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2024年6月

2024年6月16日 (日)

権威主義のクニ

『ゼレンスキー大統領はなぜ対中批難を引っ込めたのか?』
これは今日のネットニュースの見出し。
その記事のなかに
「しかし欧州外交問題評議会(ECFR)が今年1月に行った世論調査では、わずか10%の欧州人しかウクライナの勝利を信じている人はいない」
のだそうだ。
記事はずいぶん長いのでリンクを張るだけにしておくけど、わたしがいいたいのは、日本だけが10%しかロシアの勝利を信じてないんじゃないか。
なんでそうなるかというと、もちろんNHK(とすぺてのマスコミ、SNS)がそう報じているから。

上記の記事は中国問題グローバル研究所の遠藤誉さんのものだけど、日本は権威主義の国で、有名人の意見は無条件で信じる人ばかりだから、こういう人の意見なら信じる人もいるんじゃないかねえ。
逆にわたしみたいな無名のじいさんがなにか言っても、あ、またたわごとおじさんがなんかいってらあでオシマイだ。
くやしいけど、なんだっていいや、とうせ戦争に行くのはアンタたちだ。
前項の文章を読んでもらえば、わたしの推理だってよく当たることがわかるはずなんだけど。

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またありんくりんサン

ココログの「農と島のありんくりん」サンが、いまごろになって韓国の日本自衛隊に対するレーダー照射について書いている。
わたしもこの件は、韓国の強引な捏造だと思っているから、異論はないんだけど、あいかわらず産経新聞だとか鈴置サンだとか、自説に有利な情報を取り上げる姿勢は変わってないなと思う。

わたしは事件の直後にこの事件をミステリー仕立てにしてるから、読んでみるとおもしろいぞ。
ソースが産経であるのが気にくわんけど、今回のありんくりんサンの記事は、わたしの推理がみごとなくらい的中していたことを証明した。
ついでに言っておくけど、いまはある程度以上大きな船舶の行動は、すべて監視されていて、北朝鮮からロシアに兵器が供給されているかどうかもお見通しなのだ。
もちろん貨物列車の運航も、ちょっと便数が増えればたちどころに把握される。
そういうこともちゃんと理解したうえで、ごちゃごちゃいってほしいね。

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2024年6月15日 (土)

中国の旅/張掖

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張掖(ちょうえき)はどんな街だろう。
わたしはたまたま往路で列車の車窓から水田を発見し、シルクロードに田んぼという意表をつく取り合わせに興味をひかれただけで、この旅に出るまでまったくこの街を知らなかったし、もちろんアナタも知らないだろう。
ウィキペディアを見ると
張掖とは「国の臂掖を張り」(『漢書』地理志の応劭注)、西域に通じるという意味でつけられた名前だという・・・・
うーん、わからん。

街の名前の由来に驃騎将軍の霍去病(かくきょへい)の名が出てきたので、こっちのほうはいくらかわかった。
ようするにずっとむかし、中国(漢)が匈奴と争っていたころ、相手を殲滅するために中国の軍勢がどうしても通らなければいけない、河西回廊の要衝だったってことぐらいでいいんじゃないか。
市内や郊外に古刹や歴史的遺物が多く、1986年12月には中華人民共和国で、国家歴史文化名城のひとつに選ばれたそうである。
街の印象は漢族が多く、城壁をとっぱらった西安みたいで、もちろん一歩郊外に出れば、まわりは新疆と変わらない砂漠である。

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列車は定刻に張掖に到着した。
駅は農村みたいなところにあって、市内まで歩くと1時間以上かかるという。
ということは4キロ以上あるということか。
するとタクシー代は・・・・と胸算用をし、駅で話しかけてきたタクシーが15元といったのを、まあ、ふっかけているわけでもなさそうだからOKした。
わたしが下車した張掖の駅は現在どうなってるのかと調べてみたら、その後新しい駅舎に模様替えしたようで、それなり変化はあったようである。
ここに載せた写真は、上がわたしが下りた張掖の駅、下が最近の同じ駅で、あきらかに変わっている。
しかし蘭州からウルムチ方向へは、新しい高速鉄道ができているはずだから、とうぜん張掖にも新しい駅ができているのでないかと探してみたら「張掖西駅」というのが見つかった。

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現在は西駅のほうが乗客の利便性から、メインの駅になっているようだ。
知らないけど、張掖西駅には駅なか商店街なんてものもできているかも知れない。

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やたら広い農地のあいだの道路を15分ほど走ると、建物が増えて街らしい景色になり、正面に寺のような建物が見えてきた。
交差点のまん中にでんと居座っているから、西安にある鐘楼のようである。
あとで調べたら「鎮遠楼」というもので、登ることができないかわり、下部に軽車両でも通れるようなトンネルができていた(車の通行は禁止)。

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「地球の歩き方」を読んで、選んだホテルが「甘州賓館」だった。
“甘州”という名前は、ここはすでに甘粛省だからである。
甘州賓館を選んだ理由は、ここだけはシャワーが24時間使えると書いてあったからだけど、着いてみたら汚いホテルだった。
見せてもらった部屋も汚かったし、ドアの鍵がガタガタなのも気になった。
しかしシャワーが24時間使えるホテルがこの程度じゃ、ほかはもっとひどいだろうとあきらめることにした。
わたしの部屋は2階の212号室で、部屋代は132元。
ただいま別館を新築中で、それは10月に開館するという。
ホテルは鎮遠楼のある交差点の角といっていい場所にあり、にぎやかな通りに面していて、すぐとなりに映画館まである。

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荷物をとき、まず近くにある鎮遠楼のあたりへぶらぶら。
トルファンではウイグルの民族色いっぱいだったのに、ここでは回族の帽子さえ見ない。
なんとなくほかのホテルに未練があったから、鎮遠楼のあたりにたむろしていたタクシーをつかまえ、この町でいちばん大きなホテルを知ってるかと訊いてみちた。
運転手はあるある、連れていくといったけど、たまたま、いくらやってもエンジンがかからなかった。
わたしもあまり遠くに連れていかれても困るので、これ幸いと下りてしまった。

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タクシーに尋ねる必要はなかったのだ。
鎮遠楼から200メートルほど歩いたところに「金都賓館」という、甘州賓館よりきれいなホテルがあった。 
金都というのは張掖の別名らしい。
このホテルに飛び込んでひと晩いくらかと訊くと、180元くらいのことをいう。
これでは甘州賓館とたいして変わらないし、おまけにフロントの女の子も美人である。
いちばん高い部屋はと訊くと、300元プラスだとか。
話のタネに300元プラスの部屋を見せてほしいといって、部屋に行ってみたら、この部屋にはベッドがなかった。
あれれと思ったらベッドルームは別にあった。
ようするに2部屋続きのVIPルームで、豪勢なものだけど、いくらなんでもわたしにそこまで必要ない。
180元の部屋でも甘州賓館よりずっとマシだったから、明日また来ますといっておく。

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このあとは生鮮食品の買い出しに行くことにして、今度は若い女の子の運転するタクシーをつかまえた。
助手席にも若い娘が乗っており、2人ともまだ幼さの残る顔だちで、助手席にいるのが姉で25歳、運転しているのが妹で22歳だとか。
この妹は女優の薬師丸ひろ子によく似ていた。
南関市場というところで野菜や果物を売っているということなので、そこまていくらと訊くと、2元という話である。
走り出して、どこの人ですかと助手席の娘が訊くから、日本人と答えると、日本人は初めてだわと嬉しそうである。
わたしは明日、農村へ水田の写真を撮りに行きたいんだけど、1日借り切ってこのタクシーはいくらかと訊いてみた。
100元と答えたから、そのくらいならいいだろうと口約束で予約をしておいた。

市場でトマト、モモ、あと紫色のアンズを買い、待たせてあったタクシーでふたたびホテルまでもどる。
往復だから4元でいいかと思ったら、運転席の娘が10元だと言い出した。
それもかなり強引な言い方で、こちらの言い分に耳を貸そうとしない。
やれやれ、えらいところへ来て、えらい娘のタクシーを予約してしまったなと思う。

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ホテルの近所をぶらぶらして、そのへんの書店で町の地図を買う。
張液の名物が大きな涅槃仏であることは知っていたから、ヒマつぶしに地図を見て、その像のある大仏寺というところへ行ってみることにした。
リキシャをつかまえ、5元だといってみたが、じっさいには歩いて行ける距離だった。
大仏寺は入山に22元も取る。
幸いというか不幸というか、この日はもう閉館だった。

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仕方ないからこの近くにある木塔寺の塔へ行ってみることにした。
ただこの塔は「地球の歩き方」によると、中学校の倉庫として使われていて、登ることはおろか、境内に入ることもできないということだった。
そんなことはなかった。 
ちゃんと門のわきに受付があり、もう帰り支度をしていた女性が、あわてて切符を売ってくれた。
こちらは外国人さん12元で、塔のまわりにはツバメが群れている。
木塔寺といっても屋根のひさしの部分が木造というだけで、建物本体はコンクリートで、レンガでもなかったから最近になって建て直ししたのではないか(じつは1926年再建のものだった)。

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中国のこうした塔の例にもれず、途中の階にはベランダ以外なにもない。
最上階まで登れるけど、階段は鉄製のおそろしい急勾配で、ほとんど垂直だ。
しがみつくようにして階段を登っていくとき、境内にある別の建物の修復作業をしているのが見えた。
張掖市当局も、この歴史ある文物を中学校の倉庫にしておくより、観光名所にしたほうが利益が上がることに気がついたのだろう。
最上階にもなにもないけど、もちろん景色だけは見る価値がある。

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木塔寺から鎮遠楼のほうへぶらぶら歩いて帰る。
とちゅうにある寺院は塀が傾いていて、太い丸太でつっかえ棒がしてあった。
まだ文化財まで政府や市の手がまわらないころだったのだ。
張掖の名所が鎮遠楼、道徳観、大仏寺、土塔、木塔寺、西来寺などだとすると、これらは徒歩で充分まわれる範囲にある。
郊外には黒水国漢墓群という名所もあるらしい。
しかしわたしにとって、田舎の水田以上に魅力的な場所ではなさそうだ。

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2024年6月14日 (金)

われ思う、ゆえに

年齢的にわたしは団塊の世代ということになるらしい(いまでも若い娘を見ると目ん玉ギラギラなんだけどね)。
わたしは頭がよくないし、学歴もない。
そんなわたしがいまの若者に誇れるものがあるとしたら、経験とそこから導き出した知識ぐらいしかない。
わたしひとりの人生のうちにもいろんな事件が起こった。
敗戦直後の貧しい国から、じょじょに発展し、欧米を追い越し、世界の奇跡といわれ、さらにそれがまたじょじょに衰退していくさまを、リアルタイムで眺めてきたのだ。
さらにベトナム戦争、フォークランド紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナのジェノサイド、湾岸戦争など、みんなわたしの時代に起こったことだ。
こういう経験の多さでは若い人たちよりマシだと思う。

だからいまの日本を見ると、黙ってはいられない。
太平洋戦争はわたしが生まれるすこし前まで続いていた。
子供のころ郷里の有名な寺院に行くと、門前で白い浴衣を着た傷痍軍人たちが、アコーディオンを弾きながら物乞いをしていたものだ。
野坂昭如さんの「火垂るの墓」は、まだ現実にわたしの周囲にあったのである。

