中国の旅/張掖
張掖(ちょうえき)はどんな街だろう。
わたしはたまたま往路で列車の車窓から水田を発見し、シルクロードに田んぼという意表をつく取り合わせに興味をひかれただけで、この旅に出るまでまったくこの街を知らなかったし、もちろんアナタも知らないだろう。
ウィキペディアを見ると
張掖とは「国の臂掖を張り」(『漢書』地理志の応劭注)、西域に通じるという意味でつけられた名前だという・・・・
うーん、わからん。
街の名前の由来に驃騎将軍の霍去病(かくきょへい)の名が出てきたので、こっちのほうはいくらかわかった。
ようするにずっとむかし、中国(漢)が匈奴と争っていたころ、相手を殲滅するために中国の軍勢がどうしても通らなければいけない、河西回廊の要衝だったってことぐらいでいいんじゃないか。
市内や郊外に古刹や歴史的遺物が多く、1986年12月には中華人民共和国で、国家歴史文化名城のひとつに選ばれたそうである。
街の印象は漢族が多く、城壁をとっぱらった西安みたいで、もちろん一歩郊外に出れば、まわりは新疆と変わらない砂漠である。
列車は定刻に張掖に到着した。
駅は農村みたいなところにあって、市内まで歩くと1時間以上かかるという。
ということは4キロ以上あるということか。
するとタクシー代は・・・・と胸算用をし、駅で話しかけてきたタクシーが15元といったのを、まあ、ふっかけているわけでもなさそうだからOKした。
わたしが下車した張掖の駅は現在どうなってるのかと調べてみたら、その後新しい駅舎に模様替えしたようで、それなり変化はあったようである。
ここに載せた写真は、上がわたしが下りた張掖の駅、下が最近の同じ駅で、あきらかに変わっている。
しかし蘭州からウルムチ方向へは、新しい高速鉄道ができているはずだから、とうぜん張掖にも新しい駅ができているのでないかと探してみたら「張掖西駅」というのが見つかった。
現在は西駅のほうが乗客の利便性から、メインの駅になっているようだ。
知らないけど、張掖西駅には駅なか商店街なんてものもできているかも知れない。
やたら広い農地のあいだの道路を15分ほど走ると、建物が増えて街らしい景色になり、正面に寺のような建物が見えてきた。
交差点のまん中にでんと居座っているから、西安にある鐘楼のようである。
あとで調べたら「鎮遠楼」というもので、登ることができないかわり、下部に軽車両でも通れるようなトンネルができていた(車の通行は禁止)。
「地球の歩き方」を読んで、選んだホテルが「甘州賓館」だった。
“甘州”という名前は、ここはすでに甘粛省だからである。
甘州賓館を選んだ理由は、ここだけはシャワーが24時間使えると書いてあったからだけど、着いてみたら汚いホテルだった。
見せてもらった部屋も汚かったし、ドアの鍵がガタガタなのも気になった。
しかしシャワーが24時間使えるホテルがこの程度じゃ、ほかはもっとひどいだろうとあきらめることにした。
わたしの部屋は2階の212号室で、部屋代は132元。
ただいま別館を新築中で、それは10月に開館するという。
ホテルは鎮遠楼のある交差点の角といっていい場所にあり、にぎやかな通りに面していて、すぐとなりに映画館まである。
荷物をとき、まず近くにある鎮遠楼のあたりへぶらぶら。
トルファンではウイグルの民族色いっぱいだったのに、ここでは回族の帽子さえ見ない。
なんとなくほかのホテルに未練があったから、鎮遠楼のあたりにたむろしていたタクシーをつかまえ、この町でいちばん大きなホテルを知ってるかと訊いてみちた。
運転手はあるある、連れていくといったけど、たまたま、いくらやってもエンジンがかからなかった。
わたしもあまり遠くに連れていかれても困るので、これ幸いと下りてしまった。
タクシーに尋ねる必要はなかったのだ。
鎮遠楼から200メートルほど歩いたところに「金都賓館」という、甘州賓館よりきれいなホテルがあった。
金都というのは張掖の別名らしい。
