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2024年6月30日 (日)

中国の旅/おまけの西安

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目的地の変更をしないまま寝てしまったら、夜中の2時に車掌が起こしにきた。
何かと思ったら、西安までの切符が欲しかったら12号車に行けとのことである。
そんなことは朝になってからか、もしくはどうして前日にやらせてくれなかったのか、なんで夜中の2時に寝ている人間を叩き起こしてやらなくちゃいけないのか。
中国の列車の車掌の心理や行動は研究に値するど、おい。
12号車に行けということは、そっちへ引っ越ししろということなのか、たしかあっちは硬臥席ではなかったはずだけどなと、半信半疑のまま、とりあえず小物だけを持って12号車に行ってみた。
わたしの車両は3号車で、夜中にそこから12号車まで歩くのは楽じゃない。

12号車では3人の女車掌がつまらなそうな顔をしてお茶を飲んでいた。
これこれこうだと事情を説明すると、ひとりがせまい車掌室に入って新しい切符を発行してくれた。
なんのことはない、これまでの3号車のままで、ただ上段から下段に替わったたけだった。

3号車にもどり、新しい下段ベッドに行ってみたら、夜中だというのに起きて座っている男性がいた。
彼をわずらわせるのもイヤだったし、わたしはけっこう上段が気に入っていたので、そのままこれまでのベッドに寝ることにした。
寝ながら考えた。
夜中に切符の延長手続きをするというのは、つまり、ベッドが空いたのが夜中だったからということかもしれない。
夜中になってどこかの駅でようやく下車した客がいたので、そのベッドがわたしにまわってきたんじゃないか、ナルホド。
新しい切符は113元だった。
いよいよ残りの金が少なくなったけど、おかげでわたしはほぼ予定どおりに西安に到着することができそう。

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ということで、1997年のシルクロードをめぐる旅もふりだしにもどってきた。
わたしはこのあと2000年にふたたび新疆ウイグル自治区へ旅をしたので、今度はそっちの報告をしたくてたまらないのだ。
まごまごしているとわたしも老衰であとがないし、世界は核戦争に突入してるようなので急がなくちゃ。
ところでこの旅の最後にどうして西安が出てきたのか。
西安に行ったのは1995年のいちどだけだったので、シルクロードの出発点とされるこの街をもういちど見たかったのである。
ついでに西安で見た女性のなかに印象的な女性がいたので、彼女の写真を最後に紹介して、この紀行記を終えようと思ったのだ。
ほかに特に書きたいことがあるわけではないので、このあとは西安で見聞きしたことだらだらと並べる。

駅前でつきまとってきた客引きの中に、前回の西安訪問のとき、やはり駅前で知り合った、ちょっと美人のお姉さんがいた。
おい、わたしはキミを知っているよというと、彼女は、えっ、ああ、あの日本人と叫んだ。
よほど日本人と遭遇することが少ないのか、わたしの印象が強烈だったのか。

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タクシーをつかまえて人民大廈へ。
この日の西安は夏日で、太陽がさんと照りつけ、ひじょうに暑かった。
わたしがおおいそぎで車の窓を開けると、運転手が閉めろという。
西安のタクシーにもエアコンがついていたのである。
談合料金の15元で到着して、カードが使えないというので、フロントでまず1万円を両替して、やっとひと息ついた。
これでまたわたしも日本の富豪である。

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荷物を部屋に放り出して、とりあえず街をぶらつきに出る。
まず大きな交差点のまん中にあって、西安のランドマークにもなっている鐘楼へ行ってみたら、交差点の一角に大きな建物が建設中だった。
まだ外観の一部しか完成してないので何ができるのかわからないけど、屋根は瓦のある中国式建物で、地下広場などもできるようだからスケールはかなり大きい(3年後に行ってみたら半地下のショッピングモールだった)。

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わたしは西安に、はじめて行った95年のあと、97年、2000年、2008年、2011年と5回も行っているので、この街の変貌を、上海と同じようにリアルタイムで眺めることになった。
中国は貧しかった時代、また紅衛兵の騒動でいちどは見捨てられていたこの国の歴史ある文物を、大急ぎで改修して、もういちど世界に誇りうる歴史遺産にしつつあったのだ。
始皇帝陵など、わたしが初めて見たときは果樹園のなかのちっぽけな丘に過ぎなかったものが、現在では日本の明治神宮のように、神域にふさわしいうっそうとした樹木におおわれている。
変わらないのは明代の城壁だけだけど、その上は欧米からの観光客のサイクリングロードになってしまった。
そういえばはじめて見たとき、駅の近くに一部城壁が破壊されている場所があったけど、あそこも修復されて自転車で完全に一周できるようになったのだろうか。

