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2024年6月 4日 (火)

中国の旅/艾丁湖

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前日に予約しておいた運転手が、朝7時半に迎えにくるということなので、目ざましをかけておいて6時半前には起きてしまった。
体調は微妙な具合なので一抹の不安がある。
疲れているはずなのに、昨夜もうとうとするだけでほとんど熟睡をしていない。
昼寝のしすぎとも思えないのは、昼寝自体あまり熟睡できているわけではないからだ。
考えてみるとここ2日くらい食事も熱心にとってない。
まじめに食べたものは、果物、野菜以外ほとんどないし、いったいどうなってるんだ、そのうちいきなりブッ倒れるんじゃないか。

ままよ、なるようになれと、7時ごろまた近所の店へヨーグルトを飲みに行ったら、タクシーを予約した前日のウイグル人に呼びとめられた。
彼の名前はアサンサンというのだそうだ。
本当はアサンで、日本人が「アサンさん」と呼ぶのを混同しているのかも知れない。
早いねえ、わたしはちょっとトイレをすませてくるからといって、パンをひとつ買って部屋へもどる。
この時わたしは百元札しか持ってなかったので、おつりがないという店の支払いはアサンサンが立て替えてくれた。

身支度を整えて出発である。
この日は薄曇りで、体調にいくらか不安を感じているわたしとしては、涼しいことはありがたかった。
じっさいにタクシーを運転するのはアサンサンではなく、キェラブという少し無精ヒゲののびた若者で、女の子にモテそうなイケメン男子だ。
アサンサンは通訳として助手席に乗る。

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タクシーは東へ向かった。
しばらくはポプラやアカシアの並木のあるのどかな農村を走る。
時々街道すじに桑の古木を見かけたので、カイコの絵を描いて、このへんではこれを飼っているのかと質問してみた。
ほんの少しはいるという返事である。
わたしは群馬県の生まれで、子供のころわたしの郷里は桑と蚕の本場だったから、桑の木は一目でわかる。
しかし考えてみると、シルクロードに滞在中だから聞いてみたものの、この地方が絹の生産地だったわけではない。
わたしの描いた絵をほかのイモムシと間違えたのかも知れない。

トルファンでもちょうど刈り入れ時期の麦畑をたくさん見た。
こういう風景もわたしの子供のころの日本の農村と少しも違わない。
ただ暑いせいで、どの農家も庭や門前、道路ぎわ、ひどいのは家からずっと離れた畑のあたりにベッドを置いて、露天で寝ている人がひじょうに多かった。
さすがに若い女性はいないけど。

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農村のはずれまでいくと、畑のあいだに耕作されてない荒れ地が混じってくる。
荒れ地の中に直径10メートルほどの、火山の噴火口のような盛り土が点々と並んでいた。
あれはカレーズだねとわたしはいう。
カレーズは何百年も前に作られた地下水道で、わたしはこれをNHKの「シルクロード」という番組で観て知っていた。
なんでも天山山脈の雪解け水を、トンネルを掘って延々とトルファンのオアシスまで運んでいるのだそうだ。
天山山脈ははるか彼方にかすんでいるのだから、難工事にはちがいなく、地下の万里の長城といわれているそうである。
NHKの番組では、張り切ったディレクターとカメラマンは、ロープを使って地下のカレーズまで降りていって取材していた。

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わたしが行った1997年にはなかったと思ったけど、現在のトルファンには「カレーズ博物館」というものもあるらしい(ここに載せた2枚の写真はネットで見つけたその写真)。
わたしもひとつのカレーズを上から覗いてみたけど、井戸のような深い穴になっていて、底が見えないくらい深かった。
街灯も柵もない原っぱにあるので、子供でも転落したらどうするのか、やはりここは自己責任の国だなと思う。

つぎに艾丁(アイディン)湖に行きましょうとアサンサンがいう。
艾丁湖は干上がった塩の湖だそうで、海より低いトルファン盆地を象徴する場所だ。
あまり勉強してなかったわたしは、どこだっていいやと答えた。

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農村地帯が終わるとまわりはいちめんの平原になった。
砂漠というには植物が多く、草原というには植物がまばらである。
短い植物群落が地の果てまで続いていて、車に座ってながめると、遠方は緑の平原に見える。
どういうわけか、湖に近づくにつれて植物の中にアシが目立ってきた。
湖が近くなるにつれてアシが増えるのは不思議ではないけど、なにしろここは干上がった塩の湖なのである。