このホテルに飛び込んでひと晩いくらかと訊くと、180元くらいのことをいう。
これでは甘州賓館とたいして変わらないし、おまけにフロントの女の子も美人である。
いちばん高い部屋はと訊くと、300元プラスだとか。
話のタネに300元プラスの部屋を見せてほしいといって、部屋に行ってみたら、この部屋にはベッドがなかった。
あれれと思ったらベッドルームは別にあった。
ようするに2部屋続きのVIPルームで、豪勢なものだけど、いくらなんでもわたしにそこまで必要ない。
180元の部屋でも甘州賓館よりずっとマシだったから、明日また来ますといっておく。
このあとは生鮮食品の買い出しに行くことにして、今度は若い女の子の運転するタクシーをつかまえた。
助手席にも若い娘が乗っており、2人ともまだ幼さの残る顔だちで、助手席にいるのが姉で25歳、運転しているのが妹で22歳だとか。
この妹は女優の薬師丸ひろ子によく似ていた。
南関市場というところで野菜や果物を売っているということなので、そこまていくらと訊くと、2元という話である。
走り出して、どこの人ですかと助手席の娘が訊くから、日本人と答えると、日本人は初めてだわと嬉しそうである。
わたしは明日、農村へ水田の写真を撮りに行きたいんだけど、1日借り切ってこのタクシーはいくらかと訊いてみた。
100元と答えたから、そのくらいならいいだろうと口約束で予約をしておいた。
市場でトマト、モモ、あと紫色のアンズを買い、待たせてあったタクシーでふたたびホテルまでもどる。
往復だから4元でいいかと思ったら、運転席の娘が10元だと言い出した。
それもかなり強引な言い方で、こちらの言い分に耳を貸そうとしない。
やれやれ、えらいところへ来て、えらい娘のタクシーを予約してしまったなと思う。
ホテルの近所をぶらぶらして、そのへんの書店で町の地図を買う。
張液の名物が大きな涅槃仏であることは知っていたから、ヒマつぶしに地図を見て、その像のある大仏寺というところへ行ってみることにした。
リキシャをつかまえ、5元だといってみたが、じっさいには歩いて行ける距離だった。
大仏寺は入山に22元も取る。
幸いというか不幸というか、この日はもう閉館だった。
仕方ないからこの近くにある木塔寺の塔へ行ってみることにした。
ただこの塔は「地球の歩き方」によると、中学校の倉庫として使われていて、登ることはおろか、境内に入ることもできないということだった。
そんなことはなかった。
ちゃんと門のわきに受付があり、もう帰り支度をしていた女性が、あわてて切符を売ってくれた。
こちらは外国人さん12元で、塔のまわりにはツバメが群れている。
木塔寺といっても屋根のひさしの部分が木造というだけで、建物本体はコンクリートで、レンガでもなかったから最近になって建て直ししたのではないか(じつは1926年再建のものだった)。
中国のこうした塔の例にもれず、途中の階にはベランダ以外なにもない。
最上階まで登れるけど、階段は鉄製のおそろしい急勾配で、ほとんど垂直だ。
しがみつくようにして階段を登っていくとき、境内にある別の建物の修復作業をしているのが見えた。
張掖市当局も、この歴史ある文物を中学校の倉庫にしておくより、観光名所にしたほうが利益が上がることに気がついたのだろう。
最上階にもなにもないけど、もちろん景色だけは見る価値がある。
木塔寺から鎮遠楼のほうへぶらぶら歩いて帰る。
とちゅうにある寺院は塀が傾いていて、太い丸太でつっかえ棒がしてあった。
まだ文化財まで政府や市の手がまわらないころだったのだ。
張掖の名所が鎮遠楼、道徳観、大仏寺、土塔、木塔寺、西来寺などだとすると、これらは徒歩で充分まわれる範囲にある。
郊外には黒水国漢墓群という名所もあるらしい。
しかしわたしにとって、田舎の水田以上に魅力的な場所ではなさそうだ。
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