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2024年4月

2024年4月30日 (火)

純ちゃん

時々ネットで小泉純一郎もと首相をけなす意見にぶつかる。
まるでオレだけにはわかっていたという調子で、小泉の政策は失敗だった、郵政民営化なんてよけいなことをしやがってと、エラそうな意見をぶっている。
ほとんどが結果が見えてからの後出し意見で、オレならこうしたという代案も出さない卑怯者の意見だ。
わたしは変人同盟の小泉もと首相を尊敬しているから、あえてまたプーチンのときみたいに世間に反論させてもらうんだけどね。

郵政省だって末端の郵便局に勤める職員にはまじめな者もいただろう。
過疎地帯にある郵便局の役割も重要性もよくわかっているけど、しかし中央では既得権益にあぐらをかき、赤字たれ流して平然としている幹部もいただろう。
わたしは若いころ郵便局でアルバイトをして、その労働組合のヤクザのような実態をまざまざと見たことがある。
こんな無駄な役所を放置しておくわけにはいかない。
もと首相がやったことは、とにかくなにか変化を与えて、状況を改善しようということではないか。
何もしなければ、既得権はそのままで、日本の赤字体質もそのままだ。

もと首相に文句をいう人は、自分ならこうしたという代案を出してみろ。
すべてがうまくいくなら政治なんて楽なものだし、あとから欠点を拾い出して文句をいうなら誰にでもできる。
必要なのは他人と異なる視点と実行力であって、政治の世界でもこういう、いわゆる変人は必要なんだよ。
役人の書いた原稿を読むしかないいまの政治家より、もと首相のいたころのほうが、政治家もよっぽど火花を散らしていたじゃないか。

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2024年4月29日 (月)

中国の旅/莫高窟

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太陽が上ったのは6時すこしすぎである。
昨夜はひどい目にあった。
いい気になって買い置きの果物をぱくぱく食べたら、夜中に腹痛である。
それ来たぞ、やばいかなと思ったけど、征露丸を飲んでおいたのがよかったのか、朝になったらなんとか治まっていた。
そんな事情もあってもう生の果物を食べる勇気がなくなってしまい、買っておいたアンズやキュウリの大半は捨てることになった。
目の充血もいくらかひいてきたようで、こちらはいくらか安心。
しかし安物のサングラスはまだ壊れてないし、これを手放すわけにいかない。

この日は8時半に姜さんという女性運転手のタクシーが迎えに来るはずなので、それに荷物を運んでもらって、ホテルを引っ越しをすることにしていた。
その後は姜さんとアベックで、優雅に敦煌見学だ。
と思っていたら、あにはからんや、迎えに来たタクシーには3人の人間が乗っていた。
運転しているのは趙クンという目つきの悪い若者で、ほかに姜さんともうひとり、おとなしそうな女性がいた。
女性なら安全だろうと思ったんだけど、これではわたしのほうが身ぐるみはがされてしまいそう。
おとなしそうな女性はちょっと漢族としては雰囲気が異なるので、名前と氏素性を訊いてみたら、阿麗(アーリー)さんといって蒙古族だということだった。

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タクシーで「敦煌国際大酒店」に引っ越したあと、ただちに莫高窟へ出発である。
走り出してすぐ、車は町の中でストップしてしまった。
趙クンがボンネットをあけて首をかしげている。
けっきょく姜さんが別の車をチャーターしてきて、あとの2人は置き去りにしていくことにした。
いったい何のために来たのか、彼らは。
新しい車はワーゲンのパサートで、運転手は男であるけど、いちおう姜さんもいっしょに乗る。
莫高窟まで30分で行くという。

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運転手はホーンを鳴らしながら飛ばす。
敦煌飛行場の先で右折し、見渡すかぎりの砂漠の中を飛ばす、飛ばす。
わたしはこの日の朝から午後まで車を借り切るのだとばかり思っていたので、それなら100元は安いと思ったんだけど、じつは借り切るわけではなく、運転手は莫高窟までわたしの送迎をするだけだったのだ。
女性運転手の姜さんも入場券売場、そして莫高窟の入り口までわたしを案内すると、午後にまた迎えに来るといってさっさと帰ってしまった。
これではいつでも好きな時間に帰りたいと思っているわたしにはちと不都合なのだが。

現地の状況をよく知らず、日本のやり方を踏襲するつもりでいると、よくこんな失敗をする。
しかし気の向くままにぶっつけ本番というのがわたしの旅である。
沢木耕太郎さんの紀行記などを読むと、昼間から宿にひきこもっているヒッピーなんかが出てくるけど、ああいうふうに時間に縛られず、こせこせした日常から逃れるために旅をしているのだから、初めての土地では失敗もやむを得ないのである。

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莫高窟は周辺をすべて柵でかこまれており、入場料は80元で、予期していたとおりかなり高かった。
しかし人類の世界遺産を保護するためにこのくらいの出費は仕方ないかもしれない(いちおう莫高窟にもウィキペディアのリンクを張っておいた)。
入り口近くに日本の平山郁夫画伯や、池田大作サンなどの大きな写真が掲示してあった。
敦煌の保存と宣伝に功績のあった人らしいけど、人物選定に問題アリだなと思う。

井上靖の小説「敦煌」は・・・・遠いむかしに読んだはずなのに、手元の本はとっくに処分してしまったし、作家はまだ死んで50年経ってないから、青空文庫にも載ってない。
図書館に行けばいいんだけど、めんどくさいので今回は読んでなかった。
たしか内容は敦煌文書と呼ばれる、発見された古文書のほうがテーマだったと思う。
敦煌では遺跡だけではなく、膨大な量の書籍が発見された。
ところがこれが知られると、世界中から探検家、研究家という名の強盗が押し寄せてきて、文書はたちまち散逸した。
しかしこれがかならずしも不正行為であったかどうかは、むずかしい問題だ。
強盗にも三分の理があって、自分たちが外国に持ち出さなければ、貴重な文物はとっくに散逸したり毀損したりしていただろうとのこと。
遅きにきっした感がなきにしもあらずだけど、現在の莫高窟は中国政府によって大切に保護されている。

入口でわたしはカメラも荷物も強制的に預けさせられてしまった。
やれやれ、写真が撮れないんじゃ何のために来たのかわからないと思う。
しかも石窟のすべてに扉がついており、カギを持ったガイドといっしょでないと、ひとりで勝手に見てまわるわけにはいかないのである。
仕方ないのでわたしは、たまたま前にいた欧米人の若者、と思ったら香港から来たという現代的な服装の若者たちだった、のうしろにくっついてまわることにした。
彼らには中国女性が2人(ひとりは敦煌のガイド、もうひとりはツアーの添乗員)ついており、敦煌のガイドは女優のような美人だった。
美人は見ていて楽しいけど、なにせ説明が中国語なのでさっぱり意味がわからない。
しかしガイドがいるから石窟のカギは開けてもらえるわけだ。
わたしはときおり若者らと言葉をかわしつつ行くんだけど、みんな気のいい連中で、中のひとりがわたしに日本人女性の名前と住所を書いた紙を見せて、これは電話番号ですか、住所ですかと訊く。

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石窟の数は多く、そのほとんどは奥行きが3~5メートルくらいの小部屋で、内部の壁にはびっしりと絵や文様が描かれている。
中央に彫刻があって、背後をぐるりと一周できるものもあった。
もともと土に描かれた絵や彫刻だから、だいぶ色あせているけど、完成した直後にはさぞかし豪華絢爛だったと思われる。
カメラがないからわたしの写真は1枚もないものの、莫高窟は世界的に有名な遺跡なので、ネットで探せば内部の写真はいくらでも見つかるはず。

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いくつかの窟を見てまわっているうち、たまたまうしろから日本人の団体がやってきた。
こっちの解説なら聞いてわかるので、わたしはジンベエサメにくっつくカツオモドキのように、すばやくくっつき先を変更することにした。
ところが彼らにも敦煌のガイドとは別にツアーの添乗員がついていて、困りますという。
ツアーは料金を払って旅に参加した人たちなので、お金を払ってないわたしにくっついてまわられては迷惑だというのである。
彼らを案内していた丁さんという日本語ガイドが、事務所に行けばタダで日本語のわかるガイドをつけてくれますよと教えてくれた。
で、事務所に行ってみた。
莫高窟にはいろんな国専用のガイドがそろっていて、入場料を払った客はタダで彼らをチャーターできるのである。

ところが日本語ガイドが払底していて、午後の2時半にならないと来ませんという。
わたしはその時間には引き上げるつもりだから、それまでにもっと石窟の見学をしたかった。
事務所が気のドクがって、ドイツ語ガイドでよければといって紹介してくれた。
そんなものを紹介されても困るんだけど、彼はもちろん中国語を話せるから、ほんの少し中国語のわかるわたしにもなんとかなるのではないか。
どっちにしてもガイドがいなければ洞窟のカギを開けてもらえないわけだから、ドイツ語ガイドで我慢することにした。

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ドイツ語なのか中国語なのかわからないけど、ある石窟で彼がブッダ(仏陀)といったのが聞き取れた。
はあはあと感心したふりをしながら案内してもらっていると、とちゅうで女性ひとりを含む中国人4人のグループといっしょになった。
どういう関係なのか、ドイツ語ガイドと彼らは顔見知りらしい。
グループの中のたったひとりの女性は、美人ではないけど、後ろ割れのタイトスカートをはいた、どことなくイロっぽい人である。
中国人女性の中でも自立している女性はたいてい、医師のカクさんもそうだったし、歩くときの姿勢がほれぼれするくらいきりっとしているので、見ていて気持ちがいい。
この女性は大仏殿の前でひざまづいて、やたらおおげさなしぐさで三拝していた。
タイトスカートの現代的な女性に似合わない行為だけど、彼女はわたしに線香のひと束をくれたから、無神論者のわたしも仏様にひざまづいていくことになった。

宗教に関心のないわたしだからエラそうなことはいえないけど、ここにあるさまざまな仏像や巨大な大仏、涅槃仏などは、日本の東大寺の巨大な盧舎那仏や、法隆寺の百済観音、広隆寺の弥勒菩薩などの日本の各地にある仏像に比べると、どうも素朴なものにしか見えなかった。
日本以上に仏教を崇拝するタイやミャンマーでは、金ピカの派手すぎる仏像が多く、美術としては行き過ぎのような気がする。
仏教はさまざまな困難に遭いながら、じわじわと世界に広がってゆき、日本でひとつの完成と、ようやく安住の地を得たのではないか。
莫高窟についてはこのくらいにして、今回の旅ではそれを見たというだけで満足することにした。

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ひとわたり見学を終えて莫高窟内の食堂に立ち寄ってみた。
ちょうどひとりで来て難儀しているわたしに、いろいろ気を使ってくれた日本語ガイドの丁さんが食事をしていた。
メガネをかけた、いかにも才媛といった感じの人で、どんぶりでウドンをかっこんでいた。
スマートな美人なのに、頭はもちろん胃袋もわたしより優れていそうである。
ぬるいビールを飲みながらしばらく話す。
彼女がいうには、普段でも見学者が多いときは、いくつかのグループをまとめて案内してしまうそうだから、わたしが日本人グループといっしょに見てまわっても問題はなかったのである。

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強烈な日差しの中、ふらふらと駐車場にもどったのは2時ごろで、ところが待っているはずのタクシーがいない。
莫高窟の門のまえでしばらく立ちつくす。
あちこちにタンポポの綿毛のようなものが飛んでいる。
しかしタンポポはひとつも咲いていないから、わたしはそのへんに生えている白楊(ポプラ)の木を見上げた。
重なった葉のあいだから雪のように綿毛が舞い落ちてくる。
この歳まで、ポプラからこんなに綿毛が生じるとは思ってなかったので、それ以来わたしは日本にいても、季節がくるとポプラを見上げるようになった。

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タクシーは2時ぴったりに迎えに来た。
また砂漠をぶっ飛ばして市内にもどる。
もどる途中、滑走路の舗装工事をしている空港が見えた。

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2024年4月28日 (日)

終焉

ウクライナは太平洋戦争が終わる直前の日本によく似てきたとは、このブログで何度か書いているけど、すこし訂正しておこう。
太平洋戦争では日本は独裁者に率いられる国ではなく、どっちかというと集団指導体制をとっていたから、東条英機にすべての罪をかぶせるのはひどいという声がいまでもある。
ウクライナはどうかというと、ゼレンスキーさんひとりが頑固で、負けを認めない(そうしたら自分の命が危ないからだけど)ところはヒトラーに似ている。
ゼレンスキーさんも地下壕に追いつめられるまで降伏しないかも知れないから、現在のウクライナは、日本ではなくドイツの終焉に似ているということだ。

かりにプーチンが相手の立場も理解する温情ある指導者で、ゼレンスキーさんはアメリカに操られただけの哀れな大統領だ、もうこのへんでいいだろう、クリミア半島と東部4州を引き渡せば和平に応じようといったとする。
するとたちまち外野が、それ、ロシアはこれ以上戦争を続けられなくなって泣きを入れたぞ、そんな提案に乗るんじゃない、ひとかけらの土地も渡すな、もっとやれ、もっとやれ、あとひと踏ん張りだと騒ぐだろう。
これじや双方ともやめられるわけがない。
外野が無責任な発言するのはいいかげん慎んだらどうなのか。
もう絶対にウクライナの勝ちはなく、いたずらに兵士を消耗するだけなんだよ。

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ケイン号の叛乱

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映画「ケイン号の叛乱」がテレビ放映されたので観た。
傑作とかいう評価があったような、ないようなという映画で、ようするにわたしもこれまで関心を持つような、持たないようなという中途半端な映画で、真剣に観たのは今回が初めてである。
観るまえは、似たような映画にバウンティ号の叛乱というのがあったから、てっきり帆船時代の映画かと思っていた。
そうではなく、第2次世界大戦のころの映画で、タラップで艦橋に登ったり、頑丈な鉄製の防水隔壁などの艦内装備が、ちょうどわたしが自衛隊にいたころ乗り組んでいた艦と同じようなものだったから、そういう点では興味が湧いた。

ケイン号は軍艦であるものの、これは戦争映画ではなく、一種の法廷劇である。
無能な艦長に操られて座礁しかける艦を、無理やり艦長を交代した副長が救うんだけど、そのために副長は軍規違反で叛乱者の汚名を着せられ、軍法会議にかけられる。
軍隊で叛乱の罪は重く、有罪なら絞首刑だ。
ただわたしなんかが見ると、この程度で絞首刑はひどすぎるような気もする。
いくら軍隊といえども、緊急時で、双方の言い分が対立する場合、有罪としても禁錮◯◯年で済むんじゃないか。

それはともかく、最初のうち相手の検事(軍法会議だから検事も弁護士も軍人である)が有能で、おまけに味方だと思っていた軍人が裏切ったりで、副長のほうは分が悪い。
しかし最後になって副長の弁護士が当事者の艦長を追及し、艦長の無能ぶりを暴く。
つまりハラハラさせながら、最後の土壇場で形勢逆転のある、そういう話なのかと思った。
しかしそれにしてはハンフリー・ボガートの演じる艦長が、追求されるとまもなくポケットから鉄製の玉を取り出し、手で弄ぶという異常者の本質をさらけ出して、これではあっけなさすぎる。
映画「ニュルンベルク裁判」にもモンゴメリー・クリフト演じる異常者が登場するけど、そっちのほうは執拗な追求に耐えきれなくなって、徐々に知恵遅れを発揮するところが真に迫っていた。

こんなふうに簡単に形勢が逆転してしまったので、わたしは期待したほどいい映画ではないと思った。
ところがこの映画の主題は、軍法会議で勝った負けたではなかったのだ。
無実を勝ち取った副長らが乾杯をしているところに、弁護を担当した軍人があらわれて、勝ったことは勝ったけど、後味が悪いという。
じつはこの映画の主要テーマは、軍隊というところは上官がどんなに無能でも、おとなしく従うところなんだということだったのである。
そういわれれば、似たような例はいくらでもある。
ウクライナで兵士たちがむざむざ死んでいくのもそうだし、日本の首相のもとに役人の原稿を読むしかない政治家が集まったり、南アフリカに飛ばされるのが怖くて従順なアナばかり揃った某公共放送など。
最後まで観てようやく傑作たる所以がわかった。

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2024年4月27日 (土)

