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2024年7月

2024年7月31日 (水)

最近の世相

オリンピックが始まってウクライナどころじゃないのか、ここんとこNHKもいちゃもんをつけるようなニュースがないね。
と思っていたら、パレスチナのほうからちと大きいニュース。
ハマスの最高指導者が殺されたそうだ。
わたしは中東のほうには、ロシアのプーチンほど肩入れしたい指導者がいるわけじゃないから、様子見というところだけど、いよいよネタニヤフさんもヤケッパチみたいだな。
おそらくイスラエルは今回殺されたハマスの最高指導者の居場所をつねに把握していて、殺すつもりならいつでも殺せた。
しかしこれまでは全面戦争になってしまうから、相手がイラン領内にいるあいだはそうしなかった。
ところが追いつめられた権力者くらい危険なものはない。
今回、テヘランにいた相手にミサイルをぶちかますというのは、ネタニヤフさんがいよいよ最後の一線を越えたことになる。

いったいこうやって世界に紛争を巻き起こそうというのは、どこのどんな勢力なのか。
中国は必死になってイランに自制を求めているだろう。
西側の挑発に乗らないようにとBRICSに御触れをまわしているだろう。
イランが応じるかどうかわからない。
日本だって日本にいた外国の要人が、よそから飛んできた敵対国のミサイルで殺されたら安閑としてはいられまい。
これはもはや宣戦布告にふさわしいけど、NHKはあいかわらずどこか腰のひけた報道ばかり。

いまわたしは部屋でイッパイやりながらこれを書いてるんだけど、窓の下の公園でくつろいでいる女の子の2人連れが見える。
戦争になったら彼女たちも無事ではいられまい。
しかし恨むんじゃないよ。
わたしは警告した。
それを聞かないあなたたちが、いや、年端もいかない彼女たちにいっても仕方ないか。
悪いのはみんな日本の公共放送なのだ。
おじさんは警告したよということだけは覚えておいてくんなさい。

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2024年7月30日 (火)

中国の旅/石窟と娼婦

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クチャ3日目の朝は9時ごろ、前日予約していたタクシーの運転手にたたきおこされた。
荷物をまとめて亀茲賓館に引っ越しをし、このあとキジル石窟を見学に行くことにした。
「キジル石窟」について、詳しいことはウィキペディアにおまかせして、わたしはもっぱら野次馬紀行に徹しよう。

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タクシーの運転手は小太りの、陽気なイタリア人みたいなタイプで、奥さんと子供がいるといい、名前を尋ねるとマイマイティーと答えた。
でんでん虫みたいな名前だけど、後日テレビの新疆への紀行番組を観ていたら、同じ名前のウイグル人が出てきたことがあったから、それほど珍しい名前じゃないようだ。

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クチャの町のオアシスを抜けると砂漠になる。
舗装された道路の彼方に赤褐色の荒涼とした山脈がつらなっている。
タクシーはその山脈まで行くのである。
その山脈を越えてさらに先まで行くのだそうだ。
グーグルマップで目測すると50キロぐらいありそうだけど、じっさいには砂漠の中の道で、直進できるわけではないからもっとあるだろう。

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山脈は赤い岩肌で、巨人が粘土をこねあげ、とちゅうで飽きて放り出したように見える。
断層がそのまま山の形になったような場所もあり、目の位置より上にはまったく草木は生えていないといっていい。
それでも道路ぞいには短い草がしょぼしょぼと生え、白い小さな花が咲き、タマリスクが時おりピンクの花を見せていた。
とちゅうで車を停めてもらって、わざわざ花の写真を撮って、日本人は花が好きなんだよとマイマイティーにうんちくを述べる。
この山脈には川が流れていた。
幅だけはけっこう広い川だけど、水はほんの少しで、あちこちに干上がって塩の結晶が浮いていた。
山脈を超えるとまた砂漠、というより短い草の茂ったステップに近い地形で、このへんでは道路ぞいにマメ科の紅色の花や、ちょうどひと株が両手のひらに入るくらいのピンクの可憐な花が咲いていた。

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やがて先方にひとつのオアシスが見えてきた。
なんとかいう町だそうだけど、名前はすぐに忘れた。
ここまでで1時間以上かかる。
タクシーはオアシスの手前で左折し、舗装していない砂漠の中の凸凹道へわけ入った。
20分ほど揺られていくと、前方の谷あいに水量の豊富な大きな川があらわれた。
川の河川敷にあたる部分は緑地になっていて、ムギ畑や四角く区切られた耕地がひろがっている。
大きなため池も作られていて、農民の姿は見えないけど、このあたりにも小さな農村集落があるらしかった。

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この川に面した山の斜面にキジル石窟はあった。
門を入ったところに黒い人物像が立っていたから、誰かと思って説明板を読んでみると“鳩摩羅什(クラマジュウ)”とかいうお坊さんの像だそうだ。
こんな坊さんのことはまるで知らなかったし、あまり興味もないからまたウィキにおまかせ。

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石窟の入場料は25元で、日本語のガイドがつく。
残念ながら、カメラと荷物は事務所に預けさせられてしまった。
わたしの担当ガイドになったのは、まだ今年の3月から働き始めたという宋双さん。
下半身がどっしり安定しているけど、いくらかおちょぼ口の、まだ当年とって21歳だというかわいい娘で、チャイナ服にジーンズをはいていた。
彼女といろいろ話したおかげで、味もそっけもないはずのキジル石窟の見学が楽しいものになった。
石窟の対岸には赤い岩肌の険しい山が連なっており、その赤というウイグル語がギジルなのだという。
石窟の形状は敦煌の莫高窟とほとんど同じであるけれど、こちらのほうが破壊、崩壊、盗掘の傷跡は深く、大半の石窟は惨憺たるものだった。

わたしと宋小姐は、それでも6、7コの洞窟を見てまわっただろうか。
ある洞窟で彼女が、ここがサイコウの洞窟ですという。
最高の洞窟にしては、それまで見てきた洞窟とたいして変わるわけでもないと思ったら、これはじつは“最後の”洞窟ですということだった。

見物を終えて付近をぶらぶらした。
宋小姐はこの近くの生まれかと思ったら、なんと故郷は黒龍江省だという。
なんてまたこんな僻地へと訊いてみると、お兄さんがこっちで働いているので、それを頼ってきたのですという。
まことに彼女らのステージはだだっ広い。
このへんに野生動物はいませんかと訊くと、ヘビがいますという。
わたしは石窟よりもヘビを見たかったので、2人でそのあたりの薮をかきわけてヘビを探すはめになった。
彼女の話では珍しくないというんだけど、この日はこの地方には珍しく小雨まじりでちょっと肌寒い日で、ヘビもトカゲも見つからなかった。

石窟を後にしてふたたび舗装道路にもどる。
この交差点で若いウイグルの女性が同乗してきた。
こういうことはよくあるらしく、砂漠の住人にとって、暗黙の助け合い精神かなと思った。
ところがこのすぐあとにも3人の男が手をあげていたのに、こっちは無視してしまったから、これは女性にやさしいという万国共通の男の本能らしかった。
乗ってきた女性は後部座席ですぐ寝入ってしまった。

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石窟のあとは「クズルガハ烽火台」に寄った。
これはもうクチャのオアシスがま近に見える砂漠の中にあって、べつになんてことはないものだけど、写真で見るとなかなか迫力がありそうなので寄ってもらったものである。
烽火台は10メートルぐらいあるだろうか。
重要文化材の石碑が立てられているくらいで、あたりには土産もの屋もなければ、管理人すらいなかった。
土で出来ている塔だから、雨が降ればいつか溶けてなくなってしまうのではないか。
ということで調べてみると、いまでもクチャの名所として紹介されているから健在らしい。
建てられたのが2000年もまえというから、おいそれと消え去るものでもないだろうけど、しかし四半世紀近く経って、わたしが見たときよりいくらか背丈が縮んだのではないか。

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烽火台は大きな川を見下ろす場所にあり、見ものはこの川のほうだった。
川は完全に干上がっていたけど、ちょっと距離感を消失するほど雄大な景色で、まるで火星の運河のように水の流れた壮大な痕跡があるだけである。

烽火台の近くに墓地があって、土で出来たたくさんの墓が並んでいた。
しかし、なにしろ砂漠のまん中なので、土を練ったナマコのような墓石があるだけで、荘厳とか静けさとは無縁である。
墓地の先にも土盛りがあったけど、それはただ町のゴミや泥を捨てただけのようだった。

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クチャにもどったのはまだ15時ごろ。
わたしは亀茲賓館のレストランで1杯やりながらワープロを打つことにした。
ウエイトレスのウイグル娘が日本語で話しかけてきた。
彼女の名前は“瑪麗古麗(マーリクーリ)”で、19歳だという。
なかなか可愛い子で、独学で日本語を勉強しているといい、わたしのワープロにひじょうに興味を示した。
あまりに純朴で世間知らずの女の子らしかったから、わたしもひたすら真面目な日本人を装っておいた。

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亀茲賓館でわたしと親しくなった女性はもうひとりいる。
日本人からするとどこにでもいる漢族の娘だけど、色香ふんぷんのお化粧と、ウイグルにあるまじき卑猥な雰囲気で、いっぺんに娼婦とわかった。
彼女のことをかりに“愛麗”さんと呼んでおこう。
マーリクーリがしきりに目配せして、近寄らないほうがいいですと合図する。
しかしレストランのテーブルで話をするくらいいいだろうと、いくらか言葉を交わした。
愛麗嬢はわたしの持参した「地球の歩き方」を興味深そうにめくっていたけど、日本語はぜんぜんわからないそうだ。
部屋にもどると、あとから部屋まで押しかけてきた。

いい機会だから彼女の商売についていろいろ質問してみた。
しかしわたしもそんなに中国語に堪能というわけてはないから、これから書くことは、たぶんこうだろうという憶測と、わたしの勝手な想像が加えてある。

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いったいこういう大きなホテルでは、女を紹介しろという客もけっこういるらしく、ホテルの中にはマッサージ室の名目で娼婦をかかえているところや、デイトクラブのような店と提携しているところもある。
たまたま亀茲賓館では愛麗嬢がひとりで、そっちの客の要望に応えているらしい。
儲かりますかと訊くと、とてもとてもという。
彼女はホテルにとってなくてはならない存在だけど、だからといってホテルの従業員というわけではなく、食事や日常の必要品はすべて自分持ちで、さらに客があるたびに売り上げのピンハネもされるという。
だから10日も20日も客がいなかったら赤字だわという。
つまり日本の吉原やオランダの飾り窓の女のような、娼婦にとって苛酷な搾取の現実がここにもあるわけだ。
しかしこんなことは世界中のどこにも、いつの時代にもある。
最近の日本では、沖縄の風俗でバイトをして、ついでに沖縄旅行もしてくるなんてちゃっかりの女の子がいるそうで、こういうのは娼婦の風上にも置けない例外なのである。

うーん、そうですねえと、そのときのわたしは、まだ過酷な現状にあまんじていた中国の娼婦にいたく同情した。
ただし新疆にウイグルの女の子の娼婦はいないそうである。
厳格なイスラム教の国ではあるし、クチャのような田舎町ではすぐに評判になるに決まっているから、これだけは出稼ぎの漢族の娘たちが一手に引き受けているらしかった(いまはどうなってるか知らんけど)。
なんのかんのと話をして、愛麗嬢が帰ったのは40分ほど経ったあとのことだった。

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またありんくりんサン

やれやれ、また「農と島のありんくりん」さんが、なんだかよくわからない屁理屈を並べているよ。
今回もオリンピックについてだけど、フランス革命の歴史まで持ち出してマクロンさんをあげつらっている。
ありんくりんサンは、ウクライナ戦争ではロシアをけなしていたはずだけど、フランスは西側の一員としてウクライナを支援しているのに、いいのか、そんなにマクロンさんをけなすようなことを言って。
彼の主張が最初と最後で整合性がとれないのは、いまに始まったことじゃないからかまわんけど、彼の文章を読んだおかげで、レーニンやスターリンの粛清が、じつはフランス革命を忠実になぞったものであることがよくわかった。
いまでもロシアをコワい国と思っている人もいるようだけど、そのルーツはフランスにあったのだ。

フランスという国はおもしろい国で、いまは西側の一員としてアメリカに協力しているけど、むかしからアメリカのいうことは素直に聞かないという頑固な一面があった。
フランス語にこだわりを持つのもそうだし、本心では観光に来るアメリカ人を田舎者と馬鹿にしているらしい。
こういう点ではなんでもかんでも米国追従の日本とは大違いだ。

正直いうとわたしはオリンピック中継をとちゅうで放り出したので、ありんくりんサンが問題視している「最後の晩餐」の場面を見ていない。
あとで写真を見て、真っ先に連想したのがオッフェンバックの「天国と地獄」だった。
「天国と地獄」はキリスト教ではないけど、神さまの夫婦がともに不倫をしたり、最高神がハエに化けて女をくどいたり、最後は全員のカンカン踊りになるという、神さまたちを徹底的にコケにしたオペラだ(そういえばオッフェンバックもフランス人だったな)。
こういう自由な発想や精神はフランスの伝統的なもので、アメリカで差別に苦しんだ黒人ジョセフィン・ベーカーなどを暖かく迎え入れるような寛大さも持っていた。
そこには快楽や退廃を徹底的に求めるという負の側面もあったけど、法や規制に束縛されないという芸術本来の姿勢ともいえる。
わたしもパロディや悪ふざけに熱烈な愛情を感じる男だから、ほかの部分は知らんけど、「最後の晩餐」の演出は(芸術として見れば)成功だったといえるだろう。
ありんくりんサンは、これがイスラム教相手だったら絶対にやらなかっただろうといってるけど、シャルリ・エブドの襲撃事件もフランスの自由な気風が産んだ悲劇といえる。
だいたいこういうのは、宗教に対する冒涜ではなく、オレたちの神さまをバカにされたと、怒り狂ってテロリストを派遣するほうに問題があるんじゃないかね。
忘れてはならないは、シャルリの襲撃事件で死んだ警官のなかに、イスラム教徒もいたということだ。
今回の教会を怒らすようなことを、あえて押し通したフランスの姿勢だけは買ってもいいとわたしは思ってるよ。

「青ざめた馬」についてもなんかいってるけど、いままさにウクライナでは戦争と死が続いているわけだ。
フランス政府に抗議する勢力が、フランス国内にも一定数いて、それが仕組んだのなら、この演出もなかなか気が利いてるとは思わんかね。
ついでにいっておくけど、聖書やフランス革命に言及するなら、どうしてナポレオンのロシア遠征には触れんのだ。
世界中の人たちに訴えたいけど、ロシアはナポレオンとナチスドイツと、2回も大規模侵略に遭っている。
しかもドイツとの戦争では、第2次世界大戦で最大の戦死者を出した。
2度とロシア国民を侵略者の手にゆだねないというプーチンの決意を、どうしてわかってやらないのだ。
西側の住人が西側の肩を持つのはかまわないが、相手を無法者呼ばわりするのはやめろ(とくにNHK)。

わたしはありんくりんサンの文章を読むたびに、広い世間から自分に都合のいい記事や主張を集めて、自分の主張に応用しているだけのカルト宗教じゃんと思ってるんだけど、今回もそれを裏書きしてくれたようだ。

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2024年7月29日 (月)

最近の世相

ゴラン高原への爆撃があって、イスラエルがヒズボラの仕業と決めつけている。
わたしはイスラエルの自作自演ではないかと疑ってる。
証拠?
ヒズボラは、やったのはオレたちじゃないと明確に否定しているではないか。
当たり前だ、オレたちがやったといえば、当然イスラエルの反撃を招く。
それがコワくて正直なところを言えないんだよという人がいるかな。

ヒズボラにかぎらず、スーシ派にしても、あのISにしてさえ、これまで自分たちの戦果を誇らなかった組織はほとんどなく、たいていは仕掛けたほうが、あれはオレたちがやったと堂々と発表している。
中東の戦争は、イランを除けば、強国のイスラエルと弱小の反イスラエル組織の戦いだ。
反イスラエル組織にとっては自己の存在を世界に示すことがなにより重要で、ハマスのテロ攻撃も勝ち負けより、イスラエルの非道さを世界に訴えることが目的だった。
だからヒズボラがやったのなら、おおいに自慢するだろうし、なんでいまごろイスラエルの報復を恐れなくちゃいかんのだ。

しかし戦争になればイスラエルも無傷では収まらない。
どうしてわざわざ戦争を拡大する必要があるんだという人もいるかな。
冷静に考えてみよう。
いまのイスラエルは、というよりネタニヤフさんは、初心者が自転車で走っているようなものだ。
止まれば倒れる、これでは止まることもできない。
なんとかしてヒズボラやイランと全面戦争に持ち込んで、アメリカのさらなる支援を引き出したい。

つまりそういうことなんじゃないかと思ってんだよ、わたしは。
ココログの中にも3、4人は熱烈なイスラエル支持者がいるようなので、かれらがどんなことを書くか楽しみだ。

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2024年7月28日 (日)

中国の旅/庫車河のほとり

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わたしがクチャという町に行ったのは2000年の6月である。
それから、あ、もう24年が経過した。
その後のクチャはどんなふうに変化しただろう。
ここにひとつの実例があるんだけど、わたしは若いころ海上自衛隊にいて、呉の江田島に8カ月ほど赴任していたことがある。
そのころよく広島にも遊びに行った。
広島が原爆の惨禍を経験したのは当時より20年ちょいと前だった。
にもかかわらず、もはや広島に原爆の惨禍を思い起こすものは、記念に残された原爆ドーム以外にはひとつもなかった。
これからしても20年という歳月は、ひとつの街を目に見えて変えるのに十分な時間だと思う。

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冒頭に載せた2枚の写真(プラス地図)は、中国のネットから見つけた最近のクチャの写真である。
大きなため池と、そのまわりのよく整備された公園が写っているけど、これも中国の発展の象徴だろう
わたしが行ったころは、田舎の小さな町にしかすぎないと思われたクチャは、よきにつけ悪しきにつけ、大変化をなしとげたようだ。
ここで“悪しきにつけ”という言葉を使ったのは、中国政府の主導による発展を、喜ばない人たちがいることを知っているからである。
ここではその問題には触れないけど、これに対するわたしの考えはそのうち出てきます。

駅へ行ったあと、市内というか村内というか、そういうところにある博物館を観に行くことにした。
たいして遠いわけじゃあるまいと、足こぎ式タクシーをつかまえたら、運転手は博物館への道を知らなかった。
地図を見せて進行。
それでもこの運転手が漢族であっただけマシで、漢字のわからないウイグルの運転手をつかまえた日には地図を見せてもわからない。

