中国の旅/ウルムチの市場
目をさましたのが朝の6時ごろ。
ウルムチの市内のようすはほぼ把握したし、天池だとか南山牧場だとか、郊外にも見どころはあるようだけど、かなり遠方になるので個人で行くと高くつく。
観光バスが出ているかも知れないけど、そのために早起きしなくちゃいけないのはイヤだし、それがどこから出発するのかも調べてない。
そこで旅も半分を消化したくらいだから、今日は休養日課と勝手に決めてまた寝てしまった。
やっと起きてシャワーをあびたのが9時半で、空気が乾燥しているせいで唇がかさかさだ。
部屋から1歩も出ずに、洗面所で水につけて冷やしてあったトマトと播桃に、敦煌のがめついおばさんから買った塩をつけて食う。
小皿がないからそのへんにあった灰皿を使用した(わたしはタバコを吸わないから灰皿は汚れてないのである)。
食事が終わったあと、ただちに荷物をまとめてチェックアウトし、タクシーをつかまえて、前日に口約束をしておいた華僑飯店に引っ越した。
華僑飯店のフロントには、背は小さいものの、とりつくシマのない感じの美女がいて、あらためて安い部屋はないかと訊くと、別館なら100元ですという。
いちおう見せてもらったら、壁紙がはがれかかっている1階のうす暗い部屋だった。
なんだってかまわないわたしには十分な部屋だけど、本館のほうは300元だというので、そのくらいなら許容範囲であると、そっちにすることにした。
100元と300元の差は大きい。
こちらはダブルベッドで、わたしひとりにはもったいないくらい優雅な部屋である。
建物は中心にエレベーターを置いた6角形なのか、廊下のすみが鏡張りになっており、その鏡にさらに先の鏡が映るから、見えない位置にいる服務員の姿まで見える。
泥棒や押し売りを見張るには都合のよいホテルだ。
エレベーター付近にはネズミが出るらしく、フロアのすみに毒餌というものが置いてあった。
このホテルに移った理由は列車の切符を手配してもらえるということだったので、さっそくフロントでトルファン行きの切符を手配できますかと訊いてみた。
今日は日曜日だからできませんといわれてしまった。
駅で予約できますという。
そんなことは当たり前だ。
ふてくされて駅へ行く。
駅の切符売場では、わたしの前には軍人のひと組しか並んでなかったので、切符は拍子抜けするくらいかんたんに買えた。
第1希望の朝の便が売り切れで、わたしが買ったのは13時26分の便。
トルファンまで2時間くらいだから、昼の長いこの国では悪くない時間だ。
このていどに軟臥(1等寝台)を使うことはないだろうと考え、硬臥(2等寝台)にして、値段は53元だった。
ことあとは、新彊暇日大酒店のまえにあるDP屋に、前日に出してあった写真を受け取りに行く。
タクシーで店に乗りつけると、店では女の子が写真を2枚出してきてなんとかかんとか。
それはわたしが写したものに間違いなかったから、ええ、わたしのですというと、またなんとかかんとか。
ようするにまだ出来上がってないから、午後4時にもういちど来てくれということを理解するのに少々時間がかかった。
預かり証には12時半に仕上がりと書いてあるのに。
仕方がないのでどこかで時間つぶしをかねて冷たいビールでも飲むことにした。
烤羊肉は塩とコショウ味なので、日本人の感覚ではどうしてもビールが飲みたくなる。
しかし烤羊肉を売っているのはウイグル人である場合が多く、このときのわたしはまだ気がつかなかったけど、彼らは禁酒協会の会員であるイスラム教徒なのである。
案の定、ビールは置いてないという近くの露店で烤羊肉だけを5本食べた。
これだけで腹がいっぱいになってしまったので、ビールを飲むのはやめてちょうどよかった。
烤羊肉といっしょに平べったいナンが出てきた。
そんなものは頼んでないといおうとしたけれど、あまり清潔でないテーブルの上にじかに置くところをみると、どうやら食べるものではなくお皿の代用品だったらしい。
同じテーブルにきれいな民族服の女性が座ってウドンのようなものを食べていた。
写真を撮っていいですかと訊いたところ、となりでナンと烤羊肉を豪快にかじっていたたくましい彼氏にダメといわれてしまった。
この民族服の女性は、よく見ると鼻下にうっすらとヒゲが生えていた。
ヒゲの生えている女性は市内のあちこちで目にする。
まだ時間はある。
うまいぐあいに新彊暇日大酒店の近くで、日本にもよくある、ケーキ屋をかねた洋式の喫茶店を発見した。
中国で飲みものだけという喫茶店はめずらしい時代である。