もう少し

みなさんに聞いてみたいけど、EUのストルテンブルグ事務総長は中国に対して、ロシアへの支援を止めるべきだといってるけど、これは正しいことだろうか。
中国は一方で、西側諸国とのよい関係を保ちたいといってるくせに、第2次世界大戦以降、ヨーロッパでもっとも大きな軍事衝突をあおり続けているというのがその理由だ。
はたしてあおっているのはどっちなのか、なにがなんでも一方を負けさせるわけにはいかないと、汚職大国ウクライナに無駄な支援を続けているのはどっちなんだ。
みなさんの自分の頭で判断してもらいたいね。

ブリンケンさんも中国に行って同じようなことをいっていたけど、お茶を飲みに行っただけのようだ。
中国はいちおうロシアへの制裁違反にならないように、軍事物資の支援には踏み切らず、やっているのは経済支援だけ。
自分たちが兵器から金までありとあらゆるものをウクライナに支援していながら、中国に経済支援さえも止めろというのは、あまりに身勝手な言い分じゃないだろうか。
おりしもいま中国でモーターショーが開かれていて、ドイツなどのメーカーが売り込みにやっきだ。
世界一の購買人口を持つ中国とよい関係を保ちたいのはどっちなんだよ。
テレビで観た事務総長の顔には必死の形相があらわれていたぞ。

ネットでは、わたしがNHKの御用解説者と揶揄する兵頭慎治サンと小泉悠サンが、雁首そろえて、米国のウクライナ支援は遅すぎたと発言していた。
これまでさんざんウクライナの肩をもってきた2人らしくないなと思ったら、これもいまとなっては、さすがに“まだわからない”はないと悟ったのだろう。
彼らが失職するまであとわずかだ。
わたしが絶好のブログネタを失うのもあと少しかもしれない。

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2024年4月26日 (金)

中国の旅/駱駝

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洗濯物をかかえたまま、金葉賓館へもどる前にどこかで食事をしていこうと考えた。
考えてみるとこの日は朝食を食っただけで、あとは自転車で田舎をまわっているときのジュースと、国際大酒店のビールぐらいしか飲んでない。
部屋にはアンズやトマトが買い置きしてあるけど、そんなもので腹がふくれるわけもない。
たまたまそのへんに、娘が机につっぷして寝ている食堂があったから、そこへ飛び込んだ。
気持ちよく寝ていた娘はうらめしそうだったけど、ここで辛い牛肉の炒めもの、なんとかウドン、トマト、それにまたビールを頼んだ。
冷たいのはないかというと、まかせておけといって、彼女はビール瓶を冷蔵庫に入れた。
これじゃいつになるやら。

満腹になったあと、金葉賓館にもどって、こちらのラウンジではジュースを1本飲んでみた。
10元取られた。 
敦煌賓館ではコーラが8元で高いと思ったのに、このホテルではさらに高い。
日本人はいたるところでむしられるのである。

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部屋にもどって買ってあった果物をもぐもぐやっているうち、そろそろ夕方で涼しくなったからいいんじゃないかと、また月牙泉まで行ってみることにした。
ホテルから月牙泉までせいぜい4キロぐらいだけど、自転車は返してしまったから、今度はタクシーである。
おい、1時間だ、30元だぞというと運転手は喜んで車を走らせた。
30元といったのは向こうで待ってもらうつもりだったんだけど・・・・

月牙泉の土産もの店で、敦煌までのバスでいっしょだった白人・東洋娘のカップルが、屋台で仲良くジュースを飲んでいるのに出会った。
相手の国籍は知らないくせに、昭和生まれは白人を見るとアメリカ人と決めつけてしまう傾向があるので、おい、アメリカン、元気かと声をかける。

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月牙泉の“月牙”というのは中国では「三日月」という意味だそうだ。
おぼろ月、立待月、有明月、眉月、寝待月など、日本語は月ひとつでも優美な表現が多いけど、あちらは日本語にくらべるとどうも優雅さに欠けるようである。
現実の月牙泉は、砂漠のなかの小さな泉であり、いろいろ事情があって枯渇する恐れがあるので、現在あるものは人工的に手が加えられているものだそうだ。
日本でも観光名所が、じつは人間の手でかろうじて保護保存されているものはあるから、いちがいなことはいえない。

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砂漠といえばラクダであって、月牙泉のまわりには観光用のラクダがたくさんいる。
ラクダにはこぶがふたつあるものと、ひとつしかないものがいることはたいていの人が知っているだろうけど、月牙泉にいたのはふたつのほうで、またがって乗るには便利である。
しかしラクダが古代の中国にいただろうか。
秦の始皇帝のころから、夏、殷の時代までさかのぼっても、当時の墓からラクダの骨が出たというのを読んだことがないような気がする。
古墳から出るのは圧倒的にウマが多く、ウマと人間の関わりなら古い文献にいくらでも記述があるし、なにより甘粛省のシンボルになっているのは、ツバメを踏んづけるウマなのだ。

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ラクダがむかしから中国にいたのかというのはわたしの認識不足で、絹を運ぶために砂漠を横断した隊商には、運送の足としてラクダ以外は考えられないから、やはりラクダはそうとうむかしから中国にもいただろう。
江戸時代の日本にも見世物としてラクダがやってきたことがあるらしい。
ただしでっかいだけで役に立たないということで、「らくだ」という落語でも、そういう人間の象徴にされているから気のドクだ。
塩原多助の有名なアオとの別れの場面も、ラクダとの別れじゃ江戸の人情話になりにくいものね。
ラクダについてはウィキペディアの記述が長いので、リンクを張っておいたから興味のある人はそれを読んでほしい。

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せっかく来たのだからわたしもラクダに乗ってみたかった。
ラクダは1時間50元で、時間があれば砂丘を越えて、小さな湖のほとりまで行くというんだけど、この日はもうラクダも仕事納めの時間が近かった。
日が落ちてしまえばどうせなにも見えなくなってしまうのだから、30分でいいといったら、それでもやはり50元取られた。
そのかわりあきらかに時間をオーバーしたのに、それ以上払えとはいわれなかった。
月牙泉は敦煌の代表的観光地で、世界中から観光客がやってくるから、市の監督も行き届いており、決まり通りの料金さえ払えば、ぼったくりをするような無法な業者はいないのかもしれない。

わたしは1頭のラクダにまたがった。
馬子にあたるラクダ使いがもう1頭に乗って、2頭はヒモでつながったまま進行するんだけど、「月の砂漠」の歌詞みたいというには、そうとうに無理な状況である。

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背中にまたがってま近にラクダを見ると、ますますもって異様な動物だなと思えてしまう。
その歩みはこれぞ登山の見本というべきで、座布団みたな足の裏で、ぺったんぺったんと確実に大地を踏みしめていく。
わたしは映画「アラビアのロレンス」を思い出した。
あの映画では前半の山場として、ロレンスの率いるアラブ人たちが、海に面したアカバの町を急襲する場面があるけど、不思議なのは、困難な砂漠を横断するロレンスと、途中で合流するアンソニー・クインの族長の部隊も、当初はラクダを使っていたのに、じっさいにアカバを急襲するときはウマになってしまうことだ。
突撃隊のなかにラクダもいることはいるけど、主体はあくまでウマである。
いったいウマはどこから連れてきたのか。
ラクダはもっそりした動物で、ラクダの急襲ではサマにならないから、監督のデヴィド・リーンが作為をしたんじゃないか。
ラクダだって全力を出せばけっこう早いけど、見た目が鈍重そうだから、映画ではむかしから騎兵による戦争はウマに決まっている。

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馬子は誠実そうな男性で、簡単な日本語がわかるようだった。
ラクダのことを中国語で何というのかと尋ねると、ルオトゥーですと答えた。
ルオトゥーに乗るのは遠目に見るほど優雅なものではないけど、あぶみを踏んばって砂丘の上に登るのは、アラビアのロレンスになったようで楽しかった。
時間が22時近くだったので、涼しかったのもよかった。
ただし黙っているとラクダはどこまでも行く。
あとでまた時間超過分を取られるのではないかと心配になって、砂丘をふたつ越えたあたりで、こちらからもう帰ろうと声をかけた。
引き返す途中、ロバの引く荷車と交差しそうになったら、大きなラクダのほうが小さなロバを怖がるようすだったのがおもしろかった。

駐車場に行っみたら、待っているはずのタクシーがいない。
もう暗くなっている中、あちこち探していたらようやく迎えに来た。
わたしが1時間待っていてくれなんていったので、そのあいだにひと稼ぎなんてまた町へもどっていたらしい。
どおりで30元といったら嬉しがったはずだ。

町へもどって、あちこち散策していると、わたしのかたわらを女性運転手のタクシーがもたもたしたスピードで通過した。
明日は莫高窟まで行くつもりだし、どうせタクシーを使うなら女性ドライバーのほうが安心のような気がする。
いくらかスケベ心もなくはなかったけど、先で停車したところをあとから追いついて、明日莫高窟まで行きたいけどいくらかと訊いてみた。
朝の8時半から午後の3時までで100元だという。
それなら高くない。
本当は朝の9時からにしてほしかったんだけど、彼女は何としても8時半がいいという。
遅くしてくれというならわかるけど、早くしてくれってのはなんじゃこれは。
だいいちそんな朝から行って莫高窟は営業しているのかい。

金葉賓館にもどり、シャワーをあびようとしたら今度はお湯が出なかった。
フロントにいうと30分後に出るようにしますという。
これじゃ客は来ない。
客が来ないからこうなるのか。
まあ、明日は国際大酒店へ引っ越しするんだからいいやと、あきらめて寝ることにした。
ふつうは夜になると甘ったるい声の電話がかかってくるもので、この晩のわたしは不景気なホテルにひとりきりで無聊を感じていたから、ヒマつぶしに応じたかも知れないのに、こういう晩にかぎってそんな電話はなかった。
かくして金葉賓館のろくでもないホテルであるという評価は、ダメ押しの上書きをされた。

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2024年4月25日 (木)

アナログ

ロシアの戦車や装甲車が、ドローン攻撃を避けるために全体を金網で覆った写真を見た。
原始的な装備だなと揶揄する人が多いようだけど、バカにはできんよ。
満州で日本の関東軍と戦ったソ連軍の戦車は、タコツボに潜伏し、戦車が近づくと飛び出して投擲する日本軍の火炎瓶に手をやいた。
そのときも考えついたのが、金網で戦車の弱点の下部エンジン部分を覆うことだった。
これが予想以上の効果を発揮して、日本軍の戦法を無力化したことがある。
宇宙船でもこういう素朴な技術が効果的で、先進的なスペースシャトルに賭けた米国は挫折し、アナログ技術のままのソユーズはずっと現役に耐えたこともある。
新しければなんでもいいわけではないのである。

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ホウキグサ

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ホウキグサ(コキア)の苗がだいぶ大きくなってきた。
といっても人間ならハイハイできるようになった幼児というとこか。
苗の数は多く、これからもいくらでも増えそうだから、今日は試しにそのうちの7、8本を花壇のべつの場所に植え替えた。
わたしの理想はホウキグサの並木を作ること。
去年は適当に植え替えたら、その部分だけで成長して、あまり見栄えがよくなかった。
さあ、どうなるか。
第1陣はみごとに失敗して、枯れてしまう可能性もあるんだけど。

いまはまだいい。
しかし今年の夏は、暑かった去年よりさらに暑くなるかも知れない。
さいわいなことに、去年の夏は省エネタイプの新しいエアコンで乗り切れたけど、今年は日本もますます電気料金が上がるんじゃないか。
これ以上節約できんよ、どうしてくれるんだ。

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花の記事を追加したよ。

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2024年4月24日 (水)

親しき関係

かわいそう・・・・
また歯の浮きそうなこといっちゃってと思われてしまいそう。
さんざんロシアを擁護してきたわたしが、いまさらウクライナに同情するようなことをいっても信用されないかも知れないけど、とうとう今夜のNHKニュース9にはウクライナ関連の報道がひとつもなし。
あったのはアメリカがウクライナ支援に合意したというニュースの繰り返しだけ。

そうやって無視されているあいだにも、人間挽肉機と称される戦場で殺されまくっているのが、情け容赦なくかき集められたウクライナの若者たちだ。
もはやウクライナは、太平洋戦争終了まぎわの日本と同じ状態であることを否定できる者はひとりもいないだろう。
米国と日本のNHK、およびマスコミ全体が、戦争を続けさせるために、瀕死のウクライナにカンフル剤を打ちまくっているのを知ってるかい。
どうせ死ぬのは赤の他人だってことらしい。

ときどきは思い出してもらおうじゃないか。
かってのウクライナはロシアの盟友だったことを。
見せかけの盟友じゃないぞ。
まえの大統領だったゴルバチョフの時代、ゴルビーも奥さんのライサさんも、両親の一方はロシア人、もう一方はウクライナ人だった。
それほど親しい関係だったんだよ、ロシアとウクライナは。
だからわたしは少しは安心している。
劣勢のウクライナ軍兵士は、降伏すれば丁重に扱ってもらえるはずだ。
ロシア人のなかにはウクライナ人を親にもつ者も多いし、親戚にウクライナ人がいるという者ももちろん多いんだよ。

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昨日のNHK

あいかわらずNHKは、ロシア、中国の欠点ならなんでも拾い出してケチをつけている。
中国に対しては景気が悪くなるというのが常套句だけど、バブルが始まりそれがはじけるのも、米国や日本はとっくに経験ずみだ。
日本が70〜80年かけてやったことを、中国はその半分でやってるだけじゃないか。
それで米国や日本が傾いたって話は聞かないから、余計なおせっかいに専念する日本の未来のほうが心配だよ。

昨夜は国際報道で中国の若者の「十不青年」や「仏系」というものが取り上げられていた。
「十不青年」というのはいまどきの若者がやらない、やりたがらないものを10個並べたもので
1.献血しない
2.寄付しない
3.結婚しない
4.出産しない
5.家を買わない
6.宝くじを買わない
7.株を買わない
8.投資をしない
9.老人を助けない
10.感動しない
「仏系」のほうは無神論者のわたしにはあまり縁がないけど、仏教に傾注して俗念や欲望に見向きもしない、フランス語の“ケ・セラ・セラ(なるようになれ)”と同じような意味だそうだ。

なんじゃ、これは。
一部当てはまらないものもあるけど、まるっきりわたしの人生のモットーじゃないか。
いよいよ中国の若者も日本人なみの哲学を持つようになったか。
こういう点でも中国は日本が体験してきたものを、短期間のうちになぞっているだけじゃんかと、いま感心しているところだ、わたしって。

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2024年4月23日 (火)

中国の旅/烽火台

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翌朝は7時半に起床して、朝食は敦煌賓館のなかでとった。
もちろん水のサービスはなく、冷たいものはビールか缶コーラしかないという。
缶コーラは8元もして、これは日本円で110円くらいで、日本で買ってもそのくらいだから、彼らもよく研究しているなと感心する。

朝食のあと、まだチェックアウトには時間があったけど、さっさと引っ越すことにした。
全夜カップラーメンの手配をしてくれた可愛い服務員がいたから、ホテルのアンケート用紙の「よかったサービス員」の名前を書く欄に彼女の名前を書く。
荷物を持ったまま道路に出て、たまたま出くわしたリキシャをつかまえ、5元だ、5元だとわめいて金葉賓館まで走らせた。

金葉賓館は外見は立派だが、はやらないホテルだった。
ひとりしかいないフロントの娘が、わたしを300元の部屋に案内した。
2階部屋で、ざっと眺めてもやけに殺風景で、わたし以外に客はひとりもいないようだった。
中国のホテルに宿泊すると、ふつう宿泊カードというものをくれる。
これにはホテルの名前や部屋番号、宿泊日時などが記載されており、なれない外国人が街で道にまよったとき、タクシー運転手にこのカードを見せれば無事にホテルへ帰れるというわけだ。
金葉賓館のカードにはこまかい記載が何もなかったから、わたしは自分の泊まった部屋について、2階へ上がってすぐの右側としかおぼえてない。
カードは使えないというし、両替を頼むと銀行へ行ってくれといわれてしまう。
列車のチケットの手配なんかハナっからあきらめた。
どうやらわたしは早まったようだった。

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文句をいう相手もいないので、ふらりと近所へ外出し、レンタル自転車を探す。
敦煌市内は自転車でまわるのにちょうどいい大きさなのである。
このへんに出租自行車はありませんかと1軒の商店に飛び込んだら、いかにも欲の深そうなおばさんが、ああ、ウチにありますよという。
彼女が見せてくれたのは店の前に停めてあった買物カゴつきの女性用自転車で、どうもいつもはおばさんが使っている自分の自転車らしかった。
アホな外国人が自転車を求めて飛び込んできたので、こいつにアタシの自転車を貸せばいい金になると踏んだのだろう。
夕方の5時までいくらと訊くと、60元だという。
高いよというと50元にまけた。
しかし夕方までとくぎると、とちゅうでうんざりして返却しても50元をそっくり取られるかもしれない。
わたしのほうから提案して、1時間8元でどうだというと、それでもいいだろうということになった。
がめついおばさんは保証金を400元も取った。