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博物館方向へ進むとしだいに樹木が多くなる。
ポプラの並木、ムギ畑や野菜畑など、うれしくなる風景である。
博物館では大男のウイグル人が番をしていて、料金12元をを払うと建物のカギを開けてくれる。
建物は素朴すぎるようなもので、4つに分かれており、敦煌でみたような壁画の模写絵などが並んでいた。
展示品はたかが知れている。
しかしこれまで見てきた各地の博物館に比べれば、こんな田舎でガンバっているほうかもしれない。

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発展した現在のクチャには新しい博物館(亀茲博物館)が出来ており、わたしが見た博物館はどこにあったのかわからなくなってしまった。
“博物館”で検索すると「庫車王府」というのがよく見つかるけど、これもわたしが行ったころにはなく、たぶん郷土の特産や民芸を紹介するテーマパークらしい。
中国政府は新疆全体の観光地化に熱心で、こうしたテーマパークは各地にある。

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つぎになんとかいうイスラム寺院を見にいこうとしたら、タクシーはイスラム教徒の町にまぎれこんでしまった。
クチャのはずれに庫車河という河が流れており、それにかかる橋の周辺がそれで、周りを見ると漢族なんかひとりもいない、ウイグル人だけの異様な雰囲気の場所である。
異国情緒のありすぎる町に興味をもったわたしは、タクシーを下りて、しばしそのへんを徘徊した。
こんなところを漢族と間違えられかねない日本人がうろうろするなんて、あとで考えるとメクラ蛇におじずだったようだ。
しかしそんなに恐れるようなこともなかった。
日本人かと話しかけてきた老人もいて、トキオ、オオサカ、ナガサキなどという言葉を知っていた。

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ヤバかったのはこのあとだ。
橋の上はウイグル人で混雑しており、カメラをかまえたわたしは向こうから橋を渡ってくる美しいウイグルの娘2人連れを発見。
顔はそれほど似ていないけど、かたほうはハリウッド女優のだれかに似ていて、おそろいの柄のワンピースだったから姉妹かもしれない。
写真を撮らせて下さいというと、美しいほうの娘は飛び上がった。
その動転ぶりは半端ではなく、わたしのほうがビックリしてしまったくらいだ。
おそらく男女席を同じうせずのイスラムで育って、いきなり町中で見ず知らずの男に話しかけられたことが生まれて初めての体験だったのだろう。
そんな箱入り処女に声をかけるなんて、ヘタすればわたしは、まわりの男たちにぶん殴られてもおかしくない。

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彼女はあわてて逃げていってしまい、そのくせいなくなったと思ったらまた人混みのなかで出くわして、どうもこれみよがしにわたしの周辺をうろうろしている感じだったから、あとで気を取り直して、やはり写真を撮ってもらいたいらしかった。
しかしまわりの男たちの冷たい視線を感じて、今度はわたしのほうがドギマギしてしまい、絞り調整を忘れた不満のある写真をしか撮れなかった。
かろうじて撮った写真だけど、残念ながらこの写真を手渡すすべがない。
漢字の読み書きのできないウイグル娘に住所を訊くのははばかれたからである。

この橋はどこにあったのかと地図を調べてみたけど、大きな河のくせに水の流れていない涸れ河なので衛星写真で見つけにくい。
けっきょくいまではどこにあったのかわからなくなってしまった。

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庫車河の橋から、こんどは馬車に乗ってもどることにした。
馬車といっても皇居で新任大使の挨拶のときに使うような優雅なものではなく、ウマに引かせたただの荷車である。
途中で木立のなかの静かな場所にあるモスクを見た。
これがクチャ大寺という有名なモスクだったようだけど、中国にしては珍しくクワやほかの木の古木があって、近くには墓地もあったから、まるっきり日本の田舎にある小さな寺院を思わせた。
わたしはシルクロードを旅して、ウイグルも日本人も農耕民族だなと思うようになったけど、農耕民族にはほかにも日本と共通する要素があると確信した。

このまま馬車でホテルまでもどるつもりだったけど、馬車というものははたから見ているぶんには牧歌的だけど、振動がものすごいことに気がついた。
ワープロが壊れてはたまらないのでタクシーに乗り換えることにした。
馬方のウイグルの若者とは意気統合したばかりだったのに残念。

ホテルにもどるためにタクシーに乗ると、運転手があちこち観光をしないかと誘う。
見るとけっこうきれいなシャレードで、運転手も太り気味のイタリア人みたいに陽気そうな男性である。
どうせそのつもりでクチャに宿泊したのだし、明日まで考えてみるつもりで、明日の朝ホテルを引っ越すけど9時に来られるかといっておいた。

ホテルにもどると、フロントで長髪の若者が宿泊手続きをしていた。
彼のかたわらにあったガイドブックをちらりとのぞいて日本人であることがわかった。
なかなかハンサムで、ジーンズにTシャツという旅スタイル。
このあと彼としばらく話をしてみると、明日にはクチャを立って、カシュガルからパキスタン経由でヨーロッパへ向かうつもりだという。
このころはまだヒッピー精神衰えずという時代だったから、彼もそうやって貧乏旅行で世界を見てまわろうという若者のひとりなのだろう。
現在の若者とつい比較したくなってしまう。

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もうあまり遠っ走りする気もなく、ふらふらとホテルの近くを散策した。
ホテルから徒歩で10分も行くと、ムギ畑、野菜畑、そしてポプラの並木などのある、うるわしい田園風景がひろがっていた。
ムギ畑には雑草が多く、日本よりずっとおおらかに育てられているようである。
途中でドドメ(桑の実)を摘んでいるウイグルのおばさんたちを見た。
このあたりのドドメには黒く熟すものと白く熟すものがある。
ヒツジやロバはいくらでもいたけど、イヌやネコを飼っている家はほとんどないようだった。

部屋では太ったウイグル娘のルイヤンゲーがわたしに迫る。
彼女の弟の車で観光に行かないかというのである。
先のタクシーが300元なら、こちらは200元でいいという。
そんなこといわれても、もう手遅れだわサ。

早めに寝て、目をさましたのが夜中の1時ごろ。
レバーをひねってお湯が出ることがわかったのでシャワーを浴びることにした。
これにはちょいとひと苦労がいった。
なにしろ汚い床にスリッパもないし、お湯だって最期まで出るとはかぎらない。
ぱっぱっと頭を洗い、顔を洗い、わきの下あたりまで行ったとき、やはりお湯は出なくなった。
それより先はまあ、冷水でもかまわなかったけど。

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夜中に窓から外を見ると、白楊(ポプラ)の葉がさらさらとゆれており、花のような白いものがあちこちに見える。
あんな大きな花は咲かないはずだけどと思い、双眼鏡を持ち出すと、これは葉の裏側が闇のなかで白く輝いていたのだった。
白楊という名の由来がよくわかった。

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ご祝儀相場

NHKのニュースのなかで解説者が、タマラ・ハリス姉さんの出だしの人気について、ご祝儀相場みたいなもんでしょうと言っていた。
言い得て妙だな。
じっさいにバイデンさんから実務を引き継いだら、なんだ、まえの大統領とおんなじじゃないかということがすぐにバレた。
ネタニヤフさんが面会に来たとき、あんた、なんで虐殺をやめないんだよといって、往復ビンタでもかますべきだったのだ。
そうしてこそバイデンさんとの違いをはっきりさせることができたのに、このままでは前任の詐欺師大統領とちっとも変わらないではないかと、選挙までに人気が下落することは必至。
彼女の未来を考えると不憫で不憫で、グスッ。

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2024年7月27日 (土)

やっぱり笑う

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やっぱり笑っちゃお。
これ今日の21時のアクセスカウンターのグラフ。
なにも更新してないのに朝いきなり3桁だったものが、あわてて2桁に引きずり下して、あとはそのままずるずる。
ぜんぜん波のないこんなカウンターってあんのか。
まあ、いいやって、わたしがおおらかな人間だからいいけど、ちゃんと正規の会費を払ってんのに差別だって、ヘタすりゃ裁判沙汰だぞ。
でも朝の1時間で120ってことは、正確なところは1日では4桁に行くんじゃないか。
騒ぐと相手はますます喜んじゃう。
プーチンみたいにいっさい抗弁しないのがこういう場合のひけつ。
ココログに憎まれると、みなさんもこうなります。
お気をつけなすって。

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パーリンピック

ロシアの参加がないからって文句をいうわけじゃないけど、なんか盛り上がらないオリンピックだね。
新機軸をねらったつもりか、選手の入場行進がないのが痛かったよ。
美しい旗手を先頭にして、つぎつぎと各国の選手たちが入ってくる、あのシーンにぞくぞくするのはわたしだけか。
なんかやたらに詰め込んだ印象で、出てくる歌手は国籍不明ばかり、イヴ・モンタンやエディット・ピアフを産んだ国とは思えないし、セーヌの岸辺で踊るカンカンはぜんぜん揃わないし、おまけに雨まで降ってきて、選手はびしょ濡れ、聖火はちゃんと点いたのかい。
バカバカしくなって聖火の点灯までは見てられんかったワ。
マクロンさんも、クソ、おれの最後の花道だってえのにという心境だろうなあ。
まあ、肥大化した五輪を見直すにはいいかも知れない。
あ、いっとくけど、これロシアの陰謀じゃないからね。
問題はこれからで、SNSにどのくらい誹謗中傷、告げ口、足の引っ張り合いが氾濫するかだ。

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笑う

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笑っちゃった。
昨夜はまだなにも更新してないのに、わたしのアクセスカウンターはいきなり3桁だ。
おそらくココログの担当者がオリンピックの中継にでもかまけて、調整をわすれたんだろう。
気がついて、あわてて、一気に引き下げた証拠がこの画像。
もういいかげんに正直なところを表示してくんないかねえ。
いくらわたしがロシアの味方ばかりするのが気に食わんとしてもだ。
読者のみなさんにも、ココログってこういうところだと、大声で叫んじゃうぞ。

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2024年7月26日 (金)

仮説

オリンピックの競技場が爆破された。
それ、犯人はだれだ。
もちろんオリンピックから締め出されて、それをネに持っているロシアに違いない。
ということは誰でも考える。
だからロシア人やベラルーシ人、あるいはイスラムの過激派が入国しようとすれば、当然フランスの官憲の取り締まりは厳しい。
厳しくないのが、フランスが支援しているウクライナ人だ。
まさか背伸びをして支援してくれている国のオリンピックを邪魔するはずがないと、これも誰もが考える。
ところがどんな方法を使っても、ロシアの非道ぶりを世界に広めたいのが、ウクライナのゼレンスキーさんとその仲間たちなのだ。
オリンピックはその絶好の機会だ。
じっさいに爆破が起きたら、犯人はと、ここまで考えなければあなたも人の道を誤ることになりまっせ。

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平和主義

ココログの「農と島のありんくりん」さんが、前日はカマラ・ハリスさんのことを徹底的にけなしていたのに、1日で豹変した。
けなしたのはいいけど、意外と彼女の人気が高い。
慌てて進路変更をしたらしい。
いろいろ理由をつけて過去の発言を謝罪していたけど、そうやって相手におもねることは世間によくある。
人間にもそういう人はよくいる。
だから豹変はどうでもいいけど、あいかわらずウクライナ戦争では米国の肩をもつ姿勢だけは変えないつもりのようだ。
公平客観的を謳うなら、せめて同じココログのわたしや、大地舜さんのブログでも読んだらどうか。
そうやって反対意見にもまんべんなく目を通して、そのうえで国際情勢をながめ、自分の頭で判断してみてこそ、はじめて客観的な意見がいえるのだよ。
彼がウクライナ戦争でも謝罪するようにならないよう、同じ団塊の世代から忠告だ。

まんべんなくデタラメの氾濫するSNSをさまようわたしは、ネットニュースでエリザベータ・トゥクタミシェアちゃんの映像を見つけた。
フィギュアスケートで、一歩まちがえば氷上のストリップになりかねない演技を披露したロシアの選手だ。
彼女は来日して秋葉原やパチンコ店にまで出没して、ホテルの部屋で缶ビールをグイッ。
こういうほのぼのとしたニュースばかりだと世界は平和になるんだけどね。

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2024年7月25日 (木)

五輪

女性騎手が馬を叩いたといって五輪辞退だそうだ。
ぼちぼち始まったなと思う。
日本の宮田笙子ちゃんの件もそうだけど、これって最近の風潮の犠牲と違うか。
前回の北京オリンピックのときあたりから、ネットを通じた風評中傷が氾濫して、わたしはてっきり中国を敵対視する勢力が、中国の五輪をドロまみれにしているのではないかと思った。
そうではなく、現在のようにSNSが盛んになると、ほんの些細なことにもケチをつけてよろこぶ手合いが続出する。
IOCもJOCもだらしない。
あまりに中傷が多すぎて、個別に判断していられないから、まとめて出場禁止で収めようとする。
そういうことなんじゃないかね。

むかしのオリンピックでは、選手村で乱行パーティさえあったのに、文句をいう人はいなかった。
スポーツはそのくらいおおらかなものでいいように思うんだけど、世間のゴミSNSが騒がないはずがないよな。
タバコを吸えば損をするのは選手寿命を縮める本人、馬にムチを当てれば文句をいうのは牛肉愛好の国の住民だし、さてフランスのオリンピック、この先どうなるか楽しみだ。

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中国の旅/クチャ(庫車)

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昨夜は列車の中でまんじりとももしなかった。
何回か駅に停車したけど、われ関せずで寝込んでいて、目をさましたのは朝の6時半ごろ。
右側はいちめんの砂漠で、左側はずっとオアシス(というよりひとつの村)だった。
おざなりの洗顔をすませたころ、右側にも樹木があらわれ、小さな農家、街道をはしる車やスタンドなどがあり、まなくムギ畑や5階建てぐらいの建物、給水塔など、人間の気配が濃厚になってきた。

さてクチャ(庫車)である。
時刻表では7時48分の到着になっていたのに、7時半ごろ小さな駅で停車して、車掌にクチャかと訊くとそうだという。
荷物はまとめてあったからすぐに下りられたものの、この駅ではホームの長さが足らず、ステップから直接地面に飛び降りた。
駅前にタクシーが20台くらいたむろしていて、町まで40元だという。
距離がたいしたことないことがわかっていたから、わたしは乗り合いバスで行くことにした。
こちらは2元だ。
バスの車掌は、美しいけど、髪をくしゃくしゃにして、恥らいなんてものをどこかに忘れてきたウイグル娘である。
腰の前にむかしなつかしい、口がぱかっと開くバッグを下げて、てきぱきと仕事をこなしていた。
本数の少ない列車が到着したばかりなので、バスはほぼ満員である。

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15分ほど走って、建物が増えて町らしい景色になってきたころ、となりの人に、クチャでいちばんきれいなホテル知ってますかと訊いてみた。
これなんかどうだと、彼はたまたまバスがその前を通り過ぎた汚いホテルを指した。
わたしはウームである。
あれがいちばんきれい?

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バスはなんだかえらく人だかりのしている町中にさしかかった。
道路の両側でウイグル人たちの朝市が始まっていたのだ。
その向こうに庫車賓館というホテルの看板が見えたから、ここでいいやといってわたしはバスから下りてしまった。
「庫車賓館」のとなりが「交通賓館」で、ちょっと迷ったものの、交通のほうがいくらかきれいに見えたから、わたしは荷物をかかえてそっちに向かった。
まだ朝の8時まえである。
たのもうと呼ばわると、出てきたのは不機嫌そうな顔をしたおばさんで、部屋代は60元、押金(前払いの保証金)は50元であるという。
これでもクチャではいいほうではあるまいかと、わたしはこのホテルで手を打つことにした。

このホテルはいまでもあるようだ。
ただし、わたしが行ったときからすでに4半世紀ちかくが経ち、いまではクチャにも高層ビルのホテルまで乱立しているみたいで、これではますますホテルの格が下がっているのではないか。
日本人の足が遠のいても、新疆というところは豊かになった中国人にとっても珍しい景色の見られる観光地になっているので、先ごろ録画したNHKの「最美公路」という番組には、ウルムチからコルラに抜ける新しい景勝地が出てきた。
このあたりの絶景はアメリカのグランドキャニオンにも匹敵するので、現在は北京や上海など、沿海部の中国人に観光ブームが起きているようである。
わたしがもっと若けりゃビデオを持って出かけ、YouTubeで儲けたものをと、あ、またセコイ考えが・・・・
中国政府は新疆の開発に並々ならぬ熱意を示しているようである。
それがこの地方の少数民族にも恩恵をもたらしているなら、日本人が騒ぐようなものではない。

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交通賓館の部屋は汚かった。
小さな部屋にベッドがひとつで、壁のしっくいは剥がれかかっていた。
洗面台に水はちゃんと出たけど、トイレは流れなかった。
そばにバケツが置いてあるのはこれで流せということらしい。
バスタブにお湯もたぶん出ないだろうし、出たとしてももあまり入りたくなるようなバスではなかった。
それでも文句はいうまい。
わたしは砂漠の旅をしているのである。

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荷物も解かずにさっそく朝市を見学に行ってみた。
クチャ周辺の田舎から集まってきたらしいロバ車と、ウマやウシもいくらか混じるたくさんの荷車が、道路の交通妨害になるほど集まって、そこかしこで露店を広げている。
売られてるのは、この季節は圧倒的に黄色いアンズが多い。
この土地の人たちは晩飯代わりにアンズを食べるのかと疑問を感じるくらい。
だいたい日本でも農民というのは保守的なもので、よほどのことがないと新しい作物には手を出さないもので、結果的に同じ作物ばかり市場に並ぶことになる。

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路上の市場をたどっていくと、横にひっこんだところに野菜市場があった。
路上で売っているのはほとんどアンズと果物だったけど、ここでは葉モノや根モノなど、たいていの野菜を売っていた。
わたしはトマト、キュウリ、それにウリと小さな赤い実を買ってもどった。
この赤い実を、子供のころコンメといって、田舎でよく食べたおぼえがある。

朝市を見たあと、いったん部屋へもどって寝てしまう。
考えてみると、前日は列車の中で、景色が見えるあいだはほとんど起きていたので、わたしの耐久時間を超えていた。
目をさましたのが11時ころで、遅い朝食にした。
列車からずっと持ってきたパンやカップラーメン、クチャで買った果物や野菜、飲料があるので、豪勢な食事になりそうである。
屋外を歩いていると暑いけど、ホテルの部屋はひんやり。