客は若者ばかりだったけど、かまわず入ってみると、ミニスカートをはいた、足の長いかわいい娘が働いていた。
保守的なウイグル娘が足をさらけ出すとは考えにくいので漢族の娘らしい。
彼女なんかは日本の青山あたりの店においてもなんら遜色がないなと、いやらしく観察しつつ、コカコーラでしばらく時間をつぶす。
壁にかかっている時計や額がみんな少しづつ傾いているのが気になった。
ようやく午後の4時近くなったので、写真を受け取りにいく。
現像代は26元。
このころの日本はDP屋もすれていて、ひどい出来上がりになる店が多かったけど、中国ではまだ写真の現像は新興ビジネスなのか、仕上がりは悪くなかった(この写真はこの日のうちにフルーツレストランのウイグル人家族に届けた)。
写真を受け取ったあと、また街をぶらぶら。
前日と異なる道路を歩いてみたけど、やはりバザールは見つからず、歩いているうち、前日に見た市場に出てしまった。
200メートルほどのアーケードのある路地に、さまざまな食料雑貨を商う店がならんでいるところは、中国のあちこちで見た市場と同じである。
どうどうと逆さ吊りにされた四つ足の肉のかたまり、ニワトリ、アヒル、ウナギ、スッポン、カエル、カニ、貝類(カタツムリも)、イカ、ナマコなど。
無造作にヘビをつかんで袋に入れる店員や、喜々としてその袋を下げて行く買物客などを見た。
しかしわたしの想像していたバザールではなかった。
市場をずずっと通過してロータリーのある交差点にさしかかったら、前日に靴をみがいた場所で、靴みがきたちがわたしを見つけておーいという。
受け取ったばかりの写真の中に彼らの写真が1枚あったのを思い出し、いちばん大きく写っていた男性に上げてしまった。
この男がわたしの古い友人に似ていたことはもう書いた。
ウルムチではいまが収穫期なのか、ウリやアンズを売っている店が多かった。
市内のいたるところで、リヤカーに山積みにした黄色い実が売られている。
わたしはもちろんアンズも好きだけど、いかんせん量が多すぎるし、敦煌では食いすぎて夜中に腹痛になりかけたくらいだから、眺めるだけにしておいた。
いったい新疆の中国人はアンズをどうやって食べるのだろう。
売られている量が多いということは、なんらかの加工をして保存食にしないと食べきれないだろうから、梅酒のようにと考えて、そうかウイグルは禁酒協会の会員だったなと思い当たった。
となると乾燥果物にするのだろうか。
このあとトルファンに行って、干し葡萄がたくさん売られているのを見て、そう思った。
わたしはウルムチへ行くまで、ウイグルのことを砂漠の遊牧民族とばかり思っていたけど、それより農耕民族の日本人との共通点が多いようだ。
新しい換金作物を開発したり、商品を改良することをせず、ひたすら先祖代々の作物を作り続ける。
日本人も江戸時代あたりまではそんなものだっただろう。
西域の日没は遅い。
これはもちろん時差のせいだけど、午後5時になっても日本の正午すぎくらいの感覚なのである。
いいかげんくたびれてホテルへもどり、すぐ近所の店へビールを飲みに出かけてみた。
小さな食堂で、カフェでないからビールだけってわけにはいかず、やむを得ず酸湯餃子を注文した。
この店の酸湯餃子は白っぽいスープだった。
日本でいえば豚骨スープのラーメンというところか。
わたしに興味を持ったらしい漢族の若者が、テーブルに座っていろいろ話しかけてきた。
無錫の人だそうで、若く見えるのにもう35歳で10歳の女の子がいるという。
彼がなぜウルムチにいるのか聞きもらした。
20時ごろになっても日はまだかんかんとしている。
なんとかしてくれといいたくなってしまう。
今日は日曜日なので、なにか催し物でもあったのか、ホテルのフロントあたりにきれいな服の女性たちが集まって、ときおりその場でくるくるまわったりしていた。
若い子ではなく、おばさんばかりだから、町内会の盆踊りのサークルでもあったのかも知れない。
5階に上がると服務員がすぐにこの日の朝出しておいた洗濯物をもってきた。
細かいのが1元足りないから百元札を出したら、おつりがないからまけておきますという。
それじゃキノドクというわけで、たまたまポケットにあった日本の百円玉を上げてしまった。
どうでもいいけどいいかげんなものだ。
彼女はロシア人みたいな顔をしていて、今夜はわたしの部屋の外で寝ずの番である。
気になっていた右目の充血はだいぶひいてきたので、これならあと1週間もすれば跡形もなくなるだろう。
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