自転車で勇躍、まず「月牙泉」に行ってみることにした。
これは敦煌の町のどこからでも見える雄大な砂丘で、ここには鳴砂山という山があり、莫高窟以外では敦煌最大の名所といっていいところである。

月牙泉の手前に敦煌城という、古い城郭を模した壮大なホテルがあった。
わたしは最初これを、西田敏行主演の日本映画「敦煌」の映画撮影用に造られたオープンセットかなと思ったくらいだけど、ここもあまり客の入りは多くなさそうだった。
中国人には、収支を考えずに儲かりそうとみれば何にでも手を出す傾向がある。
砂漠の近くなら立地条件はカッコいいけど、町へ出るのにこんな不便なホテルはないから、客なんか来ないだろう。

ガイドブックによると、月牙泉にはパラグライダーだとかサンドスキーだとか、観光客を喜ばせる施設がたくさんあって、いつも観光客でいっぱいのはずだったのに、そんなものやっている人間はひとりもいなかった。
あとで聞いたらちょうど12時ごろで、灼熱の砂漠へ昼間から行くバカはいないんだそうだ。
月牙泉の見ごろは夕方以降なのである。

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目的を変更して、月牙泉からそのまま町のはずれまでサイクリングをしてみた。
あてもなくさまようことに幸せを感じるのは、わたしの子供時代からの性癖である。
ふらふらペダルをこいでいくと、麦畑の向こうにポプラがきつ立し、麦が風にゆれて、あたりの風景はしだいに農村風景に変わっていく。
水路に水が流れており、泳ぐ少年たちや水遊びをしている子供たちがいた。
バードウォッチャーとしては、頭に三角の冠毛のあるヒバリのような小鳥、アオバトなどを見た。
自転車をこぎ続け、ぐるっとまわって市内にもどれるかと思ったら、ある村で道は行き止まりになってしまった。
ここも回族の村らしく、村の広場にはリヤカーの行商が来ていた。
どこか昭和の日本の田舎を観るような気がする。
村のはずれにある雑貨屋でジュースを飲もうとしたら、かわいらしい娘が留守番をしていた。
雛にはまれなということで、中国の田舎でもときどき可愛い娘に出会うことがあるものである(写真の女の子は別人)。

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行き止まりの村からもどる途中、農地の先の防砂林を透かして、砂丘の上に奇妙な大岩のようなものがあるのを発見した。
風化した古代の烽火台らしかったので、畑のわきに自転車を隠し、そばまで行ってみた。
烽火台そのものは完全に風化して、登ることもできず、あちこちにあいている小さな穴がツバメの巣になっているだけだった。
しかしそばまで行ってよかった。
というのは、そこまで砂丘を登ってみると、その向こう側に広大な空間が広がっていることがわかったからである。
砂漠はずっと彼方まで続いており、はるか先にはまた雪を頂いた山脈が見えた。
じつはわたしは知らなかったけど、この方角へ砂漠を10キロほど歩けば、莫高窟の上に出たのである。

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目線を手前にひきもどすと、砂の上のあちこちに砂盛りをした墓があるのに気がついた。
わたしが歩いた砂の下にも、砂漠とその周辺に生きた人々が眠っていたかもしれず、掘ればミイラがたくさん出てきたかも知れない。
この近くには「西晋画像甎墓」という古墳があるらしかったけど、有名じゃないからぜんぜん知らなかった。

乗りなれない自転車に長時間乗り続けていたので尻が痛くなってしまった。
早めに引き上げることにし、その前に町の商店で果物や野菜を仕入れていくことにした。
中国の野菜の美味さは格別なんだけど、難点は1、2コでは買いにくいということである。
けっきょくわたしはアンズ20コ、トマト5コ、キュウリ3本くらいを買いこむことになった。

自転車を返すまえに、敦煌賓館に寄って、前日にクリーニングに出したままだったシャツを引き取り、ついでに翌々日の列車のチケットが手配できるかどうか聞いてみた。
駅まで往復したら6時間かかってしまうので、また駅まで行ってくれといわれるんじゃないかと心配だったけど、相手にもそれはわかっているらしく、チケットは問題なく予約できた。

自転車を返そうとして店に入っていったらおばさんがいない。
そこにいた若者に、ママはいるかいというと、若い娘が顔を出して首をかしげている。
わたしは店を間違えたのだ。
保証金のあずかり証を見て、ようやく借りた店がわかったけど、自転車を返すとおばさんは、保証金を返すのがくやしくてならないという顔をしていた。
買ってきたトマトやキュウリを食べるのに塩が必要だから、この店に塩は売ってないかと訊くと、おばさんは塩のひと袋を出してきた。
そんなにいらないというと、わざわざ袋をやぶってほんの少量だけ売ってくれた。
やさしいというより、1円でも儲けようという執念がすごい。

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金葉賓館にもどって無性にビールが飲みたかった。
ホテルのラウンジで冷たいビールはあるかと訊くと、没有(アリマセン)である。
なんてホテルだとむかついて、金葉賓館のはす向かいにある「敦煌国際大酒店」まで、ビールを飲みにいくことにした。
このホテルにも日本語のわかる娘がいて、わたしがビールを飲みながらワープロを打っていると、日本語の訳をしてほしいといって、敦煌の観光案内を持ってきた。
この中の日本語の説明によくわからないところがあるという。
ああ、そういうことならお安い御用だと思ったものの、観光案内に書かれた日本語は、どうやら中国の年老いた日本語教師が草案したらしく、かた苦しい文章でなかなか手強かった。
“敦煌は中国歴史文化の名城のひとつであるが、古称は沙州で、古いシルクロードの明珠である”
ウーンとためつすがめつしたあげく、とくに直すところもないといって、彼女にいいところを見せそこなった。

ためしにこのホテルは1泊いくらかと尋ねてみた。
安い部屋なら320元からあるという。
金葉賓館とたいして変わらないし、なによりラウンジでビールが飲めるのに感動して、明日はこっちのホテルに引っ越すことにした。
なんだか敦煌に来てホテルの品定めばかりしているようだけど、みんな不景気な金葉賓館がいけないのである。
また失敗したくないから、いちおう部屋を見たいというと、フロントのふっくらした娘が案内してくれた。
そそっかしい娘で、間違えて他の客がいる部屋のドアを開けようとして、中から誰何され、あわてて謝っていた。

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役立たずのNHK

昨夜のNHKのニュースでは、まだしつこくロシアのテロについて、NHKにしか通じないデタラメをいっていた。
あまりに単純でわかりやすいので、いちゃもんをつけるのも楽でいいけど、どうして視聴者はこんなにものわかりがいいと考えるのだろう。
そこまでしてデタラメを乱発するNHKの真意はなんだろう。

ニュースにはISの戦闘員という男が出てきて、最後まで顔を見せないまま、ロシアとISは敵対関係にあるなんていい、AK-47の撃鉄をガチャガチャと鳴らしてみせる。
なにかISでなければいえないことをいうかと思ったら、ロシアはイスラムの国々を抑圧していてISとは戦争状態にあると、三流スパイ映画の脚本みたいなことをいう。
事情を知っている人なら、ましてパレスチナで虐殺が始まっているいまでは、ロシアはイスラム主義の国にとって味方であるはずだから、おかしくて笑っちゃう。
このブログに書いたけど、彼らがそれほどまでに復讐したがるなら、相手はロシア以外の先進国でなければおかしいのに、そんな逆質問はまったくなし。
なにがなんでもISが狙うのはロシアでなければいけないようだ。

まあ、過去にISを攻撃した有志連合のなかでは、ウクライナにかまけて、ロシアの警戒がいちばん手薄だったからということにしてみよう。
それでもおかしいことはある。
以前のNHKでもいわれていたけど、ISは金のためにテロを起こしたことはいちどもないそうである。
彼らは独自のイスラムの大義のために戦っていて、死ぬことを恐れなかった。
モスクワのテロリストたちは金をもらってやったと白状し、これは拷問されてという人がいるかも知れないけど、全員がおめおめと逮捕された。

実行犯はロシアに出稼ぎに来ていたタジキスタンのイスラム教徒で、ニュースではそのためにロシアでも移民の排斥運動が起きているといってたけど、現在の状況でロシアが移民を追い出すようなことをするわけがない。
タジキスタンは貧しい国だけど、世界が2極化されつつあるいま、貴重なロシアの同盟国でもある。
たった数人のテロリストが出たくらいで、プーチンが同盟国に対して冷たい扱いをするはずがないのだ。
移民に手を焼いているのは、ほかならぬアメリカで、フランスや英国、ドイツもこれに準じるから、ロシアもいくらか世界の潮流に追いついたという程度だろう。

ロシアの南のはずれにあるダゲスタン共和国でもイスラム教徒による暴動があったと、なんとかしてロシアとイスラム教徒の関係悪化を印象づけたいようだったけど、これもよく聞くと、暴動の原因はガザ地区におけるイスラエルの虐殺に抗議するものだったから、文句をいわれるのはイスラエルと、これを支援するアメリカであることは馬鹿でもわかる。
そんなアメリカと敵対関係にあるロシアが、イスラム教徒から恨まれるスジはないのだよ。

NHKによると、このテロはあらかじめアメリカから警告が出ていたそうである。
いまのアメリカがそんな親切をするかと疑問に思ったけど、プーチンの発言によると
「テロ攻撃の可能性があると欧米側からの挑発的な声明もあるが、あからさまな脅迫で不安定化させる試みだ」
これだけ聞くと、たしかにアメリカからあらかじめ警告があったように聞こえる。
しかしこの報道のすぐあとにロシア特派員の禰津博人サンが出てきて、現在は両国の関係は極度に悪化しているといっていたくらいだ。
そんなときににアメリカが親切な忠告をしてくれるとはだれも(プーチンも)思わなかっただろうし、むしろイスラム国の仕業に見せかけるための、あらかじめの布石であったと思うほうが自然だ。

禰津サンはロシアの現況について報告するんだけど、まったくいいかげんなことばかりである。
その発言を聞いていたら、潜在的な不満がくすぶっている“とみられ”という憶測に、さらにプーチン政権は警戒を強めている“とみられ”と憶測のダメ押しが出てきた。
これならだれでも特派員が務まるわサ。
そして最後は、プーチンはその失態から国民の目をそらせるために、ウクライナへの攻勢をいっそう強めていく“とみられます”と、徹頭徹尾、NHKお得意の憶測と願望で締めくくるのである。
わたしの払った視聴料がこんな役立たずの特派員に使われるのは耐えられない・・・・そうか、うっかり上司の意向に楯突くと、おまえも南アフリカに飛ばされたいかといわれちゃうものな(これはわたしのブログをずっと読んでいる人だけにわかるジョーク)
NHKにはかってのソ連のような、恐怖の権威主義がはびこっているのだよ。

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2024年4月22日 (月)

いつものこと

またしても自衛隊のヘリコプターが落ちた。
平和なときでもこれだから、戦争になったら航空機の墜落ぐらいは日常茶飯事かも知れない。
だからと・・・・
わたしの言わんとするところは、もう察しのいい人なら気がついたかも。
2、3日前もウクライナは、ロシアのツポレフ22M3爆撃機を落としたなんてイバっていたけど、ミサイルを使った、いや長距離砲だとか、情報が錯綜している。
たまたま事故で落ちたものを、自分の手柄みたいに自慢してるんじゃないか。
ふだんデタラメばかりいってると、こういうときに信用されないのだ。

アメリカの下院がウクライナ支援予算に合意したそうだ。
こういうときにぐだぐだいうと、ロシア擁護派の負け惜しみに聞こえるからいいたくないんだけど、支援額は9兆円だそうだ。
そんなものを現金で支援したら、また汚職大国ウクライナの政治家・官僚たちにみんな抜かれてしまう。
兵器で支援するには製造するのに時間がかかるし、それまでに徹底的に再起不能にしてしまえとロシアの攻撃に拍車がかかりそう(すでにその兆候はある)。
まえに台湾の総統選で頼サンが勝ったときも大喜びしている人がいたけど、その後の続報を見ると、期待したほどの反中政策には結びついてないね。
今回も喜んでいる人たちが、そのうちガッカリするだけじゃないか。
ふだんこっちの期待や憶測ばかりで嬉しがっているから、こういうときにヌカ喜びになるのだ。

だいたいウクライナに支援するのに、イスラエルへの支援も抱き合わせだなんて、バイデンさんは何を考えているのだろう。
ガザ地区の虐殺で米国でも非難が高まっている最中だ。
一方でイスラエルに虐殺をやめろといい、もう一方で支援だなんて、いくら選挙対策だとしても支離滅裂すぎる。
わたしはウクライナ戦争の結末を見るまで死ねないと思ってるんだけど、戦争が終わるまでまだ時間がかかりそうで、神さまがもしもいるなら、わたしをもっともっと長生きさせるつもりかも知れない。
プーチンがんばれ、苦しいのはゼレンスキーさんも、いや、あっちのほうがもっとずっと苦しいはず。

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2024年4月21日 (日)

中国の旅/敦煌へ

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敦煌の最寄り駅である「柳園」は西部劇のセットのような町だった。
駅まえからどーんと大通りが伸びており、その両側に立て看板のような家が建ち並び、保安官事務所はどこですかと聞きたくなってしまう。
駅舎から出るとすぐ目の前に路線バスの呼びこみがいたので、敦煌までいくらと訊くと10元だという。
わたしはさっさと乗り込んで左側の窓側に席を確保した。
左側で正解だった。
というのは、柳園から敦煌までは南へ向かう1本道で、右側に座った日には最後まで西日を受けっぱなしだ。
これはそうとうに暑い。

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路線バスを利用するのはみすぼらしい格好の中国人がほとんどで、わたし以外にはっきり観光客とわかるのは白人の若者と東洋娘のカップルのみだった。
わたしたちのバスは後ろ向きの座席までしつらえて満員で出発した。
運転手はいかにもモンゴル系と思える、目の細く切れこんだ若者である。
ほかに車掌らしい若者も乗っていたが、べつに切符を切るわけでもなし案内をするわけでもなく、なんのために乗っているのかわからない。

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現在では敦煌の駅模様もだいぶ変わったようだ。
もより駅である柳園は、いちどは敦煌駅と名称を変えたものの、2006年に新しい敦煌駅ができて、ふたたび柳園駅の名前にもどった。
ここに載せた上の写真か柳園駅で、ぜんぜんわたしの記憶にないのは、敦煌に到着したというので興奮して、駅舎の写真を撮り忘れたからのようだ。
下の写真は新しい敦煌駅で、わたしが行った97年にはまだなかった。
敦煌は交通の不便なところにあるので、飛行機で行ってしまう人が多いかも知れないけど、この年の6月には滑走路が改修中で飛行機は飛んでなかった。

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路線バスは柳園の町はずれで燃料補給をした。
このあとバス停でバスを待っていた中国人を乗せようとしたものの、座れねえのかい、じゃいいやと客のほうから断られてしまった。
町の郊外に出ると、あとはどこまでも続く直線道路である。
わたしは持っていたミネラル・ウォーターでハンカチをぬらして鼻にあてた。
こうしないと左側に座っていても、そのうち鼻の奥のほうまで乾燥してしまいそうだった。
わたしを悩ませている目の充血はまだ治っていなかったから、安物のサングラスをしたわたしは、米国のエージェントのようである。

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敦煌までは遠い。
40〜50分も走るとボタ山のような黒い大地は終わり、河床のような平原になる。
砂丘が起伏するような、いわゆる砂漠ではなく、見渡すかぎりの荒地に短い草がしがみつくように生えている感じ。
窓から首を出してみると、地平線の彼方にまでまっすぐ道路がのびており、前方に逃げ水が見える。
バスは、わたしのカンではおおむね50から60キロ程度のスピードで走っていたけど、かなりのポンコツだから、これでもわたしには飛ばしすぎに思えた。
砂漠の中に盛り土をして築いただけの道路なので、居眠り運転をしたら一巻の終わりである。
走行中に車の下でボコンという音がした。
とたんに運転手は車を停め、飛び降りて車の下側をのぞきこんだ。
ま、こういう用心深さは感心である。