食事中にふと心配になってきた。
これまでのところ、クチャはわたしの想像をこえる田舎町である。
このホテルではとても日本円の両替なんかできそうにないし、これで銀行もなかったら金が足りなくなってしまわないか。
クチャの近郊には見るべきものが多いので、それでわたしは宿泊地に選んだんだけど、金がないのではヘタに行動もおこせない。
あわてて「地球の歩き方」を読むと、それでもこの町にも中国銀行があるようなので、まず銀行へ両替に行くことにした。

部屋を出ると、廊下で掃除をしていたウイグルの女性が、部屋の掃除をしましょうかといってきた。
今はけっこうですといっておいたけど、親切そうな女性なので、名前を聞いておいた。
太っているけど、人の好さそうな彼女の名前はルイヤンゲーで、漢字は書けないというからウイグル文字で名前を書いてもらった。
もちろんわたしにはまったく読めない。

銀行でちゃんと両替できたのでひと安心し、そのままタクシーで「亀茲賓館」へ行ってみる。
「地球の歩き方」によると、これがクチャで最高クラスのホテルらしい。
“亀茲(きじ)”というのはかってこの地方で栄えたオアシス国家の名で、例の楼蘭とともに、漢と匈奴が拮抗していた時代の中国の歴史書によく出てくる名前である。
注意していると、町のあちこちにこの表示の看板がある。

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亀茲賓館はさすがにわるくなかった。
ただ、ちょうど庭や建物のあちこちを改修中で、やたらに工事中の箇所が多かった。
しかし庭にはバラ園もあるし、まわりは樹木も多いし、働いている女の子たちに美人が多いので、これなら何日でも宿泊できそうである。

訊いてみたところ、安い部屋で280元くらいだという。
明日引っ越してきますといってこの日は退散することにし、交通賓館へもどる前にもう1軒、新華書店へ寄ってクチャの地図を買っていくことにした。
あちこち尋ねながらようやくたどりついた書店では、日本人デスカと店員に日本語で声をかけられた。
そうですというと、居合わせたみんな嬉しそうである。
このあと立ち寄ったヨーグルト店でも同じことがあったから、こんな辺境でも日本人の足跡は少なくないみたいだった。

ホテルにもどって、地図を見ながら計画を練ってみたものの、外はまだ15時すぎで、太陽はさんさんと輝いている。
今度は駅に行ってみようとまたタクシーをつかまえる。

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ところで駅だけど、ひょっとしたらクチャにも高速鉄道(新幹線)の駅が出来ているかもしれないと思い、ネットで調べてみたら、わたしの見たことのない駅舎が見つかった。
しかしクチャに高速鉄道の線路が出来たということは聞いてないから、古い駅舎を建て直したのかも知れない。
新疆に入れ込んでいる中国政府をみると、その可能性は高いんだけど、その後いちどもクチャに行ってないわたしには確認のしようがない。
ここではネットで見つけた新しい駅と、わたしが2000年に降り立ったクチャ駅の写真を並べておく。

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クチャ駅の表示板には硬座(自由席)の値段しか出ていなかったから、この駅には軟臥どころか硬臥の割り当てもないらしい。
列車の本数は少なく、カシュガル方向へは、わたしが乗ってきた朝7時台のものと、15時半しかなかった。
本数が少ないのに駅を常時オープンしておくのは無駄というわけか、列車の出る時間以外は切符売場も閉まってしまうようだった。
もちろんいつでも買える自動券売機なんてものはない。

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2024年7月24日 (水)

じっさいには

YouTubeでよく顔を見る高橋洋一サンと、もと自衛官という山下裕貴という人の対談を観た。
トランプさんの狙撃事件についてということだけど、これでわかったのは、洋一サンは小銃のことにまったく詳しくないということ。
山下さんのほうはもと自衛官だっただけに、小銃やその射撃にも詳しく、彼の見立てはわたしと同じようなものだった。

小銃による狙撃というと、ゴルゴ13の影響などで、かならずスコープがついていると思う人がいるらしいけど、トランプさんの狙撃ではそんなものはついてなかった。
犯人は小銃についている照星と照門だけで、肉眼でトランプさんを狙ったことになる。
これでも140メートルの距離なら、ちょっと腕のいい狙撃手なら当てることは不可能ではない。
しかし連射は不可能だと山下さんもいっていた。
銃というのは発射すると反動で跳ね上がってしまい、連射で2発目以降は的をしぼれるものではない。
もと自衛官のわたしも200メートル離れた的への訓練射撃は何度もやったけど、この場合は単発射撃で、しかも2発目を撃つまでに間があるから、動かない標的にあらためて狙いをつけることができた。
今回のようにトランプさんがとっさに床に伏せてしまったら、2発目以降はもはやメクラ撃ちといっしょだ。
暗殺が目的の狙撃では、あくまで最初の1発で、つまり1発必中で殺せるかどうかが勝負なのである。

ミステリー仕立てにするには、どうやって一般人の中から、トランプさん狙撃を請け負う人間を見つけ出したのかということだけど、なんせアメリカのことだから、日ごろから世間に不満を持つヤケッパチ人間をファイルしてあったのかも知れない。
わたしも若いころから女にモテないというひがみ特性を備えていたから、そういうファイルに綴じ込まれていた可能性もあるな。
洋一サンと山下さんの対談をみても、そんなのありかよって、ますます疑念が深まっただけ、そしてわたしも解説者が勤まるなって、ますますうぬぼれが強まっただけだわサ。
なんでNHKはこういう在野の知識人をほうっておくのかね。

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続報待ち

シークレットサービスのおばさん、けっきょく辞めたんだってね。
しかし辞めればそれで一巻の終わりってわけじゃないぞ。
トランプさんを亡きものにしようという謀略があったのなら、彼女自身がそれに1枚噛んでいた可能性があるんだ。
巨大な組織が関わっていたからどうかは別にして、シークレットサービスに自分の息のかかった者を選抜して、警護、ああそれはできるだけ慎重にやんなさい、怪しいものが見えてもかんたんに発砲するんじゃないよ、ただし発砲する者がいたら、そいつは容赦せずに確実に殺してしまいなさい、あとでベラベラ喋られたら困るからゼッタイに生きて帰すんじゃないよ。

これはまたわたしの得意のミステリー仕立てだけど、おばさん個人でやれるものかどうか、やっぱり巨大組織があって、おばさんもその歯車のひとつと思うほうが自然かな。
まだまだ続報に注意しよう。
米国のマスコミもここが踏ん張りどころだ。

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2024年7月23日 (火)

いえません

“捜査中だから答えられない”
便利な言葉だ。
わたしがいちばん知りたかったトランプさん狙撃事件で、なんで狙撃犯がやすやと屋根に登り、ライフルを撃つことができたのか。
公聴会に呼ばれたシークレット・サービスの長官は、上記の返事をして開き直った。
テレビで観たけど、まあ、頑固そうなおばさんだ。
ネオコンのような大きな組織に操られたわけではなく、トランプさん嫌いの彼女ひとりの信念の可能性もあるな。
紅麹サプリの小林製薬のごとく、日本ならすぐにトップが辞めるんだけど、アメリカでは開き直って、いつのまにかそのままうやむやってことともあるらしい。
わたしはまだまだ続報を見守るよ。

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期待

夜のNHKニュースを観たらハリスさんが大統領になったような騒ぎ。
24時間で127億円の献金が集まり(81億ドル)、代議員の支持も2668人になったそうだ。
少しでも多くみせるために、こういうときはドルでなく円なんだねと皮肉をチクリ。
誰でも知っているように、これは候補者として指名を獲得しただけで、トランプさんに負ければそれっきりだかんね。
献金といえばトランプさんのほうは、イーロン・マスクひとりでハリスさんの半分以上だーい。

ここんところの国際状況は、フィリピンが日米のひっぱがし工作もむなしく、中国との国境紛争は話し合いでまとめると言い出すし、ことごとくNHKの期待と願望を裏切ることばかりだから、たぶん今回もダメだろうねえ。
わたしは誰がアメリカ大統領になろうとかまわ・・・・なくはないけど、とりあえずウクライナ戦争は終わってほしい。
するとトランプさんに賭けるしかない。
トランプさんは前の政権のやったことをひっくり返して、自分を目立たせることが好きだから、たぶんやってくれるだろう。

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互助精神

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ベランダから花壇を見下ろしたら、花のあいだから、スズメのような小鳥が飛び立っていった。
それを見てつくづく自然の助け合いの精神を思わないわけにはいかなかった。

先日ヒマワリの花や葉を食い荒らす害虫のことを書いたけど、イモムシやバッタやテントウムシダマシにしても、ヒマワリばかり食べているわけじゃない。
腹を減らした彼らは、おそらく雑草も食べているだろう。
そうやって食べまくっていると小鳥がやってきて、彼らをヒナの餌にすべく、ひょいひょいとつまんでいく。
かりにわたしが殺虫剤でも撒いて害虫を残らず駆除したらどうなるか。
今度は小鳥のヒナたちが飢える。
自然界にはそんなことは数えきれないほどあって、そのたびに絶滅寸前におちいったり、じっさいに絶滅した野生動物もいたかも知れない。
つまり人間がやるのは、あまり害虫が増えすぎた場合だけ、彼らを減らす工夫をすればいわけだ。
ヒマワリの食害は多いけど、さいわいまだまだ健全な葉はそれ以上に多い。
葉をぜんぶ食べ尽くすまえに、害虫の多くが小鳥やカマキリなど、他の動物の餌になっているに違いない。
これこそ天然界の助け合いの精神というもので、わたしみたいな素人の園芸家が、花のつき具合に一喜一憂する必要はないんだよ。
いえ、けっしてずぼらの言い訳ではアリマセン。

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2024年7月22日 (月)

情報戦?

今朝のNHK「キャッチ世界のトップニュース}を観てみたら、また確信犯の別府正一郎サンが出ていた。
バイデンさんが撤退して、ウクライナがさらに困った状況に置かれることだけは否定のしようがないから、ヤケクソで話を別方向にそらそうとしていた。

本日の御用解説者は、ロシアで貿易会社に勤務の経験があり、現在は民間のシンクタンクに勤める(これだけでうさんくさい)Sさんという人で、テーマは情報戦を仕掛けるロシアの危険性について。
いつものことだけど、別府サンは相手がなにもいわないうちから、これはこういうことなんじゃないですかと、自分の結論へ誘導尋問。
Sさんもみごとな話の合わせ方で、これで出演料もらえるなら楽なもんだ。
なにがなんでも情報戦を仕掛けているのはロシアで、あつかう情報(とされるもの)もすべてロシアのものだそうだ。
根拠というものを聞いてあきれた。
発信される情報が、ロシアの休日の日はがっくり減る。
だからロシアが発信しているのだろうという。
それならアメリカや日本の休日の日はどうなのだ。
SNSには世界中のボンクラたちによる、ロシア非難のデタラメ情報や捏造映像があふれているのに。

つぎにオリンピックに対する妨害情報も出てきて、これもロシアがからんでいるのだろうという。
それで思い出したけど、北京オリンピックのときのことを覚えている人はいないか。
西側(たぶん英国あたり)の、オリンピックを泥まみれにしようという情報戦はひどかった。
一般人にすぎないわたしでさえ気がついたくらいで、当時のブログに書いたことがある。
そういうこちら側のやったことにはひとことも触れず、いかにも情報通みたいな人をかつぎだして、ロシアを責める。

いまは民間の個人でさえ情報戦に参加できる時代だぜ。
なんですべてをロシアの情報と決めつけるんだよ。
わたしなんかプーチンが、西側からあることないことデタラメをいわれても、めったに否定や言い訳をしないのを口惜しく思っているくらいだ。
あんた、プーチンか言ったデタラメを、なんか知ってるか?
あったらおせーて。
冷静に自分の頭で考えたら、そういわれるとプーチンのデタラメって、思いつかないなと愕然とするんでないの。

NHKの、とくに別府サンの国際報道は、ゼッタイに公平な報道じゃないね。
おかげで今日もブログのネタには困らないや。
こうなると、なんでもいいやとわたしもヤケクソになるぞ。
どうせわたしが徴兵されるわけないし、戦争が核戦争になろうと、死ぬのは別府サンの子供、孫たちだい。

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2024年7月21日 (日)

中国の旅/山あり砂漠あり

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ウルムチを、列車は15時9分のほぼ定刻に出た。
天気はうす曇り、風はさわやかで、青空もあちこちにのぞいている。
トルファンまでは以前にも乗ったことがあって、風景も見たことのあるものばかりだ。
それでもわたしは大きな喜びをもって、線路の近くに流れる川、遠方に青く見える岩山、そのふもとの大きな湖を見つめる。
いちど見た景色ではつまらないという人がいるけど、四季の変化に感じ入る人にとってはそうではない。
16時ごろ、発電用の巨大な風車群のわきを通った。
この風車はトルファン方向に向かうと、バス路線からもすぐ近くに見えるから、ウルムチに出入りする人のための関所のようなものだ。

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まもなく列車は荒々しい岩山に分け入った。
前にここを通ったのは6月の中旬で、今回は5月の末である。
日本ならこれでも季節の変化が見られるかも知れないけど、まわりが樹木の少ない岩ばかりの山なので花もめったに見られない。
それでもわずかな黄色い花や白い花にまじって、アサガオの仲間のようなピンク色の小さな花が咲いていた。
わたしはなにか野生動物はいないかと目をこらしたけど、線路ぎわの岩のすきまにもぐりこむハトくらいの大きさの鳥を見たくらいで、あとは家畜以外の動物をまったく見なかった。

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わたしの撮った写真だけでは足りないので、このあたりの山間部の写真をネットで探していたら、「seiのソロ旅」というサイトを見つけた。
この人のころにはすでにデジタル・カメラが普及していたらしく、思いきり写真を撮りまくっていて、貧乏カメラマンのわたしにはうらやましいくらいである。
そんなことはともかく、ウルムチ~コルラまでの山岳鉄道の景観は彼のサイトに詳しいから、1枚だけ写真を借用してそのサイトにリンクを張っておいた(写真の上でクリック)。
どんな景色なのか、興味のある人は彼のサイトを参照のこと。

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そのうち食堂車のほうからいい匂いがしてきた。
非常食としてカップラーメンやパンを買ってあったけれど、空腹になっていたわたしは、たまたまやってきた車内弁当を買ってしまった。
肉ジャガライスみたいで見てくれはわるかったけど、なにしろ腹が減っているときだから、10元でもけっこう美味しく食べられた。

山を下ったトルファンの手前あたりは、前面にひろがるトルファン盆地を一望にし、1997年の旅でいちばん雄大な景色だと感心したところである。
でもいちど見たせいか、今回はそこまで感動はなかった。

砂漠におりたったあと、列車は減速して小さな町の駅に着いた。
別方向の線路があることからしてトルファンだけど、なんだか駅前にずいぶん建物が増えたような気がして、見そこなった。
ここで下りる人はあまりいない。
それも当然で、中国人ならウルムチからトルファンていどの距離はバスを使うだろう。
同じ列車に乗っていた欧米人のカップルも下りなかった。
10分ほど停車して発車した。

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さてこれからはわたしにとって未知の国である。
トルファンを出てすぐに列車は大きく半円を描いた。
ダイナミックな四方の景色がぐるぐると後方に遠ざかる。
これは高所に上るまえの列車のウォーミングアップのようなものらしく、あとでほかの場所でも似たような動作を体験した。
関口知宏くんの「中国鉄道大紀行」という番組では、このあたりでディーゼル気動車を増設して、2台で列車を引っ張ることになっている。
これから越える天山山脈の険しさが知れようというものだ。

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わたしはモバイルギアをかかえて、宮沢賢治流の“小岩井農場スタイル”の紀行記に専念する。
つまり移動しながら、目に見えるものをかたっぱしから記録していこうというのである。
それと同時に、ここから先はわたしの写真をずらずらと並べる。
かならずしも時系列通りに並んでないけど、すべてトルファンからクチャまでの間で撮った写真だから、みなさんも砂漠をいっしょに旅しているつもりで眺めてほしい。

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18時15分、まだ太陽は中天にあり、列車は褐色の小山が連なったような砂漠をひたすらゆく。
ときどき緑色の草が生えた小さな空間がある。
なにか小動物がいるとすればああいうところだろう。
ある場所では、それこそ地ネズミのように、地面に斜めに穴を掘っただけの住居らしきものを何度か見た。

18時30分、右手にいくつかの建物と、そこへ立派な舗装道路が通じているのを見た。
右手の通路側の窓しか開かないので、ずっとそっちばかり見ているけど、左手に大きな町でもあるかもしれないと思い、そっちをのぞきに行ってみたら、まるで湖のように水平な砂漠が広がっていた。
さらに行くと湖の水が流れ出す河のような地形と、その岸辺に廃棄された工事現場の飯場みたいな、かろうじて形をとどめる建物の跡。
こんな砂漠の中にも、いく本かのわだちの跡と走っているトラックを見ることもある。

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わたしはもっとも早い時期に、南疆線の全線に乗ることになった日本人かと思っていたけど、このあたりで、日本人ですかと話しかけてきた若者がいた。
メガネをかけた人のよさそうな若者で、スズキ君という。
北京に留学中の法律学専攻の大学生だそうで、このままカシュガルまで行くそうだ。
1年間の留学で、来年の春には日本へ帰りますというから、法律の勉強に中国語が役に立ちますかと訊くと、なんでもやっておけば役に立つでしょうという。
わたしは翌朝早く下車してしまうので、この日のうちに彼にお別れをいっておいた。

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20時ごろ、ポプラの並木と水の流れる川、そして線路の近くに墓地のある駅で停車。
このあたりでも列車はほぼ半円を描く。
太陽がぐるぐると移動していくから、また登山が始まったらしい。
2両のディーゼル車が力強く列車を引っ張り、わたしは強烈な西日から逃げまわる。

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21時すこし前、ふたたびトンネルに入った。
それを抜けると、ウルムチからトルファン盆地に下る山間部のように砂漠を一望する。
山あいで、右手にいくらか水量の多い渓流があらわれて、その岸辺に樹木が多く、自然のグリーンベルトになっていた。
列車は渓流にそって走り、太陽はようやく山にかくれた。
たそがれはどんどん迫るけど、まだ景色は見える。
21時、右下に小さな集落があって、アパートのような建物が並んでおり、大きなCSアンテナのついた建物もあった。

「星源」という駅に停車。
建物の数か多く、ちょっとした集落である。
ただし人が住んでいるのかどうか、廃墟にしか見えない建物群もあるし、学校まであったけど、人影はなく、かって殷賑を極めた町が、何かの理由で衰退してしまったような感じだった。
まわりの山の頂きに夕日が赤い。