車はそうした平原を20キロほども走っただろうか。
やがて先方に工場のようなものが見えてきた。
舗装状態が悪くてスピードを出せないものだから、見えていてもそれはなかなか近づいてこない。
この工場は製塩工場ということだった。
工場のあたりまで行くと植物群落もほとんど姿を消し、あたりは木など1本も生えていない造成地のような荒涼とした光景になった。
工場の近くには土でできた住宅があって、工場で働く漢人の住まいだという。
またこの近くに地震と水害で崩壊したという集落の跡もあり、壁だけが残っているそれは、古代の城塞跡に見えなくもなかった。
そんながれきのあいだに牛が放牧されているのが不思議だった。

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さらに驚いたのは、この工場から湖までの区間、おそらく3、4キロはあろうというその途中で、数人の若い娘が500メートルから1キロほどの間隔で点在し、道路ぞいの側溝から、長い柄のひしゃくで水をすくって道路に撒いているのを見たことだった。
いったい彼女らは何をしているのか。
側溝の水は濃い塩水で、彼女らはこれが日光によって蒸発するのが待てず、ひしゃくでもって水をすくい、少しでも早く水が干上がるのを手助けしているように見える。
しかし小さな側溝水路といっても、そのへんの水たまりとはわけが違う。
わたしには彼女らが、大海の水を汲み出そうとする愚かしさの寓話を実践しているとしか思えなかった。
べつの考えとしては、塩水を道路にぶちまけて、道路から塩を回収しているのだという見方もあるかもしれない。
しかし道路に彼女ひとりが水を撒いて、どれだけの塩が回収できるのか。
湖のそばまで行けば、原塩はブルトーザーですくい放題にすくえるのだ。
そのためにトラックが、彼女らが撒いた水の上を遠慮なく踏みにじっていく。
トラックが往復するさいのホコリよけ? まさか。
あたりに人家もなければ工場もない、1本の草木も生えていないこんな場所で、ホコリに悩むものがあるわけがない。
わけがわからない。

わたしは車を停めさせて、徒労としか思えない作業をしている女の子の写真を撮った。
一見して漢族のお姉さんで、まだ若い娘だったからなおさら、この地の果てのようなところで、たったひとりでひしゃくの水を道路にぶちまけている娘の存在が理解できない。
わたしは彼女が汲んでいる水をちょっぴりなめてみた。
かなり塩辛かった。
ところがこの塩水の中に、メダカかエビのような小さな生きものが飛び跳ねていた!
火山の硫黄のなかにさえバクテリアが存在するくらいだから、ナチュラリストの(つもりの)わたしは驚かないけど、これも生命のタフさと多様性の証明なのだろう。

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艾丁湖の湖畔に石碑が立っていて、表に漢字で、裏にウイグル語で艾丁湖と書いてある。
ここからも水はまったく見えない。
完全に干上がっているのか、それとも水面はなお数キロ先なのか。
前述したNHKの番組はわたしの旅より20年ちかく前のものだけど、その当時もアイデン湖は干上がっていて、勇敢なカメラマンはロープで身を固定して湖の泥濘に肉薄していた。

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艾丁湖は海面より154メートルも低いところにあり、むろん湖に魚はまったく棲んでいないそうである。
アサンサンがこれをごらんなさいという。
石碑の近くに小さな水たまりがあり、水のふちに氷のように塩の結晶ができていた。
あたりの土にも膨大な塩が含まれているようだった。

艾丁湖についてはヘディンの「さまよえる湖」に説明がある。
水は高いところから低いところに流れるのが当然だから、天山山脈に降った雨水は川となってトルファン盆地に流れ込み、やがてはそこに湖を形成する。
湖がいっぱいになれば、やがてどこかに出口を見出して、さらに低いところに流れ出す。
ところがトルファン盆地は、海抜が海より低いところなのだ。
これでは水はどこにも行きようがなく、猛烈な天日に照らされて、その場でじりじりと干上がってゆく。
山が多く、1ヶ所に水の溜まりにくい日本では信じにくいけど、中東にある死海もこうやってできた湖なのである。

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