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列車の中でいっしょだった裴傳哲さんがいうのには、柳園から敦煌まで2時間くらいだろうということだったので、1時間半ほど走ってようやくオアシスが見えてきたときにはホッとした。
ところがこれは中間にある小さな村で、ヒツジたちの群れ、ポプラの並木、なにか作物のある農地などをすぎたら、またいちめんの平原になってしまった。
このあたりで平原の中に点々と、古い城壁、あるいは逢火台の残骸のような土盛りが見える。

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けっきょく柳園から敦煌まで3時間かかり、このうち2時間以上がほんとうの直線道路だった。
この130キロの区間に信号はひとつもなく、すれちがう車もめったにない。
一箇所だけ、砂漠を拓いた空き地があって、カーキ色の軍用トラックが数台停まっていた。
新疆ではまだ数カ月まえにウイグル族の暴動があったばかりだから、軍隊が警戒のために駐屯していたようだ。

バスの終点近くで甘い草いきれが鼻をついた。
敦煌は緑の農地にかこまれた小さな町だった。
高層ビルなどひとつもなく、ちょっと走れば牧歌的な風景が広がっていて、町はずれの牧草地ではヒツジ飼いがヒツジを追っていた。
わたしの気持ちを十分にうるおしてくれるところである。

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バスの終点に着くと、わたしと白人カップルはそのまま汚い招待所へ案内されてしまった。
わたしは招待所なんかに泊まるつもりはなかったから、おい、別のホテルに行くよというと、運転手が必死で引き留めようとする。
彼は10元のバスを利用する客はみな貧乏人だと思っていたのだろう。
見損なうなってんだ!
なぜか無意味な虚勢を張ったわたしは、こころ細そうな白人アベックを置き去りにしてタクシーをつかまえ、あらかじめ調べてあった敦煌賓館に向かうことにした。
敦煌賓館は敦煌でいちばん格式が高い(料金も高い)とされているホテルである。
そんなところを選んだのは、くっついてくる運転手を振り切るためもあったので、そこでわたしが部屋を予約するのを見て、運転手もとうとうあきらめたらしかった。
それじゃせめて明日のタクシーの予約はいかがですかという。
敦煌の名を世界に知らしめたのは、もちろん莫高窟の古い遺跡だけど、それは敦煌の市内から東方へ10キロほど離れていて、タクシーを使わなければ行くことができない。
敦煌には3泊するつもりだったから、いずれ莫高窟に行ってみるつもりだったけど、初めから予定に縛られたくないので、ノー、サンキューとわたしは答えた。

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敦煌賓館は580元=8,100円だという。
フロントには日本語のわかる服務員がいたので、もっと安い部屋はないかと訊いてみたけど、アリマセンだった。
値段が高いだけあって部屋の設備に不満はない。
わたしの部屋は2階の221号室で、2階の服務員の女の子もなかなか可愛い子だった。
すぐに女の子の採点になっちゃうのがわたしの欠点だけど、かしづかれるなら可愛い女の子のほうがいいのは、男性なら誰でも感じることではないか。
現在このホテルはどうなっているのかと調べてみたら、わたしが泊まったときのままで、いまでも同じ場所にあるようだった。
しかし敦煌の名声は海外にも轟いているから、競合するホテルも増えていて、服務員の女の子もスカウト合戦になり、いまでも可愛い娘がいるかどうかワカラナイ。

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ホテルに荷物を下ろしたあと、買い物ついでに敦煌の町をふらふらした。
わたしは外国のホテルに泊まると、ホテル備えつけの石鹸はろくなものがないから、いつも外で石鹸を買うことにしているのである。
町のはずれに映画や写真で見るような、いかにも砂漠らしい雄大な砂丘(月牙泉)が見えるので、足は自然にそっちに向かった。
いまはどうか知らないけど、歩きながら眺めた感じでは、敦煌の町は知名度の割にはこんなところかと思うようなお粗末なところだった。
市内よりむしろ郊外のほうが、ヒツジや羊飼いなんかがいて、牧歌的で素敵なところである。
途中で日本でもなじみの佐川急便のトラックを見かけたけど、これは西安でも見たことがあるから驚かない。

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建物のすぐ向こうがもう砂丘で、風向き次第ではそのうち砂に埋もれてしまうのではないかと心配になる大きなホテルがあった。
1泊がいくらくらいするものか、フロントで訊いていくことにした。
このホテルは「金葉賓館」といって、300元(4,200円)ですという。
敦煌賓館なら1日で1万円くらいが飛ぶのに、こちらはその半分である。
その場で、明日は引っ越してきますと予約をしてしまったけど、じつはわたしは早まったのである。

ホテルへもどってシャワーを浴び、下着の洗濯をしたら、もうレストランは閉まってしまう時間だった。
めんどくさいから服務員の女の子にカップラーメンを売ってもらって、この晩の食事はそれだけですませてしまった。
ケチな日本人と思われたかもしれないけど、高級ホテルに泊まって、食事はインスタントでは、相手もわたしの正体を考えるのにさぞかし悩んだことだろう。
あまり乗り物に乗って砂漠ばかり見ていたので、この夜は目をつぶってもまぶたの裏に移動する砂漠が見えるほどだった。

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2024年4月20日 (土)

またG7

G7なんてやっていたのかよ、といいたくなる最近の外相会合。
いつも仲良しクラブの、子供でもわかる偏った声明ばかりで、世界のどこからも当てにされず、またやってんのかいと野次られてもおかしくない集まりだ。
いいや、いいたいことをいって溜飲を下げるってことでは、自分たちは満足なのかも知れないけど。
そんなものはオンラインですませても間に合うでしょ。
国民の税金から飛行機代を使う上川おばさんの事情も考えてくんないと。

イスラエルとイランの揉め事では、先に国際法違反をしたイスラエルにはなにもいわず、イランがイスラエルに反撃するとケシカランといい、そして報復攻撃をしたイスラエルにはまたなにもいわない。
G7の結束はいよいよ固いけど、救いがあるとすればイスラエル、イラン双方とも抑制的であることか。
イスラエルの方は徹底的にやりたいのかも知れないけど、なんせあの国も民主主義の国だから、国民の7割が戦争の拡大を望まないというんじゃ、さすがのネタニヤフさんも横紙破りはできないとみえる。
挑発に乗るな、相手になるなというBRICSやグローバルサウスの申し合わせもよく行き渡ってるようだよ。

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2024年4月19日 (金)

いまの花壇

1200

絶対放任主義のわが花壇、今日は花壇のへりにヒマワリの種を蒔いた。
去年枯れた花から集めておいた種子だ。
首尾よくいけば花壇のへりにヒマワリが一列に並ぶはずだけど、出るか出ないかは運まかせ。
さらに今日はとなりの公園の花壇から、オオキバナカタバミの苗ももらってきて植えつけた。
過去に2回ほど試みて、最初のやつはあえなくダウン(枯れ死)、2度目のものも半死半生で、わたしの花壇には向かない花かと思っていたけど、今日もらったのは白い根粒がついている根っこごと。
将来は島中がこの花に覆われていたマルタ島のように、冬に黄色い花を咲かせるのがわたしの夢。
気の長い話だけど、同じ運まかせでも、ノースポール、ホウキグサ、マリーゴールドの新芽はすくすくと育っている。
去年はひとつも咲かなかった場所が、金色の花に覆われるまであと1カ月。
もう楽しくて、結果を見るまで死ぬわけにいかんのよね。

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2024年4月18日 (木)

昨日の混迷

ニュースやSNSを見ていると、よくロシアや中国は半導体制裁をくらって困っているという報道を見かける。
まるで半導体は、アメリカや日本、台湾にしか作れないと思っているようだ。
いつまでそんな驕慢な態度でいるのかね。
ロシアはかっての宇宙大国で、米国のスペースシャトルが事故が多くて頓挫したあと、ロシア製のソユーズがなければ、人間は国際宇宙ステーションへ往復することもできなかったことを忘れちゃ困る。

本当のぎりぎりの最先端技術なら米国の優位は揺らがないかも知れないけど、そんなものをじっさいの戦争でどのくらい必要とするんかいね。
かって日本にも1番でなくちゃダメなんですかといった議員がいたけど、ドローンに積み込んだり、誘導ミサイルに使うくらいなら、2番手、3番手の技術でも充分なんじゃないか。
中国なんかそのうち西側先進国に追いつくことが確実だ。
あまりむきになられても困るけど、中国では時速400キロの新幹線がもうすぐ出来るそうだよ。

SNSには英国BBCの報道として、ロシア軍の死者が5万人以上というものがあった。
それじゃウクライナの死者は、ということが無視されているのが欠点だけど、NHKは大急ぎでこのニュースを取り上げていた。
それが正確かどうかよりも、BBCの報道がぜんぶ正しければ、とっくにウクライナ軍はロシアの防衛戦を突破して黒海まで到達し、補給路を絶たれたクリミア半島のロシア軍は、飢え死にか路頭に迷うことになっていただろう。
BBCが報じてNHKが嬉しがって取り上げる、これだけでわたしはデタラメだろうと思ってしまう。

昨日のNHK国際では、中国本土から香港に移住する若者が増えているなんていってたけど、どういうつもりかわからない。
中国が国民から嫌われていることを証明したいのかも知れないけど、移住者が増えるということは、中国の国民は自由な移動が許されているということじゃないか。
そのすぐあとには、インバウンドで中国からの訪日観光客が増えてもらわないと困るなんて、日本側の報道もあった。
香港はいまでは中国の一部なのに、このままでは大陸とひとつになってしまうと心配する識者も出ていた。
ああ、混迷してるな、NHKも。

アメリカは台湾海峡に軍用機を飛ばしたそうである。
なんでアメリカくんだりからアジアまで軍用機を飛ばすんだよ、戦争でもないのに。
そうやって敵対視し、あわよくば同じ土俵に引っ張り上げようとしているくせに、ブリンケンさんは中国に行って、あまりロシアに支援をしないでくれとお願いするのだそうだ。
習近平さんは、アメリカだってウクライナに支援しているじゃないかと、軽く切り返すだろう。
そりゃウチにもいろいろ事情がありましてと、ブリンケンさんは言い訳をして、茅台酒で乾杯して帰ってくるんじゃないか。
子供と大人のケンカだな。

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ありんくりんサン

ココログの人気ブログ投票でつねに上位にいる「農と島のありんくりん」サンが、最新の更新で長ったらしいことを書いている。
内容を要約すると、イスラエルがシリアの領事館にいたザヘデイ准将などを殺したのは、敵側の司令官がそこにいたのを暗殺しただけで、いまは戦争中なのだから非難されるいわれはない、つまり国際法違反には当たらないということのようである。

じつはわたしはありんくりんサンの天敵を自認する男で、彼もそれはとっくに知っているはずだし、たまたまわたしはちょっとまえのブログで、イスラエルのやったことを責める(西側の)世論がないのはおかしいと書いたものだから、これはわたしに対するありんくりんサンの回答なんじゃないか。
彼もわたしのブログの愛読者なのかも知れない。

なるほど、いまはイスラエルと、中東にちらばる反イスラエル勢力とは戦争状態だ。
なぜ反イスラエル勢力がちらばるかというと、もちろんイスラエルがあるべき国家を認めないからで、彼らにすれば中東のあちこちに拠点を作って戦うしかないということがある。
これはかたちこそ国家対国家でないだけで、最近の戦争としてはありふれた形態かも知れない。

つまりイスラエルとハマス、ヒズボラ、フーシ派などが戦争状態にあることは間違いがない。
アメリカがほとんど無抵抗のビンラディンを問答無用で殺したように、現代の戦争はなんでもアリだ。
国際法を順守しろというのが、いかに無意味なことかはわたしも知っている。
ただ、ありんくりんサンもそうだけど、これが立場を変えて、反イスラエル勢力が西側の軍人を殺したらどうだろう。
たちまち卑怯だ、無法だ、テロ行為だなどと、いま西側がロシアにいってるような負け惜しみの罵詈雑言が飛び交って、戦争中だから正当化されるなんて言い分が出てくるだろうか。

上記のことは仮定の話だから無視してもらってかまわないけど、たとえばハマスが急襲をしてイスラエルを攻撃したとき、ありんくりんサンはなんといったのか。
あれは民間人に対する虐殺だったといって、今度はイスラエルの倍返し、10倍返し、100倍返しの民間人虐殺でも正当化するのだろうか。
ここで付け加えておきたいけど、ハマスの攻撃は自動小銃やオートバイなどを使った奇襲攻撃で、大型兵器を使うほど余裕のある戦闘ではなかった。
ハマスとしてはできるだけ短時間のあいだに多くの人質を確保し、ウクライナ軍が出てこないうちに、さっと引き上げるという時間との勝負だったのだ。
ところが残された写真や映像を見ると、破壊の規模は戦車やミサイルを使った跡が歴然。
たぶん油断して奇襲を許したイスラエル軍が、失態をかくすために現場で敵味方の区別なしに殺しまくったというのが真実だろうと、わたしは思っているんだけどね。

先日はイランが発射したミサイルを、中東のヨルダンやサウジまで出動して防衛したと、ありんくりんサンは大喜びで書いていた。
しかしヨルダンはサファディ外相が出てきて、イスラエルに味方するつもりはないとはっきりいっている。
さらに突っ込んだ見方をすれば、バイテンさんのやり方に納得しない米国の国防総省が仕組んだミサイル攻撃だったという説もある(国防総省と国務省はむかしから仲が悪いんだよ)。
これならヨルダンやサウジが協力してもおかしくないし、わたしはそういう点を無視してばかりいる偏屈な見方を告発するために、国際法を持ち出したに過ぎない。

ありんくりんサンのいってることはカルト宗教のやり方そのものだ。
つねに自分の都合のいい発言やデータを並べて、他人を騙しているだけ。
彼がわたしのブログを読んでないというなら、だれかここにこういうブログがありますとチクってやってくれないか。
ついでに彼はわたしのコメント禁止を解除して、反対意見でも公平に聞くべきだといってもらうと助かりマス。

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2024年4月17日 (水)

中国の旅/ウイグルの娘

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酒泉では裴傳哲さんが下車したあと、待ちかまえていたように隣りの部屋のごつい男性がわたしを手招きした。
男は丸坊主で、無精ヒゲをはやした相撲取りみたいな男である。
べつに友達になりたいとも思わなかったけど、この男の部屋にはどういう関係なのか、西洋人のような顔だちのかわいい娘が出入りしていた。
彼女はぴったりしたジーンズをはき、髪を茶色に染めていて、どうみても中国人らしくなかったので、わたしはずっと気にしていたのである。
彼らのほうはわたしと友だちになりたいらしかった。

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部屋へ招き入れられてお互いに自己紹介しあったところによると、彼らは兄妹で、兄はモンゴル人、妹はウイグルだという。
え、とわたしは首をかしげた。
両親のどちらかがモンゴル、一方がウイグルということなのかもしれないけど、顔がぜんぜん似ていないってのは、どういうことなのか。
夫婦のような感じはしないし、兄と妹といわれればそのほうがしっくりすることは確かなんだけど。
ひょっとすると、中国の漢族支配を打倒すべく、隠密理に活動しているモンゴルとウイグルの活動家なのかも知れない。
日本人を同志に引っ張りこもうと相談されても困るしなと、そんなアホなことを考えながら、彼らと話をした。

妹にウイグル文字で名前を書けますかと訊いてみた。
ええといって彼女はミミズがのたくったような文字をさらさらと書いた。
まるっきりわかりません、今度は漢字で書いて下さいというと
  庫尓班尼沙・克里木
と書いた。
これでクァバンニーシャ・クリムと読んで、おしまいの3文字は父親の姓だそうだ。
髪の毛の色は天然ですかと訊くとハイと答える。

彼女はモンゴルで撮ったというアルバムを見せてくれた。
その中に派手な衣装をつけて肌を露出したものがあった。
民族舞踊を見せてまわっている踊り子らしかったけど、日本語のひらがなが入っていては理解できないだろうと思い、漢字だけで“踊人”ですかと訊くとええと答えた。
現在19歳だそうで、踊り子の写真には94年の日付が入っていた。
ということは16の時から踊っているということか。
そんな小娘が踊り子になって中国各地をまわっているというのも理解しにくいけど、言葉の不自由なわたしのことで、どこかになにかの齟齬が入っているのかも。