いまの世間はなにも考えずに、わたしが生まれるまえに来た道をたどっているように見える。
戦争になればわたしが見てきた美しい日本、美しいこの地球を見ないまま、大勢の若者たちがあの世行きになってしまうだろう。
それはあまりにモッタイナイ。
わたしには家族がいないから放っておいてもいいんだけど、たとえ他人の子供や孫たちであっても、わたしが感動した美しい景色とやらを見せてあげたい。
余計なことは承知のうえで、わたしに残された(少しでも)意義あることといったら、経験から学んだことをつぎの世代に伝えるしかないのだよ。
あろうことか、運営者はわたしと同じ世代と思えるにもかかわらず、戦争を煽り、他人に対して憎しみを植えつけるようなブログもある。
わたしも古い常識をそなえた世代だから、忸怩たる気持ちもあるけど、残り少ない時間を考えると、そういうブログを名指しで非難するしかないのだ。

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なりふり構わず

もうなりもふりも構わないという今回のG7。
落ち目のトップばかりが雁首そろえて、ウクライナ支援を継続することで歩調を合わせたって。
仲良しクラブでまとめたアイディアが、制裁によるロシア資産の利子を没収して、ウクライナ支援に充てるということ。
法的に問題アリじゃないのという仲間の意見もものかわ、ほかに方法がないもんだから、強引にこれで話をまとめた。
プーチンは今日の時点では対抗策をとってないけど、とられたら困るというG7のメンバーもあるようだ。

だいたいなんでそこにゼレンスキーさんがいるの?
もはやウクライナ戦争でウクライナは名前を貸しているだけ、戦争は完全にG7とロシアの戦いに移行している。
メンツがからんで止めるにやめられないのがいまのG7だ。
こんな状況を、戦争開始時にいったいだれが予想しただろう。
岸田クンなんかやらんでもいいのに、ウクライナの難民を引き受けましょうと安請け合いした。
日本にウクライナ美人が増えてくれるなら異論はないけど、オレがオレがという粗忽な態度が許せないね。
いま自民党の支持率が最低というのも、自民党が悪いんじゃない、なにも考えずに、アメリカにしがみついていさえすれば間違いないという、見通しのあまい総理の姿勢のせいだろう。

『中露蜜月はなぜ堅固なのか? プーチンは習近平にスパイ極秘情報を渡していた』
なんてネットニュースの見出しを見たけど、スパイ情報なんてどうせ証拠がないんだろう。
それよりアメリカが中国のEVに100%の関税という記事を見れば、米国が中国に難癖をつけたがっていることはアホにもわかる。
ロシアが片づけば、つぎは中国ということもアホにでもわかる。
中国はロシアに代理戦争を戦ってもらっているようなもので、蜜月が堅固になるのは当然じゃないか。

同じウソでももっと上手につけないものか。
わたしがバイデンさんなら、中国をおおいに持ち上げ、もちろんEVは無関税で輸入し、ウクライナ戦争の決着がつくまで相手を油断させておいて、ロシアを片づけてからおもむろに中国と対峙する。
この程度の脳みそもないのか、アメリカ大統領には。
ないわけじゃあるまい。
これが民主主義国家の悲しいところで、つねに国民の顔をうかがわなければならない。
国内のいろんな勢力にまんべんなく色目を使わなければならない。
相手をおだてて油断させるなんて悠長なことはいってられないのだ。
とにかくここんところの西側は、なりもふりも構わないというわたしの見立てはおかしいかね。

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2024年6月13日 (木)

良識を

『アルメニア首相、ロシア主導の軍事同盟から脱退宣言』
これは昨日のネットニュースの見出し。
西側にしてみれば、ザマミロってつもりらしい。
こんなネタを見つけてきて騒いでいるのがアノ朝日新聞なんで、いまいち信用していいものか迷うけど、これこそプーチンが冷静で常識を備えた指導者である証拠だ。
アルメニアの首相であるパシニャンさんは、ナゴルノ=カラバフをめぐるアゼルバイジャンとの争いで、ロシアが味方してくれなかったのが不満なのだ。
しかしプーチンがアルメニアに味方、具体的に兵器の支援などをしたらどうなるだろう。
アルメニアは元気づいて、アゼルバイジャンに徹底抗戦を叫ぶ・・・・と、これではウクライナと同じじゃないか。
ヘタすればかってのボスニア紛争と同じ、民族浄化という凄惨な殺し合いに発展するかも知れない。
アメリカなら兵器を売れるというので、紛争大歓迎、殺し合いなんか知ったことじゃないということになる。

こういう駄々っ子みたいなアルメニアを扱うのはむずかしい。
プーチンはアルメニアを支援しないかわりに、アゼルバイジャンにもそれ以上手を出すなと警告する。
アルメニアには見返りにエネルギー供給などで便宜を図る。
わたしにはこれ以上公平で平和的なやり方が思い浮かばないんだけど、アンタはどう思う?
パシニャンさんも国内の抗戦派の手前、ロシアへの不満をかたちにしないわけにはいかなかったんだろう。
紛争を拡大して、殺し合いの種を撒き、うん、朝日新聞ならそうやって野次馬記事のネタを増やして、部数削減を食い止めようという腹かも知れないな。
世間のみなさんは良識というものを忘れんといて。

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2024年6月12日 (水)

またありんくりんサン

ココログのありんくりんサンが「国境」についてご高説を垂れている。
尖閣諸島の領有権について、証拠となる過去の事例を持ち出して琉球のものだと断定し、その琉球(沖縄)は現在日本の領土だから、尖閣も日本のものだという論法らしい。
わたしも日本人だから、ここでは尖閣の地位については、どっちのものかという論争には加わらないけど、わたしがいいたいのは、ありんくりんサンのブログはカルト宗教みたいなものだから、注意しなさいということだ。

だいたい琉球はいつから日本の領土になったのだろう。
薩摩藩(鹿児島)が琉球を征服して(琉球征伐=1609)自藩領に組み込み、明治維新でそのまま日本政府が日本領土と勝手に宣言しただけじゃないのか。
琉球の歴史をヒモ解くと、ここはつねに日本につくか、中国につくかで揺れ動いていたことがわかる。
この問題は日本が清国との戦争に勝ったおかげで決着したけど、そのあいだ琉球は大国同士が頭越しに自分たちの運命を決めるのを、なすすべもなく眺めていただけだった。
国境というのはつねに強い国が勝手に引いたものだったのだよ。

沖縄が日本領だと主張するなら、中国がチベットや新疆に領土権を主張しても文句をいえない。
これらの土地は清の乾隆帝が征服した土地で、そのまま新中国が引き継いだものだから、沖縄の場合とそっくりだ。
ちなみに清というのは漢族の王朝ではなく、北方の異民族が建てた王朝である。

このことからもうひとつ、国境というのはなんなのかという問題が生じてくる。
長い歴史のなかで中国の国境はけっして永久不変のものではなかった。
よく知られている例を挙げるけど、ジンギスカンのモンゴル軍が中国(それどころか欧州の一部まで)を征服し、版図を大きく拡大したことがあるけど、この場合中国の国境はどこからどこまでといえばいいのか。
モンゴル軍が征服した場所はみんな中国領というのか、それとも一時的に中国の国境は消滅したというべきか。
ありんくりんサンは、国境というのはアメーバのように伸び縮みするものだということを知らないようだ。
アメリカだってアラスカやハワイを領土に組み込んだのは、そんなに古いことじゃないし、それどころかハワイを領土にするために、アメリカはそうとう残酷なことをした。

ありんくりんサンは、中国はかっての朝貢国をみんな属国扱いにしているというけど、歴史のなかにはチベットが強勢になって、逆に中国のほうが貢ぎ物を送った時代もある。
わたしは2005年に中国の青海湖へ旅をして、貢ぎ物としてチベットに贈られた文成公主の悲しみの記念碑を見てきたことがある。
なにか主張をするなら、歴史を大局的に眺めて、かならず公平で客観的であってほしいね。

そんなことは遠いむかしのことで、自分が話しているのは近代的な国際法で国境が画定された、最近の話をしているのだというかも知れない。
しかし領土問題に琉球を持ち出す時点で、ありんくりんサンが、少なくても明治維新後を問題にしていることは間違いがない。
近世のことだけを問題にしても、ありんくりんサンの説が閉鎖的で、せまい視点でしかものを考えてないことは、ここまで書いたとおりだ。
わたしは沖縄の基地問題にも触れないけど、彼の文章は恩着せがましいところがあって、沖縄県民の神経を逆撫でするようなところもある。
しかし日本は表現の自由が保証された国だから、ありんくりんサンがどんな信念を持とうと、それをブログで公開しようと、わたしに口を出す権利はない。
わたしが言いたいのは、彼のブログを読む人たちのほうに対して、彼はカルトの親玉みたいなものだからご注意ということなんだよね。

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中国の旅/また車窓より

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思いきり自転車で田舎を走りまわり、ウイグルについての認識を新たにし、何人かの忘れられないウイグル人と知り合ったトルファンと別れる日がきた。
と感傷的になっても仕方がない。
わたしはこのあと2000年と2002年の2回、またこの土地を訪ねて、“夢のトルファン”が短期間のうちに変貌するのを、目の当たりにすることになるのである。
生きているうちにその紀行記も書きたくてアセっているのだ。

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トルファン市内から駅へのバスは5元だった。
安い理由はすぐわかった。
途中で2回ほどエンコしたのである。
1回目は砂漠のまん中で、エンジンあたりでパンッと音がして、なにか配線がこげたらしく、キナくさい臭いがただよったものだから、乗客の中には停車した車から飛び降りた者もいた。
2回目はようやく駅のある町までたどりついて、バス駅まであと数百メートルというところだったけど、このときも運転手はエンジンカバーを開け、エンジンをなだめすかして、なんとかバス駅まで到達させてしまった。
こんな満身創痍でも、20人ほどの客を無事にトルファン駅に送り届けたのだから、運転手クンのプロフェッショナルぶり、そして車のタフさは称賛に値する。

トルファンの駅に着いたとき、わたしは胸のポケットに入れておいたサングラスがなくなっていることに気がついた。
蘭州で25元で買ったレーバンもどきのサングラスである。
2、3日で壊れてしまうだろうと思っていたのに、ずいぶんもったものだ。
日本に持って帰れれば、中国製品の安さ丈夫さを証明できたものを。
いずれにしてもわたしの目の充血は完全にひけていたから、サングラスの役割も終えたことになる。

駅でわかったことだけど、ホテル内の旅行社の娘が持っていた時刻表は間違っていた。
まさか旅行社の担当員の時刻表が間違っているとは思わないから、わたしのほうが間違っていると思っていたのに、列車の正式な発車時刻は15:48分だった。
わたしは駅へ2時間も早く着いてしまった。
駅の小荷物預かり所は、係員がメシを食いに行って不在だったから、ヤケになって荷物を下げたまま、わたしも近くの食堂でメシを食うことにした。
米飯とトマト、それに生卵をつけてもらって、ひさしぶりの和食である。
生卵を理解させるのに手間はかかったけど、なんとか持ってきてもらって、日本ならこれに醤油を1滴2滴というところだけど、中国の新疆の片田舎にそんなものはない。
テーブルの上をながめたら、無錫でも使ったことのある魚醤が置いてあったから、これを代用したけど、あまり美味しくなかった。
店の経営者は四川省出身という若い男性で、そういう人がよく新彊くんだりまで来て食堂を経営する気になったなと思う。
彼も新疆が景気がいいぞと踊らされて、一山当てようと乗りこんできた山師の類いだったかも知れない。