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21時半、右手の川岸に広々とした平地がひろがった。
ここにはちゃんと炊飯の煙の立ち上る集落があり、10頭ほどの黒いウシの群れを追うカウボーイや家畜を追う子供たちの姿も見える。
ウイグルや回族とウマではピンと来ないけど、馬を自在に操っているのはモンゴル族やカザフ人かも知れない。
中国が平穏に発展していれば、ここはアメリカ並みにカウボーイ映画の本場になっていたかもしれないなと思う。
砂漠のあちらこちらに石を積んだ堰堤がのびている。
たまに洪水があって土石流でも流れるのだろうか。
左側の奥に雪をいただいた山がそびえているので、土石流があるとしたら、その源はアレかと想う。

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22時になった。
だいぶたそがれたけど、まだなんとか景色は見える。
また新しい流れにそって走っているけど、ヤナギのグリーンベルトは終わったようだ。
レンガを積んだだけのいくつかの建物が見えたものの、明かりなどひとつも見ることはできない。
雪をいただいた山は左側かなり近くにまで迫ってきて、山頂に雪をいただいた岩山が、そこだけ夕日に照らされて赤く輝いているのを見た。
山中にとんがり帽子のパオがいくつも見える。
移動式住居パオはゲルともいうし、カザフ族の場合はユルトともいうらしい。
ここにそれがあるということは、このあたりの住人はモンゴル族かカザフ族なのだろう。

日没になってあたりがまっ暗になったころ、線路は大きくS字を描き、高い鉄橋で谷を越えていく。
窓から見るとまっ黒な山の斜面の上のほうにぽつんと明かりが見えた。
双眼鏡を持ち出してながめると、裸電球に照らされた古風な腕木式信号機が見えたから、そこに駅があるらしい。
はてね、いま走っている線路は単線のはずで、あんなところを走っている線路はないはずだけど。
この謎はすぐとけた。
まもなくわたしの列車がその裸電球の駅を通過したからである。
つまり登坂を楽なものにするために、列車は山肌を大きく蛇行しながら登っていくので、先にある駅がおかしな場所に見えたのだった。
無人駅らしく列車は停車することなくそこを通過した。

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あるがまま

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徹底放任主義のわたしの花壇。
タネを撒いたらちゃんと芽が出て、花の咲いたヒマワリ。
それはいいんだけど、栄養が足りないのか、ひょろひょろして、花のかたちも悪い。
肥料をやればいいことはわかってるけど、けっこう範囲が広いので、年金暮らしのじいさんには負担が大きい。
最近は抜いた草をそのまま花壇に放置して、自然のままで肥料もリサイクルするようにしてるんだけど、こんなみじめな花では、来年用の種が取れるかどうか。

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それとはべつに葉っぱに虫食いが多い。
じっと観察してみたら犯人を2種ばかり発見。
左はなにかのイモムシだけど、右は益虫のテントウムシに似ているもののさにあらず、植物を食い荒らすテントウムシダマシらしい。
わが家のヒマワリはやつらの饗宴の場になっていたわけだ。
ほかに小さなバッタもたくさん湧いているけど、ボランティアのじいさんが薬剤散布までやっとられんよ。
カマキリのような天敵が湧いてくれるのを待つしかない。

虫害を受けてない葉もたくさんあるので、ヒマワリもなんらかの対応策をとっているんじゃないか。
植物でも昆虫でも、増えすぎれば自然のブレーキが効くだろうし、プロの園芸家でも農民でもないわたしが大騒ぎしたって仕方ないだろう。
ということで、あくまで放任主義だ。

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2024年7月20日 (土)

辞めるんじゃねえぞ

コロナに感染したって時点で、撤退の準備かなと思ったけど、まだねばっているようだ。
あ、バイデンさんね。
なにしろいまだに赤狩りイデオロギーに取りつかれているガンコな爺さんだ。
ロシア擁護に固執するわたしと双璧かも知れない。
辞めるんじゃないぞ、辞めるな。
あなたのねばりが、ウクライナ戦争を終結させるゆいいつの手段だ。

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またありんくりんサン

またココログの「ありんくりん」サンがはめをはずし始めた。
わたしが彼のブログの熱心な読者であることを忘れたようだ。
いちばん新しい彼のブログを読んでみよう。

今回はインドのモディさんがプーチンに会ったときのことをやり玉にあげているけど、好意的に解釈するか悪意で解釈するかで両極端に分かれることを、彼は徹底的に悪意で解釈するのだ。
まず最初のほうに「協力という名目であるがインドはロシアの持つ技術(原子力など)を買いたたく形になっている」という文章がある。
続いて「戦争が長期化する中で、軍人と装備品の消耗が進んでいる」
「首都キーウでは小児病院がミサイルの直撃を受けた」
「地対空ミサイルは固体燃料ロケットモーターで推進するため、このような部品を持ちません」
「戦争やテロ攻撃で無実の子供が死ぬことは心が痛む」などという言葉が並ぶんだけど、ソースを眺めると、すべてロイターやBBC、読売新聞、ウクライナ自身の報道など、西側のものばかりだ。
ミサイルの部品にロシア製のものがあったというけど、これもウクライナの報道で、つまり大本営発表というわけだ。
そんなものを簡単に信じてしまうのだから、ありんくりんサンは、自分に都合のいい報道ばかり集めているといわれるんだよ。

ありんくりんサンという人は、軍事のことには詳しいから軍事オタクらしいけど、個々の兵器の性能諸元には詳しいくせに、大局的に判断することができてない。
レオパルト2が供与されたときも、ドイツの戦車にはこんな装備がついていると詳しく説明して、だからウクライナの反転攻勢は間違いがないなど大喜びをしていた。
制空権を奪われた軍隊に、どんな高性能の戦車も役に立たないというわかりきった説明はないのだ。

大局的といえばもうひとつ。
いま西側はロシアとBRICSを引き離そうとやっきになっていて、ほんのちょっとでも不和が感じられることは、針小棒大に報道するってことを知らないのだろうか。
そもそもインドがほんとうにロシアに協力する気がないなら、モディさんがわざわざプーチンに会いに行っただろうか。
国連の場でもちっとは米国寄りの発言をするんじゃないかね。
両陣営からもらえるものはもらうというつもりであることは否定しないけど、米国に協力しないという点だけは徹底している。
無実の子供が死ぬことに心が痛むという発言も、アメリカに支援されたイスラエルよりひどいだろうか。
わたしはむしろ民間人に被害が出ないよう、ロシアは慎重に標的を選んでいる、だからあの程度で済んでいるんだと思ってるんだよ。

わたしのブログの前項の質問は、じつはありんくりんサンに投げかけたものなんだけど、あんた、ウクライナがどんな国なのか、プーチンがどんな大統領なのか、ほんとうに知らんの?
知っていて知らん顔をしてんのかい?
わたしはありんくりんサンの正体について考えているんだけど、おおかたどこかの右翼雑誌のおまけ部門なんだろう。
年齢はわたしとそんなに違わないらしいから、もうすこし青少年の未来に役立つ発言をしてくれんかね。

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2024年7月19日 (金)

たまには

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たまには原点に返って問題を考えることが必要だ。
あ、ウクライナ戦争についてだけど、ニワトリみたいに3歩くと忘れてしまうあなたに聞いてみたい。
あなたはウクライナがどんな国なのか知ってますか。
プーチンがどんな大統領なのか知ってますか。

この2つだけど、さあ、どうだ。
関係ないだろうって?
大ありのコンコンチキだ。
この2つをきちんと理解していれば、ウクライナ戦争の原因や本質も見えてくるはずだから。

たぶんあなたはウクライナ戦争が始まってから、あわててドロ縄式に勉強し、平和な民主主義国家のウクライナに、ある日とつぜん大国のロシアが、強力な軍事力で一方的に侵攻してきたと信じてるんじゃないか。
じつはそれほど簡単なものじゃないんだけど、説明すると長くなる(興味のある人はわたしのブログを開戦当時から読み返してみるんだね)。

ずばりいおう。
ウクライナはオリガルヒ(新興成金)に支配されたワイロ漬けの無法国家だった。
証拠はいくらでもある。
その最大のものが、まともな民主主義国家でなければ加盟できない規則のEUやNATOに、ウクライナはいつになっても入れなかったことだ(負けがこんでくると、EUもNATOも規則なんかわきに置いて、なんとかウクライナを仲間に入れようと必死だけどね)。
ウクライナのオリガルヒ代表はイーホル・コロモイスキーといって、これはウィキぺディアに顔写真つきで説明されていた。
ほかにもヨーロッパで有数の穀物大国であるにもかかわらず、大半の国民は貧困にあえいでいるということがある。

つぎにプーチンについて書こう。
あなたはいまだにロシアと旧ソ連をごちゃまぜにしてないか。
わたしはむかしからロシアやウクライナに憧れていて、じっさいにロシアに3回も行っている。
いろんな本を読んで、ロシアに恐ろしい国という印象があったんだけど、わたしが行った当時(2013年〜2015年)は、ロシアはまったく日本と変わらなかった。
マクドナルドもケンタッキーも、丸亀うどんの店まであり、駅の構内でバシャバシャ写真を撮って誰にも文句をいわれなかった。
ウクライナ戦争が始まる前から現在に至るまで、日本にあこがれるロシア美人たちがほとんど制約なしに来日していた。

プーチンが実権をにぎる前はどうだっただろう。
プーチンの前はエリツィンで、その前はゴルバチョフだ。
ロシアの改革はゴルバチョフの時代に始まったけど、彼は改革に性急すぎて失敗した。
あとをついだエリツィンは、いかにもロシア人らしく豪放磊落なところがあって、国民に人気はあったけど、国内のオリガルヒに対抗するには力不足だった。
この時期、ロシアもウクライナ同様、オリガルヒに食い物にされる恐れは多分にあったのだよ。

エリツィンのあとを継いだプーチンは、KGBあがりの剛腕でオリガルヒを駆逐することに成功した。
わたしがロシアに行ったのは、プーチンが政権をにぎって13年後だ。
現在のロシアをソ連と同一視するのは完全に間違っている。
いまでもきれいなロシア娘たちが、ロシアと日本のあいだを問題もなく行き来しているではないか。
わたしが言いたいことはこれだけだ。
最後にもういちど聞くけど、あなたはウクライナがどんな国なのか知ってましたか。
プーチンがどんな大統領なのか知ってましたか。

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2024年7月18日 (木)

中国の旅/南疆鉄道

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ウルムチからカシュガルまでの南疆(なんきょう)鉄道が開通したのは、1999年の12月のことである。
詳しいことはまたウィキペディアをと書こうとしたけど、今回の旅はこの鉄道に乗るのがそもそもの目的なので、もうちっと詳しく書こう。
1999年12月ということは、わたしの旅の半年くらいまえということになる。
当時のわたしはこの鉄道の開業を聞いて、部屋でくすぶりながら身もだえをしていた。
もう中国の鉄道ならどこへでも行ける自信があったし、新疆にはまだまだ行ってみたいところが山ほどあったから、新しい鉄道に乘ってみたくてたまらなかったのだ。

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南疆鉄道はウルムチから終点のカシュガルまで、1463キロを16時間半かけて走っていた。
この路線の、とくにトルファンからコルラまでは、天山山脈を越える険しい山岳鉄道である。
コルラまで下りると、あとはタクラマカン砂漠のへりを伝うような、平坦な線路がカシュガルまで続く。

わたしが乗った当時は、ウルムチからトルファンまではすでにある線をたどったけど、トルファンから先は完成したばかりの南疆鉄道しかなかった。
始発のウルムチから終点のカシュガルまでは、東京から鹿児島までの距離に、さらに100キロ足したくらいあるので、これだけの距離をノンストップで行ってもつまらない。
そこで途中にあるクチャ(庫車)という街に寄っていくことにした。
料金は軟臥(1等寝台)の上段で、クチャまで756キロが191元(2700円ほど)。
24年まえの中国の鉄道の安さはおどろくべきもので、だからこそ貧乏人のわたしも優雅な旅が可能だったのである。

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NHKが「関口知宏の中国鉄道大紀行」で、この路線をカバーしたのは2007年で、わたしの旅より7年後のことだから、わたしは日本人としては、かなり早い時期に南疆鉄道の全線に乗ったことになる。
いまならYouTubeに映像を上げて儲けることも出来たのに、わたしって本当に金に縁がないね。
セコイことはさておいて、この紀行記のためにあらためて知宏クンのビデオを観返してみた。
彼はわたしとちがって硬臥(2等自由席)車を使うことが多く、それでは尻が痛くなると考えたのか、とちゅうで寄る町も、コルラ、クチャ、アクスと3つもある。
彼の場合は撮影スタッフや通訳の女の子も同行していたから、硬臥でもかまわないけど、わたしの場合はひとり旅なので、荷物が心配でそんなものには乘っていられなかった。

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それでも彼の旅は、まだ中国がいまほど発展するまえだったから、風景も人の服装もそれほど変わってないようだ。
映像がきれいでないのは残念だけど、17年もまえのビデオだからやむを得ない。
クチャの町やカシュガルの駅舎、そしてまだ近代化されてないころのウイグル人がたくさん出てきて、ついなつかしさを感じてしまう。
ここに載せた4枚組の写真は、すべて知宏クンの番組をキャプチャーしたものである。

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その後の南疆鉄道についていうと、2015年6月にトルファンからコルラまで、これまでの線路と異なる新しい路線が開通した。
新しい線路は天山山脈を迂回してタクラマカン砂漠を通るものだから、最初からこっちにしておけばよかったのにと思ってしまう。
そうしなかった理由はわからない。
日本なら地元に駅を作ろうと代議士が暗躍するんだけど、天山山脈にコネのある政治家なんて中国にもいないだろうし。

その後さらに、カシュガルから砂漠のなかの町ホータンまで鉄道が開通したようだけど、わたしはこれについてなにも知らない。
人民解放軍を使い、一帯一路をめざす中国は、仕事が早いなと感心したくらいだ。
おそらく将来はタクラマカン砂漠一周の鉄道ができるものと思われる。
ユーチューバーの諸君、金儲けのネタは中国にごろごろしているぞ。
この写真は新しい鉄道で、まさに砂漠鉄道といいたくなるくらいダイナミックな光景。

中国の高速鉄道の車両は日本の新幹線によく似ている。
そんなもん日本のパクリじゃねえかという人がいるかも知れないけど、パクリでもなんでも、技術力では偏執狂的な日本にはかなわないから、それよりウチは実質的な運送手段として割り切ろうというのなら、ほんとうに賢いのはどっちだろう。
日本がいくら性能で勝負だといっても、相手が土俵に上がってこなければ、いたずらに力を誇示するだけで終わってしまう。
このへんにも中国人の性格が現れているような気がする。

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南疆鉄道に乗る日は、発車まで時間があったので、新疆博物館で楼蘭の美女と会ってきたことは書いたばかりだ。
その後、いったん友好大酒店へ荷物を取りにもどった。
この日は日曜日で、ホテルのまわりがやけににぎやかだった。
なにごとかと思ったら、ホテルのとなりに新しいデパートが開業して、オープンセレモニーをしていた。
きれいなモデルさんや歌手が動員されて、歌ったり踊ったりのショーをしていたから、ちょっとのぞいていくことにした。
ファッション・ショーに可愛いモデルがいたけど、顔つきは漢族の中国人のようである。
というようなつまらないエピソードを最後につけ加えたのは、このモデルの写真をボツにしたくなかったからだ。

デパートまえは混雑していたけど、中国式ファーストフードの店があり、セルフサービスでお盆をかかえた客がうろうろしていた。
麻辣なんとか麺というのか、まっ赤なスープの麺がうまそうなので、ついでに昼食をとっていくことにした。
食券売場に並んでいると、まえの客が、おい、こんなのダメだよといって、半分にちぎれた食券を売り子に返していた。
発行するとき券がちぎれてしまったらしく、その食券を、もっけのさいわいとばかり売り子はわたしに寄こした。
ダイジョウブかなあと心配だったけと、それでもなんとか麺をもらうことができた。
麺ではなく春雨の類で、あまりうまくなかった。

このデパートでは生鮮食品、とくに野菜はほとんど置いてなく、果物がいくらか置いてある程度。
まだ新鮮な食品はあちこちにある市場のほうが便利らしい。
アンパンが売られていたので、列車のなかの間食にするつもりで買っておくことにした。
へりにアンコがのぞいているからアンパンと思ったのだけど、あとで食べたらアンコはほんとうにへりにほんの少し塗られているだけだった。
サギだとしても単純すぎる。
これじゃ遠からずしてあのパン屋はつぶれるだろうけど、稼げるあいだに稼げばいいという考えか。
尻尾の先までアンコという日本のタイ焼きが恋しい。
なんだかわたしの文章まで、無気力で女性的な関口知宏クン式になってしまった。

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発車の1時間前にウルムチ駅に到着。
そのまま待合室に入ってみると、日曜日だったせいか、こちらもえらい混雑である。
20分前になってようやく改札開始。
列車に少なくとも、老若男女のふた組の欧米人が乗っていた。
若いほうのアベックは硬臥に行ったようだけど、年寄りのほうはわたしのふたつ隣りのコンパートメントへ入った。
列車は定刻に5分ほど遅れて発車した。
わたしの部屋にはむくつけき男ばかり3人である。
みんな別々の目的で旅行中らしく、なんとなくよそよそしいけど、景色に専念したいわたしには、そのほうがありがたい。

さて、これまで散々体験してきた列車の旅がふたたび始まる。
南疆鉄道でいったいどんな景色が見られるだろう。

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ゴミ集積場

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ゴミの集積場にヒモで縛った古本が出してあった。
最近のわたしは読みたい本があれば図書館に行き、めったに新刊は買わないんだけど、この集積場にはときどきむずかしそうな本が出してあるので、同じ団地にけっこうな知識人が住んでいるらしい。
わたし同様、かっては本の虫だった人が、歳をとって、手持ちの本を泣く泣く処分しているのであろう。

いちおうなんか読みたい本がないかと調べてみた。
枕にでもなりそうな大型の英語辞典があったけど、あまりに古風で大きすぎるので、それは無視して、拾い出したのが新人物文庫(こんな文庫があるんだね)の「信長公記」。
司馬遼太郎の「街道をゆく」にしばしば引用されている本だから、名前は知っていた。
安い文庫本だから読もうと思えばいつでも読めたのに、とうとういちども読まないまま、わたしも爺さんになってしまった。
いま部屋でぼちぼち拾い読みしてるけど、これはおもしろい。
生きているうちに読めてよかったと感動するほどじゃないけど、タダかと思うとこれはありがたいと感動してます。