彼女はまったくくったくがない無邪気な子で、ウルムチ市の住所まで教えてくれた。
もっとも、これは写真を送ってくれという意味である。

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モンゴル人の兄のほうは趙慧明さん。
考えてみるとウイグル人もモンゴル人も、わたしはこんな間近に見るのは初めてである。
しかしモンゴル語もウイグル語もまったく知らないわたしの会話がはずむわけがない。
司馬遼太郎のモンゴル紀行は繰り返し読んでいたけど、彼らが日本の作家に詳しいとも思えないし、大相撲にはモンゴル人の関取がいることはいたけど、あれは外モンゴルのほうだしなあと、なかなか話題が思いつかない。
わたしもいつかモンゴルに行ってみたいです、天幕で羊のシシカバブを食べてみたいですとしかいえなかった。
しかしこういうときは、すべての民族に漢語を教育する中国政府の方針に感謝するしかない。
民族が異なり言語も違っていても、表意文字の中国語を使うかぎり、わたしも自己紹介や相手の名前を聞くことぐらいはできたからである。

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昼になると朝の寒さがウソのように暖くなった。
あいかわらず日はさんさんと輝き、浮いた気分で車掌や旅の同行者たちと言葉をかわす。
嘉峪関で2人の若者がわたしの部屋に入ってきた。
ひとりは多少英語を話し、四川省の成都から来て、なにか果物の取引でハニまで行くという。
つぎからつぎへといろんな道連れができるものだ。

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13時、依然として荒撫の砂漠をゆく。
左手にはあいかわらず雪をいただいた山、右手にも山脈が見えてきた。
雪山のふもとにエントツの立ち並ぶなにかの工場が小さく見える。
右側には線路にそって道路が走っているらしく、時おり屋根に荷物を積んたバスが走っているのが見える。
それにしてもなんて奇妙な光景だろう。
手前には不毛の砂漠、その向こうにしたたるような緑のベルト、その向こうにふたたび赤茶けた砂漠、そしてその向こうが白い雪山だ。
空気が澄んでいるのでこれらの間に何の障害物もない。

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13時40分に低高舗という駅に停車した。
ホームに下りてみると、ま夏のような日差しの中、ポプラのこずえが風にゆれ、綿毛が雪のように舞っていた。
青い麦の中にはちらほら菜の花(らしい花)も見える。
なんという素晴らしいところに来ただろうと思う。
玉門鎮では車掌たちがいっせいに上着を脱ぎ捨てて白いワイシャツ姿になった。

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15時ごろになって食堂者へメシを食いに行く。
メシというより、ビールを飲みに行ったようなもので、トマトと肉の炒めものは美味しかったものの、もうひとつ何がなんだかわからないものを頼んだら、またニラと肉の炒めものが出てきた。
これで36元!
毎度のことだけど、くそ、これでもう敦煌へ着くまで何も食べないぞと思う。
メシを食っているとき流鞘河という駅で停車した。
この駅のホームにはねじれた幹を持つ立派なヤナギの木があったけど、雨が降らないので葉がしわしわだ。

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景色を注視していると、砂漠の中にずぅーっと帯のように、そこだけ枯れ草が茂っている部分がいくすじもあった。
水が流れた跡にちがいない。
列車は河をなん本もまたぐけど、ほとんどの河は河床が干上がった水無し河である。
それでも大雨が降って洪水になることもあるそうで、あちこちで線路の下に水を流すための渠が作られているのを見た。
だだっ広い砂漠で洪水なんて信じられないと思っていたわたしは、このあとトルファンに行ったとき、じっさいにその痕跡を見ることになるのである。

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15時半、ふたたび砂漠、砂漠。
右手の地平線上に青く山脈がひとつ見え、地平線すれすれにはかげろうが立ちのぼり、遠くから見ると湖があるように見える。
渇死寸前のむかしの旅人がだまされたのも無理はない。
真昼の静寂の中で、聞こえるのは機関車がレールの継ぎ目をひろう単調な調べのみ。
砂漠の旅なんて、ふつうの人には退屈きわまりないものだろうけど、わたしは博物学者の目とこころを持っている(そのつもりでいる)ので、退屈はしない。
博物学者というものは、砂漠にいても海洋のまっただ中にいても、いや、虚無の宇宙空間にいてさえ退屈しない人種なのである。

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敦煌にいちばん近い駅、柳園に近づくと、あたりの砂漠はまた威容を変えた。
炭鉱のボタ山のような黒い丘がはてしなく積み重なったようで、植物などまったく生えていない。
可愛らしいウイグルの娘とお別れの時がきた。
列車は定刻どおりに柳園に到着し、わたしはここからバスで敦煌に向かうのである。
何か記念の品をあげて、わたしのことをおぼえておいてもらいたい。
そう思ったわたしはクァバンニーシャ嬢に、たまたまポケットにあった日本の500円玉を上げることにした。
ウイグルにしてもカザフにしても、中央アジアの女性はじゃらじゃらとアクセサリーをつけるのが好きである。
だから、これに鎖をつけて首飾りにするといいよとつけ加えて。

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2024年4月16日 (火)

花の極意

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わたしが団地の花壇の世話をボランティアで引き受けて3年になる。
ようやく園芸の奥義をきわめてきたようだ。
参考にする人がいても困るから大きな声でいわないけど、わたしみたいなずぼらな園芸家にとっての奥義、ということである。

以前のアパートに住んでいたころ、近くの野川に侵略性外来植物のアレチウリやオオフサモが侵略的に大繁殖をして、これではこのまま野川は彼らに征服されるのではないかと思ったことがある。
ところがアラ不思議、それほど大繁殖したのは1年かぎりで、翌年には“大”がつかない程度の繁殖になってしまった。
自然のままでも植物には繁殖のサイクルがあるらしいのである。
1種類の植物が永遠に増殖し続けることはないのだ。

去年、花壇のすみにヒヤシンスが咲いた。
咲いた場所が気に入らなかったので、球根を掘り出して、今年はもっと陽の当たる場所に植え替えた。
ところが植え替えた数は8個ぐらいあったはずなに、咲いたのは3つだけだった。
もとの気に入らない場所には、新たにいくつかのヒヤシンスが花開いたけど、それは去年ひとつも咲かなかったところである。
どうもヒヤシンスの球根には咲く年と咲かない年があるようだ。

いま花壇にはチューリップがたくさん咲いている。
世間の人は花を咲かせるために、水や肥料をやったり、雑草を抜いたり、いろいろ苦労するらしいけど、わたしはきちんと規則的にやらなければならないことは大嫌いで、せいぜい気が向いたときに草むしりをするくらいだ。
にもかかわらず、今年はわたしもびっくりするくらい花が咲いた。
これらの事実からいかなる結論が導き出せるだろう。

植物のなかでも球根植物は、花にまかせておけば、咲く咲かないを自分で判断しているようなのである。
今年は盛大に咲いたチューリップも、精力を使い果たして、来年はこんなに咲かない可能性がある。
しかし球根を植えっぱなしにしておけば、さ来年にはまた盛大に咲くだろう。
さ来年に咲かなければ、さらにそのつぎの年には咲くだろう(わたしがそれまで生きているかどうかは神のみぞ知る)。
ネット上には花の育て方なんてサイトもたくさん見つかるけど、そういうのは毎年同じ場所に同じ数だけ咲かせようという人のためのもので、わたしみたいに咲きたければ勝手に咲けという放任主義の園芸家用ではないようだ。

ホウキグサやノースポールは、枯れた枝をそのまま土に埋めておいたらちゃんと芽が出た。
自然は自然のあるがままにまかせておけ。
これがわたしが最近会得した園芸の極意である。
あまり他人の参考にはならないかも。

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2024年4月15日 (月)

金食い虫

イスラエルとイランの戦争はイランの作戦勝ちかも知れない。
イランはイスラエルにミサイルを300発も撃ち込んだ。
しかしあらかじめ予告してあったせいもあって、イスラエルはミサイル迎撃システム、アイアンドームで迎撃して、大半を撃ち落とした。
と、これは昨日のNHKの国際報道で別府正一郎サンが言っていたこと。
アイアンドームというのは、ウクライナも供与を懇願しているくらいすぐれたミサイル迎撃システムだそうだ。
と、これも別府サンが言っていたこと。

さらに別府サンがいうのには、これはひじょうに高価なシステムで、迎撃には効果的だけど、やたらに金がかかるんだそうだ。
大地舜さんのブログに、イスラエル軍はひと晩で1.3ビリオンドル(1ビリオンは10億)も使ったとあるのは、このことをいってるのかも知れない。
ネタニヤフさんの軍事内閣がスッタモンダしているのは、これでは国が破産するといってるのかも知れないし、アメリカが早々とこの戦争に関わらないことを決めたのは、今度はイスラエルにゼレンスキーさんのような物乞い外交を始められては困るということかも知れない。
安物のミサイルで攻撃したとすれば、イランはきわめてコスパのいい戦争をしたことになる。

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異常心理

いつまで続くぬかるみぞ。
イランがイスラエルを攻撃したのがケシカランと、西側では非難の大合唱だ。
そのくせ先にシリアにあったイランの公館を爆撃して、明らかな国際法違反をしたイスラエルを責める声は聞こえない。
おかしいと思わないか。
思わない?
そりゃおかしいのはアンタの頭のほうだね。
こうなると西側だからとか、BRICSだからという問題じゃないよ。
なんだか西側全体が異常心理にとりつかれているような気がする。
おかしくなったのはわたしの頭のほうなのかしら。

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2024年4月14日 (日)

意地っぱり

さっきまで認知症患者についてのNHKの番組を観ていたよ。
わたしもひとりで黙々と花壇の草むしりなんかしていると、近所の人たちからボケてんじゃないかと、恐怖の眼で見られているかも知れない。
アホいってんじゃない。
人間ギライだから人と口を聞かないだけで、好奇心はいまだに青少年のままだぞ。
若い女の子を見ると、いまだに目はギラギラ、ハアハアと呼吸は荒くなっちゃうし。
心配するなら娘の貞操の心配でもしとけ。

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一に追従、二に追従

上川外相が談話で「イランのイスラエル攻撃を懸念する」と述べたそうだ。
この人のいうことはどうしようもないくらい愚劣だということはわかっているけど、そもそも他国にある公館を空爆して、居合わせた人間を殺傷するという明白な国際法違反についてはどうなのよ。
イスラエルがやったことは問題にせず、仕返しせざるを得ないように仕向けておいて、仕返しをしたほうを責める。
じつにわかりやすいアメリカの論理。
ああ、わたしたちの世代が脈々と築いてきた、公平な日本、平和な日本、世界中の美女たちから憧れられる日本は風前のともしびだ。

救いがあるとすれば、イランが自制心を保っているということ。
中国あたりからゼッタイに挑発に乗るべきではないと助言されて、イランは本格的な戦争になる一歩手前で踏み止まっているように見える。
何もしなければ国内の反発がコワイけど、ヒズボラやスーシ派を使ってイスラエルをミサイルで(申し訳ていどに)攻撃する。
撃ち込んだミサイルはほとんど撃墜され、あとはイスラエルに関連する貨物船を強襲したってことだけど、この程度ではイスラエルも米国も、本格的な戦争に持ち込みにくい。
相手にしなければアメリカは自然に落ちぶれる一方だ。
アメリカが落ちぶれて、戦争屋としての面目を失えば、イスラエルも孤立したまま世界を相手に戦争はできない。
いまにみておれとハメネイさんは考えているだろう。

フィリピンでさえ旗幟を鮮明にせず、大国をうまく利用することを知っているのに、一に追従、二に追従、三・四がなくて、五に追従。
岸田クンはアメリカでいやがるマルコスさんを仲間に引っ張りこんで、米国のポチだということをみごとに証明してきた。
韓国も台湾もじりじりと西側の仲良しグループから離脱する一方なのに、なんで日本はアメリカにゴマをすり、悪の枢軸の仲間入りをしたがるんだよ。
上川のおばさんが、あのときのアタシの立場では、原稿を読むしかなかったのよーと金切り声を上げる日を見てみたいワ。

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中国の旅/祁連山脈

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昨夜はひじょうに寒かった。
朝4時ごろ、列車の窓から外をのぞいてみると、線路の両側に威圧するようにそびえていた山塊は影をひそめ、闇の中にゆるやかな丘陵がシルエットになっていた。
左手、そしてまもなく右手にも、町の明かりらしいものが点々とあらわれた。
時刻表によると蘭州を19時59分に出て、以降の駅は、天祝、武威、金昌、山丹、張掖、酒泉、嘉峪関、低高舗などとなっている。
武威には深夜の1時52分到着だから、血走った目のわたしに恐怖を感じた前夜の美人は夜中に降りたわけだ。
武威のつぎの停車駅が金昌で、ここに到着が夜明け前の4時ごろ。
わたしがねぼけまなこでながめた町の灯は、金昌のはずれのものだったのだろう。

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闇のなかをゆっくり動いていく明かりを見て、わたしはむかしのことを思い出した。
若いころのわたしが海上自衛隊にいたことは、このブログでも何回か書いているけど、新兵のころのわたしはよく見張り当直に立たされた。
自衛艦は夜でも航海中は、艦橋の両脇に見張りがひとりずつ立つ。
冬の夜の見張りは辛いけど、夏や春秋の暖かいころならこんな楽しい仕事はなかった。
見張り中はほかの訓練そっちのけでぼうっと夢想にひたっていていいのである。
これでよくわたしの艦(ふね)が衝突しなかったものだけど、好きこそものの上手なれ、わたしは優秀な見張りということで艦長からじきじきに褒め言葉をもらったこともあるんだよ。

んなことはどうでもよくて、敦煌行きの列車のなかのこと。
地平線もさだかでない闇夜のなかに、ときどきぽつんと明かりが現れてゆっくり後方に移動していく。
自衛艦の場合はすれ違う他船の明かりであることが多いけど、このとき見たものは民家の明かりか車のライトだっただろう。
砂漠を行く夜行列車の旅は船による夜間航海に似ている。
これが砂漠の旅というものか。
しみじみとノスタルジーにひたってはみたものの、わたしはまだ本格的な砂漠というものを見ていないのだ。
明るくなったらどんな景色が見られるのだろう。

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5時半ごろ、ようやく明るくなってきたのでベッドから抜け出した。
窓からのぞくと、あたりは短い草がちょぼちょぼと生えた砂礫地帯で、山というか丘というか、ゆるやかに盛り上がった、あるいはくぼんだ赤い大地がどこまでも続いている。
この歳まで日本で育ったわたしとしては奇異としかいいようのない景色で、いよいよシルクロードに到着したなと思う。

かってNHKが放映した「シルクロード」という番組によると、シルクロードには天山山脈の北をまわるもの(天山北路)と南をまわるもの(天山南路)があり、この南まわりはさらにふたつに分岐して、タクラマカン砂漠の北側と南側をまわるルートがあることになっていた。
今回、わたしがめざしているのは、西安から敦煌、トルファン、ウルムチをへて中央アジアの国境を越える天山北路と呼ばれるものだった。
むずかしくはない。
北京や上海から鉄道で西域を目指せば、蘭州から先はそれがそのまま天山北路だ。
現在はこの区間にも高速鉄道が出来ていて、蘭州から敦煌まで7時間半で行ってしまうようだ。

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明るくなってまもなく、左手正面に雪をいただいた山脈がすがたをあらわした。
時刻からして、これは祁連(きれん)山脈の東端ということになるだろう。
砂漠のなかに突如として雪をいただいた山、わたしはくいいるように景色を眺めた。
遠いむかし、使命をおびて初めてこの地に足を踏み入れた張騫や三蔵法師などは、この山を見てどんな感慨にふけったかと思う。
進行するにつれ、また新たな白い山脈がその向こうに長大な壁となってあらわれた。

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6時ごろ、樹木の多い街が見えてきた。
わたしの想像していたものよりずっと規模が大きいけど、これがいわゆるオアシスというものらしい。
わたしはこれまでオアシスというものは、砂漠のまん中に小さな泉があって、まわりにヤシか何かがちょぼちょぼ生えているだけのものと思っていた。
とんでもない、わたしがここで見たものは、日本のひとつの市町村くらいの広さがある。

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目がさめてから最初に停車した駅は山丹だった。
ポプラが高々とそびえたち、緑の農地がひろがる美しい土地に見える。
駅からそれほど遠くない場所に、朝日に照らされた褐色の岩山がそびえていていた。
駅のホームにおりてみると、まだ日がのぼったばかりなので、空気がひんやりしていて気持ちがいい。
列車のわきに立つ車掌の中にはコートをはおっている者もいた。