定刻にトルファンを出る。
こころに残るこの土地を、ゆっくり眺めている余裕はなかった。
発車してすぐに睡魔におそわれ、うとうとと寝入ってしまったからで、わたしは列車の中でなければ熟睡できない人間になってしまったのかしらん。

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18時すこし前、「鄯善」という駅で目をさましたら、右側に石油パイプがあって、炎が天をこがしていた。
遠方に石油タンクや精製プラントのようなものも見えて、このへんは本格的な石油掘削基地らしい。
このあと食堂車へ冷たいビールありましたっけと訊きに行く。
没有(ありません)である。
トルファンやウルムチで当たり前のように冷たいビールを飲んでいたので、列車内の過酷な現実を忘れていた。
食堂車のテーブルの上にはビールではなく葡萄酒が置かれていた。
それじゃ葡萄酒でも飲むかと、いくらと訊いてみると、すごい美人の服務員がなんとかかんとかといって売ってくれなかった。

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19時15分ごろ、右手に褐色の砂漠の中から赤い岩山が、ちょうど大海に浮かぶ小島のようにいくつも顔を出しているのを見た。
オーストラリアのエアーズロックをミニサイズにしたみたいである。
砂だけの本格的な砂漠こそ少ないものの、このあたりでは「さまよえる湖」に出てくる、メサやヤルダンという地形をふんだんに見ることができる。
初めて見る景色だけど、考えてみると往路でこのあたりを通過したのは深夜だったから、なにも見てないのである。
前方にテーブルロックのような岩山が見えてきた。
列車はそれをまっぷたつに切り裂いて、そのあいだを抜けてゆく。
岩山の断面をま近に見ることになるので、断層でも見えるかと思ったら、内部までことごとく乾ききった赤い岩だった。

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21時すこし前に満月が出ているのに気がついた。
太陽はまだ沈んでないけど、今夜は美しい月が見られるだろう。
ただし写真に撮るのはむずかしいし、いっしょに月を愛でる相手がいるわけでもない。
わたしは個室をひとりで占領していたのだ。

21時ごろ、線路のすぐ下の干上がった川べりに1軒の農家があるのを見た。
家のまわりにポプラの林があり、小さいながらも麦畑もあって、20頭ほどののヒツジが飼われており、まるでここだけで独立した小宇宙のようだった。
核戦争で人類が絶滅しても、きっとこの家だけでひとつの家族が生きていけるにちがいない。

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21時半ごろ、だいぶ景色はたそがれてきて、あと20分ほどで「ハミ」に着くというころ、腹がへったので食堂車に行ってみた。
この時間にはもう食堂車は閉まっていた。
それでもうまい具合にハミで停車中にリンゴが4つ手に入った。
うはうはだけど、リンゴはパサパサしていてあまり美味くなかった。
野菜はともかく、果物に関しては偏執狂ともいえる職人芸を示す日本人にはとてもかなわない。

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とっぷり日の暮れたハミ駅には、線路ぎわに夜間照明つきのテニスコートがあったけど、テニスをしている人はおらず、やけに虚しい光景だった。
停車中は蒸し暑いけど、走りだすと夜風がじつにさわやかだ。
ひと眠りしようと横になったものの、なかなか寝つけない。
えいっと飛び起きて部屋の明かりをすべて消し、まっ暗な中でしばらく月をながめる。
夜景を見つめて、また若いころ、自衛艦に乗って何度もながめた夜の海を思い出した。
  ああ おまえはなにをして来たのだと・・・
     吹き来る風がわたしにいう
あれは中原中也の詩だっただろうか。

人間は夜になったら寝なければならない。
昨夜は扇風機がひと晩中まわりっぱなしで、最初はよかったけど、夜中になってからうるさいのと寒いのでうんざりした。
おまけに夜中にドアにはめられていた鏡が割れて(もともとヒビが入っていたのだが)、起きると床に鏡の破片が散乱していた。
ちょうど「玉門」に停車中で、ガラスを踏まないよう注意しながら窓の外をうかがうと、今朝は薄曇りで、空気がひんやりしている。
トルファン盆地のまとわりつくような暑さとはお別れのようだった。

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列車が走り出すと、右側に並行して街道も走っており、40分ほどで沿線に火力発電所やアパートの見える「嘉峪関」に着いた。
ここでキュウリとカップラーメンを買う。
ラーメンは中国のベストセラー「康師傳」というやつで、食欲のないわたしなのに、カップラーメンだけは不思議と食欲をそそられる。
この日の朝食はカップラーメンとキュウリ、前日に買ったまずいリンゴ、それに水でおしまいだ。

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このへんは駅と駅の間隔がせまいようで、カップラーメンを食べ終わったころ「酒泉」に到着して、ここで欧米人のバックパッカーが下車していった。
酒泉(Liquor Fountain)という駅名は欧米人にも興味を持たれるのだろうか。

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酒泉を発車すると右側に、往路で見た祁連山脈が壁のように連なっている。
広い河川敷のような場所があって、そのまわりの荒れ地のあちこちに羊飼いがいた。
ヒツジはロバとちがって、農作物でも平気で食べてしまうから、もっぱら農地からかなり離れた原野で放牧されているのだそうだ。
敦煌の郊外で、夕日をあびながら三々五々家路につく(らしい)ヒツジたちをよく見かけたから、わたしは羊飼いが夜は家に帰るものとばかり思っていた。
ところがアイプ君やアサンサンらによると、羊飼いたちはヒツジとともに野宿の場合のほうが多いそうである。
ということはそうとうに人間社会から隔絶した孤独な職業ということになり、羊飼いが雌のヒツジを追いまわす西洋のジョークも納得。

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2024年6月11日 (火)

菖蒲祭り

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今日は梅雨のあいまの好天気。
東村山で菖蒲祭りをしているというんで、自転車で出かけてみた。
平日だったので見物人は、のんびり見てまわるのにちょうどいい込み具合。
写真バシバシというところ、枚数が多いから組み写真にしてしまった。

いっしょに行った知り合いと、ショウブ、アヤメ、カキツバタの違いについて語り合う。
現地でウィキペディアを調べてみた結果、乾いた土地でも生えるのがアヤメ、田んぼみたいなところに生えるのがショウブ、池みたいなところに生えるのがカキツバタというアバウトな結果を得た。

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オウンゴール

ここんところのヨーロッパ、EUは大混乱じゃないか。
わかりにくいのはEUの選挙に、マクロンさんのフランスも議会を解散・総選挙と、選挙が重なったせいだ。
EUの選挙というのは例のロシア憎しで固まったヨーロッパの27カ国による選挙で、予想される結果は極右政党の大躍進で、ウクライナ戦争の先行きはまるで見通せなくなったそうだ。

そういう事情でいまは取り込み中だから、後にすればいいものを、マクロンさんは議会を解散してフランスも選挙をするといいだした。
日本の自民党を見ればわかるように、ふつうは世間の評判が悪いときは、赤っ恥をかきたくないから選挙はできるだけ先延ばしにする。
マクロンさんの政党の場合、評判はけっしてよくないのに選挙とはいい根性だ。
でも、それでわかったことがある。
ここんとこのマクロンさんが、ウクライナに兵士を派遣するとか、ミラージュを供与するとか、やたらに元気がいいのも、ウクライナ支援という世間のポピュリストたちに受けのいい政策で、なんとかアホたちをだまくらかして、人気を挽回しようというのだろう。
ところが全く効果がないばかりか、時間の経過とともに支持率の差は開くいっぽうだ。
ついにあきらめて議会を解散、総選挙に踏み切った(選挙は6月30日に第1回、7月7日に第2回)。
これはヘタすると議会のねじれ現象を生む危険な賭けだそうだ。

そのあいだにロシアでは、加盟国がさらに増えたBRICSの外相会議。
西側にとっていい報道はまるでない。
NHKはあいかわらず西側の制裁が効果があると信じきっているし、ゼレンスキーさんはスイスで、戦争の一方の当事者が不参加の和平会議だそうだ。
ゴタゴタしてるのは西側だけで、ロシアも中国も静観のかまえ、プーチンが何もしないのに西側のオウンゴール。
追いつめられている西側はぜんぜん危機感がない。
なにも知らされてないのは日本だけ。

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2024年6月10日 (月)

またありんくりんサン

おいおい、「農と島のありんくりん」サン。
わたしはあなたのブログの熱心な愛読者だけど、今度は沖縄か、それともまた沖縄か。
わたしは沖縄には、自然科学の分野以外、あまり関心がないんだけど、アナタの記事を読むとむちゃくちゃな論理だなということぐらいわかる。
反論しようかと思ったけど、わたしも忙しいんだ。
今回はひとつだけ軽く触れておこう。
たとえば空港や港湾を整備しさえすれば、離島を含めた沖縄県民をすべて避難させられると、本気で考えているのか。
戦争では相手もあることで、赤十字の旗でもつけておけば、相手が見逃してくれるかも知れないけど、いまはそういうことが起こらないように努力をするべきだろう。
台湾有事に備えるなんていったら、相手に無用の警戒心を抱かせるだけじゃないか。
県民の命を預かるデニーさんが、反対するにも一理あるとは考えないのかね。
とにかく相手の立場も理解して、公平客観的な主張をしてくれたまえよ。

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2024年6月 9日 (日)

日露関係

ちょっとまえに鈴木宗男さんが岸田クンに、露ウの和解を目指すべきではないかと質問した。
日本はロシアと直接の対峙はしていないんだから、全面戦争中のEUやNATOにはいえないことでも、日本ならいえる。
西側先進国のなかではゆいいつ、露ウの調停者としてふさわしいので、宗男さんはそういうつもりでいったのだろう。
これに対して、岸田クンは木で鼻をくくるような、まさに官僚答弁の見本のような返事をした。
もしも岸田クンが調停に乗り出し、多少でも事態を動かせれば、彼の名は日本の名宰相として歴史に刻まれたに違いないのに、自分の言葉で返事をしなかったことで彼はその権利をみずから放棄した。
自分の意思ではなにも決められない政治家ばかりだなんて、日本の悲劇も極まれりだな。

ロシアではプーチンのふたりの娘がそろって表舞台に登場だ。
さっそく権力移譲はケシカラン、娘の口座に資産を蓄えているなどと中傷を飛ばす輩がいる。
権力移譲なら日本だってそこいら中の政治家がやってるし、本人が優秀ならだれが後を継いでもかまわんではないか。
プーチンの娘は、中傷を飛ばすたいていの卑小な輩より頭がよさそうだし、日本語で返事もできるんだぜ。
ウクライナ戦争がなければ、彼女も日本にやってきて、おおかたのユーチューバーのように、寿司が美味しい、コンビニが便利だ、新幹線が素晴らしいと日本の宣伝にひと役買っていただろう。
役人が書いた原稿を読むしかない日本の政治家おばはんより、ずっとマシじゃないか。

ああ、また晩飯まえにひとつ更新しちゃった。
先が短いもんだから、わたしの物書き本能がうずいてうずいて。

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今日の人質

パレスチナで4人の人質が解放されたそうだ。
これについて西側では歓迎する国もあるみたいで、イスラエル軍の武力行使にはずみがつきそうだけど、あんまり性急な判断はしないほうがいいね。

