シャイアンの秋
映画「シャイアン」は1964年に公開された米国映画だ。
ほかの必要があって、昨夜はちょいとこの映画を観てみたんだけど、考えてみると、もうこの映画の内容を知っている人も、だいぶあの世に行っただろう。
公開されてからまだ60年だけど、5つや6つの子どもが見る映画とは思えないから、わたしと同年齢の人間が観た映画と思えば、という意味である。
これは合衆国によって指定された居留地に押しこめられたシャイアン族が、悲惨な境遇に耐えかねて、集団で居留地を脱走し、生まれ故郷に帰るために米国に戦いをいどむ物語である。
それまでインディアンを極悪種族のように描いていたジョン・フォードが、時代が変わり、マイノリティに同情的な意見が増えると、一転してインディアンに同情する映画を作った。
そういう記念碑的な映画でもある。
それにしてもアメリカの欺瞞は変わってないなと思う。
この映画にもほんの少数だけど、インディアンの境遇に同情する人たちが登場する。
しかし彼らの意見が大勢になることは決してない。
米国の本音は、もともとそこにいた人々は、国家建設の邪魔になるから消えてほしいということだったのだ。
これは現在のイスラエルの事情とまったく同じじゃないか。
米国ではリベラル派の大学生たちがデモをしている。
彼らは前回の大統領選挙で、バイデンさんの公約を信じて彼に投票し、そして裏切られた若者たちだ。
つぎの選挙では彼らはバイデンさんに投票しないから、これではバイデンさんの目はないなと思ったら、対立候補はトランプさんだ。
ああ、アメリカのリベラルよ、どこへ行くってなもん。
アメリカがシャイアンのことを本当に反省しているなら、パレスチナに平和維持軍を派遣すべきだな。
ラファの市民を虐殺したいなら、まずオレたちの屍を越えていけとなぜいえない。
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