中国の旅/彷徨の1
この日は目がさめたあと、アイプ君の自転車を借りてトルファン市内や郊外をふらふらしたんだけど、わたしには夢みたいな体験なので写真を撮りまくった。
とはいうものの、まだ現像や紙焼きに金のかかるフィルムを使う時代だったので、貧乏なわたしにはおのずから撮影枚数に制約がある。
撮影後の処理をぜんぶ自分でできる現在のデジタル時代なら、このサイクリングだけで数百枚は撮ったんじゃないか。
それほど刺激的なサイクリングだったのだ。
残念ながらじっさいに撮影したのはフィルム3本ぐらいだったけど、ここではその写真を、紀行記とともに2回に分けて紹介する。
部屋の換気が悪くて、蒸し暑く、寝苦しいということがあったかも知れないけど、昨夜はどういうわけかなかなか眠れなかった。
エアコンのスイッチを入れてみるとウンともスンともいわない。
えいっと夜中の4時に起きてしまった。
夜明けの遅いこの土地では明るくなるまでに2時間はあるだろう。
トマトをかじりながらいろいろ考えた。
そろそろ帰りのことを考えなくてはならない。
日本に帰国する日は決まっているのだから、それから逆算して、トルファン以降のスケジュールを決めなければならないのである。
ベッドに横になったまま、列車の時刻表をにらんでいろいろ計画を練った。
今日は17日である。
あさっての19日にトルファンを発つとして、上海には余裕をみて2日ぐらいまえにもどると考えると、シルクロードのどこか途中の町にもう1カ所ぐらいは寄り道ができそうだ。
わたしは途中で田んぼを見ておどろいた張掖という町に寄ることにした。
あの田んぼはほんとに日本と同じ田んぼなのか、すぐ近くから確かめてみたかった。
張掖までの列車の時刻を確認し、乗るべき列車も選び出したけど、まだ5時にもならない。
時間つぶしにこれまでの旅行費の清算もしてみた。
出発時に持っていた金からいま残っている金を引き、カードで支払ったホテル代がなにがしと、いろいろ計算してみると、これまで2週間で使った金が、ホテル代を入れても12万円と少しだ。
ケチケチ旅行でもないし、土産や食事に金を使う旅でもない。
モーム流の旅ではこのくらいは仕方ないというか、ま、わたしのいつもの旅の予算内である。
ようやく明るくなったのでバザールでも見にいこうと、ふらりとホテルの門の外に出たら、その道すがら屋外で寝ている人たちをあちこちで見た。
はなはだしいのはブドウ棚の下の歩道にボロ切れのように転がっていて、ハエがたかっているから、ヘタすると死人とまちがえる。
トルファンは海より低い盆地の底にあるから暑いのだといい、確かにここはウルムチなどに比べると、むっとする暑さである。
バザールにはロバやウマが集結していた。
朝の6時ではここに並ぶのはほとんど野菜と果物で、なんとなく日本の大久保にあるやっちゃば(野菜市場)を連想する。
並んでいた果物は、これはもうウリ、スイカ、アンズくらいで、これにモモが少々。
わたしはトマトや新鮮野菜を見ているとよだれが出るんだけど、トマトはまだ前日に買ったものが部屋に残っていた。
バザールを一巡し、食欲もないので、写真を撮っただけでホテルへもどってきた。
ホテルの近くのキヨスクみたいな商店でヨーグルトを飲む。
これは1元で、ビールは3元だとか。
なかなか良心的な店だから、帰国までしょっちゅう顔を出していたので、店のおばさんと顔見知りになってしまった。
9時になるとアイプ君が自転車を持ってくる約束である。
時間になって出ていってみると、アイプ君のかわりにウーマ君というウイグルの若者が門のところに立っていて、自転車を預かっていますという。
ちょっと意表をつかれたけど、自転車はいちおう(そうとうガタの来ている)マウンテンバイクだった。
午前中は自転車でふらふらと、まずホテル前の道を南へ向かってみる。
すぐに十字路にぶつかり、そのへんの畑で男たちが口論をしているのを見た。
いかにもイスラム教徒と思える白いヒゲのじいさんを含む数人が、おとなしそうなひとりの農夫をとりかこんでなにか責め立てていた。
殴り合いになったら、部外者のわたしが仲裁に入らなくちゃいけないかなとしばらく見ていると、ロバ車に乗ったウイグル人が通りかかって、あぶなっかしい日本語で日本人ですかと訊く。
ええ、そうですと答えると、明日、ワタシの車で観光をしませんかという。
畑のまん中にもこういう手合いがいるのかとうんざりしたけど、かなり強引な誘いで、最初450元といったのが、金がないというと300元にまで値下げした。
車はサンタナだというから、それじゃいいかと、わたしもまた明日1日自転車というのも脳がない話なので、契約することにした。
このウイグル人がいうのには、喧嘩をしているのはウイグルと回族の農民だそうだ。
おそらく日本でもむかしよくあった土地の境界争いか、水利権をめぐってのトラブルかも知れない。
もっと見ていたかったけど、それ以上暴力にまで発展しそうもないし、ロバ車のウイグル人が、このままこっちへ行くと蘇公塔ですというので、そっちへ行くことにした。
わたしには特別な目的があるわけではないから、畑のあいだをまたふらふらと自転車をこぐ。
もうわかってきたと思うけど、わたしはこんなふうに当てどもなく自転車でさまようのが無性に好きである。
ポプラの屹立する田舎道で、出会ったロバ車の農夫に、大声で挨拶したくなってしまうくらいだ。
「蘇公塔」というのはトルファンにある名所のひとつで、なんでもむかしのエライさんの記念碑だそうだ。
塔は土の壁にかこまれており、入場料は外国人が12元だという。
軍人は無料と書いてあったから、わたしは日本の軍人だけどダメだろうかと聞いてみた。
受付のおばさんはわたしの冗談がすぐに理解できなかったようで、ニホンノ軍人・・・とつぶやくと、もちろんダメ!である。
割高なくせにてっぺんには登れないというので、それじゃいいやといって、写真を撮るだけで帰ることにした。
蘇公塔のまわりは畑になっていて、すきを使って畝を掘り起こしている農夫がいた。
ひとすきごとに農夫のまわりに乾いた土ぼこりが舞う。
日本の農民はめぐまれていると思わざるを得ない。
蘇公塔の帰りがけに売店に寄ったら日本語で話しかけてきた人がいた。
ウリを買って、そこにいた5人ばかりのグループとテーブルで会話をする。
彼らは、ひとりの蒙古族をのぞいてはみな漢族で、売店の主人は赤ん坊をあやすウイグルの女性だった。
ここで食べたハミウリは10元で、汁気たっぷりで美味しかった。
| 固定リンク | 0
« スケベ女 | トップページ | 中国の旅/彷徨の2 »
コメント