イスラエル軍は、かまわん、地下にいる人間は見つけ次第に殺してしまえという乱暴な作戦をとっていて、おかげでパレスチナ人の犠牲が210人も出ているそうだ。
かりに210人の半分だとしても、4人を取り戻すために100人以上を殺したのなら、けっしてほめられた作戦ではない。
過去にはじっさいにイスラエル軍の攻撃で、まきぞえをくらって死んだと思われる人質もいたんだ。
今回の人質が味方であるはずのイスラエル軍の弾に当たって死ななかったのが、せめてもの神のご加護というべきで、ひよっとするとそれ以上の人質が木っ端微塵になっているかも知れない。

ハマスの攻撃からもう8カ月も経つ。
それにしては人質はヘリコプターから自力で降りてきたし、みんな元気そうで、人道的に扱われていたことがうかがえる。
うれし涙の女の子なんか以前と体重も変わってないみたいで、レイプされたわけでもなさそうだった。
英国のBBCはハマスが襲撃したとき、レイプをしたあきらかな証拠があるなんていっていたけど、証拠は提示されず続報もない。
だからわたしは英国の報道は眉にツバつけて見ろと、何度も繰り返してるんだけどね。
またおまえのヘソ曲がりが始まったなという人がいるかも知れないけど、こんなデタラメが蔓延している世界では、報道映像を穴があくほど吟味することがダマされないコツさ。

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中国の旅/トルファンの夜

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1997年のトルファン紀行も終わりに近づいた。
ここではお待ちかね、トルファン賓館で見たウイグルのダンスをずらりと並べよう。

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わたしはトルファンの葡萄園からホテルにもどった。
アサンサンが葡萄園に寄ったから50元増しですという。
ふざけんなとわたし。
葡萄園を見にいくとき、はっきり“全部で”とことわってあったのである。
靴みがき攻略方法がこんなところで役に立ったわけだ。
ああだこうだとやりとりし、けっきょく朝のパン代を立て替えてくれた分、また観光地での駐車場代の立て替え分ということで、10元プラスで手を打った。

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ホテルへもどり、予約しておいた明日の列車の切符を受け取りにフロントへ行く。
切符の手配は客快軟臥というやつで、張掖まで合計273元だったから、先に払ってあった450元の押金でおつりをもらう。
旅行社の例の痩身の漢族女性は、おつりの中にあった7元の半端で絵ハガキを買いませんかという。
一見したがつまらない絵ハガキで、いくらか稼ごうという魂胆がみえみえだから、わたしは自分で撮った写真が山ほどありますといって断ってしまった。
あとでヨーグルトを飲んでいたらこの娘が自転車で通りかかった。
下班(仕事終い)ですかと声をかけると、絵ハガキが売れなかったのがくやしかったのか、ぷんという顔で通りすぎていった。

切符を受け取った帰りに、ついでにフロントて両替をと頼んだら、係りの女の子が680元でよければという。
やれやれとわたし。
彼女は美人だけど、手数料をピンハネしようとしていることは間違いがない。
1万円が700元を下まわることはまずないはずだからである。
あとでバザールに行くとちゅう、銀行に寄って1万円を両替してみると、さすがに銀行で、714元とコインまでつけてくれた。

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本館のフロントから、いったん部屋へもどる。
別館のわたしの部屋へもどるにはどうしてもプールを横目にしなければならない。
ちょっと気になったことがあって別館の服務員に、ウイグルの女の子も平気で水着になりますかと質問してみた。
質問の意味をよく理解してもらえず、ああだこうだと苦心していたら、たまたまとなりにいた客の女性が中国語ぺらぺらの日本人で、通訳をしてくれた。
服務員の娘は漢族なので水着は平気だそうである。
イスラムの戒律はここではそんなに厳格ではなく、ウイグルの娘でも水着で泳ぐ子はいるという。
残念ながら、わたしがトルファンにいるあいだそれを見る機会はなかったけど。

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バザールへ行く。
この日はずっと薄曇りで、たまたま風が強く、砂塵が舞い上がって目も開けていられない。
風は熱風で、バザールでは天幕がはためいて、みんな結縄に大わらわだった。
それでも出かけたのは、ここには短刀を売っている店があったので、ひとつ買っていこうと、わたしはまえから目をつけておいたのだ。
ウイグルの民芸品というか、羊ののどをかっ切るための実用品というか、トルファンやカシュガルには手作りナイフの製作で有名な土地もあるという。
ここで買っておかなければ買いそびれるだろうから、わたしは値引き交渉をし、2本80元で買った。
ほんとうはもっと安いのかも知れないけど、製造原価がいくらなのかわかるわけはないし、80元は1100円あまりではないか。
日本でちょっときれいな民芸品の短刀(本物の鋼鉄製だ)2ふりをその値段で買えるだろうか。
ひとつは柄の部分が(ホントかウソか知らないけど)銀だということで、もうひとつは柄の部分に象眼がほどこしてある。
この文章を書いているとき、ためしにネット通販をのぞいてみたら、わたしが買ったのと同じようなナイフが1本9千円以上で売られていた。

そのあとバザールでまたトマトとウリを買う。
さてと、わずか5、6百メートルでもこんなものをぶらさげて帰るのはしんどい。
まだロバタクシーというものに乗ってないから、いい機会だ、ひとつ乗ってみてやれと市場の中を見渡してみた。
すると、ちょうどひとりのおじいさんがよろよろと、ラバ(ロバではない)タクシーの荷台に横になろうとするところだった。
見るからに西域の少数民族を思わせる白いヒゲに帽子のじいさんである。
おじいさんよ、トルファン賓館まで行かないか、5元でというと、とたんにおじいさんは飛び上がってしゃっきりした。
5元は払いすぎかも知れなかった。
そのかわりおじいさんは歌などうたって大サービスで、蘇公塔までドライブしようという。
彼のラバは10歳だとか。
そういえばラバはヘチルだとアサンサンが教えてくれたっけ。
わたしはこの従順で、有益で、けっしてそのへんの野菜を無断で食べようとしない動物に同情していたから、彼のためにもう1元ふんぱつした。

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ホテルにもどってすぐとなりのJhon's CAFEでメシを食う。
肉料理でも西洋ふうなら食べられるかなとビフテキを頼んでみた。
ビフテキといっても牛肉の細切れをタマネギといっしょに炒めた鉄板焼きもどきで、やはり全部は食えなかった。
ここにウーマ君がいて、彼と最後の会話をした。
彼は21歳だそうで、トルファンには高校まではありますが、大学はウルムチですなどと教えてもらう。
話をしているうちわたわたしは、ウーマ君のしめているベルトのバックルにウイグル文字らしいものが刻まれているのに気がついた。
おい、それ、わたしのベルトと交換しないかと申し出てみた。
いいですよといわれて交換してからよく見たら、刻まれていたのはウイグル文字ではなく、マールボロのロゴマークだった。
なんだ、おい、だめだよこれじゃといって、この砂漠の交易はおじゃんである。

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部屋へもどってワープロを打ちながらまた寝てしまう。
まあまあ寝られたほうだけど、日本に帰国したあとで完全に体調をくずすというイヤな夢を見た。
この部屋ではどういうわけか熟睡できない。
誰か首でも吊った先客がいるんじゃないか。

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目をさましたのが21時半ごろで、ふらふらとプールわきの民族舞踊を見にいく。
この夜は料金を払わない無賃見学である。
わたしは1997年のあと、2000年にもトルファンを再訪問しているので、ここでは両方の写真をごちゃまぜにしてひとつに並べてある。
1997年のときは、ダンサーは男3人女6人で、このほかに司会をしながらたまに歌を歌う女性が1人いた。
伴奏は、かんたんな構造の太鼓が1、弦楽器が3、笛が1、アコーディオンが1、そして両手に持った耳かきみたいなもので弦をはじく卓上型の弦楽器が1の7人編成だった。
3つある弦楽器はそれぞれ大きさが異なり、指もしくはピックではじくものが2、弓で弾くものが1である。
見ていて太鼓がいちばん簡単かと思ったけど、とてもとても素人には真似できない名人芸を見せていた。

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2000年のときに思ったのは、あいだに3年という歳月が流れていても、ダンサーたちの顔ぶれはあまり変わっていないなということ。
ただ前回は男性の中にリーダー的存在の人がいたのに、このときには見当たらず、楽士たちは4人に減っていた。
多少のメンバーの移動はあったけど、あいかわらず変わらないのは、スカートの下にズボンというイスラム・ファッションの魅力である。

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2024年6月 8日 (土)

国際経済会議

ノルマンディー記念式典のつぎは、ロシアで国際経済会議の話題だ。
西側先進国は軒並み欠席だそうである。
どうだ、困っているだろうというのは、その西側先進国だけで、ロシアはぜんぜん困らない。
テレビで観ると、会議場はBRICSやグローバルサウスの国で満員の盛況だ。
ハンガリーなんかEUに加盟していながら、ロシアのエネルギーがなければウチは困りますと、どうどうと西側に叛旗をかざす始末。
メンバーさえ増やせばいいというEUの欠陥がもろに出たな。

この会議を見て、ああ、くそっという日本企業の嘆き節が聞こえてくるようだ。
トヨタもユニクロも苦労して開発したロシアの販売網を、政府の命令で泣く泣く手放した。
先進国のなかで、まあ、アメリカが大口の購買力を持っているだけで、ほかの先進国は似たようなもの。
いまでは中国、インド、ロシアだってそれなりの購買力を備えているんだし、そんな美味しい市場を投げ出せというんじゃ、企業から見れば長年の地道な努力をパアにしろといわれているようなものだ。
日本の政府は国民のためにあるんじゃないのかと、企業からすればハラワタが煮えくり返る思いだろう。

しかも先進国が撤退したあとに、ロシアに入ってきたのが中国だ。
昨日まで日本企業があった店舗に、今日からは中国のメーカーの店舗が入っているのだ。
文句をいうわけにはいかない。
中国だって軍事力を行使してロシアにある日本企業の販売網を奪い取ったわけじゃなく、日本が勝手に出ていっただけだ。
敵に塩を贈る、それもノシつけてというのはこういうことをいう。
国が落ち目のときはこんなものだろうけど、一方に地道な努力をする企業があり、もう一方にそれをいとも簡単にぶっ壊そうとする政府がある。
ロシアの国際経済会議は、それをはからずも暴露したように思えるな。

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マッチ棒

負けがこんできたせいか、ここんところの西側の姿勢は目も当てられないね。
ノルマンディー記念式典にロシアを呼ばなかったって。
ま、ノルマンディー上陸作戦には、ロシアは参加してなかったから別にかまわないけど、ベルリン解放記念日はどうするんだ。
こちらは第二次世界大戦で最大の死者を出したロシアが主役で、しかもいまヨーロッパの盟主みたいな顔をしているドイツが敵役だ。
ショルツさんはベルリンの仇をウクライナで晴らそうってのか。
イスラエルだってパレスチナで弱いものいじめをしてないで、大虐殺をしたドイツ相手に戦えば、もうちっとは世界から理解を得られただろうに。

バイデンさんはまたウクライナに2億ドルあまりを支援するそうだ。
ゼレンスキーさんは嬉しそうだけど、ここでわたしがバイデンさんの腹のうちを解説してみよう。
おー、よしよし、とバイデンさん。
ここで降伏なんかされちゃ困るからな。
もっともっと戦争が長引くように小出しに金を出してやるから、頑張るんだぞ。
そしてせっせと同じスラブ人同士で殺し合ってくれ。
どっちが勝とうと、ウチらはアメリカ製の武器で、生意気なスラブ人の数が減ってくれれば文句ないんだから。