山丹をすぎると、左手には大きな湖があらわれた。
この文章を書くために念のため確認してみたら、これは川の一部のようだから人工的なダムだったかも知れない。
幅は広いところでも600メートルぐらいしかないけど、長さは5キロ以上あり、列車からは長辺のほうを見ることになるのである。

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わたしはなにか動物がいないかと砂漠に目をこらしてみた。
ウシ、ウマ、ラバ、ロバ、ヒツジ、ヤギ、そしてラクダまで、家畜ならけっこういろんなものを見られるんだけど、野生動物というと、緑のあるところで小鳥とカケスのような鳥をいくつか見ただけだった。
同室の中国人に筆談で質問をしてみた。
この人の名前は「裴傳哲」さん。
顔つきはわたしの弟の嫁さんの父親という人の若いころに似ていた。
人生は同じ役者が繰り返し登場する舞台劇のようなもの、という感慨がまたむらむら。

裴さんにこのあたりの砂漠にはなにか野生動物はいますかと尋ねると、狼、アナグマ、イタチ、タカ、ユキヒョウ、黄羊、青羊などを教えてくれた。
しかしユキヒョウなんて、線路のかたわらをうろうろしているわけがないし、黄羊、青羊なんてどんな動物なのか見当もつかない。
双眼鏡をかかえたえわたしでさえ、列車の中からなにか野生の動物を発見するのはむずかしかった。

こんな砂漠でヤギやヒツジは何を食べているんですかねと訊くと、裴さんは、このへんの草は根がとても深いんだという。
ああ、こういうことですかと、わたしがさらさらと根を深くはった植物の絵を描くと、キミは漫画家だなとほめてくれた。
この人の職業はわからないけど、つい最近敦煌にも行ったことがあるよといい、なかなか博識の人らしく、砂漠の由来などにについても教えてくれたようだったけど、わたしの語学力で学術的な話は無理である。

目をさましてから山丹まではまったくの荒撫の地といってよかったけど、山丹を過ぎてからはしばらく、ポプラの並木と民家の集落が点在する平野をゆく。
左手遠方の祁連山脈どこまでも続いている。

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山丹のつぎは張掖で、ここに停車したのは朝の7時17分。
停車中、ホームで記念写真を撮っている女性2人が、日本製のカメラを持っているのに気がついた。
日本人ですかと訊くと、けっこう上手な日本語でシンガポールですと答えた。
どうして日本語をと重ねて質問すると、コスモポリタンだからという。
世界を見てまわっている大先輩なのだろう。

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張掖は日本アルプスをのぞむ信州の田舎のような、どこか日本の農村を思わせる水気の多い田園地帯だった。
空は雲ひとつない快晴で、さわやかな風が吹きわたっているらしく、立ち並ぶポプラの葉がみな同じ方向にゆれている。
腹をすかせたわたしは食堂車に行き、朝食はパン、ハムエッグ、それにお粥で20元。

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張掖を出るとまもなく、驚くべきことに水田があらわれた。
四角く区切られた田んぼのなかに、日本に比べるとだいぶ乱雑だけど、ちゃんと稲らしきものが等間隔で植えられている。
え、おい、ここはシルクロードだぞ、砂漠の国だぞ、田んぼなんかあっていいのかと、大きな疑問につきあたったわたしはうめいた。
うめいても仕方ないから、帰りに寄れたら張掖に寄ってみることにした。

9時半、あいかわらず荒涼とした風景が続いている。
空気が澄んでいるせいだろう、左手の雪を頂いた山脈がすぐそこにあるようにくっきりと見える。
目測で山までの距離が計りにくいので裴さん
  空気明瞭 我不能計算 到那是山脈的距離
こう訊ねたところ 20キロから50キロくらいだろうという。
あそこに見える山はどのくらいの高さがありますかと訊くと、彼は紙に4千メートル以上と書いた。
そんな高さに見えないけど、いま列車が走っている場所ですでに1700から1900メートルあるというし、空気の澄みぐあいはまさに高原のそれだから、さもありなんである。
日本の鉄道でいちばん標高の高い場所は、信州の野辺山の1346メートルだから、このあたりはそれより高いということになる。
それなのに7月、8月には大雨が降って洪水になることもあるという。

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10時ごろ、左手の山すそに緑の帯のようにオアシスが広がっているのが見えた。
もしあれがずっと昔からあるものなら、けっこう想像していたよりオアシスの数は多いなと思う。
このあたりでは旅人の視界内に、つねにいくつかのオアシスが見えていたんじゃないか。
ただ右手には山も丘も見えず、ただもうだだっ広い空間が広がっていた。
こちら側は内モンゴル自治区で、ゴビ砂漠のへりをかすめているはずだ。

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2024年4月13日 (土)

本日のNHK

あいかわらずNHKの欺瞞は底がないな。
英国のキャサリン妃がフェイク動画を公開して問題になっているそうだ。
そんなニュースはもう1週間ぐらいまえに観たぞ、報道機関としては遅れてやがんなと思ったら、これはロシアのフェイク映像を告発するためのプロローグみたいなものだった。
正直言っていってフェイクはウクライナ側(西側)のほうが圧倒的に多い。
プーチンは戦争開始直後からそんなものにほとんど興味を持たず、ひたすら正攻法の戦争に徹してきた。
他国の支援をアテにするウクライナのほうは、つねに支援国にいいところを見せなければならないから、広報を大々的にやらざるを得ず、徹底的にフェイクをばら撒いてきた。

英国のキャサリン妃の映像は王女自身が作ったものだそうだ。
つまりいまはフェイク画像、映像でも、ちょっとしたパソコンマニアなら簡単に作れてしまうということだ。
わたしだってフォトショップを使った加工や合成ぐらいしょっちゅうやっている。
これだけ加工が容易になり、それをネットに公開するのも簡単では、フェイクの大部分は国家がやったものとはいいきれない。
その多くがウクライナを支援したがる人や、わたしみたいにロシアを擁護したがるマニアの仕事だと思ったほうがいい。
英国の王女の話題をきっかけに、ロシアのフェイクだけを取り上げるなんて、やっぱりNHKの報道には注意を喚起すべきといっておかなくちゃ。

もうケチをつけるのが楽しくなるくらい、NHKの報道にはデタラメがあふれてんな。

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珍しい事例

珍しい事例をひとつ。
ミャンマーの内戦で軍部が劣勢だそうだ。
軍部と、民間人の反体制グループの争いになると、フツーは軍隊を持っているほうが勝つんだけどね。
ミャンマーの軍部はこれまで、選挙で選ばれたスーチーさんを閉じ込めたり、横暴の限りを尽くして国民の反発を買っていたから、そういうこともあるのかなと思ったけど、それだけじゃないかも知れない。
中国との国境付近でもミャンマー軍は劣勢だそうだ。
ひょっとすると中国はあからさまに、ミャンマー軍を支援しない方向に舵を切ったんじゃないか。

以前の中国はどっちかというと軍部の味方だったけど、どうもやり方を見ていると軍部の評判はわるい。
軍部の応援をしたのでは、まるでイスラエルに味方するアメリカみたいだ。
これはアカンということで、ウチは公平な観点から、国民に支持されている反体制派の味方をしますと、これはアメリカに差をつけることにもなるから、ミャンマーの軍部を切り捨てることにしたのかも。
人間心理というのはこのくらい深読みをしなくちゃいかんねえ。
もちろん中国にポイントを与えたくない日本では(NHKでは)、こんなことが報じられるわけがないけど。

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2024年4月12日 (金)

また真実

誰にでもわかるハナシ。
かりにハマスが休戦もしくは停戦を条件に人質全員を釈放したらどうなるか。
イスラエルは安心して、大喜びでハマス攻撃を再開し、今度こそ徹底的にパレスチナ人の絶滅をはかるだろう。
そんなことはない、国際約束だ、いくら非道でデタラメな国家でも、約束は守るだろうという人がいるかね。
約束を守るほど常識的な政府ならとっくに虐殺をやめているさ。
バイデンさんは、一方でネタニヤフさんはケシカランといい、返す刀でイスラエルへの支援は変わらないという。
国民をだまくらかすために詐欺師大統領もいろいろ苦労しているようだ。

そんな米国へ詐欺師大統領のご機嫌うかがいに行ったのが日本の首相だ。
米議会で演説してスタンディングオーベションが何度も起こったなんて書いてる報道もあったけど、もうすこし人間心理を見抜くような記事は書けんのかい。
地震にあって家屋が傾いて悲嘆にくれている家庭に、援助を約束するために行ったようなものだから、いまの時期ならだれが行ったって大歓迎、なんとかして戦争の肩代わりをさせようと狙っているんだから、どんな能無しが行ってもスタンディングオーベションぐらいするさ。
もっとも、首相のくだらないジョークに、日本からは非難が殺到しているみたいだから、日本国民のほうが、よっぽど相手の心理を見抜くのにたけているわサ。
その調子でNHKその他のデタラメ・マスコミ、SNSに踊らされることなく、ウクライナ戦争の真実も見抜いてほしいねえ。

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4月12日

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2024年4月11日 (木)

昨日の世界

さあ、また困ったことになった。
韓国では親米、親日の尹錫悦大統領派が負けて、西側寄りどころか、自分の弾劾におびえなけりゃいけなくなってきた。
こうなると日本の責任も重大だ。
なんとかしてアジアを引っ掻きまわそうという米国にとって、ほんとうに信頼できる相手は日本しかいない。
いよいよ中国の脅威をいいたてて、岸田クンにゴマをすり、日本の軍拡をうながそうとするだろう。
日本にとっては、日本の平和主義者にとっては、ここが踏ん張りどころだ。

冗談じゃなしに、西側先進国の政治家のなかには、ウクライナ戦争をコスパのいい戦争と評価する者がいるそうだ。
つまり、自分とこは金さえ出しておけば、あとはスラブ人同士が勝手に殺し合ってくれる。
自国の兵士はひとりも損なうことなしに、戦争当事者のどちらが勝とうと、自動的にスラブ人の力がそがれるんだから、こんなうまい方法はないやね。
ウクライナはヨーロッパだからまだしも、いまアメリカは、今度はアジア人同士を同じ目に合わせようと虎視眈々だ。
はたしてうまくいくかな。

昨日は台湾のもと総裁が習近平さんと会談してきたそうだ。
テレビニュースを観ても会談は和やかなものであったことがわかる。
中国は軍事という手段を使わず、平和的に台湾を取り込もうとしてるんだよ。
これではアメリカは困る。
なにがなんでも中国に因縁をつけたいところだろうけど、その手に乗らずの大国然とした習近平さん。
そういえばイスラエルに攻撃されても、じっと耐えているイランを見てもわかるように、BRICSには、ぜったいに西側の挑発に乗るなというお触れが出てるんだよ。

世界が相手にしてくれないとアメリカはますます困る。
主要産業である兵器の売り先がなくなってしまうではないか。
日本のNHK(およびマスコミ)は必死になってアメリカの片棒をかつごうとするだろう。
美味しい話には乗ってはいけませんですよ。
やるなら朝鮮戦争のときみたいに、まず米軍が先頭に立って闘って下さいな、日本は後方支援に徹しましょうぐらいのことはいってほしいね。
わたしとしては、岸田クンがアメリカでどんな約束をしてくるか、それに大きな関心を持っているところです。

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2024年4月10日 (水)

取り込み

『日米比、首脳会談を定例化へ』だって。
日本はともかく、フィリピンを枠のなかに取り込んで、なにがなんでも離さないつもりらしい。
フィリピンも迷惑だよな。
インドを見習って、先進国以外の国はみんな両陣営から等距離を置き、もらえるものは両方からもらおうって魂胆なのがわからんかね。
もちろんアメリカが斜陽になれば、ハイごめんなすってと、フィリピンもBRICSの一員だ。
途上国はもうアメリカの相場師たちの一存で、国家の経済までがいいように操作されるのに飽き飽きしてるんだ。
自業自得だね、バイデンさんと、その背中にしがみつく貧乏神の日本には。

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2024年4月 9日 (火)

明日の予定

ウクライナやイスラエルの問題にばかり目が行ってしまうけど、明日はちょっと気になることが。
韓国で総選挙だそうだ。
大統領選挙じゃないけど、結果は与党野党の立場を左右しかねない重要な選挙で、日本への影響も小さくない選挙なのだ。
野党が勝てば現在の日本寄りの尹錫悦大統領は動きを封じられるし、反日に凝り固まった野党がまた元気づく可能性もある。
いまのところ日本とも宥和政策の尹政権のおかげで、たくさんの韓国人が来日して、日本人は親切だ、街がきれいだ、ご飯が美味しいなんてほめているけど、あの国では(おもてから見えないだけで)反日が国民の骨の髄まで染み込んでいるから、政府の音頭ひとつでまたどう転ぶかわからない。
尹さんの政権が盤石でないことは、いまだに前大統領の文在寅さんを、韓国の伝統である刑務所行きにできないことからあきらかだ。

韓国の政治は、政治だけはアメリカなみで、国がまっぷたつなのである。
3年後の大統領選挙でまた大統領が野党出身者と交代して、ウチもBRICSにはいるなんて言い出し、台湾もそのほうがいいと言い出したら、日本はアジアで孤立してしまうではないか。
まあ、ちっとはとなりの国のことも心配したほうがいいヨ。

おまけ
ウクライナではまたザポリージャ原発をめぐって、露ウ両国の主張がガチンコ勝負。
まえにもあったし、まえにも言ったけど、占拠しているほうが原発を攻撃をして、自分たちを危険にさらすわけはないから、ロシアが攻撃するわけがない。
ロシアでなければウクライナしかいない(アメリカの可能性はある)。
あまり簡単な事実なので、国民が自分の頭で考えるまえに、NHKはさっさとべつのニュースに切り替えてしまった。

おまけのおまけ。
しょっちゅう拒否権ばかり発動していて有名な、米国のグリーンフィールド国連大使が、来週韓国を訪問するそうだ。
追いつめられたアメリカが韓国を西側に引き付けようと工作して、その結果を重要な同盟国である日本に報告するため、日本をあとまわしにしたことが見え見え。
原爆被災地の長崎も訪問するらしいけど、これも日本へのゴマすり。

もうひとつおまけ
米国のイエレン財務長官が中国でなにかいってるけど、ダブルスタンダードまっ黒。
あまりに自国の都合ばかり主張するのにアキレタ。
とにかくNHKのいうことは逆だと考えたほうがいいようだ。

おまけのおまけの・・・・どこまでいってもキリがないね。
NHKの欺瞞の種は尽きるまじ。

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2024年4月 8日 (月)

欺瞞がいっぱい

『窮地に追い込まれ、戦慄の決断を下す・・・・皇帝プーチン大統領「NATO包囲網で核兵器投入』
これは今日のネットニュースの見出しで、ソースはFRIDAYだけど、おかしくて笑っちゃう。
この記事のすぐ下に別のニュースがあって、それは『スロヴァキア、大統領に親ロシア派のペレグリニ氏 』と、「『米の追加支援なければ負ける』ウクライナ大統領 」というもの。
窮地に追い込まれているのはウクライナのほうなのに、皮肉といえばこれほどの皮肉もないね。

FRIDAYというのは北野武になぐりこまれた昔から、ろくでもないメディアの代表だけど、記者はあきメクラが揃ってるのか、それともウクライナ戦争という美味しいネタが終わっては困るのか。

日本の首相クンは国賓待遇でアメリカ訪問だって、NHKまで(国賓は)9年ぶりだって大喜びだけど、岸田クンだってそんなに単純じゃあるまい。
もはや死に体の自分に、バイデンさんが猫なで声でどんな難題を吹っかけてくるかと、内心では恐々としているはずだ。
それにしてもNHKの欺瞞は天井知らずなってきた。
グローバルパートナーなんて言葉を持ち出して、ひじょうに価値ある訪問みたいなことをいってたけど、こんな調子じゃウクライナ戦争の肩代わりを丸投げされてくるんじゃないかと心配だ。

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ゆいいつの解決策

『トランプ氏、終戦へ領土割譲案 クリミアやドンバス、米報道』
これは昨日のネットニュースの見出し。
ようやくウクライナ戦争解決の機運が盛り上がってきたかというところだけど、これはじつはまだ大統領になってないトランプさんの発言だ。
しかしこれが実現すれば素晴らしいことである。
これってわたしがずっといい続けてきた解決策そのものじゃないか。
ロシアがウクライナに侵攻したのは、要衝のクリミア半島を持参金にしたまま、ウクライナをNATOに嫁にやるわけにはいかないという事情があった。
最初からこの場所だけでも返すといっていれば、いたずらに若者の死を積み上げることはなかったのだ。
こんな誰にでもわかっていることを西側のだれも口に出来ず、怖いもの知らずのトランプさんだからこそいえたことである。