あとで大判の英語辞典も欲しくなり、あわててゴミ集積場に行ってみたら、もう1冊も残ってなかった。
この間せいぜい2時間、業者が回収したのか、残念しごく。
英語の字引として使うのではなく、中の記述を読んでいると、いろいろ時代の変化を感じとれたかも知れないのに。

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2024年7月17日 (水)

あああ

トランプさん狙撃事件はイランが仕組んだという報道が出てきた。
なんでウクライナが仕組んだという発想は出てこないのかねえ。
いまの戦況をながめれば、悲痛なくらいトランプさんがいなくなることを願っているのはゼレンスキーさんだろうに。
もちろんいまのウクライナにもゼレンスキーさんにも、そんな力も度胸もないだろうけど、トランプさんにいなくなってほしいというのは、バイデンさん、ゼレンスキーさん、日本のNHKも含めた西側各国じゃないか。
ヨタ記事が途切れては困る西側メディアもいっしょだけど、そのへんは騒ぐだけで暗殺を実行するほど度胸はあるまい。
こんなデタラメをでっち上げられて、イランもさぞかし目をパチクリさせているだろう。
あああ、たまには公平で客観的な報道を聞きたいねえ。
日本にいたんではムリか。

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2024年7月16日 (火)

狙撃の続報

トランプさん狙撃事件について、つぎからつぎへと新事実が続報として入ってくる。
驚いたのはその中に、射撃1分45秒まえに犯人が倉庫の屋根にはい上がる映像があり、まわりにいる人々が騒いでいるものがあったこと。
人々の中にはシークレットサービスに注進に走る者もいて、倉庫の下まで警官を案内した人もいる(これらは噂ではなくじっさいに映像が残っている)。
警官は犯人におどかされてそれ以上のことはしなかったそうだ。

ふつうなら不審者発見の時点で、シークレットサービスはトランプさんの演説をやめさせようとするはずだ。
にもかかわらずトランプさんは演説をして、撃たれた。
なんじゃこれは。
SNSにはトランプさんの自作自演を疑う意見もあるけど、むしろバイデンさん側の謀略を疑うべきではないか。
まわりの警官を含めて、地方警察全体が何者かに買収されていて、本気で警護をしてなかったというような。

こうなるとゼレンスキーさんの手には負えまいから、謀略を仕掛けた者がいるとすれば、バイデンさん、というより彼を操るネオコンの可能性が高い。
狙撃手は素人だから、絶対に暗殺に成功する保証はなくても、ネオコンにはトランプさんに致命傷を負わせ、選挙から撤退させればという切迫つまった状況があったはずなんだよ。

そんなだいそれたことをという人がいるかも知れないけど、いまやなんでもアリがアメリカだ。
米国のマスコミでもおかしいという声が上がっていて、調査中らしいから、もう少し推移を見守る必要があるけど、わたしにとってはノルドストリーム爆破や、ザポリージャ原発の攻撃と同じように、ロシアが犯人であるはずがないというのが救いだね。

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シークレットサービス

トランプさん狙撃事件で、警護のシークレットサービスになんのかんのという人がいる。
もと陸上自衛隊レンジャー部隊隊員という人まで出てきて、アメリカでは要人警護にこんなことをしている、日本もああすればよい、こうすればよいといえば、ココログのブログにまで同調して、そうだ、日本の警護は生ぬるいと騒ぐ人があらわれた。
後輩(わたしももと自衛官だ)にとやかく言いたくないけど、ひとこといっておかないと、自衛官てのはみんな馬鹿なのかと思われてしまうから、あえて書く。
ご存知のとおりアメリカは銃器が蔓延した危険な国だけど、日本は逆に銃器を使った犯罪はめったに起こらず、外国人が感動するくらい安全な国だ。
この両者をならべて比較するほうがどうかしている。
いってみればアメリカは事件が起こることを想定して警護をする国、日本は事件か起きないことを前提に警護をする国だ。

それが悪いとはいちがいに言えない。
事件が起きないことを前提にするには、日頃から徹底した銃器規制が必要だ。
日本の警察の銃器取り締まりはきびしく、犯罪者が拳銃は川に捨てたといえば、川ざらいまでしてそれを探す国なのである。
政治家の場合、聴衆とできるだけ壁を作りたがらないものだ。
安倍もと首相の場合は、それが裏目に出たから、これからは警護はいくらか厳しくなるだろうけど、選挙の演説を聞きに行ってみたら、機関銃を持ったシークレットサービスがまわりを十重二十重に取り囲んでいた。
そんな演説をアンタは聞きたいと思うか。
むずかしい問題だけど、日本のシークレットサービスがあまいのにはそれなりの理由があるのである。

ちなみに上記のもとレインジャー隊員は、米国のシークレットサービスは素晴らしいと誉めていたけど、銃が発射された時点で警護は失敗である。

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2024年7月15日 (月)

だめツイート

「だめだめなツイート」というのがあるんだそうだ。
いま問題になっているのがジャーナリストの膳場貴子さんのツイートで、彼女がトランプさん狙撃事件のとき、死者が出ているにもかかわらず、他人ごとのように冷静な情報分析をしたってのがケシカランというらしい。
ケシカラン?
へえ、そうか。
死者が出たらおくやみでも述べるべきで、事件後の見通しなんかいうべきじゃないってのか。
ジャーナリストの仕事は死んだ人に弔意をあらわすことじゃないぞ。
狙撃事件のあと、事態はどう動いていくか、それを見極めるのが仕事だ。
だいたいこういう文句をつける人が、アメリカの見ず知らずの他人の死を、いちいち気にしてるのか。
世界は死であふれている。
ウクライナやガザの戦争を終わらせることでも考えろ。
他人のいうことに正義づらして文句をいうな(わたしは膳場さんの恋人でも不倫相手でもアリマセン)。

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中国の旅/楼蘭

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ウルムチ最終日の今日は何をしようかと考えた。
クチャ行き列車が15時の発車ということは、14時には駅に行かなければならない。
そのまえに前回のウルムチで、見たいと思って見逃した「新彊博物館」をのぞいてくることにした。
この博物館には有名な楼蘭の美女がいるという。

それを紹介するまえにいっておくと、新疆博物館は2005年に、つまりわたしが行った5年後に新館が完成して、モスクふうの外観が近代的なものになった。
わたしは近代的な新館を知らないけど、中国政府が歴史的文物の保存・展示に、なみなみならぬ力を注ぎ込んだ結果だろう。
こういうことは、パンダやキンシコウ(金絲猴)の保護と並んで、国が繁栄すれば、まっさきにやるべきことである。
中国が北朝鮮のような暴虐な独裁国家でないことの証明だ。

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新彊博物館は友好大酒店から歩いていける距離にあった。
時間つぶしだと考え、ぶらぶらと徒歩で出かけて、場所はすぐわかった。
中国の博物館としては充実しているほうだろう、ただし建物の半分だけは。

いきなり「楼蘭の美女」なんていっても、中国の歴史に興味のない人にはサッパリわからない。
詳しい説明はウィキに譲るとして、この紀行記を読む人のためにおおざっぱな説明をしておくと、楼蘭はタクラマカン砂漠の一画に繁栄した古代の都市の名前である。
都市というのは水のないところには成立しないから、この都市の近くにはロプノールという湖があった。
悲しいことに砂漠の湖のつねとして、この湖も永遠にそこにあるわけではなかった。
ロプノールはトルファンのアイデン湖と同じように出口のない湖なので、やがてその場で水分が蒸発し、最終的には塩湖となって干上がる運命だったのだ。
湖が消滅すれば都市楼蘭の命運も尽きるしかない。
やがて楼蘭は砂の下に埋もれて、だれもそのあり場所を知らないまま、数世紀が過ぎた。
スウェーデンの探検家スウェン・ヘディンの「さまよえる湖」は、そのへんの事情を探った探検記である。

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この探検記の影響なのか、博物館の見学者は欧米人の団体が多かった。
彼らにまじって館内の展示品を見てまわる。
残念なことに写真撮影は禁止だったけど、中国語の説明文がかろうじて理解できる。
展示品のすべてが古色蒼然を通り越して石に化したようなものばかりだ。
説明文のあちこちにやたらに「古尸」という文字が出てくるので、なにかと考えているうち、そうか、ミイラのことかと思い当たった。
“尸”というのは屍の簡体字だったのだ。
ほかに展示品の説明文を読んでいるうち、トルァンの火焔山の近くに「ベゼクリク千仏洞」というものがあることを知った。
帰りにトルファンに寄れるものなら行ってみようと思う。

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さて、ロプノールが干上がった理由は諸説がある。
ヘディンは平坦な土地に溜まった水は、堆積物などで自然に場所が変わり、長いあいだには同じ場所を行ったり来たりするという説、これとは別に気象の変化で天山や崑崙山脈に降る雨量が変わったからという説、さらに新しいところではユーラシア大陸全体の隆起によるものという説もある。
わたしのブログでは結論は出さないので、みなさんで勝手に想像して楽しめばよい。

楼蘭の悲劇は湖が干上がったことだけではない。
この国は大国の中国と遊牧民の匈奴にはさまれて、日本と中国にはさまれた韓国や琉球(沖縄)のような苦難をなめ続けた。
井上靖の「楼蘭」はそのへんを描いた小説、というより中国の古い歴史書を、現代人にわかりやすいように描き直した叙事詩のような本である。
その部分は創作だけど、この中に楼蘭の美女がどうしてミイラになったのかという事情も描かれている。

新疆博物館の驚きは見学の後半にやってきた。
館内をずっと見ていったら、ひときわ照明の暗い1室があった。
そこだけ特別待遇のなにかがあるに違いない。
わたしはこの旅にヘディンの本を持参したくらい、楼蘭の美女に関心があったんだけど、まさか本物の彼女に会える思わなかった。
ガイドブックには新彊博物館に彼女がいると書いてあったものの、日本人は死んだ人間でも見せ物にしたがらない人種だから、本物ではなく、模造品の人形かなにかが置いてあるだけだろうと半信半疑だったのである。
しかし、彼女はそこにいた。
3,800年まえにたしかにこの世に生きていた女性がそこに横たわっていた。

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ヘディンの「さまよえる湖」のハイライトは、楼蘭の遺跡を発見し、古代の王国に君臨した女王のミイラを掘り出す場面である。
この美女は生前にどんな情景をその眼は見たことかという文章で語られ、もっとも感動的な場面だ。
しかしヘディンは発見した美女を、後世の学者の手にゆだねるべく、もういちど墓に埋めもどしてしまった。
彼女がふたたび地上に姿をあらわすのは、新中国が成立したあと、1980年の日中合同調査隊の手によるもので、そのときの映像がわたしのビデオ・コレクションの中にある。
というわけで、ここに並べたのはそれをキャプチャーしたもの。

彼女は何重にもなった粗い布につつまれていて、映像のなかでそれらが1枚ずつはがされていくと、内側から口をぴったり閉じたクールな美女が現れる。
じっさいには彼女は死んだとき40代であろうという。
インディアンのように頭に鳥の羽根をさし、顔立ちはあきらかに中国人(漢族)や日本人とは違う。
煮干しみたいになっているので、オリジナルを想像しにくいけど、トルコ系のウイグル人とも異なり、人種的にはイラン系アーリア人という説をなにかで読んだことがある。
そんなことをいわれても、パッとイメージの湧く人は少ないだろうし、もちろんわたしにもわからない。
ようするにイラン人タレントのサヘル・ローズさんを、もうすこしおばさんにした感じの女性だったみたいだ(わかりやすいでしょ)。

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1997年に初めてシルクロードを旅したとき、わたしはトルファンでウイグルのガイドから、楼蘭へ行ってみませんと何度も誘われた。
しかしトルファンから楼蘭までは、砂漠のなかを車で200キロ以上走らなければならない。
自転車で行けるならともかく、ひとりで四輪駆動車なんか借り切った日には、いくら取られるかわからんということで断念した。
それにわたしは楼蘭に行ってもなにもないことを知っていたのだ。
NHKの「シルクロード」のころまで、まだ楼蘭は立ち入り禁止だったから、この番組に出てきた楼蘭のようすは、廃墟になってからのこの都市のようすをもっともよくとどめていただろう。
それで見ても砂漠に崩れかかった土の塔があり、木の柱のようなものが散立するだけで、まわりに何もない。
現在の楼蘭は中国の全国重点文物保護単位に指定されて、たまに団体が見物に来るから、外観にいくらか手が加えられて、もしかすると近くにホテルや土産もの屋や、女性に必須のトイレも出来ているかもしれない(冗談よ、冗談)。

帰国したあと、わたしは写真や映像で、何度も楼蘭の美女を目にしたので、記憶が混乱してしまった。
このとき見たものは頭に鳥の羽を刺していたから、日中合同探検隊が発見したオリジナルに違いないと思われるけど、最近の写真で見るといくらか感じが変わっている。
ひょっとすると防腐処理がされたり、下手すれば模造品のミイラに変えられてしまったかも知れない。

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じつに丁寧に布で覆われて、舟形の棺桶に収納され、砂漠の国としては最大限の葬い方をされていることからして、彼女が高貴な女性であったことは間違いがない。
こうなるとわたしの想像と妄想もとどまるところを知らない。
とある戦争でのこと(楼蘭は中国も匈奴も敵にしたことがあるので敵はどっちでもいい)。
圧倒的な敵をまえにして、今度ばかりは楼蘭軍に勝てる見込みはなかった。
大将軍のなにがしは出陣をためらっていた。
それが自分に対する未練であることをさとった妻は、ある朝毒を仰いで死んだ。
彼女の死体を抱いて将軍は号泣した。
愛する人よ、先に行って待っていてくれるのか。
妻をしきたり通りに丁寧に葬った彼は、ふたたび戦場に赴いた。
そしてだれももどらなかった。
ロプノールの岸辺のアシのさやぎと、ときおり襲いくる砂嵐の音を聞きながら、砂漠の小都市は歴史の彼方に埋もれていった。
これでもっと肉をつけ、血を通わせて、内容をふくらませれば、わたしもつぎの芥川賞候補なんだけど。

日本人は、たとえミイラであっても、人間の遺体を見せ物にしないようだけど、この地方の博物館ではミイラは花形スターである。
わたしはこのあとあちこちの博物館で、展示されているミイラを見ることになる。
埋めて放置しておけばたいていミイラになる土地柄だから、アラビアの石油のように、掘ればざくざくと、いったいどれだけのミイラが出てくるかわからない土地なのである、新疆ウイグル自治区というところは。

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さて新彊博物館の驚異はここまで。
博物館の2Fでは天然石の展示会が開かれていて、華麗なウイグルの民族服も飾ってあった。
わたしの顔を見てさっそく近づいてきたウイグル美人に、あなたの着ているのもウイグルの服ですかと、ふざけて訊いてみた。
彼女の着ていたのはふつうの現代的な洋服だったのである。
そんな美人がわたしに近づいてきたのは、もちろん展示品を売りつけようという魂胆だった。
この博物館でいちばん充実しているのは土産もの売場で、奥の部屋に絨毯がずらりと陳列してあって、20×30センチ程度の小さなものさえ2万円だという。
素晴らしい!
ただしわたしには金がナイといって逃げた。

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2024年7月14日 (日)

ハイブリッド攻撃

トランプさんが狙撃された日の夕方(ついさっきだけど)、NHKニュースに「ハイブリッド攻撃」という聞きなれない言葉が出てきた。
まるでバイデンさんに狙撃の嫌疑がかかってはマズイというので、大慌てで話をそらしているみたい。

ハイブリッド攻撃というのはどういうことかと思ったら、最近ポーランドやチェコなど、ウクライナに味方する周辺の国で、商業施設や公共施設の火災が増えている、これは軍事力を使わないロシアの破壊工作なんだそうだ。
ロシアもたまんないよな、火事も泥棒も、そのうち隣家の喧嘩もみんなロシアのせいにされちゃって。
え、ショッピングセンターなんか攻撃してなんの役に立つんだ。
なにか証拠があるのかと思ったら、チェコの公安情報局のトップが出てきて、捕まえた放火犯人が南米出身で、報酬目当てにやったんだろうとのこと。
犯人はSNSを通じて、いろんな関係から指示された、最近はやりの遠隔操作犯罪だといい、しかしロシアとの関係はまるであきらかになってないらしい。
おおかたロシアを貶めるために、自分たちで報酬を払って、貧乏な移民を雇ったんだろう。

これについて騒いでいるのは全部西側だけで、プーチンはひとことの弁解も弁明もしない。
これまでもそうだった。
大騒ぎするのはつねに西側、それがデタラメだとばれるのもつねに西側だ。
こんなものはやられたと口を合わせれば、どこの国でもでっち上げられることじゃないか。
いくらアメリカの大統領選挙の見通しがまっ暗になってきたからって、NHKはそんなものをいちいち報道すんなよ。
このニュースのすぐあとに、山形県でキッチンカーが爆発というニュースが出てきたから、へえ、これもロシアのハイブリッド攻撃かと思ってしまったではないか。

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産経新聞

『ロシアが北海道に侵攻する日』
これって産経新聞のニュースの見出しだけど、うん、そういうこともあるかも知れない。
普通ならあり得ないんだけど、たとえば中国につくか西側につくかという問題で、台湾がふたつに分裂して、そんなことは台湾の民意にまかせておけばいいものを、余計な口出しをして、日本が西側の代表として台湾有事を引き受けることになり、中国と正面から対峙することになって、すると台湾人は馬鹿じゃないから、戦争をするくらいなら中国と一緒になるほうがいいやと、さっさとハシゴをはずして、日本だけが中国と戦争をすることになれば、ロシアもウクライナでお世話になったということで、後方から中国支援にまわるかも知れない。
ややこしいけど、ここまで複雑に考えれば、ロシアが北海道に侵攻することも考えられるな。
もっともわざわざ侵攻しなくても、ミサイルとドローンだけでかたがつくかも知れないけど。
だからいったでしょ。
賄賂漬けの破綻国家ウクライナに味方するより、ロシアと仲良くしておけって。

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2024年7月13日 (土)

〇〇の生活と意見

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ココログのブログに「◯◯の生活と意見」というものがあり、下のほうにウクライナ国旗があしらってあるから、この人もウクライナ応援に情熱を燃やす人らしい。
それは個人の自由なので文句をいうわけにはいかないけど、認識の誤りは指摘してやらないと、こういう人はいつになっても気がつかないだろう。