プーチンはバイデンさんの腹のうちをよく心得ていて、スラブ人同士の意味のない戦争をさっさとやめたい。
それなのに西側(とNHK)には、プーチンは自らの権力欲のために戦争を引き延ばしたいのだという意見がある。
しかしその西側(とNHK)が、ロシアはミサイルが不足している、戦車が足りない、、兵士の戦死が30万だ、40万だ、長い戦争に国民の士気は減退していると悲観論ばかりだ。
それが事実なら、そういう状態で戦争を引き延ばしたいと考える指導者がいるか。
西側(とNHK)の言い分は、冷静に考えると矛盾ばかりなのだ。
ゼレンスキーさんは国民をどんどん死なせて、心中穏やかじゃないだろうけど、ここまで来ると自分の命を守るためにも戦争をやめられない。
戦争をさんざん長引かせたあげく、ゼレンスキーさんがウクライナ国民の手で柱に吊されても、バイデンさんはマッチが1本消えたかってなもんだろうね。

そしてつぎは台湾で同じことをやろうと考えている。
肝心の台湾国民がなかなかその気にならないのが問題だけど、日本人はヤル気まんまんだからな。
ちょっと擦ればすぐに火のつくマッチ棒、今度は日本に頑張ってもらわなくちゃ。
そうして米国の武器をじゃんじゃん売りまくって、兵器産業から献金をがっぽがっぽ・・・・こんな美味しい仕事はやめられんよ。
なんとかつぎの大統領選にも勝たなくちゃ。

今日のネットニュースに、プーチンの娘がインタビューに日本語で応答したって記事があった。
わたしがいった通り、プーチン一家は日本びいきなんだよ。
将来中国と対峙するつもりがあるなら、腐敗国家のウクライナより、ロシアを味方にしておくべきだったんだ。

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2024年6月 7日 (金)

ああ、それなのに

もしもわたしに花壇の手入れ、自分が蒔いた種から花が咲くのを見守るという趣味がなかったら、むかしの旅のメモを引っ張り出して、中国の思い出をつづるという趣味がなかったら、そしてウクライナ戦争が始まらず、世界が平穏のままだったら、あるいはNHKが公平客観的な報道ばかりしていたら・・・・うーんと、考えるんだけど、わたしの人生はつまらないものだっただろうねえ。
スポーツは苦手だし、カラオケもだめ、博打も切手集めもやらないし、ふつうなら老後の趣味なんてなにもなく、本ばかり読みすぎて、いまごろは芥川龍之介みたく、人生に悩んでさっさと首でも吊ってるワ。
それなのに、ああ、それなのに、今日もふつふつとたぎる血を抑えかねて、わたしってよっぽど奥手なのよね。

今日も世間にブウたれようと思いましたが、NHKもSNSも、上下左右のあらゆるものがケシカランものばかりで、とても手に負えませんでした。

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2024年6月 6日 (木)

中国の旅/ウイグルの少女

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つぎに「高昌故城」へ行きましょうとアサンサンがいう。
どこでもいやとわたしは答える。
帰国してから調べてみたら、高昌故城は、魏、晋、南北朝から元の始めまで栄えた古い城郭都市の廃虚だそうである。
わたしの好きなロック歌手のジミ・ヘンドリックスに「砂のお城」という歌があるけど、そんな余計なことは抜きにしても、やはり土の城は空しさの象徴だ。
周囲2、3キロはあるだろうか、土塁にかこまれたかっての城郭都市は、最後に敗亡してから800年、ほとんどの建物が風雨に侵食され、今は建物のおおざっぱな外観を残すのみだった。

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というのは1997年にわたしが見学した当時の印象で、最近のこの遺跡は中国の重要文化財に指定されて、ネットで調べると細部にいくらか手が加えられているようだった。

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わたしはうろうろと、かって殷賑をきわめたはずの廃墟のあいだを歩きまわった。
塔のようなものがそびえていたり、塀に門だったらしい穴があいていたりする。
そうした廃墟の足もとに小さな野草が花をつけていた。
その根もとには後ろ足の内側が赤いトカゲがはいまわり、あちこちの土のうえにすり鉢状にくぼんだアリジゴクの巣があった。
そのうちわたしは土の中からいくつかの陶器のかけらを拾い出した。
これは探せばいくらでも見つかるので、小さな破片でも、この街がまだにぎやかだったころのことを彷彿とさせる。
陶器が割れた原因は戦乱だっただろうか、それともたんなる夫婦喧嘩か。

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この故城を月の晩にでもゆっくり歩けないものだろうか。
ふとそんなことを思ってしまった。
月光の下に黒々とそびえる廃墟のあいだを、瞑想にふけりながら歩けば、いにしえをしのぶのにこれほど素晴らしい舞台はない。
オープンステージで、月夜の晩のオペラなんかも似合いそうだ。

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高昌故城の近くに、現在も人間が生活を営んでいる小さな村があった。
好奇心につき動かされて通りをぶらつくと、ハメルンの笛吹きのように子どもたちがぞろぞろついてきた。
この村にもモスクがあり、近くにカマボコみたいなかたちに土を並べた墓地もある。
ある家では日干しレンガを道路にならべて乾燥させていた。
この地方では水で練ったレンガが、乾けばそのまま建築材料に使えるとなにかの本で読んだことがあり、これがそうかと思う。
べつの家では女性が布団の綿の打ち直し中で、土の廃墟の高昌故城よりこういうもののほうがよっぽど興味をひく。

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高昌故城のつぎは、「アスターナ古墳」を見に行きましょうとアサンサンはいう。
行ってみたら、ただの大きな土饅頭がいくつも盛られているだけで、しかもほかにも団体客が来ていた。
わたしはどういうわけか、墓を見るのは好きなほうで、ロシアに行ったときはモスクワにあるノボデヴィチ墓地をわざわざ見物に行ったくらいである。
ロシアの墓には故人をしのべるよう顔写真つきというものが多かったし、かたちも彫刻のようにバラエティに富んでいたから、ぼうっと空想にふけるには都合がよかった。
こちらはただの土盛りだけなので、ぼうっとしようがない。
まえの観光客にくっついて、せまい通路を押されながら歩くのもまっぴらなので、入ってみるのはやめてしまった。
最近の写真で見ると、寺院のような建物や、十二支の動物をかたどった石像が立っていて、洛陽でみた古墳博物館のようになっていた。
古い墓を観光用に改築するのはかまわないけど、トルファンで十二支なんか見たおぼえがないから、これもわたしが行ったあとで出来たのではないか。

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つぎに行ったのは孫悟空の話にも出てくる「火焔山」である。
といっても雨に侵食された、植物など1本も生えてない岩山なので、はなれた場所から眺めるだけだった。
火焔山についてはまたウィキペディア。

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悟空というと最近はドラゴンボールのほうが有名らしいけど、わたしは子供のころオリジナルのほうを読んだことがあるので、孫悟空はここで鉄扇公主と、その亭主の牛魔王と闘ったはずだよなと思う。
中国は西遊記の本場だから、最近ではこのあたりに孫悟空や三蔵法師の像が乱立しているらしい。
鉄扇公主なんか観光客におっぱいを揉まれて、その部分だけ銅像の色が変わっていた。
わたしが行ったときはまだそんなものをひとつも見た記憶がなく、火焔山は天然自然のままで焦熱地獄を象徴するようにそびえていた。
そのほうがずっとよい。

登っても楽しくなさそうな山だけど、登山に凝っていたこともあるわたしは、てっぺんまで行ってみたいと思った。
空気が乾燥しているせいで見通しはよく、水をたっぷり用意して足まわりを固めれば、2、3時間で登れそうに見える。
てっぺんからどんな景色が見えるだろうと、好奇心だけは当時もいまも強いのだ。
習近平さんの肝煎りで、この山も現在は観光開発されてるそうだから、そのうちロープウェイができて楽に登れるようになるかも知れない。

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火焔山ともうひとつの山にはさまれた場所が峠になっていて、ここに茶屋があったから、車を停めてイップクした。
侵食された赤い2つの山に挟まれた峠は相当の迫力である。
それで十分だった。
アサンサンがしきりに、タクラマカン砂漠を見に行きましょうと誘うけど、これに応じると300元ですまなくなるのは確実だし、なんとなくおかしい体調をかかえたわたしはもう帰ることにした。
アサンサンらにしてみればもう仕事は終わったようなものだけど、これでは金を取れないと考えたのか、観光葡萄園に寄って行きませんかといいだした。
まだブドウには早い時期だけど、わたしもブドウは嫌いじゃないから、いちおうのぞいてみるかという気になった。

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葡萄園までは交通量の多い(ほかの道路に比べれば)街道を走った。
これはトルファンと他の都市を結ぶ国道らしく、とちゅうで右手の砂漠の中にいくつかやぐらが立っているのが見える。
石油の掘削だというんだけど、精製プラントがあるわけでもなく、わたしにはまだ試掘の段階に思えた。
また砂漠の中にいく本かの水路があって、けっこうな勢いで水が流れていた。
たいして幅広い水路ではないけど、これだけの水を遠方の山からひいているとしたら、相当量の水をたえず補給していることになる。
さもなければ水は炎天下で長距離を流れるあいだに、ちょうど火星の運河のようにみな蒸発してしまうだろう。
そういえばトルファン盆地の衛星写真は、火星の地形によく似ている。

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わたしたちの車はブドウ畑のたくさんある部洛にわけ入った。
部落の高台に、レンガをすかし戸のように組んだ四角い建物がたくさん建っている。
秋になるとあそこで干しブドウを作りますとアサンサンが説明する。
トルファンは葡萄で有名だけど、日本のようにそれを観光農園にすることを最初に考えついたのは誰だろう。
保守的で伝統重視のウイグル人だけで思いつくようなアイディアと思えないから、日本の真似をしたのかも知れない。
そう思いたくなるほど、大きなブドウ棚の下に土産もの屋やテーブルが並んでいるようすは、日本の勝沼あたりの葡萄園によく似ていた。

このあたりのブドウは粒がいくらか瓢箪型にくびれているなと、つまらないことに感心したものの、まだ実の熟す時期ではないから、食べられないブドウを見ても仕方がない。
通りいっぺんに眺めて帰ろうとしたら、園内のレストランで、麺を水でさらしているのが見えた。
わたしは日本の冷やし中華が大好物である。
ほかのものは食欲がわかないので困っていたときだから、ここで冷麺を食べていくことにした。

縁台に座って冷麺を待っていると、中学生くらいの店の女の子がしきりにわたしを見る。
目の大きなかわいらしい子で、彼女がトマトを洗っているときに、わたしが食べたそうな顔をすると、ニコニコしてすぐ持ってきてくれた。
トマトを食べていると、今度は近くで本をひろげて勉強を始めた。
わざとらしい行動に見えたから、ナニ読んでいるのと訊くと、わきへよってきてウイグル語の教科書を見せてくれた。
キミいくつと訊くと15歳と答える。
日本人の15歳に比べるとえらく幼く見えたけど、この店では彼女だけが、いくらか漢語を理解できるらしかった。
彼女が文字を書くのをながめていると、ボールペンを左手に持って、右から左へと書いてゆく。
漢字を書くときはもちろん左から右である。
日本人は上から下へ縦に書くよと教えたら混乱するだろうな。

