかったわたしは、開封にこんな公園があることも知らなかったけど、おもしろそうというので、このあたりでタクシーを降りてしまった。

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龍亭公園というのは、北宋の皇帝徽宗が過ごした王宮の跡地に作られた公園で、開封ではいちばんの名所である。
わたしが降りたのは王宮の門前町というべき、「宋都御街」というにぎやかな通りだった。
ここは道路の両側にレストランや土産もの屋が軒を接している、日本でもどこにでもあるフツーの観光名所だから、見物するにはおもしろいけど、とくになにか買うようなものがあるわけではない。

宋都御街を抜けると、大きな湖のまん中をつっきる500メートルほどの長さの堰堤のまえに出る。
この堰堤のとっつきにあるのが、龍亭、つまりかっての王宮の跡である。
午朝門といわれる正面ゲイトで入園料20元を払い、そのへんで串ざし団子のようなナツメの砂糖づけを買って、それを食いながらわたしはぶらぶらと歩きだした。

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堰堤を歩きながら、どこかに魚がいないかと湖面をながめてみた。
魚がいるならたまに顔を出すだろうし、あちこちに波紋くらい見えるだろう。
しかしそうとう大きな湖にもかかわらず、水面をおよいでいる魚のかげかたちもないし、波紋らしいものもぜんぜん見えなかった。
日本のコイなんてのはえらく人なつっこくて、橋の上からのぞくだけで、餌でももらえるんじゃないかと集まってくるのに、中国の魚は人見知りするのだろうか。
堰堤のとちゅうに小さな出島があった。
観光客の大部分はこの島を無視していくけど、わたしは橋を渡って、島にある灌木のはえた築山の背後にまわってみた。
ここは観光客の死角になっていて、立ち小便をするのに都合がよかった。

宋都御街のはずれにある午朝門、堰堤上の道、龍亭の門と龍亭、これらはまっすぐにのびた一本の線上にある。
つきあたりにある龍亭の建物は清の時代のものだそうだ。
階段をのぼってひさしの下に立つと、湖と開封の街が一望にできてとても気持ちがよい。

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階段をおりたところに観光用の駕籠が出ていた。
観光客をのせて龍亭の中庭を一周するだけのものだけど、4人の駕籠かきによってかつがれるこの駕籠は、どういう仕掛けになっているのか、柄が大きくしなり、上下に激しくゆすられる。
中国映画の「紅いコーリャン」の冒頭に、金持ちの家に嫁入りするコンリーが、駕籠かきたちからいじわるされるシーンがあって、そこでこのゆすられるカゴがどんなものか観ることができる。
映画は傑作だし、リンクを張っておくから、興味のある人は冒頭の10分間だけ観てみるとヨロシイ。
派手な色の衣装をつけた4、5人の笛や笙が先導するから、チンドン屋の行進のようににぎやかで、さすがに気恥ずかしいのか、あまり乗ってみようという客はいない。
それでもわたしが見ているあいだにひとりだけ、若い女性がこれを体験していた。
恥ずかしいのと乱暴な乗り心地のせいで、彼女は身もだえして笑い転げていた。
それにしても駕籠には、先導の楽隊を含めて8人の人間がつく。
1日に客が何人いるか知らないけど、彼らの収入が駕籠かきだけでまかなえるのかなと心配になる。

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帰りに午朝門の近くで、旗をもって中国人観光客を案内しているガイドさんを見た。
ヤンジャーフー、バンジャーフーという、早口でリズミカルな言葉が聞き取れたのは、「ここには楊家湖と藩家湖の二つの湖があります」なんて説明していたのだろう。
ガイドさんがダウンにジーパンをはいたかわいい娘だったので、わたしは横からしばらく聞きほれてしまった。
この時引率されていた客たちは、台湾や香港の観光客にしては洗練されてない人ばかりだったので、中国人も団体で観光旅行をするご時世になったのだなと思う。

帰りがけに湖の遠方に、浮いたりもぐったりしているカイツブリを見た。
はっきり形を視認できたわけではないが、バードウォッチャーならその動きだけで正体がわかるのである。
また湖面に浮いている魚の死骸を発見して、やはりここには魚がいるのだなと、つまらないことに納得もした。

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帰りはまたタクシーをつかまえたけど、開封には龍亭公園以外にももうひとつ湖があって、それは現地で買った地図には「包府坑」、ガイドブックには「包公湖」という名で載っていた。
そのまわりに露店が多数出ているのを見つけて、わたしはまた寄り道をすることにした。
しかしこれまであちこちの市場で見てきたような品物しかなく、ぶらぶら歩きながら通り抜けた。

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ホテル近くの城壁のそばにある大きめのレストランで食事をすることにした。
開封もかっては城壁にかこまれた都市だったけど、たいたいは城門のあたりだけレンガが残っているだけ、あとは土を盛っただけのたんなる土手だった。
城壁の近くには堀のあともあり、そのへんに古木という名札を下げた大きな木があった。
古木といっても屋久島の縄文杉などに比べたら小学生みたいなものである。

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レストランではビールと、つまみとしてチンゲン菜の炒めもの、生トマトなどを注文。
ほかに、ここのところ栄養のあるものを食っていなかったので、鉄板牛肉をおごってみた。
鉄板牛肉というのはビーフステーキのことかと思っていたら、日本の牛丼の吉野家が使っているのと同じ薄切りにしたバラ肉だった。
焼けた鉄の皿の上に、女の子が肉と野菜をぶちまけると、じゅーっと油がはねて、テーブルの上まで汁があふれてしまう。
食事中、大きな穀物の袋をかついだ男女があらわれて、店の人間と交渉を始めた。
すみっこのテーブルでしずかに食事をしているわたしの存在などおかまいなしで、こういうのは中国ではありふれた光景である。

夜になってシャワーを浴びて寝ようとしたら、お湯が出ない。
まあ、こういうことはよくあることだ。
わたしは水を出しっぱなしにして部屋にもどり、これまで着ていた下着をたたみ、バッグをひっかきまわし、市街地図をながめ、明日の予定を確認し、メモをとって、もういいかなと浴室にもどったら、まだお湯は出ていなかった。
たまりかねてフロントに行き、服務員に訴えると、彼女はあたふたと部屋にやってきて、蛇口をひねった。
お湯はちゃんと出た。
しかし青いマークの蛇口から出るのであって、赤いマークのほうからは冷水しか出なかった。
わたしはこの歳まで人間をやってきて、青いほうがお湯、赤いほうが水というシャワーをはじめて見た。
つまりこれが中国の職人さんの腕前というわけである。
この程度で怒り狂っていては、中国では身がもたないのだ。

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