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2024年5月 6日 (月)

中国の旅/ふたたび砂漠へ

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敦煌を昼間出る列車が少ないせいか、列車はけっこう混雑していた。
個室に入ろうとしたら、車掌がなにかいう。
よくわからないけど、なにかの都合で部屋が変わったらしい。
べつにうら若き女性といっしょになることを期待していたわけでもないから、文句もいわずに従った。

列車は定刻の17時19分に発車した。
1時間もすると天気はいくらかよくなってきた。
敦煌を出ると左側はタクラマカン砂漠で、スウェーデンの探検家スウェン・ヘディンが探検した幻の都楼蘭も、この砂の海のどこかにあるはずだ。
車内は最初ちょっと暑かったけど、大陸性気候の国だから、夜になればかえって寒くなるかも知れない。

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列車は砂漠をひた走る。
わたしはまた陶然となって窓の外の景色を眺める。
干上がって水の流れてない川がいくつもあり、ときどき塩の結晶がうきあがった湖の底らしいものも見える。
砂漠の湖というのはみじかい周期で現れたり、消えたりするようだ。
かなり大きな湖でも、アシやヨシが茂って湖らしい体裁を整えるまえに、乾燥して塩の結晶を残すだけというものがいくつもある。
ヘディンの「さまよえる湖」にはおびただしい河川や湖沼が出てきて、さながら川下り探検記みたいだけど、そのくらいこのあたりには川や湖が多いのである。
ただし昨日あった湖が、明日もそこにあるという保証はないから、いちいち地図にも載ってない。

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わたしは砂漠をながめながらぼんやり考えていた。
ヒマなときいちばん金のかからない時間つぶしは妄想にふけることで、これは金も道具もいらないけど、小説家や漫画家になりそこねた人間でないとむずかしいかも。
個室にはとっつきにくそうな中国人しかいないので、わたしは通路の折りたたみ椅子に腰かけて、映画、あるいはマンガの原作を考えてみた。
西安から蘭州、敦煌をへてトルファンへいたるシルクロードは、古来より人間の往来の激しかった土地であり、ラクダの商人だけではなく、さまざまな民族が互いの土地を侵略しあって興亡をくりかえしたところだ。
歴史を千年もさかのぼってみれば、この人間の足跡のまったくなさそうに見える砂漠のほうが、同じころの日本の関東平野よりよほど人の往来は多かったかもしれない。

わたしの目には、茶色の土のうえをとぼとぼと歩く兵士たちの姿が見える。
彼らはもう何カ月も風呂に入ってない。
彼らの食物は馬の背にしょわせたわずかな乾燥食料だけであって、彼らの楽しみはどこか小さな町を略奪することしかない。
町を攻略できさえすれば、しばしのあいだだけでもたらふく食べられ、女を抱くことができるかもしれない。
かくして兵士たちにとって戦争は生活そのものになる。
兵士たちには耕す農地もないし、売るべき品物もないのだ。
帝国の派遣した正規軍はともかくとして、なかにははみ出し者ばかりのこんな軍隊もいたかもしれない。
これがマンガの原作なら、タイトルは「飢餓陣営」と、いつしか宮沢賢治の世界をさまよったりして。

妄想にも飽きて個室にもどってみた。
わたしみたいに軟臥車(1等寝台)を占領しているのは軍人や金持ちの中国人、そしてあろうことか車掌たちまでいて、外国人はわたしひとりしかいないようだった。
どうにも気まずいので、硬臥車(2等寝台)の見物に行ってみることにした。
こちらは見ず知らずでもすぐ会話できるような自由な雰囲気にあふれていて、車両を間違えたような気がした。
荷物の心配さえなければいつだってこっちにするのだが。
欧米人のバックパッカーはほとんどこの車両で、香港の若者たちもどこかにいるはずだった。

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硬臥車通路でイップクしていたら例の5人連れ、莫高窟で知り合ったグループのひとりが通りかかった。
彼らは7号車にいるというので、あとからくっついて遊びに行ってみた。
座席で話をしているうちにしだいに盛り上がってきて、食堂車でご飯を食べようということになり、みんなでビールを飲みながらわいわいやる。
わたしはビールだけでも奢るといったのだけど、彼らは中国ではあなたがお客だといって承知しなかった。
いい機会だからわたしは、敦煌賓館で切符のおつりとして寄越された鉄道クーポンのようなものを、食堂車で紙幣替わりに使えないものかと訊いてみた。
ひとりだけいた女性もいっしょになって車掌に訊いてくれた。
しかしやはりダメなようで、彼女は使えないよといって、わたしの目の前でそれを破るしぐさをした。
けっきょくわたしのウルムチ行き切符の料金は272元ということになったけど、考えてみればこのくらいが妥当な運賃だったかも知れない。