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この少女の名前はシーズワンといって、写真を撮ったのでいちおう住所を聞いておいた。
住所となるとシーズワンの手におえないらしく、彼女は近所へ走っておとなにこれを書いてもらってきた。
店には女性と、サモア人のようないかつい顔をした男性が働いていた。
彼はお兄さんかいとシーズワンに訊くと、ええと答える。
それじゃあっちの人はお母さんかいと訊くと、あれはお姉さんと答える。
やばいと思ったけど、お姉さんには漢語は理解できてないようだった。
出てきた冷麺には炒めた野菜がのせてあったから、日本の冷し中華とはだいぶ違っている。
それでもこれがここ数日来、わたしがなんとかまじめに食べ終えた食事になった。

わたしは3年後の2000年にもういちどトルファンを訪問し、この娘と再会することになるけど、その紀行記はつぎの機会に(それまで生きていれば)。

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2024年6月 5日 (水)

またありんくりんサン

ココログの「農と島のありんくりん」サンが天安門事件について書いている。
あいかわらずこの人の、自分に都合のいい情報だけを引っ張ってくる姿勢は変わらないな。
わたしはいま自分のブログで中国紀行を連載しているくらいだから、ずっとむかしから中国にも関心があって、大きな事件は見逃さないようにしてきた。
天安門事件というのは、はたして西側が主張する通りのものだっただろうか。

中国政府が自国民に銃口を向けたという大きな事件だったので、わたしは当時の新聞や週刊誌を可能なかぎり集めて、死者数を数えてみた。
同じ死者の写真は何枚あっても死者1という具合だ。
そうやって数えてみると、言われているほど死者の数は多くない。
と、わたしが言っても仕方がない。
わたしはジャーナリストじゃないから、写真を集めるといっても限界がある。
ただ素人ながら、そこまでやってみようとしたということを言いたいのである。

ご存知のように中国という国は、内乱で国がひっくり返ったということが数えきれないくらいあった。
当時の最高実力者の鄧小平も悩んだはずだ。
彼は中国を近代化しようと改革なかばの状態で、できることなら前途有望な若者たちを死なせたくない。
しかし天安門のデモ隊の勢いは衰えるどころか、激しくなる一方だ。
これは西側が影で支援していたのだとまではいわないけど、学生たちは親のこころ知らずで、図に乗りすぎたのだろう。

鄧小平がデモ隊を殺戮する気がなかったことは、皮肉なことに、戦車男として有名になった男性が証明している。
あのときの映像を見ると、戦車は立ちふさがる男性を、舵をきって迂回しようとした。
しかし男性は自分の位置を変えて、あくまで戦車のまえに立ちふさがった。
はじめからデモ隊を虐殺するつもりなら、そのまま轢き殺してしまえばいいではないか。
なぜそうしなかったのだろう。
デモの指導者だったウアルカイシや王丹、柴玲などはどうしてやすやすと国外に逃亡できたのだろう。

それ以上に重要なのは、あのとき鄧小平が騒乱を、武力を用いても排除しなかったら、その後はどうなっていただろうということだ。
NHKは無視しているけど、天安門を鎮圧したおかげで鄧小平の改革はそのまま続行され、中国は世界第2の大国になり、中国人は物質的にも精神的にも豊かになった。
精神的というのは、かって世界から馬鹿にされていた中国人が、それを脱却して、欧米人にも誇りをもって対抗できるということを見せつけたということだよ。
ウアルカイシなどは、その後の繁栄した中国を見て、国にもどりたいとハンストまでした。

問題は物事を全体的に捉えず、西側の報道をそのまま鵜呑みにして、不思議とも思わないありんくりんサンの姿勢だな。
彼はBusiness Insiderという西側のメディアを引用しているけど、わたしにとって新しい事実はなにもなかった。
この件についてはわたしのほうが後出しだから有利なのはいうまでもない。
だから反論があったらどうぞコメント欄に書いてくれ。
最近のわたしは他人の名前をあげつらっても、間違いは間違いと指摘するつもりだ。
もう残り時間が少ないし、わたしみたいなじいさんが言わなかったら、いったい誰が言ってくれるんだ。

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2024年6月 4日 (火)

今日のNHK

インドの総選挙でモディさんの政権与党が圧倒的に優勢だそうだ。
つねづねBRICSの一員であるインドに反感をおぼえているNHKは、なんとかケチをつけようとする。
しかしモディさんが勝つのは当然だ。
いまやGDPが世界3位になろうかという経済成長の国で、国があきらかに豊かになっているのに、アメリカや日本(NHKも)を手玉にとるモディさんに、インド国民がケチをつける理由がない。
野党は、若者の失業や貧困対策、所得格差の増大を挙げて攻撃するけど、そんなものが一朝一夕に変えられるはずがないことは、これまで長くカーストという階級制度をかかえてきたインドの場合は、とくに切実にわかるだろう。
野党の主張のなかに、モディさんは最大多数のヒンドゥー教ばかり優遇して、イスラム教徒やその他の民族を冷遇しているというものがあった。
ということは野党の支持者はイスラムなのか。
だとしたら、これは完全に選挙政策の失敗だ。
ヒンドゥー教徒が最大多数の国民だといってるんだから、民主的な選挙をすればするほど、ヒンドゥー教の政党が勝つに決まっているではないか。

今日の国際ニュースではまた天安門が取り上げられていた。
35年も放っておいた事件を、台湾有事のいまこそ持ち出さなければ、いつ取り上げるんだという調子だ。
しかしこの事件を乗り越えたおかげで、中国は世界第2の大国に発展し、学生たちを抑え込んだ鄧小平の夢も実現したわけだから、やむを得なかったという意見がいまでは大勢だ。
息子が天安門で死んだという父親が、原因をあきらかにしろと叫んでいたけど、なにかというと原因を、補償をという日本にだいぶ似てきたな。
中国人がアメリカに亡命しているという、これもだいぶ以前に見たことのあるニュース映像も出てきたけど、急増している亡命者って国民の何パーセントなのさ。
ただでさえ人口が多いんだから、天安門のときのウアルカイシや王丹、柴玲などのような不満分子がいなくなってくれれば、中国政府も大助かりじゃあらへんか。
鄧小平やウアルカイシなどの名前を、いまの若いもんはどれだけ覚えているんかいね。
わからなければ、わたしのブログでもあちこちに名前が出てくるから、勉強をしろ。

フィリピンでは西側から支援されている(と思われる)反政府活動家の神父さんが出てきたけど、彼に先導されているデモ隊の参加者の不真面目なこと。
おばさん、だめだよ、ニタニタ遊び半分みたいな顔をしちゃあと、ま、これはわたしの感想だから無視されてもいいけど、この神父さんは、いまのマルコス政権が中国と対峙し、国民に真実を知らせるようになったから、転向して支持者になったのだそうだ。
でも同時に中国が最大の貿易相手国になったことは無視するんだね。
マルコス大統領も軍人たちも、西側のまえでは西側の肩を持ち、中国といっしょのときは中国にあいづちを打つ。
ようやくアメリカのくびきから脱出し、大国のあいだを綱渡りして、自分の国だけの努力で豊かになろうとしているのに、西側(とNHK)はお世辞を並べたり、コワモテで仲間に引きずり込もうとする。
ケシカランことだよなあ。

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中国の旅/艾丁湖

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前日に予約しておいた運転手が、朝7時半に迎えにくるということなので、目ざましをかけておいて6時半前には起きてしまった。
体調は微妙な具合なので一抹の不安がある。
疲れているはずなのに、昨夜もうとうとするだけでほとんど熟睡をしていない。
昼寝のしすぎとも思えないのは、昼寝自体あまり熟睡できているわけではないからだ。
考えてみるとここ2日くらい食事も熱心にとってない。
まじめに食べたものは、果物、野菜以外ほとんどないし、いったいどうなってるんだ、そのうちいきなりブッ倒れるんじゃないか。

ままよ、なるようになれと、7時ごろまた近所の店へヨーグルトを飲みに行ったら、タクシーを予約した前日のウイグル人に呼びとめられた。
彼の名前はアサンサンというのだそうだ。
本当はアサンで、日本人が「アサンさん」と呼ぶのを混同しているのかも知れない。
早いねえ、わたしはちょっとトイレをすませてくるからといって、パンをひとつ買って部屋へもどる。
この時わたしは百元札しか持ってなかったので、おつりがないという店の支払いはアサンサンが立て替えてくれた。

身支度を整えて出発である。
この日は薄曇りで、体調にいくらか不安を感じているわたしとしては、涼しいことはありがたかった。
じっさいにタクシーを運転するのはアサンサンではなく、キェラブという少し無精ヒゲののびた若者で、女の子にモテそうなイケメン男子だ。
アサンサンは通訳として助手席に乗る。

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タクシーは東へ向かった。
しばらくはポプラやアカシアの並木のあるのどかな農村を走る。
時々街道すじに桑の古木を見かけたので、カイコの絵を描いて、このへんではこれを飼っているのかと質問してみた。
ほんの少しはいるという返事である。
わたしは群馬県の生まれで、子供のころわたしの郷里は桑と蚕の本場だったから、桑の木は一目でわかる。
しかし考えてみると、シルクロードに滞在中だから聞いてみたものの、この地方が絹の生産地だったわけではない。
わたしの描いた絵をほかのイモムシと間違えたのかも知れない。

トルファンでもちょうど刈り入れ時期の麦畑をたくさん見た。
こういう風景もわたしの子供のころの日本の農村と少しも違わない。
ただ暑いせいで、どの農家も庭や門前、道路ぎわ、ひどいのは家からずっと離れた畑のあたりにベッドを置いて、露天で寝ている人がひじょうに多かった。
さすがに若い女性はいないけど。

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農村のはずれまでいくと、畑のあいだに耕作されてない荒れ地が混じってくる。
荒れ地の中に直径10メートルほどの、火山の噴火口のような盛り土が点々と並んでいた。
あれはカレーズだねとわたしはいう。
カレーズは何百年も前に作られた地下水道で、わたしはこれをNHKの「シルクロード」という番組で観て知っていた。
なんでも天山山脈の雪解け水を、トンネルを掘って延々とトルファンのオアシスまで運んでいるのだそうだ。
天山山脈ははるか彼方にかすんでいるのだから、難工事にはちがいなく、地下の万里の長城といわれているそうである。
NHKの番組では、張り切ったディレクターとカメラマンは、ロープを使って地下のカレーズまで降りていって取材していた。

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わたしが行った1997年にはなかったと思ったけど、現在のトルファンには「カレーズ博物館」というものもあるらしい(ここに載せた2枚の写真はネットで見つけたその写真)。
わたしもひとつのカレーズを上から覗いてみたけど、井戸のような深い穴になっていて、底が見えないくらい深かった。
街灯も柵もない原っぱにあるので、子供でも転落したらどうするのか、やはりここは自己責任の国だなと思う。

つぎに艾丁(アイディン)湖に行きましょうとアサンサンがいう。
艾丁湖は干上がった塩の湖だそうで、海より低いトルファン盆地を象徴する場所だ。
あまり勉強してなかったわたしは、どこだっていいやと答えた。

