中国の旅/駱駝
洗濯物をかかえたまま、金葉賓館へもどる前にどこかで食事をしていこうと考えた。
考えてみるとこの日は朝食を食っただけで、あとは自転車で田舎をまわっているときのジュースと、国際大酒店のビールぐらいしか飲んでない。
部屋にはアンズやトマトが買い置きしてあるけど、そんなもので腹がふくれるわけもない。
たまたまそのへんに、娘が机につっぷして寝ている食堂があったから、そこへ飛び込んだ。
気持ちよく寝ていた娘はうらめしそうだったけど、ここで辛い牛肉の炒めもの、なんとかウドン、トマト、それにまたビールを頼んだ。
冷たいのはないかというと、まかせておけといって、彼女はビール瓶を冷蔵庫に入れた。
これじゃいつになるやら。
満腹になったあと、金葉賓館にもどって、こちらのラウンジではジュースを1本飲んでみた。
10元取られた。
敦煌賓館ではコーラが8元で高いと思ったのに、このホテルではさらに高い。
日本人はいたるところでむしられるのである。
部屋にもどって買ってあった果物をもぐもぐやっているうち、そろそろ夕方で涼しくなったからいいんじゃないかと、また月牙泉まで行ってみることにした。
ホテルから月牙泉までせいぜい4キロぐらいだけど、自転車は返してしまったから、今度はタクシーである。
おい、1時間だ、30元だぞというと運転手は喜んで車を走らせた。
30元といったのは向こうで待ってもらうつもりだったんだけど・・・・
月牙泉の土産もの店で、敦煌までのバスでいっしょだった白人・東洋娘のカップルが、屋台で仲良くジュースを飲んでいるのに出会った。
相手の国籍は知らないくせに、昭和生まれは白人を見るとアメリカ人と決めつけてしまう傾向があるので、おい、アメリカン、元気かと声をかける。
月牙泉の“月牙”というのは中国では「三日月」という意味だそうだ。
おぼろ月、立待月、有明月、眉月、寝待月など、日本語は月ひとつでも優美な表現が多いけど、あちらは日本語にくらべるとどうも優雅さに欠けるようである。
現実の月牙泉は、砂漠のなかの小さな泉であり、いろいろ事情があって枯渇する恐れがあるので、現在あるものは人工的に手が加えられているものだそうだ。
日本でも観光名所が、じつは人間の手でかろうじて保護保存されているものはあるから、いちがいなことはいえない。
砂漠といえばラクダであって、月牙泉のまわりには観光用のラクダがたくさんいる。
ラクダにはこぶがふたつあるものと、ひとつしかないものがいることはたいていの人が知っているだろうけど、月牙泉にいたのはふたつのほうで、またがって乗るには便利である。
しかしラクダが古代の中国にいただろうか。
秦の始皇帝のころから、夏、殷の時代までさかのぼっても、当時の墓からラクダの骨が出たというのを読んだことがないような気がする。
古墳から出るのは圧倒的にウマが多く、ウマと人間の関わりなら古い文献にいくらでも記述があるし、なにより甘粛省のシンボルになっているのは、ツバメを踏んづけるウマなのだ。
ラクダがむかしから中国にいたのかというのはわたしの認識不足で、絹を運ぶために砂漠を横断した隊商には、運送の足としてラクダ以外は考えられないから、やはりラクダはそうとうむかしから中国にもいただろう。
江戸時代の日本にも見世物としてラクダがやってきたことがあるらしい。
ただしでっかいだけで役に立たないということで、「らくだ」という落語でも、そういう人間の象徴にされているから気のドクだ。
塩原多助の有名なアオとの別れの場面も、ラクダとの別れじゃ江戸の人情話になりにくいものね。
ラクダについてはウィキペディアの記述が長いので、リンクを張っておいたから興味のある人はそれを読んでほしい。
せっかく来たのだからわたしもラクダに乗ってみたかった。
ラクダは1時間50元で、時間があれば砂丘を越えて、小さな湖のほとりまで行くというんだけど、この日はもうラクダも仕事納めの時間が近かった。
日が落ちてしまえばどうせなにも見えなくなってしまうのだから、30分でいいといったら、それでもやはり50元取られた。
