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2024年6月 2日 (日)

中国の旅/彷徨の2

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やはり農村をふらふらしているのがいちばん楽しい。
村の水路で小さな子供たちが遊んでいたり、ポプラ並木ですごいウイグル美人の自転車とすれちがったり、畑のわきの水路に足をひたして、若い娘が本を読んでいたりする。
わたしは列車から何度も見たヒツジの放牧地を見たかった。
しかしヒツジは農作物を食べてしまうので、農村のずっとはずれに行かないと見られないそうである。

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トルファンの田舎を徘徊しながら、あちらこちらで写真を撮っていると、ときどき不思議な気持ちになることがあった。
この景色は子供のころどこかで見たことがある。
まわりの樹木も家の造りも、人々の生活様式だって違うのに、たとえば農家の内部をうかがうと、納屋があってホコリだらけの農機具がしまわれている。
裸足の子供たちが走りまわり、小川で洗濯をする子供がおり、ニワトリが放し飼いにされていて、庭でミシンを使っている婦人が見えたりする。
炎天下を女性たちが、ひたいにハンカチをかざしながら歩いている。
あの女性が連れているのは幼いころのわたしじゃないのか。
わたしは母親に連れられて田舎の親戚へ行った、遠い遠いむかしのことを思い出していたのだ。

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自転車の徘徊にはこういう利点がある。
車の運転でこんな空想、夢想、妄想にふけっていたら、自分や他人の命がいくつあっても足りない。
わたしはこの旅のまえまで、ウイグルは砂漠の遊牧民族だとばかり思っていたけど、トルファンで農村を見てまわっているうち、彼らも日本人と同じ農耕民族であるという確信を持った。

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ある村でいたいけな少女が、写真を送ってちょうだいという。
その顔があまりひたむきなのでぜひ送ってあげたいけど、彼女が書いた住所は、わたしには読めないウイグル語だった。
あとでホテルにもどって、服務員にこれを漢字に直してくれないかと頼むと、彼女もちゅうちょした様子で、レストランに勤めるウイグル人に頼んでくれた。
トルファンでウイグル人が習うのはウイグル語が主であり、漢語はせいぜい1日1時間くらいのものだそうだ。
ガイドのアイプ君は、日本人が英語を習うようなものですよという。
女の子が書いてくれた住所の最後はJIAMAL NIZAMとなっていて、これが名前らしいけど、男の名前みたいだから父親の名前かも知れない。

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いったんホテルにもどり、シャワーをあびてまた自転車で、今度は市内の西部を目指した。
街道すじには6本ミナーレのモスク(イスラム寺院)があった。
ミナーレというのはモスクのわきにそびえる突塔のことで、トルコなんかに行くとその本数でモスクの格式がわかる。
モスクのまえには花が植えられて、周辺はきれいに整備されていた。
モスクはひとつだけではなく、トルファン市内に少なくてももうひとつはあって、けっしてイスラム教が禁止されているわけではないようだった。
モスクのまえの道をまっすぐどこまでもいけば、交河故城に出るはずだったけど、今回は見逃した。

暑いこともあって、どうも食欲がないけど、とちゅうの屋台で烤羊肉(串焼き肉)を食った。
これで朝食と昼食をかねるつもりで、5本も食ってしまった。
しかしどうも肉を受け付けなくなってしまったわたしの体には、いささか重荷だったみたい。
無理やりお腹に押し込んでいると、店の主人がジャポン?と訊く。
主人は不精ヒゲのウイグルだったけど、ええと答えたら、とたんに機嫌がよくなった。
ウイグル人が漢族に好感を持ってないのは確かなようで、しかし日本人に対しては、銭をばらまいてくれるからという点を差し引いても、悪い印象は持ってないらしい。
この店でも店主やまわりにいた人など、みんなわたしが日本人とわかると愛想がよかった。

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暑さは相当のものである。
ろくな食事もしていないわたしは自転車でへばってしまって、午後2時すこし前にはホテルにもどった。
前夜寝られなかったぶん昼寝をすることにした。
エアコンは壊れているわけではなく、機械本体と枕もとの両方のスイッチを入れなければいけなかったのだ。
5時ごろまでひと眠り。
エアコンを使ったにもかかわらず、まだ熟睡にはほど遠かった。

目をさましてまたバザールを見物に行き、夕飯も食わなくちゃと、食堂でビールと水餃子を注文した。
イスラムは本来アルコール禁止のはずだけど、トルファンはそういう点で進歩(堕落?)している。
この店にはウイグル人のおばさん、亭主らしき男、そしてやぶにらみのような娘がいた。
彼らのだれも漢語が話せなかった。
わたしがなにかいうと、すぐ前の店で烤羊肉を売っている奥さんが呼ばれて飛んでくる。
食事は暑さよけに辛いものをと、酸湯餃子にしてもらったのに、あまり酢が効いておらず、酸湯らしくなかった。
うまいまずいはともかく、ほとんど食えなかった。
ビールで無理やり胃袋に押し込む感じで、見ているうちに吐き気までしてきそうになる。
体調があまりよくないのかなと、そうそうに引き上げることにした。

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この食堂で気になるものを見た。
店のかたすみに小学生くらいの女の子が3人、かたみがせまそうに座っていたのである。
そのうち店のおばさんが、ほらといって少女たちにどんぶりの食事を与えると、少女たちは空腹だったらしく、かぶりつくようにそれを食べていた。
わたしは後ろ向きにものを考えてしまう人間なので信用されても困るけど、なんらかの事情で両親のいない子供たちが、この店に預けられて面倒をみてもらっている雰囲気だった。
イスラムの経典には、他人にほどこしをすることという文章があるくらいだから、わたしが心配してやる必要もないかも知れないけど、戦後の日本にはこういう子供たちがあふれていたものである。

ホテルにもどり、フロントに出向いて、翌々日の列車の切符は予約できますかと訊くと、あちらに旅行社の人がいますのであちらでといわれる
旅行社の人はメガネをかけた痩身の漢族女性で、英語がわかりますかと訊く。
英語なんかわからないんだけど、相手のいうことにウンウンとうなづいておく。
わたしが赤い印をつけた便の切符をというと、彼女は自分の時刻表を見て、オー、ノーという。
その便はいまはありません、こっちならありますという。
旅行社の人がそういうのならそうなのだろうと、わたしは14時台の切符を取ってもらうことにした。
到着駅は張掖にしてもらった。

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Jhon's CAFEにモバイルギアを持ち込み、集まってきたアイプ君とその仲間たちを相手に会話をする。
アイプ君が、観光に行くなら自分のタクシーを使ってほしかったとぶつぶついう。
そんなことをいわれても、わたしだって成り行きで予約してしまったのだからどうにもならないではないか。
トルファンの観光業界も競争は激しいようだ。
この席にはタクシーの運転手をしているアイプ君のお兄さんもいたけど、このへんの男たちの典型的なひとつのタイプで、ハンチングをかぶっていた。
明日はタクシーが迎えに来る予定なのに体調が万全ではないようだから、このあとは早めに部屋にもどって寝ておくことにした。

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