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西安の鐘楼は登ることができる。
しかしTシャツにジーンズの女の子が、上から天女の衣装をまとって、古典楽器を奏でているだけということを知っていたから、今回は無視してしまった。
鐘楼より百貨店のほうが興味があったので、近くにあったデパートに入ってみた。
1階でパソコンを使った化粧品選びのデモンストレーションが開かれていた。
化粧品に興味はないけど、マイクロソフトの中国語ワープロが組み込まれていたのが興味を引いた。
ウィンドウズ95が発売された1995年をパソコン元年とすれば、その2年後には、マイクロソフトはすでに中国でも自社製の中国語ワープロを売り込んでいたわけだ。
わたしにかぎれば、いまでもジャストシステムの「一太郎」を愛用しているけど、パソコンを買い替えたときなど苦労することがある。

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西安市内でどうしても見たいものに回族の居住区があった。
不潔でゴミゴミしたところが、かえって異様な魅力になっている街の一画である。
しかしここはまだそれほど変わっていなかった。
じっさいに人間が暮らしている町を、区画整理で強制退去なんかさせると、また少数民族の迫害だなんて外国がうるさいから、改造もいちばん後まわしになっていたのかも知れない。
わたしは2年まえに来たとき、つぎのあたったエプロン姿でうどん粉を練る、グレーの瞳の美しい回族の娘を見かけ、人間は生まれた場所ひとつでこうも運命が変わってしまうのかと、形而上学的に悩んだことがある。
日本に生まれていればファッション・モデルでも勤まりそうなその娘がいないかと、回族の居住区をうろうろしてみたけど、もう店の場所もわからなくなっていた。

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このときは行ってみなかったものの、大雁塔のあたりは三蔵法師の像が建てられて歴史公園として大改造が始まっていた。
トルファンの火焔山では、サルやブタを連れてだいぶマンガチックな坊さんだったけど、ここではまじめな托鉢僧の姿である。
わたしが最後に西安に行ったのは2011年で、これが西安の見納めになったけど、そのときと比べてもこの街の変化は大きい。
日本の弘法大師こと空海ゆかりの青龍寺(これは真言宗もだいぶスポンサーになったらしい)も、日本庭園のある立派な寺になって、日本人の観光ツアーにかならず含まれるようになり、わたしみたいなバチ当たりにはかえって迷惑。
兵馬俑が世界遺産に登録されたおかげで、やかましい欧米人観光客まで押し寄せるようになり、現在の西安は、まるで全体が作り物のテーマパークみたいになってしまった。
わたしは初めて見たころの、なにもかも素朴だった西安をなつかしく思い出す。

鐘楼のあたりまでもどってきて、メシを食うか、食わずにおくか思案していると、たまたまきれいな娘がレジをやっている食堂が目に入ったので、ふらふらと入ってしまった。
このレジ係りはなかなか魅力的な娘だった。
目が大きく、お尻がつんと上がって、若いころのブリジット・バルドーを思わせる、いわゆる魔性のタイプ。
中国ではこういう魅力的な娘が、ラーメン屋のおかみさんなどをやっていることがよくある。
もっとも彼女は娘ではなかった。
ときどき小さな男の子が店頭にあらわれて、アイスクリームのボックスを開けたりすると、娘がダメよといってしかる。
あれはあなたの子供かいと訊くと、そうよと平然としている。

店の若い男性店員に、トマトあるかいと文字で書いて示すと、店員はおどおどして、ありませんという。
レジの娘がわたしのメモをのぞきこんで、何いってんの、そこにあるでしょと店員を叱りつける。
かわいそうにこの店では、男の店員は娘にアゴで使われているのである。

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この日の彼女はスッピンで、まったくお化粧をしてなかったので、ちゃんとおしゃれをした顔を見てみたいとわたしは思った。
写真を撮っていいかいと尋ねると、ダメというくせに、強引にカメラを向けるとそしらぬ顔でポーズをとる。
自分の魅力にそうとう自信があるらしい。
というわけで、わたしがだらだらと西安の文章をつづってきたのは、この娘の写真をボツにしたくなかったのである。
彼女の残像を脳裏に刻んだところで、1997年の、わたしの初めてのシルクロード紀行を終わりにしよう。
なに、すぐにつぎの紀行記が始まります。

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