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2024年5月26日 (日)

中国の旅/夢のトルファン

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夢のトルファン・・・・このころのトルファンは旅行のガイドブックなどでそう呼ばれていた。 
いったいどんなところなのか。 
どうして“夢の”トルファンなのか。 
じつはこの1997年のシルクロードの旅における、わたしの究極の目的地はトルファンだったのである。 
蘭州や敦煌は、ノンストップで行くのも味気ないし、途中にある大きな街にも寄っていこうと考え、たまたま両者ともほぼ1日行程の場所にあったから選んだもので、かならずしも蘭州、敦煌である必要はなかった。 
しかしトルファンについては、シルクロードを象徴する場所という評判と、この「夢のトルファン」というフレーズがわたしをもうれつに惹きつけた。 
若いころ、やせっぽちのわたしが無謀にも海上自衛隊に飛び込んだのも、現実よりあこがれを優先させるというこの性格にあったからで、あとで訓練のきつさにたっぷり後悔したくらい。 

敦煌からトルファンを飛び越えて、先にウルムチまで行ってしまうことにした理由はもう書いた。 
ウルムチに到着したのは早朝で、トルファンを通過したのはまだ夜が明けてない時間だったから、わたしが昼間じっくりトルファンを眺めるのは、この列車が初めてということになる。 

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わたしの席は3段になっている2等寝台のいちばん下だった。 
駅員の配慮なのか、それとも偶然なのか、わたしのベッドのまわりには客がひとりもおらず、6個のベッドにはさまれた空間をわたしひとりが占領するという贅沢な旅になった。 
あとで考えると、ウルムチからトルファンはバスの便も多く、たかが2〜3時間ていどの旅に寝台列車を使う人間はいないから、らしかった。 
これならのんびりゆったりワープロを使いながら旅をしても、誰にも文句はいわれないわけだ。
旅のメモを見ると、わたしの興奮は極度に達していたらしく、記録はほとんど30分刻みになっている。 
これを見てわたしはひとつの実験をすることにした。

宮沢賢治の詩に「小岩井農場」という作品があって、これは詩人が歩きながら、移動しながら、目に見えるものを片っぱしから詩にしてみようと試みたものである。 
だいそれた真似ごとながら、わたしもやってみよう。 
そのためにハンディなワープロを持ってきたのだから。

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列車は13時30分にウルムチを発車した。 
走り出してすぐ左手にごつごつした山肌が迫り、線路ぎわに小さな黄色い花が咲いているのが見えた。右手には線路ぞいに草原と、その向こうに菜の花も見える。 
農夫も家畜もいないけど、このあたりではまだ人間の気配は濃厚だ。 
14時ごろ左手に、往路でも見た無数の風車がそびえて、大きな踊り子たちが勝手気ままに踊っているようだった。
まもなく両側の等距離に山塊が迫り、左側のそれは山頂に白い雪をかぶっている。 
車窓からすぐ近くを見ると、線路に平行して道路があり、ときどき汚いドライブインがあらわれた。
この光景は、わたしに「郵便配達は二度ベルを鳴らす」という小説を、いつも連想させてしまう。 

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14時15分ごろ、右遠方の山すそに氷河を思わせる広大な扇状地が広がっていて、その手前に緑色の水をたたえた大きな湖が見えた。 
山にはまったく草木は生えておらず、重なった峰の向こうにも白い雪の山頂がぽつんと顔を出している。
14時半ごろ、左側に古い土壁の残骸のようなものが点々と見えた。 
集落跡だとしたらかなり大きいけど、ひょっとすると役目を終えて解体を待つ、なにかの工事の飯場跡だったかも知れない。 
右側にはまた大きな湖があらわれ、湖畔に塩田のようなものが見える。
しかし漁りをする舟もなく、その周辺に民家はひとつもなく、少しはなれたところに大きな工場とアパート群がある。
左側はいよいよ荒涼とした風景で、あちこちに台形の丘があり、右側の街道すじに日干しになったヤナギが並んでいた。 
街道は線路の右になったり左になったりし、ときおり屋根に荷物を満載したバスが走っている。 
あの車もわたしたちと同じ目的地に向かうのかと思う間もなく、バスはたちまち後方に遠ざかる。
14時45分、小さな村、麦と菜の花、放牧された家畜たち、遠くに雪の残る山、夢のようなところだ。 
2等寝台の乗客たちは、本物の夢を見るべく、大半がごろりと昼寝をしていた。