さっそく反論もある。
「外交専門家は実際に割譲すればロシアのプーチン大統領を利し、武力による領土侵犯を看過することになると懸念を示している」のだそうだ
武力による侵犯といっても、いわゆる帝国主義的発想の侵略ではないし、ロシアからすれば国土防衛のためのやむにやまれぬ方策ではないか。
どうしてこれが西側の主張する民主主義の侵犯に当たるのか。

それならどうすればいいだろう。
このままとにかくプーチンを困らせればいいという姿勢で、戦争をずるすると引き伸ばせばいいのか。
もっともっとスラブ人同士を殺し合わせれば気がすむのか。
いや、核戦争にまで追いこんで、相手が謝罪して引っ込むのを期待するか。
ロシアを追いつめれば、ロシア国民はいつかプーチンを見限るだろうというのはムダな試みだ。
もはやウクライナの勝ちはないし、攻めれば攻めるほどロシア国民は大統領のもとに結束するだけだ。
支持率70〜80パーセントというのはダテじゃないんだよ。
そのあいだに困窮するのは西側諸国だけということや、とっくにアメリカ(とNHK)の欺瞞はあきらかになっているのに、まだわからんボンクラが多すぎる。

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殺戮者と春爛漫

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いまわたしの花壇ではチューリップが花盛り。
数からすると去年の暮れに帰省したとき、田舎の園芸店で仕入れた20コの球根もみんな無事に咲いたようだ。
今日の写真は、さあ余分な雑草はかたっぱしから引っこ抜いてくんずと、張り切っているわたしの自撮りだ。
雑草からすれば、わたしはイスラエルのネタニヤフさんなみの殺戮者ってトコ。
来ているのはホームセンターで買ってきた安物のウインドブレーカーで、これは冬の作業には防寒にきわめて有効。
ということは、若いころ土方のアルバイトをしたことのあるわたしはよく知っているのだ。

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2024年4月 7日 (日)

本日のデタラメ

「ウクライナ軍、無人機でロシア軍4基地を同時攻撃、長距離爆撃機3機損傷・操縦士ら7人死傷か」
これはネットニュースの見出し。
この文章だけでも“死傷か”と疑問型になっているから、憶測でしかないことがわかるけど、いまの時期にまぐれあたり以外でウクライナ軍が攻撃に成功するはずがないから、どうせデタラメだろうと中身を読んでみた。
案の定、ソースはウクライナのニュースサイトで、つまり自分で自分とこの戦果を誇っているわけだ。
大本営発表というやつなんだけど、こういうものをぬけぬけと紹介する日本のメディアはと、確認したら読売新聞だった。
ったく。
こんなふうに読まなくても内容がわかる記事ばかりだと、わたしみたいに忙しい人間にはありがたいことであるよな。
NHKの御用解説者(何人もいるけど)が出ているメディアも、わたしははじめっから無視することにしています。

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2024年4月 6日 (土)

中国の旅/蘭山

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白塔山からタクシーで蘭州市内にある東方紅広場へ行ってみた。
ここは蘭州市内の中心だけど、行ってみると大きな体育館を中心にしただだっ広い広場で、スポーツにあまり興味のないわたしには、人間以外にとくに見るものはなかった。
広場をぶらついているうち、この地下全体が商店街になっていることがわかった。
デパートを地下にもぐらせたみたいで、店の数は多かったけど、上海を見てきたわたしには、とくべつに目を引く店があるわけでもない。
充血した目が気になって仕方ないので、広場の近くでたまたま見つけた薬屋へ寄ってみた。
紙に「我疲了=わたしは疲れた」と買いて、サングラスをはずしてみせると、なるほどとうなづいて、薬屋が出してくれた点眼薬が2元プラス。
予想よりだいぶ安かったけど、漢方の秘薬というようなものではなく、日本でもよく見かけるプラスチックの小瓶に入った気休めみたいな薬だったので、効果は期待できない。

金城賓館まで歩けない距離ではないはずなので、タクシーに乗らず徒歩でぶらぶらして、ホテルの近所の食堂がずらりと並ぶ横丁で食事をしていくことにした。
回族の店や新彊料理なんて店もあったけど、ま、そのへんのありきたりの蘭州料理の店へ。
この日も朝からろくなものを食べてないから、栄養補給のつもりで鉄板焼牛肉、キノコと豚肉炒め、マーボ豆腐、例によって生トマトなどを注文した。
鉄板焼がこないうちに腹がいっぱいになってしまった・・・・ところへ、女の子が牛肉を切らしてますと言い訳にきた。
これ幸いと鉄板焼はキャンセル。
それでは申し訳ないので、何か水果(果物)はないかと訊くと、彼女は香蕉、苹果とふたつの果物の名前を書いた。
あとのほうはリンゴのことだけど、前のほうはなんだっけ。
わからないほうでいいといったら、女の子はとなりの露店でバナナを1本買ってきた。

蘭州には2泊して、その後敦煌に向かう予定でいたから、この日のうちに列車のチケットを確保しておきたい。
金城賓館へもどってフロントで、このホテルでは列車の切符を手配できますかと尋ねると、駅へ行けばありますって、そんなことは当たり前だ。
駅は混むからイヤなんだとぼやきつつ、いちおう駅へ行ってみることにした。

時刻表を片手に駅の窓口で声をかけると、売場の女の子がぱっぱっとパソコンをたたいて、その便はありません、こっちの便ならありますという。
こっちの便というのが気に入らなかったので、もうひとつ別の希望を出してみたが、やはり没有である。
どうも態度を見ていると、いちどこれを売ると決めたらなにがなんでもそれしか売らないつもりのようにも見える。
中国の駅では客の抵抗は無駄である。
おかげで最初の希望は11:43分発だったのに、けっきょく19:59分発のものにされてしまった。
これだと敦煌のもより駅である柳園到着が16:59である。
この時間は西域ではまだ昼間だけど、なんせ初めての土地だから、その日のうちに敦煌まで行けるかどうかわからないし、ホテルもぜんぜん予約してないのである。
しかしこれが中国の旅だと思って納得することにして、なんとか手に入れた切符は、例によって軟臥車(1等寝台)で230元くらい。
はっきり覚えてないけど、300元出しておつりをもらったことだけは確かである。

この晩はホテルで濡れタオルを目の上にのせて寝た。
翌朝には充血がひいているようにと祈りながら。

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翌日は朝7時半起床。
前日はたっぷり休養をとり、いろいろ手をくだしたにもかかわらず、目の充血はひいていなかった。
やれやれ、血走った目のまま、この日の夜に蘭州を発たなければならないのかとがっかり。
列車の時間が夜なので、どこかで時間をつぶさなければならないから、この日は蘭州で、黄河をはさんで白塔山の対極にある蘭山公園に行ってみることにした。
朝食はまたホテル近所の食堂街へ行く。

釜から湯気の立っている店に食い気を誘われたから、首をつっこみ、たまたまテーブルで麺を食っていた客がいたので、これと同じものをというと、店員はなんとかかんとかという。
これと同じものといって指さしているのだから、誰にだったわかりそうなものなのに、やはり店員はなんとかかんとかを繰り返す。
そのとき店のなかにいた若者が、日本語で、「太い麺にしますか、細い麺にしますかと聞いてるんですよ」と声をかけてくれた。
意味はわかったけど、今度はどうしてこんな店に日本語のわかる人がといぶかしく思った。
たまたまこの店の隣りのビルの5階に、甘粛省シルクロード旅行者という会社があり、そこの従業員がこの店に食事に来ていたのだそうだ。
おかげで無事にメシを食い終えて、これが1元7毛。
これでは栄養失調になってしまわないか。

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11時にホテルをチェケアウトして、大きな荷物はホテルに預け、カメラやモバイルギアだけを持って蘭山に出かけた。
蘭山の高さは、えーと、2000メートルと書いたネット記事もあったけど、いくらなんでもそんなに高い山には見えない。
蘭州市そのものがかなり標高の高いところにあるのかも。

ホテルのまえでタクシーをつかまえ、あの山のてっぺんまでいくらだというと10元だという。
見た感じそんな金額で行けるようには見えないと思っていたら、山のふもとにあるリフト乗り場で降ろされてしまった。
ここからリフトを利用すればいいとのことである。

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リフトはかなり長く、30~40分は乗っているだろう。
場所によっては足のすくむ高さではあるし、女性は乗る前にオシッコをすませておいたほうがいい。
リフトから見下ろすと、蘭州の市内は高層ビルが乱立し、足もとの山すそに褐色の民家がびっしりと立ち並んでいるのが見える。
おそらく近代建築がそびえる前の蘭州のおもかげを残すのは、このあたりの風景なのだろう。
10元という金額は中国人にとっては安くないらしく、徒歩で登っていく人もたくさんいた。

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蘭山山頂からの眺めはけっこうなものである。
白塔山より高いだけあって、蘭州市街とその背景の山並みまで一望だ。
はるか彼方に樹木のほとんどない、富士山の5合目以上のような不毛の山脈が連なっているのが見える。
日本の山脈と異なる異様な風景で、ここから先はシルクロードの砂漠なのだという感慨がひしひしと伝わってくる。

山頂に塔があり、近くに観光客相手のウマやラクダがいた。
回族の若者がウマに乗らないかとしきりにすすめてきたけど、一巡する時間も料金もわからないし、いまいる場所以上にいい景色が見えるとも思えないからやめておいた。
ウマの待機場の近くにゴミ捨て場があって、例のネズミの化け物みたいなやつ(マーモットの仲間)が餌をあさっていた。
民家のわきや集落の裏山にすぎないような場所に、これだけ自然が残っているとはうれしい話だけど、発展する中国で彼らはいつまでのんきにゴミをあさっていられるだろう。

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帰りは山頂から小型の路線バスで下山することにした。
客がいっぱいになるまで発車しないのが難点だけど、乗り合いでひとり5元だったし、わたしには急ぐ理由がひとつもなかったのだ。
しかしこいつはポンコツのくせに、運転手がつづれ織りの山道をやたら飛ばすので恐ろしかった。
これではリフトのほうがよほどマシだと思い、とちゅうにあった見晴らし台のようなところで、ここでいいやと下りてしまった。
そこからなら徒歩でも街まで30分もあれば下りられるだろう。
樹木のほとんど生えてない山だからどこからでも下界が見えるので、初めて来た者でも迷いようがない。
ここに載せた4枚組の写真は下山する途中、あるいは下山した場所で見た景色。

下山はしたものの、列車の発車までまだ5時間もある。
ヤケクソになって、タクシーをつかまえて前日に行った中山橋まで行ってみることにした。
ここには川べりに休憩所があって、レンタルの寝椅子もあった。
黄河の川岸で川風に吹かれて昼寝でもしたらさぞかし気持ちがいいだろう。
寝椅子は八宝茶のドリンクがついて、5元だった。

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河べりでワープロを打っていたら、目の前に奇妙な乗り物があらわれた。
NHKの「シルクロード」にも出てきたけど、「羊皮筏子」といって、羊の皮に空気を入れてふくらませたものを、10個ばかり束ねてイカダにしたものである。
観光用で船頭が乗ってみないかという。
20元は高い、そのへんまででいいから10元にしろよとねぎって乗ってみることにした。
荷物をとなりの寝椅子にすわっている娘に、勝手に「お願いしまーす」といい置いて、ふらりふらりと川面をただよってみる。
あまり遠くまで行くともどってくるのが大変だし、預けた荷物も心配だから、ほんの30メートルほどこぎだしてすぐ陸にもどった。

中山橋を渡って白塔山の下の清真寺(モスク)まで歩いてみる。
清真寺は白塔山ロープウェイからま下に見える茶色の建物群の中にあり、ここは回族の部落らしかった。
山の斜面にレンガの建物が複雑に重なり、なんとなく写真で見たカスバを想像したものの、よそ者が寄りつける雰囲気てはないので、外からながめただけで引き上げた。

タクシーでまた東方紅広場までいく。
広場の地下商店街でビール、チャーハン、マーボ豆腐などの食事をして、これは22元。
ついでにトイレを借用し、さらに街をぶらぶらして、ようやく駅へ行ってもいい時間になった。

金城賓館で預けてあった旅行用のスーツケースを受け取り、タクシーで駅前に到着したのが18時20分ごろで、列車の発車までまだ1時間半あったけど、このあとは駅の待合室で時間をつぶすことにした。
列車は蘭州発のウルムチ行きで、時間がくるとわたしの席へは車掌が案内してくれた。

個室へ入ってびっくりした。
ものすごい美人がベッドに腰をおろしているではないか。

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彼女はわたしの同室で、武威まで行くといっていたけど、こんな美人といっしょなら南極まででも行きたい。
残念というか気のドクというか、彼女は目を血走らせたわたしに度肝を抜かれたらしく、あとでべつの部屋に移動(遁走?)してしまった。
残念だけど、どうせたんと会話ができるはずがないのだ。
部屋に残ったのは無骨そうな中国人男性ひとりになったので、わたしはさっさと寝ることにした。
出発してまもなく日が暮れた。
空には三日月、地には荒涼とした山の影が黒々と、わたしはすでにウルムチまでの距離の半分以上を超えた。

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2024年4月 5日 (金)

昨日のウクライナ

昨日のNHK国際Nで確信犯の別府正一郎サンが泣きを入れていた。
ウクライナは兵士が足りない、ゼレンスキーさんは召集年齢を引き下げた、女性まで動員される、母親は息子の動員を拒絶する等々、さんざんウクライナの劣勢理由を並べたあと、問題解決はロシア軍が軍事侵攻をすぐやめることしかないだって。
そりゃそうだ。
攻勢をかけているほうが撤退すれば、戦争が終わるのがアタリマエだ。
しかし戦争の原因を作ったのはどっちだ。
ずっと親戚付き合いをしていたロシアを袖にしてNATOに加盟しようとし、おだてに乗せられて、いきなりロシアの軍艦まで沈めたのは。
これではロシアが手ぶらで撤退なんかできるはずがないではないか。
ウクライナが劣勢なら、せめてクリミア半島を引き渡すからくらいのことをいうべきだろう。
領土はひとかけらも渡さないとゼレンスキーさんがごねるなら、NHKが間に入って、日本だってむかし無条件で降伏したことがありますよと説明してやったらどうだ。
あ、そのさい戦犯は絞首刑にされましたということは黙ってないと、ゼレンスキーさんはビビってしまって、キエフの地下壕に追いつめられるまで降伏しないかも知れない。

NATOはまたゴタゴタしている。
ウクライナに1000億ユーロを拠出するそうだけど、決まったわけではなく、決まったのは“出すことを検討する”ということだそうだ。
メンバーを増やしすぎて、これではじっさいに拠出するまでどのくらいかかるかわからない。
スウェーデンやフィンランドがNATOに加盟して、またロシア包囲網がせばまったと喜んでいたアナタ、現実はそんなものさ。

ロシアが経済制裁に耐えて景気が上むいているのは、軍事特需のせいだという意見がネット上にある。
それじゃアメリカはどうなのだ。
こちらも儲けているのは軍事産業だけ、中南米の国々を踏み台にしているだけと違うのか。

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2024年4月 4日 (木)

昨日のNHK

「・・・する狙いがあるとみられます」
これはNHKがニュースの終わりにつける常套句だけど、最近は民間放送も使うようだ。
相手にそんな気はなくても、勝手にこちら側で都合よく解釈してしまうのだ。
こういう憶測、あるいはこちらの願望でしかない言い方は、NHKニュースのいたるところに観られる(民放はあまり観ないから知らないんだけど)。
それでも双方に公平に使うならまだしも、つねにけなしたい方のニュースにしか使わない。

まあ、その結果はそのうち自らに跳ね返ってくるだろう。
昨日のNHKニュースで衝撃的だったのは、なにかあった場合、米国と中国のどっちを頼りにしますかというアンケートで、アジアでは中国という答えが半数を超えたということ。
パレスチナ問題が影響したというのは事実かも知れないけど、それだけとは言い切れない。
アメリカのダブルスタンダードは有名だし、この国の行くところ、すべての土地で、あらゆる国で、かならず紛争、それも派手な殺し合いが起きるということに、世界が気がつき始めたということじゃないか。
アメリカ1強の国際秩序も崩壊しかけているということだ。