『中国の危険な食用油』、彼のいちばん新しいブログのタイトルだ。
「中国国務院の食品安全委員会は、食用油の輸送に燃料タンクローリーが使用されたとの疑惑が浮上し、食品汚染の恐れがあるとして調査を開始する」
読めばわかるけど、これは中国国内の犯罪事件で、中国の国内問題だ。
にもかかわらず、このブログは“だから中国は”という書き方である。
「これは中国の食品企業が,私が若い頃からやってきた公然の秘密だ」というんだけど、この人はいまいくつなのか。
中国の食用油には数千年の歴史がある。
わたしは中国に何度も行っていて、あちちで菜種油の自動攪拌機というものを見てきた。
自動というには原始的だけど、電気モーターを使うぶんだけ、ロバに石臼を引かせるよりは進歩していた。

タンクローリーなるものがこの世に出現したのは、せいぜい100年くらいまえではないか。
いったいこの人はなにをもって発言しているのか。
そんなに昔からやっていて、実害があるものなら、中国人にまず被害が出るはずだ。
しかもこれを摘発したのは中国の食品安全委員会である。
日本は世界でももっとも食品の安全にきびしい国だから、タンクローリーで輸送された食用油が輸入されれば、おそらく税関でチェックされて引っかかるだろう。
つまり日本に被害が出るわけがないのである。
そういうことを無視して、なにがなんでも中国をけなせばいいという、この人も世間によくいる中国ギライのひとりと見える。

問題は食用油ではなく、この程度の人がウクライナを応援する人の大部分だということだ。
視野を広く持つことを知らず、自分の好き嫌いだけで判断しようとする。
わたしもそのアホらしさに愕然としてしまうよ。

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2024年7月12日 (金)

よくある

バイデンさんがみんなが注目しているなかで、こともあろうにゼレンスキーさんをプーチンと間違えるし、副大統領のオンナの人をトランプさんと間違えて、トランプさんからほめられる始末。
これではますますヤバイ。
しかし、年金高齢者のわたしだってそういうことはよくある。
わたしの頭のなかにはさまざまな考えが渦巻いているので、ちょっと考え事をすると、すぐにべつの言葉が出てきてしまうのだ。
なに、モーロクじいさんにはよくあることさ。
辞めるんじゃないぞ、バイデン、最後までねばれ。

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支離滅裂

仲良しクラブがお手盛りでシャンシャンと首脳宣言をまとめたそうだ。
中国をロシアの最大の支援国だと名指しして、安全保障に及ぼす脅威を増大させているという。
なんでもNATOがここまで言及したのは初めてだそうだ。
それでストルテンブルク事務総長は、バイデンさんから勲章なんか首にかけてもらってご機嫌。
子供じみた芝居をして気持ちイイナアってことらしい。
なんでこう支離滅裂なんだろうね。
自分たちでケンカを吹っかけておいて、吹っかけられたほうが結束するのはケシカランて。
文句をいうなら最初から仲良くしておけばいいものを。

昨日のNHK国際報道はロシアを排除したオリンピックについてのトピック。
ロシアが対抗して独自の国際大会を主催するというと、どこかの大学教授が出てきて、ロシアは五輪を分裂させようとしているという。
分裂させようとしたのはどっちだ。
最初にロシア、ベラルーシを締め出して、五輪を不完全なものにしようとしたのはどっちなんだよ。
こうやって原因を作り、相手が対抗措置をとると、今度はそれをネタに相手を口撃する。
これまでもイヤというほど見せつけられてきた西側の常套手段。
いま録画しておいたNHKの国際報道を観ながらこれを書いているんだけど、ホント、この番組ははいちゃもんの宝庫だな。

ところで最近ブリンケンさんが動向不明だけど、もうクビになっちゃったんだっけか。
まさかもう回顧録を書き始めたんじゃないよね。
わたしも生きているうちそれを読みたいから、早くしてもらうのはありがたいことなんだけど。

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小児病院の惨事

「病院には当時、1200人を超える患者と職員がいて、3件の心臓手術を実施中だったと説明。ミサイルの直撃で大人2人が殺害され、子どもを含む300人以上が負傷した」
これは8日にウクライナの首都キエフで発生した小児病院の惨事。
こういうロシアの攻撃を、「まさに地獄だった」と強調して報道するのは、てっきり日本の産経新聞かと思ったら英国のBBCだった。
どっちにしてもロシアを貶めることでは筆頭格のマスコミだから驚くことはないけど、この記事を読んでちと気になったことが。

手術中の医師を含む1200人の関係者がいたにしては、死者が2人というのは少なすぎると思わないか。
国連で非難されたロシア大使は、ロシアのミサイルならこんなものでは済まない、これはウクライナの防衛ミサイルが誤って着弾したものだという。
もちろんアメリカのミサイルでもこんなものでは済まないことは、イスラエルのガザ地区攻撃でわかる。
わたしはやはりロシア軍が、被害をできるだけ少なくするために、慎重に的を絞っているほうに賭けるね。

雨の日はブログの更新ぐらいしかやることがない。
いいたいことは山ほどあるので、せっせと更新しよう。
上記の報道を観ていると、病院の院長が出てきてあれやこれやと言っていたけど、へえ、こいつが賄賂を積んでなった医師なのかと感心した。
わたしがウクライナを支持しないのは、日本にいるウクライナ人ユーチューバーが、ワタシの国の医者はワイロでその地位を買った人間ばかりなので、絶対に信用しませんといっていたのを観たからである。
ということもこのブログに何度も書いている。

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ネット朝日

今朝のネットニュース。
自ら侵攻しながらウクライナや米欧に責任があると批判する矛盾した『持論』が、新興国との溝も浮き彫りにしている」
これはデタラメ製造機であるネット朝日の見出し。
ロシアが侵攻したことは最初からわかっている。
わかっていながら新興国がロシアの味方をするのは、これがウクライナを利用した西側の、ロシア包囲作戦でもあることを知っているからだ。
侵攻とひとことで割り切れないことを知っているからである。
いまでも新興国でロシアを裏切る国がないことをどう説明するのか。
タイやマレーシアまでBRICS(新興国)の仲間に入ろうというのをどう説明するのか。
え、ちっとは新聞でも読ミナサイ。

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2024年7月11日 (木)

バイデン頑張れ

バイデン頑張れ、バイデン頑張れ、バイデン頑張れ。
絶対に大統領選挙から撤退するんじゃないぞ。
このままギリギリまでねばれ。
トランプさんの勝利に貢献して、いいかげんウクライナ戦争を終わらせてくれ。
バイデン頑張れ、バイデン頑張れ、バイデン頑張れ。

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順番

昨日のNHKニュースに、日本は国際会議の場で、クロマグロの漁獲量割り当てを増やすよう交渉するという報道があった。
クロマグロ・・・・
たしかあれって完全養殖の目安がついたんじゃなかったっけ。
それなら日本のたゆまない研究と、日本人の貪欲な嗜好に応えた努力のたまものだから、もっと割り当てを増やせというのも納得できる。
ところがニュースには完全養殖のことはぜんぜん出てこなかった。
これでは議場が紛糾するのももっともだ。
先に完全養殖に成功したことをいわなければダメでしょ。
このあとウナギの件も待っているんだから、言い方の順番を厳守するよう、関係者には厳しく言っておかなくちゃ。

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2024年7月10日 (水)

中国の旅/肉欲の宴

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ウルムチ空港に着陸したのが22時45分ごろ。
案ずるより生むがやすしで、なんのトラブルもなくウルムチに着いた。
夜間飛行だから、このあいだ砂漠の景色なんかひとつも見えなかったことはいうまでもない。
追い立てられるように外へ出たので、空港がどんな建物だったのかもまるでわからなかった。
荷物を受け取るときちらりと見ると、同じ飛行機に日本人のグループも乗っていた。
年配の人ばかりで、「シルクロード◯泊◯日」というようなパック旅行らしい。
添乗員さんに点呼されている彼らを尻目に、わたしはさっさとタクシー乗り場に向かった。

ウルムチのタクシーは6元が基本で、車種は圧倒的にシャレードが多い。
その中にシトロエンやサンタナが混じる。
ひと回り大きいサンタナはいくらか知らないけど、シトロエンも基本料金はシャレードと同じ。
このときのタクシー運転手は、一見してウイグル人とわかるやせぎすの若者だった。
以前に泊まったことのあるホテルに行くつもりで、おい、華僑飯店だ、50元だぞ、まわり道をするなよというと、メーターで行きますと仏頂づら。
これは、あまり高飛車なわたしも悪いよな。
あそこはよくありませんよ、わたしの知ってるホテルのほうがいいですという。
だまされるものかと思ったけど、以前と同じホテルというのも味気ないから、それじゃ見るだけといって、「友好大酒店」というそのホテルに寄ってもらうことにした。

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片言の会話で日本人であることや、ウルムチは2回目の訪問だなんて話しているうち、だんだん打ち解けてきた。
空港で並んでいるくらいだから、そんなに無法な運転手でもなさそうだ。
やがて市内に入り、あれがそうだというホテルのそばまでやってきた。
高層ビルが乱立するような場所ではなく、となりに新しいデパートのようなものがあるだけだから、ひときわ高いそのホテルはよく目立つ。
それよりなにより、わたしの目をひいたのは、ホテル近くの四ツ角にずらりと並ぶ屋台群だった。
この屋台を見るだけでも価値がありそう。

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ホテルで料金を尋ねると、安い部屋が289元だという。
わたしの許容範囲なので、ここに泊まることにして、運転手にタクシー代はいくらと訊くと、どういうわけか、メーターで40元以上出ているのに30元でいいという。
わたしが最初のこちらの言い値通り50元払うと、それでも嬉しそうだった。
これまであちこちでロクな運転手に会ってないから、こういう運転手に会うと気持ちがいい。

「友好大酒店」では、玄関まわりが改修工事中だったから、泥よけの絨毯を踏んでフロントで宿泊手続きをした。
カードもOKで、部屋は1224号ということになった。
12階である。
わたしは高層ホテルが好きではないんだけど、窓から外を眺めるとそうとうに高い。
とはいうものの、この日はもう夜だったので、じっさいに高いことを確認したのは翌朝になってからだ。

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荷物も解かずにさっそく屋台街へ出かけてみた。
日本人の、とくにベジタリアンもどきのわたしの度肝を抜くような肉の饗宴である。
もちろん新疆はイスラム教徒の土地だから、ヒツジがメインで、ブタ肉はいっさい使われていない。
日本の釜飯のようなものがあった。
一見すると海鮮丼に見えるものもある。
食べるまえにゲップがでそうなくらい、肉が幾重にも盛られている。
大きな釜に肉の細切れを煮込んだチャーハンのようなものがあって、客の注文があると、大きなスプーンでほじくり出していた。
もうあらかた食べ尽くして、底に白い骨しか残ってない鍋もある。
肉の好きな人なら興奮して欣喜雀躍というところだろうけど、肉の苦手なわたしはただただ戦慄するのみ。
どちらかといえば菜食の日本人にとって、ここは圧倒的な肉食の国である。

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わたしが食べた肉系のものは烤羊肉(串焼き肉)だけで、あとはアルコールが禁止ではなかったから、ビールも注文してみた。
ここで食べた烤羊肉は、西安に比べると倍くらい大きく、わたしは3串しか食べなかったのに、それでも腹いっぱいになってしまった。
この日は金曜日だったから、屋台は毎晩開かれているらしいけど、ウイグル人て自宅で食事は作らないのだろうか。
そう思いたくなるほど、この露天の肉欲の饗宴は果てることを知らなかった
ある店の親父が、どこの国から来たと訊くから、ジャパンと答えると、おお、リーペンといって、まわりの人々がいっせいにわたしに注目する。
中国人はともかくとして、日本人は決してウイグル人から嫌われてないと確信した。

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屋台の写真はたくさん撮ったものの、じつはこの晩は下見のつもりだったから、ここに載せたのはすべてこの翌日に撮ったものである。

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写真が翌日のものだから、話も翌日に飛ぼう。
ウルムチ到着の最初の朝は10時半に起きた。
わたしはウルムチに2泊したあと、南疆鉄度でつぎの目的地に出発するつもりなので、この日のうちに列車のチケットを手に入れておきたい。
ウルムチから最終目的地のカシュガルまで1463キロあり、それをノンストップで行くのもつまらないから、どこか途中の街に寄ることにした。
地図をながめると、クチャ(庫車)かアクス(阿克蘇)のどちらかが候補になりそうである。
じつはどちらの町もぜんぜん知識がないんだけど、なんとなく行き当たりばったりでクチャを選んだ。
あとで考えると、ここでもやはりツキがあったようである。

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時刻表を持ってないので、とりあえず駅に行くことにした。
ホテルを出ると、まるで5月の初頭のような、一瞬ひるむくらいさわやかな風が吹いていた。
駅までタクシーで9元。
ウルムチ駅のモニュメントは以前のままで、駅の背後の赤茶けた山並みももちろんそのまま。
駅前広場に通じる地下道には、どこか卑猥な感じのする、ガラス張りのマッサージ室みたいなのがずらりと並んでいたはずなのに、それはもう跡形もなかった。
いったいあれは何をする店だったのだろう。

駅前に無数にある売店のひとつで、時刻表ありませんかと訊いてみた。
駅舎の外では見つからず、駅舎のなかの売店でようやく手に入れたのは、全70ページほどの小さな時刻表である。
地図と時刻表を買って、いったんホテルへもどった。

ホテルで時刻表を吟味して、ふさわしい列車を選ぶ。
もともと本数は多くないんだけど、わたしにふさわしい列車は、ウルムチ発の606次15時09分というやつのようだ。
クチャ到着は朝の7時47分で、まあ、ちょうどいい時間だろう。
友好大酒店の商務中心に顔を出して、居合わせたお姉さんに、ここで列車の切符は手配できますかと訊いてみた。
かたわらに座っていた男がいきなり立ち上がって、できます、できますという。
こんなのに頼むと手数料をべらぼうに吹っかけられるに決まっているから、あとでねと、その場を退散。

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夕方になって自分でちょくせつ駅へ行ってみることにした。
中国では切符売り場が混雑するのて、外国人が並んで買うのはむずかしいと聞いていたのに、なんじゃらほいとあっけにとられるくらい簡単に切符は買えた。
わがままな駅で、切符の販売時間は1日3回と決まっていた。
08時00分から13時30分まで、15時30分から19時30分まで、21時30分から24時ちょうどまでだそうだ。
これ以外の時間は駅員たちの休憩にあてられているのだろう。
わたしは敦煌へ行った帰りに見た、駅の職員詰所におけるお気楽な駅員たちを思い出した。
午後の遅い時間になると売り場の行列も少ないようで、わたしがゲットしたのは、クチャまで軟臥が191元、下段が売り切れだというので8号車の002上段である。

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夜の22時ごろになって、写真を撮るためにまた屋台街に出かけてみた。
この時間でも完全に暗くなっているわけではない。
最初のうちは問題なく写真を撮りまくり、また烤羊肉やビールを飲んで屋台のウイグル人たちと懇談できたのに、そのうち一天にわかにかき曇り、いきなりものすごい突風が屋台を襲った。
屋台の天幕が風にあおられ、火の粉や紙クズが飛び、砂ぼこりが舞って目もあけられず、人々が右往左往する。
みんなあわてて天幕をしまい、看板を下ろし、屋台はほとんど開店休業の状態になってしまった。
砂漠の街ではこんなことはよくあることかもしれないけど、わたしも砂まみれになってホテルの部屋へ引き返した。
部屋にはカップラーメンや果物が買い込んであったので、あとはシャワーでも浴びて寝ることにした。

夜中の0時ごろ、ドアをノックする音がし、枕もとでブザーのような音が2回鳴った。
寝ていたわたしは寝ぼけまなこでドアを開けてみたけど、だれもいない。
ホテルが火事にでもなったにしては、べつの部屋の住人のおちついた会話も聞こえる。
外をうかがってみて、窓ガラスに水滴がついているのに気がついた。
屋台街のあたりを見下ろすと、道路が濡れ、灯りがにじんでいるのがわかった。
雨がかなり強く降っていた。
砂漠の街で雨かあとつぶやく。

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虎の威を借る狐

NHKの由井秀樹サンが、アラブ連盟のアブルゲイト事務局長にインタビューしている映像を観た。
アブルゲイトさんというのは80を超えたおじいさんで、きちんとネクタイを締めたもの静かな紳士といったところ。
イスラエル問題の解決策について、たんたんとアラブの事情を説明する。
対する由井サンのほうはノーネクタイで、本人にはそんな気がなかったかも知れないけど、じつに横柄な態度。
自分の父親みたいな人に対して、もうすこし配慮というものはないのか。
こういうときはわざとでもいいから、ネクタイぐらい締めろ。
相手は途上国の代表で、こっちは先進国のアナウンサーだいという奢りのようなものが見て取れた。
いまのNHKはクールビズですというのかも知れないけど、イメージとしては虎の威を借る狐といった感じ。

なんだっていいけどな。
このまま世界大戦になったら、死ぬのはデタラメと偏向を並べた由井サンの息子や孫たちだ。
ん、先に行って待ってるワ。

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今日の世界

米国でNATOの首脳会議が開かれている。
こちらは、なんといっても気脈の通じる仲良しクラブだから、いつも通りウクライナの新しい支援策でも決まるのだろう。
当てつけるようにインドのモディさんがロシアを訪問し、ゼレンスキーさんが不快感を表明している。
ウクライナが不満なのは当たり前で、べつに特筆すべきことでもない。
すでにウクライナは反転攻勢どころか、首都の防衛まで無力化されて、太平洋戦争末期の日本と同じ、一方的に叩かれるだけのサンドバッグ状態。
ゼレンスキーさんにしてみれば、とにかく大声を上げて、さらなる支援を引き出すしかないのだ。
ところがまずいことに、アメリカではトランプさんが有力になってきて、このままではクリミア半島を割譲して、さっさと戦争をやめろと恫喝されるのがオチ。

昨日のNHKでは、ホントか間違いか、小児病院をミサイル攻撃したプーチンのことを残虐な指導者といっていたけど、ガザのイスラエル軍に比べれば、ロシアは犠牲が少ないように標的を慎重に絞っているように見える。
ハンガリーのオルバン首相はこわもてでギャングの親分みたいだけど、インテリみたいなNATOのストルテンベルクさんよりずっと人道的だ。
このままでは兵士の犠牲が増えるだけだから、戦争はやめたほうがいいよと、こちらは穏やかにウクライナを説得する。
なにがなんでも戦争を引き延ばそうとするNATOの事務総長と、どっちが残虐なのか。