そのかわりあきらかに時間をオーバーしたのに、それ以上払えとはいわれなかった。
月牙泉は敦煌の代表的観光地で、世界中から観光客がやってくるから、市の監督も行き届いており、決まり通りの料金さえ払えば、ぼったくりをするような無法な業者はいないのかもしれない。
わたしは1頭のラクダにまたがった。
馬子にあたるラクダ使いがもう1頭に乗って、2頭はヒモでつながったまま進行するんだけど、「月の砂漠」の歌詞みたいというには、そうとうに無理な状況である。
背中にまたがってま近にラクダを見ると、ますますもって異様な動物だなと思えてしまう。
その歩みはこれぞ登山の見本というべきで、座布団みたな足の裏で、ぺったんぺったんと確実に大地を踏みしめていく。
わたしは映画「アラビアのロレンス」を思い出した。
あの映画では前半の山場として、ロレンスの率いるアラブ人たちが、海に面したアカバの町を急襲する場面があるけど、不思議なのは、困難な砂漠を横断するロレンスと、途中で合流するアンソニー・クインの族長の部隊も、当初はラクダを使っていたのに、じっさいにアカバを急襲するときはウマになってしまうことだ。
突撃隊のなかにラクダもいることはいるけど、主体はあくまでウマである。
いったいウマはどこから連れてきたのか。
ラクダはもっそりした動物で、ラクダの急襲ではサマにならないから、監督のデヴィド・リーンが作為をしたんじゃないか。
ラクダだって全力を出せばけっこう早いけど、見た目が鈍重そうだから、映画ではむかしから騎兵による戦争はウマに決まっている。
馬子は誠実そうな男性で、簡単な日本語がわかるようだった。
ラクダのことを中国語で何というのかと尋ねると、ルオトゥーですと答えた。
ルオトゥーに乗るのは遠目に見るほど優雅なものではないけど、あぶみを踏んばって砂丘の上に登るのは、アラビアのロレンスになったようで楽しかった。
時間が22時近くだったので、涼しかったのもよかった。
ただし黙っているとラクダはどこまでも行く。
あとでまた時間超過分を取られるのではないかと心配になって、砂丘をふたつ越えたあたりで、こちらからもう帰ろうと声をかけた。
引き返す途中、ロバの引く荷車と交差しそうになったら、大きなラクダのほうが小さなロバを怖がるようすだったのがおもしろかった。
駐車場に行っみたら、待っているはずのタクシーがいない。
もう暗くなっている中、あちこち探していたらようやく迎えに来た。
わたしが1時間待っていてくれなんていったので、そのあいだにひと稼ぎなんてまた町へもどっていたらしい。
どおりで30元といったら嬉しがったはずだ。
町へもどって、あちこち散策していると、わたしのかたわらを女性運転手のタクシーがもたもたしたスピードで通過した。
明日は莫高窟まで行くつもりだし、どうせタクシーを使うなら女性ドライバーのほうが安心のような気がする。
いくらかスケベ心もなくはなかったけど、先で停車したところをあとから追いついて、明日莫高窟まで行きたいけどいくらかと訊いてみた。
朝の8時半から午後の3時までで100元だという。
それなら高くない。
本当は朝の9時からにしてほしかったんだけど、彼女は何としても8時半がいいという。
遅くしてくれというならわかるけど、早くしてくれってのはなんじゃこれは。
だいいちそんな朝から行って莫高窟は営業しているのかい。
金葉賓館にもどり、シャワーをあびようとしたら今度はお湯が出なかった。
フロントにいうと30分後に出るようにしますという。
これじゃ客は来ない。
客が来ないからこうなるのか。
まあ、明日は国際大酒店へ引っ越しするんだからいいやと、あきらめて寝ることにした。
ふつうは夜になると甘ったるい声の電話がかかってくるもので、この晩のわたしは不景気なホテルにひとりきりで無聊を感じていたから、ヒマつぶしに応じたかも知れないのに、こういう晩にかぎってそんな電話はなかった。
かくして金葉賓館のろくでもないホテルであるという評価は、ダメ押しの上書きをされた。
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