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この村をすぎると大きな川を越え、まもなく天山山脈の一部と思える荒々しい岩山に突入した。 
列車は蛇行しながら無数のトンネルを抜け、人間生活を拒絶するような岩ばかりの世界へ。 
山は太古のむかしからそこにある。
1頭のカモシカ、1羽のタカさえ見えないこの岩山を、絹を積んだ隊商はどうやって越えたのだろう。
15時ごろ見通しがいくらか開けた。 
まだ周囲は複雑怪奇な岩山ばかりで、線路と直角に、水の干上がった河床のような侵食跡がいたるところにある。 
そうしたところでは時どきムラサキ色の可憐な花を見ることも。 
あれはいったいなんの花かと、目を皿にするわたしに容赦なく、列車はウルムチからノンストップで、山間部をトルファンへ、トルファンへと下ってゆく。 

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15時20分、列車は山を下っており、前方に広大な砂漠景色が広がった。
わたしのコンパクトカメラでは絶対にとらえられない、広漠とした砂の大洋である。 
この旅で敦煌へ向かうとき、わたしはずいぶんあちこちにオアシスがあると書いた。 
しかしここでトルファン盆地を一望に俯瞰すると、オアシスなどひとつも見えず、むかしの旅人の孤独感が絶望的なまでに伝わってくる。 
もしもこれからトルファンに行く予定の人がいたら、このウルムチからトルファンへ向かう場所での景色は見逃すべきではないといっておく。 
わたしがこの旅で見たいちばん印象に残る砂漠の景色だったのだ。 

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トルファンのひとつ手前の無停車駅あたりで、線路工事のため列車はぐっとスピードを落とした。 
しかしそこを過ぎるとまた快調に走って、わたしはほぼ定刻、とっとっと、メモに時刻の記載がないけど、おそらく16時ごろにトルファン駅に到着した。

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現在のトルファンには、高速鉄道が通じているし、わたしの知らない新しい駅が出来ているだろうと思い、調べてみた。
新しいトルファン駅は“北駅”という名称になっていて、トルファン空港から500メートルしか離れていないというから、ほとんど空港と同じ場所にあるらしい。
北駅は2014年に完成していたけど、わたしが行ったときにはまだなかった駅だし、これから行く予定もないので、具体的なことはなにもワカリマセン。

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聞いてはいたものの、トルファンの駅(旧駅)はとても小さかった。
トルファンの町そのものは駅から60キロも離れているという。
わたしはバスの発着場へ向かった。
駅のすぐ前にもバスの発着場があるけど、それは長距離専用だそうで、トルファン行きのバス発着場は、駅から徒歩で5分ぐらいの場所にあった。
タクシーに乗るほどの距離ではないから、わたしは汗をかきつつ、大きな荷物をさげて歩いた。
敦煌のもより駅の柳園も殺風景なところだったけど、トルファンの駅周辺も、駅舎以外に工場や倉庫のようなやくざな建物がいくつかあるくらいで、まあ、殺風景なところである。
とちゅうで前からきた2人連れに道を尋ねたら、そのうちのひとりは日本人だった。

バスに乗り込んで発車を待っていると、メガネをかけた丸坊主のバックパッカーが乗り込んできた。
なんとなく日本人という顔つきだったから声をかけると、やはりそうで、4月にベトナムから中国へ越境し、雲南をめぐって、この日はハニから6時間かけてやってきたという。
いわゆる大陸浪人ですねといってやる。

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駅から町への道は荒れていた。
去年の夏に大洪水があって、橋は流され、道路は決壊したのだという。
しかし見渡すかぎりの大砂漠なので、この砂漠を埋め尽くす水の量というのはどんなものなのか想像に苦しむ。
とちゅうに川があったけど、橋は流失してあとかたもなかった。
そのかわりいったん丸石のごろごろと積み重なる河川敷に下りて、浅瀬を渡るように仮設の橋が作られていた。
バスの運転手は舗装部分で追い越していった乗用車やジープを、ジャリ道の部分で追い越してしまったくらい豪快な運転をしていたけど、この河原では車は大きく左右にゆれた。
道路に穴のあいている個所もあったから、こちらもスリル満点である。

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ずっと南下していたバスはふたつ目のオアシスの手前で東に向きを変えた。
このあたりでトルファンは砂漠のかなり遠方から視認できる。
決壊した道路に代わって、現在幅の広い道路が建設中で、オアシスの中に白いビルが点々としているのが見えた。
トルファンの手前に大きく近代的な紡績工場があったのには驚いた。
外国との資本合併だろうか。
そして大きな広い通りを左折すると、いよいよトルファンである。
道のわきをスカーフをまいた派手なワンピースの女性たちが歩いている。
水路で子供たちが遊んでおり、ブドウの棚が見え、街道でロバの子供が親にじゃれついている。
畑のあいだにレンガを組んで格子の窓をつくった四角い建物がたくさん見えた。

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