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農村地帯が終わるとまわりはいちめんの平原になった。
砂漠というには植物が多く、草原というには植物がまばらである。
短い植物群落が地の果てまで続いていて、車に座ってながめると、遠方は緑の平原に見える。
どういうわけか、湖に近づくにつれて植物の中にアシが目立ってきた。
湖が近くなるにつれてアシが増えるのは不思議ではないけど、なにしろここは干上がった塩の湖なのである。

車はそうした平原を20キロほども走っただろうか。
やがて先方に工場のようなものが見えてきた。
舗装状態が悪くてスピードを出せないものだから、見えていてもそれはなかなか近づいてこない。
この工場は製塩工場ということだった。
工場のあたりまで行くと植物群落もほとんど姿を消し、あたりは木など1本も生えていない造成地のような荒涼とした光景になった。
工場の近くには土でできた住宅があって、工場で働く漢人の住まいだという。
またこの近くに地震と水害で崩壊したという集落の跡もあり、壁だけが残っているそれは、古代の城塞跡に見えなくもなかった。
そんながれきのあいだに牛が放牧されているのが不思議だった。

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さらに驚いたのは、この工場から湖までの区間、おそらく3、4キロはあろうというその途中で、数人の若い娘が500メートルから1キロほどの間隔で点在し、道路ぞいの側溝から、長い柄のひしゃくで水をすくって道路に撒いているのを見たことだった。
いったい彼女らは何をしているのか。
側溝の水は濃い塩水で、彼女らはこれが日光によって蒸発するのが待てず、ひしゃくでもって水をすくい、少しでも早く水が干上がるのを手助けしているように見える。
しかし小さな側溝水路といっても、そのへんの水たまりとはわけが違う。
わたしには彼女らが、大海の水を汲み出そうとする愚かしさの寓話を実践しているとしか思えなかった。
べつの考えとしては、塩水を道路にぶちまけて、道路から塩を回収しているのだという見方もあるかもしれない。
しかし道路に彼女ひとりが水を撒いて、どれだけの塩が回収できるのか。
湖のそばまで行けば、原塩はブルトーザーですくい放題にすくえるのだ。
そのためにトラックが、彼女らが撒いた水の上を遠慮なく踏みにじっていく。
トラックが往復するさいのホコリよけ? まさか。
あたりに人家もなければ工場もない、1本の草木も生えていないこんな場所で、ホコリに悩むものがあるわけがない。
わけがわからない。

わたしは車を停めさせて、徒労としか思えない作業をしている女の子の写真を撮った。
一見して漢族のお姉さんで、まだ若い娘だったからなおさら、この地の果てのようなところで、たったひとりでひしゃくの水を道路にぶちまけている娘の存在が理解できない。
わたしは彼女が汲んでいる水をちょっぴりなめてみた。
かなり塩辛かった。
ところがこの塩水の中に、メダカかエビのような小さな生きものが飛び跳ねていた!
火山の硫黄のなかにさえバクテリアが存在するくらいだから、ナチュラリストの(つもりの)わたしは驚かないけど、これも生命のタフさと多様性の証明なのだろう。

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艾丁湖の湖畔に石碑が立っていて、表に漢字で、裏にウイグル語で艾丁湖と書いてある。
ここからも水はまったく見えない。
完全に干上がっているのか、それとも水面はなお数キロ先なのか。
前述したNHKの番組はわたしの旅より20年ちかく前のものだけど、その当時もアイデン湖は干上がっていて、勇敢なカメラマンはロープで身を固定して湖の泥濘に肉薄していた。

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艾丁湖は海面より154メートルも低いところにあり、むろん湖に魚はまったく棲んでいないそうである。
アサンサンがこれをごらんなさいという。
石碑の近くに小さな水たまりがあり、水のふちに氷のように塩の結晶ができていた。
あたりの土にも膨大な塩が含まれているようだった。

艾丁湖についてはヘディンの「さまよえる湖」に説明がある。
水は高いところから低いところに流れるのが当然だから、天山山脈に降った雨水は川となってトルファン盆地に流れ込み、やがてはそこに湖を形成する。
湖がいっぱいになれば、やがてどこかに出口を見出して、さらに低いところに流れ出す。
ところがトルファン盆地は、海抜が海より低いところなのだ。
これでは水はどこにも行きようがなく、猛烈な天日に照らされて、その場でじりじりと干上がってゆく。
山が多く、1ヶ所に水の溜まりにくい日本では信じにくいけど、中東にある死海もこうやってできた湖なのである。

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2024年6月 3日 (月)

予知能力

いやあ、すごいもんだねえ。
わたしのブログの予知能力。
すこしまえに北朝鮮に、人工衛星なんて50年早いぞ、気球かドローンにしとけといったら、瓢箪から駒になってきた。
安上がりで有効ってことで、北はしきりに韓国にフーセンを飛ばしているそうだ。
積んでいるのは爆弾や観測機器ではなく、オワイだっていうんだからたまらんよね。
そのうち韓国がたまりかねて降参すれば、あらためてフーセンの威力がわかるわけだ。
でもウンコは畑の貴重な肥料だぞ。
北のほうが食料不足で先に降参するかも知れない。
この黄金戦線のゆくえはいかに。

平和サミットに中国を招待していたゼレンスキーさんは、相手が来ないとわかると、今度はあいつらがサミットの邪魔をしてるといいだした。
自分の気に入らないものはすべて敵扱いする、いちおうの礼儀を知っている人間ならこんな言いかたはないやね。
プーチンにまで邪魔をしていると言い出したけど、そもそも現在の状況で、サミットに呼べば味方してくれる国が劇的に増えると思っていたのだろうか。
グローバルサウスの協力が得られないと不満そうだけど、ゼレンスキーさん、米国、西側仲良しグループ(とNHK)はいったい何を期待していたんだろう。
望月麻美ちゃんと髙𣘺彩ちゃんだって、しゃあしゃあとしちゃって、もう。

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偽善

えー、今日はいつもNHKの憶測もしくは願望ニュースばかり観せられているわたしの憶測、あるいはSF的記事であります。
ただいまメキシコで大統領選挙が行われていて、初の女性大統領が誕生しそうだと話題になっていますんですが、ところでメキシコというと、みなさんはどんな国だと思っとりますか。
いやいや、闘牛みたいに動物愛護団体と揉めている件はよそに置いて、つまり、どうしてあの国はひじょうに危険な国なのかということ。
なんでもこれまでの選挙期間中に30人もの候補者が殺されているらしい。
メキシコだけじゃない、グアテマラ、ベネズエラなども似たような治安が最悪の国ばかりだ。

なんでそうなのか。
アメリカがそばにあるからだと考えた人はおりませんかね。
そしてそのアメリカには、まじめな政府なんぞできては困る、近隣の国はいつまでも麻薬の供給国であってほしい、銃器の買い入れ国であってほしいと考えている勢力がいるとしたら。
たとえばメキシコでも、政府が本気になって、ギャングを一掃しようとしたらできないことだろうか。
戦前の中国はギャングに汚染された国だったけど、共産党の新中国になったとき、ぜんぶとっ捕まえて問答無用で銃殺だと脅したら、ギャングたちはみんな香港、マカオ、あるいは台湾にトンズラした。
最近ではフィリピンのドゥテルテ大統領が、情け容赦のないやり方で、やはり国内の治安を改善した。
軍隊を持った政府にできないはずはないのである。

まじめな政府を作らせたくない勢力が、アメリカ政府の中にもいて、それがメキシコのギャング内にも深く食い込んでいたら、とてもメキシコの政治家ごときには太刀打ちできないだろう。
国内を不安定化させるのは、安定化させるよりずっと簡単なのである。
かってキューバに、カストロの率いるまじめな政権ができたことがあった。
映画「シッコ」や「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」を観れば、キューバがアメリカ国民からさえ理想国家のように見られていたことがわかる。
おもしろくないアメリカは、経済制裁を総動員してこの国の体制を妨害した。
結果はご存知の通りだけど、キューバはまじめな政権ができたのが早すぎたのだ。

似たような状況はかっての東南アジアにもあった。
しかしそれらの国はアメリカから遠かったおかげで、アメリカに対抗する大国が現れれば、しだいに状況は改善する。
ベトナム、カンボジア、インドネシア、フィリピン(ここはまだ脈があるっていうんで、また米国、日本が引き戻そうとしてるけど)など、どれも米国のくびきから脱出しつつある国だ。

そんなことはない、アメリカはメキシコの麻薬組織を撲滅するために、それなりの貢献をしているという人がいるかな。
それは表面的な部分で、じっさいにはアメリカはメキシコのギャングを一掃したくないんだよ。
アメリカの軍事力に対抗できるギャングなんかいるわけがないんだから、その気があればとっくにできたはずだ。
まじめな国が作れるよう、アメリカがほんとうにメキシコに協力する気があるなら、メキシコだってとっくに日本のような美しい観光立国になれていただろう。
国民は自国内で仕事を見つけて、わざわざアメリカまで命の危険を犯して移民しないですんでいたはずなんだ。

これでわかったろう、米国の偽善という・・・・
いや、今日はここまでにしておこう。
アメリカが衰退すれば、もしかするとラテンアメリカにも、平和な国が続々と誕生するかも知れない。

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2024年6月 2日 (日)

中国の旅/彷徨の2

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やはり農村をふらふらしているのがいちばん楽しい。
村の水路で小さな子供たちが遊んでいたり、ポプラ並木ですごいウイグル美人の自転車とすれちがったり、畑のわきの水路に足をひたして、若い娘が本を読んでいたりする。
わたしは列車から何度も見たヒツジの放牧地を見たかった。
しかしヒツジは農作物を食べてしまうので、農村のずっとはずれに行かないと見られないそうである。

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トルファンの田舎を徘徊しながら、あちらこちらで写真を撮っていると、ときどき不思議な気持ちになることがあった。
この景色は子供のころどこかで見たことがある。
まわりの樹木も家の造りも、人々の生活様式だって違うのに、たとえば農家の内部をうかがうと、納屋があってホコリだらけの農機具がしまわれている。
裸足の子供たちが走りまわり、小川で洗濯をする子供がおり、ニワトリが放し飼いにされていて、庭でミシンを使っている婦人が見えたりする。
炎天下を女性たちが、ひたいにハンカチをかざしながら歩いている。
あの女性が連れているのは幼いころのわたしじゃないのか。
わたしは母親に連れられて田舎の親戚へ行った、遠い遠いむかしのことを思い出していたのだ。

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自転車の徘徊にはこういう利点がある。
車の運転でこんな空想、夢想、妄想にふけっていたら、自分や他人の命がいくつあっても足りない。
わたしはこの旅のまえまで、ウイグルは砂漠の遊牧民族だとばかり思っていたけど、トルファンで農村を見てまわっているうち、彼らも日本人と同じ農耕民族であるという確信を持った。

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ある村でいたいけな少女が、写真を送ってちょうだいという。
その顔があまりひたむきなのでぜひ送ってあげたいけど、彼女が書いた住所は、わたしには読めないウイグル語だった。
あとでホテルにもどって、服務員にこれを漢字に直してくれないかと頼むと、彼女もちゅうちょした様子で、レストランに勤めるウイグル人に頼んでくれた。
トルファンでウイグル人が習うのはウイグル語が主であり、漢語はせいぜい1日1時間くらいのものだそうだ。
ガイドのアイプ君は、日本人が英語を習うようなものですよという。
女の子が書いてくれた住所の最後はJIAMAL NIZAMとなっていて、これが名前らしいけど、男の名前みたいだから父親の名前かも知れない。