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ひとりだけいた女性は王さんといって、敦煌でカラオケ店を経営しているそうである(今回はタイトスカートではなく、ジーンズだった)。
彼女は亭主といっしょで、いちばん亭主らしくないうっすらヒゲの若者が旦那だった。
この夫婦が敦煌の人で、莫高窟であったときは4人連れだったのが、ひとり増えて、太った猪八戒のような男性、せいの高いウイグル人、新たに加わった若い人の3人は新彊の人だそうだ。
おごられてばかりでは申し訳ないので、あとで記念にと日本のコイン(百円玉)をひとつづつ差し上げた。

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タレントの関口知宏くんがNHKの番組で中国の鉄道めぐりをしていたことがある。
行く先々で彼があんまり若い娘にモテるものだから、やらせだろう、日本人があんなに中国で人気があるわけがないという投書があったそうである。
この投書氏は南京虐殺のことが頭にあったのかも知れないけど、経験者のわたしにいわせれば、あれはまぎれもない事実だ。
もっともわたしはそんな恵まれた環境を、十二分に活用できるほどさばけた人間じゃないから、騒がれただけでいい思いをしたことはあまりなかったけどね。
それにめずらしい外国人がさわれる距離に来れば、どんな国でもいじりまわされるだろうから、中国にかぎったことじゃないだろうし。

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夜の9時半になってもまだ明るい。
夕日が見えるかなとカメラを構えていたけど、ちょうど日没時に雲が出てきて太陽は覆い隠されてしまった。
右手に山が迫ってきたなと思ったら、停車したのがハミ。
ハミウリで知られた土地である。
暑くて部屋にいられないので通路で休憩している人が大勢いる。
わたしも通路で休んでいたらまた王さんがやってきた。
日本のコインを上げたのでそのお礼にと、小さなキーホルダーになった辞書を記念にくれるという。
ありがたくいただくことにした。
彼女はしばらくわたしのとなりにすわって話をしていった。
美人じゃないけど、ふだん女性に縁のないわたしにはほんわりした気分。

ハミで停車中にだいぶ暗くなってきて、あとはもう寝るだけ、明日は朝の7時にはもうウルムチである。
上段ベッドでうとうとしていたら、どんどんとベッドを叩かれて目をさました。
暴走族の若者みたいな顔をした車掌が、どこへ寝ているんだ、お前のベッドは下段だという。
ハニをすぎたところでまたひとりこの部屋に入ってきた客がいて、そいつが上段なんだそうだ。
気のきかんやつである。
わたしはこれまでの経験から、乗客のベッドなんてあってなきがごとしであることを知っている。
だいたいこの日にわたしが寝ていた個室でさえ、切符に指定された番号とは違うんだし、先の乗客が上に寝ているなら、あとから来た客を下に寝かせればいいだけのハナシだ。
それとも値段が違うのか、中国では列車のベッドは上段のほうが高いのか。

新入りは目玉のぎょろりとした中国人で、入ってきたとたんに下段ベッドに腰をおろして先客のひとりとべらべらおしゃべりを始めた。
腹が立ったから、ねえ、キミ、わたしはもう寝たいんだがねといって、下段ベッドの上に大の字になってやった。

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朝5時半ごろ起きた。
空はようやくかすかに白んできた状態。
左手に湖のようなものが見え、右手には大きな山の影。
6時ごろには右側にたくさんの風力発電用の風車がまわっているのが見えた。
砂漠の中に直立しているそれはなんとなくシュールで、ドンキホーテなら槍を持って突っかかっていたかもしれない。
左側の湖は何度かあらわれたから、大きな川だったのかも。

ウルムチの直前で左側の小高い丘に、茶色の民家がびっしり並んでいるのを見る。
蘭州で見たのと同じ、カスバを連想させる貧しい風景である。
遠くの山肌も茶色、なにもかも茶色の風景の中でぼんやり列車を見送る人がいる。

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