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2024年7月 9日 (火)

ニューズウィーク

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いつか書こうと思っていて、表紙の画像を用意しておいた。
「ニューズウィーク(日本版)」という時事週刊誌がある。
わたしは図書館に行ったときなど、ほかに読むものがないと、これの最新版にざっと目を通すことがよくある。
たまたま図書館に行ったら、この本の古いもの(2022年号)が賞味期限切れになっていて、持ち帰り自由のリサイクル本になっていた。
さっそく頂いてきたけど、時事雑誌というのは、じつは賞味期限が切れたほうがおもしろい場合もあるのだ。

このリサイクル本を読んであきれた。
書かれたことはデタラメばかり、というか、つまりアメリカ視線の内容ばかりだ。
表紙にでかでかと“うなだれる中国経済”とか“アメリカの針路”と謳ってあるけど、現実には、中国はその後もけっして落ち込んでないし、米国が目指していたものの実態についても、的はずれなことばかりだ。
ニューズウィークの記事は署名記事がほとんどなので、的はずれを執筆していたKさん(外交アナリストだそうだ)という人は、恥ずかしくて表を歩けないかと思ったら、最近の号にもまたなにか書いていたな。

もちろん未来のことは誰にもわからないのだから、記事を書いた人間を責めるのは酷かも知れない。
わたしはこの号が発行されたときより、1年以上あとにこの本を読んでいるので、ニューズウィークが予想したことが正しいかどうかを確かめることができるのである。
そしてあまりの的はずれに、つい笑ってしまうのだ。
賞味期限が切れたほうがおもしろいというはこのことである。
また結果がわかったあとで読むと、その本がリベラルか保守か、右か左か、どのていど信用できるかなどということもわかってしまう。

こんなことを書く気になったは、昨日のネットニュースに、ソースがニューズウィークの記事で、こんなものがあったからだ。
「反日投稿を大量削除『ナショナリズム』を焚き付けない当局の本音と、日本人を守って死亡した中国人女性の実像」
いったいなんでこんなひねくれた解釈しかできないのだろう。
いまのところ相手は誰でもいいというたんなる通り魔事件で、たまたま居合わせた中国人女性が止めに入って刺された、というそれだけの事件ではないか。
わざわざ大騒ぎをして日中関係を悪化させるほどのものではない、そう考えて中国政府は冷静なのに、なにかウラがあるのだろう、経済的に困っているから日本の支持を失いたくないのだと決めつける。
死んだ女性の境遇までせんさくして、貧しい農民の出身だとか、中国の発展に取り残されていたなどと書く。
習近平さんが貧困一掃をはかって、その試みはかなり成功しているけど、ひとりひとりの国民まで豊かにすることは簡単ではない。
どんな国にも貧しい人たちはいる。
他国のことを心配する余裕が、どこの国、たとえばアメリカにあるというんだろうか。
もういまでさえ、中国は多くの途上国を支援するほどゆとりがあるではないか。

これもなんとか中国との対立を煽ろうという危険な記事にしか思えない。
つまり世界的に知られたニューズウィーク誌の記事も、ためにする記事である場合があるということだ。
わかってくれよ、未来をしょって立つ若いみなさんはと書こうとして、わたしは一瞬頭がボケてしまったのかと思った。
先日の都知事選でもそうだけど、わたしみたいなじいさんの常識では理解できない時代に突入したみたいで、もはやわたしが関わるには遅すぎたのかも知れない。
いいとも、みんな揃ってあの世に行きたいというんだな。
台湾有事でも核戦争でも、勝手にすればとしかいいようがないね。

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2024年7月 8日 (月)

ローマ法王が

ロー法王が
「イタリアの社会・経済学者で、「社会週間」の創始者、福者ジュゼッペ・トニオーロ(1845-1918)は、民主主義を、すべての社会的、法的、経済的な力が、共通の利益のために均衡をもって協力し、最終的な結果として、社会においてより不利な立場に置かれた人々の利益に帰結するような市民秩序と定義していた、と述べ、この定義に照らせば、今日の世界において民主主義が健全な状態にないことは明らかである」
と話されたという(バチカン・ニュース)。

うん、これはいい。
わたしもそう思っていた。
それをコピペするだけで、本日のブログ更新は間に合ってしまう。
日本全国の下々の者よ。
ローマ法王だぞ、エラいんだぞ。
そういう人がわたしと同じ意見ということは、わたしもエラい・・・・ってことないか。

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2024年7月 7日 (日)

断絶

ユリコさんの当選か。
わたしにしてみれば、YouTubeで知事の年収ぐらいカバーできるといったバカでなければ誰だっていいけどね。
それにしてもつくづく断絶を感じるよ。
YouTubeは現実の職業として、若者たちのあいだにしっかり根を張ったようだ。
ジョン・ドーブ君の「Only in Japan」や、「李子柒」のような良心的なチャンネルは駆逐されて、あとに残ったものはお手軽で、デタラメだろうが、捏造だろうが、世間を騒がせればそいつの勝ちだなんて、いったいこういうものが幅をきかす社会とはどんなものだろう。
アナクロ人間のじいさんが悩んでも仕方ない。
責任を取るのはすべて、そういうものをもてはやした若者たちなんだし。
あと10年生きれば新しい世界を見られるかも知れないな。

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和平への道

ハンガリーのオルバン首相がプーチンと会ってきた。
ハンガリーはいまEUの議長国でもあるので、勝手にロシアとウクライナの和平を仲介するのではないかと、EUやNATOは戦々恐々だ。
オルバンさんは、戦争を終わらせるのには、東部4州の割譲しかないと考えている。
これはわたしがずっとむかしからいい続けてきたことでもある。
そもそも戦争の原因が、要衝のクリミア半島をおまけにつけたまま、ウクライナをNATOに渡すわけにはいかないということだったのだ。

オルバン首相も、アメリカのトランプさんも、和平の条件はそれしかないと思っているのだろう。
しかし日本の公共放送は、ウクライナにはぜったい呑めない和平案だと決めつける。
ぜったい呑めないことだろうか。
上記の土地さえ割譲すれば、ウクライナの主権は守られ、ゼレンスキーさんがそのまま大統領を続けたってかまわない。
ようするにあとはウクライナ自身の問題だと、プーチンはそれ以上のことは要求しない。

これしかないと思う。
もちろんゼレンスキーさんは、その後のウクライナの選挙いかんで、ヘタすれば自国民から縛り首だから、彼には受け入れられないのだ。
日本にとってもこのままウクライナ戦争が終わってしまったら、台湾有事までなんとか西側の結束を守ろうという目論見に穴があく。
極右の台頭めざましい欧州では、ウクライナに金を使うくらいなら、自分の国に使えという主張が多くなってくる。
ゼッタイに和平が実現しては困るのは、ウクライナ(のゼレンスキーさん)と日本だけになった。

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2024年7月 6日 (土)

立て札

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わたしは団地の花壇の手入れをボランティアでやっている。
花壇というのはちょっと手入れを怠ると、たちまち草ぼうぼうの荒地にもどってしまう。
だからせっせと草むしりをし、たまには花屋で安い花をみつくろってきて、植えたりということもする。
それがなんだ、昨日、花壇のなかに立て札が立てられた。
ご覧の通り。

日本がファッショ政治のまっただ中にいることの証明だな。
え、市役所から給料をもらってるわけでもないし、ボランティアで花を植えるのが禁止とはどういうことなんだよ。
わたしがいつもロシア、中国の擁護をするのがケシカランと、日本政府とアメリカが壮大な陰謀を仕掛けてきたようだ。

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2024年7月 5日 (金)

中国の旅/博物館と飛行機

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人民大廈で朝起きたのが8時ごろ。
今日は飛行機でウルムチまで飛ぶ予定だけど、飛行機の出発は夜の19時45分だから、それまで時間をつぶさなければならない。
西安には見どころが多いけど、あんまり遠くに行って、事故でも遭ったら飛行機に乗り遅れる。
列車と違って飛行機に乗り遅れると高くつく。
無理しないですむ市内の名所はと考えて、西安博物館に行ってみることにした(最近の博物館について調べてみたら、西安博物館は小雁塔のわきに新しいものが出来ており、わたしが見たものは「陝西歴史博物館」という名称で、そのままの場所にあるようだ)。
西安という街は兵馬俑にしても始皇帝の陵にしても、華清池、則天武后の乾陵、あるいは半坡遺跡など、ちょくせつ現場へ行ったほうが早いというものが多すぎるので、これまで無理に博物館に行こうという気が起きなかったのである。
博物館は市内の大雁塔の近くだから、時間つぶしにはもってこいだ。

そのまえにパソコンで知り合いにメールを送っておこうと考えた。
ウィンドウズ95が発売されて5年経つ。
まだWI-FIこそなかったけど、すでに国境を超えても瞬時に届くメールの便利さは世界に広まっており、中国でもちょっと気の利いたホテルなら、たいていパソコンが備わっていた。
有料だったけど、実験のためもあって、日本にメールを送ろうと考えたのである。

人民大厦ではパソコンが故障中ですといわれた。
仕方がないから、わたしの知っているなかでいちばんでっかい長安城堡大酒店に行ってみることにした。
ホテルのパソコンは、たいてい1階か2階の商務中心(ビジネスセンター)というところに置いてある。
上海あたりではこの部屋にミニスカートの、アメリカ映画に出てくるような美人OLが座っていることが多いけど、いやまあ、そんなことはどうでもよくて、わたしが行ってみたら、ちょうど欧米人の観光客が使用中だった。
彼は地球の反対側にいる友人のAからGくらいまでにメールを送るつもりらしく、いつになってもパソコンが空かない。
しびれを切らしたわたしは、先に博物館へ行ってくることにした。

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博物館に関してはあちこちで失望することが多いけど、西安博物館(陝西歴史博物館)はOK。
建物、展示品ともなかなか立派である。
正面から入ろうとしたら、日本人と看破されて、外国人はあっちから入って下さいといわれてしまった。
あっちから入ると30元だそうだ。
西安博物館は歴史に興味のある人には、なかなか有意義なところだと思うけど、あいにくわたしは西安に行くまで兵馬俑のことも知らなかった男である。
ここに載せた写真は、いちおう見てきましたという証拠のつもり。

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館内を見てまわっているとき、日本語のわかるメガネをかけた女性係員が話しかけてきた。
そのへんに座って会話をしたけど、スカートの裾を気にするあたり、清楚でなかなか好感が持てる。
日本人が結婚してほしいといったら、アナタどうしますかなどと不躾なことを聞いてしまった。
じつはあとでもういちど西安に行く機会があり、彼女はどうしたかなと、遠方から様子をうかがったら、どたばた走るおばさんになっていた。

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土産もの売場でも(ここを通らなければ出られないようになっているのだ)、これはまだ少女のような美人に、日本人デスカと話しかけられた。
ちょっと漢族と思えない顔立ちのクールな美人なので、ウイグルか、あるいは西域の小数民族かも知れない。
いいえ、漢族ですという返事で、近いうちに日本に留学するつもりですとも言っていた。
まるでナンパ旅行だけど、そのくらい日本人が中国娘に人気があったころである。

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また長安城堡大酒店にもどってみると、今度は中国人がパソコンを占領していた。
いつになっても空きそうにないので、スマンけどね、5分ばかり使わせてくんないかと頼んでみた。
そうやってようやく日本の知り合いにメールを送れたけど、帰国してから聞いてみたら届いてなかったそうである。
まだパソコンのメール機能が完ぺきではなかったころの話なのだ。

朝からほとんど何も食べてないので、ふらふらと南門のほうへ歩いて、たまたま道路っぱたにあった食堂に飛び込む。
中国のどこにでもある小さな店で、ビールと麻婆豆腐、生のトマト、それにキノコ料理という、わたしの定番メニューを注文するつもりが、キノコの絵を理解してもらえない。
うろおぼえでキノコはたしか「耳片」じゃなかったかなと思い、紙にそう書いたら、ほんとうにブタの耳を持ってこられてしまった。

そろそろいいだろうと、ホテルにもどり、門前で、途中で故障でもされたら困るからできるだけ汚くないタクシーをつかまえる。
やはり空港まで120元だという。
帰りの分など払わんぞ、全部で120元だからなと念を押して乗り込んだ。
空港へ向かう道すじは新興の開発地区らしく、新しい立派な図書館や体育館、いったい誰がこんなところに住むのかといいたくなるような一戸建ての住宅(邸宅)団地などを見た。
途中で黄河を渡り、ロータリーのような場所を左折すると、あとは一面のムギ畑の中の一本道になる。
あちこちに古墳らしい丘が点在しており、このあたりは西安の陵墓の集積地らしい。

空港までアルトで、まあ、ふつうの速度で走って1時間くらいで、西日を正面に受けつつ、無事に到着した。
若いまじめそうな運転手がぶつぶついったけど、全部でといったはずだぜとわたしがとりあわないでいると、彼はすぐあきらめた。
わたしは10元余分に払ってやった。

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さて飛行機である。
この旅の最大の関門かもしれない。
たったひとりで中国の国内線に乗ろうというのである。
これまでもいろんなトラブルに遭遇してきたけど、飛行機だってどんな予期せぬ障害が待ち受けているかもしれない。
行列が20人ぐらいできているウルムチ行きのカウンターに並んでみた。
そのうちとなりに並んでいたおじさんが、あ、そうそうといって、自動券売機に空港利用税を払いに行った。
せっかく並んだのに惜しかったけど、わたしもあわててそれを払いにいく。50元。

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前日に購入した航空券に座席の指定がないのが不安だったけど、カウンターで荷物を送る手続きと同時にちゃんとした搭乗券をくれた。
31Cという席だったけど、Cでは窓ぎわとは思えない。
なんでもいいやと開き直る。
どうせ外はすぐ夜になるから、わたしが上空からいちばん見たいシルクロードの砂漠は、まったく見えないに違いない。

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搭乗口は2階にある。
ぞろぞろと行列をつくるアメリカ人の団体に混じって2階に上がると、英語にまじって日本語のアナウンスも聞こえた。
2階でも搭乗前チェックがあった、というよりこっちが本物である。
こちらではちゃんとパスポートの提示を求められ、磁気探知機を使った身体検査もあるから、のんびりしていると遅れをとるところだった。
ほとんど待合室ですごすヒマもなく、ただちにバスに乗せられた。
飛行機は、機種はわからないけど、両翼の下に1機のエンジンをかかえるま新しい機体である。
わたしはヒッチコックの映画に出てくるようなクラシックな双発機を期待していたので、ちょっと失望した。
そのかわり乗り心地はすこぶる快適で、上海までのジャンボのエコノミー席よりよっぽどゆったりしているくらいだから、3時間くらい辛抱するのは何てことないだろう。
機内に入るとき民族服のスチュワーデスが出迎えてくれた。
離陸は19時45分、ほぼ定刻である。

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離陸して30分ほどして、飲み物のカートをころがしてきた客室乗務員に訊いたところ、ウルムチ到着はイレブン・オクロックだという。
まだ3時間あるぞ、ぜんぜん時計の針が進んでないじゃないか、オイ。
だいたいわたしが中国の国内線の飛行機にあまり乗りたがらなかった理由は、作家のポール・セローの記述によると、中国機の中ではみんなゲロゲロと嘔吐するというのがひとつ、女医のカクさんたちによると、搭乗するときみんないっせいに競争をするというのがひとつ。
その他、どうもあまりいい評判が聞こえてこないからだけど、今回の飛行で認識を改めなければなるまい。
これで景色が見えればいうことなしなんだけど。

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機内では食事も出た。
べつにわたしにとってありがたいものでもない。
食事をするのに、そうそうナイフやフォークのついた万能ナイフがあったっけなと、カメラバックから取り出そうとして一瞬うろたえた。
中国だろうがどこだろうが、飛行機の客室に刃物を持ち込むのは違反のはずである。
あぶないところだった。
それにしたって中国の飛行場のチェックはいいかげんなものだ。
飛行機が水平飛行に移ってからは、わたしの席からずっと前のほうまで一直線に見通せるので、なんだか列車にゆられているような気分である。

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特派員たち

前項の続きみたいになるけど、上海協力機構の会議が開かれているカザフスタンから、NHKの特派員がふたり(中国とロシア担当)が報告していたけど、洞察力、つまり一を見て十を知るという能力がないのにはあきれた。
中国の立場について、ロシアに支援はしているものの、経済が不調なときだから、欧米との経済関係も無視できず、むずかしい立場にあるという。

さあ、またみなさんに自分の頭で考えてもらおう。
アメリカがぶっつぶしたい本命は中国なのだ。
放っておけば自国が戦争の矢面に立たなければならなくなる。
そういうときに欧米の制裁を受けて、海外の資本から総スカンされることを心配するバカがいるか。
ロシアに対する経済支援だけでも、もはや欧米との円満な交易は不可能だろうから、中国はとっくに肝っ玉を据えているはずだ。
ここはなんとしてもロシアの応援をして、自国の盾になってもらうしかないと。

だいたい中国が不景気で困っているという見方そのものがおかしい。
上海ではあいかわらず若者たちが街に繰り出しているし、フランス南部〜上海まで直行便が就航して中国人がフランスに押し寄せているところだし、つい先日も中国は月の裏側まで探査機を飛ばしたし、欧米が撤退したおかげで、EVだけではないあらゆる商品のロシアでの販売が好調だ。
今回の上海協力機構のメンバー国のほとんどが、日本がダメなら中国の品物でもいいやという国ばかりなんだよ。
それだけの購買人口がいるのに、中国が困っているというのはどこから出てきたハナシなのかね。

こういう現実には目もくれず、中国はむずかしい立場であると報告するんだから、特派員の須田クンと辻クンはそろいもそろって洞察力に欠けるというんだ。
もちろん彼らは上からそういえと指示されている哀れなサラリーマン特派員なんだろうけど、彼らがそうなんだから、今回はわたしも表面にあらわれている部分だけで、彼らを評価してみました。

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2024年7月 4日 (木)

血まなこ

ロシアと中国の仲を割こうと、西側のマスコミ、SNSが血まなこだ。
上海協力機構の集まりが開かれたばかりだけど、なんとかケチをつけようと、ロシアが北朝鮮と同盟を結んだおかげで中国はおもしろくないとか、参加国にはそれぞれおもわくがあるなどと、結束を乱させようとするデタラメな報道ばかり。
そりゃそれぞれの国にはそれぞれのおもわくがあるだろう。
それでもちゃんと機構の集まりに参加したというほうが重要だ。
こういう報道をする連中に脳みそはあるのか。