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いったんホテルにもどり、シャワーをあびてまた自転車で、今度は市内の西部を目指した。
街道すじには6本ミナーレのモスク(イスラム寺院)があった。
ミナーレというのはモスクのわきにそびえる突塔のことで、トルコなんかに行くとその本数でモスクの格式がわかる。
モスクのまえには花が植えられて、周辺はきれいに整備されていた。
モスクはひとつだけではなく、トルファン市内に少なくてももうひとつはあって、けっしてイスラム教が禁止されているわけではないようだった。
モスクのまえの道をまっすぐどこまでもいけば、交河故城に出るはずだったけど、今回は見逃した。

暑いこともあって、どうも食欲がないけど、とちゅうの屋台で烤羊肉(串焼き肉)を食った。
これで朝食と昼食をかねるつもりで、5本も食ってしまった。
しかしどうも肉を受け付けなくなってしまったわたしの体には、いささか重荷だったみたい。
無理やりお腹に押し込んでいると、店の主人がジャポン?と訊く。
主人は不精ヒゲのウイグルだったけど、ええと答えたら、とたんに機嫌がよくなった。
ウイグル人が漢族に好感を持ってないのは確かなようで、しかし日本人に対しては、銭をばらまいてくれるからという点を差し引いても、悪い印象は持ってないらしい。
この店でも店主やまわりにいた人など、みんなわたしが日本人とわかると愛想がよかった。

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暑さは相当のものである。
ろくな食事もしていないわたしは自転車でへばってしまって、午後2時すこし前にはホテルにもどった。
前夜寝られなかったぶん昼寝をすることにした。
エアコンは壊れているわけではなく、機械本体と枕もとの両方のスイッチを入れなければいけなかったのだ。
5時ごろまでひと眠り。
エアコンを使ったにもかかわらず、まだ熟睡にはほど遠かった。

目をさましてまたバザールを見物に行き、夕飯も食わなくちゃと、食堂でビールと水餃子を注文した。
イスラムは本来アルコール禁止のはずだけど、トルファンはそういう点で進歩(堕落?)している。
この店にはウイグル人のおばさん、亭主らしき男、そしてやぶにらみのような娘がいた。
彼らのだれも漢語が話せなかった。
わたしがなにかいうと、すぐ前の店で烤羊肉を売っている奥さんが呼ばれて飛んでくる。
食事は暑さよけに辛いものをと、酸湯餃子にしてもらったのに、あまり酢が効いておらず、酸湯らしくなかった。
うまいまずいはともかく、ほとんど食えなかった。
ビールで無理やり胃袋に押し込む感じで、見ているうちに吐き気までしてきそうになる。
体調があまりよくないのかなと、そうそうに引き上げることにした。

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この食堂で気になるものを見た。
店のかたすみに小学生くらいの女の子が3人、かたみがせまそうに座っていたのである。
そのうち店のおばさんが、ほらといって少女たちにどんぶりの食事を与えると、少女たちは空腹だったらしく、かぶりつくようにそれを食べていた。
わたしは後ろ向きにものを考えてしまう人間なので信用されても困るけど、なんらかの事情で両親のいない子供たちが、この店に預けられて面倒をみてもらっている雰囲気だった。
イスラムの経典には、他人にほどこしをすることという文章があるくらいだから、わたしが心配してやる必要もないかも知れないけど、戦後の日本にはこういう子供たちがあふれていたものである。

ホテルにもどり、フロントに出向いて、翌々日の列車の切符は予約できますかと訊くと、あちらに旅行社の人がいますのであちらでといわれる
旅行社の人はメガネをかけた痩身の漢族女性で、英語がわかりますかと訊く。
英語なんかわからないんだけど、相手のいうことにウンウンとうなづいておく。
わたしが赤い印をつけた便の切符をというと、彼女は自分の時刻表を見て、オー、ノーという。
その便はいまはありません、こっちならありますという。
旅行社の人がそういうのならそうなのだろうと、わたしは14時台の切符を取ってもらうことにした。
到着駅は張掖にしてもらった。

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Jhon's CAFEにモバイルギアを持ち込み、集まってきたアイプ君とその仲間たちを相手に会話をする。
アイプ君が、観光に行くなら自分のタクシーを使ってほしかったとぶつぶついう。
そんなことをいわれても、わたしだって成り行きで予約してしまったのだからどうにもならないではないか。
トルファンの観光業界も競争は激しいようだ。
この席にはタクシーの運転手をしているアイプ君のお兄さんもいたけど、このへんの男たちの典型的なひとつのタイプで、ハンチングをかぶっていた。
明日はタクシーが迎えに来る予定なのに体調が万全ではないようだから、このあとは早めに部屋にもどって寝ておくことにした。

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2024年6月 1日 (土)

中国の旅/彷徨の1

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この日は目がさめたあと、アイプ君の自転車を借りてトルファン市内や郊外をふらふらしたんだけど、わたしには夢みたいな体験なので写真を撮りまくった。
とはいうものの、まだ現像や紙焼きに金のかかるフィルムを使う時代だったので、貧乏なわたしにはおのずから撮影枚数に制約がある。
撮影後の処理をぜんぶ自分でできる現在のデジタル時代なら、このサイクリングだけで数百枚は撮ったんじゃないか。
それほど刺激的なサイクリングだったのだ。
残念ながらじっさいに撮影したのはフィルム3本ぐらいだったけど、ここではその写真を、紀行記とともに2回に分けて紹介する。


部屋の換気が悪くて、蒸し暑く、寝苦しいということがあったかも知れないけど、昨夜はどういうわけかなかなか眠れなかった。
エアコンのスイッチを入れてみるとウンともスンともいわない。
えいっと夜中の4時に起きてしまった。
夜明けの遅いこの土地では明るくなるまでに2時間はあるだろう。
トマトをかじりながらいろいろ考えた。
そろそろ帰りのことを考えなくてはならない。
日本に帰国する日は決まっているのだから、それから逆算して、トルファン以降のスケジュールを決めなければならないのである。
ベッドに横になったまま、列車の時刻表をにらんでいろいろ計画を練った。

今日は17日である。
あさっての19日にトルファンを発つとして、上海には余裕をみて2日ぐらいまえにもどると考えると、シルクロードのどこか途中の町にもう1カ所ぐらいは寄り道ができそうだ。
わたしは途中で田んぼを見ておどろいた張掖という町に寄ることにした。
あの田んぼはほんとに日本と同じ田んぼなのか、すぐ近くから確かめてみたかった。

張掖までの列車の時刻を確認し、乗るべき列車も選び出したけど、まだ5時にもならない。
時間つぶしにこれまでの旅行費の清算もしてみた。
出発時に持っていた金からいま残っている金を引き、カードで支払ったホテル代がなにがしと、いろいろ計算してみると、これまで2週間で使った金が、ホテル代を入れても12万円と少しだ。
ケチケチ旅行でもないし、土産や食事に金を使う旅でもない。
モーム流の旅ではこのくらいは仕方ないというか、ま、わたしのいつもの旅の予算内である。

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ようやく明るくなったのでバザールでも見にいこうと、ふらりとホテルの門の外に出たら、その道すがら屋外で寝ている人たちをあちこちで見た。
はなはだしいのはブドウ棚の下の歩道にボロ切れのように転がっていて、ハエがたかっているから、ヘタすると死人とまちがえる。
トルファンは海より低い盆地の底にあるから暑いのだといい、確かにここはウルムチなどに比べると、むっとする暑さである。

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バザールにはロバやウマが集結していた。
朝の6時ではここに並ぶのはほとんど野菜と果物で、なんとなく日本の大久保にあるやっちゃば(野菜市場)を連想する。
並んでいた果物は、これはもうウリ、スイカ、アンズくらいで、これにモモが少々。
わたしはトマトや新鮮野菜を見ているとよだれが出るんだけど、トマトはまだ前日に買ったものが部屋に残っていた。

バザールを一巡し、食欲もないので、写真を撮っただけでホテルへもどってきた。
ホテルの近くのキヨスクみたいな商店でヨーグルトを飲む。
これは1元で、ビールは3元だとか。
なかなか良心的な店だから、帰国までしょっちゅう顔を出していたので、店のおばさんと顔見知りになってしまった。

9時になるとアイプ君が自転車を持ってくる約束である。
時間になって出ていってみると、アイプ君のかわりにウーマ君というウイグルの若者が門のところに立っていて、自転車を預かっていますという。
ちょっと意表をつかれたけど、自転車はいちおう(そうとうガタの来ている)マウンテンバイクだった。

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午前中は自転車でふらふらと、まずホテル前の道を南へ向かってみる。
すぐに十字路にぶつかり、そのへんの畑で男たちが口論をしているのを見た。
いかにもイスラム教徒と思える白いヒゲのじいさんを含む数人が、おとなしそうなひとりの農夫をとりかこんでなにか責め立てていた。
殴り合いになったら、部外者のわたしが仲裁に入らなくちゃいけないかなとしばらく見ていると、ロバ車に乗ったウイグル人が通りかかって、あぶなっかしい日本語で日本人ですかと訊く。
ええ、そうですと答えると、明日、ワタシの車で観光をしませんかという。
畑のまん中にもこういう手合いがいるのかとうんざりしたけど、かなり強引な誘いで、最初450元といったのが、金がないというと300元にまで値下げした。
車はサンタナだというから、それじゃいいかと、わたしもまた明日1日自転車というのも脳がない話なので、契約することにした。
このウイグル人がいうのには、喧嘩をしているのはウイグルと回族の農民だそうだ。
おそらく日本でもむかしよくあった土地の境界争いか、水利権をめぐってのトラブルかも知れない。

もっと見ていたかったけど、それ以上暴力にまで発展しそうもないし、ロバ車のウイグル人が、このままこっちへ行くと蘇公塔ですというので、そっちへ行くことにした。
わたしには特別な目的があるわけではないから、畑のあいだをまたふらふらと自転車をこぐ。
もうわかってきたと思うけど、わたしはこんなふうに当てどもなく自転車でさまようのが無性に好きである。
ポプラの屹立する田舎道で、出会ったロバ車の農夫に、大声で挨拶したくなってしまうくらいだ。

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「蘇公塔」というのはトルファンにある名所のひとつで、なんでもむかしのエライさんの記念碑だそうだ。
塔は土の壁にかこまれており、入場料は外国人が12元だという。
軍人は無料と書いてあったから、わたしは日本の軍人だけどダメだろうかと聞いてみた。
受付のおばさんはわたしの冗談がすぐに理解できなかったようで、ニホンノ軍人・・・とつぶやくと、もちろんダメ!である。
割高なくせにてっぺんには登れないというので、それじゃいいやといって、写真を撮るだけで帰ることにした。
蘇公塔のまわりは畑になっていて、すきを使って畝を掘り起こしている農夫がいた。
ひとすきごとに農夫のまわりに乾いた土ぼこりが舞う。
日本の農民はめぐまれていると思わざるを得ない。

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蘇公塔の帰りがけに売店に寄ったら日本語で話しかけてきた人がいた。
ウリを買って、そこにいた5人ばかりのグループとテーブルで会話をする。
彼らは、ひとりの蒙古族をのぞいてはみな漢族で、売店の主人は赤ん坊をあやすウイグルの女性だった。
ここで食べたハミウリは10元で、汁気たっぷりで美味しかった。

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