NHKは続報で取り上げたがらないだろうけど、これは重要なニュースだということでおぼえておくべきだねえ。
韓国はもともと腰の座らない国だし、台湾人もさすがに気がつくだろうから、そのうち台湾有事なんて絵に描いた餅でしかなくなるよ。
まごまごしてるとアジアでアメリカに追従するのは日本だけになりかねない。
皮肉でなしに日本の未来を見てみたいね。

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2024年4月 3日 (水)

ハコベのおしたし

  春遠し花に無慈悲な氷雨かな
また冷たい雨に逆戻りだけど、部屋に降りこめられて、もうヤケで昼風呂に入ることにする。
うだつの上がりそうもない生活パターンだけど、そんなもんとっくに放棄してるわサ。

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わたしの部屋のまえの花壇は、わたしが草むしりに熱心だからわりかし雑草は少ないけど、団地のとなりの棟ではだれも草むしりをしないから、いまの季節になると雑草がのび放題。
その中でひときわ目立つのがハコベだ。
調べてみたら春の七草のひとつで、食用になるらしい。
ためしにひと茎を摘んでみると、そのまま食べられそうなくらいみずみずしい。
これはいいと、ほうれん草のおしたしに目のないわたしだから、今日はひとつハコベのおしたしを作ってみた。
材料は昨日のうちにたっぷりと、20分ほどで3食分になるほど集めてあった。

ちなみにこの名前は、「おしたし」なのか「おひたし」なのかという論争があるらしい。
わたしの郷里では“おひたし”が正道だと思ったけど、中原中也の詩には“おしたし”で出てくる。
詩人に敬意をあらわして、わざと“おしたし”を使うことにした。
ああ、またわたしの役に立たない知識を披露してしまって。

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出来上がったおしたしを食べてみた感想は、以前河原に生えている菜の花でおしたしを作ったことがあり、それはほろ苦くて春の香りがしたものだけど、ハコベのほうはほうれん草のようにクセのない味で、わるくない。
無料だと思うとよけいわるくない。
いや、けっして金がないわけじゃないんだけどね。
まだ生活保護はもらってないぞ。

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2024年4月 2日 (火)

中国の旅/花瓶姑娘

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さあまたスタートだ。どこまで行ったっけ。

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蘭州のホテルで朝おきて、鏡を見てギョッとした。
右目の白目の部分に血がにじんでいたのだ。
いまなら旅先でもネットでいろいろ調べられるけど、当時はまだインターネットもWI-FIもなかったし、こんなことは生まれてはじめての体験だったので、いささか狼狽した。
これは結膜下出血といって、命や眼球に影響はないそうだけど、どうも見た目がわるい。
はたから見ると、文字通り目を血走らせた、前科10犯の強姦魔のように見えてしまう。
こんな状態で街を散策する気にもなれやしない。
疲れている気はしないけど、空は曇っているし、今日いちにちホテルで休養していようかと思う。

そういうことで、朝メシも食わずにベッドでワープロを打っていた。
わたしはこの旅に35ミリの一眼レフを持ってこないかわり、買ったばかりのミニワープロを持参していたのである。
わたしの大きな欠点は記憶力が弱いことで、旅先で見たもの、驚くべきものなどの詳細をすぐに忘れてしまう。
将来紀行記を書いてやろうと大望(妄想?)を抱いていたわたしには、旅を記録するメモ帳がどうしても必要だったのに、わたしのもうひとつの欠点が乱筆ということで、肉筆となると、もう自分でもイヤになるようなふざけた文字しか書けないのだ。
ありがたいことに97年当時はワープロという、わたしのために生まれたような筆記用具が普及していた。
乱筆が印刷文字のように美しく変貌するのをみて、わたしはたちまちワープロのとりこになってしまい、逆にワープロがなければなにも書けなくなってしまった。
わたしみたいなタイプがどのくらいいるか知らないけど、とにかくわたしには、旅先に持ち歩けるワープロはカメラ以上の必需品だったのだ。

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そういうわけで、発売されたばかりのNECのモバイルギアを打って時間をつぶした。
しかし部屋でごろごろしていたのでは体にいいわけがないし、体によくなければ目の充血もいつになってもひかないかも知れない。
そこで9時ごろ、金城賓館のすぐ横にある市場や食堂のならぶ路地に出かけ、平べったいパンを2枚、缶コーラ、それに今度はモモを5コばかり買ってもどる。
部屋へもどってもぐもぐやっていたら、服務員たちが掃除にきて部屋を追い出されてしまった。

目の充血はひけてなかったけど、さすがに1日寝ている気にもなれないので、甘粛省博物館へ行ってみることにした。
これまでの経験からどうせろくなもんじゃあるまいと覚悟していたけど、やはりろくなもんじゃなかった。
建物は立派であるものの、現在ではホコリだらけの倉庫のようなていたらくになってしまっていた。
ずかずかと建物に入っていったら、ロビーに机をならべて受け付けみたいな若者が数人いて、正面に香港返還までの足どり展みたいな看板が出ている。
そんなものに興味はない。
横のほうでは革命戦士のなんとかかんとか展。
これも見たくない。
机の前の若者に尋ねると、2階を指すからいわれるままに上がってみたら、1室で清の故宮展とか、あまり甘粛省と関係ない催し物をしていた。

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腹を立てて外に出ると、博物館の近くに人のごったがえす市場があった。
博物館よりよっぽどおもしろいやってわけで、人込みの中へ入っていくと、サングラスを売っている露店があった。
充血した目を気にしていたところだから、これ幸いとひとつ買っていくことにした。
レーバンを模したサングラスが、なんと25元=350円だという。
どうせ安物に決まっているけど、これだけ安いと、たとえ2日3日で壊れても惜しくない。
いったいいつまでもつか、試してみてやれと買ってしまった。
よく見たらレーバンがRoyBarになっていた。

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つぎに蘭州一の観光地である白塔山公園へ向かう。
白塔山は蘭州市内の黄河北岸にそびえる山で、そんな高い山ではないけど、それでも標高が1700メートルあるという。
ここに載せた写真は蘭州にいる知り合いに頼んで、最近のものを送ってもらったもので、当時とようすは変わってない。
手前の橋が中山橋だ。

白塔山は黄河にかかる中山橋のたもとから登り始めるので、そこまでとタクシーに指示。
タクシーは軽が基本料金6元=85円くらいで、シャレードが9元=125円くらい。
市内のたいていのところは200円もあれば行ってしまうので、つい気軽に利用してしまうのはどこでもいっしょ。

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中山橋のたもとには観光客がたくさんいて、独特の帽子をかぶった回族が多かった。
このあたりは観光名所になっていて、地面につまらない景品をならべた輪投げ屋や射的屋、ビリヤード、土産もの屋などが多く、観光客が写真を撮ったり、遊戯施設で遊んだりしていて、ひと昔まえの日本の温泉地と変わらない景色だった。

徒歩で橋を渡って白塔山の登り口に向かう。
白塔山公園の山頂まで、とちゅうにある寺や展望台で休憩をしながら登っても1時間はかからない。
公園の入場料は、外国人は10元と書いてあったけど、だまって1張といったら5元ですんだ。

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山道を登っていく途中に「花瓶姑娘」という看板を出した見せ物小屋があった。
花瓶と若い娘をモチーフにした彫刻でも展示してあるのかなと、深く考えずに中へ入ってみた。
見せ物小屋の中は10人も入ったらおしあいへしあいする程度の広さだ。
先に入っている人の肩ごしにのぞいてみて、あらら!
小屋の奥に仏壇のような小房があり、まん中にクビの細い花瓶が置かれている。
その花瓶の上にニッコリほほ笑んだ美しい小姐の顔が乗っていた。
乗っているだけではなく、この顔は「みなさん、コンニチワ」と挨拶をする。
作り物ではなく、どう見ても本物の人間の顔である。
中国人はかって、子供を小さいうちから箱に閉じ込めて成長させ、奇形化した子供を残酷で非人間的な見せ物にしたという。
しかしいくらなんでも、人間の腕さえ入らない細い花瓶の中に美女の体を押し込めるものか。
よくマジックで、箱に入った美女を箱ごと裁断して、それでも箱からつき出た美女の顔はニッコリほほ笑んでいるというのがあるけど、これもどうもその手のトリックらしい。

わたしはマジックのタネをあばこうとじっと目をこらした。
最初は水平に寝た女性が、顔を花瓶の上に突き出し、肩から下をどうにかして隠したのかと思った。
しかし壁までの奥ゆきは30センチくらいある。
ろくろ首でもないかぎり、向こうからこちらへ首を突き出して肩を隠せるものではないし、だいいちそんな体勢でいつまで寝ていられるものか。
花瓶の周囲に鏡を置いて、目を錯覚させるということも聞いたことがある。
しかし鏡があるようでもない。
けっきょくわたしは首をかしげたまま小屋をあとにした。
ほかの客もみんな首をかしげていた。

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白塔山公園も山頂あたりでは眺めはなかなかのものだ。
眼下には茶色く濁った黄河が流れ、渡ってきたばかりの中山橋が見え、その向こうに蘭州市街が一望である。
ネットで蘭州を検索すると、ここから撮った写真がたくさんヒットするから、まず蘭州いちの展望台であることは間違いない。
寺院もあるけど、そんなものに興味はないので無視。

山頂ふきんにはいかにも観光地にありがちな安っぽい食堂や、ヨシズ張りの休憩所などがあった。
そんな場所でバーベキューをやっているグループもいた。
新鮮な魚肉類を屋外で焼いて食べるのは美味しいもののはずだけど、彼らが焼いていたのはどうも干した川魚らしく、親指くらいのフナの煮干しでパーティなんてどうもダサいものばかりである。

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腹がへったので売店でチマキを2コばかり買ってみた。
小さな女の子が5元ですというから、高いよ、おいといって、頭をこつんとこづくと、えへへと笑った。
チマキを食っているとどこかでイヌの吠える声がする。
売店の近くに1匹のシェパードが飼われていた。
売店でパンを買ってシェパードに食わせてみると、食べることは食べたけど、あまり嬉しそうでもなかった。
イヌに餌を買ってやるくらいなら、とちゅうで見かけた乞食にめぐむべきだったかもしれない。

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下山は黄河をまたぐロープウエイに乗ることにして、これが8元。
やはり知り合いから送られてきた写真で見ると、最近ではゴンドラも97年当時に比べれるとカラフルになり、近くにジップラインと呼ばれる、人間が直接ロープにぶら下がって黄河を横目に見ながら山を下る遊戯施設もできていた。

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ロープウエイのゴンドラは3つづつかたまってやってきて、わたしの前のゴンドラに小さな女の子が乗った。
わたしの乗ったゴンドラが白塔山の山肌をかすめるとき、ネコぐらいの大きさのネズミのような動物が草をはんでいるのが見えた。
数メートル離れたところから見ている人間なんぞまったく気にするようすがない。
わたしは窓から顔を出して、前のゴンドラの女の子に、おーい、あそこになにかいるよと教えてやる。
あとでわかるけど、この小動物は蘭州ではめずらしいものではなかった。
べつの場所ではゴミ捨て場で、盛大に残飯をあさっているのを見たから、習性はネズミに似ており、リスほどふさふさしているわけではないけど、短い尻尾に毛が生えていたから、最近YouTubeで人気者のマーモットの仲間だろう。

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金門島

今日のネットニュースに、NHKはケシカランみたいな見出しが目についた。
おお、わたし以外にも日本の公共放送がケシカランと思っているメディアがあるのかと、嬉しくなって読んでみた。
夕刊フジ(日本の右翼だ)の記事で、中国が金門島で現状変更を試みているのがケシカランくて、これを報じているのが産経(フジと同系列のマスコミだ)と夕刊フジだけで、NHKはぜんぜん報じてない、だからケシカランという。
こういうときは自分とこは外さないと、いかにも自分のところだけがエラぶっていると思われて逆効果なんだけどね。
いまどきの若い記者にそんな気配りは無理か。

それはともかく、金門島がどこにあるか地図を見た人はいるか。
アモイ市の真ん前の、ほとんど中国大陸の湾内といっていいところにある。
なんでこんな大陸中国の近くに、台湾の領土があるか知ってる人はいるか(知らなきゃウィキペディアでも読め)。
そんな近くにあるくせに、なんで中国は実力で奪い取ってしまわないのか。
現在の軍事力の差、また対象が小さな島だけに、中国からすればロシアのウクライナ侵攻よりわけはないだろう。

教えてやろう。
ミサイルや航空機、軍艦さえある時代、こんなあってもなくてもいい島を、犠牲を出してまで占領したってしかたがないと考えているんだよ。
大陸が豊かになれば、ここも自然に熟して落ちる、中国はそう考えていて、じっさいに軍隊を派遣したことはいちどもない。
少なくとも蒋介石が死んでからはいちどもない。
現在の金門島はありし日をしのぶ要塞島として、中台両岸から観光客が押し寄せ、住人にとっていい観光名所になっているそうだ。

中国の戦略はいつもこうだ。
慌てることはない、香港を返してもらうのに100年近く待った、時間はまだいくらでもある、戦争なんかするより国をもっともっと豊かにしよう。
ところが日本には時間がない。
やるならアメリカに力があるうちの今しかない。
そういうおもわくで若者を戦争に引っ張り出そうとしているのが夕刊フジだ。
いいかげんにしないか、このアホが。

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新シーズン

4月になってNHKもそこいら中で新シーズンの開始。
ニュース9のキャスターたちも全員が新しいメンバーになった。
まともそうで偏向ばかりの田中正良アナも配置替えでいなくなり、個人的にはよかった、ほっとしたというところだけど、新しいキャスターは若手だね。
こんなワカゾウにいまの(これからの)国際情勢が乗り切れるかとちと不安。

ところで国際報道の別府正一郎サンはそのままだ。
彼は相手の立場をまったく理解しない確信犯だから、困ったもんだと思うけど、あちらが勝手に決めたことだから口は出さん。
しかし正一郎サンを見ていて前任の小林雄クンを思い出した。
彼が唐突に南アフリカに飛ばされたのは、となりに座っている高橋彩ちゃんのお尻に手を出したんだろうと、このブログで揶揄したことがあるけど、わたしは早まっていたのかも知れない。

彼はNHKにはめずらしい気骨のある男で、酒の席かなんかで、ロシアの立場も考えないとまずいんではないですかと、つい上司に直言してしまったのではないか。
上司というのはもちろん、お上のいうことには逆らえないサラリーマン局員で、部下に生意気いわれると、いわれたことは事実なんだから、よけい腹を立てて、陰湿ないじめをすると、こういうタイプはインテリに多いものだ。
国際報道のキャスターに抜擢されるほど将来有望だった雄クンが、日本から見たら地の果てといっていい支局に飛ばされた理由が謎だったけど、こう考えれば符牒はぴたりと合う。
NHK信者の大多数のボケナスは信用しないだろうけど、こういうことかも知れないなと、つねにいろいろ可能性を考えてみることは必要だ。

なげくな、雄クン。ウクライナ戦争はそのうち終わる。
日本は落ち目になり、台湾有事も見通しが立たなくなり、陰湿な上司はみんな退職金をもらっていなくなる。
キミの出番はかならず来る。
そこまで生きていられるかどうかわからないわたしだから、言いたいことをみんないってしまう。

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2024年4月 1日 (月)

本日のデタラメ

モスクワで各国の大使が集まって、乱射事件の犠牲者の追悼をしたそうだ。
みんなロシアに同情してんだねえと思う人は、まさかいないよね。
ウクライナに疑惑が向かないように、アメリカが必死になって世界の目をそむけさせているだけじゃないか。
だいたいいまの時期にアメリカがそんなにロシアに同情するか。
外交は対等が原則だ。
米国の同時多発テロのときだって、べつに各国大使が集まった追悼式なんかしてないぞ。

同情しているような顔をして、プーチンに警告したといい、警告を重要視しなかったプーチンがわるいとプロパガンダに利用する。
いまのIS(イスラム国)には襲撃成功を誇るだけの実体もないのに、なにがなんでもISに責任を押しつけ、アメリカは関係ないって顔。
かりに嘘がバレたら、今度はぜんぶウクライナにおっかぶせて知らん顔するだろう。
やることなすこと、子供をだます田舎芝居がアメリカだ。
おまえも人の善意を信じられないやつだなという人がいるかも知れないけど、ああ、そうか、善意があるならパレスチナの虐殺でも止めたらどうだ。

最近のわたしは、NHKが報じているんだからデタラメだろうと決めつけることにしている。
普段から公平な報道をしていればそうはならんかったのにね。

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