わたしはプーチンが北朝鮮を訪問した前後のニュース映像をしっかり注視していた。
プーチンは北では正恩クンを喜ばせるようなことをしきりにいっていたけど、歓迎のマスゲームを見せられたとき、彼は退屈きわまりないという顔をしていた。
苦労してロシアをグローバル大国にしたプーチンにすれば、いまだに国を改革することもできず、自分だけはぬくぬくと太っている正恩クンに、内心ではあきれかえっていたのだろう。
ベトナムに行ってからのプーチンの発言を観たかね。
記者団から北朝鮮との同盟について訊かれると、そんなものは以前からあったとそっけない。
たとえばあなたの家にお客さんがきて、素晴らしい家ですねと誉めたとする。
ところが家を出て、となりの家に行ったとたん、あんな家は普通だよといいだしたら、いくらボンクラなあなたでも、あれはたんなるお世辞だったのかと気がつくだろう。
それと一緒で、プーチンがお世辞を並べたのは、やたらにメンバーの多さを誇るEUへの当てつけに、北を利用しただけだと思わないかい。
そもそもウンコ爆弾ぐらしかない北と軍事同盟を結んでも、ロシアに得になることはひとつもない。
大砲の弾?
そんなものがいまでも貨物列車で頻繁に送られているのか、続報がないじゃないか。

もうひとつ自分の頭で考えてもらおう。
上記のようにロシアと中国の仲を割こうと、西側(とNHK)は必死だ。
ウクライナ戦争が始まってなかったら、アメリカはいまでも執拗に中国にケンカを売っていた可能性が高い。
アメリカにとってどうしてもぶっつぶしたい本命は中国なのだ。
中国にとってみれば、ロシアは中国の盾になってくれたようなもので、中国がロシアに恩義を感じる部分もあるのだよ。
プーチンはこの戦争に他国をまきこみたくない。
まきこむ気があれば中国よりベラルーシが先だろうけど、いままでのところ(戦争が始まって2年以上にもなるのに)、ベラルーシから兵員や兵器の直接支援は受けてない。
他国をまきこめば第3次世界大戦になってしまう。
プーチンは経済的な支援だけで充分だ、戦争はロシアだけでやるという決意なのだろう。
世界の安全はプーチンの理性のおかげで保たれているのだ。

NHKはまだしつこく、中国とロシアの関係にヒビが入ったとか、ロシアは中国の軍門に下ったなんていってるけど、いま書いたように中国はロシアのおかげで助かっている部分もある。
プーチンが北と軍事同盟を結んだといっても、その実体がどんなものか中国だって知ってるはずで(わたしだって知ってるくらいだ)、中国がそんなものを気にするわけがない。
お互いに助かっているならウインウインの関係で、中露の関係が史上最も良い時期だというのはオーバーじゃない。
この両国の関係をかってないほど強固にしたのは、これすべて西側が自分で勝手にしたことなんだよ。

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2024年7月 3日 (水)

昨日のNHK

マッチポンプという言葉がある。
文字通り自分で火をつけて自分で消すことだ。
ウクライナ戦争が始まって、日本でもマスコミ(NHKが筆頭だ)やSNSを観ると、やたらに現れる。

昨夜のNHKニュースウォッチ9には、ついに新疆ウイグル自治区が出てきた。
ついにというのは、世間に多い中国ギライ、もう理屈もクソもない、とにかく中国がキライという人たちのことだけど、彼らが中国をけなすのにゼッタイに持ち出すのが少数民族問題だからだ。
この日に備えてわたしはネットで反論できる材料を見つけるたびに、収集しておいた。
ひとつ例を挙げておくと、ほかならぬNHKが放映した番組についての、わたしのブログ記事がある。
過去ならいざ知らず、現在の中国が少数民族を迫害しているということは、ないばかりか、むしろ少数民族の扱いに非常に苦労しているといったほうがいいだろう。

昨夜のニュース9は、もう始めっから中国を貶めようという魂胆ありありの報道。
それが度を越して、いささか混乱しているように思えた。
NHKは記者を新疆に派遣して現地の状況を取材させる。
現地では、あ、尾行がついてます、あ、あそこにも、あ、こちらにもというんだけど、最初から相手の欠点だけを探そうという放送局が行くのだから、相手が警戒するのは当然だろう。
マッチポンプというのはこういうことをいうのだよ。
むしろちゃんと取材させてくれたことに感謝すべきじゃないかい。

ウイグル自治区では女性たちがスカーフを巻いてない、これは中国政府がイスラムの伝統を消し去ろうとしている証拠だという。
バカいってんじゃない。
ウイグル女性にしてみれば、これは窮屈な伝統からの解放で、中国政府に感謝したいくらいじゃないか。
わたしのブログを読めばわかるけど、どこの世界の女の子も、頭に巻くスカーフなんか強制されたくないんだよ。
髪を風になびかせたウイグル女性の美しいこと。
おとといの国際報道では、国連の会議に出てきたタリバンに対して、あいかわらず女性にヒジャブを強制するのはケシカランと正反対のことをいっていた。
もう支離滅裂だな。

もうひとつかならず持ち出すのが、漢族が政府の要所をみな占めて、ウイグルはそのほかの些細な仕事しかまかせられないというものがある。
これはある程度はやむを得ない部分もあるのだ。
かりに公平で民主的な選挙をしたとしても、いちばん数が多いのは漢族なんだから似たような結果にるだろう。
どこかの大学教授が出てきて、習近平がいるかぎりウイグルの境遇は変わらないという。
大学教授にも利口でない人がいるらしい。
キンペーさんはウイグル暴動のとき、まだ最高実力者ではなかったし、彼がトップの地位についてから、すべての少数民族を豊かにすると宣言し、ウイグル族もじっさいに豊かになったようである。
ニュース9の中でも、最近のウイグル族はGDPが10年まえに比べると4倍に増え、ウイグル個人にインタビューしてみても商売繁盛はいいことだと嬉しそう。

これではいかんと、ケチをつけるのに事欠いて、2009年のウイグル暴動の映像まで引っ張り出した。
砂漠の中に鉄条網で仕切られた無数の建物が作られている、これは反中ウイグル人の収容所だという。
オーストラリアの戦略政策研究所がそういってると無条件で信じてるんだけど、◯◯研究所と名のつくものは、どこの国でも政府の一部門で、その国の政策を後押しするためのものだ。
ちなみにわたしがNHKの御用解説者と揶揄する兵頭慎治サンは、日本の防衛研究所の所属である。
だいたい鉄条網までわかるなら、収容者の出入りや日常、グアンタナモみたいにリンチが常態化されてないかなど、もっと具体的なことまでわかりそうなものだ。
そういうことはみんな無視して、仲良しクラブの西側の意見だけは尊重するんだね。

わたしは1997年、2000年、2002年と3回新疆ウイグル自治区に旅をしてきて、2009年のウイグル暴動の原因のようなものを感じとってきた。
そのうちわたしのブログの中国紀行に書くつもりだから、興味のある人は読んでみるといい。

いったいどうしてNHKはこんな放送局になってしまったのだろう。
最近の世相を眺めると、西側の国のすべてで極右が台頭とか、日本では都知事選挙を見ても、まるっきりカオスでコメディを見てるよう。
プーチンのロシアや、習近平さんの中国のほうがよっぽどまともな国に見えるのはわたしだけか。
わたしたちは視聴料を払って、戦争への道にひきずられているわけだ。
台湾有事までこんな調子が続くかと思ったら、若い人たちはウクライナの2の舞であることを覚悟をしておくんだね。

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2024年7月 2日 (火)

梅雨

どこかのブログで誰かさんが嘆いていたけど、梅雨の時期ってのはヤバいね。
雨が降る→散歩を休む→また雨が降る→また散歩を休む
こんなことが続くと、目に見えて足がおとろえる。
若いころなら1週間でも2週間でも部屋でごろごろしてナンてことがなかったけど、いまは1日の怠惰がもろに足にくるじいさんだ。
仕方がないから今夜は(たとい雨が降っても)傘をさしてまで、散歩を強行するつもりだ。
真夜中の徘徊者。
うん、純文学になりそう。

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2024年7月 1日 (月)

中国の旅/まえおき

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南疆鉄道がカシュガルまで開通したのは1999年のことである。
これは新疆ウイグル自治区の省都ウルムチから、シルクロードのもうひとつの要衝カシュガルまで、1,463キロを結ぶ鉄道だ。
つまり列車の座席に座ったまま、移り変わる天山山脈とタクラマカン砂漠を眺めながらの、鉄道旅が可能になったということである。
1997年のシルクロードの旅からもどったわたしは、このニュースを聞いてむずむず。
あ、“むずむず”というのはわたしの、行きたいなあという気持ちのオノマトペ(擬音表現)だかんね。 

すでに上海からウルムチまでの長距離列車に乗ったことのあるわたしを、思いとどまらせるものは何もなかった。
あるとすれば世間のしがらみと、貯金通帳の残高のみだけど、これは中国の旅に出かけるたびに言い訳しているので、もう触れない。
というわけで2000年の5月の後半に、わたしはまた新疆ウイグル自治区へと向かった。
今回の紀行記は2000年の南疆鉄道の旅がメインである。

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いつも通り上海へ上陸して、ここから旅がスタートなんだけど、前置きのつもりでひさしぶりに日本を出るところから話を始めよう。
わたしのいでたちは、Jマートで買った長袖の作業員シャツ、太ももの両わきにポケットのついた紺のズボン、それに黒の短靴で、東京電力の作業員を想像してもらえばわかりやすい。
忘れてはいけないのが、97年の旅ではじめて持ち込んだワープロ(モバイルギア)だ。
宮沢賢治ふうに旅の一挙手一投足を記録しようというわたしには、不可欠の道具である。

バスの中でうとうとして、ふと目覚めたらもう成田空港だった。
このときはユナイテッド航空で、E35カウンターへ赴き、正規の航空券を受け取った。
旅行保険に入りますかと訊かれたけど、1万なんぼといわれてお断りした。
わたしの旅は1カ月を予定していたので掛け金も高いし、どうせ墜落して死んでも、わたしには喜ぶ人も悲しむ人もいないのだ。

待合ロビーでモバイルギアを使っていたら、まわりでも2、3人が、本格的なノートパソコンを使っているのに気がついた。
彼らの機器に比べるとわたしのはいかにも貧弱だけど、単3乾電池で使える軽便なワープロとして、こちらのメリットは大きい。

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徹底合理化のユナイテッドでも機内食は出る。
しかし、食事はとらないでワインだけもらうことにした。
わずか2時間の飛行なのに無理にメシを食っても仕方がないし、だいたいわたしは飛行機のせまい席で食事をひろげるのがイヤなのだ。
こういう客ばかりだと経費節約のユナイトも楽である。

飛行機が日本を離れると、成層圏にはむらさき色のたそがれが広がっていた。
わたしの席は最後部に近く、この位置から前方を見やると、最前列の席まで30メートルはありそうだ。
横幅も新幹線の倍くらいあり、そこに人間がびっしり座って、窓の外でには貧弱な翼が、わたしの前方5、6メートルの位置で機体をささえている。
よくこんなものが空中に浮かぶものだと感心してしまう。

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今回の旅では前年に開港したばかりの浦東国際空港を、初めて利用することになった。
到着したのは20時ごろで、着陸するとき、遠方のひときわ明るい光群の中に東方明珠が確認できた。
空港からそちら方向へ、高速道路と思える何本ものオレンジの光の帯が延びている。
新しい浦東空港は、屋根以外が総ガラス張りの、ナマコのような形をした建物だった。
設備は最新式かもしれないけど、往来する飛行機の絶対数が少ないのか、人影はまばらだった。

タクシーで、もうお馴染みになった新亜大酒店へむかう。
やけに幅が広く、そのくせ車の少ない高速道路を市内に向かうと、夜なのでよくわからないものの、空港のまわりは無人の耕地らしかった。
運転手に何分ぐらいかかるかねと尋ねると、おおむね40分ぐらいでしょうという。
良心的な運転手らしく、スピードも出さず、130元くらいで新亜大酒店に着いた。
この日のレートは1万円が771元(1元が13円くらい)。
部屋は619号室で、安い部屋を注文したから、むろん郵便局と反対側のつまらない景色しか見えない。

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夜の22時くらいだったけど、飛行機の機内食を食べてないから、「川妹子」というホテルの近くのレストランで夕食にした。
この店はウエイトレスがかすりのモンペのような上下を着ていた。
モンペの娘が菜単(メニュー)を持ってきた。
見たってわかりゃしないけど、とりあえずビールと、菜単の写真を見て、こってりと辛そうなものを適当にふたつ頼んでみた。
「◯(魚へんに即のような字)魚焼豆腐」は、15センチくらいのフナのような魚2匹にあんかけをかけたような料理。
「ニラ珠太子魚」は、ニンニクとぶった切りのウナギみたいな料理で、両方とも辛いだけではなく、骨がたくさんあって食べにくかった。
わたしの旅はグルメ旅ではないので、それ以上書かない。

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今回もまた西安を、あらたまった旅の出発点にするつもりなので、上海に1泊した翌日は、駅となりの龍門賓館に出向き、西安までの切符はあっというまに買えた。
列車の切符は問題なしだけど、今回は新機軸として、西安から新疆のウルムチまで国内線の飛行機で飛んでみることにした。
龍門賓館で飛行機の切符について聞きたいというと、1人の娘がホテルのすぐとなりにある航空券発売所に案内してくれた。
そこで調べてもらうと、西安からウルムチまで、値段は想像していたより安いけど、時間は想像していたより長く、3時間半かかるという。
うーむと考える。
飛行機を使っても、わたしの場合経費や日程の節約にはならないのだ。
帰国の日は決まっているので、飛行機を使って行程を短縮しても、その分べつのところに泊まる日にちが増えるだけである。
ただ、わたしが中国の国内線に乗るのはこれが最後の機会になるかもしれないので、片道3時間以上かかる飛行機がどんなものか、話のタネにはいいだろうと贅沢をすることにした。
あいかわらずわたしの旅はモーム流である。

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西安行き列車の指定席に行ってみたら、まわりににぎやかなおじさんたちがいた。
一見すると中国人だけど、身なりは先進国の農協団体みたいである。
聞いてみたらマレーシアから来た人たちで、中国語も話すというから華僑らしく、車内で電話をかけたり、お菓子を食べたり、車内販売のスイカをすすめてくれたりと楽しい人たちであった。

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列車は江南から、中原にかけてずっと麦秋のうるわしい平野を行く。
遠方にはゆるやかな丘陵が続いていて、そのてっぺんまで麦畑がひろがっている。
水田の場合は水をためなければいけないから、田は水平でなければならず、斜面は段々畑ということになるけど、畑の場合は大地の起伏そのままに麦を植えてしまうから、麦畑そのものが女性の肉体のようにゆるやかに湾曲している。
日本でも北海道の富良野あたりの畑がそうである。
たまに小鳥を見かけるものの、畑の脅威になるほどの数はいないようで、とちゅうの小駅ではオナガによく似ていて、全体がもっと黒いカササギを見た。
石炭置き場でまっ黒になって働く女性も見た。
ノーテンキなわたしが申し訳なく思う一瞬である。

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となりに座ったマレーシアのおじさんと話をした。
わたしは将来、マレーシア、ベトナム、カンボジアなどへ行きたいと思っていますというと、おじさんは、ワタシはカンボジア人だよという。
そういわれてみると、ちょっとごつい感じで、わたしの知識にあるカンボジア人の顔に見えなくもない。
なにか同業の仲間たちがそろって、商取引のために旅行しているらしかった。
西安駅に到着したとき、わたしはマレーシアの人々に、中国語で、“みなさんの楽しい旅行をお祈りいたします”とお別れの挨拶した。
みんな大喜びで、わざわざ握手してサヨナラといってくれる人もいた。

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西安では前回の旅でも泊まった人民大厦に行くことにした。
近場というのでタクシーではいやな顔をされそうだから、たまたまおばさんが運転する3輪タクシーが来たので、それをつかまえ、10元だぞというと、わたしの声が聞こえなかったのか、おばさんは4元だよという。
なんだか悪いような気分である。

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人民大厦に荷物を置いて身軽になってから、もういちど駅へ行ってみた。
駅のそばに長距離バスの発着場があるので、そこで飛行場行きのバスはここから出てますかと訊いてみると、没有(ありません)という返事である。
飛行場行きは西門のほうから出ているそうなので、今度はたまたま手近にいたバイクタクシーをつかまえた。
わたしもいろんな乗り物に乗り、張掖ではタクシーの運転までしたことがあるけど、西安ではついにヘルメットをかぶってオートバイの後部にまたがることになった。

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西門のはずれに航空券売場があって、そこで調べてもらうと、西安からウルムチまで、飛行機は1330元(1万7千円ぐらい)、西安の飛行場は市内から50キロ離れており、タクシーでだいたい150元だというから、全部含めると飛行機代は2万円くらいになりそうだ。

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ふたたび城内にとって返し、来る途中で見かけた清真屋台街で食事をしていくことにした。
“清真”というのはイスラムのことで、いろんな食堂があったけど、べつにハラル料理ではなさそうだったので、酸湯水餃子とビールを注文した。 
ホテルにもどったのは23時過ぎになっていた。

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期待と願望

うーむ、これでもまともな公共放送なんだろうか。
NHKの期待や願望はことごとくはずれて、わたしの期待や願望はことごとく当たったよ。
マクロンさんが不利ということは、そのNHKの報道であるていど予測できたけど、これほどひどいとは思わなんだ。
マクロンさんの政党は2番手どころか、ゴミ扱いの3番手じゃないか。
だいたいいまウクライナ戦争のまっ最中なのに、若者の徴兵を義務化しようなんていっちゃおしめえよ。
若者はウクライナびいきが多いけど、だからって戦争に行きたいと考えるわけないでしょ。

アメリカでもNHKはバイデンさんに勝ってほしかったようだけど、ヤクザの親分みたいなトランプさんにこてんこてんにされて、ダブルスコアの敗北だ。
そしてつぎのNHKの期待と願望を打ち破りそうなのは、英国とドイツだ。
スナクさんとショルツさんも敗北すると、日本の仲良しクラブは崩壊するんじゃないか。
あ、岸田クンも雁首並べるかもね。
ゆいいつ安泰なのはメローニさんのイタリアだけど、彼女はもともと極右の代表みたいなもんだしな。
わたしって美人のメローニさんのファンだから、彼女が居座るのは大歓迎。
ずっとロシアの応援をしてきたわたしの期待と願望が実現するまであと少し。

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